黒夜行

>>2008年06月

赤×ピンク(桜庭一樹)

いつものように仕事を終えて部屋に戻ると、郵便受けに一通の封筒が入っていた。表に『招待状』と大きく書かれている以外白紙の封筒で、差出人が誰かも分からない。後で気づいたのだけど、切手も貼っていなかった。明らかに怪しいのだけれども、その時は疲れていたこともあって見逃してしまったのだ。
なんとはなしに封筒を開けて見る。それは、ある大会の予選会への招待状であった。
『エア格闘技全国大会』
「エア格闘技」というのは聞いたことがないけど、要するに「エアギター」みたいなものなのだろう。そこまでは分かるが、しかしやはり実際に想像は出来ない。
僕は小学校の頃からずっと空手をやってきて、それなりの有段者である。空手には型というのがあって、対戦相手がいない状態でその型を披露するというのがある。要するに、それの応用版だと考えればいいだろうか。ありとあらゆる格闘技の攻撃スタイルを一同に介して審査する。その型の良し悪しで、勝敗を決める、というような。ある意味で総合格闘技と言えないこともないだろう。
実は後で気づいたのだが、その招待状の末尾にURLが記されていて、詳しい情報はここにアクセスするように、という注意書きがあったのだ。そこには、エア格闘技のなんたるかということがちゃんと説明されていたのだけど、僕はそのURLにまったく気づかなかったために、自分なりの解釈のみで参加を決めてしまったのだった。ずっと続けている空手の型なら、練習を怠りさえしなければそれなりのものを披露することは出来る。それで大会に臨んでみよう、とそんな風に思っていたのだ。
そして予選会当日の日がやってきた。
会場は、普段参加する空手の大会とはちょっと違った雰囲気を醸し出していた。僕はそれを、様々な格闘技の人間が集っているからだろう、と考えていたのだけど、大会の本当の姿を目の当たりにした時、その解釈が間違っていることを知った。しかし大会が始まるまでは呑気なのもで、どこかに知り合いでもいないかなぁと探す余裕さえあったほどだ。
そして大会が始まった。
会場には畳敷きのスペースやプロレスリングなど、ありとあらゆる格闘技で使用されるステージが組まれていた。そしてそのそれぞれに一人ずつ参加者が立ち、合図を待っている。
合図と共に、すべての参加者が同時に動き出した。それを見て、僕はようやくエア格闘技のなんたるかを知ることになった。
参加者は皆、一人で動き回っている。それぞれの格闘技の型を見せている者はいない。フットワークでパンチを避けている風だったり、寝技を掛けられている風だったりする動きをしている。凄い人なんかは、背負い投げを掛けられている様子を一人で演じている。
そう、エア格闘技とは、いかに相手に技を掛けられているかを演じる競技だったのだ。それに気づいた瞬間、僕はいかにこの場から一刻も早く立ち去るかということしか考えていなかった。

一銃「エア格闘技」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、直木賞作家である桜庭一樹の初期の作品です。元々はライトノベルレーベルであるファミ通文庫から出ていたもので、それが再度角川文庫から文庫化されたということです。
廃校になった小学校を舞台に、夜「ガールズブラッド」が開かれる。それは、少女達によるプロレスのようなもので、お客さんを入れて見世物として成立している。
そのガールズブラッドでファイターとして毎夜戦っている三人の少女。不安定で頼りなげな「まゆ十四歳」、SMクラブで女王様のバイトをしている「ミーコ女王様」、空手少女で女と一緒に着替えるのを嫌がる「皐月」。この三人が物語の主要な少女達だ。
彼女達は、何かを求めるようにしてここガールズブラッドまで辿り着いた。それぞれに抱えているものがあり、それぞれに悩んでいることがあり、そんな中で毎日やってくるガールズブラッドに一瞬の安らぎを見出している。
こういう生き方しか出来ない少女たちの、それでも必死に生きている少女達の日常の物語。
ここ一年ほどですっかり人気作家に登りつめてしまった桜庭一樹の初期の作品です。常に何らかの形で『少女』を題材にして描き続けてきた著者らしい作品かなと思いました。
「”まゆ十四歳”の死体」「ミーコ、みんなのおもちゃ」「おかえりなさい、皐月」という三つの章で構成されていて、そこでそれぞれの少女を中心に話が進んでいきます。全体的な雰囲気は違いますが、「ブルースカイ」にちょっと構成が似てるかな、という感じはしました。
それぞれの少女は、何とも言えない悩みを抱えています。まゆは不安定で拠り所がないところが、ミーコは誰かの願いを叶えてあげることばっかり考えていて自分の望みがないところが、そして皐月は性の問題に。それぞれが抱えている問題は大きく解決されることはありませんが、しかしガールズブラッドと出会うことで何かを得、何かが変わり、新しい方向へ一歩を踏み出すことが出来る。そんな展開になっています。
ストーリー的に一番驚いたのは、やっぱり「”まゆ十四歳”の死体」ですね。このラストの展開はあまりに唐突でちょっとびっくりしました。こんなんアリかよー、とか思いました。このまゆだけが、不安定さが正しい方向にならないままフェードアウトしてしまう印象があるので、その後がすごく気になりますね。
ミーコの話が一番普通だったかな。展開としては一番分かりやすいでしょうかね。ラストもなかなか順当だと思います。
皐月は、ちょっとした驚きのあるストーリーですね。なるほど、という感じと、でも何だかイマイチ違和感があるという感じとが程よく交じり合っていて、割と好きな展開でした。皐月の印象が結構ガラリと変わるので面白いです。
全体的にはまあまあかな、という感じはしました。桜庭一樹の小説というのは結構好きなんだけど、基本的に『少女』を題材にしているために、男にはどうにも入り込めない部分があるんですよね。「私の男」や「少女七竈と七人の可愛そうな大人」みたいに、基本的に少女を描きつつも、その周辺に否応なく男が密着してくるようなストーリーなら男でも入っていけるんだけど、「少女には向かない職業」とか本作みたいに、ストーリー全面が少女で彩られていると、どうしても男が入り込む隙間がなくて物語に入れないようなイメージがあります。まあそれでもそこそこは面白いんですけどね。
女性が読んだらまたどういう印象になるのか分かりませんが、僕としてはまあまあいいかなという感じの作品でした。でも相変わらず思うのは、桜庭一樹って言うのは昔からラノベ作家っぽくなかったんだなぁ、ということです。本作も、ライトノベルのレーベルで出てはいましたが、内容的には文芸の方で分類されててもおかしくないですからね。昔からやっぱり実力があった、ということでしょうね。

桜庭一樹「赤×ピンク」




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日本でいちばん大切にしたい会社(坂本光司)

僕は社長になりたくて仕方なかった。とにかく、なるなら社長だと子どもの頃からずっと思っていた。社長にならなければ意味がない、とまで思っていたほどだ。
そんなことを周りに吹聴していると、友人の一人が一冊の本を僕にくれた。「日本でいちばん大切にしたい会社」という本だった。
「この本何?」
「タイトル通りな、日本でいちばん大切にしたいと思える素晴らしい会社について載ってるんだ。お前がもしホントに社長になりたいんだったら、こういうような人の話を読んでおくのはためになるだろうと思ってさ」
そう言われたので、僕はありがたくその本を受け取り読んでみることにした。
その本には、主に五つの会社について書かれていた。

川崎市にある、従業員の七割が障害者である「日本理化化学工業株式会社」
斜陽産業である寒天を扱って、四十八年間増収増益を続けてきた「伊那食品工業株式会社」
日本一辺鄙な場所にあるが、そこで作っている義肢装具を求めて世界中から顧客がやってくる「中村ブレイス株式会社」
地元北海道で最も親しまれていて、新卒採用の競争率が100倍という「株式会社柳月」
大手スーパーが立ち退いたためさびれてしまった商店街で驚異の売上を誇る「杉山フルーツ」

この本を読んで、僕は成功の法則を見極めることが出来た、と思った。なんだ、会社を成功させるのはこんなに簡単なことだったのか、と僕は安堵したのである。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

フリーライターとして毎日忙しく働いている私のところにある話が舞い込んで来たのは、桜も散りかけた頃のことだった。
私は、自ら企画を立てて文章まで書き、そのパッケージすべてを出版社に売り込むという形で仕事をしているのだけど、ある時変な会社があるので取材に行ってもらえないか、と依頼がやってきた。自分で企画を立てない取材は久しぶりだったものの、依頼主から聞いたその会社の特徴を聞いて、何だか嫌な予感がしたのだった。これは自分で行って確かめるしかない。私はそう決意して、一路滋賀県まで行くことにしたのである。
その会社は、実に辺鄙な場所にあった。滋賀県の奥の奥、もはやここは森と呼ぶべきなのではないか、と思えるところに、突如その建物が現れるのである。しかも奇妙なのが、その建物は商店街の中にあるのである。そんな山奥に商店街があるわけもないので、その商店街も会社の所有ということなのだろう。わざわざさびれた雰囲気を醸し出す商店街の中に本社がある。
本社に入ると、驚くべきことに従業員のすべてが障害者なのだった。受付にいる人は話すことが出来ないようで、すべて筆談でのやり取りだった。エレベーターガールは車椅子に乗っているし、工場の方でも様々な障害を負った人々がそこかしこで働いているのである。
事前に聞いていた話によれば、この会社が扱っているのは寒天と義肢装具だとのこと。ここに至って私の嫌な予感は完璧に的中したと言っていいだろう。
社長への面会を求めると、既に話は通っていたようで、社長室に案内された。そこで私は、旧友と再会することになるのである。
「やっぱり、君だと思ったよ」
「あの時お前がくれたあの本に書かれていることをすべて実践してみたんだ。なかなか困難なものもあったけど、どうだろう、なかなかうまいこと実現したとは思えないだろうか。これで僕の成功も間違いなし、というところだろうね」
私はそれ以上取材を続ける気になれず、頑張ってくれ、応援していると言ったようなことをおざなりに言って帰ってきた。まさかあそこまで馬鹿だとは思わなかった。恐らくあの会社は近い内に潰れることだろう。そう思うと、あそこで働いている障害者の方々のことが思い出されて、何とも言えない罪悪感にさいなまれるのだった。

一銃「成功の法則」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、まさにタイトルそのままの本でして、中小企業経営論などを専門としている大学教授が、自身の足で北海道から沖縄まで6000社を超えるありとあらゆる企業を訪ねて回り、その中でここは素晴らしいと思える会社を厳選して5社紹介している本です。僕の勝手な予想では、この本はちょっと話題になりそうですね。既になっているのかもしれませんけど。
紹介されている五社は、ショートショート内で説明した通りで、もう一度コピペすると、

川崎市にある、従業員の七割が障害者である「日本理化化学工業株式会社」
斜陽産業である寒天を扱って、四十八年間増収増益を続けてきた「伊那食品工業株式会社」
日本一辺鄙な場所にあるが、そこで作っている義肢装具を求めて世界中から顧客がやってくる「中村ブレイス株式会社」
地元北海道で最も親しまれていて、新卒採用の競争率が100倍という「株式会社柳月」
大手スーパーが立ち退いたためさびれてしまった商店街で驚異の売上を誇る「杉山フルーツ」

という感じですね。これからそれぞれについてどういう会社なのか書いていくつもりですけど、ホントどの会社も素晴らしいですね。僕はネットでこの書評を読んで読んでみることにしたんですけど、その書評の中で、この本を読んで泣いた、という感想がありました。その気持ちは僕も分かるな、という感じです。とにかく、会社を経営するということが、これほど感動的な話になるのだなぁ、とびっくりする思いでした。世の中にいるすべての経営者がこんな感じだったら素晴らしいと思うんですけど、本作の冒頭でも触れられているように最近は偽装だのなんだのと企業にまつわる不祥事が多いです。悪いことをして利益を得るというのが当然のようにまかり通っている世の中にあって、ここに挙げられている五社の素晴らしいこと素晴らしいこと。すべての経営者は爪の垢を煎じて飲んでいただきたいものですね。
というわけで、それぞれの会社の説明をしましょう。

まず、今僕が住んでいる街である川崎市に拠点を構える「日本理化化学工業株式会社」です。この会社のとにかく素晴らしい点は、先ほども書いたように、社員の七割が障害者である、という点です。
きっかけは大分前に遡ります。ある養護学校から、生徒を就職させたいというお願いがありましたが、当時の社長は悩みに悩んだ末そのお願いを断ることにしました。しかし、それではせめてということで、一週間だけでも仕事を体験させてはもらえないだろうか、という話になり、社長はそれならとOKしたそうです。
最終日、当時の社員達は社長に直訴します。あの子達を社員として雇ってはもらえないか、と。もしあの子達に出来ないことがあれば、私達がカバーします。その熱意に押され、社長はその障害者の雇用に踏み切ったわけです。
以来障害者の雇用を続けていき、今では社員の七割が障害者というとんでもない会社になったわけです。
もちろん初めは苦労が耐えなかったそうです。人を工程に合わせるのではなくて、工程を人に合わせるというやり方で、それぞれの障害者の障害の程度に合わせて一人一人やり方を変えていったのだそうです。
この会社は、授業で使うあのチョークを作っている会社です。決して大きく儲かるような分野ではありません。それでも、障害者を雇用しているという条件の中で、実に優良な経営を続けているとのことです。新製品の開発などにも余念がなく、社員のやる気がみなぎっているそうです。

次は、斜陽産業である寒天で48年間増収増益を続けた「伊那食品工業」です。
常に研究への投資をし続け、それによって新製品の開発を行い、現在では寒天メーカーの世界的企業と言っても言い過ぎではありません。国内の80%、世界の15%のシェアを誇っているそうです。
この会社はとにかくなかなか凄くて、まず社是が「いい会社を作ろう」だったりします。「いい会社」というのは、周りの人すべてからそう思われるという意味で、この会社は常にそれを実践しています。そのため、敵を作らない経営というのを実践しているし(つまり、ライバルの発生しようのないオンリーワンの商品を提供し続ける)、なんと社員全員会社の敷地内に入る際に「右折禁止」を実行しているとのこと。右折をすると渋滞になったり事故になりやすいので、どんなに遠回りをしても左折のみで入るのだそうです。プライベートでも社員はすばらしく、駐車場の入口近くには車を停めない、というルールがあるそうです。駐車場の入口付近は障害者や高齢者のためのスペースだという認識のようで、社員全員がそれを実行しているそうです。
また、社内のあちこちに「100年カレンダー」が貼ってあります。社長は、経営とは持続させることが最も重要であると考えていて、100年先を見越した経営をモットーにしているようです。
ある時こんなことがありました。ある社員が、明らかに自身のミスで機械の操作を誤り、重いものが足に落ちてきてしまったことがあります。その時社長はこう考えました。二度と社員に危ない仕事はさせられない。事故の原因は誰がどう見ても社員の操作ミスだったにも関わらず、社長はその当時の財務状況ではかなり厳しい(倒産してもおかしくなかったような)出費をして、機械をすべて安全なものに切り替えたのだそうです。まず何よりも社員を第一に考えているということの表れですね。
とにかく、社長が持ち続けてきた理念がちょっとレベルが違う、そんな会社だと思います。

次は、日本一と言っても過言ではないほどの僻地に本社を持つ、世界一と言ってもいい義肢装具メーカーである「中村ブレイス株式会社」です。
この会社は、日本で最も過疎の進んでいる島根県の中でも最も辺鄙と言ってもいい石見銀山の麓に本社があります。周りには遊ぶところなんか何もないようなその会社に、毎年県内外から山ほどの若者が就職を希望しにやってきます。仕事は、義肢の素材である粘土状のものを成型するという、お世辞にも綺麗でスマートだとは言いがたいものですが、そこで働くすべての人がいい笑顔で仕事をしているようです。
まだ日本で義肢装具の需要がまるでなかった頃から会社を始めた社長が初めて雇ったのが、虚弱な若者でした。一時間働いたと思ったら疲れたと言って帰り、一週間ぐらい出社しない。たまに長い時間働くことがあっても、長続きはしないという有り様の若者でした。しかし社長はその若者を雇い続け、七年半の歳月を掛けて、朝8時から夕方5時まで働けるようにしたのだそうです。世のため、人のために貢献したいという社長の創業の頃からの想いがそうさせたわけです。現在この会社の主力商品となっているものには、その若者のアイデアによるものが数多くあるそうで、会社の発展に大きく貢献したようです。
またこんなことがありました。地元の高校二年生の女の子が会社を訪ねてこういいました。
「私は東京の大学に行くけど、将来はふるさとに帰って仕事をしたい。ここで働きたいと思っているのだけど、大学の四年間、どんな勉強をすればいいですか」
そこで社長はこう答えました。
「いい友達、いい先生に出会ってくれれば、それでいいですよ」
またこんなこともありました。事故で両足を失ってしまった中学生の女の子に義足を作ってあげましたが、義足であることを理由に苛められる始末。高校に行っても友達が出来ないため、思い余った彼女は中村ブレイスへ行き、高校を辞めるのでここで働かせてください、といいます。
しかし社長は首を縦に振りません。
「最低でも高校は卒業してください。できれば大学も行ったほうがいいでしょう」
その上でさらにこう続けます。
「そして、そのときに、まだ中村ブレ―ズで働きたいと思うのであれば、私たちは待っています…。あなたの席を空けて待っています…」
目先の利益だけを求めていたら存在しなかっただろう会社だなと思いました。

次は、北海道を拠点とし、北海道からは絶対に出ないと決めている、地元民に広く愛されているお菓子会社である「株式会社柳月」です。
とにかく値段は安く、しかも味はピカイチ。この会社で働く職人は、モンドセレクションなどの世界中から数千人の職人が参加するコンテストで、三年連続金賞などの快挙を成し遂げているほどです。お菓子作り体験を社員である職人が教えたり、社長自らが北海道のお菓子全体を盛り上げようと行動をしていたりと、とにかく地元に密着して経営をしている会社です。
お菓子店というのは普通パートやアルバイトが多いそうですが、この会社では7割が正社員なんだそうです。接客も素晴らしく行き届いていて、各人が自らの能力を最大限つぎ込んでいるように感じられるそうです。
しかも、新卒採用の競争率がなんと100倍!優良経営であることを学生の多くも知っているということですね。
お菓子を通じて北海道で何が出来るのかを真剣に考えた結果としての一つの形だなと思います。

最後に、大規模スーパーの撤退によって寂れてしまった商店街の中で驚異的な売上を誇る「杉山フルーツ」です。ここは、株式会社でも有限会社でもありません。商店街によくあるような家族経営の小さなところです。しかしそれでも、この果物屋がやっていることはすごいですね。
まず関係ないですけどびっくりしたのが、これが静岡県富士市の吉原商店街にあるということですね。何がビックリかって、僕の生まれたのがこの富士市の隣町である富士川町だからです。正確には覚えていないけど、吉原商店街という名前も聞いたような記憶があるし、たぶんその近くを通っているのではないかな、という気がします。高校が富士市にあったので。何だか知っている地名が出てきて親近感が沸きました。
この店では、高価なマスクメロンが年間で8000個売れるんだそうです。この数字はなかなか実感し難いですけど、単店での売上としては日本一だろうと著者は書いています。またただの小売りではなくメーカーになろうとしていて、オリジナルのゼリーを作って販売していたりします。このゼリーは好評で、全国の様々なスーパーチェーンから、わが社で売らせて欲しいというオファーが殺到したようですが、すべて断ったそうです。一日の売上が少なくとも1億円以上、その倍出してもいい、と言われても首を縦には振らなかったそうです。手作りなので一日限られた個数しか作れないから、というのがその理由のようですが、しかしすごい決断だなと思います。
この店が何故そんなに売上を上げることが出来たのかと言えば、二つの要素があります。一つは、贈り物用に特化したこと。そして早くからインターネットを活用したことです。
例えばこんなことがあったそうです。ある人が杉山フルーツのHPを見て連絡をして来ました。その人は、実家にいる母に毎月果物を送ってもらえないだろうか、と依頼してきました。もちろんそのお客さんの住む街にも果物屋はあるでしょうが、お客さんはあなたに頼めば実家の母に想いが届くのではないかと言います。普通こんなめんどうな注文は断るでしょうが、杉山フルーツは二年間毎月フルーツを送り続けたのだそうです。
また別の話があります。結婚を控えた夫婦が、とあるきっかけで引き出物を杉山フルーツに頼むことにしました。予算は少なかったのですが、杉山フルーツはスタッフ総出で可能な限り素晴らしい引き出物を完成させました。それを見た夫婦は、明らかに自分達が提示した予算内に収まる仕事ではないと分かります。そんな採算を度外視したこともやってのけてしまうわけです。
立地は悪い、規模は小さい、売っているものはただのフルーツ。そんないい条件などどこにもない状況でも、素晴らしい仕事をすることは出来るのだな、と思いました。

著者としては、世の中の経営者に向けてメッセージを発したくて本作を書いたのかもしれませんが、僕としてはこれから仕事を選ぼうと想っている人、そして天職を考えているような人に読んで欲しいかもしれない、と思います。仕事をするということはどういうことなのか、そしてそれを実現することの出来る会社とはどういう会社なのかということを考えるいい機会になるのではないかな、と思います。
経営者にはとにかく、社員やスタッフの満足を一番に考えた経営をしてもらいたいものですね。本作でも、企業が最も重視すべきは、お客さんよりもまず社員である、と書いています。社員を大切にすることが、結果的に売り上げに繋がるのだ、と。確かにそうだろうな、と思いました。
なかなか素晴らしい本だと思います。200Pぐらいで1時間ぐらいで読めてしまうので、本当はオススメしたくないですけど立ち読みで読んでもいいかもしれません。僕もこんな会社で働きたいものだなぁ、と思わせるような会社の話でした。
最近、「俺ブラック会社に勤めてるんだが、もうダメかもしれない」みたいなタイトルの本が話題ですが、それと合わせて読んでみても面白いかもしれません。

坂本光司「日本でいちばん大切にした会社」




シャルビューク夫人の肖像(ジェフェリー・フォード)

「最も私に似た絵を描いた者に、すべての遺産を与えよう」
実業家であり経済評論家でもあった竹中一郎氏が、自身がコメンテーターを務めるテレビ番組の中でそう宣言したのは、今から一ヶ月前のことであった。
竹中氏は銀行員からベンチャー企業を興した変わり者で、しかも一代で巨万の富を築いた立身伝中の人物であった。一方でその豊富な知識から経済評論家としても活躍し、テレビで目にしない日はない、という人であった。
その竹中氏が、テレビを通じてこう宣言したのだ。
世間はこの宣言に狂喜した。何せ、親族でなくても絵さえ描けば莫大な遺産を手に入れることが出来るチャンスがあるのだ。世界中の人々が、世界中の芸術家にアプローチし、誰もがこの賭けに勝ってやろうと意気込んでいた。誰が遺産を手に入れるか賭けまで行われる始末で、そのあまりの熱狂振りに、他局でも特集番組が組まれる程であった。
さてそんなわけだったから、それなりに名の通った芸術系の大学にいる僕の周りも、この話でもちきりだった。もちろん絵の巧い奴がゴロゴロいるわけで、誰もが山師になった気分で、自分が遺産を手に入れて見せると意気込んでいるのだった。
かく言う僕もその一人であるのだが、僕には勝算があった。そもそも多くの人はこのゲームの本質を見極めていない、と僕は感じていた。重要なことは、絵の判断をするのは竹中氏本人である、ということだ。
僕は、あらゆる伝手を辿って、あらゆる人の手を介しながら、目標へと少しずつ迫っていった。それを手に入れることが出来るかどうかで、ほぼ勝敗が決すると言っても言い過ぎではないだろう。僕は自分では一切絵を描かなかったし、誰かに絵を依頼することもなかった。それでも、僕には間違いなく勝てるだろうという目算があった。
そして発表当日の日がやってきた。会場として指定された場所は、人で一杯だった。それもそのはずで、日本のみならず世界中からありとあらゆる人間が詰め掛けているのだった。
するべきことは単純だった。順番に竹中氏に絵を見せる。これだけ多くの人がいるのだから、見せる時間はほぼ一瞬と言っていい。そして最後まで絵を見終わった後、竹中氏が一枚の絵を選ぶのである。
審査が始まった。ほとんどの時間は待つしかない。退屈でもあり、同時に緊張もしていた。自分の賭けが当たるかどうかの分かれ目なのである。
長い時間を経て、ようやく僕の番がやってきた。僕の絵を見た竹中氏の表情が変化した。そして、これまでそんなことは一度もなかったのだが、竹中氏は付き人の一人と何やら話をし始めたのだった。
僕が見せたのは、竹中氏の一人娘が小学生の頃に描いた父親の顔である。多くの人を介してこれを手に入れることが出来た。どれだけ似た絵を描こうとも、竹中氏の心を掴むことが出来ないのでは仕方がない。
中断していた流れが再会される気配はない。しばらくすると僕のところに、先ほど竹中氏と話をしていた付き人がやってきた。
「恐れ入りますが、その絵をこちらにお渡しいただきたい」
僕は心の中でガッツポーズをした。これはつまり、僕が勝者となったということだろう。
「ありがとうございます」
「勘違いされては困ります。その絵は、竹中氏が小学生の頃に描かれた、お父上の絵です」
なるほど。僕はまったく違うものを掴まされたというわけか。心の中で一人苦笑し、賭けに負けたことを悟った。
「最近、竹中氏のお父上が殺されたというニュースをご存知でしょうか」
彼がそう言った瞬間、サイレンの音が聞こえてきた。まさか。
「警察もあなたにお話を聞きたい、とのことです」

一銃「似顔絵ゲーム」

そろそろ内容に入ろうと思います。
舞台は19世紀末のニューヨーク。ロウソクの灯りから電球への灯りへと移行し始め、街中では馬車と共に車も走るようになった、そんな時代。写真が発明され、下層の人々でも気軽に自分の肖像を手に入れることが出来るようになったため、逆に上流階級の人々の間で肖像画を描いてもらうことが流行した。そんな時流の中にいる、一人の画家ビアンボが物語の主人公です。
ビアンボは元々芸術派の画家でしたが、お金の誘惑もあって肖像画家として歩むことになり、その世界で多少名の知られた存在になっていた。しかし、以前のような芸術的な絵をまた描きたいという想いも燻っていて、イマイチ落ち着かない日々を過ごしている。
そんなある日、ビアンボの元にある依頼が舞い込んできた。自画像を描いて欲しいというのはいつも通りであるが、その報酬と内容が常軌を逸していた。こちらの条件をきちんと満たしてくれれば、現在ビアンボが受けているすべての依頼を合わせた総額の三倍の値段を支払うと依頼人は言います。そしてなんと、自分の顔を見せることは出来ないというのです!依頼人はビアンボに、想像だけで私の完璧な自画像を描くように依頼してきたのです。
依頼人はビアンボに、自分のことはシャルビューク夫人と呼ぶようにと言い、そして想像のよすがとなるようにと、自身にまつわる様々な話をすることになります。子ども時代に父親の手伝いをしていた話から、彼女がどうやって成功するに至ったのかまで。ビアンボは、それらの話を聞き、シャルビューク夫人の姿を想像している内に、すっかりこの依頼の虜になってしまいました。付き合っている美人舞台女優のサマンサをほったらかしにしてまで、シャルビューク夫人の肖像画を描こうとします。
目から血を流して死んでいく女性や、ビアンボの手伝いをしてくれる知人画家、師匠であるサボットとの思い出、シャルビュークと思われる人物からの襲撃など、様々な要素に囲まれながら、ビアンボはシャルビューク夫人の狂気にとりつかれていき…。
というような話です。
ネット上でなかなかいい評判だったのを見かけたのでちょっと読んでみました。
冒頭、ビアンボがシャルビューク夫人に出会うまで(40ペ^ジぐらいですけど)は結構きつかったですね。なかなか物語を読み進められなくて、どうしようかと思いました。ただ、ビアンボがシャルビューク夫人と出会ってからはかなり面白い展開で、全体的にはなかなか面白い作品だと思いました。
圧巻なのが、シャルビューク夫人が語る生い立ちですね。その生い立ちを聞きながらビアンボはシャルビューク夫人の姿を想像しなくてはいけないのですが、この生い立ちがなかなかとんでもない話なわけです。要するに、特殊な占い師であった父親の手伝いをしている内に自分は予言者になってしまい、それによって成功したという話なわけですけど、細部の緻密なこと緻密なこと。よくもまあこんな与太話をこれだけリアルな話として語ることが出来るものだなぁ、と感心しました。彼女の子どもの頃の姿や、成長していくに連れ屏風の後ろに隠れてしまうようになってしまうまでの姿が思い浮かんでくるのではないかと思えてしまうくらい、シャルビューク夫人の語る生い立ちは真に迫っていたと思いました。
それに、全体的に謎めいたストーリー展開なのもなかなかいいですね。顔を見ることなく肖像画を描くというのがもちろん一番の謎になりますが、目から血を流して死ぬ女性や、シャルビュークの登場など、外野でもなかなかいろんなことが立て続けに起こったりします。
しかし、要素だけ見るとなかなかミステリ的なお膳立てがされるのだけど、物語自体はミステリっぽい展開はしないですね。なので本作を読みながらミステリっぽい展開を期待するとちょっと裏切られるかもしれません。ラストの展開はちょっとイマイチかなと思わなくもないですけど、ミステリだと思わなければまあ悪くないかなと思える、そんな感じでした。
ビアンボの恋人であるサマンサや、ビアンボに協力して手を尽くしてくれる知人画家であるシェンツなんかがなかなかいい味を出しているわけです。特にサマンサの存在はピリリと利いていて、物語を小気味に展開するのに大いに役に立っています。ビアンボとサマンサの関係の展開についても不満がないではないですけど、まあ仕方がないかもしれないな、と思ったりもします。
この著者は、デビュー長編である「白い果実」で世界幻想文学大賞を受賞したようで、本作でも同じ賞にノミネートされたのだそうです。また、「ガラスのなかの少女」という作品でMWA最優秀ペーパーバック賞を受賞し、ミステリ作家としても高い評価を受けているようです。本作も、なかなかいい作品だと思いました。外国人作家の作品が苦手という人でも割と読めるのではないかと思います(何故なら登場人物がそんなに多くないからです)。物語全体がどう展開するかよりも、ビアンボがいかにしてシャルビューク夫人の語りによって囚われていくのかというのを追っていくのがなかなか楽しいと思います。

ジェフェリー・フォード「シャルビューク夫人の肖像」




スカイ・イクリプス(森博嗣)

日常が続いている。
どこまでも。
向こう側まで。
日常はどこにでも潜んでいる。
窓の向こうにも。
靴の裏にも。
時間が途切れ途切れに流れ、
空間がぼそぼそと広がり、
感情がとぼとぼと湧き出し、
それでも、日常が僕らを取り巻いている。
昨日が終わり、
今日が進み、
明日がやってくる。
過去は刻まれ、
現在は留まり、
未来は待機する。
戦いはやがて終わり、
空はやがて遠ざかり、
気分はやがて落ち着いていく。
届くはずのない場所を想い、
届くはずのない感情を呪い、
届くはずのない天空を墜ちる。
何も起こらない時間を区切り、
何も起こらない空間を辿り、
何も起こらない関係を築く。
そうやって日常は僕らを覆っていく。
空だけが、僕らのステージだ。
空以外に、生きていく場所はない。
しかし、空だけが日常になるわけではない。
むしろ、空にいる時間はものすごく少ない。
ずっと空にいられるなら、
空にいるだけで生きていけるなら、
どれだけ幸せだろうか。
空での一瞬を生きるために、
地上での日常を受け入れなくてはいけない。
そこは、僕らのステージではない。
そこでは、僕らは役者でも観客でもない。
なんだろう。
ただの傍観者だろうか。
生きていくことに意味を見出せるなら、
地上にも価値を感じられるかもしれない。
死んでいくことに意味を見出せるなら、
それもまた、地上に価値を感じることが出来るかもしれない。
しかし、どちらも遠い。
自分の感情からかけ離れている。
生きていくか、死んでいくかではない。
空にいるか、空にいないかなのだ。
日常は、僕らの人生をゆっくりと固めていく。
僕らは、完全に固まってしまうことを恐れて、
時々空へと向かっていく。
太陽の熱で、固まりつつあった人生をゆっくりと溶かして、
そしてまた地上に戻ってくるのだ。
だんだん、空が遠くなる。
いつか、空と関われなくなる日が来るのだろうか。

というわけでいつもならここでショートショートを書くはずですが、このスカイクロラシリーズについては毎回こんな感じの文章を書いてきたので、今回はイレギュラーということでこんな風にしてみました。
しかし昔と比べたら文章書けなくなってるなぁ。衰えを感じます。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、スカイクロラシリーズの番外編のような位置付けで、森博嗣自身も出すことになるとは思ってなかったとどこかで書いていたような気がします。
本作は短編集です。それぞれ主人公は違う話で、しかも空を飛んでいる場面がほとんどありません。スカイクロラシリーズに出てくるキャラクターの日常やその後を描いたような作品です。
一応それぞれの内容紹介をしようと思いますが、そもそも誰が主人公なのかはっきりしないような話もあったりするし、ストーリー性が希薄だったりもするので、最小限の内容紹介に留めようと思います。

「ジャイロスコープ」
クサナギとササクラの話。いつの話なのかはよくわからない。クサナギとササクラが飛行機の技術的な話について議論しているのが大半。クサナギが広報の要請で曲芸飛行したりする。

「ナイン・ライプス」
モナミとある男(最後まで読めば誰だか分かる)の話。この二人は夫婦ではないが子どもがいるらしい。空を飛ぶことと、女と生きることについての話。

「ワニング・ムーン」
これは主人公が誰なのかも不明。戦闘中に被弾し、海上に不時着。その後偶然通りかかった船に救助される。その船の副船長としばしのやり取りがある。

「スピッツ・ファイア」
基地から少し離れたところにある喫茶店での話。店にたまに来るが話をしたことがない女と、その女と知り合いっぽいが店に来るのは初めての男。口やかましい二人組女性と、店の前に座り込んでいる一人の老人。

「ハート・ドレイン」
情報部のカイが、あるトラブルを処理する。戦闘機が敵の爆撃機に体当たりをし、それが市街地に落ちた、とのこと。その対処に追われている最中、体当たりを仕掛けたという戦闘機と一緒に飛んでいたというパイロットと会う。名前は、クサナギ。

「アース・ボーン」
マシマはサカシロとトキノと一緒に戦闘に出て戻ってきた。サカシロは落とされた。マシマはトキノと共に夜出かける。いつも相手をしてくれるマキがいないようで、今夜のマシマの相手はフーコだった。

「ドール・グローリィ」
カンナミとある女性(誰だかイマイチ分からない)の話。その女性は、入院しているカンナミを時々面会に行く。そして、恐らく昔の記憶。姉の手に引かれて街を彷徨っていた思い出。

「スカイ・アッシュ」
ある女性(イマイチ誰だか分からない)の話。車が故障して、人の助けを借りながら目的地へと少しずつ近づいていく。彼女は、ある人に会うためにこうして出かけているのだ。

というような話です。恐らく全然分からないですよね。
本作は、とりあえずスカイクロラシリーズを全部読んでないと意味不明だろうな、と思います。もちろん森博嗣がいつも言っているように、シリーズ物はどの順番から読んでもいいんでしょうけど、やはり僕のような凡人は、スカイクロラシリーズを全部読んでから本作を読むことをオススメします。
どのストーリーも、非常に抽象的でふんわりしています。具体的な時期が書かれることはないし、そもそも誰が主人公なのかよくわからない(これは恐らく僕が読んだ作品のことをすぐ忘れてしまうからだと思うけど)話もあります。
本作は、本編では描かれなかったスキマの時間を抜き出して作品にしているイメージがあります。森博嗣は作品を書き出す前に、ストーリーについてはあまり考えないけど、その作品の世界観や細部については考える、みたいなことをどこかで書いていたような気がします。そうやって考えておいたものの中から、必要なものだけを取り分けて作品にしているのでしょう。本作はその初めに考えていたものの内、使われなかった部分を再度掘り起こして書いているような感じです。
本編は、空を飛ぶことや戦闘、あるいは基地周辺での毎日なんかが描かれていましたが、本作ではそれとは逆に空や基地なんかからも離れた日常が描かれています。空で戦って、地上で煩わしい人間関係に疲れているその合間にこんなことが起こっていましたというような感じですね。
本当にストーリーの希薄な話なんで、退屈かと聞かれれば正直退屈かなと思います。でもまあ、そのストーリー性のなさがこのシリーズの良さだったりするし、相変わらずの雰囲気の作品なのでそれなりには楽しめました。でもやっぱり本編ほどの感動はなかったかなぁ。それぞれの話が短かったというのも原因の一つかもですね。
まあいずれにしても、スカイクロラを全部読んだ人は本作も読むだろうし、スカイクロラを読んでない人は本作も読まないだろうから僕が何をどう言っても変わらないでしょうけど、とにかくスカイクロラシリーズは是非読んでみてくださいね、ということで。
というわけでいつものように気になった文章を抜き出してみます。あんまり多くはないですけどね。

「邪魔?」
「うん、まあ、それに近い。作業中だった。時間が惜しい」

「いくら嫌なことがあってもね、さあ、もう墜ちていっちゃえってわけにはいかないのよぅ、普通の人間はさ。いろいろあるんだからぁ、もう、むしゃくしゃして、死んじゃいたいときだってあるの。でもさ、そんな簡単に死ねないでしょう?だいいち、どうやって死んだらいいわけ?死に方だってわからないじゃない。馬鹿だもの、私…」

「猫だったら、墜ちても、あと八回は飛行機に乗れますよ」そう言って、そいつは笑った。
意味のわからないことを言う奴なのだ。

それを示す言葉が、たぶん地上にはない。
言葉は地上のためのものだから、
空には言葉がない。
ここだけにある感覚を表す言葉はない。

森博嗣「スカイ・イクリプス」



不確定世界の探偵物語(鏡明)

気まぐれに、『不確定世界の探偵物語』なんていうSF小説を読んでみることにしたのだけど、そのお陰で長年の謎が解決されたように思う。
『不確定世界の探偵物語』では、たった一台のタイムマシンをある大富豪が持っていることになっている。その大富豪がタイムマシンを使って、過去を自在に改変してしまうのだ。目の前にいる人が突然別の人に変わったり、街並みが突然変化したり、それまでなかった技術が突然現れたりするような世界になってしまったのだった。
なるほど、私のいる世界もこの小説の中の世界と同じなのかもしれない。どこかの大富豪がタイムマシンを持っているのだ。
例えばこういうことがある。ご飯を食べようと思ってテーブルに座っている。しかし次の瞬間、テーブルの上にあったはずのご飯がなくなってしまっている。家族の者に聞いても、さっき食べたでしょ、と言われる始末だ。私には食べた記憶などないのに、である。
しかしこれも、大富豪がタイムマシンで過去を改変していると考えれば謎ではなくなる。過去を改変したことで、私の目の前からご飯が消えてしまうのだ。
「おじいちゃん、独り言ならもっと静かにやって」
孫の声が聞こえる。
「それに、過去が改変されてるなんてことあるわけないじゃん。おじいちゃんはただボケてるだけ」
私はそこだけ聞こえなかったフリをした。

一銃「タイムマシン」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は連作短編集ですが、あまりにもつまらなくて内容紹介を頑張る気力がないので、大まかな設定だけざっと書こうと思います。
ある大富豪がタイムマシンを所有している世界。その大富豪は、制限付きではあるけれども、自在に過去を改変することが出来る。過去や歴史はいとも簡単に変わってしまう。そんな不安定な世界だ。
そんな世界の中で、ノーマン・T・ギブスンは探偵をやっている。過去があっさり変わってしまう世界の中で探偵稼業をすることの馬鹿らしさはちゃんと分かっているつもりだ。それでもおれはこれしか出来ないのだ。
ひょんなことから部下になった美女と一緒に危険をかいくぐりながら様々な調査を続けるが…。
というような感じです。
伝説の作家の伝説の作品、というような紹介のされ方をしている作品なんですけど、僕としてはうーんという感じでした。何が面白いんだかさっぱりわからなかったですね。
それぞれの話の中で、オチがイマイチ理解できないんですよね。過去が勝手に改変してしまう中で様々な事件に携わるんだけど、結局何がどう終わったのかイマイチよくわからないというか。
キャラクターにもまったく魅力を感じないし、文章も巧いとは思えないし、評価できるところがほとんどないような気がします。
SFの世界では伝説的な作家らしいんですけど、よくわかりませんね。僕はそれよりも、この鏡明(本名らしいです)という人は、電通の有名なクリエイターらしい、ということの方が驚きですね。「電通 鏡明」でグーグルなんかで検索すれば、過去にどんなことを手掛けてきたのかわかるとかなんとか。他にも翻訳やら評論やらも書いているとかで、何だかかなり多彩な人らしいです。まあ僕としては、小説ではなくそっちの方で頑張ってもらうのがいいんではなかろうか、というような気がします。
まあそんなわけで、まったくオススメ出来ないです。読まなくていいと思います。

鏡明「不確定世界の探偵物語」



孤独な鳥はやさしくうたう(田中真知)

私が旅を続けるきっかけになったのは、ある一枚の絵のせいだった。今でも、絵が私をどこかに連れて行ってくれる。どこに行くべきなのか、教えてくれる。
初めはカンボジアだった。大学の長い休みを利用して、一人旅に出かけたのだった。特に計画は立てなかった。期間も決めなかった。お金がなくなったら帰ろう。そんな風に思っていた。
遺跡を巡り、川沿いを歩き、動物達を見かけ、珍しいものを食べながら、私は次第に異国の空気に溶けていくように馴染んでいった。
そんなある日のことだった。私は一枚の絵に出会ったのだった。
それは道端に落ちていた。歩いている人は皆その絵の存在に気づかないのか、あるいは気づいていて無視しているのか分からないけど、何度も踏まれたような痕があり、かなりボロボロになっていた。
私はその絵を拾いあげた。それは風景画だった。絵の上手い下手は私にはわからない。でも、好きな絵だと思えた。しかし、初めてその絵を見た時の感想はそんなものではなかった。
それは、何の変哲もない草原に牛やら羊やらが描かれ、奥の方に高い山が描かれているだけの絵だった。しかし、私には分かったのだ、それがどこなのか。知っていたのではない。私はそこには一度も行ったことがない。それでも、その絵に描かれている場所がどこなのか、私には正確に分かってしまったのだった。
そして同時に、どうしてもそこへ行かなくてはならない、と思えてきたのだった。カンボジアにこのままい続けてはいけない、と私は直感したのだ。
だから私は、その絵に描かれている場所を目指して旅を続けることにした。
私はその旅の間中、ずっと写真を獲り続けていた。そして私は時々、撮った写真をそっと道端に置いていった。もしかしたら私のように、誰かの旅のきっかけになればいいな、と思いながら。
私は長い時間を掛けて、その絵に書かれていた場所に辿り着いた。そしてやはりそこには、また別の絵があったのだ。明らかに同じ人の絵だと分かった。そしてまた私には、そこがどこなのか明確に分かってしまったのだった。
そうやって私はずっと旅を続けている。絵が私をどこかへと連れ去って行ってくれる。私はそれを信じているだけでいい。
私の旅は、この絵がある限り終わることはないだろう。

僕が旅を続けるきっかけになったのは、ある一枚の写真のせいだった。今でも、写真が僕をどこかへ連れて行ってくれる。どこに行くべきなのか、教えてくれる。
会社勤めに疲れて、有給をありったけ使って無理矢理長い休みを取った。そして僕はエジプトに旅行に出かけることにしたのだ。エジプトにした理由は特にない。何となく、それまでの日常とはかけ離れたところに行きたい、と思ったのかもしれない。
エジプトでは、遺跡を巡り、暑い陽射しに焼かれ、珍しい料理を食べ、買い物をした。何の目的もない時間というのがこれほどまでに素晴らしいものだったのか、と僕は感動していた。
そんなある日のことだった。私は一枚の写真に出会ったのだった。
それは道端に落ちていた。歩いている人は皆その存在に気づかないのか、あるいは気づいていて無視しているのか分からないけど、何度も踏まれた痕があり、かなりボロボロになっていた。
僕はその写真を拾いあげた。それは風景を写したものだった。写真の上手い下手は僕にはわからない。でも、好きな絵だと思えた。しかし、初めてその絵を見た時の感想はそんなものではなかった。
それは、色とりどりの花に埋め尽くされた、まるで花の洪水とでも言うような場所だった。遠くの方に灯台がポツンと見える。ただそれだけの写真だった。しかし、僕には分かったのだ、それがどこなのか。知っていたのではない。僕はそこには一度も行ったことがない。それでも、その絵に描かれている場所がどこなのか、僕には正確に分かってしまったのだった。
そして同時に、どうしてもそこへ行かなくてはならない、と思えてきたのだった。エジプトにこのままい続けてはいけない、と僕は直感したのだ。
だから僕は、その写真に写っている場所を目指して旅を続けることにした。
その間中僕は、ずっと絵を描き続けた。気になった風景を見つけてはそれをさらさらと絵にして、そしてそれを道端に置いていった。もしかしたら僕のように、誰かの旅のきっかけになればいいな、と思いながら。
僕は長い時間を掛けて、その写真に写っていた場所に辿り着いた。そしてやはりそこには、また別の写真があったのだ。明らかに同じ人の写真だと分かった。そしてまた僕には、そこがどこなのか明確に分かってしまったのだった。
そうやって僕はずっと旅を続けている。写真が僕をどこかへと連れ去って行ってくれる。僕はそれを信じているだけでいい。
これまでも何枚も写真を拾った。そして僕はその度にそこを目指して旅を続けた。ある時、いつものように写真を拾った。その写真の裏にはこう書かれていた。
「ストーカーさん、こんにちわ」


一銃「旅は道連れ」

そろそろ内容に入ろうと思います。
が、内容に入る前にこの本を読むことになったきっかけを少々書きましょう。
この本は自分で買ったわけではなく、出版社の人に頂いたんです。僕が働いている店に、僕宛にこの本が届いて、読んでみてください、みたいな文章が入っていました。別に知っている人がいるわけでもないので僕のことをどこで知ってくれたんだろうなぁ、なんて思ったりしましたが、こういうのはやっぱり嬉しいですね。今まで、ブログを通じて二回本をもらったことがあって(その内一回はゲラですけど)、あと営業から一回ゲラをもらったことがありますけど、書店員として本をもらったのは初めてなので嬉しいものですね。
まあそんなわけで内容に入ります。
本作は、著者が『旅行人』という雑誌に長いこと書き続けてきた旅行エッセイの中から著者自身が選りすぐって編んだ作品だそうです。一番古いものだと1996年4月号の旅行人に載った文章もあって、かなり幅の広い年代に渡る文章で構成されています。
内容は、分類するとすれば旅行エッセイということになるのでしょうけど、僕のイメージの中の旅行エッセイというのとはちょっと違いますね。僕の中で旅行エッセイというのは、旅行先でこんなものを見た、こんなことを経験した、こんな人にあった、というようなことが書かれている本だと思っています。もちろん本作でもそういうことが書かれているんですけど、ちょっとイメージが違うんですね。
余計分かりづらくなるかもしれないですけど、その違いを例を使って表現すると、写真と絵ということになるような気がします。僕の中での普通の旅行エッセイというのは写真なんですね。起こった出来事をそのまま切り取る。旅行から帰ってきた人が、写真を友だちに見せながら、この時はこうだったんだよ、ああだったんだよ、なんて話して聞かせるようなイメージです。
でも本作は、絵のイメージなんですね。著者は自分が経験したことを写真を切り取るようにしては語らないです。そうではなくて、自分の中で熟成させて、その過程でより自分の経験に強弱をつける。その上で、それを絵に描くようにして文章にまとめ上げているような、そんな印象でした。
だから、うまく言えないですけど、抑制が利いているような気がするんですよね。写真だとありのまますべてが全面に出されてしまうのに対して、絵の場合だと意図的につける強弱によって抑えを利かせることが出来るようなそんなイメージです。うまく説明できないですけどね。難しいなぁ。
だから、というわけではないと思いますけど、読み始めた時はエンジンの掛かりが遅いな、と思ったりしました。抑制が利いた文章なので、そのテンポに読者が慣れるまでちょっと時間が掛かるような気がしました。初めて聞く民族音楽のリズムに咄嗟には乗れないようなものかもしれません。でも次第にそのリズムに慣れてくると、落ち着いた文章によって心地よく読んでいくことが出来るようになります。
本作では著者が旅行先で経験した様々な出来事が書かれているわけですが、内容自体は非常に些細な出来事が多いです。例えばこんな感じです。

ある街で、一人の女性に声を掛けられる。あなた、昨日博物館に来たわよね。どうしてそんなこと知ってるのかと尋ねると、だってそんなゴツい靴で博物館に来る人なんていないもの、と彼女は答える。彼女は旅の話を聞きたがった。話して聞かせてあげたのだけど、後で彼女の足が不自由なのだと気づいて後悔の念に駆られた。
この靴で、彼女が行くことの出来ない様々なところを歩いてあげよう、そう決意した。

こういう話ばっかりですね。別に何が起こるわけでもないんですね。それでもこの著者の文章だと、何だかそれがすごく大切で尊いものであるかのように感じられるんですね。それがなかなかいいかな、と思ったりしました。
出版社の方は、第二章の「追いかけてバルセロナ」(著者の奥さんとの出会いの馴れ初めの話)と、第五章の「父はポルトガルへ行った」(長いこと連絡を取っていない父親との話)がオススメですよ、と付箋を貼ってくれたのだけど、確かに面白かったけど、僕としてはもっとよかったなと思える話がありました。それを紹介しましょう。
まず、第一章の「十年目の写真」です。これは、ある日著者の元に突然一枚の写真が送られてくるところから始まります。著者は、何の根拠もないのだけど、その写真を撮ったのが、十年以上も前にカイロで会った男の写真なのだろう、と直感します。
それから、彼との思い出を語る文章になるわけですけど、この話はかなり好きですね。この写真を撮った男がかなり魅力的に映ります。彼は自分でレンズを改造するらしいのだけど、その理由が、『見たものを自分の目に映ったそのままにもっとも近い姿で写しとってくれる』からだそうだ。彼の撮った写真も掲載されているのだけど、ぼんやりした感じが僕は結構好きだなと思いました。
次は、第一章の「キンシャサ!」ですね。これは内容がどうと言うより、好きな文章があったので抜き出してみます。

『キオスクの軒先で雲を引き裂く稲妻を見ながら、オレは川沿いの小さな村のことを思い出した。村には電気も水道もなく、日が暮れるとあたりは漆黒の闇に包まれた。けれども、その闇を震わせてリンガラの大音響が聞こえてきた。電気がないわけではなかったんだ。ただ、灯りなんかつけるより、電気はまず音楽を鳴らすためであり、ビールを冷やすために使われるんだ。オレは驚いた。電気ってのは、明るいもの、光るもの、闇を照らすもんだとばかり思ってたからね。でもここではちがった。電気は闇を震わせ、揺さぶるものなんだ。』

『日本?日本の話なんかしたくないな。あの国では、ふつうに暮しているだけで、数え切れない脅威にさらされている気がしてくるんだ。事故にあったらどうする?病気になったらどうする?子どもの教育は?仕事は?老後の備えは?
要するに、あの国では、自分がいまここに在るというだけでは、存在していることにならないんだな。いまここにない非現実的な危険や困難を想定して、おびただしい予防線を張らないと安心できないんだ。ばかげた幻想さ。だって、いまここに生きていることがリアルでなくって、実体のない不安や恐怖のほうがリアルだなんて、変だと思わないかい?』

日本にいては気づかないことに気づくことが出来る。それも旅の良さの一つなんだなぁ、と思いました。
次は、第二章の「マダガスカルの長い夜」です。奥さんと二人で旅行をしている際、生死に関わってもおかしくない事故に遭った話です。これも好きな文章があるので抜き出して見ます。

『「不思議ね」と彼女がいう。「わたしほんとうにいろんなものを見た。ふつうだったら一生見ることができないような美しいものも、信じられないようなものも、あなたのおかげでたくさん見られた。でも、それが心にしみるのは、そのためにいくもの砂漠を横切ったりしたからなのね。たいへんな思いをして密林を抜けたり、山や谷を越えたり、夜の川を渡ったりしたからなのね」』

感動だけを求めていては感動は手に入らないよ、という教訓でしょうね。

さて最後は、第三章の「ラダックの夏」です。これもいい話ですね。短い夏の間だけゲストハウスになるある家に著者が泊まった時の話。そこに住む10歳の少女ヤンツァンは、幼くして既に、別れの辛さをやり過ごす術を身につけている。彼女は様々な人と知り合うが、誰もがすぐにそこを去っていってしまう。しかし彼女は悲しいそぶりを見せることはない。そんな様子を見て著者はこんな風に思う。

『無理なんかしなくていい。そう呼びかけたい衝動に駆られる。好きになったもの、心をひらいたものが次々ときみのそばを離れていく。それを自らの運命として淡々と受け入れるには、きみはまだ小さすぎる。きみはもっとわがままでいい。ナン(尼のこと)になんかなっちゃいけない。きみを愛し、どこにもいかず、いつまでもそばにいてくれる、そんな人がきっといる。そう信じなくちゃ行けない。ナンになんかなっちゃいけない。』

まあそんなわけでなかなかいい本だと思いました。もらった本なのでいつもよりちゃんと感想を書いてみました(笑)。本作は、旅の良さというよりは、人と出会うことの良さみたいなものを噛みしめる内容だと思います。僕は基本的に旅行にはあんまり興味はないんですけど、それでも充分楽しめる内容でした。なかなか面白いと思います。読んでみてください。

田中真知「孤独な鳥はやさしくうたう」


孤独な鳥はやさしくうたうハード

孤独な鳥はやさしくうたうハード

入りやすい店売れる店(馬渕哲+南條恵)

あの男に会ったのは、ラーメンでも買おうと、いつものようにコンビニに行った時のことだった。
「何かお探しですかぁ」
僕がカップラーメンを適当に見ている時、急に誰かに話し掛けられた。初めは話し掛けられたのが自分だとは気づかなかった。何せここはコンビニだ。店員が、「何かお探しですか?」なんて声を掛けてくるとは思えない。しかし声のする方を振り向いてみれば、そこには僕の方を見て首を斜めに傾けている小男がいるのだった。
「何かお探しですかぁ」
その小男はもう一度言った。僕はどう答えていいのかわからなかった。確かに僕はカップラーメンを探しているけど、何か特定のものを探しているわけでもない。なんとなくよさそうなものを選ぼうと思っているだけだ。それに何よりも、その小男はどう見ても店員ではなかった。店員に聞かれるならまだしも、何で店員でもない人間にそんなことを聞かれて答えなくちゃならないのだろうか。
「いえ、別に大丈夫です」
僕はとりあえずそうとだけ答えて、またカップラーメン選びに戻った。
しかし小男は引き下がらなかった。
「今オススメなのはこっちの焼豚エキススタミナとんこつラーメンなんですけどね、これはちょっと今の時間に食べるのは重いかもしれないですね。このニシン醤油ラーメンなんてのもかなりいいですけど、ニシンはどうですか?食べられませんか?結構いるんですよね、ニシンがダメだって言う人。あ、もしかしたら食べたことないですか?それならちょっと試してみるのもいいかもしれませんよ。あとこの、沖縄産の岩塩を使った塩ラーメンっていうのもオススメですねぇ」
小男は一人でそんな風なことを喋り続けている。うっとうしい。僕は、相手にすれば余計につけあがるだけだと思って、無視し続けることにした。
「あとこんなのもありますけどね。電子レンジでチンして出来るラーメン。最近はポットがないという方も多いですからね。水を入れて電子レンジにかけるだけでラーメンが出来るなんて、世の中すごいもんですねぇ」
僕はカップラーメンを一つ選び、レジへと向かった。
「なるほど、そのミソラーメンですか。定番中の定番を選ぶとはお目が高い。やはり定番というのは信頼の証ですからね」
相変わらず喋り続けている。無視無視。この会計さえ終わってしまえば、もうあの小男もいなくなることだろう。
会計を終え、店を出ようとすると、何故か小男が僕の後についてくる。店から出てもついてくる。そのまま歩き始めたのだが、それでもついてくるのだった。
「あそこにカレー屋がありますよね。あそこのカレー屋ではですね、チキンカレーを頼むのがいいですよ。あそこのチキンカレーほど旨いのを食べたことはないですね」
「あそこのパン屋さんでは、12時ちょうどに焼きあがる限定20個のフランスパンがもう絶品ですね。あれを食べないでフランスパンを語ることは出来ないですよ」
「あそこの靴屋、今セール中なんです。なかなかセンスのいい靴ばかりで、お買い得だと思いますよ」
小男は喋り続けている。周辺にある様々なお店について、あれがいいだのこれがいいだのとひたすらに言い続けているのだった。
「ついて来ないでください」
僕は何度かそう言っては見たものの効果はなかった。
「このアパートはですね、203号室が一番いいみたいですね。他の部屋よりも若干広めらしいです。それに日当たりも抜群ですしね」
結局僕の部屋までやってきた。追い出せばいいのだろうけど、どうしたらいいのか僕にはよくわからない。

一銃「オススメ小男」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、1986年に出た親本の文庫化、という形の作品らしいです。親本の新版が1993年に出たようなので、その文庫化かもしれませんけど。最近出たばかりの新刊ですけど、なかなか話題になっているようで、僕も小売店で働いている(バイトですけど)ので、ちょっと読んでみようかな、と思ってみました。
本作で著者が言っている主張は非常に分かりやすいです。とにかく本作全編を通じて言っていることは、
「お客さんを遠ざけるのは、販売員のデザインである」
ということです。販売員のデザイン、という言葉が耳慣れないかもしれないですけど、要するに販売員がお店の中でどのようにして存在しているかによって、店への入りやすさや売上が変わってくる、ということです。
ではいい販売員のデザインとはどのようなものでしょうか。それを非常に簡潔に説明するとこうなります。

『待たない』『寄らない』『話し掛けない』

上記三点の内、もっとも重要なのが、『待たない』というものです。
ダメな店というのは、販売員がお客さんを待ち構えています。具体的にはどういうことかと言えば、店の入口に立っている、商品ケースの脇に立っている、レジカウンターの中で何もせずに立っている。こういう行動が、お客さんからすると『待たれている』と判断される要因になります。
販売員がお客さんを待ち構えていると、販売員のなわばりがものすごく広くなってしまいます。店舗内で販売員のなわばりが広くなればなるほど、お客さんは入りづらくなります。
ではどうすればこれを解消することが出来るのか、即ちいい販売員のデザインとはどういうものなのか。それが、常に何か作業をし続けている、というものです。
例えば、ショーケースを拭く、売り場の整理をする、伝票の整理をする、商品の袋詰をする、というように何でもいいんですけど、とにかくお客さんの方を意識せずに、何でもいいから作業をし続ける、ということで販売員のなわばりはものすごく小さくなります。またそれと合わせて、お客さんの方に『寄らない』、お客さんに『話し掛けない』ということを徹底することで、販売員によるなわばりを小さくすることが出来、結果お客さんの入りやすい店になる、ということでした。
つまり、『お客さんの方から近づいてくるまで接客はするな』ということですね。本作では、とにかくこの重要性をひたすらに書いています。
確かにこれは、自分がお客さんになったと考えればすぐに理解することが出来ます。お店に入るなり販売員から何らかの反応がある、ちょっと商品に興味を示せばすぐに販売員が寄ってくる、ただ商品をひやかしたいだけなのに販売員が話し掛けてくる。そういうお店では、落ち着いて店内に留まることは難しいですよね。
しかし、自分が販売員の立場になると、自分がお客さんだったらという視点が抜けてしまうんですね。お客さんを引き止めるために話し掛けなきゃいけないし、出来るだけお客さんの方に寄っていって何かしなければ、という風に考えがちですね。しかしそれは百害あって一利なしというもので、極端に言えば、お客さんの存在を無視するような行動を販売員がすることによって、お客さんが安心して店内にいられる空間を提供することが出来るわけです。
こう考えると、書店というのはなかなか悪くないデザインを持っている小売店なんだろうな、と思います。そもそも開店前にすべての商品の陳列が終わるわけがないので(営業時間中に荷物がどんどん入ってくるので)、営業時間中も販売員は店内で常に何らかの作業をすることになります。またレジにいればいたで、大体カバーを折るという仕事があって、ただ待っているだけというダメなデザインを排除することが出来ます。
さて本作では他にも、店内の構造によって店舗をいくつかの分類に分け、そのそれぞれについて特徴やどうしたらいいのかという対処を書いています。結構分類が細かくなされているので、何かお店をやっている人は、自分のところの店舗構造にあったアドバイスを読むことが出来るという風になっています。
店舗構造については、販売員空間・商品空間・客空間という三つの空間がどのように配置されているか、ということが重要になります。この三空間の配置が、販売員のデザインを制限することもあり、結果入りにくい店になってしまうこともあります。一方で、この三空間を絶妙に配置することで、爆発的に売り上げた店の具体例なんかも載っています。
僕のような小売店で働いているような人からすれば、前半に多く書かれている販売員のデザインについての話が役に立ちますけど、これから店を出そうという人や店舗の改装をしようと思っている人には、後半に多く書かれている店舗構造についての文章がかなり役に立つだろうな、という感じがします。
販売員がなるべく接客をしないで作業をしている方がいいというのは、自分がお客さんの立場になって考えてみれば比較的当たり前のことなんですけど、でもそれってなかなか現場では言い出しづらいことでしょうね。経営者が積極的にお客さんに声を掛けるように、と言っていれば、現場にいる人間はそうせざるおえません。僕のいる店ではそういうことはあんまり言われないですけどね。
ただ、作業をし続けると言ってもこれは結構簡単ではないですよね。僕は割といくらでも仕事を思いつける人間ですけど、僕のいる店にいるスタッフの多くは、自分で作業を見つけられない人だったりしますね。そういう時に、レジでボーっと立っているようなのはお客さんを遠ざける結果になってしまうわけでダメですね。
小売店に関わっているような人にはなかなかいい本かもしれません。『お客さんが近づいてくるまで接客をするな』というようなことが様々な形で書かれているだけですが、案外こういう単純なことは思いつきにくかったりしますね。また、経営者の側だったら、店舗デザインについての項はためになるでしょう。何故自分の店にお客さんが入ってこないのかという原因が分かるかもしれません。なかなかいい本ではないかと思います。読んでみてください。

馬渕哲+南條恵「入りやすい店売れる店」



経済は感情で動く(マッテオ・モッテルリーニ)

「俺さ、『経済は感情で動く』って本読んでるんだけどさ」
「何その本?面白いわけ?」
「これが面白いんだよねぇ」
「だってさ、そもそもタイトルがおかしいじゃん。経済は感情で動く?動かねぇっつーの。経済は経済でしょうが」
「それがさ、違うんだよなぁ。読んでるとさ、確かにそうだよなぁ、って思うことが多いんだよねぇ。そうそう、確かにそういう場合、そうなっちゃうなぁ、ってね」
「どうゆうことよ?意味わかんないんだけど」
「じゃあさ、ちょっとこの本に書いてある設問をちょっとやってみようぜ。そしたら分かるって」
「おぉ、いいよ」
「じゃあ行くぜ。こういう設問なんだよね。
『今日は土曜日で、大好きなオペラがある』」
「ちょっと待った。俺オペラとか知らないんだけど」
「そういう問題じゃないんだって。オペラが好きだとしたら、って考えてくれよ」
「そんなことできねぇよ。だって想像できねぇじゃん。お前だってさ、今目の前に、あなたの大好きなメキシコに多く生息する哺乳動物のマチョランデのステーキがあります、とか言われても、全然想像できんやろ」
「いやまあ、そらそうだけどさ、オペラぐらい分かるだろよ」
「いや、それは無理無理。別のにして」
「じゃあ何がいいわけ?」
「じゃあ、メロンチャイナのライブにして」
「メロンチャイナって、あのアイドルグループの?」
「そうそう。それだったらもう大好きって言えるね」
「オッケー。じゃあそれでいいや。じゃあもい一回行くよ。
『今日は土曜日で、大好きなメロンチャイナのライブがあります。あなたはうきうきとコンサート会場に出かける。入口に近づいた時、二万円もしたチケットをなくしてしまったことに気がつく。』」
「は?それありえん。それはありえん」
「何が?」
「いやだから、チケットなくすとかマジありえん。そんなアホなこと、俺がすると思うか?それもメロンチャイナのライブチケットでしょ?いやいやいや、ありえん。そんな仮定の話には答えられないわ」
「ええがな。そんなこと気にしてたら先進まんやろ」
「でも、メロンチャイナのチケットなんか無くすわけないんだって。家庭の話でも無理無理」
「じゃあ何ならいいわけ?」
「そうだなぁ。野球とかならいいよ。野球のチケットとかなら、まあそんな大事でもないからなくす可能性はあるよね」
「じゃあ野球で行くよ。
『今日は土曜日で、大好きな野球の試合がある』」
「いやいや、ちょっと待てって。だから、野球は別に大好きじゃないんだってばさ」
「分かった分かった。
『今日は土曜日で、野球の試合がある。あなたは野球場に出かける。入口に近づいた時、二万円もしたチケットをなくしてしまったことに気がつく。
さてどうしますか?チケットを買い直しますか?』」
「いやいや、買うわけないやろ」
「んじゃ次ね。
『さっきと同じ設定で、いまあなたは野球場の入口にいる。けれども今度はチケットをなくしてしまったのではない。チケットはまだ飼ってないのに、上着のポケットにあったはずの二万円が見当たらないのだ。
さてどうしますか?チケットを買い直しますか?』」
「いやいや、その質問はおかしいやろ。二万円なくなったんだろ?そしたら、二万円探すに決まってるがな。野球の試合なんてどうでもええがな」
「だから、そういう話じゃないんだってばさ」
「その本やっぱおかしいんじゃないの?」
「いや、おかしいのはお前のほうだって」

一銃「初めての行動経済学」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、最近経済学の分野で進歩目覚しい(らしい)「行動経済学」という分野についての本です。
従来の経済学というのは、大雑把に言ってしまえば、合理的に判断するヒト、を対象にして組み立てられてきた学問です。合理的なヒト、というものを仮定して、それに基づいて様々な経済理論が組み立てられてきたわけです。
しかし実際は、現実にいる人間はそこまで合理的な判断をしているわけではないはずです。自分の経験でもあると思いますが、確実に高い利益が得られるからと言って、必ずそちらを選択するとは限らないわけです。例えばですが、今1万円あげるというのと、一週間後1万1千円をあげるというのとでどちらを選ぶでしょうか?僕は、正直後者なんですけど、大半の人は前者だと答えるのではないでしょうか。一週間後に手に入る1万1千円よりは、すぐに手に入る1万円の方が価値が高い、と判断してしまうわけです。
そういう、人間の曖昧な部分、合理的でない判断を組み込んだ経済理論を組み立てられないだろうか、ということで出来たのが、この行動経済学、という分野なわけです。
本作は、タイトルこそ経済学の本のように思えるでしょうけど、実際は心理学のような内容で、訳者があとがきで書いているように、人間学と言ってもいいような内容になっています。経済というフィールド(取り上げられる話は経済に限りませんが)で、人間がどう行動するのか、そしてそれはどういう理屈からそうなると考えられるのか、ということが考察されていて、経済なんてさっぱりわからない、という人でも充分楽しめる内容になっています。ちなみに僕も経済に関してはまったくの無知でして、つい最近別の小説の中で出てきた『信用売り』という話がイマイチよく理解できなかったりするくらいで、もっと身近な話をすれば、1ドル100円と1ドル90円ではどっちの方が円高なのか、というのもちょっと考えないと分からないくらいの人間です。
本作は大きく三つの章に分けられています。それぞれ、

『日常の中の非合理』
『自分自身を知れ』
『判断をするのは感情か理性か』

と章題がついています。
『日常の中の非合理』は、まさに僕らが普段経済的な物事をどのように判断しているのか、そしてその判断がどれだけ非合理的であるのか、ということを具体的な例をたくさん出して示してくれます。
『自分自身を知れ』では、主に統計について触れられます。問題や数字がどのように提示されるかによって、まったく同じ事柄でも印象や後の判断が変わってくる、というような話が多く取り上げられます。
『判断をするのは感情か理性か』では、ゲーム理論や脳の話に及びます。最近生み出された「神経経済学」などにも触れられています。
さてこの中で、最も面白く読み応えがあるのは、第一章である『日常の中の非合理』です。正直に言うと、第二章はまあまあなんですけど、第三章はそこまで面白くないです。ただ、第一章はもう抜群に面白いですね。もしかしたら今後の書店の仕事に役立てられるかもしれない、と思えるような仮説を思いついたりしました。
本作では様々な設問が提示されます。その設問それぞれをここに書いて考えてもらうことで本作の面白さの一端を伝えられると思うので、しばらく本作から抜き出した設問を羅列してみようかと思います。

「2万円の価値」
問A『今日は土曜日で、大好きなオペラがある。
あなたはうきうきと劇場に出かける。入口に近づいたとき、2万円もしたチケットをなくしてしまったことに気がつく。
さてどうしますか?チケットを買い直しますか?』

問B『問Aと同じ設定で、いまあなたは劇場の入口にいる。けれども今度は、チケットをなくしてしまったのではない。チケットはまだ飼ってないのに、上着のポケットにあったはずの2万円が見当たらないのだ。
さてどうしますか?チケットを買いますか?』

一般的には、問Aではチケットを買いなおさない、問Bではチケットを買う、と答えるそうです。損失が2万円であることは同じなんですけどね。

「妨害効果」
文具屋のオヤジは、ある一定のポイントがたまるとあるサービスをすることに決めた。今あなたはポイントが達した。さてそれぞれのケースで、あなたはどれを選ぶだろうか。
A:500円をもらうか、メタルのスマートなボールペンをもらう
B:500円をもらうか、メタルのスマートなボールペンをもらうか、同じくメタルのスマートなボールペンだが若干外観の違うものをもらう
C:500円をもらうか、メタルのスマートなボールペンにするか、プラスチック製のありふれたボールペンにするか

Aでどちらを選んでもいいが、その後選択が変わっていくことになるのではないか。Bでは、ボールペン同士の差異が小さいので選べず、500円を選択する人が多くなる。しかしCでは、プラスチック製のありふれたボールペンという選択肢が加わることでメタルのスマートなボールペンの価値があがったように感じ、メタルのボールペンを選ぶ人が増える。

「理由がはっきりしてれば」
さて次の三つのケースであなたはチケットを購入するだろうか?
A:ある大変な試験が終わり、その試験に合格していたことがわかった
B:ある大変な試験が終わり、その試験に落ちていることがわかった
C:ある大変な試験が終わり、しかしその試験結果がまだ判明していない。

この場合、AとBではチケットを買うという人が多いが、Cでは買わないという人が増える。奇妙なのは、A・Bのようにどちらかに結果が傾けばチケットは買うのに、どちらか分からないというだけで買うのを控えてしまうということである。これは、旅行に行くための「もっともな理由」が欲しい、と感じてしまうからのようだ。

「損をしてまで行くのか?」
問A『あなたはスキー旅行の予約をした。かなり高い金額を払っているのだが、しかし当日は寒くて風も強くて大雪だった。一歩も家を出たくないのに、もうお金は払ってしまっている。
さてどうしますか?
1:スキーに行く
2:暖かい家で過ごす』

問B『問Aと状況は同じだが、一つだけ違いがあって、スキー旅行はプレゼントで当たったとする。さてこの場合どちらを選択しますか』

この場合、問Aではスキーに行き、問Bでは家にいると答える人が多かった。投資してしまった、という事実に目を瞑ることは出来ないようである。

「アンカリング効果」
これは実際にニューヨークであった出来事らしい。
『ニューヨークで小児科医をしているA先生は、まだ扁桃腺を除去していない11歳の子ども400人を診察して、その中の何因果手術を受けるべきか指示しなければならなかった。A先生は診察をした子どもの45%に手術を勧めた。
同じ町のB先生は、A先生が手術すべきだとは判断しなかった子どもたちを診察した。B先生はその中の46%の子どもたちに手術を勧めた。
C先生は、B先生が手術の必要なしと判断した子どもたちを診察したが、その中の44%に手術を勧めた』
子どもたちのこれぐらいの割合で手術が必要だろう、という先入観が既にあるためにこういうことになってしまうらしい。

他にもこのような様々な設問や例が出され、僕達が日常の中でいかに非合理的な判断をしているのか、ということを明示してくれるのである。
自分の判断が一般的な判断と食い違うケースももちろん多いのだけど、大抵行動経済学が示唆するような行動を僕らは取っていると分かることだろう。これは非常に面白いと思う。特に僕は書店という小売店で働いていて、お客さんがどのように判断して本を買っていくのか、ということを予測しながら売り場を作っていかなくてはいけない立場にいるので、余計に面白かった。
僕が、本屋の売り場に適応できるのではないか、と思った話がある。さっきも書いた、文具屋がボールペンをプレゼントする、という話である。
この話の肝はこうである。Bの選択肢では、似たような二つの選択肢(二種類のちょっと違うメタルのスマートなボールペン)が含まれていた。この場合、消費者はその内のどちらかを選ぶことが難しい。どちらにも「決定的な要因」がないのだ。消費者は、「納得出来る理由」があれば消費行動を取ったり何かの選択をすることが出来る。しかし、非常に似通った二種類のメタルなボールペンを目の前にすると、どちらを選んだらいいのか、という「納得出来る理由」が見出しにくくなるのだ。だから多くの人は500円を受け取る、という判断をする。
しかし、選択肢がメタルのスマートなボールペンとプラスティックの普通のボールペンであれば、メタルのスマートなボールペンを選ぶことは「納得出来る理由」があることになるのでそちらを選ぶ人間が多い、ということになる。
この話から僕は、ある一つの仮説を思いついたのだ。それは、同じ作家の著作は併売しない方がいいのではないか、というものだ。
これが例えば、超著名な作家であればまた別だと思う。例えば東野圭吾や宮部みゆきなど、多少本に興味のある人間なら誰でも知っていて、しかも世間的な評価が一定して高い作家であれば、併売していても本は売れるだろう。何故なら消費者は、こう考えると予測できるからだ。
『もしこの並んでいる中からあまり面白くない本を引き当ててしまってもまあ仕方ない。世間的に評価の高い東野圭吾(あるいは宮部みゆき)なのだし、一冊ぐらい自分に合わないものもあったとしてもそれは仕方ない』
これは、「納得出来る理由」に相当するだろうと思う。
しかしこれが、世間的にはまだまったく無名なある作家Xの場合だとどうなるだろう。この作家Xは、著作が三作あるが、どれも世間的にはそんなに売れていないし、評判にもなっていない。
しかしある店の担当者がこの作家Xの大ファンであり強く押したいと思っているとする。当然その担当者は著作である三作を一緒に並べて展開することだろう。
しかしこの売り場を消費者の視点から見てみるとどうなるだろうか。
消費者は、この三冊が並んでいるのを目にする。なるほど、担当者が押しているのだな、ということは伝わるかもしれない。しかし、消費者にとって作家Xというのは聞いたこともない作家で、評価の欠片も聞いたことがない。三冊並んでいるけれども、どれがいいのかイマイチ決め手に欠ける。さてこの場合消費者はどれか一冊買う、という行動に出るだろうか?僕は、先ほどのメタルのスマートなボールペンと同様、似たような選択肢から一つを選べずに、結局買わないのではないか、と思うのだ。
この場合、どうすればいいのか、ということについていくつか選択肢があるように思う。
一つは、思い切って作家Xの作品を一点しか売り場に置かないことである。その一点を三面で展開する。こうすれば、その作家Xを担当者が推していることも伝わるし、かつ消費者が三点から一つを選ぼうとして悩むこともない。
また別の方法としては、三作を併売せずにちょっと離して関連付けずに置く、というのも実はアリかもしれない。同じ作家の作品は並べた方がいい、という風に僕もずっと思ってそうやってきたけど、もしかしたらもしかするとそれは間違っているのかもしれない(あくまで僕の仮説ですけど)。
あともう一つ、トリッキーな方法もある。作家Xの作品を三作並べるのだが、そのそれぞれに「一番の傑作!」「まあまあ悪くない」「あんまりオススメ出来ない」とPOPをつけてしまうのだ。こうすれば、三つ並んでいても消費者に「納得出来る理由」を与えることが出来る。消費者は、
『担当者が一番の傑作だと言っているのだから』
という理由づけで本を買っていくかもしれない。
同じような理由から、同じようなジャンルの作品もあまりまとめない方がいいのかもしれません。例えば恋愛小説を10点まとめるよりは、客層は同じだけどジャンルはばらばらなもの(恋愛小説2点、ファンタジー小説2点、ダイエット本2点、料理本2点、女性雑誌2点)を10点揃える方がより効果的なのかもしれない、と思ったりしました。例えば料理本でまとめてコーナーを作っても、消費者の側からすればその売り場から「納得出来る理由」を見出すことは難しいかもしれません。あまり同じようなジャンルを固めすぎるとこういう傾向が出てくる可能性がないとも言えないでしょう。となれば、ジャンルでコーナーを作るのではなくて、どんなお客さんがそこにやってくるか、という基準で作る方が理に適っているのかもしれない、と思ったりしました。
もちろんここに書いたのはすべて僕の勝手な仮説ですが、ちょっと実験してみる価値はあるかもしれないな、と思ったりします。同じ著者の作品を併売しない、同じジャンルの本をまとめない、というのはなかなか勇気のいる判断ですけど、ちょっと小さな規模から実験してみてどうなるかやってみようかな、と今は思っています(ただ僕は行動力に欠ける人間なのでどうなるかは分かりません)。
まあそんなわけで、かなり面白い本でした。経済の本はちょっと、と思っている人は是非読みましょう。あなたの思っているような内容では全然ありません。主婦がスーパーのチラシを見比べて1円でも安い商品を探してスーパーをはしごする理由も、宗教の勧誘が何故無料の雑誌を持ってやってくるのかということも分かります。なるほど、自分はこんな非合理的な判断に基づいて買い物をしていたのか、ということに気づける本だと思います。かなり面白いと思います。是非読んでみてください。
追記:amazonのレビューを読むと、訳があまりよくない、という意見がチラホラあります。確かにそれは僕もちょっとだけ感じました。読みにくいな、という風に思いました。でもそれを差し引いてもなかなか面白いんじゃないかと思いました。

マッテオ・モッテルリーニ「経済は感情で動く」



神様ゲーム(麻耶雄嵩)

家に帰ると、まっさきにそれが目に入る。防音性にしておいてよかった、と僕は思う。
ガラスの向こうからの音は漏れ聞こえてはこないけれども、それでも耳の中で想像の音が聞こえてくる。
むぎゅむぎゅ。
そんな風に表現できる音だ。うごめいていて、すりよっていて、絶えず微動している。これを見ると僕は何だか心が安らいでくる。
これが何なのか説明するのは難しい。
まず、壁一面に沿ったどでかい水槽みたいなものを想像して欲しい。高さ2.5m、横幅3.5m、厚さ0.3mという代物である。この壁に合わせた特注品である。
その中に、猫が入っている。それもたくさん。少なく見積もって100匹はいるだろう。水槽を一杯に埋め尽くすだけの数だ。種類はいろいろで、アメリカンショートヘアーから三毛猫まで何でもアリだ。
彼ら猫は、彼らにとっては狭いその水槽の中で、お互いに体を摺り寄せながらうごめいている。水槽内は一定温度と一定酸素濃度が保たれるようにシステムを組んでいるので、窒息や熱によって猫が甚大な被害を被ることはないように出来ている。しかしもちろん、それで快適な生活が送れるというわけではない。爪に引っかかれて出血しているものは常に見かけるし、中には失明しているのだろう、というやつもいる。
一番楽しいのは食事の時だ。生肉とキャットフードを適度と思える量水槽内に無造作に放り込むのだが、この時の猫の動きは圧巻だ。水槽内にいるすべての猫が、餌のある一点を目指して動き出す。もちろん、すべての猫が餌まで辿り着けるわけではない。しかし餌はうまいこと下にも落ちていく。それを狙ってまた猫が動き出す。それは、指揮者の指示を無視して暴走し出したオーケストラのようで、見ていて爽快である。
また、マタタビを入れるのも面白い。どの猫も眠ったようにトロンとしてしまい、水槽の中には一転静寂が訪れる。まさに凪という感じだが、僕が好きなのはこれが突如破られる瞬間である。ある猫が覚醒すると、他の猫も一斉に覚醒し、水槽の中はまた動的になるのだ。この、何かが破られるような瞬間が楽しい。この水槽を作った甲斐があったというものだった。
時々、交尾をしている猫を見かける。これだけの密集地帯の中でよく出来るものだと感心するが、しかしこれはより面白い状況を生み出してくれることだろう。即ち、子猫が生まれればカオス度はまた一層上がるということである。
これを見ていると、僕は自分が神様になったような気分になれる。自分がすべての支配者なのだ、という感覚である。神様だって僕らをこんな風に見ているに違いない。地球という空間の中に60億人以上の人間を詰め込んで、そこで生きさせる。殺し合いもすればセックスもする。そんな様子を見ながら神様は、人間というのは楽しいもんだなぁ、なんて思っているのではないだろうか。
僕は次のステップについて思いを巡らせている。僕はこれと同じことを、人間でやりたいと思っているのだ。水槽の中でうごめく裸の人間達。決して死ぬことはない環境の中で、彼らがどんな痴態をさらしてくれるのか。考えるだけで今からワクワクしてしまうではないか。
準備は着々と進めている。人間用の水槽も既に発注したし、何よりも今僕の隣で眠っている少女は、人間水槽の第1号のお客様なのである。

一銃「水槽」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、講談社ミステリーランドから出ている、表向きは児童向けという体裁になっているシリーズです。
ぼく(黒沢芳雄)は小学四年生で、浜田町に住む何人かと一緒に浜田探偵団というのを作っている。要は探偵ごっこということなんだけど、鉄の掟があったりとなかなか厳しい。
今この町では猫殺しが話題になっている。奇妙な形で死んでいる猫がどんどん見つかっているのだ。芳雄のお父さんは刑事で、芳雄は早く捕まえて、といつも言っている。
クラスメイトに、鈴木太郎という男の子がいる。転校生で、本当に謎めいている。誰かと喋っているのをほとんど見たことがない。孤立していると言ってもいいぐらいだ。
そんな鈴木君と掃除の時間に喋ることになったんだけど、なんと鈴木君は自分のことを神様だって言うんだ。神様なら、猫殺しの犯人を教えてよ、というとあっさり教えてくれた。その情報を元に探偵団で調査を進めることにするのだけど、その内とんでもないことになって…。
というような話です。
僕の記憶が確かなら、本作は出た年のこのミスのランキングで4位ぐらいだったような気がします。なので長いこと読みたいなと思っていたわけです。
内容的にはなかなか面白いな、と思いました。ただ、このミス上位にランクインするほどの作品かなぁ、という風にも思いました。
一番僕が面白いと思ったのは、鈴木太郎という神様の存在ですね。こういう設定が馴染まないという人はいるかもしれないけど、僕はいいと思いました。この神様という設定があるから、作品全体が面白くなっているな、という感じがします。
あと、もちろんミステリ作家らしく、全体的にミステリ色の強い作品になっています。神様、という何ともいえない存在を出しつつ、かつそれを効果的に使いながらミステリとしての物語を進めているのはうまいんじゃないかな、と思ったりしました。
一応児童向けに書かれているということもあって内容的に物足りないと感じる人もいるかもしれないけど、まあそれなりに楽しめる作品だと思います。
ただ、ラストは賛否がかなり分かれそうですね。僕は、どちらかと言えばアリ、というような立場だけど、こんなラストは好きじゃないという人も多そうです。何だか気になる終わり方です。どういうことなんだろうなぁ?
あとやっぱり、このミス上位に来るほどの作品ではないよなぁ、と思ったりします。
僕はまあ面白いと思いました。そこまで強く勧めるわけでもないですが、読んでみてもいいかもしれません。でも、買うほどでもないと思うので(このシリーズは高いし)、借りて読むのがいいと思います。

麻耶雄嵩「神様ゲーム」



狼と香辛料Ⅲ(支倉凍砂)

あと数時間もすると、私はようやく待ちに待った念願の結婚をすることが出来る。私も40歳を超えようとしている。既に結婚対象としてはなかなか厳しい年齢になってしまった。でもいいのだ。私にはタロウがいるんだ。タロウと結婚出来るのなら、他にはもう何もいらない。
18年前のことを思い出す。
まだ若かったあの頃、私は一人の男性と付き合っていた。会社の同僚で、優しくていい男だった。ちょっと不器用で、ちょっと頼りなかったけど、あんまりそんなことは気にならなかった。
彼は犬を飼っていた。一人暮らしで、しかもペット可とは言えマンションで犬を飼うというのはなかなか大変みたいだったけど、彼はどうしても犬を飼いたかったのだという。犬と戯れている彼の姿はまるで子どものように無邪気で、そんな彼の姿を見ているのが楽しかった。私も餌をあげたりしつけを手伝ったりして可愛がった。ペットを飼ったことがなかったけど、ちょっとそういう生活もいいな、と思ったりした。
そんなある日、彼の犬が妊娠したことが分かった。どうやってそういうことになったのか分からなかったけど、とにかくそれからは大変で、動物病院に何度も連れて行ったり、何匹も生まれた子犬の引き取り先を探したりと大忙しだった。そして、最後に残った子犬を私が引き受けることにしたのだった。
思えばあの時、何であんなことをしたのだろう。初めは本当に悪戯のつもりだった。面白いことを思いついたぞ、という程度のことだったのだ。
子犬に名前をつけた時、人間みたいに戸籍も取れるんじゃないかな、と思ったのだった。ちょっとめんどくさかったけど必要な書類を適当にでっちあげて、見事子犬に人間の戸籍を与えることが出来たのだった。
彼にも、こんなことが出来たんだよ、という話をしたり、周りにいる友達にも面白おかしく言ったりして楽しんでいた。それ以上のことなんて全然考えていなかったのだ。
しばらくして、私たちは別れることになってしまった。彼とは結婚するかもしれないな、と思っていただけに残念だった。私は、子犬との新しい生活をスタートさせた。
どこからそうなったのか分からない。ただ、気づけば私は、自分の飼い犬を心の底から愛してしまっていたのだった。言葉が交わせるわけでもない、相手の考えていることがわかるわけでもないのに、私は一緒にいると心が締め付けられるようになってしまったのだった。
これは恋ではないのか。
自然と、結婚したいという発想が浮かんだ。初めは、そのことはすっかり忘れていたのだ。しかし突然、そういえばこいつには戸籍があるじゃないか、と思い出したのだ。戸籍があるなら、18歳を過ぎていれば結婚出来る。私はこの考えに興奮した。
タロウを飼い始めてから、何度か男性に告白されるようなこともあった。結婚を前提に、という話もないではなかった。しかし、私には全然興味がなかった。私の目には、もうタロウしか映っていなかったのだ。
そしてあと数時間で、タロウが18歳になる。結婚が可能な年齢になるのだ。既に婚姻届は書き終えている。証人はでっちあげた。なんとかごまかせるだろう。問題はない。ついに念願が叶うと思うと、私の心は弾んだ。
私たちの生活は、婚姻届一枚出したところで何も変わらないだろう。それに私は、周囲から結婚できない女性だと見られることだろう。しかしそれでもいい。私はタロウの奥さんになるのだし、立派な人妻なのだ。私の中だけの変化だけど、それでも私は、結婚出来ることの喜びに満たされている。

一銃「私これから結婚します」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、狼と香辛料シリーズの第三巻となります。
大まかな設定はこうです。諸国をまわる証人であるロレンスと、ひょんなことから一緒に旅をすることになった賢狼ホロ。ホロは元々狼の姿をした豊作の神なのだけど、今は人間の少女の姿を借りている。狼の耳と尻尾を持っているから、普段はそれを隠している。
ロレンスはホロを伴って商売の旅を続けている。ホロは、自らの故郷であるヨイツの町までということでロレンスの旅に付き合っている。二人の関係は旅の最中に、ひっついたり離れたりと忙しい。
今回二人は、、冬の大市と祭りで賑わうクメルスンにやってきた。いつもなら夏にしかこないところなのだが、今回はホロの故郷であるヨイツを探さなければいけないのでこんな時期にやってきたのだった。
そこでロレンスは、若くしてやり手の魚商人であるアマーティと出会う。彼のお陰で、祭りで賑わう町で宿を取ることが出来たのだった。アマーティはホロに惚れこんだようで、傍から見ていてもそれがありありと分かる。
しかしクメルスンで商取引とヨイツの情報収集をしている間に、状況はとんでもないことになってしまう。なんとアマーティが、ホロに掛かっている借金をすべて返済し、その上で結婚を申し込む、と公衆の面前で宣言したのだ。ロレンスはアマーティとの契約を受けざる追えなかった。
しかし、ロレンスには余裕があった。契約では、アマーティがホロの借金をすべて肩代わりし、その上で結婚を申し込む。そこで断られても仕方ない、というものだ。ホロが自分以外の人間になびくとは思えない。
しかし、予想外の事態が起こってしまう。このままでは、アマーティの元にホロが行ってしまうかもしれない…。
というような話です。
相変わらず面白い話だし、このシリーズは巻を増すごとにどんどん面白くなっていく感じがします。本作も、これまでのどの巻よりも面白かったと思います。
ライトノベルの感想を書こうとすると、どの巻の感想も似たり寄ったりになってしまうので何だか嫌なんですけど、でもまあ毎回同じ事を開きもせずに書きましょう。
まずはやっぱりキャラクターの造型がいいですね。ロレンスとホロは、相手を困らせるやり取りを仕掛けるのがお互いに大好きなんですけど、その掛け合いが一層面白くなって来ていますね。相手の引っ掛けに動じない余裕を持つことが出来るようになりつつある中、それでも相手を動揺させるには何を言えばいいのか、どうすればいいのか、ということに二人は頭を使うわけですね。これが面白い。そろそろうまくホロを手なづけられるようになってきたと思っているロレンスもまだまだホロにやられてしまうし、ホロはホロで、照れ隠しのために素直な行動が取れないところなんかやっぱり可愛いですね。さらにこの作品のいいところは、ロレンスとホロ以外の、その巻にしか出てこないキャラクターというのがなかなか魅力的なわけで、例えば知人の町商人であるマルクだとか、マルクの使いっ走りの小僧であるラントとか、錬金術師と言われているディアナとか、もちろんホロに求婚するアマーティとか、それぞれかなりキャラクター造型がしっかりしていていいと思います。
このシリーズを読むと大抵どこかでホロリとさせられてしまうんですけど、今回それは、マルクの使いっ走りのラントのシーンでしたね。あれはよかった。本作中最も僕が好きな場面です。
またこのシリーズは、描写が結構細かくていいと思います。商人がどんな論理で動いているのか、町で売っているものにどんな意味があるのか、というような背景をきちんと説明する描写が多いし、また祭りや商取引の細部など、ディテールにこだわるようなところも結構あったりします。読んでいると、ロレンスとホロがいる世界が実際にあるような気分になってきますね。このさりげない描写の細かさが、作品をグンと深いものにしていると僕は思います。
さらにこのシリーズはは、ちょっとした経済小説っぽい体裁も取っている作品で、ロレンスの行う商取引がメインストーリーになるわけなんだけど、本作ではその商取引とホロとの関係が直接的に結びついているストーリーで面白かったですね。これまでのパターンは、商取引で失敗することで破産してしまうかもしれない、そうなるとホロとの旅も続けられなくなってしまう、という二段階の設定だったんですけど、今回は商取引の成否そのものがホロとの関係に密接に結びついているが故に、ロレンスのやる気もそれはもうすごいものになっています。しかも最後まで息をつかせない展開。なかなかうまい作家だなと思います。
シリーズが進んでいく毎にどんどん面白くなってくる、というのはライトノベルでは結構珍しいんじゃなかろうか、と僕は思います。まだそこまでライトノベルを読んでいるわけではないのでそういう判断は早計ですけど、いずれにしてもこのシリーズはかなり面白いです。普段ライトノベルを読まない人にもオススメ出来ます。最近では、作家の森見登美彦も読んだみたいですよ(氏のブログに書いてありました)。かなり面白いシリーズです。是非1巻から読んでみてください。

支倉凍砂「狼と香辛料Ⅲ」



ジーン・ワルツ(海堂尊)

おばあさんの家の裏には、竹林が広がっていました。そこは一年中青々とした涼しげな場所で、おばあさんのお気に入りの場所でもありました。
ある日のこと。おばあさんがいつものように竹林をお散歩していた時のことでした。ふと、赤ちゃんの泣き声が聞こえてきたような気がしました。おばあさんは初め気のせいだ、と思いました。年を取って耳も遠くなってきたし、そもそもこんなところで赤ちゃんの泣き声が聞こえるわけがない、と思ったわけです。しかし、次第に気のせいではない、と思えるようになってきました。そしてその泣き声は、どうやら竹の中から聞こえてくるようなのです。
おばあさんはすぐにかぐや姫の話を思い出しました。竹の中で見つかった赤ちゃんが月へと帰っていく話です。おばあさんはもしかしたら、と思い、家から斧を持ち出しました。振り上げるのにちょっと力は要りますが、なんのその、おばあさんは慎重に竹を切ってみました。
するとどうでしょう。そこには可愛らしい赤ちゃんがいるではありませんか。まさにかぐや姫のお話通りです。おばあさんは、他の竹からも泣き声が聞こえることに気づいて、次々に竹を切っていきました。そのほとんどに赤ちゃんを見つけることになりました。
おばあさんはどうしたものかと考えました。おばあさんは、死んでしまった夫が遺してくれた莫大な遺産があり、子どもを100人育ててもまだありあまるだけのお金があります。これは私に育てろと神様が言っているに違いない、と思い、おばあさんは竹の中から見つかった子ども達を自分で育てることにしました。

~とある新聞記事~
○○県××市の児童相談所に、「赤ちゃんポスト」が設置されることになりました。日本では5例目ということになります。昨日設置されたばかりの赤ちゃんポストには、既に明け方には一人の赤ちゃんが入れられていたそうです。所長は、里親を探すところまで含めて最後まで責任を持つ、と明言しています。既に赤ちゃんポストが設置されているところでは大きな問題は起こっていないようですが、市の担当者は、微妙な問題も含んでいるので出来れば辞めて欲しい、と語っていました。

博士は、元々パンダの研究をしていました。パンダは何故竹だけを食べて生命を維持できるのか、という興味から研究は始まったわけですが、しかし次第に力点は竹の方に移って行きました。竹という植物の特異性に惹かれ、やがて竹をメインに研究をすることになりました。
博士はその過程で、ある発見をすることになります。博士は、竹から抽出可能な栄養素についての研究を行っていましたが、その過程で、竹を使った生命維持装置の開発に成功したわけです。人体をある特殊な方法で竹と接続することで、竹そのものから酸素や栄養を取り込むことが出来る装置です。
博士はちょっとした実験を思いつきました。
友人の児童相談所所長に協力を仰ぎ、赤ちゃんポストを設置させました。そうやって手に入れた赤ちゃんを竹林に連れて行き、博士が開発した生命維持装置を使って竹の中に入れました。
後日、「現代のかぐや姫」という見出しを新聞に見つけた博士は、今度は研究の興味を、人間を月で生活させる、ということに移したのだそうです。

一銃「かぐや姫」

最近あんまり長い話が書けません。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、海堂尊の「医学のたまご」と対を成す作品となっています。時間軸で言えば、本作の方が「医学のたまご」よりも前になります。
帝華大学の産婦人科学教室の助教授である曽根崎理恵は、人工授精のスペシャリストとして知られている。現在は、大学で講義をする一方、マリアクリニックという産婦人科医院で週一回手伝いをしている。かつてはマリアクリニックには、帝華大学産婦人科教室からの手厚いサポートがあったのだけど、とある事件によってその関係が変わってしまった。マリアクリニックは、現在受け持っている妊婦のお産が終わった時点で閉院を決めている。理恵は、直属の上司に睨まれつつも、マリアクリニックでの手伝いを止めようとはしない。
厚生労働省の横暴に表立って噛み付き、また議論では誰にも負けないその強さから、「クール・ウィッチ(冷徹な魔女)」とあだ名されている。
理恵は、いつものようにマリアクリニックで人工授精をし、大学では講義をしている。しかし彼女は裏にある計画を秘めている。一方、大学の同僚である清川は、担当教授からある噂について確認しろと厳命を受ける。理恵が何かやってるらしいぞ…。
というような話です。
さすが海堂尊。相変わらずうまいですね。今回のテーマは人工授精。法整備の遅れや解釈の違いなどの現実から、あるいは倫理面まで、様々な考え方を取り入れながら読者に現状について考えさせ、それと同時に小説としても面白いわけで、相変わらずこの作家の力量はとんでもないな、という風に思います。
本作では、不妊治療・人工授精・代理母出産・出生前診断など、医療技術の進歩と共に、コインの裏返しのように出てきた妊娠・出産に関する諸問題を扱っています。僕は男なんでイマイチなんとも言えない部分はあるんですけど、女性なら深く考える部分もあるだろうし、また既に母親となっている人なら共有出来る部分がたくさんあるのではないかな、と思ったりします。
特に、出生前診断についてはなかなかすごい展開になりますね。本筋のストーリーと直接関わるわけではないんだけど、女性の(あるいは母親の)子どもに対する想いというのは、まさに合理性などでは割り切れないのだろうな、という風に思いました。
代理母出産に関しては、ちょっと前にニュースで見た気がします。本作でも書かれていますけど、代理母出産の場合、卵子を提供した人ではなく、実際にその子どもを産んだ人が法律上の母親ということになるわけです。僕の感覚ではそりゃあおかしくはないか、と思うし、割と多くの人がそう思っているんではないか、と思いますけど、でも現状ではこうなんですよね。ちょっと話は違いますけど、離婚してから何日以内に妊娠した子どもは戸籍が与えられないとかなんとかっていう300日問題でしたっけ?そんなのもあるし、出生に関する法律というのはなかなか現実とそぐわないものがあるなぁ、と思ったりします。
あと海堂尊の小説で常に描かれている裏テーマに、医療制度の崩壊があります。本作でもそれはきっちりと描かれています。
海堂尊の小説を読むと、日本の医療制度というのは本当に崩壊しているんだな、ということがなんとなく伝わってきます。それが僕らの実際の実感と食い違う理由は、恐らく二つあるのだろうと思います。一つは、マスコミが正しく報道をしないから。そしてもう一つは、現場の医療従事者が必死でその崩壊を食い止めようとしているから。そして海堂尊の小説では、その後者の立場にいる人々が描かれることが多いですね。
海堂尊は常に書いていますが、厚生労働省の役人は正しいことに予算を出さない、らしいです。「チーム・バチスタの栄光」では、検死に予算を出さないことについて言及しているし、本作でも、少子化を食い止めるつもりがあるなら、産婦人科での診療に保険が利くようにし、さらに人工授精などに補助金を出したり、子どもを持つ親を金銭的に助成したりする制度が必要だ、という風に書いています。しかし厚生労働省の役人は、予算を削ることには努力しますが、予算を与えることにはまったく無関心です。それにより、医療制度が崩壊してしまっています。
また本作では、別の原因にも触れられています。それは、厚生労働省の役人が、大学病院の医局制度を潰したことです。
大学病院の医局制度は、「白い巨塔」なんかでも描かれていましたけど、確かにいい制度だとは言えないかもしれません。医局という上下関係で縛って、権力争いばかりに汲々とするようなのは、医者の本分とは言えないでしょう。
しかし一方で、医局制度というのは地方医療に大きく貢献してきたという側面があったようです。詳しいことは分からなかったんですけど、医局の権限で医者を地方に送り込む、という不文律があったからこそ、これまで地方医療はなんとか保ち続けてきたのだ、ということらしいです。
しかしそれを、地方医療を維持する仕組みを作ることなく、大学病院の医局制度だけをぶっ潰してしまったがために、現在地方医療は壊滅的な状況になっているんだそうです。今はまだ、現場の人間が無茶をしてなんとか踏ん張っているからこそギリギリなんとかなっている部分もあるかもしれないけど、でもしばらくしたらその踏ん張りも瓦解するでしょう。ジワジワとその体力が奪われていき、その内地方では医療を受けることが出来ない、という状況にもなりかねないのではないでしょうか。
そういえば今日チラッとみたヤフーのニュースの中に、医学部の定員を減らす、みたいなのがあったような気がします。見出ししか見ていないのでなんとも言えませんが、でもこうした現状の中で医者のたまごを減らすというのはどうなんだろう、という風に思ったりしました。ただうろ覚えなんでこのニュースが正しいかどうか分かりませんけど。
集英社新書から「貧乏人は医者にかかるな」という本が出ていましたけど、確かにこれからはそういう時代になるかもしれませんね。病院に行くことが出来るのは一部の上流の人間だけで、下流の人間は病気になっても放って置くしかない、という時代が。そういう流れを国が作っているようなので、もう仕方ないんでしょうね。一回国が潰れでもしない限り、どうにもならないでしょう。
まあそんなわけで、いろいろ考えさせられる作品であるのと同時に、小説としても面白いです。海堂尊はホントすごいな、と思います。これからもバリバリ小説を書いて欲しいですね。

海堂尊「ジーン・ワルツ」



わたし、男子校出身です。(姫椿彩菜)

「きゃー、可愛い!ほら、見て。子猫だよ。すごいすごい!」
そう言って佳子ちゃんは子猫の方へと走っていく。もちろん佳子ちゃんに悪いところは何もない。それはちゃんと分かっているんだけど、それでも哀しい気分になってしまう。
僕のことは見てくれないの?って。
「ほらほら、すごいよ。足とかこんなに小さいんだよ。可愛い~」
「…うん、そうだね。可愛いよ」
僕はおざなりな返事しか出来ない。でもそんな僕の態度に、佳子ちゃんは気づくことはない。佳子ちゃんは子猫に夢中だ。
佳子ちゃんに可愛がられている子猫を見ていると羨ましくなる。
僕は生まれてからずっと心と体の問題にずっと悩まされてきた。こうして佳子ちゃんと一緒にいる時、僕は幸せな気分になれる。でも、僕の本当の姿を佳子ちゃんは決して見てはくれない。僕がどれだけ佳子ちゃんのことが好きだろうとも、僕が本当の意味で佳子ちゃんに愛されることは決してないのだ。
どうしてこんな風に生まれてしまったんだろう。ちゃんと心と体が合った姿で産んでくれれば、僕ももっと生きやすかっただろう。今は、歩き方や食べる物も制限されているし、やりたいことも出来ない。僕が本当の自分を表に出してしまったら、周りの人間は僕を奇異な目で見ることだろう。親にだって迷惑が掛かる。僕のことを普通の子供だと思っている両親を酷く傷つけることになるだろう。
それでも、ずっとこのまま自分の心を偽って生きていくことは出来ないと思う。僕が乗り越えなければならないことは山のようにある。永遠に超えられない壁だってあるだろう。でも、少しずつでもいい。変えようと努力していかないと、僕の人生は窮屈なものになってしまうだろう。
僕は意を決して佳子ちゃんに近づいていった。
「みゃ~ご」
猫の鳴き声に、佳子ちゃんは僕の方を振り向いた。そこで不思議そうな顔をしている。それはそうだろう。猫の鳴き声が聞こえたのに、その方向には猫がいる気配がないのだから。
「みゃ~ご」
僕はもう一度そう口に出してみた。佳子ちゃんはようやく、猫の鳴き声を僕が出していることに気づいたようだった。
「猛君って、猫の鳴き真似うまいんだね!」
佳子ちゃんにそう言われた。いや、そうじゃないんだけどなぁ、と思いながら、まあとりあえずこれでいいや、と僕は思った。
僕は、体は人間だけど、心は猫だ。いつか体を猫に変えて、猫として暮したいと思っているんだけど、これはなかなか難しいだろうな、と思う。

一銃「我輩は猫である」

もう少し長く書けそうな気がしたんだけどなぁ。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、現在モデルとしても活躍している著者の初のエッセイです。
タイトルから何となく想像出来る部分はあると思うんだけど、この姫椿彩菜という人は、性同一性障害をカミングアウトしている人で、体は男だったけど、心は女、という人です。現在では性転換手術を終え、かつ戸籍上の性別も女に変えて、新たな生活を始めています。そんな彼女が、自分のような多くの人の励みになればと、これまでの経験をさらけ出しているのが本作ですね。
しかし、一番びっくりするのは、この人無茶苦茶キレイだってことですよね。著者は性転換手術はしたけど、顔の整形手術はたぶんしてないと思います。それなのにこれだけキレイなんだからすごいもんです。性転換する前、大学入学時の写真なんかも載ってるんだけど、完全に女ですよね。これは周りもびっくりするでしょう。
本作は、生まれた頃のこと、女の子的な遊びにしか興味の持てなかった子ども時代、親の方針で男子校に入れられてしまったこと、親との対立、家出、夜の商売、そして手術と、これまで経験してきたことが書かれています。
本作を読んでいて一番すごいと思ったのは、男子校での生活ですね。この男子校で著者は、まさに「女」として扱われるわけです。初めからというわけではなかったですけど、ある演劇をきっかけにして学内の有名人になり、それから周りの友達からは「女」として扱われるようになったようです。
しかもすごいのが、先生さえも「女」として扱ってくれていた、ということです。学ランを着ないでセーターで登校し、髪の毛は伸ばして化粧もする。それでも学校の先生は誰も注意しないばかりか、「髪は女の命だからな」と言ってくれる先生もいたらしいのです。たぶん私立の学校なんでしょうけど、それでもここまで寛容なのはすごいな、と思いました。著者も、家では本当に居場所がなかったけど、この男子校時代は本当に楽しかった、と書いています。もちろん辛いこともたくさんあっただろうし、後々「男子校出身」であることが足枷になることもあるわけなんだけど、それでもこの男子校時代のことは著者の中でもいい思い出なんでしょう。
正直に言うと、この男子校の部分以外は、まあよくある話かな、という感じでした。著者からすれば、よくある話なんてまとめられたくないでしょうけど、心と体に違和感を感じ、親と対立し、夜の世界に飛び込み、性転換手術をする、と書くと、やっぱりありがちな展開かな、という風に思ってしまいますね。それでも、自分はこうなんだ!ということを貫き、辛いことも涙を流したこともたくさんあったけど、それでも今のように笑って生きていけるようになった、という話はいいものですね。
僕は周りに性同一性障害の人とかいたわけじゃないけど、実際いただどうだろうなぁ、と考えてしまいますね。やっぱり偏見の目で見てしまうのかなぁ、と思ったり、いや僕はそんなことはない、と思ったり。でも一つ思うのは、著者も書いていることだけど、男子校で正解だったんじゃないかな、と思います。もしこれが共学だったら、女子からも男子からも仲間外れにされていただろうけど、男子だけだと、まあ男は割りと単純でアホだから、そんなに酷いことにはならないんだろうな、という気はします。まあわかりませんけどね。
自分が性同一性障害だったら。これは想像しようもないですけど、著者のように人生を切り拓いてまで生きていこうと思えるかどうか、難しいところだと思いますね。
とりあえず軽くさらっと読める作品です。割と人気モデルのようなので知っている人もいるかもしれません。もう一度書きますが、男子校での生活の部分はかなりいいです。

姫椿彩菜「わたし、男子校出身です。」



人間はどこまで耐えられるのか(フランセス・アッシュクロフト)

ある世界大会が開かれることになり、日本でその予選会が行われることになった。何故か僕もその出場者の一人だった。自分で応募した記憶はないのだけど、既にエントリーされているのだから仕方ない。概ね母親か姉辺りが勝手に応募してしまったのだろう。はた迷惑な家族である。
何の大会なのかと言えば、無眠を競うのである。つまり、いかに寝ずにいられるか、という勝負なのである。何でこんなことをやろうと思ったのか不明だが、しかしそれは多くのスポーツにも同じことがいえる。槍を投げる競技なんて、誰が一体思いついたのだろう。
まず僕ら参加者は、保養所のような施設に集められた。ここで予選会が行われる日までの一週間、共同生活を行う、というのだ。大会当日までの生活習慣を一定にすることで、より公平な状態での試合を行おう、ということらしい。これは世界大会でも準拠されるルールであるようだ。
僕らは、毎朝7時に起こされ、ほんの僅かな自由時間を除いて管理された生活を送った。特に睡眠についてはかなり厳しく調整され、睡眠時間として定められた時間以外に眠ることはもちろん認められないばかりか、ただぼんやりしているような時間も厳しく制限された。ぼんやりしている状態は、寝ているのと近い状態であるらしく、公平さを欠くということのようだった。
そんな堅苦しい生活に嫌気がさして逃げ出す参加者も数人いたが、それはあまり問題にはならなかった。嫌なら出て行ってもらって構わない、という姿勢が如実に現れていたのだった。
そうして僕らは、予選会当日を迎えることになったのである。
予選会はだだっ広い講堂のような場所で行われた。会場を常に一定の環境に保てるように、様々な器機が設置されているようだった。温度や湿度などにも、世界基準があるようで、それを厳密に守って予選会も行われるようである。
参加者にはそれぞれ脳波を測定する装置がつけられ、それによって寝ているかどうかが判断される。また参加者一人につき審判が一人つき、ガムなどの刺激物を食べていないか、目薬などを差していないかなどが監視されることになる。
いよいよ競技が始まった。
無眠の大会とは、睡魔との戦いというよりは退屈との戦いと言った方が正しいだろう。誰も喋らず、目の前の景色も変わらない状態で、ただ眠らないことだけを意識しているのはなかなか厳しいものがある。僕は退屈しのぎに、頭の中で素数を1から数えることにした。これは僕が時々やる暇つぶしで、なかなか頭を使うのである。
周囲を見ていると、時間が経つに連れどんどんと失格者が出てくる。どれぐらいの時間が経過したのか参加者には知らされないので分からないが、感覚としては既に2日は経っているような気がする。自分が何のためにこんな辛い状況に耐えているのかもよくわからなくなってくる。食事や水分は定期的に出され、それだけが唯一の楽しみである。
そろそろ僕も耐えられなくなってきた。4日目に入っているのではないだろうか。見たところ参加者はもう5人ほどしか残っていない。頭がボーっとする。体が睡眠を欲しているのが分かる。とにかく、眠くて仕方がない。
もうダメだ。これ以上は起きていられない、と思った瞬間、僕は目が覚めた。鳥の声が聞こえ、いつものようにベッドの上で寝ていた。
無眠の夢を見ていたようだ。ずっと寝ていたのに眠気に襲われる夢を見ていたとは、なんて馬鹿馬鹿しいんだろう、と僕は思った。

一銃「無眠大会」

最近のショートショートの適当さにはダメですね。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、まさにタイトル通りの本です。つまり、人間がどこまで耐えられるのかについて科学的に検証した結果が載っている本です。
本作は大きく7つの章に分けられています。それぞれ、

『どのくらい高く登れるのか』
『どのくらい深く潜れるのか』
『どのくらいの暑さに耐えられるのか』
『どのくらいの寒さに耐えられるのか』
『どのくらい速く走れるのか』
『宇宙では生きていけるのか』
『生命はどこまで耐えられるのか』

となっています。
実はこの感想を書いている今の時点で、最後の二つである『宇宙』と『生命』についてはまだ読んでません。ちょっと時間的な制約があって、本作をすべて読み終わる前に感想を書き始めています。まあ小説ではない作品の場合こういうことが出来るのでいいですね。
それぞれ大体同じような構成で章は進んでいきます。かつてどのような事故や挑戦があったのかを書き、それをいかに科学者が解明してきて、かつそれらの状況で正しい行いとはどんなものであるのかという点に触れる、というような感じですね。
『高さ』では、主に高山病について書かれます。エベレストを無酸素(酸素ボンベを持たないということ)で登った登山家の話や高地に住む民族との違い、高山病を回避するにはどうしたらいいのか、というような話になります。また高高度を飛ぶ飛行機の話にも触れられます。
『深さ』では、主に潜水病について触れられます。日本の海女や海底での作業員の事例などから潜水病について知られるようになり、肺や耳の中の空気の体積の変化によって体に異常が現れるメカニズム、長く潜水するには肺の中の空気を吐き出すのがいいという話(呼吸は酸素ではなく二酸化酸素によって支配されていて、体の中の二酸化炭素を減らすことで次の呼吸までの時間を延ばすことが出来るということらしい)、また潜水病と骨の壊死んとの関係や高度な潜水艇についても描かれます。
『暑さ』については、主に発汗の仕組みについて触れられます。熱中症の仕組み、水分が補給できないと人間はどうなるか、砂漠で生きる知恵や火渡りの謎、高温でも空気が乾燥していれば人間はかなり生きていける、というような話が書かれます。
暑さの項で僕が一番驚いたのは、ある実験の話です。ツール・ド・フランスという過酷な自転車レースに出るレーサーは、12時間連続で上り坂を自転車でこぎ続ける。しかしそれと同じ運動を実験室内でやろうとすると1時間ももたない。何故なら、実験室内では発汗がうまく促されないために激しい運動を一定以上持続出来ないんだそうです。
『寒さ』は、主に人間の中枢温度(体の中心部の体温)について書かれます。中枢温度と血液との関係や、極限の寒さから生還した人の話、人間はかなり寒いことには慣れることが出来ることや、手足の壊死がどう起こるか、というようなことがかかれます。
『速さ』は主に筋肉について書かれます。身体能力を決めるのは肺の機能ではなく心臓の機能であること、筋肉が酸素を使っていかにエネルギーを生み出すか、運動によって適性とされる筋肉の質が違うこと、ドーピングについて、何故女性は男性より筋力が低いのか、というようなことがかかれます。
先ほども書きましたが『宇宙』と『生命』についてはまだ読んでないのでなんとも言えませんが、どちらもなかなか面白いことがかかれて位相ですね。見出しを見る限りでは、『宇宙』では、宇宙空間ではどういう現象が起こるのか、という部分を中心に書いていて、『生命』では、こんな環境でも生きていける生物がいるよ、という話が中心になっているようです。
内容的には学術的っぽくはなく、そこまで難しくはありません。科学的なことが書かれている部分も多いですが、そこがちゃんと理解出来なくてもそんなに困らないでしょう(僕も、よく分からないところはあんまり理解しようと思わず読みました)。それよりも、極限状況で人間はどうなるのか、ということについて具体例が結構書かれているので、読み物として面白いと思います。たぶん詳しく書こうと思えば、それぞれの章だけで一冊の本が書けるのでしょうけど、本作ではその上澄みだけをすくったような内容で、人によっては内容が薄いという風に感じたりするかもしれません。ただ、エッセイみたいなものとして読む分には充分面白いと思いました。
スキューバダイビングや登山なんかをしようと思っている人は軽く読んでみてもいいかもしれませんね。特に海はかなり危険なので、ちゃんとした知識を持っていないと危ないですね。スキューバダイビングをした後すぐに飛行機に乗るのは危険だとか、そういう知識も得られる内容になっています。
それなりに面白い本だと思います。読んでみてください。

フランセス・アッシュクロフト「人間はどこまで耐えられるのか」


ビル・ゲイツの面接試験(ウィリアム・パウンドストーン)

アラブの王様は日本の女子高生が大層お好きなようでございます。アラブの王様たちの中では、日本の女子高生と付き合うことが何よりもステイタスであり、仲間内から羨ましがられるのだそうです。
そんなアラブの王様の中に、最近日本の女子高生とのお付き合いを始めた者がいました。彼は日本へ遊びに出かけた時にトウキョーで出会った女子高生に一目惚れ、とにかく金にものを言わせて、とりあえず自国まで連れて帰ってきてしまったわけです。
「ミキちゃん、君の欲しいものは何でも買ってあげよう。何が欲しい?純金製のプラダのバッグも、マライア・キャリーに君のためだけに歌わせるなんてことだって出来るよ。さて何がいい?」
ミキという名の女子高生はしばらく思案顔でしたが、何やら面白いことを思いついたようで、アラブの王様に頼んでみることにしました。
「私ね、今病気で寝たきりのおじいちゃんがいるんだけど」
「ふむふむ」
「おじいちゃんがね、死ぬ前にどうしても見たいものがあるって言うの」
「ふむふむ」
「おじいちゃんはね、若い頃にシズオカに旅行に行った時に、フジサンを見て感動したんだって。あのフジサンをもう死ぬ前にもう一度見たいっていうんだけど、おじいちゃん寝たきりなのね」
「ふむふむ」
「だからお願いなんだけど、ウチの庭までフジサン移してくれないかな?」
「ふむふむ。了解した」
とりあえず一つ言えることは、このアラブの王様、フジサンが何なのかさっぱり分かっていなかったということです。まさか日本で最も高い山だとは思ってもみなかったわけです。アラブの王様は側近を集め、至急指示を出しました。フジサンを、ミキちゃんの家の庭に移すように。お金はいくら掛かっても構わない。

当時のことを聞くと、皆揃って、「映画の撮影だと思った」という風に言います。現在では、富士山跡と名付けられた何もない空間を目にすると、些か物悲しくなってきます。
それは、大量の飛行機が静岡へとやってきたところから始まります。恐らく日本政府との話はついていたのでしょう(現在までも、日本政府は関与を否定していますが)。外国籍の飛行機が何艇もやってきました。
飛行機からレンジャー部隊のような人々が何人も降りてきて、富士山の麓へと集結しました。飛行機に部品を搭載していたのでしょう。工作用の重機をその場で組み立て始めたかと思うと、何やら作業を始めました。
恐らく多くの専門家の意見を聞き、あらかじめ綿密な計画を立てていたのでしょう。彼らのやり口はひと言で言えば、富士山をそっくりそのまま持ち上げて運ぼう、というものでした。アイスクリームを掬い取るようにして富士山を地面から引き剥がし、そのままの形で飛行機によって吊り上げ、移動しようとしていました。
作業は何日にも渡って続きました。初めこそ何をしているのかさっぱり理解できなかった住民も、しばらくすると彼らの意図がおぼろげながら読めてきて、周囲では反対運動が盛んに行われるようになりました。警察や自衛隊が出動されましたが、作業員たちを止める者は誰一人いませんでした。
そしてついに一ヵ月後、彼らは推定100艇近くの飛行機で富士山を吊り上げて移動させることに成功しました。恐らく有史以来、人工的な手段によって自然の山をそのままそっくり移動させたのはこれが始めてのことでしょう。
後日談があります。ミキちゃんのおじいちゃんのことです。結局おじいちゃんは、富士山を見ることなく死んでしまいました。原因は、富士山による圧死です。おじいちゃんも、富士山に潰されて死ぬことが出来て本望だったでしょうか。
富士山は今では東京の名物として定着しています。ちなみに富士山の移動をやってのけたアラブの王様は、資金を使いすぎたために破産してしまったようです。

一銃「誰も幸せになれない計画」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、まさにタイトル通りの本です。ビル・ゲイツが興した会社であるマイクロソフトで実際に行われている面接試験を中心に書かれた作品です。
本作は大きく二つに分けることが出来ます。
一つは、マイクロソフト的面接(レドモンド式面接という名前があるようです)がいかにして生まれたのか、そして実際にそれがどのように運用されているのか、というような話です。レドモンド式面接がどのようにして生まれたのか、それと密接に関わるIQの話、実際に面接を受けた人がマイクロソフトでどのような扱われ方をするのか。そういうようなことが書かれています。
そしてもう一方が、レドモンド式面接で出される論理パズルとその解答です。
レドモンド式面接というのはいくつかの特徴を持つ方式ですが、最も有名なのがこの論理パズルです。論理パズルを使った面接はマイクロソフトが生み出したというわけではないのですが、マイクロソフトがやり始めたためにどんどん広まっていったというのは事実のようです。実際現在ではこのレドモンド式面接を行う会社は増えているようで、なかなか学生を困らせているようです。
まず、レドモンド式面接が生み出された過程なんかが描かれている前半について書きましょう。
僕が驚いたのが、アメリカでの面接の実際です。アメリカでは面接時に、
『応募者の年齢・体重・宗教・政治・人権・配偶者の有無・性的嗜好・経済状況』
について聞くことは法律で禁じられているんだそうです。子どもはいるか、酒は飲むか、選挙に行くか、慈善活動をしているか、前科があるかどうかも聞いてはいけないみたいです。もちろん、宗教や性的嗜好がダメなのはわかるけど、年齢や経済状況や選挙に行くかどうかまで聞いてはいけないと、法律で定められているというのは驚きました。これはまさに、普通の会話さえほとんど出来ないような状況ではないかな、と僕は思ったりします。
そんな現状があるからこそ、論理パズルによる面接が好まれた、という側面もあります。制限された中で相手についての情報を会話から得ようとするよりは、パズルを解かせてその能力を測った方がいいだろう、ということです。日本ではSPIみたいなものはありますが、論理パズルを解かせるというのはあんまりないような気がします(とはいえ僕が就活を一度もしたことがないので何とも言えませんが。出版社やテレビ局なんかはやりそうですね)。アメリカでは、ソフト産業なんかを中心にこういう面接が流行っているんだそうです。
前半に書かれていることでもう一つ興味深かったのが、ある心理学者が行った実験です。心理学者は、授業風景を写した無音のビデオを見せて、その教師の有能さを判定させる、という実験を行いました。
まず彼らは、たった10秒のビデオを被験者に見せ教師の有能さを判断させました。それから5秒、2秒とどんどん短くしていきました。驚くべきことに、どのビデオを見せても、教師への評価は大差ありませんでした。
さらにこの実験には驚くべき結果があります。彼らは、実際に半年間その教師の授業を受けていた生徒たちにも同じ評価基準によって教師の評価をしてもらいました。するとその評価は、2秒のビデオ映像を見ただけの評価とほとんど変わらなかったらいしのです。
ここから導き出せる結論は、人の印象は初めの2秒ですべて決まってしまい、そこから覆ることはない、ということです。これを面接に当てはめれば、ドアをくぐったその瞬間にもう合否が決まっている、ということになります。面接とはそのジレンマとの戦いでもある、というようなことが書かれていました。
さてそれでは後半に移りましょう。実際に論理パズルがいくつも載っています。これらの論理パズルは有名なものもいくつもあったし(僕が答えを知っているものも結構ありました)、アメリカのウェブサイトなんかにはこれまでにマイクロソフトの面接で出された論理パズルをかなり網羅したものがあるみたいなんですけど、でもやっぱり全部ここに書いてしまうものマズイような気がするので少しだけ抜き出してみようと思います。

『秤を使わないでジェット機の重さを量るとしたらどうしますか?』

『鏡が上下でなく左右を逆転させるのはなぜでしょう?』

『車のドアを開けるには、鍵はどちらに回るのがいいでしょう』

『世界中にピアノの調律師は何人いるでしょう?』

『五十ある州のうち、一つだけ除いていいとしたらどれにしますか?』

『マイクとトッドは二人で21ドル持っています。マイクはトッドよりも20ドル多く持っています。それぞれいくら持っているでしょう。答えに端数が出てはいけません』

『マイナス二進法で数を数えなさい』

『富士山を動かすのに、どれだけ時間がかかるでしょう?』

『ある島にいる五人の海賊が、100枚の金貨を持っていて、それを分けようとしています。獲物は次の規則で分けます。上位の海賊が分け方を提案し、全員で投票をします。少なくとも半分の海賊がその案に賛成票を入れれば、金貨はその分け方で分けます。賛成票が足りなければ、当の上位の海賊を殺し、やり直しです。いちばん上位の(生き残った)海賊が、自分の分割案を出し、同じ規則で投票し、獲物を分けるか、その海賊を殺すかします。一つの庵が認められるまでこの手順を続けます。自分が上位の海賊だとしてください。どんな分け方を提案しますか(海賊はみなきわめて論理的かつ貪欲で、みんな死にたくはありません)』

さてどうでしょうか?こんな問題を面接でいきなり出されて、咄嗟に解答を出さなくてはいけないわけです。まあ無理ですね。ちゃんと答えが一つに定まる問題ならまだしも、上に挙げたものの中には答えがない問題も存在します(『世界中にピアノの調律師は何人いるか』なんかはその典型)。しかしこんな面接試験が存在するってことは、こういう面接をクリアできるだけの人材が世の中にいるってことなわけで、まったく信じられないですね。まあ僕はどんなものであれ面接なんか受ける気はないので問題ないんですけどね。
僕が一番気に入った問題は、一番最後に書いた海賊の問題です(あと一つ、50組の夫婦がいる村で、夫が全員不貞を働いている、という状況から始まるパズルもあるんですが、それもお見事だと思いました)。この海賊の問題は、普通考えたら分かんないですよね。まあ僕は碌に考えもせずに答えを見ましたけど(笑)。答えを読むと、無茶苦茶なんだけど確かに論理的に考えるとそうなります。なるほどね、って感じですね。すげえっすよ。
まあそんなわけで、なかなか面白い本だと僕は思いました。日本の会社でこんな面接をしているところがあるのかどうか僕は知らないのでこの本が役に立つのかどうかは判断できませんが、読み物としてはなかなか面白いと思います。面接採用者視点でどうするべきかを書いた部分もあるので、採用に関わっている人も読んだら面白いのかもしれません。まあでもやっぱり一番は、パズルの本として読むのがいいでしょうね。なかなか面白かったです。

ウィリアム・パウンドストーン「ビル・ゲイツの面接試験」



とある飛空士への追憶(犬村小六)

目覚めると僕は、空の上にいた。
「は?」
どうなっているのかうまく飲み込めなかった。
僕は、何もない空間の上で横になっていたのだ。しかも生半可な高さではない。眼下には東京ドームらしき建物が見えるのだけど、それが米粒よりも小さくしか見えない。もし雲が出ていたら、僕はその雲よりも上にいるのだろう、と思えるほどの高さだった。
「ひぃぃぃぃ!」
そのあまりの高さに驚き、心を落ち着かせるのにしばらく時間が掛かった。高所恐怖症ではないけど、こんな高いところにいれば誰だって怖いだろう。しかも僕は、何の支えもないままに空中に横たわっているのだ。ちょうどマジシャンが人を浮かべるようなあんな格好だ。
シバラク身じろぎできなかった。動いてしまえばそのまま落ちてしまうのではないか、と思えたのだった。しばらくして緊張感が解けてくると、どうも自分が横たわっている背中の部分には何かあるのだ、という感覚が分かってきた。僕は浮いているわけではなくて、何かの上に横たわっているようである。僕の目には見えないのだけど、何かある。そんな感覚が僕を少し落ち着かせてくれた。
しかしどうしてこんなところにいるのだろう。昨日はちゃんとベッドに入って寝たはず。いつもと変わらなかったはずだ。しかしそんなことを考えても仕方ないだろう。とりあえず、どうしたらいいのかを考えなくては。
とりあえず僕は立ち上がってみることにした。自分が今まで横たわっていたところには、目には見えないけど何かある。ということは、手さぐりでそういう場所を探していけば、とりあえずどこかには歩いていけるんじゃないか、と思う。もしかしたら、地上へと続く目には見えない階段、なんてものが見つかるかもしれない。もし見つかったとしても、信じられない段数を降りなくてはいけないだろうけど。とにかく、出来ることはやってみよう、と僕は思うようになった。
四つんばいの状態で、今いる場所から歩いても大丈夫そうなところを手さぐりで探していく。どこかに切れ目があってそのまま落っこちてしまうことだって充分ありえる。僕は慎重に歩を進めながら、何だか別の違和感を感じ取っていた。
何となくだが、「知っている感じ」があるのだ。この空間が、自分と馴染み深いところであるような気がするのだ。しかしデジャヴというのとも違う。自分でもうまく説明が出来ない。思考の一端でそんなことを考えながら、僕は探索を続けた。
途中ドアがあり、窓があった。壁があり、階段もあった。しかしその階段は、僕が期待しているようなものではなく、すごく短いものであった。
段々と僕は、自分が感じている違和感の正体に気づきつつあった。しかし、それに確信を持つことが出来るようになったのは、どこかから声が聞こえて来た時だった。
「あんた、何やってんの?」
それは紛れもなく母親の声だった。
「四つんばいでうろうろして。コンタクトでも探してるわけ」
僕はコンタクトじゃないよ、と思いながら、そんなことが問題なんじゃない、と僕は思い直した。
まずそもそも、その声を出しているはずの母親の姿が僕にはまったく見えないのだ。どの辺りから声が聞こえるのかというのは漠然と分かるものの、姿が見えないというのは厄介だ。そして何よりも、何故ここに母親がいるのか、という疑問がある。
僕は何となく辺りをつけた方向を向きながら答えた。
「空しか見えないんだ。どうなってるんだ、これ」
母親がため息をついたのが分かった。
「だから言ったでしょうが!今度空の上に引っ越すからちゃんと話を聞いてなさいよって!」
そういえばそんなことを言っていたような気もする。空の上に引っ越すだなんて今日はエイプリールフールだっけか?と思って碌に話を聞いていなかったのだ。しかしそこで何か重要なことを言っていたようだ。
「引越し当日の夜は一日寝ないで起きていること。そうしないと新しい環境に順応できなくなるよって、引越し屋さんにも言われたでしょう!夜寝る前私だってちゃんと言ったわよ!」
引越し屋が何を言っていたのかは全然覚えていない。母親が、今日は徹夜するのよ、と言っていたのは覚えているけど、何で徹夜なんかしなきゃいけないんだ、って思って無視した。なるほど、そういうことだったのか。
「どうすればいい?」
「さぁ、知らないわよ!もう目が見えなくなったんだって思って諦めれば」
無茶苦茶な母親である。せめてその引越し屋に連絡をしてくれてもいいと思うのだけど。まあいい。父親が帰ってきたら聞くことにしよう。
しかし学校とかはどうすればいいというのだろう。この新しい生活に馴染むには時間が掛かりそうだ、と僕は思った。

一銃「起きたらそこは」

そろそろ内容に入ろうと思います。
舞台は架空の世界。大瀑布と呼ばれる巨大な滝によって分断された海の両側に、帝政天ツ上と神聖レヴァーム皇国という二つの国があります。現在両国は戦争中で、お互いの領土を奪い合っています。
天ツ上領海内にあるレヴァーム皇国領土であるサン・マルティリア島。ここが物語の始まりの舞台となります。ここはレヴァーム皇国領土からかなり離れた、イメージとしては第二次世界大戦中のフィリピンとかガダルカナル島とか、そういったイメージの場所になります。
現在は一応レヴァーム皇国が覇権を握っているのですが、徐々に天ツ上に押され気味で、もはや制空権を維持できなくなってきているのが現状です。
そんなサン・マルティリア島で、天ツ人の母親とレヴァーム人の父親の子であるシャルルは、ベスタド(両方の地を持つ人の意)であるとしてどちらの人々からも受け入れられず迫害されている。幼いシャルルは、両親を失い、まさに死にかけていた時、心優しい神父に救われた。
後に彼は、レヴァームの私設航空部隊(ベスタドのため、正規軍には入れなかった)に所属し、正規軍も含めレヴァーム皇国で最も腕の立つ飛空士として名を馳せることになる。
そんな彼の元に、ある辞令が舞い込んでいた。異例中の異例の辞令であり、まさにシャルルの飛空士としての技量と性格を見込んだ作戦だった。
それは、次期レヴァーム皇国妃となるファナ・デル・モラルを載せ、単身レヴァーム皇国本土まで送れ、というものだった。ベスタドである自分が次期レヴァーム皇国妃と背中あわせで飛行機に乗るのも異例なら、単身でレヴァーム皇国本土までの飛行をするのも異例である。しかし、シャルルには自信があった。自分になら出来るだろう、と。
銃を搭載してはいるが、撃てるのはファナの座る後部座席からのみ。あと一切の武装のない状態では、敵艦に遭遇してもとにかく逃げ続けることしか出来ない。しかも飛び立ってから気づいたことだが、次期レヴァーム皇国皇子の頭の悪い行いのせいで、シャルルがファナを載せて送り届ける作戦は敵国に筒抜けになっていたのだ!こんな圧倒的に不利な状況のなか、シャルルは己の全技術と気力を集中させて、ファナを送り届けるべく決死の飛空を続ける…。
というような話です。
さてこの作品、最近非常によく売れていて、かつその方面での評判もかなりいい、ということで読んでみました。
僕も、なかなか悪くないな、と思いました。ただちょっと辛口なことを言わせてもらえば、この作品はライトノベルであるとしてみればなかなかレベルの高い作品だと思うけど、一般小説として見たら普通かな、ということです。
本作はライトノベルとしては珍しく、普通ライトノベルを読まない人にでもアピール可能な作品です。というか、ライトノベルっぽい要素はあんまりないと言っていいでしょう。だからこそ、こういう作品がライトノベルのレーベルから出たために、高い評価になっているのだろう、と僕は思ったりします。
ただ、もしこの作品が一般文庫のレーベル(早川文庫とか徳間ノベルスとか中公ノベルスとか講談社文庫とか小学館文庫辺りならありえるかも)で発売されてたら、まあそれなりの評価で終わっていたでしょう。こういう作品を読むと、最近ライトノベルというのはほとんどジャンルなんて関係ないわけで、とにかく本が売れればいいと思っている作家志望の人は、一般文庫ではなくライトノベル系の方に応募した方がいいかもしれないな、と思ったりしますね。ライトノベルというのは基本的にどんなジャンルでも受け入れてくれるんで、一般系の新人賞に応募してそこそこしか売れないよりも、ライトノベル系に応募してガツンと売れる方が職業としてはいいのかもしれませんね。
まあいろいろ言いましたが、なかなか面白い作品だったのは確かです。一番はやっぱりシャルルとファナのキャラクターで、シャルルの紳士っぷりもいいし、ファナがどんどん変わっていく感じもいいし、でまっとうに恋に落ちちゃうんだけど、もちろん身分の差が激しすぎて、というような展開ですね。僕としては、ラストはもう少しベタな感じでもよかったんじゃないかな、と思っていますけど、まあこれはこれでいいかもしれません。
あとは飛空のシーンですけど、これはどうでしょうね。決して悪くはないんですけど、やっぱこういうのを書かせたら福井晴敏に敵う作家はいないんだろうな、と改めて思ったわけです。福井の方は潜水艦ですけど、彼の描く戦闘はもう凄いですね。なんとなくそれと比べてしまうところがあって、ちょっと辛くなってしまいますね。でも、ただ逃げることしか出来ないという状況の中、恐ろしく選択肢の少なく、かつ飛行機の性能は敵国の方が遥かに勝っている
という状況で、シャルルがそれでも諦めずに必死に逃げ続けるところはなかなか鬼気迫るものがあってよかったなと思います。
しかし著者は戦闘機やなんかについてかなり詳しいみたいですね。森博嗣の「スカイクロラ」シリーズとはまた違った感じでしたけど、たぶんこの著者もそういう方面が趣味だったりするんだろうな、と勝手に想像してみました。有川浩みたいな軍オタかもしれませんが。
まあそんなわけで、この作品は普段ライトノベルを読まない人でも充分読めると思います。ただそういう人は、あんまり期待しすぎないでください。ライトノベルとしてはかなりいい出来というわけで、一般文庫基準で言えばまあまあいいぐらいな感じだと思います。僕も今一般文庫の方にこの作品を置いています。読んでみてください。

犬村小六「とある飛空士への追憶」


帰らざる荒野(佐々木譲)

高校で殺人事件があった、と通報があった。生徒の一人が、別の生徒を刃物で刺した、と。被害者の死亡は既に確認されている。
現場に着くと、そこには異様な雰囲気が漂っていた。俺が一番乗りだったようで、制服警官以外刑事は見当たらない。
校庭に、そこだけぽっかりと空いた空間があった。その中心に、刃物を持った学ランを着た男の子が立っていた。その周囲を、生徒や教師が遠巻きに囲んでいる。
加害者と思しき男子生徒は、ナイフを持つ手をだらんとさせたままただ立っていた。俺の姿を目にすると、刑事だと分かったのだろうか、彼は俺の方へと近づいてきた。途中、自分がナイフを持ったままであることに気づいたようで、ナイフを地面に投げ捨てた。
目の前までやってくる。
「俺は逮捕されるんですか?」
不安がっている様子はない。授業中に分からないところを堂々と質問しているような雰囲気だ。
「君が何をしたかによる」
「人を殺しました」
「なら、逮捕だ」
俺は手錠を掛けるのは止め、そのまま彼をパトカーに乗せた。
「一つだけ聞いてみてもいいか」
「はい」
「何が原因だった?」
「何のですか?」
「だから、何で人を殺したんだ?」
「あぁ、足が折れてたからですよ」
「は?」
こりゃあ大変な事件かもしれないな、と俺はぼんやりそんなことを思った。

学は家に戻ると、まっさきに馬の元へと向かった。僕の家は、競走馬を調教し管理する仕事をやっている。自宅近くに厩舎があり、そこに馬が繋がれている。調教師と仲良くなっていた僕は、いつ行っても馬と遊べるようになっていたのである。
厩舎に着くと、一頭の馬が消えていた。僕のお気に入りだった馬だ。調教師のおじさんにどこに行ってしまったのか聞いてみる。
「足が折れちまったからなぁ、殺しちまうしかないんだわ」
その時僕は初めて、使い物にならなくなった馬を殺しているという事実を知った。
「それ、僕にやらせてくれない?」
調教師のおじさんは困った顔をしていたけど、それでも最後には折れてくれた。その馬を僕が可愛がっていたことを知っていてくれたからかもしれない。
僕が人を殺すのは、この日からちょうど5年後のことである。

一銃「殺された理由」

適当すぎますね。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は連作短編集になっています。それぞれの内容を紹介しようと思います。

「銃弾になさけあらば」
土方歳三率いる新撰組が箱館にやってきた時、友近善次郎は馬を非難させることだけを考えていた。馬の種付けや繁殖・販売をしている善次郎は、近くにある村に住む伊作という老人の元へと避難することにした。
そこで妻と知り合うことになるが、しかしまた三次という男とも係わり合いになる。この男、他人を陥れて自分が利益を得ようとするような男で…

「牧場の流儀」
友近克也は、父親である善次郎が大きくした牧場で働いていた。父親は長男である夏彦を牧場の後継ぎと考えているわけで、克也は身の振り方を考えねばならない。
夏彦の婚約者である百合という女性がひと夏彼らと一緒に暮すことになり…。

「痩せ犬に似たり」
家を出た克也は放浪の旅に出ていた。旅の途中、甚吉というけちな悪党と知り合いになった。サイコロをつかったイカサマで稼いでいるような男で、好きにはなれないが嫌いというわけでもない男だった。結局甚吉は死んでしまうのだが…。

「借りた明日」
人殺しの罪で役人に追われていた克也は、空腹のために動けなくなり一軒の家で匿ってもらうことになった。彼ら一家は今ちょっとしたトラブルに巻き込まれていて、克也は一宿一飯の礼に彼らのトラブルに付き合おうと考えているのだけど…。

「眠り銃」
克也が牧場を出てから二十年という月日が経った。ある日どうも克也を探しているらしき男の姿を見かけた。かつての罪をまだ役人が追いかけているとでもいうのだろうか。それとも…。

というような話です。
この作品も、とある事情で読むことになった作品です。普段の僕なら手に取らない種類の作品ですね。
本作は、ちょっと僕には微妙な作品でした。
文章は相変わらず読みやすい、と思いました。とにかくくせがなくて、余計な文章がなくて、ストーリーがすーっと入ってくるような文章で、非常に好感が持てますね。
でも、ストーリーがあんまり僕の趣味ではなく、さらにそれを差し引いて考えても、あんまり面白いとは思えない感じでした。
ストーリーは正直言って地味です。そういう作品の中に、人間の深さや機微みたいなものを読み取って楽しむことが出来る人はいるんでしょうけど、僕にはちょっと退屈だなぁ、と思える作品でした。どの話も、結局最後は銃で解決するような流ればっかりで、また銃かよ、とか思いながら読んでました。ちょっと人を殺しすぎじゃないでしょうか。
繊細な人間関係をうまくストーリーに織り込んでいるところは作家の力量を感じさせますが、それでもやっぱりストーリー自体がちょっと地味すぎるので、ちょっと僕とは合わないかなと思いました。
表紙は結構好きなんですけどね。
しかし佐々木譲っていうのは本当にいろいろ書くんだなぁ、と思いました。これまで佐々木譲の作品は三作しか読んだことがないですけど、どれも作風が違いますね。解説によれば、かなり広範囲なジャンルの作品を書いているようですね。すごいものだと思います。ちょっとは興味を持って佐々木譲の作品を読んでみてもいいかなと思いました。文章読みやすいし。
というわけで、僕としてはあんまりオススメ出来ない作品です。ただこういう作品が好きな人はいると思うので、チャレンジしてみてください。解説氏によれば、「痩せ犬に似たり」は尋常ではないほどの傑作だそうなので、これだけでも立ち読みしてみるといいかもしれません。

佐々木譲「帰らざる荒野」




総督と呼ばれた男(佐々木譲)

昨日も今日も明日も変わりのない、ただ食って寝るだけのホームレスとしての生活。こんな生活が、これからも永遠に続くんだと思っていた。
ある日のこと、いつものように公園で昼寝をしていると、誰かが近づく気配を感じた。起き上がってみると、目の前にいたのはスーツを着たサラリーマンだった。
「羨ましくってさぁ」
その男は、私に話し掛けているのか独り言を呟いているのか分からないような口調でそう吐き出した。
「毎日毎日さぁ、暑い日も寒い日もさぁ、外を歩き回って営業してさ、そんな人生にもう疲れちゃったんだよねぇ」
私は何も答えなかった。答えるべきことがあるとも思えなかった。
「僕もあなたのようにさぁ、こうやって毎日ダラダラして生きていきたいものだよねぇ」
ホームレスになったばかりの頃は、こういうことを言って来る人間に腹が立った。こっちだって、好きでホームレスをやってるわけじゃないんだ、と。でも、もう慣れた。長いことこうして一人で生きていると、他人のことがどうでもよくなってくるものだ。
しかし、その後男が続けた言葉に私は驚かされた。
「ねぇ、僕と代わりませんか?」
「どういうことですか?」
私は初めて口を開いた。
「そのまんまの意味ですよぉ。あなたが僕の代わりに会社で仕事をして、僕があなたの代わりにここでホームレスとして生活するっていうことです」
この人は疲れすぎて頭がおかしくなってしまったんだな、と思った。関わっていられない、こんな男。
しかしそんな私の態度をどう受け取ったのか、彼は目の前でスーツを脱ぎ始めた。
「えーと、これが社員証で、会社の住所なんかは名刺に書いてあるからいいとして、スイカもまだしばらく使えるし、携帯もそのまま使ってくれていいですよ」
なんてことを言いながら僕の方に服やら荷物やらを寄越してくる。この人は本気なのか、と思いながら、成り行きに任せて僕も服を脱いでいった。
僕はよく分からないまま、サラリーマンとしての生活を手にすることになった。

「今日は無礼講だ。みんな思う存分飲んでくれ」
会社の忘年会である。社長自ら音頭を取り、宴会が始まっていく。
私はあのサラリーマンだった男と人生を交換した翌日、とりあえず会社に行ってみた。追い返されるだろう、と思っていた。しかし、彼の代役としてやってきたと告げると、おぉそうかそうか、などと言いながら僕は受け入れられてしまった。特に誰も疑問を抱くこともなくスムーズに入れ替えは進んだ。
仕事も難しいものはなく、時々周りの人に聞きながらではあったけど、なんとかこなして行く事は出来た。そうしてすっかり僕はサラリーマンとしての生活に溶け込んでしまっていた。
トイレへと向かうと、隣に社長がいた。何となくこういうシチュエーションは気まずい。
「どうだ、楽しんでるか」
「えぇ、もちろんです」それ以外にどう答えろと。
「私はもう楽しめないなぁ」
「そうなんですか?」
「社長っていうのは私には向かないんだ」
弱気なことを言うものだ、と思った。普段はこんな姿を見せることはまったくない。酒のせいだろうか。
「一つお願いを聞いてもらえないだろうか」
「えぇ、社長のお願いでしたら」
「私の代わりに社長をやってもらえないだろうか」
「は?」
聞き間違いだろうか?代わりに社長をやってもらいたい、と言われたような気がしたが。
「もう社長の仕事は飽きたんだ。役員会には後で伝えておくし、これが社長室のIDカード、あと明日にでも何社か回って社長交代を伝えないとだな」
よく分からないが、僕はいつの間にか社長になってしまったようだ。まったくどうなっているのだろう。

「こちらが原稿です。あと30分あります。原稿を見ながらでも構いませんが、出来る限り内容を覚えていただく方が印象はいいでしょう」
「わかった」
「原稿に書かれていないことを言うことは構いませんが、あまり具体的なことは言わない方がいいでしょう。なるべく輪郭をぼかしてください」
「わかった」
「ネクタイがまだ決まっていませんが、とりあえず5本用意してあります。あとでコーディネーターに選ばせます」
「わかった」
さっきから、わかった、としか口にしていない。もう大分飽きてきた。というか、取り巻きの連中が私とは住む世界が違う人間としか思えない。本当に、同じ言葉を話す同じ人間だろうか?
私は30分後に大勢の人の前で演説をしなくてはいけない。その模様はテレビでも流れる。今までこんな経験は一度だってない。人前で喋ることは苦手なはずだったのに、どうしてこんなことになってしまったのか。
手元にある原稿に目を落とす。そこには、『所信表明演説』と書かれている。
今の僕の職業は、総理大臣だ。もちろんこれも、前の総理大臣との交換で手に入れた地位である。

一銃「わらしべ長者」

そろそろ内容に入ろうと思います。
物語は、1923年シンガポールから始まります。からゆきさん(日本人娼婦)の子どもとして生まれた木戸辰也は、唯一の肉親である母親を亡くし、見知らぬ日本人の元で育てられています。
そこに、辰也の叔父という人物が彼を引き取りにやってきます。叔父は貧乏でしたが、辰也はこれまで住んでいた日本人街にいい印象を持っていなかったので、叔父が迎えにきてくれたことを嬉しく思いました。
彼らは不運やトラブルに見舞われ職を転々とすることになりますが、最終的にマレーの鉄鉱山に辿り着きます。しかしそこでもトラブルに見舞われ、叔父が殺されてしまいます。辰也はその復讐のために犯した殺人によって逮捕され、矯正院に送られてしまいます。
矯正院を出た辰也は、身一つで生活を始めます。それから職業的犯罪者として頭角を現すようになり、次第に日本人街に大きな影響を持つ人物として知られていくようになりました。しかい一方で戦争の陰がシンガポールにも忍び寄ってきて…。
というような話です。
本作は、とある事情から読むことになった作品です。もしこういう機会がなければ僕が読むことはなかった種類の作品ですけど、でも本作は予想以上に面白かったです。
まず一番驚いたのは、その文章の読みやすさですね。とにかく驚くぐらい文章が読みやすくて、スイスイ読んでしまいました。僕は戦争とか外国が背景になっている小説は結構読むのが苦手なんですけど、本作は全然そんなことはありませんでした。くせのないさらっとした文章で最後まで読めるので、誰によっても読みやすい作品なんじゃないかな、と思います。とにかく、これだけ読みやすい文章を書けるというのはなかなか驚異的だな、と僕は思いました。
ストーリーも、基本的には僕の興味の湧かない種類のジャンル(戦争とか裏社会とか暴力とかそういう系)なんですけど、でも本作はなかなか面白かったなと思います。まず木戸辰也という人間がなかなか魅力的ですね。普通こういう話は、暴力や裏切りなんかによってのし上がっていく話が多いと思うけど、本作では辰也は基本的には誠実な人間です。もちろん強盗もするし殺人もするんだけど、でも自分の身内にはきちんとするし、身内以外にもきちんとした対応をする男です。まあそんな男がここまでのしあがっていけるのか、という疑問は確かにあるけど、まあそれはいいでしょう。
さらに、その辰也の周囲にいる人間もなかなか魅力的に描かれているわけですね。敵も味方もなかなか味のあるキャラクターばかりで、ストーリーの展開のさせ方と登場人物の造型がかなりちゃんとしていると思いました。
本作は、基本的な構成がちゃんとしているので、サイドストーリー的なものをいくつか生み出せるんじゃないかな、と思いました。僕が読みたいなと思ったのは、後々出てくるクロフォードという刑事視点の物語ですね。クロフォードというのは、木戸辰也を重罪で謙虚することを唯一と言ってもいい目標にしている男で、常に木戸辰也に付きまとっています。天才的な直感でいくつかの事件に関連を見出したりと、なかなかのキレ者でもあります。そんな二人は、ルパンと銭形警部みたいなんですよね。クロフォードの視点から木戸辰也を描いたストーリーがあれば面白いかもしれないな、と思いました。
というわけで内容に関してはかなりいいと思うんですけど、残念なのは表紙ですね。何かイケてないんですよね。これさえ何とかなれば売れそうな気はするんですけど。
もし売るとしたら、『男版「嫌われ松子の一生」』なんてフレーズは面白いかもしれないな、と思ったりしました。
そんなわけで、かなり長い作品ですけど、とにかく文章が読みやすいのでスイスイ読めると思います。ストーリーもちゃんとしているし登場人物も魅力的なのでかなり楽しめると思います。読んでみてください。

佐々木譲「総督と呼ばれた男」






銀河不動産の超越(森博嗣)

「家賃無料」
不動産屋の前を通りかかった時、その張り紙をたまたま見つけたのだった。その時僕は部屋を探していた。すぐにどうこう、というような状況ではなかったのだが、なんとなく引越しをしたいな、という思いに駆られていた時期だったのだ。時々そういう衝動に襲われる。引っ越したところで生活が一変するわけでもないしそんなことを期待しているわけでもないのだけど、一つの場所に腰を落ち着けるというのが性に合わないのだ。だから外に出て不動産屋を見かけると、つい張り紙に目がいってします。その時も、ただなんとなく張り紙を眺めていただけだったのだ。
「家賃無料?」
つい声に出して言ってしまう。そんなバカな、という思いがまず浮かぶが、しかし何か事情があるのだろう。住む場所に特別こだわりがあるわけではない。何か面白いことになるのなら、望むところだという感じである。
「表に貼ってある、無料の物件について聞きたいんですけど」
僕は不動産屋の中に入って詳しい話を聞くことにした。
「あぁ、あれね。あれについてはさ、私じゃうまく説明できないっていうか、そこの大家がね、誰かお客さんが来たら私に連絡して欲しいなんて言うもんだからね、ちょっと待っててもらえるかね」
なんとも分かり難い話し方をする人物であったが、要するに詳しい話の出来る人間を呼ぶからちょっと待ってて欲しい、ということだろう。
「分かりました」
しばらくすると、一人の女性がやってきた。
「三上洋子と申します」
そう言いながら僕に名刺をくれた。名刺なんてもらったことがなかったからどうしたらいいかわからなかったけど、賞状をもらう時みたいに両手で受け取ってみた。合ってただろうか?
名刺には名前以外何も書かれていなかった。既に相手の名前は知っているわけで、となるとこの名刺にはどんな価値があるのだろうか、と僕は一瞬不思議に思った。
「無料の物件に興味がおありですか?」
「まあそうですね。誰だって家賃が安い物件には興味を惹かれるのでは?」
「そうでしょうが、しかし無料というのはいささか怪しい、なんて思われませんでしたか?」
無料の物件を勧めたがっているのかどうなのかイマイチよく分からない話し方である。慎重にことを運ぼうと思っているだけかもしれないが。
「もちろん、何か条件があるのだろうな、と思ってはいます。ただ、面白ければ何でもいいかな、という風にも思っていまして」
「前面鏡張りです」
「は?」
「ですから、壁面すべてが鏡になっております」
なるほど、ちょっとそれは奇妙な部屋だと言わざるおえないだろう。ダンスの練習をするには最適かもしれないが。しかし、それだけで無料というのはよく分からない。
「それだけですか?」
「あと、一日毎に住人が一人ずつ増える予定です」
「言っている意味が分かりませんが」
「非常に広い建物でして、ある程度のプライバシーを確保しながら、最大で50人以上の人間が住めると考えています」
「それは一部屋なんですか?」
「そうです。50人以上が住むことが出来る一部屋の物件です」
それは創造するだに凄まじい物件だと言えるだろう。50人がある程度プライバシーを確保しながら生活できるとなると、東京ドームより広い空間が必要なのではないか。それが一部屋として確保されているというのだから尋常ではない。普通に部屋を区切って貸す方がいいに決まっている。そう出来ない理由でもあるのだろうか?
「また、どうしてそんなことを?」
「説明するのは非常に難しくなりますが、まあ一つのアートであるとお考えいただければ問題はないかと思います。アートの領域を広げるといいますか、アートの常識を破壊すると言いますか、つまりはそういう思想を体現するための場として考えているわけです」
何だか大きな考えがあるようだが、まあその辺は僕とは関係ないと言える。僕が考えなくてはいけないのは、壁面すべてが鏡張りで、かつ住人が一人ずつ増えて行くという超巨大な空間で生活するということと、家賃が無料であるということが釣り合うかどうか、ということだけだ。
「分かりました。そこに決めます」
「ありがとうございました。それでは細かい部分に関しましては不動産屋の方と詰めていただけますでしょうか?」

変な美術館がオープンする、という噂は、少し前から私の耳にも入ってきていた。それ以外、詳しい話はまったく伝わってこない。しかしどうも、この地域で一番の資産家である藤堂家が関わっているようだ、という噂もある。すべては噂であったが、しかしそこまで人々の関心を惹き付けたわけでもなかったから、この噂はそこまで拡散することもなく、狭い地域で留まり続けた。何せ、美術館である。大半の人は、生涯に一度美術館に足を運ぶかどうか、というところではないだろうか。
そしてその噂の美術館がオープンする、という話を聞いて、私は早速行ってみることにした。そこは、それ以外には他に何一つない山奥であり、こんなところにいつの間にこんな建物が作られたのだろう、と思えるような巨大な建物があった。なんとなく宇宙船を連想させる外観である。
それは奇妙な美術館だった。鑑賞者は、建物の中に入ることは出来ない。その建物の外から中を覗く、という趣向の美術館なのである。では中には何が展示されているのか、と言えば、それはまさしく人間なのであった。別に標本にされているとかそういうわけではない。生きた人間が生活をしている、まさにその光景そのものが展示されている、そういう美術館なのである。
美術館の入口(と言ってもそこは屋外であるが)には、パネルのようなものが設置されていて、そこには『一人』という表示がある。内部に一人しかいない、という意味だろう。となれば、この人数はこれから増減するということなのだろう。ありえないほど巨大な空間の中で、様々な人間が生活を営み、それを外から人間が観賞する。悪くないな、と私は思った。

一銃「人間動物園」

「人間動物園」というタイトルは、連城三紀彦の小説からパクりました。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は連作短編集で、本来はそれぞれの短編の内容を紹介するのがいいんだろうと思いますが、僕は本作はどちらかと言えば長編に近いな、という雰囲気を感じたので、長編として内容紹介をしよう、と思います。
主人公は、超省エネ主義を貫く高橋。彼は、とにかく毎日が気怠く、気力がない。周りの人間を見ていると、何でこんなに元気なのだろうか、と不思議に思うのだ。よく人に、猫を被っているんでしょ、と言われるが、しかしそうではない。自分としてはこれで精一杯なのだ。そんな風に思っている、やる気がないわけではないけど元気はない、そんな男である。
その高橋は、銀河不動産という不動産屋に就職することになった。ここは毎年大学にも求人が来るが、担当教授は、もはやどうにもならなくなって他にまったく選択肢がなくなった時だけ考えればいい。これまでにもうちの大学からここkに就職した者はいない、と言われた。しかし高橋は、まさにそののっぴきならない状況になってしまい、銀河不動産への就職を決めたのであった。
仕事は単調であり、というかほとんどないと言える。時々お客さんに物件を案内するぐらいだ。それでも、日々疲れてしまう。エネルギィがなさすぎる。
そんなある日、間宮という女性がやってきた。後で聞くと、この辺では有名な資産家であるようだ。とにかくよくわからないが物権を探しているということでいくつか案内したが、あまり気に入ったところはないようだった。
しかし、最後に案内をした物件で何だかおかしな事態になる。
その物件は、とにかくありえないぐらい広かった。ちょっとした劇場ぐらいの大きさのある建物で、とてもまともな神経では一人で住むことは出来ないような場所だった。しかし高橋は、まあ自分なら大丈夫だな、というようなことを考えてはいたのだけど。
すると突然間宮夫人は、
「あなたがここを借りてくれるのなら、私がこれを買います」
なんていうのだった。家賃は、今自分が住んでいるのと同じで構わないという。意味が分からない。しかし、自分がここに住むことさえクリアされれば、契約が一件取れるということになる。状況はおかしいが、しかしここに住めないこともない。
というわけで高橋は、そのとんでもない物件に住むことになったのである。
それから高橋の日常は少しずつ変わっていった。それは即ち、広すぎる家に住んでいるが故の変化であった。緊急避難的に自宅に人を住まわせてあげたり、物を置かせてあげたりしている内に、何でか分からないけど運命の女性までが現れたりして…。
というような話です。
僕は結構面白いと思いましたね。森博嗣が文藝春秋から小説を出すのは二作目ですけど(絵本も含めれば四作ですが)、この二つはなかなかいいですね。「少し変わった子あります」と本作は、全体の構成も非常に似ているように思えるし、作品の雰囲気としても近いな、という風に感じます。割と僕の好きなタイプの小説です。つかみ所がない癖に、状況だけはなんだか展開していくというような、ある意味で不条理(という言葉を使うのは大げさですけど)なストーリーで、面白いなと思いました。
とにかく僕は、主人公に非常に親近感を持てました。まさに僕のような人間ではないか、と思えました。本作中に、まさに僕の性格の一端を正確に表している文章があったので抜き出してみましょう。

『たとえば、友人たちがTVのアイドルに夢中になっていても、私はどちらともいえなかった。この子とこの子と、どちらが可愛い?などと尋ねられても、どちらともいえない。先生に将来何になりたいのか、どんな道へ進みたいのか、希望校はどこか?などときかれても、どちらともいえなかった。ようするに、どんな状況においても自分に都合の良い解釈ができるから、後悔もほとんどしないわけで、どちらを選択しても、結果的にあまり違いがないのである。』

これはまさに僕そのものですね。僕は、基本的に自分で何かを選択するというのが非常に苦手なんですね。例えばどこか外食に行ってもメニューから自分の食べたいものを選べないとか、友達と旅行の計画があったとして、どこに行きたい?とか聞かれても特にどこというような意見がなかったりというようなことばっかりです。僕はこれまで、これは対象に関心がないからだ、という解釈をずっとしてきたわけですけど、この文章を読んで考えが変わりました。まさに森博嗣が書いているように、僕もどんな選択をしたとしても自分に都合のいい解釈が出来るから、後悔しないんですよね。何を食べようが、どこに旅行に行こうが、将来どんな人生を歩もうが、その状況すべてに自分なりに納得出来る解釈を捻り出すことが容易に出来てしまうので、それで個々の選択にあまり拘泥しないのだろう、という風に思うわけです。なるほど、と思ったし、目から鱗が落ちるような思いがしました。
まあそんな主人公が覇気のない生活を送るところから物語がスタートするんですけど、この作品の面白いところは、すべてのことが成り行きで決まってしまう、というところですね。
これは、偶然とは違うわけです。本作は、偶然に支配されているわけではなくて、成り行きによって支配されているわけです。僕の中で、偶然というのは人の関与がほぼない事柄であり、成り行きというのは人の関与によって展開する事柄です。本作では、とにかく流されて生きていこうという考えている主人公の周りに、様々に意思を持った人々が集まって、そういう人々が関わる様々な成り行きによって、主人公の生活や人生が大きく変化してしまう、というそんなストーリーが描かれていくわけです。
しかしここまで成り行きに支配されている人間というのも凄まじいな、という感じがしました。もちろん本作のような展開は現実にはほとんど起こりようがないでしょうけど、こんなことが起こったらちょっと面白いだろうな、と思える雰囲気がありました。
何よりも、後半突然現れる『運命の女性』がすごくいいですね。まさかそんな展開になろうとは!という感じで、ストーリーが大きく変質していきます。成り行きで無茶苦茶な物件に住み始めてしまったことから、まさかこんな状況に発展するなんて、誰も想像も出来なかったことでしょう。
最後はちょっと駆け足過ぎたかもしれないけど、でもあれぐらいあっさりしているのもまた森博嗣らしいといえなくもないような気もしないではないので、まあいいかなと思いました。
というわけで、僕は非常に面白いと思いました。でも、広く受け入れられる作品かと聞かれると、ちょっとどうだろうな、という気もしないでもありません。「少し変わった子あります」がよかったという人には合うんじゃないかな、という気がします。

森博嗣「銀河不動産の超越」



文学刑事サーズデイ・ネクスト1 ジェイン・エアを探せ!(ジャスパー・フォード)

「重心に変化が見られます」
「よし、総員配置につけ。そろそろ来るぞ」
「高度30センチまで上昇。上昇速度は比較的ゆっくりです」
「一時停止。急降下」
「別のにするつもりか。それならまた一休み出来るってもんだけどな」
「どうでしょうね。最近の傾向から考えるとこれが一番可能性が高いかと」
「再浮上。やはり選択に相違ありません」
「よし、みんな準備はいいか」
「制御班OK」
「活字班OK」
「指令班OK」
「情報班OK」
「対策班OK」
「現在位置は?」
「地上から35センチ、テーブルから5センチのところで安定しています」
「そろそろ開くな」
「どっちからだと思う?」
「今までの傾向から考えますと、初めのページから順序良く読んでいくようですが」
「聞いたか情報班と活字班。初めのページから順番通りって線で準備を進めてくれ」
「ラジャー」
「内圧に変化あり。ページが開かれようとしています」
「緊急事態発生。どうやら解説から読もうとしているようです」
「何だと。情報班。至急解説の文章にアクセス。活字班。超特急で表示を頼む」
「解説のページが開かれるまであとおよそ0.2秒」
「間に合いそうか!」
「無理です!ひらがなはなんとか可能ですが、漢字が追いつきません!」
「仕方ない。対策班。緊急事態だ。エマージェンシー5発動」
「ラジャー」
「読者は本を落としました」
「エマージェンシー5は、てのひらの汗と反応してすべりやすくなる物質を出す、でしたな。まあ止む負えん措置だ」
「よし、時間は稼いだ。これでなんとかなりそうか」
「大丈夫です」
「解説ページ、オープン!」
「よし、文字の表示は大丈夫そうだな」
「こちら対策班。お伝えしたいことがあります」
「なんだ」
「今の解説ページ表示のために、活字班が1ページ目から3ページ目までの文章から活字をいくつか借りてきたようです。そうでもしないと間に合わなかったとか。つまり、この状況のまま初めのページを開かれれば、虫食いの状態です」
「活字班!何度言ったら分かるんだ!別のページから活字を借り出すのは止めろとあれだけ言ってきただろうが!」
「すみません。しかし、時間内に文章の表示を完成させるには仕方のない措置でして…」
「言い訳はいい!至急なんとかしろ!」
「対策は進んでおります。応急処置として、後の方のページから順繰りに文字を借り出す形を取ることにしました。しばらくは時間稼ぎが出来るかと」
「まあそれならいい。制御班、状況は?」
「読者は解説ページを読み終わろうとしています」
「よし、それで1ページ目の文章はもう準備は出来てるんだな」
「大丈夫です。任せてください」
「こちら制御班。おかしな兆候です。内圧の変化から判断するに、読者は1ページ目ではないページを開こうとしています」
「こちら情報班。状況が判断出来ました。解説の文章に、『P168にある挿絵を見れば、誰しもが主人公に恋をしてしまうだろう』とあります。恐らく読者は、まずこの挿絵を見るつもりなのでは?」
「まずい!挿絵があったか。活字班で対応出来るか?」
「出来ません!既に手一杯ですし、しかも挿絵は管轄外で誰も出来ません!」
「情報班は?」
「すみません!挿絵のデータ量を考えるに、ウチでは扱えないと判断されます」
「まったくどいつもこいつも。制御班、読者が挿絵を見るまでの予想時間は?」
「推定1.4秒後です」
「仕方ない。ランディを呼んで来い」
「ランディ…、ですか。しかし…」
「つべこべ言うな。この状況で挿絵を表示できる男はランディぐらいしかいないだろうが!」
「わかりました」
「はいよ、ランディ。んで、どうしたって?」
「P168の挿絵の表示を0.8秒以内に頼む」
「見返りは?」
「何がお望みだ」
「次は俺に仕切らせろ。あんたには活字班の補佐をしてもらう、ってのでどうだ」
「…分かった、飲もう。じゃあ頼んだぞ」
「あいよ。こんなんちょろいっつーの」
「こちら制御班。あと0.2秒」
「うっせーよ。はい、これで完了」
「間に合いました。挿絵の表示完了」
「ふーっ、疲れるぜ。まあ後は大丈夫だろうな」
「読者はようやく1ページ目に入りました」
「制御班はそのまま監視を続行。活字班は全体の文章の調整と修復、くれぐれも省エネには気をつけてくれよ。表示は読者の目に入る0.1秒前。この鉄則は忘れないように!以上!」

一銃「本の中で起きていること」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作の舞台は1985年のイギリス。しかし、現在のイギリスとはちょっと違います。クリミア戦争が未だに終結しておらず泥沼化しており、またウェールズが独立して国家を形成している。イギリスはゴライアス社という超巨大軍事企業に牛耳られている、というような状況です。
マイクロチップが発明されていないためにパソコンはなく、また飛行機もないために飛行船が活躍しているけれども、一方でクローン技術が発達していて、絶命したはずのドードー鳥がペットとして人気を集めている。
また、他の娯楽よりも文学の地位が遥かに高く、街中にシェイクスピアの一節を暗唱するロボットが置かれたり、作家の直筆原稿が厳重に守られたりしている、そんな現在とは違うイギリスが舞台となっています。
そんな世界で活躍する主人公は、特別捜査機関(スペックオプス)の文学刑事局に所属するサーズデイ・ネクストである。文学刑事局はその名の通り、文学に関係する犯罪を取り締まる部署であり、日々細かな犯罪を負うしみったれた部署でもあります。
しかしある日、とんでもない事件が起こります。厳重に保管されていたはずの、ディケンズの『マーティン・チャルズウィット』の直筆原稿が何者かに盗まれてしまったわけです。監視カメラにも一切痕跡を残さないまま、まったくどうやって獲ったのかさえ見当もつかないような事件でした。しかしサーズデイは、これはあの稀代の悪党であるアシュロン・ヘイディーズの仕業であると見抜きます。
因縁あるアシュロンが相手であり、サーズデイは必死に追いかけるもかわされてばかり。そのうち、シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』の直筆原稿さえも盗まれ、さらにその小説の登場人物の一人の死体が発見されてしまう…。
というような話です。
前に読んだ、豊崎由美の「そんなに読んでどうするの?」でかなり絶賛だったので読んでみました。
でも、正直うーん、という感じでした。とにかく僕が不満だったのは、本筋に入るまでが長い、ということです。
小説全体としては、スピーディーにポンポン進んでいくわけです。しかし読めども読めども本筋のストーリーに一向に行き着かない。結局本作の本筋のストーリー(「ジェイン・エア」に関わるストーリー)が始まるのは、半分以上を過ぎてからになります。そこまでは、舞台である現代とは違ったイギリスの説明だったり、文学刑事の仕事の説明だったり、アシュロン・ヘイディーズや他の登場人物の紹介的なものだったりという感じで、ストーリーがホントに進まなかったです。本筋の話になれば少しはグイグイ読んで行けるんですけど、それまでがなかなか大変だったと思います。
あとは、たぶんこれは僕が外国人作家の作品をあんまり読みなれていないから、ということなんだと思うんだけど、全体的にどうも馴染まないんですね。イギリスの小説らしく(?)ジョークが出てきたりするんだけど僕にはイマイチそのジョークがよくわからなかったり、あるいはうまく説明できないんだけど、小説全体の雰囲気みたいなものがどうも肌に合わないというかそんな感じで、ちょっとイマイチ入りこめなかったな、という感じでした。やっぱもう少し外国人作家の作品を読まないといけないかな、と思いましたね。
本の世界と現実の世界が交じり合ってしまう、みたいな設定は面白いと思いましたね。僕も昔、そういう小説のアイデアを考えたことがあります(本作のような設定とは違いますけど)。でもこういうアイデアは、思いつきはするけど形にするのがなかなか難しいもので、まあ著者は頑張ってその辺をうまくクリアしたかな、という感じはしました。
個人的には、シェイクスピアの戯曲は一体誰が書いたのか論争がちょっと面白かったですね。実際にこれは議論されている話のはずで、僕もベーコンという人が書いていたんだ、という説は聞いたことがありましたけど、それ以外にもいろんな説が出てきて、なかなか面白いんじゃないかな、と思いました。
まあそんなわけで、僕としてはあんまりオススメは出来ないですね。ちょっと長いですし。ただ、こういう小説が好きだ、という人はいるだろうな、と思える作品なんで、興味のある人は読んでみてください。

ジャスパー・フォード「文学刑事サーズデイ・ネクスト1 ジェイン・エアを探せ!」



未亡人の一年(ジョン・アーヴィング)

僕の家の庭にはプールがある。友達にその話をすると豪邸だなんて言われることもあるんだけど、別にそういうわけじゃないと思う。建物よりもプールの存在の方が目立っているっていうだけの話だ。そのプールはそれなりに大きい。夏になると僕が掃除をして水を入れ替える。そうやって、僕の夏は始まる。
夏になると僕は、毎朝同じ時間にプールに飛び込む。水着に着替えて、防水の腕時計をつけ、軽くストレッチをしてから、プール際に立つ。腕時計を見ながらタイミングを図り、そして飛び込むのだ。
水中で目をつむったまま、僕は水の上の世界について考える。慌てないように意識しながら、僕はゆっくりと水面から顔を出す。
そしてそこは、やっぱりいつもと変わらない庭のプールなのである。
僕は今日もまた失敗したことを確認して、プールから上がった。もはや落胆さえ感じなくなり始めている。何せあの場所を目指して飛び込むようになってから、既に3年が経とうとしていたのだから。

3年前の夏のことだった。僕はいつものようにプールで泳いでいた。とても暑い日で、水の冷たさが心地よかった。体がふやけてしまうんではないかと思うくらい泳いでやろう、と僕は思っていた。
それは何度目かの飛び込むの時に起こった。僕はいつもと変わらないやり方でプールに飛び込んだ。4回に1回はお腹を打ってしまうのだけど、その時はちゃんと頭から飛び込むことが出来た。何もかも普通で順調だった。
水中でも、特に変わったところには気づかなかった。後から考えてみれば、ちょっと水が重かったかもしれない、と思いはしたけど、少なくともその時は何の疑問も持っていなかった。
何も考えずに泳ぎ出し、息継ぎをしようとしたその時のことだった。僕は視界に見慣れないようなものを見たような気がして泳ぎを止めた。プールの底に足をつけようと思って、でもそうすることは出来なかった。プールは、何故か深さを増していて、どうしても足が届かなかった。
その時、僕は自分がいるのはプールではないことにようやく気がついた。そこは海だった。どこを見渡してみても水平線しかない、紛れもない海であった。僕はあまりに混乱していて、何を考えたらいいのかもよく分からないままだった。
そこで見かけたのだ。僕が生涯忘れることが出来なくなる、イルカに乗った少女を。
遠くから何か動いているものが近づいてくるのは僕にも分かった。しかし、初めそれが何なのか分からなかった。大分近づいてきて始めて、それはイルカであり、そしてその上に少女が乗っているのだ、ということに気がついた。
少女は裸だった。そして、何よりも美しかった。彼女は僕の存在には気づいていないようだった。イルカに乗った少女は、そのまままたどこかへと行ってしまった。
僕に何が出来ただろうか。あのままイルカを追いかけて追いつけたとも思えない。声を掛けても聞こえたとは思えない。僕には、彼女を呼び止める術はなかったはずだ。それでも僕は、あの時自分が何も出来なかったことについて激しく後悔した。
気づくと僕はプールに戻っていた。あれはもしかしたら夢だったのかもしれない。それでも僕は、もう一度イルカに乗った少女に会いに行きたかった。今度は、ほんの少しでもいいから話をしてみたかった。
だから僕は、毎年あの時の状況を再現してプールに飛び込んでいる。未だに、あの時の海には辿り着けない。

一銃「プール」

ショートショートを考える気力がなくなりつつありますねぇ。やれやれ。

そろそろ内容に入ろうと思います。
とは言うものの、本作は簡単に内容を要約できるような作品ではないので、本当におおまかにざっと紹介しようと思います。
本作は主に二つのパートに分かれます。1958年のパートと、1990年から1995年に掛けてのパートです。それぞれが上巻と下巻に当たります。
1958年のパートでは、コール家が主な舞台となります。コール家は現在、世界的に有名な絵本作家であり、女性関係にだらしないテッドと、その美しさが一目を惹かずにはいられないけど、ある出来事のためにずっと憔悴しきっているマリアンと、そして二人の四歳の娘であるルースという三人家族です。しかし、少し前まではさらに二人の兄弟がいました。
トマスとティモシーという二人の息子は、不幸な自動車事故のために命を落としてしまいました。そのため、マリアンは憔悴しているわけです。もちろん夫婦仲は冷め切っています。
さてそんなコール家に、エディという少年がアルバイトにやってきます。これは、テッドの作家の手伝い、という名目でテッドが雇ったアルバイトなわけですが、テッドの真意は別にありました。テッドは、エディとマリアンがそういう関係になってくれればいい、と思っていました。それにより、テッドはルースの親権を獲得しよう、と思っていたわけです(しかしマリアンは、ルースの親権など実にどうでもいいことでした)。
果たして、エディとマリアンはテッドの目論見通り、そういう関係になりました。エディはマリアンとの関係にどんどん溺れていき…。
下巻では、ルースとエディは作家になっていて、二人は再会を果たします。マリアンは、あの夏の日にいなくなって以来消息はわかりません。テッドは、新たな作品は書いていないけど、相変わらずの生活をしています。エディは、どこにいるかもわからないマリアンを未だに思い続けています。
ルースは、出版社の編集者とい恋人がいます。結婚も考えているのだけど、でもなかなか踏み切れません。その間、何人かの『悪い恋人』と関係を持ったりすることになります。
新作の取材のためにアムステルダムを訪れたルースは、飾り窓地区と呼ばれる娼婦街で一人の娼婦の女性と知り合いました。しかしその娼婦が事件に巻き込まれ…。
というような感じの小説です。でもこれは、作品全体の5%も説明できてないと思いますね。それぐらい重厚で奥深い作品だと思います。
とにかく、いろんな人間の人生が相互に絡み合っていきます。主要な登場人物同士はもちろんですが、主要でない登場人物もかなり絡んできます。大分昔に出てきた大したことのないエピソードが後々まで出てくるようなことはしょっちゅうで、そういう様々な人間の複雑な相互関係をきちんと把握し見事に描ききったというところがすごいな、と思いました。
また、登場人物たちがホントにみんな小説の中で生きているんですね。うまく説明できないんだけど、読んでいると本作の登場人物が実際に生きているような感じがしてきます。もちろん良い小説というのはそうあるべきだと思うんですけど、でも本作は普通期待する以上にそういう要素が強いと思いました。ルースもエディもテッドもマリアンも他のどんな人達でさえも、本作で描かれている部分だけでなく、描かれていない部分の人生さえも見えてきそうなくらいきっちりとした背景を持った人間として描かれていて、よくもこれだけ多くの人々の人生をより本物らしくすることが出来たものだ、と思います。これだけの小説を書くのにどれほどの労力が必要なのか、僕にはちょっと想像が出来ないですね。
細かなエピソードが様々に積み重なって一人の人物を様々な方向から描き出しています。少しは評価できる小説に出てくる登場人物が紙に描かれた絵だとしたら、本作に出てくる登場人物は精巧に作られた石膏像のようなものだと思いました。絵は横や裏から見たりしたらその存在はなくなってしまいますが、石膏像は360度どの角度から見ても存在しています。本作での登場人物の造型は他の小説と比べた時にそれぐらいの差があると思いました。ここ最近読んだ小説の中では、これほどまでに登場人物に厚みのある作品を思い浮かべることはちょっと出来ないですね(さらに遡れば、東野圭吾の「白夜行」や福井晴敏の「終戦のローレライ」なんかを挙げることは出来るかもしれませんが。いやでも、それらよりもさらに登場人物の造型は深いと思いますね)。
ストーリーは、あるようなないような、という感じです。何か一本レールがあってその上を走っているというような作品ではありません。車で道路を走っていて、特に行き先を決めることなく、時々気まぐれに道を曲がってみたりするような、そんなイメージの作品です。しかし、特にこれと言ったストーリーのないまま、よくこれだけ長い話を書けるものだな、と思います。ちょっと尋常ではないですね。
とにかく、どう言っていいのか言葉にするのが非常に難しいんだけど、とにかくとっても面白い作品でした。読むのに無茶苦茶時間が掛かりましたが(ほとんど丸々一週間これを読んでいたようなものです)、それは内容がつまらなかったからということではありません(というかつまらなければ早々に諦めていたでしょう)。文章が読みにくいとかそういうわけでは全然ないんですけど、どうもスラスラ読めるタイプの小説ではなくて、かなりてこずりました。でも、読んでいる時はとにかく楽しかったし感心もしたしすごいなって何度も思いました。登場人物たちがどうなっていくのかすごく気になる小説ですね。もの凄く長い年月の出来事を、登場人物たちの成長や心の動きなんかをもちろんきちんと捉えながら、重厚かつ繊細に描いている作品だと思います。僕は、ジョン・アーヴィングのデビュー作である「熊を放つ」はどうしてもダメだったんだけど、本作はとにかく素晴らしいと思いました。かなり長いのでなかなか挑戦するのは大変かもしれないけど、是非読んでみて欲しい作品です。

ジョン・アーヴィング「未亡人の一年」




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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)