黒夜行

>>2008年04月

ビューティフルマインド(シルヴィア・ナサー)

これは、数学者しか知らない物語だ。そして僕は数学者ではない。じゃあ誰なのかって言うと、まあ分かりやすく神様みたいなもんだと思ってください。要するにこれは、数学者以外には永遠に知られることのなかった、またこれからも永遠に知られることのないだろう事実である。
ある時から地球では深刻な問題が取りざたされていた。いや、その問題は随分と前から議論されてはいたのだ。しかし、誰も自分の問題として真剣に考えていたわけではなかった。楽観的な見方が大勢だったし、まだ遠い先のことだろうと高を括っていたのだ。
石油の問題である。
石油はまさに枯渇の時を迎えている。もちろんどの時代であっても、もうすぐ石油が枯渇すると言っては人々の不安を煽っていたものであるが、しかし、今回は本当にまずい事態であると多くの人々が認識している。既に石油の産出量は減少傾向にあり、そのために値段も上がってきているのだった。
石油に代わるエネルギー資源を見つけなくてはいけない。これは、世界各国が総力を挙げて取り組むべき問題であった。しかし自国の利益を守ろうとする動きがやはり強かったことと、そして何よりも有益な資源がなかなか見つからなかったこともあって、地球規模でのエネルギーの枯渇という問題が、いまや無視できないほど大きな問題になっていたのである。
一方で、この問題に対する解決を持っていた存在がいた。それが、数学者である。数学者は、もう大分以前から、ある特殊な方法によってエネルギーを生み出すことが出来るということを知っていた。大昔にある異端の数学者が生み出した理論によってそれは広く数学者の間に知られるようになり、またそれが正しい理論であることも証明されることになったのだが、しかし同時に、その理論の二律背反性に囚われてしまい、結局未だに公に公表するに至っていないのである。
毎年サンクトペテルブルグで、数学者による会議が開かれる。これは博士号を持つすべての数学者が召集される、いまや数学の会議において最も規模の大きなものになっている。ここでは、数学の話ではなく、このエネルギー問題が話し合われる。そして毎年、自分達が知っている理論を公表するか否かの判断を下すのだった。
この会議はもう100年以上も続いている。つまりそれは、100年以上ずっと公表が見送られている、ということである。数学者は皆、エネルギー問題を解決する手段として最も有効である、ということを自覚している。しかしその一方で、これだけは譲れない、と考えてもいるのだ。
その理論は、あの有名な方程式「E=mc2」と関連付けて、
『数字とエネルギーの等価性』
と呼ばれている。これが、数学者が頑なに守り続けている秘密である。
アインシュタインは、質量とエネルギーは同一のものである、と看破した。即ち、質量を持つものはすべてその質量に対応したエネルギーを持つ、というものである。
数字とエネルギーの等価性も同じような説明がなされる。なんと、数字という抽象的な存在が、その数字に応じたエネルギー量を持つ、というのである。
その理論によれば、世の中に存在する『数字の総量』というのは決まっている。『数字の総量』は、文字や音声の形で現れるものから、人間の思考の中に現れるものまですべて含めた総量としてカウントされる。
そして驚くべきことに、抽象的な存在であるはずの『数字』を、ある特殊なやり方で処理をすると、そこからエネルギーが生み出されることが分かったのである。それは、質量から生み出されるエネルギーほどではないにせよ、ある程度まとまった形でエネルギーを提供することが可能な量だと算出されている。
しかし、一つ問題がある。その問題こそが、数学者をしてこの理論の公表を立ち止まらせるものなのである。
それはつまり、『数字の総量』が決まっているということに由来する。即ち、『数字』からエネルギーを生み出し続けると、やがて『数字』が枯渇してしまうことを意味する。それは、数字を書いたり発音したりすることが出来なくなるだけではなく、数字を思考することそのものが出来なくなってしまうのである。
数学者はまさにこの点を恐れた。確かに現状でのエネルギー問題は解決されなければいけないだろう。しかし、そのために『数字』を生け贄に捧げることは本当に出来るだろうか。もしこの理論により地球が救われたとしても、そのせいで我々が数学を思考することが出来なくなってしまっては意味がないのではないか。
「よって今年も、本理論の公表は見送ることにします」
今年も数学者はそう結論を出した。
そしてその半年後。地球はエネルギー資源を使い果たし、そのまま緩やかに絶滅した。

一銃「数学者の秘密」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、ジョン・フォーブス・ナッシュという、数奇の運命に翻弄されたとある天才数学者の生涯を描いたノンフィクションです。
ナッシュは若い頃から自信家で独善的でかつ孤独を好み、また奇行を繰り返すことで有名であったが、その頭脳は素晴らしいものがあった。数学を少しずつ進展させていくことには興味がなく、誰もが尻込みするような難問を相手にしてはそれを乗り越えることを得意とした。今日では様々な理論に彼の名前が残っており、ゲーム理論や純粋数学の分野で多大な貢献をした。
しかし、運命は彼を翻弄する。彼は突然、精神の病に冒されるのだ。宇宙から自分にしか解読することが出来ないメッセージを受け取っているというような妄想に取り付かれ、とりとめのない思考の渦に囚われ、自分が何をしているのか分からないまま行動した。それまでも決して輝かしいとは言えない歩みであったが、しかしそれ以降30年以上も病に悩まされ、「プリンストンの幽霊」としか呼ばれなくなってしまう。しかし、生涯快復することはないだろうと思われていた症状が好転し、また過去の業績によりノーベル賞を受賞するなど、奇跡の復活を遂げる…。
というような人生です。映画にもなったようです。
僕は結構数学者のノンフィクションなんかも読んでるんですけど、ナッシュという数学者については全然知りませんでしたね。しかしこのナッシュというのは、数学・経済の分野ではもはや知らぬもののない数学者なんだそうです。しかしそういう人々であっても、ナッシュという人そのものについてはほとんど詳しいことを知らないのが実情なんだそうです。ナッシュが病に冒されている時、既にナッシュは死んだのだろうと思っていた数学者もたくさんいたんだそうです。まさに波乱万丈としかいいようのない人生で、とにかくあらゆる場面で無茶苦茶な男ですが、しかしその数学の才能は並ぶもののないほどだったようで、多くの人から尊敬されていたようです。
本作でもナッシュが手掛けた業績について少し触れているんですけど、でも難しすぎてよく分かりません。しかし、ナッシュのしたことについて、他の数学者が賞賛している文章を読むと、この数学者はホントにすごいんだろうな、と思います。
以前、ガロアという群論という新しい数学の分野を切り拓いた数学者の話を読んだことがあります。ガロアは、五次方程式の解の公式が存在するか否かという命題から、それとはまったく異なる群論という分野を生み出した天才でした。その本の中で、アインシュタインは確かに天才だったが、しかし相対性理論はアインシュタインでなくてもいずれ誰かが気づいて理論にしたことだろう。しかしこの群論は、誰にでも辿り着けるようなものではない。その独創性は素晴らしいものがある、みたいなことが書かれていました。
僕はナッシュという数学者の業績を読んで、ガロアに近いのかなと思ったりしました。他の数学者はナッシュの仕事を、「ありえない発想だ」といいます。とにかく、普通に考えていたら到底思いつくはずのない、独創性に満ち溢れたものだったそうです。常に人とは違うことをしていたいと思っていたナッシュならではのやり方でした。とにかく、まず結論を直観するんだそうです。で後から、その直観した結論に向けて証明を進めていくというやり方で、またその証明の途中で新たな手法を開発したりという感じだったそうです。
しかし、そんな輝かしい業績の一方で、ナッシュは敵の多い数学者でもありました。とにかく奇行が目立ち、横暴な言動に彩られた男で、常に周囲の人間をイライラさせていました。そのせいで、望んでいた大学から招かれなかったり、与えられるべき待遇や栄誉を与えられなかったりと、かなり不遇の時を送っていました。とにかく、まさに天才らしい奇人だったようです。
本作は大きく分けて二つのパートで出来ていて、数学者として活躍する前半部と、病気が表面化してから復活するまでの後半部です。僕は正直、後半部はちょっと退屈だなと思いました。これは僕の好みの問題なんですけど、こういう数学者なんかのノンフィクションを読む時、僕はやっぱり数学的な話を読みたいと思うわけです。だから前半の、ナッシュが数学者としていかに過ごしていたのかという部分は面白かったです。でも後半びょうきがを発症してからは、周りの人間がいかに献身的に行動したかだとか、ナッシュがどんな奇妙な振る舞いをしたかだとか、ナッシュを取り巻く環境がどう変化したかという話がメインになって、もちろんナッシュという数学者を描くという点ではその構成に間違いはないんですけど、僕個人の意見としてはちょっと退屈だったなという感じでした。
ただ、最後の最後まで、ナッシュというのは敵も多かったけど味方も多かったんだな、と思わせるエピソードが多かったです。これだけ特異なキャラクターだと、とことん好きになるかとことん嫌いになるかのどっちかしかないんだろうな、と思いました。
作品全体としては、ナッシュというあまり知られていない数学者に光を当て、その生涯を描き出したという点で非常にいいと思いました。ナッシュだけではなく、ナッシュを取り巻く様々な人々について描かれていて、なかなか深いと思います。数学的な話はあんまり出てこないので、数学が苦手という人でも十分読める本だと思います。読んでみてください。

シルヴィア・ナサー「ビューティフルマインド」



スポンサーサイト

讃岐うどん旅行記

僕は基本的にこのブログには、本の感想以外のことは書かないことに決めています。ただ、今回だけは例外中の例外、僕にとってはなかなかスペシャルなことだってので、敢えてこのブログにも書こうと思います。

先週の土曜から月曜に掛けて、香川県に讃岐うどんを食べに行ってきました。
とにかく僕は、うどんさえあれば生きていける超うどん人でして、ならば讃岐のうどんを食わないわけにはいかないだろう、と思っていたわけです。ずっと行きたいと思っていたわけですけど、いろいろあって一週間前に急遽行くことが決まりまして、慌しく香川まで行ってきました。

土曜日、バイトを18時で上がって、そのまま電車に乗る。19時の新幹線に乗って岡山を経ていざ高松へ。新幹線の車内で、持参した「さぬきうどんバイブル」(ってタイトルの本じゃないですけど)を片手に、どういうルートで回ろうか考える。何せ讃岐には、東京にあるマクドナルドと同じ数のうどん屋があるらしく、それを回ろうというのだから戦略が必要です。
23時頃高松に着き、香川に住んでいる後輩と落ち合う。この後輩の家に泊めてもらうことになっているのだ。感謝である。
というわけで早速うどん屋へ。うどん屋は大抵夕方ぐらいで閉まってしまうのだけど、高松市内には夜間やっている店が僕が調べた限り2軒ある。その内の一軒、「鶴丸」に行く。

「鶴丸」は、夜の繁華街というか、お水系の店が建ち並ぶ一角にあって、店内もそういう感じの人がたくさんおりました。ここはカレーうどんがうまいらしく、それを注文。さすが讃岐。とにかくうまい。まずは腹ごしらえが済んで満足。650円。これはちょっと高め。ちなみに、これから書くうどんの値段は全部「小」です。

その後後輩宅に行くのだが、そこで行こうと思っていた「谷川米穀店」という超人気うどん屋が日曜休みであることを知る。僕が持っている本だと定休日は別の日だったはずだからルートに組み入れていたのだけど、残念。そこで後輩の持っている知識と突合せながら、ルートを再度組みなおす。

そして翌日。まずは超人気店である「なかむら」に行く。8時に出て、後輩の運転で(今回の旅行ではこの後輩に多大に恩恵を被りました。多謝)「なかむら」を目指す。近づくにつれ、道が無茶苦茶細くなる。対向車が来たら絶対擦れ違えない。
でうどん屋を探すがそれらしきものはなさげ。と思っていたら、車がじゃんじゃん入っていくところがある。うどん屋なのかどうか定かではないけど、たぶんここだろうと思ってそこに入る。
す・る・と!「なかむら」は朝9時からで、僕らは9時に着いたのだけど、既に100人ぐらいの行列。ありえん。GWの頭だったということもあるだろうけど、それにしても尋常ではない行列である。近くに停まっている車を見ても、名古屋や広島など、とにかく他県のものが多い。恐るべし、「なかむら」。

1時間ほど並んでようやくありつける。ここでは「釜玉うどん」を食べる。釜玉はちょっと時間が掛かるので、どんぶりに卵を溶いて待つ。おばちゃんが鍋からうどんを入れてくれて完成。あとはねぎとかを自分で入れて、しょうゆを足らしてオッケー。

これを外で食べるんだけど、これがもううまいのだ。1時間並んだっていうのもプラスされていたと思うけど、これは素晴らしかった。麺がもう全然違うのだ。さすが超人気店「なかむら」。思わずお土産用のうどんを買ってしまったがな。300円。安い。

さて次は「松岡」を目指す。その途中、「おか泉」という有名なところの近くを通った気がしたのだけど、この店はルートから外れるということで昨日外したところなのだ。あんなに近くにあったのか?なら行けばよかったかなぁ。しかし、まあ何にしても行かなくて正解だったかもしれん。その理由は最後に分かる。

で松岡である。これも見た目うどん屋には見えない。看板も小さいし、探していなければまず見つからないだろう。ここでは普通のかけうどんを食べる。ここは特別何かあるわけでもなかったけど、でもうまい。さすが「宮武」の流れを汲む店である。「宮武」については後で出てきます。

次に「山下」へと向かう。山下はなかなか広くて分かりやすい。お客さんもたくさんいた。この時点で11時前ぐらいだったかな。既に3軒目。一緒に行った友人はもう結構お腹が限界に来ているっぽい。

「山下」はぶっかけうどんが有名だ。ぶっかけうどんというのは説明しづらいけど、要はつゆが少ないうどんだと思えばいい。ここの麺はとにかくコシが強くてすごかった。讃岐のうどんはどこもコシが強いのだけど、回った中でも一番コシが強かったと思う。満足。友人はやはり食べられなかったらしく、残りを僕が食べる。250円。安い。思わずお土産用のうどんを買ってしまう。

さてそして次に「宮武」を目指す。ここも超人気店で、行列必至の店だ。という情報はもちろん知っていた。けどまだ11時過ぎ。なんとかなるだろうと思っていたけど、甘かった。
「本日終了」
なんと「宮武」、開店から3時間でもう麺がなくなってしまったのだ!すごい。すごすぎる!というわけで残念ながら「宮武」食べれず。

そして次に、「長田in香の香」を目指す。ここは「長田」という店から独立したところで、両者はかなり味が似ているのだけど(「長田」にも後で行く)、人によって好みが分かれるのだそうだ。

「長田in香の香」は釜揚げがうまいということでそれを頼む。ここは麺もそうだけど、だしが絶妙だったと思う。温かいのと冷たいのとで両方食べられる。食器を回収に来るおっちゃんがなかなかいいキャラだった。ここでも友人は食べきれず、残りを僕が食べる。250円。

さて次に「長田」を目指すのだけど、その途中に、香川で有名な神社「こんぴらさん」があった。友人の腹も限界なことだし、ここはいっちょ行ってみようか、ということになる。
しかしこのこんぴらさん、舐めたらいかんのだった。とにかくひたすら階段を昇り続けるのだけど(その両側にうどん屋とかみやげ物やだとかいろいろ並んでいて、ところどころ神社がある)、奥社と呼ばれる一番高いところまで上ると、なんと1368段もあるのだ!僕らは、どうせなら最後まで昇ろうと思って奥社まで行ったが、正直これはかなり辛かった。いい運動になったけど。
黄色い幸運のお守りを買い、さぬきうどんTシャツを買い、しょうゆソフトを食べ、桜アイスを食べ、まあこのこんぴらさんで結構まったり時間を過ごしたのでありました。景色もよかったですよ。

で、気を取り直して「長田」へ。ここもやはり釜揚げがうまい店なんだけど、すごいのがたらいみたいな入れ物にうどんがわさわさ入ったファミリー用の特大サイズがあったことだ。なんかそうめんみたいだった。どこもそうだけど、相変わらず繁盛している。僕には正直、「長田in香の香」との違いは分からなかった。両方うまかった。250円。

さてそろそろお腹も一杯になりつつあるけど、まだまだ食べるよ。ということで、「長田」のすぐ近くにある「小縣屋」に行く。ここは、とにかく話のネタのために行ったようなものだ。もちろんうどんは美味しかったんだけど。
ここは、しょうゆうどんを頼むと、丸々一本大根をくれるのだ。おろしがねも渡されて、うどんが来るまで大根をすりおろしながら待つ。夏の大根は辛いらしいけど、春だったからちょうどいいかんじだった。ゆずとかゴマとかを入れて食べる。うまい。やっぱうどんはいくらでも食えるなぁ。420円。

さてそれから「やまうち」を目指す。ここも超人気店であるが、後輩がまあ普段なら夕方ぐらいでも食べれますよ、と行っていたのでまだ行けるだろうと思っていたのだった。
しかし「やまうち」も麺がなくなり終了。残念である。これで超人気店と呼ばれる店は「なかむら」しか行けなかった。「宮武」「やまうち」の他に、日曜定休の「山越」と「谷川米穀店」、そして今回はちょっと外した「がもう」。この辺りは次の機会があれば是非行ってみたいものである。

というわけで、ここから「池上」を目指す。しかし、かなり時間がヤバイ。「池上」は午前と午後の二部制の店なのだけど、午後は16時から17時までしかやってないのだ。現在時刻は16時半に近い。さて間に合うか?

なんとか「池上」に到着。最後尾に並ぶと店の人が、「麺がギリギリだけど、三人で1玉でいい?」と言ってくる。まあしょうがない。ギリギリ間に合っただけでもよしとしよう。でもそれから、「いや何とか三人分いけるわ」ってことになってめでたく食べられることになった。
ここはルミばあちゃんが有名で、今現役でうどんを打っているのかどうか知らないけど、昔は(前は現在の場所とは違うところでやっていたらしい。そのロケーションがまた凄まじいところだったようで、その昔の「池上」に行ってみたかったなぁと思う)一人で切り盛りしていたらしい。現在では、お土産用のうどんの前で、一人でいろいろ喋ってた。元気なおばあちゃんである。あのルミばあちゃんを見るだけでも行く価値はある。
ここはでは冷やしを食べる。卵としょうゆだけで食べる超シンプルなうどんである。これがまたうまい。ギリギリ間に合った嬉しさもあって、味は格別である。お腹もかなり満足し、この日のうどん屋めぐりは終了。200円。

結局一日で9軒回り、7食食べたことになる。さすがに苦しかったけど、でももっと食べたかったとも思う。特に「やまうち」は惜しまれる。

夜は、香川に住んでいる知人と飯を食ったりしながら過ごす。

で最終日の月曜朝。朝飯をどうするかという話をしていて、結局うどんになる。素晴らしい。

後輩宅の近くには有名なうどん屋が3軒もあるのだ。素晴らしいではないか。

まず「さか枝」に行く。ここはお昼時になると市の職員が行列を作るという。僕らが行った時も、朝10時ぐらいだったけど、かなりお客さんがいた。
ここで僕は初めての経験をすることになる。それが、「自分で麺をゆがく」というやつである。実は「なかむら」でもそれは出来たのだけど、釜玉を注文したためにそれは出来なかったのだ。レジでうどんを渡され、それを網みたいなのに入れて自分でお湯に通す。これをやってみたかったんだよなぁ、嬉しいなぁ、と思いながらうどんの水気を切る。
まあもう言うまでもないけど、ここもべらぼうにうまい。しかも、無茶苦茶安い。小が160円で、しかも結構量がある。てんぷらを一つつけても240円である。破格である。

さてそれから、「竹清」を通り過ぎながら「松下」へと向かう。「竹清」は人気店なのだが、11時オープンだったので外したのだ。「竹清」は、10時半ぐらいに通り過ぎた時、既に行列が出来ていた。

「松下」は、これまで行った中でもセルフ度がトップクラスに高い店だった。店の人は麺を渡してくれるだけで、あとは全部自分でやる。麺をゆがく、つゆを入れる、そしてつゆを捨てお皿をポリバケツみたいなところに入れるところまで全部自分でやるのだ。高松市内にこんなセルフ度の高い店があるとは、さすが香川は広い。もちろんいうまでもないけど、ここもうまかった。180円。

というわけで、これが僕の香川うどん食べ歩き旅行のすべてである。それから、12時ぐらいの電車に乗って高松を出て、16時半ぐらいにこっちに戻ってきて、そのままバイトに行くというなかなかの強行軍であった。どうせなら月曜日を休みにして、祝日の今日は元々休みだったから、今日ぐらいまで向こうにいればよかったなぁ、と思ったのだけど、まあいいやと思った。とにかく満足であった。

一番初めの「鶴丸」から最後の「松下」まで、計10軒。掛かった金額は3030円という安さだ。一軒当たり平均で300円。それで、どこも無茶苦茶うまいのだ。香川恐るべし。マジ香川に永住はアリだな、と思ったわたくしでした。

香川のうどんと東京のうどんの何が違うのかと言えば、やっぱり麺のコシだ。例えるなら、東京のうどんが粘土で作ったうどんだとするなら、香川のうどんはゴムで作ったうどんである。全然美味しそうな例えじゃなくて申し訳ないが、コシだけの話をすればそうなる。このコシがとにかく絶妙で、素晴らしい。うまい。ブラボー。ファンタスティックである。

行って来たばかりだけど、また行きたくなってきた。まあ一人で行くのもありだけど、車の運転に自信がないからなぁ。そこが難点である。しかし、1日7軒うどん屋を回ってもいいよ、という超うどん人を探すのもまた大変である。バイト先に一人いるんだけど、人妻なんですよね。さすがに人妻と旅行は無理でしょう。とりあえずその人妻には「なかむら」のお土産用のうどんをあげときました。

香川がもう少し近ければいいんだけど。鈍行で3時間ぐらいのとこなら、月1ぐらいで行くんだけどな。うまくいかないものである。しかしまあ何にせよ、初香川上陸はもう素晴らしい体験で、僕が今まで行ったすべての旅行よりも最高の旅行でした。だって、僕は普段旅行とか行っても、周りの人間が行こうっていうところにただホイホイついていくだけなんですけど、今回は人生で初めて、自分からここに行こうあそこに行こうって言って友人を振り回しましたからね。超積極性を見せた旅でした。インドに行くよりも僕の人生観は変わったでしょう…というのはたぶん大げさですけど、それぐらい素晴らしい旅でした。

そういえば今日の昼ごはんもうどんを食べました。香川であった知人がお土産だと言ってくれたうどんで、先ほども話に出した「おか泉」のお土産用のうどんでした。もうですね、やっぱりうまいですね。香川って何が凄いって、コンビニで名店のうどんが売ってるんですよね。観光客のお土産用なんだろうけど、さすがだなと思いました。

そういえば香川に住む後輩が、「加ト吉の冷凍うどんは香川の人間も食べる」みたいな話をしていました。僕は寡聞にして「加ト吉の冷凍うどん」を知らないし食べたこともないわけなんですけど、これは香川人も認める美味しいうどんなんだそうです。というわけで、美味しいうどんを食べたい人は、「加ト吉の冷凍うどん」を食べましょう。

普通の本の感想よりも長々と文章を書いているような気がします。まあそんなわけでですね、香川は最高だっていうことなんですよね。また行きたいなぁ。

夢をかなえるゾウ(水野敬也)

「おーい、こっちでまた生まれたぞ」
「分かった、今行く」
「あっ、マサ!先こっち頼む。沈みそうだわ」
「了解っす。パンケル持ってけばいいですか?」
「あぁ、あとノムテンな。こいつ、結構ヤバイねん」
「ノムテン要りますか。結構限界っすね」
「まあでも、出来る限りのことはしたろ」
「それが僕らの役目ですからね」
僕は、『夢育』で働いている。真っ白な壁で覆われた広い空間にいると、距離感が掴めなくなってくる。最近は慣れてきたけど、入りたての頃は大変だった。よく夢を踏み潰しちゃって怒られたっけ。それが今では逆の立場になったんだから、早いものだと思う。
「あぁ、やっぱ無理かな」
「寿命はありますもんね」
「このまま無理に長生きさせるよりもさ、いっそ消滅さしせちゃった方がええか」
「まあこの状態じゃそうでしょうね。このままだと新しい夢も生まれにくくなっちゃいますし」
「じゃあこれはロクソンで頼む」
「分かりました」
ここ夢育は、人間の言葉で言うと天上の世界に存在する。ただ天使なのかというとそれは違うような気がするし、神様だともっと違う。僕らはただ単に夢のベビーシッターなだけであって、決定権も運命を動かす力も何一つ持ち合わせていない。
「さっき生まれたやつはどうした」
「やべっ。忘れてました。まだニョルードにそのままです」
「バカヤロウ!あれだけほったらかしにするなっていつも言ってるだろ!」
「すいません。すぐ行ってきます!」
ここ夢育は、下界に住む人間の夢が生まれる場所だ。下界の人間が、「あれをしたいな」「こんな風になりたいな」と思うと、それがここ夢育で、卵の形になって生まれてくる。それを大事に育てるのが、僕らの仕事だ。
夢の卵は、ニョルードと呼ばれる泉のような場所から湧き出てくる。下界に住むすべての人間の夢を扱うわけだからその数は膨大なものになるが、きちんと担当が分かれていて、僕はその中でも、日本という国の一部を担当している。
「それにしてもここんとこちょっと多いですね」
ちょっと前に夢育人としてやってきたタケだ。おっちょこちょいだが、真面目に仕事をしようとする姿勢が評判がいい。
「そりゃあ、下界は四月だからなぁ」
「四月、ですか」
「四月ってのは、俺らで言うナバトフみたいなもんや。つまり、新学期やな。お前も経験あるやろ。新しい一年が始まる頃になるとさ、いろいろやってみたいこととかこうなりたい自分みたいななんが増えるやろ」
「なるほどそうっすね」
「あと多くなるのは、下界の七月と正月だな」
「何でですか?」
「七月はな、七夕ってイベントがあるんだな。要するに願い事をすると叶うよ、っていう日が設定されてるわけだ。その日になると、もんのすごい数の夢が生まれるわな」
「願い事をする日が決まってるなんておかしいですね」
「で正月ってのはだ、まあこれから一年無事でありますようにみたいなことを神様にお願いするんやな。そういうのもボコボコ生まれてくるわ」
「大変そうですね、その時期は」
「まあでも大変なんは数だけで、大したことはないわな。泡みたいなもんでな、一個一個の夢が小っちゃいからな。まあ叶っても叶わんでもええような夢ばっかちゅうこっちゃな」
「そういうのはちゃんと育てるんですか」
「アホ。そんなんしてたらいくら人手があっても足らんわ。まあほったらかしやな」
夢育人として仕事をしていると、他人の夢を見ることが出来て面白い。長いこと夢育人の仕事をしているけれども、中にはすごいものもいくつかあった。例えば、「天下統一したい」なんてのがあった。初めそれを見た時、そら無理やろ、と思ったものだけど、なんとそいつはかなり近いところまで夢を叶えてしまった。織田信長とか言うやつやったかな。
また、これは自分で担当したわけじゃないんだが、「世界を変えたい」なんていう夢があった。これもまたすごいもんだと思ったもんだが、何とそいつは夢を実現してしまいやがった。アインシュタインとか言ったかな。何かどえらい物理理論をひっさげて、世界を丸ごとひっくり返したらしい。
夢育人は、生まれ出てくる夢自体に何の決定権も持っていない。僕らに出来ることは、その夢が死んでしまわないように育てることだけだ。生まれたばかりの赤ちゃんを病院で育てるのと同じようなものだと考えてもらえばいいと思う。赤ちゃんの生死を病院が握っているわけではない。病院は、赤ちゃんがなるべくしなないように手助けするだけに過ぎない。
ただ、時折歯がゆくなることがある。人間の夢には大きなものから小さなものまで様々だ。「お腹一杯ご飯を食べたいです」なんていう夢があると、絶対この夢死なせないぞ、と思ったりするのだけど、そういう夢の方が生きる力が弱くて、すぐに死んでしまったりする。そういう時、夢育人として無力感を感じることになる。こんなささやかで慎ましい夢も守ってあげられないなんて、自分達はいる価値あるんだろうか、と思ったりもする。それでも、多くの人の夢を守ってあげようと、僕らは日々奮闘するのだ。会ったことも、これから会うこともないだろう人間たちのために。
「どうして僕ら、人間の夢なんか守ってあげてるんでしょうね」
夢育人の仕事に憧れを持って入ってきた新人が、しばらく経つと必ずこの質問を口にする。僕も、実はそうだった。初めは、夢育人は誰かの夢を叶えられるんだ、そういう使命を持った存在なんだという、崇高な使命を帯びているかのようなやる気に満ち溢れるのだけど、しばらく経つと、人間達のありきたりで変わり映えのしない夢を見るのに飽きてきて、また自分達に夢を叶える力がないということを知り、だんだんと無力感に陥っていくのだ。
そんな時、僕が掛ける言葉がある。いや、僕だけではない。他の多くの先達がこう言って後進を育てて来たのだ。僕も入ったばかりの頃に言われたことがある。
「じゃあ僕らの夢は、誰が叶えてくれているんだろうね」
僕たち夢育人にも、それぞれに夢がある。その夢は、叶ったり叶わなかったり様々だが、僕たちは夢育人なんて仕事をしているからこそ分かるのだ。僕らの夢だって、きっと誰かが育ててくれているんだ、と。
僕たちは、その僕たちの夢を育ててくれる存在に直接お返しをすることは出来ない。だからこそ、自分達が出来ること、つまり下界の人間達の夢を育てることで、夢育の連鎖を生み出していこうではないか。
他人の夢を育てることは容易いことではない。それでも僕らは日々、生まれ出てはその多くが消えていってしまう夢を育てていく。一生、人間にはその存在を知られないままで。

一銃「夢育人」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、今かなり話題の本だったりします。たぶんテレビで紹介されたんでしょうね。かなり前から読もうかどうしようかと思っていた本なんですけど、読んでみることにしました。
本作をひと言で言うと、小説風自己啓発本、という感じになります。
主人公の僕は、ある日深酒をしてしまいます。その日は、友人に連れられて無理矢理もぐりこんだパーティーがありました。自分のいる世界とはかけ離れた場所で、成功したいと思っているのだけど一向に出来ない僕は落ち込んで深酒をしてしまったわけです。
翌朝起きてみると、部屋の中にゾウがいました。いや、普通のゾウではありません。腕が四本、足が二本あります。口もとにある牙は片方欠けています。しかも宙に浮いています。これは絶対夢だ、と思うわけですけど、夢じゃないわけですね。
そのゾウは、ガネーシャという神様だ、と名乗りました。そして、自分の夢叶える方法教えたるわ、と言ってきたのです。明らかに胡散臭いけど、しかし成功したいと思っている僕は、ガネーシャの課題を日々クリアしていくように頑張るのですが…。
というような話です。
本作はまず小説としての側面がありますが、その点で言えばまあまあという感じです。ガネーシャの無茶苦茶なキャラクターや喋りがかなり面白いですけど、まあ小説として評価するなら並かそれ以下という感じでしょう。
ただ、自己啓発本として捉えると、本作はかなりいい本だなと僕は思いました。
僕は基本的に自己啓発系の本って読まないんですけど、でもなんとなくですけどどんな本なのかは想像がつきます。現状の問題点を指摘したり、あるいは現状に問題点はないんだと看破したり、こうした方がいいよみたいなことが書いてあったりするんだと思います。
たぶん内容的には良いことが書いてあるんだろうし、それを本当に実行したら何かいい影響が出てくるんだろうな、という風には思うのでしょう。
でも、世間一般にある自己啓発本の最大の問題点は(って読んでもいないのにこんなこと書いてみますが)、それを読んでもやろうって気にならない、ということですね。
考えても見てください。自己啓発系の本っていうのは、結構当たり前のことが書いてあるんです。読んだ人も、当たり前のことばっかりだなぁ、と多分思うことでしょう。
でも、その当たり前のことがこれまで出来なかったわけです。そういう人が、自己啓発系の本を読むわけです。であれば、自己啓発系の本の最大の課題は、その本を読んだらやろうって言う気にさせる、ということではないでしょうか。
しかし、世の中にある自己啓発系の本で、そういう作りになっているものは少ないように思います。大抵の場合、こうした方がいいよ、というようなことを並び立てて、先人もこうして成功したんですよみたいなことを書いて、でそれでおしまいですよね。そういう自己啓発系の本を読んで、よしじゃあやるかって思える人はなかなかいないんじゃないかなと僕は思うんです。
そういう意味で、本作は非常に画期的だなと思いました。本作は、読み終わった後、ここに書かれていることをやってみてもいいかな、と思えるような作りになっているな、と思いました。
正直僕は、成功したいと思っているわけでもないし、啓発されたいと思っているわけでもなく、もう人生頑張らないで生きようと決めているので、本作を読んでも書かれていることを実行したりはしないんですけど、でもそんな僕でさえ、読み終わった後ちょっとやってみてもいいかもしれないな、と思ったぐらいです。だから、成功したいと思っているんだけどうまくいかない人なんかは読んでみたらいいと僕は思います。
他の自己啓発系の本と何が違うのかというと、なかなか説明するのは難しいですね。
まあでもやっぱり、小説形式になっている、というのが最大のポイントなんだろうな、と思います。
普通の自己啓発系の本の場合、ベクトルが「本→読者」に向いているなと僕は感じるんです。つまり、本が読者にそのまま語りかけているような、そういうベクトルです。これは自己啓発系の本に限らず、ハウトゥー本と言われているようなものは全般的にそうだと思いますが、でもそれって案外窮屈なんじゃないかな、と思ったりするんですよね。うまく説明できないですけど、ここに書いてあることやれよ、って言われているみたいで窮屈なような気がするんです。
でも本作の場合、小説という形式を取っているので、ベクトルが「ガネーシャ→主人公」という風になっています。で読者はその二人の様子を外側から眺めている、という格好になるわけです。
これはちょっと気が楽だっていう感じがしませんか。例えば現実の状況でも、誰かと面と向かって何か指導されるのと、誰かが指導されているのを傍目から見るのだったらプレッシャーが違いますよね。自己啓発系の本を読もうなんていう人は、こう言ってはなんですけど、そもそもそんなに意思が強くないはずなんです(意思が強かったら既に成功しているはずですからね)。そういう人が、面と向かっての指導に耐えられるかっていうとなかなか疑問だと僕は思います。でも本作は、ガネーシャの課題を主人公がまずやってくれるわけで、なんか気が楽なんだと思います。
それに小説形式にしたことで、その課題をやるとどうなるのか、ということが具体的に示されることになりますね。つまり、課題をクリアしていくことでどうなっていくのか、という成長の過程を追っていくことが出来るようになるわけです。これも僕は面白い趣向だなと思いました。
内容にも少し触れましょう。本作で書かれていることで、僕がなかなかいいなぁと思ったことをかいつまんで書いてみます。
まず、「何かを止めてみよう」という課題の話です。主人公は、テレビを見ることを止めることにして、ガネーシャにそう伝えます。でもガネーシャは、それじゃいかんのだ、というわけです。
「人間は意識は変えられんのや」
何で人間が意識を変えようとするのかと言えば、それが楽だからである。自分が、意識が変わった、と思うだけでいいので、これほど楽なことはないわけです。ただ意識が変わったと思うのはただの幻想で、それは逃げでしかない。じゃあどうすればいいのかと言えば、具体的な何かをしなくてはいけないのだ。
テレビを見ないようにする、ための具体的なことというのは、テレビのコンセントを抜くことである。これで、見ようと思っても少しは立ち止まるかもしれない。こうして、意識を変えるのではなく、具体的な行動によって変化を与えていかないといかんよ、という話。
次は、自分が何が得意なのかを知るのはどうしたらいいか、という話。自分が得意なことは、案外人が知っているかもしれないから人に聞いてみたらいい、ということなんだけど、ガネーシャは、自分の欠点も人に聞いてみたらいい、というわけです。自分の欠点も、状況によっては長所になるかもしれない。だから自分のことについて、長所も欠点も含めて周りの人間に聞いて見なさい、という話。
次は、どんなことがあっても、「運がいい」と口に出して言う、という課題の話。松下幸之助が残したこんな言葉を引用している。
「すべての責任は自分にある」
例えばはじめて山登りをする二人が、突然雨に降られたとする。その内の一人は、「天気予報では晴れだっていってたのに、運が悪い」と考える。でももう一人は、「なるほど、山の天気は変わりやすいから準備が必要なのだな。こんなことが学べるなんて運がいい」と考える。同じ状況にいるのに、「運がいい」と発想をすることで何でも前向きに考えられる、という話。
次に、身近にいる人を喜ばせる、という課題。例えば仕事をしている時、出来ない人間を叱るのに時間を使って、うまく出来た人間を褒めるのを疎かにしたりしている。でも本当は逆で、自分にとって大事な人にこそ時間を割くべきである、という話。
次は、やりたいことが見つからないと主人公が嘆くところ。ガネーシャは、「やりたいことを頭で考えている内は、やりたいことなんか見つからんよ」と言います。とにかくやりたいことを見つけるにはやってみるしかない。頭で考えていても仕方ない。でも、そんなこと言われても範囲が広すぎて困るから、「やらずに後悔している」ことを思い出してみよう、という話です。やらずに後悔していることがあったら、それを今日やる。今日やらなかったら、絶対一生やらない。そうやってやりたいことを見つけるんだ、という話。
次は、楽しいことを仕事にせなあかん、という話。ブランドで仕事を選ぶと不幸になる。とにかく、楽しく出来る仕事を選ばないとダメだ、という話。
そして最後に、夢を語る話。夢を持つことはいいし、それを人に話すのももちろんいい。けど、主人公は先輩とかに夢を聞かされるとうんざりするんだけど、とガネーシャに言う。するとガネーシャは、それはその先輩の夢がサービスになってなかったからだ、というのだ。
夢を語るのは大いに結構。でもその夢を実現すると、あなたにもいいことがあるんですよ、という話し方をしなくてはいけない。そうすれば、周りの人も自分の夢を応援してくれるようになる。そうやって夢を語りなさい、という話。
まあここに書いたものだけでもかなり当たり前のことばっかりだし、本作を読むともっと当たり前のことがたくさん載ってるんだけど、それでも実行し続けるのは結構難しいことばっかりだと思う。でも本作を読むと、不思議にやってもいいかなという感じになるんじゃないかなと僕は思います。
一風変わった自己啓発本で、普段そういう本を読まない人でも手に取ってみたら結構面白いかもしれません。ガネーシャのキャラクターが面白いので、スラスラ読めてしまうと思います。たぶん書店で大きく展開しているところが多いんじゃないかなと思うので、書店に立ち寄った時にはちょっと読んでみてください。

水野敬也「夢をかなえるゾウ」



巨匠の傑作パズルベスト100(伴田良輔)

「クイズでもやろか」
「クイズ?頭使うの苦手やで」
「まあまあ、そう言わんと。パズルの本買ってん」
「まあええわ。第1問」
「『車の中をのぞいたら何があるでしょうか?』だって」
「いやいやちょっと待ちぃな。車覗いたらあかんがな」
「そうやなぁ。もしかしたらいやらしいことしとるかもしらんしなぁ」
「うわぁ、そんなん考える自分がやらしいわ」
「猫とかがな」
「猫かいな!」
「こないだ見た車は、あれやったなぁ、中に風呂があってん」
「んなアホな!」
「ウソちゃうで。あれなんやってんやろな。車の後ろ開けたらとこに浴槽があってな、移動銭湯でもやってるんやろか」
「移動銭湯か。それちょっとおもろいアイデアやな。ちょっと離れてたりすると、銭湯行くのめんどくさいしな。それちょっとやってみようや」
「俺らでか?移動銭湯を?でも女風呂はどうすんねん」
「あぁ、そうか。俺ら二人じゃ対応出来んわな。んじゃまあ諦めるか」
「早っ!」
「ってことはあれか、車ん中覗いたら風呂があるってのが答えか」
「んなわけないやろ!」
「でも答え分からんやん」
「真剣に考えてないような気もするけどな。まあええわ。答えは、『三』やて」
「は?三?どうゆうことやねん」
「だからな、『車』って漢字思い浮かべてみ。でそこからな、『中』って漢字を『除く』ねん。そんだら、『三』が残るやろ」
「なるほどなぁ。『覗く』やなしに『除く』ちゅうことやってんか。そらわからんわ」
「ほんなら次行くで。『目の前に二人の少年がいました』
「少年な。少年じゃなきゃあかんのかいな」
「知らんがな。とりあえず問題聞きぃな。『その少年二人は顔がそっくりで、双子にしか見えませんでした』」
「ザ・たっちみたいなもんやな」
「『そこで彼らに、君たちは双子なの?、と聞いてみたのだけど、違います、と言われてしまいました』」
「なんでやねん」
「それを考えんねん。『さてどういうことでしょう』」
「まあこら答えは一つしかないやろ」
「何やねん」
「クローンやで」
「クローン人間?んなわけないやろ。クローン人間は遺伝子が同じ生物を生み出せるってだけで、年齢まで同じになるわけじゃないしな」
「まあそうか。じゃあれちゃう?マネキンやったんちゃうん?ほら最近あるやん、人間と喋る人型ロボットみたいなん。あんなんがいたんちゃうんか」
「いやこういうのはどうよ。実はその少年は人間じゃなくて蛙だったとかね」
「それでどないになんねん」
「まあ細かいことは気にしなさんな」
「まあ人間より蛙の方がようけ卵産みよるやろしな。そうなると双子どころやないで」
「あぁ、それだわ、きっと」
「どれやねん」
「双子どころじゃないってとこ」
「それがどないしてん」
「だからさ、双子じゃなくて、三つ子とか四つ子とかだったんじゃない」
「おぉ!そうだわ。それ正解だわ」
「おっ、答え合っとるがな。なかなかやりよるな」
「でもさ、やっぱクイズじゃ腹は膨れんぜよ」
「雪山で遭難した時のお供には向かんわな」

一銃「クイズ」

今回は、『パズル』をモチーフにしたショートショートをどうしても思いつけなかったので、こんな感じでお茶を濁してみました。
ちなみにショートショート中のパズルですけど、「車の中~」の方が、昔テレビでやってた「マジカル頭脳パワー」って番組で出てきた問題で、「双子じゃない」って方が、「頭の体操」っていう本に載ってたものでした。共に、僕がその問題を見たのがその媒体でっていうことで、元々の出典は違うかもしれません。
というわけで内容に入ろうと思います。
本作は、サム・ロイドとデュードニーという、二十世紀初頭に同じ時期に活躍したパズル作家の巨頭たちの紹介をしつつも、彼らが生み出した傑作パズルを紹介する、という内容になっています。
僕はクイズだとかパズルだとかが好きで、結構自分で作ったりもしてきました。昔「パズラー」っていうパズル雑誌があって、これは他のパズル雑誌とは一線を画す素晴らしい雑誌だったわけなんですけど(僕が高校三年の時に廃刊になってしまいました。実に残念)、そこに一般の人がパズルを投稿するようなコーナーがありました。そこにオリジナルのパズルを投稿してたりしました。一度だけ採用されて、あと次点みたいな感じで紹介されたことが一度あります。
また、ナンプレってのが結構長いことブームですけど、このナンプレも自分でオリジナルのルールを加えて作ったりしています。
だからまあ結構パズルとかってのは好きなんですけど、でも僕が解けるのは、論理的に詰めていけば最後には答えに辿り着くようなものだけで(ナンプレみたいなやつ)、本作に載っているような発想が要求されるようなパズルはもう全然ダメです。
本作に載ってるようなパズルに僕が触れたのは、「頭の体操」という超有名な本でです。新書サイズで昔かなり出版されていた本で、最近ではその著者が、DSのソフトの「零トン教授がなんとか」みたいなのの監修をしてたりするんですけど、とにかく裏をかいたり前提をひっくり返したり盲点をついたりと、その多彩な問題にいつもやられたと思わされていました。
そんなパズルやクイズの原型を作ったのが、このサム。ロイドとデュードニーの二人なわけです。この二人は、それまで数学者の一部で親しまれていたようなパズルを一般向けにアレンジして、一大パズルブームを生み出しました。今世の中に存在するパズルのルーツを辿ると、そのほとんどすべてがサム・ロイドとデュードニーに行き着く、とさえ言われているくらいです。
サム・ロイドのパズルで有名なのは、「15パズル」と「地球を飛び出せ」です。「15パズル」は結構多くの人がやってことがあるんじゃないかと思うんだけど、4×4の面に1~15までの数字が書かれた縦横にスライドするピースがあって、それを順番通りに並べる、というやつです。「地球を飛び出せ」も、サム・ロイドのオリジナルじゃないにせよたぶん何らかの形で見たことがある人が多いと思うんだけど、二枚の円盤が重なってて、その周囲に13人の人間が描かれてるんだけど、その円盤をちょっと回すと、不思議なことに人が一人消えて12人になってしまう!というやつです。あれは今見ても不思議ですね。理屈を説明されてもイマイチよくわからないし、一人消えてしまうインパクトは薄れないですね。
デュードニーの方は、僕らが知ってるようなメジャーなパズルはないみたいですけど、サム・ロイドよりも数学的な背景をきちんと持っているパズルを作ったそうです。だから、数学の専門家さえも唸らせるような問題や解答を次々に出してきて驚かせたそうです。
それで本作には、サム・ロイドとデュードニーの生み出したパズルがそれぞれ40作ぐらいずつ載っていて、あとは古典的に有名なパズルが20作ぐらい載っています。答えを知ってる問題もチラホラありましたけど、そうでない問題は早々と諦めて答えを見てしまいました。いや、わからんっすよ、あんな問題。マジ難しい。でも僕の好みとしては、サム・ロイドのパズルの方が好きですね。直観的に答えが理解出来るような問題が多いですね。デュードニーの方は数学的な背景があるせいもあるんだろうけど、やっぱちょっと難しいですね。ただデュードニーの方もすごい問題があって、「葉巻のパズル」なんかは見事だと思いましたね。二人の男が同じ葉巻をテーブルの上に重ならないように交互に置いていく。もうテーブルの上に葉巻を載せられない、という状況を作り出した方が勝ちだとすると、この勝負に勝てるのは先攻か後攻か、という問題で、問題を見る限り解けるとは思えないんだけど、答えを見るとなるほどという感じなのです。
まあそんなわけで、パズルが好きだという人にはなかなかいいと思います。頭を柔らかくしたい、という人も是非チャレンジしてみてください。新書サイズだし、持ち歩きにも便利だと思います。

伴田良輔「巨匠の傑作パズルベスト100」



工学部・水柿助教授の解脱(森博嗣)

電車というのはなかなかに限定的な乗り物である。つまり、線路の上しか走ることが出来ないのだ。飛行機だったらどこでも飛べる。船だって、どこでも走れる。車だって、やろうと思えば道路以外の場所でだって走れるだろう。そういえば水陸両用の車が開発されたみたいだし。こうなると、電車というのはいささか(なんて言葉はもう使わないか)不便な乗り物であると言えるだろうか。
しかし、東京に住んでいると電車というのはなくてはならない乗り物である。いや、正直に言えば、なくてもさほど困らないかもしれない。現に高村君だって普段そんなに電車に乗る方ではない。ちなみに高村君というのがこの話の主人公であり語り部である。語り部であるのに一人称でないのは、まあそういうものだと思って下さい。そもそも「語り部」の「部」って何だろう?「語り手」の「手」もいまいちよくわからない。「語り主」だったら分かるけど、そんな言葉はあまり聞かない。「語り草」の「草」も、絶対「草」とは関係ないと思う。というわけで脱線してみました。
そんなわけで高村君、普段は乗らない電車に乗ることにしたのである。一応これがメインテーマである。メインテーマが明確に明示される小説なんて珍しいが、しかしこれは「M$S」シリーズの真似をしているだけである。「M&S」シリーズが何か分からない人は、「水柿君と須摩子さんが日常を送る物語」だと思ってください。ちなみに、「S&M」シリーズというのもあるのだけど、こちらは「犀川と萌絵が非日常を送る物語」だと思っていただければ結構です。
高村君には特に行き先があるわけではない。これは高村君の行動としては珍しくはない。高村君の行動原理は90%近くが「なんとなく」に拠っている。後々誰かに説明を求められても、それを果たすことはまず不可能だろう。これまでにも、何となく地下鉄を掘ってみたことがある…、というのは嘘だけど、何となく埴輪を埋めたことならあるのだ。しかも皇居の敷地内に、である。どうやって中に入ることが出来たのかという疑問には、高村君は答える気がまったくないので悪しからず。
高村君は、ウロボロスの蛇のように東京をぐるりと回るあの路線に乗り込んだのである。ウロボロスの蛇というのは、二匹の蛇が互いに互いの尻尾を飲み込んでいるような図形だけど、あれは最終的にはどうなるのだろう。というようなことを高村君はまったく考えていない。
電車に乗った高村君は、折りたたみの椅子を取り出して座った。高村君は、折りたたみ式のものを持ち歩くという癖があり、折りたたみの傘や携帯電話はもちろんのこと、折りたたみのコップやら折りたたみの炊飯器やら、明らかに外出先で使わないだろうというものまで持っている。高村君は、歩いていない時は座るというモットーがあるので、この折りたたみの椅子は非常に重宝しているのである。
高村君は、この路線がどの駅で停まるのかまったく把握していない。そもそも高村君には目的地はなく、ただなんとなく電車に乗っただけなのである。ということは初めの方でも書いた。じゃあ何故また書いたのかと言われても答えようがありません、と高村君は言っている。
高村君は、外の景色を見るわけでもなく、乗客を観察するでもなく、もちろん俳句を詠んだりすることもなく、ただぼーっと座っていた。周りの人達は、突然折りたたみの椅子に座った青年を訝しげに見ているのだけど、高村君はそんなこと気にしない。というか高村君は何も考えていない。
アナウンスが流れる。
「次はぁ~、函館ぇ~、函館ぇ~」
なるほど、この路線は函館にも停まるのか。東京にいながらにして北海道に行けるとは、便利な世の中になったものだ、と高村君は考えている。蟹でも食べようか、と思いはしたが、特に理由もなく止めた。
「次はぁ~、梅田ぁ~、梅田ぁ~」
なるほど、この路線は梅田にも停まるのか。東京にいながらにして大阪に行けるとは、便利な世の中になったものだ、と高村君は考えている。たこやきでも食べようか、と思いはしたけど、特に理由もなく止めた。
「次はぁ~、那覇ぁ~、那覇ぁ~」
なるほど、この路線は(以下略)
というようなことを高村君はつらつらと考えている。
「次はぁ~、東京ぉ~、東京ぉ~」
高村君は、特に理由もなく、東京で降りた。

一銃「仙人・高村君の日常」

今日はちょっと時間がないのでショートショートは短めです。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、<工学部>シリーズ、とはきっと誰も読んでない気がするわけで、<M&S>シリーズの最新刊にして完結編となる作品です。
このシリーズの全体的な雰囲気を大雑把に説明すると、工学部の助教授である水柿君とその奥さんである須摩子さんが織り成す日常のストーリーで、大学の助教授だった水柿君がふとしたことから書いた小説が当たりに当たって作家になってしまう、というような話です。
なんて書くとなんとなく分かると思うのだけど、このシリーズは、森博嗣とその奥さんであるスバル氏の日常をベースにしているとしか思えない構成なのである。そういう意味で、非常に斬新な小説である。
まず何が斬新かと言えば、読者がある程度森博嗣の私生活について知っているということが挙げられる。もちろん知らない人はまったく知らないのだけど、森博嗣は現在も過去もWeb上で日記を書いており(もちろん仕事としてである)、それを通じて森家の生活というのが何となく覗けるのである。その他、エッセイなんかを読んで知ることも結構ある。
そういう、読者がある程度森博嗣の生活を知っているというベースがあると、このシリーズはより面白くなる。もちろん、森博嗣についてまったく知らなくてもこのシリーズは十分に面白いのだけど、知っているとより面白いし、森博嗣としてもそういう効果を十分狙ってやっているだろうと僕なんかは思うわけです。
というわけで内容紹介みたいなことはしづらいんですけど、とりあえず本作の特徴の一つである、無茶苦茶長い各章のタイトルを列記しましょうか。

「まだ続きがあったのか 奇跡の器官を遂げるやいなや 子犬ぴょこぴょこみぴょこぴょこ 柴犬になるコーギーの怪」

「親ばか小馬鹿猪鹿蝶馬鹿にも 数々あるけれそ壁を超えて 這い上がってくる本当の馬鹿には金メダルなんて 馬鹿なことを」

「リフォームのビフォア・アフタで 散財へと突き進みますます 社会からボイジャした セレブな二人と一匹」

「いかにして密室に巨大な パスカルを入れたのかという 疑問に対して真摯な態度で 答える箇条書きこもごも」

「壮大なる宇宙と存在の路傍に 夢見る意思の仄かに微小なる屋 さしずめ花弁に落ちる滴の ごとくなりぬ」

まあこんな感じですね。
本作は、水柿君が作家として大成功を収めて、莫大な富が入ってきた辺りから話が始まります。でまあ、二人の生活がいかに変化がないか(家に他人がいるのが我慢できないから人は雇えない、旅行もめんどくさい、特別欲しいものがあるわけでもない。というか、自分達なりにかなり贅沢な生活をしているつもりなんだけど、それでも全然お金が減らない)というようなことや、水柿君の作家としてのありようや、須摩子さんの変化、また彼ら二人の日常会話など、まあ言ってしまえば大したことのない日常が描かれるのである。しかしこれが滅法面白い。
脱線に次ぐ脱線の連続なのは相変わらずで、とにかく話題がコロコロ変わる。僕のショートショートもそんな感じを目指したんですけど、やっぱ難しいですね。自分で書いてみると分かるんだけど、あの脱線だらけの文章を書くのは本当に難しいですね。意図しなくても会話が脱線してしまうような人はたくさんいると思うけど、意図的に脱線を目論む(なんて大げさな言い方だけど)のがいかに難しいか。
そして本作では、新たな仲間(?)であるパスカルが登場します。本シリーズ中では唯一実名での登場となります。
知らない人のために説明をすると、パスカルというのは水柿君と須摩子さんの飼い犬で、森博嗣とスバル氏の飼い犬の名前でもあります。当初猫好きだったはずの須摩子さんがこのパスカルにベタ惚れで、もうメロメロデロデロという状態なわけです。思わず餌を与えすぎてしまい、パスカルはぶくぶくと太っていくことになります。
まあそんな、恐らくは限りなく現実に近いであろう出来事を、脱線に次ぐ脱線の連続の文章で装飾した、限りなくエッセイに近い小説なわけです。脱力っぷりが凄まじくって、かなり楽しめると思います。
それにしても森博嗣は、テレビも新聞も見ないと公言しているのに、世の中の雑多なものに対する知識が広範ですね。芸能関係とかテレビ関係の知識なんて全然ないイメージなのに、そういうネタが結構織り込んであったりするんですよね。まあ、テレビばっかり見てる須摩子さんからの情報なんだろうけど、それにしてもすごいなと思います。
あとこれはこのシリーズを読む度に書いていると思うのだけど、須摩子さんっていうのはいいですね。僕はですね、結婚ってものにほぼまったく関心がなくて、他人と一緒に生活するなんて絶対出来ないんだけど、でももし須摩子さんみたいな女の人とだったら考えてもいいかなとか思ったりします。同じ家にいてもほとんど会わないし、価値観を共有しようとしないし、お互いに好きなことをやってるし、なかなか特異な視点を持ってるし、贅沢をしたいという欲求もないわけで、非常に素晴らしいとわたくし思うわけです。こういう、世間的な常識に迎合しない人というのはいいと思いますです。
まあそんなわけで、このシリーズもついに終わってしまいましたが、考えてみれば森博嗣は既に引退を発表しているわけで、いずれ森博嗣の著作は読めなくなってしまうわけですね。まあ仕方ないですけど、残念です。
まあそんなわけで、この限りなく特異な小説、読んでみてください。「すべてがFになる」や「スカイクロラ」を読んで、森博嗣という作家はどうも難しいし自分にはちょっと合わないぞ、と思った人は、とりあえずこのシリーズを読んでみてください。昔は、森博嗣の作品の中でこのシリーズは先に読まない方がいいと思っていたんですけど、周囲の人の意見を聞いていると、森博嗣の他の作品はダメでもこのシリーズは面白いという意見を聞くことが時々あるので考えを変えてみました。

森博嗣「工学部・水柿助教授の解脱」



さぬきうどん偏愛(マニアックス)(小石原はるかと極東うどん喰え喰え団)

半年前、妻を亡くした。事故だった。
いい妻だった、と今でも思う。家事洗濯を疎かにすることもなかったし、私の健康に気を配ってくれたりもして、あぁ結婚してよかったと常々思っていたものだった。
その妻が、死んだ。
正直、しばらく何もする気になれなかった。そんな私が、傷心旅行に讃岐を選んだことに、特に意味はない。適度に遠くて、適度に田舎で、適度に人のいる、そんな場所を漠然と思い描いた時、讃岐もいいかと思いついたのだ。
そこで食べたうどんに、私は衝撃を受けてしまった。世の中に、こんなに旨いものがあったのか、と思うほどの価値観の転換であった。とにかく、うどんといううどんを食べ歩いた。
それから私が思いついたことは、今でも失笑ものだったと思っている。しかし、その思い付きのお陰で今成功できているとも言えるわけで、人生何が起こるか分からないものである。
さぬきうどんを自分で作ろう、と思ったのだった。
弟子入りするなんて発想は出てこなかった。うどんの基本的な作り方をネットで調べ、あとは自分が食べまわった時の舌の記憶を元に、とにかくうどんを打ちまくった。気づけば、会社は辞めていた。友人とも会わなくなって行った。私は、うどんを打ち続けるだけの人間になった。
ある日。結局何度試してみてもあのさぬきうどんらしいコシが出ないことに諦めを感じ始めていた私は、もうこのくらいでいいかもな、と思った。別に店を出そうというのでもない。ただの趣味だ。もう止めよう。でも止める前に、供養をしよう。そう思った。
私は小麦粉に妻の遺骨をほんのわずか入れ、そしていつものようにうどんを打ち始めた。このうどんを自分で食べて、妻への供養としよう。そして、また新しい自分の人生を始めよう、と。
ちょうどその日。私の生活を案じた友人の麻里絵が、私の様子を見に家までやってきた。彼女は私がうどんを打っていると知ると、是非食べたいと言った。ちょっとこれはマズイかなとも思ったが、遺骨はほんのわずかだし、まあ大丈夫かと思った。
「ねぇ、これ店出そう」
麻里絵は一口食べるなりそう言った。
「いや、大したうどんではないんだ。店で出すほどでもない」
「確かに、悪いけどうどんとしては普通だと私も思う。でも、悪いようにはしない。私にまかせて。土地も店も人も、なるべく私が手配してあげる。だから、店を出そう。超人気店になることは、私が保証する」
正直言って、未だにわからない。何故彼女が、ここまで私のうどんを推してくれたのか。あれだけさぬきうどんを食べまくった私だ。もちろん、自分が作るうどんが並であることは分かっている。何故ここまでこの店は繁盛することになったのだろうか。
不可思議なことが二つある。
一つ目は、麻里絵に指摘されたことだ。店を出す条件として彼女に厳命されたのが、あの時麻里絵が食べたのとまったく同じうどんを作る、ということだった。その後、商品開発という名目で麻里絵が私のうどんを食べる機会があったのだが、その一番初めの時、妻の遺骨を入れずにうどんを打ったら、これは前のうどんと違う、と指摘された。前の時との違いは、どう考えても妻の遺骨を入れたかどうかだけだった。そう思い次から入れるようにしたら、麻里絵は何も言わなくなった。しかし、妻の遺骨を入れるかどうかで味が激変するとは思えない。実際自分で食べ比べても分からないのだ。何なのだろうか。
そしてもう一つは、店に来るお客さんは女性のみであるということだ。これは、女性が多いとかほとんどが女性である、というレベルではない。時々ふらりとサラリーマンが入ってくる以外は、客のすべてが女性なのだ。しかもリピーターが多い。
しかしまあ不思議なことはあるものの、店は繁盛しているし、妻の遺骨も役に立っていて、これはある意味で一つの供養になっているだろうな、と思っている。妻の恩に報いることが出来た、とまでは言わないが、まあ怒られない程度には頑張ったかなと思う。どこかで私の頑張りを見ていてくれるといいのだけどな。

一銃「うどんと妻と私」

このショートショートを読んでくれた方は、森奈津子「西城秀樹のおかげです」の感想に書いた、「うどんの快楽」というショートショートも読んでいただけると話が繋がると思います。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、極東(関東圏)で食べることが出来るさぬきうどん、というものをメインにした本になっています。
実際さぬきうどんを食べるならもちろん讃岐に行くべきでしょう(なんとわたくし、今週末讃岐に行ってまいりますが!たらふくさぬきうどんを食して参ります)。でも、四国は結構遠い。そこに住んでいる人には申し訳ないけど、僕からすれば陸の孤島と思うような場所にある。そしてさぬきうどんというのは、そこに行かないとちゃんとは食べられないのだ。
しかし!それはあまりにも哀しいではないか!というわけで、もちろん讃岐にある本場のうどん屋並とはいかないけど(本場並と言えるところも三軒ほどありますが)、でも関東圏でも食べることの出来る美味しいさぬきうどんの店に行こうではないか、というまあそんな本であります。
まずとにかく行ってみたいのが、本場並だと称される「すみた」「綾」「イーハトーボ」の3店ですね。もうこの三つは、本場讃岐で食べるうどんともひけを取らないとのことで、是非行きたいところです。他にも、主に東京を中心として、オススメのお店のリストが載っていて、便利だと思います。
また本作は、このうどん喰え喰え団が本場讃岐に乗り込んだ時のレポートもあります。かなり簡略化されたレポートですけど、行きたいなという気分を高めてくれます。他にも、うどん打ちの体験レポートだとか、うどん好きの有名人へのインタビューだとか、まあいろいろ載ってます。まあでも何にせよ、東京のうどん屋ガイドブックとして使えると思います。うどんに関する情報のあるHPについても照会してますしね。
というわけで、関東圏に住んでる人は買いです。そんでとりあえず、「すみた」「綾」「イーハトーボ」のどこかには行きましょう。

小石原はるかと極東うどん喰え喰え団「さぬきうどん偏愛(マニアックス)」



西城秀樹のおかげです(森奈津子)

「ねぇ、うどん食べに行こう」
ついさっき、珠巳にそう言われて、私は今彼女の車に乗っている。有無を言わさず、という感じだった。
「うどん?いいよ別に、そんな気分じゃない」
特に好きな食べ物というわけでもない。仕事が終わって疲れてるし、見たいテレビだってある。何でわざわざうどんなんぞ食いにいかにゃならんのだ。
「いいからいいから」
「よかねぇよ」
「マジすげぇんだって。ホント後悔させないから!」
「すげぇって、そんなに旨いわけ?」
「いや、旨いわけじゃないみたいだけどね…」
何だそりゃ。じゃあこれからわざわざ旨くもないうどんを食いに行くつもりだっていうのか。
「行かない行かない。旨くないんでしょ、だって。いいよ」
「まあまあ、いいからいいから。ホント、騙されたと思ってあたしについて来なさい」
あんたにはこれまで何度騙されたことか、って言ってやろうかと思ったけど、止めた。こうなると珠巳はもう止められない。結局私は彼女の車に乗る羽目になってしまったのだ。
「好美っていたでしょ?」
運転席の珠巳が話し掛けてくる。
「あぁ、あの淫乱?」
「ちょっと!死んだ人のことをそんな風に言わないの!」
「いいじゃん。だってホントのことだし」
「まあそうだけど。んでね、その好美の旦那、ってまあ好美は死んじゃったんだから元旦那か、その旦那がうどん屋を始めたんだってさ」
「ふーん」
別に興味のある話ではなかった。好美は、大きな括りをするならば私たちの友達で、でも実際はあんまり好かれてる女じゃなかった。友達付き合いしてたのも、成り行きっていうかたまたまっていうかそんな感じだったし、事故で死んじゃった時も、まあそんなもんかって感じでそんな哀しくもなかった。まあそれぐらいの女だった。
好美はとにかく淫乱で、結婚してからも複数の男と付き合いを続けていた。旦那には絶対バレてないって言ってたけど、どうなんだろう。まあありえないとは言えない。好美だし。事故にあったのだって、浮気相手の家に行く途中だったのは明らかだったけど、まあそんなこと誰も旦那には言わないだろうしね。幸せだけどバカな男。
その男がうどん屋を始めたからって何だというんだろう。珠巳だって別に好美とそこまで仲がよかったわけではないはず。ってまあいいか。考えるの面倒になってきた。
「着いたよ」
いつの間にか着いたらしい。まあうどん屋だと言われればうどん屋に見えるし、パン屋と言われればパン屋に見えるかもしれない、何とも中途半端な店構えだった。
店に入ってまず驚いたのが、客が女性ばかりだった、ということだ。っていうか、全員女性だった。これは異常ではないだろうか。女性だってもちろんうどんは食べるだろう。しかし、サラリーマンのおっさんがこの時間帯に一人もいないうどん屋なんてありえるのだろうか。
「何がオススメなわけ」
珠巳に聞いてみる。
「まあ何だっていいのよ、メニューはさ」
よくわからない。しかし、元々そんなに積極的に食べたいわけでもないので、かけうどんの小を頼むことにした。
「小でいいの?」
「家に帰ったらご飯あるし」
実家暮らしなのである。
「いやいいんだけど、たぶん大とかの方がいいよ」
大にすると何がいいのかよくわからない。まあいいさ。とりあえず小でもちゃちゃっと食べて、さっさと帰ろう。
うどんは、まあ普通のうどんで、スープもまあ普通そうだった。目で見ただけじゃ、コシだとか味だとかはもちろん分からない。だからとりあえず口に入れてみる。
「えっ!」
何今の?えっえっ、どういうこと?は?今のあたしの口?
私の思考は乱れに乱れた。何が起こったのかさっぱりわからなかったのだ。私はただ、うどんを口に入れただけだ。それなのに、この衝撃は何だ?
もう一度口に入れてみる。
「ああぁ~ん」
思わずそんな声がこぼれ出てしまう。もちろんうどんは口から落ちる。
そんなバカな!私は口にうどんを入れているだけだ。それなのに、どうしてアソコに指を入れた時みたいな衝撃が走るんだろう!
私は珠巳を睨んだ。珠巳は私の視線に気づくとニヤリと笑い、
「声出してるの、あんただけだよ」
と言ってのけたのだ。
くっそぉ!私だって、こういううどんだってあらかじめ知ってたら声だって我慢したわよ!このクソ女!
しかし、いくら心の中で悪態をついても、それは弱い。弱いことを自覚している。何故なら、それほどまでにこのうどんの快感は凄まじいからだ。
まるで口が女性器そのものになってしまったかのようだ。うどんを口に入れる度、口が快感を覚えるのだ。それは、これまでに経験したどんな快感をも超えていて、私はうどんを咥えているだけなのに、何度か昇天しそうになった。
「あうぅ~ん」
「んぐぅあ~ん」
抑えようと頑張っても声が出てしまう。うどんは一向に食べられない。これじゃらちがあかないと思い、うどんを一気にすすり上げることにした。
「はぁ~ん」
背骨が溶けるかと思うほどの快感に襲われた。店にいる他の客はすごいな。こんなの、我慢できるレベルじゃないだろ。
それからも私は、襲い来る快楽に翻弄されながら、何とかうどんを食べきった。
「おかわりはいらないの?」
珠巳が面白そうに私を見ながらそんなことを言う。なんて余裕のあるやつだ。私はもう限界だってのに。
「すごいね、ホントここのうどん。でも今日はもういいや。また連れてきて。お願い」
確かにこれは病みつきになる。店に女性客しかいないのも当然だ。まったくホントに、すごいうどんだったぜ。

一銃「うどんの快楽」

こんな話を書かなければいけなかったのは非常に不本意ですけど(しかも敬愛するうどんをモチーフにして!)、でも本作の雰囲気からするとこういう感じの話がまあ妥当なわけですね。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、8編の短編が収録された短編集となっています。

「西城秀樹におかげです」
致死率100%の感染症のために人類が絶滅してしまった世界に生きる二人の人間。何故彼らは生き残ることが出来たのか。そしてそこに、人類を滅亡させてしまった原因を作ったという異星人がやってくる。異星人は、お詫びにあなた方の望むやり方で地球を再生しなおしましょう、といってくれた。果たして二人はどうするのか…。

「哀愁の女主人、情熱の女奴隷」
時子の兄夫婦は、一人娘である絵美里と巨額の富を残して死んでからひと月経つ。時子は、兄夫婦の住んでいた家に移り住んだ。
そこには、メイドロボットがいた。子供が苦手な時子は、メイドロボットに絵美里を慰めさせようとしたのだけど、そのロボットは実はメイドではなくセクサロイド、つまり夜のお供用のロボットだったのだ!ロボット時子の間で、倒錯的なやり取りが続き…。

「天国発ゴミ箱行き」
死んだ人間は、それまでの人生で得たポイントに応じて次の人生を選択できることになっているらしい。そこで人生プランナーと名乗るやつが、わたしの次の人生候補をいくつか見せてくれることになった。わたしが唯一出した要望は、「色好み」ということだけである。
三つのサンプルを用意してくれたのだけど、その中に『森奈津子』という作家の人生も含まれていて…。

「悶絶!バナナワニ園!」
マダム・リリーと名乗る、人間型ロボットデザイナーに、刑事が単独で内偵に乗り出すことにした。レズビアンの疑いが掛けられているのだが、警察の上の方から彼女には手を出すなと捜査をストップされてしまったのだ。
その内偵に借り出された友人の探偵は、助手を伴ってマダム・リリーのいる「バナナワニ園」に乗り込むのだが…。

「地球娘による地球外クッキング」
SFファンである里紗は、同居人であるレズの吉田とゲテモノ食いの美花子の喧嘩を聞いていた。何でも、吉田が恋人(でも女)を部屋に連れ込んだからだった。まあそれはどうでもいい。
外で音がしたので見に行くと、なんとUFOと宇宙人がいた。UFOも宇宙人もかなり小さいサイズだった。吉田は、自分の家の敷地内に来たのだから(三人は吉田のところに居候している形である)、これは所有権は私にあると主張するのだが、美花子はとにかくその宇宙人を食べたいと主張するのだ。そこで吉田は、もし美花子を抱かせてくれるならこの宇宙人はあげるわ、なんて取引を持ちかけ…。

「タタミマットとゲイシャ・ガール」
元々ドラキュラだったのに、バーチャルの世界で蚊に姿を変えられてしまった。蚊は、このバーチャルな世界で生き血を吸うことが出来れば、元のドラキュラの姿に戻れることになっている。どうやら自分がいるのは日本のようだ。どれどれ、ここは一つキモノを来た美女でも狙うことにしようか…。

「テーブル物語」
あるテーブルがある。そのテーブルには、女性器が四つ、男性器が四つついている。そのテーブルにまつわる話が、「テーブル物語」である。
昔小道具屋がこのテーブルを手にすることになるのだけど、まったく売れない。そこに、知り合いの奴隷商人がやってきて、今自分が連れてるこの少女と一緒にセットで売ればそのテーブルも売れるんじゃなかろうか、と持ちかける。小道具屋はそれに乗ることにし、少女は裸にされてそのテーブルに縛り付けられることになる…。

「エロチカ79」
1979年、「金八先生」が大ヒットしている頃のどこかの高校での話。
金がない麻里亜は、ちょっとカツアゲでもするかと思い、大人しそうな女子を捕まえて金を要求した。その女子は、「後生ですから…」と言って助けを求めたが、麻里亜は引くつもりはない。
そこに生徒会長が現れた。そして、
「後生ですから、と言っているのだから、ルールに則れ!」
と言い、そのままレズプレイに持ち込んでしまうのである…。

というような話です。
いやはや、まあなんと言いますかですね、とにかくエロい話ばっかりでしたね。とにかく気になったのは、西城秀樹はこの事態をちゃんと理解してるんだろうか、ということです。そもそも小説のタイトルに有名人の名前が入ってるなんてのは異例中の異例ですけど、さらにその作品が完全にエロエロな作品なんですからね。西城秀樹はホントにその点をちゃんと理解してオッケーしてるんでしょうか(あるいは西城秀樹にはオッケー取らずに使ってるのか?)。まあそんな心配はどうでもいいんですけどね。
ホント、僕がざっと書いた内容紹介を読んでもらうだけで、どれだけ無茶苦茶かっていうのは分かろうというものです。ただエロいだけじゃなくて、無茶苦茶な話なんですよね。かなり笑いました、ホント。
一番くだらなくて面白いと思ったのは、「悶絶!バナナワニ園!」ですね。このくだらなさはちょっとすごいと思います。要するにバナナとワニの二択を迫られることになるんですけど…、ってまあこれ以上は読んでください。
あと、「地球娘による地球外クッキング」もアイデアがアホすぎて最高でしたね。宇宙人を食べたいっていう女が出てくる時点で終わってますけど、しかもその取引のためにルームメイトの体を要求する女っていうのも終わってますね。しかも何が面白いってこの話、始終SFファンである里紗の存在を完全にないがしろにして進んでいくんですね。馬鹿馬鹿しくていいですね。
あと、「エロチカ79」も好きです。これは、「後生ですから…」というと生徒会長が出てくるというパターンの三つの話が一緒になってるんですけど、よくもまあこんなくだらないことを思いつくなという感じでした。
あと、「哀愁の女主人、情熱の女奴隷」とか「悶絶!バナナワニ園」とかを読んでると、ドMってのは素晴らしく最高に幸せな存在だなって思ったりします。とにかく、どんな悪い状況でさえも、自分にとっては快楽の空間に変えてしまうわけで、最強です。
表題作である「西城秀樹のおかげです」は、まあそこそこという感じですかね。まあ、何で西城秀樹なのかっていう理由はなかなか面白いなとは思いましたけどね。
まあそんなわけで、すっごいくだらない作品なんで、買って読むほどではないと思います。でも、たまには息抜きにくっだらない作品を読んでみたいと思うような人にはなかなかいいですよ。とにかくくだらなくて、脱力保証付きです。

森奈津子「西城秀樹のおかげです」



笑う招き猫(山本幸久)

トシユキは売れない芸人をもう10年近く続けていた。今さら普通の仕事に戻ることは出来ないし、かと言って芸人として成功する見込みもまったくと言っていいほどない。八方塞ではあったが、トシユキは何かを真剣に考えることが苦手だった。なんとかならないことはもう分かっていたのだけど、でもまあなんとかなるだろう、と常に自分に言い聞かせていた。それ以上、何かを考えることを放棄していた。だからこそ、こうして売れない芸人なんかをずっと続けていられるとも言える。
今日も小さなライブハウスでネタをやった。他の芸人の前座みたいな扱いだったけど、まだ仕事があるだけいい。いつまでこの状態ももつか、怪しいものである。
いつものようにコンビニで缶ビールを買い、歩きながら飲んでいると、ふと何かが視界に入った。何だろう。特に気になるものはなかったと思うのだけど。
暗がりに落ちていたのは、ランプだった。あの、よくディズニーの映画とかで出てくる、魔法のランプみたいな、まさにあんなやつである。カレーのルーが入っていたかもしれないと思わせるようなフォルムだった。
何でそれを持って帰ろうと思ったのか、よくわからない。というか、持って帰った記憶も実はないのだけど、翌朝起きるとそのランプが自分の部屋の片隅に落ちていた。
「よっ」
部屋の中から声がした。辺りを見渡しても、誰もいない。
「ここだここだ」
と言われたって困る…と思っていると、テーブルの上でちょこまかとしている虫がいた。とりあえずこいつを潰すか、と思って手を振り下ろそうとした。
「おいおい、待て待て、待てってば!」
その虫が喋っているらしい。よく見てみると、これまたよく映画なんかで魔法のランプから出てきそうな感じの変なやつがミニチュア版でそこにいた。
「へぇ、何か願いでも叶えてくれるってか」
「おぬし、何故それが分かる。鋭い洞察力の持ち主じゃ」
まあ、ディズニーの映画のことは説明する必要はないだろう。
「へぇ、俺もラッキーなもんだな。願いは何でもいいのか?」
「まあな。大抵のことは叶えてやれるだろう。ただし、一つだけな」
ここでトシユキは考えた。何を願うのが一番いいだろうか。大金持ちにして欲しい、というのは簡単だ。でも、金だけあったって仕方ない。欲しいものもあるし、綺麗な女を抱いたりもしたいし、行きたいところもたくさんあるけど、でもそういうのは金でなんとかなる。ってことは、やっぱあれか。
「世界で一番笑える芸人にして欲しい」
これだな。んでお笑いで大金持ちになってやるんだ。
「まあお安い御用だ。チョッペラムンチョのはい!」
「これで終わりか。まあ簡単なもんだな」
「これであんたは世界一笑える芸人だ。んじゃワシは戻るか」
そう言って魔人みたいなやつはランプの中に戻って行った。
さて、あいつが言うことを信じれば、俺は今世界で一番笑える芸人だ。ってことは、もう誰でも俺の芸をみたら大笑いしてしまうに違いない。これはいいぞ。ちょっと公園なんかでやってみようかな。
トシユキは、普段練習している公園までやってきた。練習の際はなるべく人に見られないような場所でやっていたのだけど、今日は違う。人がたくさんいる辺りで思い切ってネタをやってみよう。きっと大ウケに違いない。

何でだ。公園にいた人間、誰もクスリとも笑わなかったぞ。あの沈黙。冷ややかな目。あれほど辛いものはない。結局トシユキはネタをやり終えることなく、そそくさと逃げてきたのだった。
くそっ、あの野郎。俺を担ぎやがったな。次会ったらただじゃおかねぇぞ。
トシユキはまた缶ビールを買って、歩きながらそれを飲む。まああれだ、あんな奴のことを信じた自分がバカだったって、まあそういうことだ。
帰り道。選挙ポスターの貼ってある一角を通り過ぎた。その内の一枚の写真がイタズラされていた。女性の写真の頭に、ハゲのおっさんに写真が貼られているのだ。
ベタだけど、何だか面白かった。それに、嫌な気分を吹き飛ばすために笑いたい気分でもあった。トシユキはハハハ、と普通に笑ったつもりだった。
しかし、トシユキのハハハは、ものすごかった。それ自体が武器になるんじゃないかと思うくらい、衝撃的なハハハだった。笑い出した自分も、え?と思うくらい、それは異常な笑い声だった。中国人がまとめて100人いっぺんに笑ってるみたいな笑い声だった。
周囲に人が集まってくる。夜じゃなくても、こんなうるさい声で笑う人間がいたらどうしたのだろうと思うだろう。いやもしかしたら、笑い声だと認識されていない可能性がある。
そこでようやくトシユキは、これはあの魔人のせいだということに気がついた。トシユキは、「世界一面白い芸人」という意味で言ったのだが、それを魔人は、「世界一の笑い声を持つ芸人」と間違って解釈したのだろう。まあ確かに間違っちゃいない。けど、それぐらい分かって欲しかったなぁ、と思う。
もはやむやみやたらと笑えなくなってしまった。芸人として大成するわけもないし、一体どうすりゃいいんだろうか。

一銃「世界一の芸人」

「頭の体操」という、いろんなクイズが載ってる本に、「世界一速い車が欲しい」と悪魔に願い事をした男の話が出てくるのだけど、それをアレンジしてみました。
そろそろ内容に入ろうと思います。
駆け出しの漫才コンビ「アカコとヒトミ」として日々漫才に勤しむ二人。ヒトミはノッポで、バイトで生計を立てている。超貧乏なために、どこに行くにも「レッドバロー」と名付けた自転車で異動する。アカコは小太りで、いろいろあって働かなくてもいい身分だったりする。頼子さんというなかなか味わい深い祖母と一緒に暮している。二人とも彼氏はいなくて、とにかく漫才に人生を捧げている。
永吉というマネージャーに声を掛けられ事務所入りするも、初めは苦労の連続だった。自分達の同期がテレビに出たりもして、でもそれが芸を認められているからではないことに二人は腹を立てている。テレビなんていいんだ。私たちは一生舞台でお客さんを笑わせるんだ。
それから順調にステップアップしていく二人。しかし、二人の間に亀裂が走ったり、周囲の人間とのトラブルに付き合ったりと、なかなか平穏な時間はやってこない。自分達が追い求める将来と事務所が期待する将来に食い違いがあることも面倒だ。でも、生活がどんなにキツくても、彼氏がいなくても結婚できなくても、あたしらは二人でずっと漫才をやっていくんだ!
というような話です。
山本幸久は本作で小説すばる新人賞を受賞したわけで、つまり本作がデビュー作なんですけど、そうとは思えないほど巧いと思いました。
なんというか、特筆するような部分っていうのは特にないんですね。それがいいか悪いかはとりあえず置いといて、とにかく新人のデビュー作とは思えないほど、全体的にうまくまとまってると思うわけです。
アカコとヒトミの漫才の掛け合いも面白いし(まずこれがすごいなと思う。よくもまあ、自分は芸人でもないのに、これだけテンポのいいネタを書けるものだな、と。まあネタとしてどうなのかは僕には判断できませんけどね)、周りの人も含めた会話も面白い。アカコとヒトミの成長の物語というだけではなく、周囲の人間との関係やいろんな出来事の背景をうまく織り込んだり、またアカコとヒトミの出会いの経緯なんかを時折挟み込んだりしながら、なかなかいい構成になっていると思いました。それに、脇役まで含めてキャラクターが全部面白いし、これだけの安定したクオリティをデビュー作から持ってこれるっていうのは、かなり実力のある作家なんだなぁ、と思ったりしました。
それは、著者が元々編集者だったことも関係あるかもしれませんね。ラーメンズの片桐仁の解説を読んで知ったんですけど、元々著者は「ヤングマガジンアッパーズ」って漫画雑誌(今はもうないみたい)の編集者だったようで、その繋がりでラーメンズとも縁があったらしいです。漫画と小説というジャンルの違いはありますけど、客観的に作品を見る眼みたいなものは同じだと思うので、そういう部分でやっぱりいい作品を書く下地みたいなものがあったのかな、と思ったりしました。
細かいエピソードなんかも入れると結構好きな場面はあるんだけど、やっぱりアカコとヒトミの出会いの話はいいなぁ、と思いました。招き猫が呼び合った縁なわけですけど、何でそれが漫才に繋がったのかというのもなかなか自然な感じだったと思うし、僕はいいなと思いました。
あとは、3歳児のエリちゃんとか、かなり不思議なキャラクターの頼子さんとか、売れない芸人の乙とか、事務所の社長とかマネージャーの永吉とか、美の探究者とか脇を固めるキャラクターが結構面白くて好きですね。みんな一癖も二癖もある連中で、特に頼子さんのまっすぐな感じのたたずまいみたいなのは好きでしたね。ユメユキノはあんまり好きになれないけど、まあそれは万人共通でしょう。あとは大体いい人ですね。
特別ずば抜けている部分があるわけでもないし、ストーリーは言ってしまえば結構平凡だと思うんだけど、でもキャラクターや文章のせいなんだろうけど、読ませる作家だと思います。恐らくかなり実力のある作家だと思うので、これからも機会があれば読んでみようと思います。

山本幸久「笑う招き猫」



海を失った男(シオドア・スタージョン)

これは僕が夏休みに体験したアルバイトの話なんだけど、今でもあの時のことを思い出すと震えてしまいそうになる。都市伝説の世界に紛れ込んだんじゃないかって、今でも思ってて、あれが現実だったなんて全然思えないんだ。でも、すべては僕の目の前で起こったことだったし、僕の頭がおかしくなってない限り、あれはすべて現実だった。今でもどこかで、あそこで作られたものが使われてるのかと思うと、寒気がする。
ってその話をする前に、僕の小学校の頃の話をしよう。そのバイトのことを考えると、いつもそのことを思い出すんだ。
ある時クラスメイトの一人が交通事故に遭ったとかで手術をしなくちゃいけなくなった。しばらく入院した後学校に戻ってきた彼には、なんと左腕がなかった。事故のせいで切断しなくちゃいけなくなった、と話に聞いた。可哀相だなと思った記憶がある。片手がない生活はすごく不便そうで、僕も周りのみんなもいろいろ手伝って上げたと思う。
でもその年の夏休みが終わった時、びっくりしたんだ。だって、彼の左腕が復活してたんだ。僕らは、やっぱりさすがに直接は聞けなかった。だから陰でこそこそ噂をしてたんだけど、人間の腕って気合を入れれば生えてくるんだよとか、誰かの腕をイショクしたんだよとか、すっげー完璧なギシュなんじゃねぇのとか、とにかくいろんな話が出た。出たけど、結局真相はわからずじまいだった。
今では、なるほどそういうことだったのか、とわかる。そして、そのおぞましさに改めて恐怖を感じる。
今年の夏のことだ。大学生になったばかりの僕は、そのあまりに長い夏休みをもてあましそうになり、ここはバイトでしょ、と考えて情報誌をペラペラ捲っていた。すると、
「時給15000円」
っていう表記が目に飛び込んで来た。仕事内容を見ると、簡単な農作業、とある。
いやいや、いやいやいやいや、これは誤植でしょ絶対、と初めは思った。だって、簡単な農作業で時給15000円なわけないでしょ、と。仕事内容に大きな偽りがあるか、あるいは表記にミスがあるに違いない、とそう思った。
でも、でもだぞ、もしこれが本当にホントだったらどうする。時給15000だぞ。しかも、一応ここに書いてあることを信じれば、仕事は簡単な農作業だ。農作業はキツそうなイメージがあるけど、それでも時給15000円はやる価値がある。とにかく連絡だけでもしてみよう、と思った。
果たして、僕はそのバイトをやることになったのである。電話の向こうの人に、時給15000円ってホントなんですか、ってちゃんと確認したけど、それはホントらしい。でも、仕事内容については、事前に教えることは出来ません、だってさ。
で当日。集合場所だって言われた場所に行くと、僕と同じように金に目が眩んだ人々がたくさんいた。とりあえず近くにあった大型バスに乗るように言われる。そしてバスの中で管理人と思しき人からアイマスクを受け取った。
「目的地に着くまで外さないでください」
おいおい、ものものしいなぁ、と思いながら指示に従う。途中ちょっと外してみたんだけど、バスん中真っ暗だった。用心深いぜ。
着いたのは夜明け前だった。まだ辺りは真っ暗で、よく分からない。僕らは、とんでもなくデカイ(たぶん。暗くて全体の大きさがよく分からなかった)建物の中に連れて行かれた。
そこで見たものは、未だに忘れることが出来ない。
確かにそこにあったのは畑だった。イメージとしてはビニールハウスみたいなもので、そのビニールがコンクリートの壁になった感じ。窓はなく、陽の光はまったく入ってこない。そんなところで、もちろん植物が育つわけもない。
そこで育てられていたのが、手だった。手だけじゃない。足や指、乳房や性器、そしてなんと胃や肺まであった。頭はさすがになかったけど、目だとか鼻だとかってのはあった。
建物の中は区切られていて、その一角に一種類の器官が生えていた。想像して見て欲しい。高校の体育館の二倍ぐらいの広さの面積に、人間の目だけがずらりと生えている光景を。まさにそれは吐き気を催すほどで、実際吐いている人もいたほどだ。
僕らの仕事は当然、その器官を刈り取ることだった。確かにその作業自体は「簡単」だった。特に難しい技術が必要だってわけでもないし、腰をかがめる姿勢がちょっと辛いだけで、作業自体はわけもなかった。
しかし、精神的な辛さは言い表せないほどだった。それは紛れもなく手であり、足であり、目であった。僕の身体にあるものとまったく同じものを、生きているのか死んでいるのか定義することさえ難しい物体を、僕らはただただ刈り取って行った。精神的な重圧に耐えながら。価値観の反転を押さえ込みながら。
仕事を終え、バスに乗り、また目隠しをされながら、これは本当にあった出来事だったんだろうか、と僕は考えていた。一種の現実逃避だったんだろうと思う。結局よく分からないまま、僕は日常へと戻ってきた。
今でも、きっと栽培は続けられているのだろう。そしてどこかの誰かがそれを刈り取っているのだろう。そしてどこかでそれらは活用されているのだ。そう思うと、僕が触れた真実の一端の大きさと深さに、僕は眩暈を起こしそうになるのだ。

一銃「プラント」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は8編のショートショート・短編・中編が収録されている作品です。ちょっと正直、内容紹介が出来るほど話の内容が理解できたわけではないので、本当にざっと内容紹介をします。

「音楽」
ショートショート。病院から抜け出した人が聞く音楽の話。

「ビアンカの手」
白痴の女性の手にほれ込んでしまった男の話。

「成熟」
才能はあるが機能的に問題のある男を治療しようとする医師と、成熟というものについて考え治療を拒み続ける男の話。

「シジジイじゃない」
まるで自分とピッタリだと思える女性と出会うが、「シジジイ」という謎の言葉に翻弄される男の話。

「三の法則」
これは、よくわかりませんでした。

「そして私のおそれはつのる」
時計を盗んだことを悟られた少年と、それを指摘した女性とのやり取り。

「墓読み」
墓を見ればその人の人生全てが分かる「墓読み」と出会った、ついこの間妻を失ったばかりの男の話。

「海を失った男」
よくわかりませんでした。

まあこんな感じです。
正直本作は、僕にはちょっとハードルの高い作品でした。スタージョンというのは結構伝説的な作家であるようなんですが(どう伝説的なのかはイマイチよくわかりませんが)、生前はあまり評価されず、死後評価を受けた作家なんだそうです。SF作家という括りではあるようですけど、奇想的な作品を描く作家だったようです。
魔術的な語り、と帯に書かれているんですけど、僕にはイマイチその辺がよく分かりませんでした。正直、読んでて退屈な作品だったわけです。
これは説明しても理解してもらえるか分からないんだけど、僕には合わないなと思う本を読んでいると、ある状態に陥っていくわけです。それはなんというか、文字が入ってこない状態、という感じです。
こう小説を読んでいて、文字を追っているんですけど、文字もストーリーも全然入ってこない、みたいな感じになります。三角形を見ているのにそれが三角形であることが分からない、みたいな感じですけど、こういう状態になると、あぁもうダメだな、と思ったりします。その状態で読み進めても退屈なだけなんですよね。本作を読んでいる時もそういう状態になりました。だからいくつかの作品では、最後まで読まずに飛ばしてしまいました。
正直、僕には合わない作品でした。あんまり良さが分かりませんでした。割と評価の高い作家みたいなので、好きな人はいるんだろうなと思います。まあ、僕はオススメしません。

追記)
amazonの評価なんかを読むと、やっぱこの短編集は初心者向けじゃないらしい。他の作品を読んでからこれを読んだ方がいいよ、ってみんな書いてました。というわけで、シオドア・スタージョンを初めて読むという人は、まずこの作品を避けましょう。

シオドア・スタージョン「海を失った男」




超麺通団 団長田尾和俊と12人の麺徒たち(田尾和俊)

「あっ!」
「あっ!」
「あっ!」
(以下続く)
のっけから、行数稼ぎみたいなことをして申し訳ない。しかしこの無限に続く「あっ!」は、香川県人すべての心の叫びであり、それはメビウスの輪のように無限に続いていってしまうような、そんな悲痛なものなのである。
香川県人は衝撃を受けたのだ。国が発令したある法律に。
人はそれを、「うどん禁止令」と呼ぶ。もちろん正式な名称のわけがない。これは、アホな法律を作り出した国への非難を込めた呼び方である。
正式名称は、「国有食品保護法」という。つまりどういうことかと言えば、早い話日本人なら米を食え、ということである。
最近、日本では米の消費量が減っているという話がある。実際のデータは知らないが、しかし国がこんな法律を作ってしまうぐらいだから事実なのだろう。国内における米の生産量は一時期より減少したとは言え、既に現在では「米余り」の状況を呈している。即ち、作っても売れないのだ。あまりに日本人が米を食べなくなってしまったが故に、米の生産と需要のバランスが大幅に崩れてしまったのである。
そこで、米どころを票田に持つとある議員が動いた、という噂があるが、どこまで本当か分からない。とにかく、どっかの誰かが、このままではマズイと思い、とはいえ米だけを保護するというのはあまりにも無茶なので、自国で作っている食品をなるべく食べましょう、という政策を打ち出したのである。
具体的にはどういう内容かと言えば、諸外国から入ってくる食料品の関税率を大幅に上げる、ということになる。これについては諸外国からの猛反対もあったらしいが、珍しく日本の政治家はこれに屈することなく、この法案を押し通した。そのため、外国から輸入している食糧品は値段が高くなり、最終的には日本産のものを食べなくてはいけない、という風に仕向けるのである。
ここで問題となるのが、我等が讃岐うどんである。
現在讃岐うどんの原料である小麦粉は、そのほとんどをオーストラリアからの輸入に頼っている。国内で生産している小麦もないことはないのだが、しかしやはりオーストラリア産の方が質がいい。それが関税が上がってしまうことで輸入の道を断たれたのだ。
こうなっては、讃岐の産業は立ちいかなくなると言っても言いすぎではない。讃岐というのはうどんで成立している土地なのだ。讃岐からうどんを引いたらほとんど何もなくなると言ってもいい。これは死活問題である。
もちろん讃岐はこれと戦った。もちろん政治的な手段に出る人間もたくさんいたが、しかし多くの人間はより健全な方法で立ち向かったのだ。
それが、米でうどんを作る新しい手法の開発である。讃岐の職人はやはりすごかった。ほんの短期間で、米からうどんを作る手法を編み出し、讃岐はまたうどんの町として蘇ったのである。
しばらくはこれで何の問題もなかった。しかし、しばらくすると讃岐うどんは国から目をつけられる存在になってしまったのである。その理由が、うどんの原料に米を使ったから、である。
讃岐うどんの原料として米を使うようになってから、米の消費量が一段と増して行った。そのせいで、米の生産が追いつかなくなってしまったのである。もちろんこれは国の愚策の結果であり、讃岐の人が責められる謂れはどこにもない。讃岐の職人は、知恵で危機を乗り切っただけであり、大上段に刀を振りかざすだけの国に睨まれるような理由はどこを掘り返しても見当たらないはずだ。
しかし、もちろん国にその言い分は通じなかった。国は今度こそ本当に「うどん禁止令」を発令したのである。まさに、日本からうどんを締め出さんとする法律で、うどんだけを対象としている、まさに讃岐への当てつけのために存在する法律であった。
しかもこの法律のすごいところは、うどんの製造・販売・飲食を禁じるだけではないのである。うどんを紹介したり、うどんについての文章を書いたり、いやそもそも「うどん」という言葉を使うことさえ禁じられてしまったのである。
もはやこうなると、讃岐に対抗…

編集部注)
このエッセイはここで終わりである。著者はここまでの文章を残して、うどん管理委員会に見つかってしまった。このうどん管理委員会は、「うどん禁止令」を守っているか厳重にチェックする機関であり、この著者がうどんについての…

編集部注2)
出版社の変更があった。上記の「編集部注」が途中で終わっていることから分かるように、これを書いていた編集部員もやはりうどん管理委員会に摘発されてしまった。当社でも慎重に慎重を喫して本作の出版を目指すところであるのだが、どこまで…

編集部注3)
もはや説明は不要だろうか。またしても出版社の変更である。うどんとは…

訳者注)
これが、「禁酒法」と並ぶ世界三大悪法に数えられる「うどん禁止令」が発令されている日本で、結局出版されることのなかった文章である。当社はこの原稿を、あるルートから独自入手した。現在でも日本では「うどん禁止令」が解かれて…

一銃「永遠に出版されないエッセイ」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、あの「讃岐うどんブーム」を生み出したと言われる「麺通団」が指南する、讃岐うどんの楽しみ方が詰まった、そして爆笑のやり取りが詰まった、讃岐うどんの魅力たっぷりな本なのである。
僕が「麺通団」という存在を知ったのは、映画「UDON」をテレビで観てからである。あの「UDON」のストーリーはほぼ実話であるようで、それを信頼すれば、とあるミニコミ誌の編集長が、穴場の讃岐うどん情報をレポートする企画を誌面で開始し、それを面白がったマスコミが煽り立て、あのブームに繋がったというのである。そのミニコミ誌の編集長だったのが本作の著者である田尾和俊であり、彼を中心に結成されたのが「麺通団」である。
本作には二つの面(麺ではない。って分かってるがな)がある。
一つは、実用書としての面である。
僕は四国には行ったことがないし、ということは書くまでもないけど讃岐にも行ったことがない。つまり、言わずもがなだけど、現地で讃岐うどんを食べたことなど一度もない。そんな僕のような人間に、「讃岐うどんの食べ方・楽しみ方」を教えてくれる本なのである。
しかし、楽しみ方はいいとしても、食べ方なんか教わらなくたって分かるがな、とツッコミたいあなた。チッチッチッ、甘いですな。讃岐うどんというのはそんな甘っちょろいものではないのである!(って僕が自慢することじゃないですけど)。
讃岐には今700軒の讃岐うどんを食べられるところがあるらしいのだけど、とにかく千差万別でありとあらゆることが違う。注文の仕方一つにしても、大なのか小なのか、熱いのか冷たいのか、釜あげなのか湯だめなのか、麺は太いのか細いのかというようなことを、特に説明されないまま必要なことを(店によって何を告げるべきかが違う)的確に伝えなくてはいけないし、いきなりおろしがねと大根を持ってこられる店もあれば、ネギを自分で取って来る店もあるし、自分で麺を茹でるような店もあるのである。とにかく、店に入って前のお客さんをじっくり観察していないと、何をどうすればいいのかさっぱり分からない状態に陥ること間違いなしである。
また営業時間や定休日、移動手段なんかについても事細かに説明をしてくれて、非常に初心者に優しい本なのである。テーマ別に面白いコースなんかも設定してくれているので、讃岐初心者はこれを持って讃岐に行くことをオススメする。何も知らずに行って、定休日だったとか徒歩で行けると思ってたとか泣きを見ないように、本作を買って万端の準備をしておこう。
そしてもう一つの面は、お笑いである。
本作は、団長と団員(麺徒)が面白おかしい会話をしながらうどんについて紹介するという体裁になっているのだけど、この会話が滅法面白いのである。関西の人で、吉本のお笑いなんかを日々観ていて笑いに対して厳しいという人にはどうか分からないけど、僕みたいなお笑い番組は時々見るけど笑いにそこまで深く関わっていない人間だったら、本作を読めば結構笑ってしまうのではないかと思う。とにかくうどんとは100%関係ない脱線に次ぐ脱線のオンパレードであり、よくもまあそんなくだらないことを思いつくものだなぁ、という感じの話がポンポン出てくる。団長にしてからが、12人の麺徒(っていっても12人以上出てきてるけど)を選ぶ際には、ボケツッコミが出来るというのを重視したと書いている。まあホントかどうかは知らないけど、ただ掛け合いが面白いことだけは確かである。
そんなわけで非常にゆるい作りの本なのであるが、読めば必ず讃岐に行きたくなることは間違いないだろう。僕もとにかく行きたいのである。讃岐でうどんを食べたい。僕は基本的に食にはほぼ興味がない人間なのだけど、唯一積極的に食べたいと思えるのが讃岐うどんなのである。いいなぁ、讃岐の人は。讃岐うどんを毎日食べられるんだから。僕も讃岐に住みたいのである。
というわけで、誰か僕を讃岐まで連れて行ってください。一人で行く気も、自分が率先して仲間を集めるつもりもない、完全な他力本願ですけどね。あぁ、誰か讃岐に行くっていう人はいないだろうか。僕も連れて行ってください。でも出不精だからなぁ。讃岐がこっちまで来てくれないだろうか(笑)
まあそんなわけで、うどんが好きな人も嫌いな人も、讃岐うどんを食べたことがある人もない人も、是非皆さん読みましょう。そして僕を讃岐に連れて行ってください(笑)

田尾和俊「超麺通団 団長田尾和俊と12人の麺徒たち」




トゥルー・ストーリーズ(ポール・オースター)

仕事が終わり、家に向かう。電車に乗っている時から、今日は妻に会えるだろうか、と考えている。扉を開けた瞬間、そこに妻はいるのだろうか、と。
玄関に辿り着いた僕は、一呼吸おいた。もう一ヶ月も妻に会えていない。これまでの最長記録だ。そろそろいいんじゃないか、と毎回思う。しかし予想は裏切られる。だから、過度な期待はしない。それでも、もしかしたら今日は、と思う自分を止めることはなかなか難しいのだ。
ドアノブに手を掛け、そのままドアを開く。
「おかえりなさい」
そこに妻はいた。一ヶ月ぶりの偶然の再会だった。扉の向こうの妻が現れることを待ちわびていた。この気まぐれなドアのせいで隔てられてしまった僕らの運命が、久しぶりに正気を取り戻したのだ。
「久しぶり。ずっと会いたかったんだ」
「わたしもよ、あなた。だってもう、一ヶ月も会えなかったんだから」
「今日は久しぶりにおまえの手料理が食べれるな」
「でも、ちゃんと毎日作ってるのよ」
「分かってるって、それぐらい。さぁ、まずは飯だ、飯」
久しぶりに妻と再会できた僕は、何だか気分が高揚していて、いつもよりたくさん食べ、たくさん飲んだ。そしてその気分のまま、妻を抱いた。お互い明日の再会を祈りながら、ベッドに就いた。
ベッドで横になりながら僕は、僕と妻とを隔てるあの玄関のドアについて想いを巡らさずにはいられなかった。何故こんなことになってしまったのか、何故会うべき二人が、時間や空間によってではなく、ドアという運命によって隔てられなければならないのか、そういう考えても答えの出ないことに思考を奪われて行った。
僕たちは7年前に結婚した。結婚当初から何の問題もなく、唯一何故か子供に恵まれなかったということはあるが、お互いそこまで子供が欲しかったわけでもないので、特に問題だとは思わなかった。
家を買ったのは4年前だ。僕の仕事はローンを組めるだけのお金を稼げることを証明し、証明し続けることぐらいなもので、他のこと一切は妻がやった。家の間取りや設計にもかなり口を挟んだようで、家というものに特にこだわりのない僕は自分の家を持つことが出来たという満足感で一杯であったが、妻の方も自分が理想とする家を完成させることが出来たことについて大いに満足したようだった。
それからも、これまでと変わらない生活が続いた。自分の家に住むという興奮もしばらくしたら日常へと取り代わり、ひたすらおだやかで安らかな日々を送ることが出来た。仕事上でも家庭でも大きなトラブルはなく、そんなことはないと分かっていたが、このまま大した問題も抱えることなくずっと過ごしていけるのではないか、と思えるぐらいだった。
問題が起きたのは半年前だった。きっかけは地震によって玄関のドアが破損したことだった。破損というのは大げさな言い方で、ただ地震の際に倒れてきた鉢植えによってちょっと大きな傷がついたという程度のことであったのだが、妻はそれが不満だったようだ。それで、ドアを新しく付け替えることになった。
ドアを付け替えて初めての夜。僕がいつものように家に帰ると、妻の姿がなかった。初めの内は、どこかに出かけているに違いない、と思った。連絡を入れずに外出するのはどうかと思うが、しかしうっかり忘れたのだろう、と。しかししばらく待っても帰ってこないし、携帯電話に連絡を入れても電源が切られているようだ。結局その夜は帰ってこなかった。警察に連絡を入れようかとも思ったのだが、一晩ぐらいで大騒ぎすることはない、と考えた。
翌朝起きると、妻が朝食を作っていた。僕は、昨日どこで何をしていたか問いつめたかったのだが、そうすることは出来なかった。何故なら、逆に妻に問いつめられてしまったからだ。
「あなた!昨日家に帰って来ないでどこで何をしていたの!」と。
ここに来て、ようやくお互いの認識に食い違いがあることが判明した。僕たちはお互いに譲らなかった。僕の側からすれば、昨日の夜いなかったのは妻の方だ。しかし、妻の側からすれば、昨日の夜いなかったのは僕の方だというのだ。こんなことがありえるだろうか。どちらも昨日の夜は家にいたと主張し、相手が帰ってこなかったのだ、と言い合った。それはあまりにも不毛なやりあいであり、どこにも辿り着く保証のない航海であった。僕たちはとりあえず結論を保留し、僕は会社へと向かい、妻は妻としてやるべきことをやった。
その夜、また同じことが起こった。会社から帰って来ても妻はいない。しかし翌朝になると、妻はまたそこにいて、僕が帰ってこなかったと詰るのだ。僕たちは冷静になる必要があった。これはとりあえず、第三者の意見を仰ぐべきではないか。そう提案したのがどっちだったのか覚えていない。ただそれは正しい決断だった。相談した相手が、僕の長年の友人であり大学で物理学を教えている助教授であったということも大きかった。
「きみのところの玄関のドアを境に、時空が歪んでいる可能性を否定することは出来ないかもしれない」
わが友人は、そう慎重にも慎重を期して意見を述べた。彼が言わんとしていることはこうだった。地震の影響なのか、ドアを付け替えた影響なのかは判断できないが、僕の家のドアは時空の微妙な境界上に存在することになってしまった。ドアを開けると、ある確率で僕は妻のいる世界へと進み、ある確率で僕は妻のいない世界へと進むことになる。もちろんそれは普通には起こりえない現象ではあるが、しかしもしお互いに嘘をついていないというのであれば、これ以外にうまく説明することは出来ないのではないだろうか。
僕は完全に納得したわけではない。ドアを開けると違う違う世界へ行ってしまうなど、そんなSFのような話を素直に受け取るのは難しい。しかし、僕には選択肢がなかったというのも事実だ。僕も妻も、自らの主張を取り消すつもりはなかった。僕は長いこと妻と生活を共にしているし、その中で無駄な嘘をつく女性ではないということもきちんと心得ている。であれば、こんなとんでもない結論であっても、とりあえず受け入れるしかないのではないだろうか。
だから僕は、今でもたまにしか妻と会うことが出来ない。僕が行き着いた世界には妻はいないが、妻のいる世界では彼女が夕飯を作って僕を待っている。その間には深い断絶が横たわっている。それを思えば、こうして妻と会える日ことが偶然であり、また奇跡であると言っても決して言い過ぎではないだろう。
僕は、隣で眠る妻の姿を確認しながら、明日を思う。明日また、妻はドアの向こうにいてくれるだろうか…。

「あ、もしもし~。ねぇねぇ、今日も会おうよ~。いいでしょ?何、旦那?大丈夫だって。ほら、あなたが言ってくれた『運命のドア』の話、まだあいつ信じてるからさ。爆笑だよね~。だから、家なんかいつだって空けられるよ。じゃあ今日も××ホテルでね。7時?オッケー。じゃまたね~」

一銃「運命のドア」

本作は、ポール・オースターのエッセイみたいな作品です。エッセイというより、なんというかなぁ、自伝みたいなものにどっちかっていうと近いと思うんだけど、自分がこれまで経験してきたことについて書いているような文章です。
本作は、原書となる本がアメリカで出版されているわけではありません。ポール・オースターは常々、アメリカにおけるエッセイの出版についてかなり懐疑的な意見を持っているようで、だからこの作品は、ポール・オ-スター自身が、日本でエッセイを出すならこういう風にして欲しいと目次まで組んだものになっています。文章自体は様々な媒体に書いてきたものを集めているんでしょうけど、作品としては日本オリジナルのものになっています。
内容は大きく三つに分けることが出来ます。
一つは、これが本作でもっともウェイトを占めるものになるのだけど、「その日暮らし」と題された。ポール・オースターのこれまでの生活の軌跡を追った内容のエッセイです。これはまた、貧乏との戦いの記録でもあります。
ポール・オースターはとにかく、普通のやり方で生活を支えるということをついにしたことのない人間です。いや、正確に言えば、人生の内7ヶ月を除いて、ということになります。ポール・オースターは人生の中で七ヶ月だけ、ちゃんと毎月給料が入ってくるようなハーフタイムの仕事に就きます。しかしそれ以外の作家になるまでのすべての時期は、綱渡りのようなギリギリの生活をやりくりしていたわけです。
とにかくポール・オースターの人生は、常に貧乏の隣り合わせでした。いつどんな時も金がなく、お金を手にするためにどうしたらいいのか、ということで常に追い立てられているような人生でした。船に乗ったり、山小屋の管理人をやったり、あるいは自ら考案したゲームで一山あてようと目論んだりしながら、なんとか日々を乗り越えてきたその記録が綴られています。
とにかくすごいのがそのやった仕事の数々で、翻訳の仕事をメインにやっていたのだけど、それ以外にも数々の奇妙な仕事に手を染めていました。ある婦人と一ヶ月メキシコに行く、なんていうよくわからない仕事もあったし、骨董のカタログの文章を考えるなんていう仕事もありました。また翻訳に関する仕事でも様々なトラブルや珍事があり、それらに打ち克ちながらポール・オースターは生活を続けていたわけです。ほとんど金がない時期に結婚したりと、なかなか無茶苦茶なことをやっていますが、女性の方もよくそれで結婚する気になったなぁ、と思ったりします。ポール・オースターという作家がどんな人生を歩んできたのか知ることの出来る内容になっています。
二つ目が、偶然に関する話です。そのメインとなるのは、「赤いノートブック」と題されたエッセイですが、それ以外にも偶然を扱った内容のものはたくさんあります。
とにかくポール・オースターというのは、これは本当の話なんだろうか、と読んでる人間が疑ってしまうほど、様々に奇妙な偶然によって彩られている人生を送っています。その大半は些細なものだし、もちろん自分の身に起こったのではない偶然も含まれているわけですけど、どれを読んでもそんなことが本当に起こりうるんだろうか、という話ばかりです。
しかしまあ嘘を書いても仕方がないので本当の話なんでしょう。どういう偶然が彼に訪れたのか、それは是非本作を読んで欲しいわけですが、本作を読んで感じたことが二つあります。
それは、

・僕らの人生は偶然に満ち溢れているのだけど、それに案外気づかないだけなのだ
・より多くの人に会えば会うほど、偶然に出会う可能性は増える

ということです。
ポール・オースターの人生は、確かに僕らの人生よりもより多くの偶然によって彩られているように思えます。しかしそれによって、ポール・オースターだけが選ばれた人間なのだ、と考えるのも早計のような気がします。
むしろ、僕たちは日々様々な偶然にさらされているのだけど、それに気づいていないだけなのだ、と解釈する方が無難であるように思います。
たぶん偶然というのは日常にありふれているのだろうと思います。森博嗣は、自分の足元に一枚の葉っぱが落ちてくることだって偶然の産物だ、みたいなことをどこかで書いていたような気がしますが、そうだろうと思います。つまり、それを偶然だと感じるかどうかという、受け手側の問題なのだろうな、と思います。
あと、これは当然の結論だと思いますが、より多くの人と関われば関わるほど、偶然というのは目に見えて起こりやすくなるのだろうな、と思いました。ポール・オースターは、本作を読む限りでも、かなり広範囲の人間と係わり合いがあります。もちろん継続される人間関係もあれば、ピリオドを打たれて終わってしまう人間関係もあるのだけど、その多様な人間関係の渦の中では、起こり得ないことでも十分起こりうるのだなという感じがしました。
さて三つ目は、その他としか言いようのない、雑多な覚書みたいなものです。9.11に関する文章もあればホームレスについての考察もあり、千年紀とサッカーと戦争を結びつけた話もあれば、ある死刑囚を救うよう知事に嘆願する文章もあります。まとまりはないですが、ポール・オースターがどんなことをどんな風に考えているのかということが分かるという点で、やはり面白い文章だと思います。
全体として、非常に面白いエッセイでした。エッセイというと日本では、日常についてダラダラ書いているようなものが多いような気がしますが、ポール・オースターのエッセイは、常に何らかの主張が含まれているように僕には思えました。主張というほど強くないにしても、通り過ぎる風景を描写しただけではない何かが強く残っているように思います。文章も、ポール・オースターの小説を読んだ時の印象のままで(まあ、訳者が同じだからという理由もあると思うけど)、充実したエッセイだなと思いました。とにかく買おうかどうしようか迷っている人は、冒頭の「赤いノートブック」の話をいくつか立ち読みしてみましょう。そうすれば、何だか買ってもいいかなっていう気になるかもしれません。

ポール・オースター「トゥルー・ストーリーズ」




チグリスとユーフラテス(新井素子)

「あぁ、お義父さん、お久しぶりです」
「いいから、座って座って。何だ、まだ注文もしてないのか」
「お義父さんが来てからと思いまして」
「まったく君は律儀というか固いというか。まあ今さら言っても仕方ないか。ちょっとすいません」
「あぁ、お義父さん、いいですよ。僕が頼みます。えーと、コーヒーでいいですか。じゃあコーヒー二つ、お願いします」
「さてと、今日は急に呼び出してしまって悪かったな」
「いえいえ、とんでもないです。お義父さんの方こそお仕事忙しいでしょうに」
「まあそれはいいんだ。今日は娘について、どうしても言っておかないといけないことがあったものだから」
「ちょっと怖いですね。何の話なんでしょう」
「これが、まあな。一筋縄いかないわけでな。ちょっと長い話になるんだが」
「ちょっとお義父さん、僕の緊張も分かってもらえますか?世間一般的に、妻のお義父さんと二人で話をするって、どう考えてもあんまりいい内容だとは思えないんですよね。だから、結論だけでも先に言ってもらえると気が楽になると思うんですけど…」
「いや、まあその気持ちはわからんでもない。でも、この話はとてもじゃないが普通には信じられない話なのだ。だから結論から話をしたら芳人君はただ混乱するだけだろう。私を信じて順に話を聞いていって欲しい」
「分かりました」
「ただこれだけは言っておこう。これから言うことは、芳人君を糾弾するような内容では決してないのだ。どちらかと言えば、娘に関して芳人君にお願いしたいことがある、という話になる。そう言った意味では安心してくれて構わないだが、でも決していい話というわけではない」
「聞けば聞くほど不安になりますね。でも大丈夫です。お義父さんが結婚に反対というのでないのなら、僕はどんな話でも受け止める覚悟があります」
「そう言ってくれると嬉しいよ。さて、じゃあどこから話せばいいかな。突然だが、娘は順調か」
「えぇ、もういつ陣痛が来てもおかしくはないんですけどね。本当は僕がついていてあげた方がいいんでしょうけど、妻は大丈夫だっていうもんだから、仕事をしていますけどね」
「まあ順調ならいいんだ。要するに今からの話というのは、その話になるんだ」
「あ、ちょっとすいません。妻から電話です。えっ、陣痛が来た。大丈夫って…。いや、行くって。ちょっと大人しく…」
「ダメだ。行くんじゃない!」
「は?」
「いや、すまない。そんな言い方をするつもりはなかったんだが。ただ、出来れば行かないで欲しい。もちろん妻が陣痛となれば、妻の元に駆けつけたくならない夫はいないだろう。しかし、そこを曲げて私の話を聞いてはもらえないか。とても重要なことなんだ。それに、正直に言えば、君は出産の現場に立ち会わない方がいいと思う」
「分かりました。奈菜、というわけでちょっと行けなくなった。一人で大丈夫か。後出来ればお医者さんに僕の電話番号を教えておいてくれよ。何かあった時こっちに連絡が出来るように」
「済まない。ただ私の話を聞けば、いやこう言った方がいいかな、私の話を信じてもらえるなら、ここで私が取った行動の意味が理解出来ると思う」
「…妻の妊娠に関する話だっていうことですよね。どんな話なのか聞かせてください」
「初め私は、君たちの結婚に反対だったんだ。というか、正直なところ、今でも反対だと言ってもいい」
「…やっぱりそういう話なんですね」
「誤解しないでもらいたいのは、芳人君の方には何も問題を感じていないということだ。問題があるのは娘の方で、恐らくその問題と今日直面することになると思う。その結果、君は妻を失うことになってしまうはずなのだ。私にはそれが分かっていた。だからこそ、娘を結婚させたくなかったのだ」
「それは…。出産のせいで妻が死んでしまう、ということですか?」
「意味合いは大きく違うんだが、そういう風に捉えてもらってそんなに間違いはない。そう、恐らく娘は、今日君の前から姿を消してしまうことになるだろう」
「そんなバカな!何でそんなことが分かるんです!」
「気持ちは分かるが落ち着いて欲しい。これが私なりの精一杯の贖罪なんだ。結婚の報告の時点で、娘は既に妊娠していた。そのことを責めるつもりはまったくない。娘が妊娠をしているという事実は、私からすれば遠からず君が妻を失うということを意味していた。しかし、君はもちろん、娘だってそのことを知らない。子どもまでもうけている二人の結婚を反対することは出来なかったのだ」
「その話はとりあえずいいです。どうして妻が死ぬことになるのか、その話をしてください」
「分かった。私の話を聞けば、娘は決して死ぬわけではないということも分かるだろう。
25年前のことだ。私の妹が結婚し、そして妊娠した。順調に陣痛がやってきて、そしていざ出産という状況になる。まさに今の娘と同じ状況だと思ってもらえばいい」
「そこで生まれたのが妻、ということですよね」
「…それは私の話を聞いていれば分かる。
その日、妹の旦那から電話が掛かってきたのだ。その声は怯えていて、とてもじゃないが何を言っているのか分からなかった。ただ、何度か聞くうちに、妹がいなくなったと言っているんだ、ということが分かってきた。よく分からないが大変なことになっているらいしと思い、病院に駆けつけたのだ」
「…なるほど、遺伝的に妻もそうなる可能性がある、ということですか…」
「…病院に駆けつけると、妹の旦那は放心していて、話せる状態ではなかった。だから分娩を担当した医師に話を聞こうとしたのだけど、彼は母体が消えてしまったのだ、というのだ。そんなバカな、と私は詰めよった。すると、妹の旦那がビデオカメラを回していたからそれを見ればいい、と言ったのだった。
私は病院内でビデオデッキを借り、妹の旦那が撮っていた出産の場面を見た。
恐らくこれから僕が言うことは信じられないだろう。しかしこれは事実だ。その当時のビデオも、未だに取ってある。それを見せることも可能だ。
苦しい表情を浮かべた妹が必死で赤ちゃんを産もうとしている姿が映っているのだけど、おかしなことになったのは、赤ちゃんの頭がちょっと見えた辺りからだった。その時、妹の頭がちょっと首に埋まったように見えたのだ。初めは錯覚なのかとも思ったのだけど、赤ちゃんがどんどん出てくるにつれて、妹の頭はどんどん胴体にめり込んで行き、その内頭が見えなくなり、首や胸までも胴体の中にめり込んでいくようにしてなくなっていったのだ。まるで、妹の体が自分の身体にどんどんめり込んでいく力が赤ちゃんを押し出しているのではないかと錯覚するような、そんな光景だった。もちろん、ビデオに写っていた医師や看護婦なんかも悲鳴を上げていたよ。
しまいには、妹の身体のありとあらゆる部分が性器に吸い込まれていき、そして赤ちゃんの身体が完全に外に出きった時、妹の身体はすべて消滅してしまったのだ。
君ならこれをどう解釈する?私は、これは妹が生まれ変わったのだ、と解釈したよ。つまりだ、君の妻であり私の娘である奈菜は、同時に私の妹でもあるのだ。そして恐らく今日、またあの日と同じことが起こることだろう」
「…もしもし。生まれましたか。よかった。…えぇ、大丈夫です。分かってます。妻の身体が消えてしまったんですよね?えぇ、分かってます。分かってますよ。分かってますよ!」

一銃「クラインの壺」

今回の話は自分的には結構気に入っています。会話だけの話っていうのも幾つか書きましたけど、今回はそこそこ成功しているかな、と。あと、「クラインの壺」っていうのは、内側と外側の区別のない図形で、表と裏の区別のない「メビウスの輪」みたいなものです。なんとなく僕のイメージでは、この出産シーンは「クラインの壺」みたいな感じがするわけです。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、なかなか説明するのが難しい作品ですが、まあ頑張ってみましょう。
まず、惑星ナインというものについて書きましょう。
未来のある時、地球人はどこか遠くの惑星に移民をしようと考え、それを実行します。移民計画はワンからイレブンまであり、それぞれの名前の惑星があることになります。惑星ナインは、地球の日本人が計画したもので、惑星ナインのベースは日本ということになります。
その移民計画を実行し成功に導いたとして神のような扱いを受けるキャプテン・リュウイチとレイディ・アカリ。この二人を祖として(しかし実際この二人には子どもは出来なかったのだけど)、惑星ナインというのは発展していきます。
その発展を支えたのが、人工子宮で、とにかく人工を増やさなければならなかった時期、この人工子宮を使って子どもをどんどん増やして行き、国家としての基盤を作ったわけです。
しかし惑星ナインはやがて出産の問題に直面することになります。どういう原因でかは分からないのだけど、出生率が大幅に低下し、生殖能力のある者が特権階級となるような、そんな社会になっていきます。そしてその社会では、静かに囁かれる噂がありました。それは、いずれ<最後の子供>が生まれるに違いない、と…。
さて本作は、そんな惑星ナインの歴史を逆さに辿る、逆さ年代記という体裁になっています。
物語の設定はこうです。今惑星ナインには、コールドスリープという、まあ要するに冷凍保存技術によって冬眠している人達と、そして<最後の子供>であるルナだけが存在しています。ルナはもう長いことこの惑星ナインで一人で暮しています。70歳を越えていますが、自分のことをルナちゃんと呼び、少女のような格好をした、異様な存在です。
このルナが、コールドスリープで眠っている人を一人ずつ起こしていきます。一人で暮していくのは退屈だから、という理由で。
しかし起こされた方はたまったものではありません。起こされた人々は、自分が生きていた時代のことを思い出し、それを文章にして残します。何でそんなことをするかと言えば、今後もルナに起こされる人は確実にいるわけで、となれば知っている事実を書き残して置くことは有益だろうと思われるからです。
つまり本作は、ルナによって起こされた、かつて惑星ナインで暮していた人々が、<最後の子供>であるルナと一緒に生活をし、また過去のことについて回想したことで出来上がっている作品、というわけです。
こうやって人に説明するのは至極骨の折れる作品ですが、しかし内容的にはまったく難しくありません。文章は一人語りのような体裁で読みやすいし、本作はSF作品という括りでたぶん合ってると思いますが、SFのような難しい用語や設定は出てきません。それでいて、なかなか深いところを衝いてくる作品で、僕の理解では本作はある狭い範囲では結構メジャーな作品のはずなんだけど、その理由はなんとなくわかるな、という気がしました。
本作で語り役として選ばれる四人の女性がいます。マリア・D、ダイアナ・B・ナイン、関口朋実(トモミ・S・ナイン)、レイディ・アカリの四人です。この四人は、生まれた時代もその社会環境も全く違っていて、その違いが非常に面白いと思いました。
まずマリア・Dは、子供がまったく生まれなくなってしまう惑星ナインの最終期に生きた人です。マリア・Dは生殖能力ありとされていたので特権階級でいられたわけですが、とにかくマリア・Dの時代では、子供が生めるかどうかですべてが判断されてしまうような、そんな時代でした。子供が一人生まれると記者会見を開き、また少女が結婚可能な年齢に達するとお祝いのパーティを開き、人によってはそのパーティの場に大統領からの祝辞が届くというような、そんな世界です。
このパートでは、生殖能力があり特権階級でいられたマリア・Dが、しかし何故かまったく妊娠できないということの苦悩が描かれます。社会的にも、子供が産めないと価値がないと判断されるような時代で、マリア・Dはどんどん追い詰められていき…。
ダイアナ・B・ナインは、マリア・Dよりも前の時代に生きた人で、惑星管理局という当時の最高の特権階級にいた人です。この時代は、とにかく子供はバンバン生まれてきた。一人で5人6人なんてざらである。そんな時代だった。
しかし大きな問題が存在した。それが、食料不足だ。惑星ナインは、急激な人口増加に対応しきれず、また天候の悪化ということもあり、とにかく食料事情は最悪だったのだ。
そんな社会の中で、食料をどう配分し、さらに誰を生かすべきかという判断をすることになるのが、惑星管理局というところです。惑星管理局というのは、とにかく長期的にみて<必要な人間>が生き残れるようにすべてを差配することが仕事であり、また同時に、なるべく餓死者を出さずに乗り切るにはどうすべきかを考えることが仕事でもありました。
このパートでは、誰が生き残るべきかという究極の判断を同じ人間がするということについて深く考察されます。ダイアナ・B・ナインの考えは、仕方ない部分もあると思うし、でも感情面では到底納得できない部分もあって、なかなか考えさせると思います。
関口朋実は、ダイアナ・B・ナインより前の時代に生きた人で、関口朋実は、移民のために宇宙船に乗って惑星ナインまでやってきた乗組員の直系の子孫であるということで特権階級の地位にいるわけです。
この時代は、当初の移民の家系であるのか、あるいは人工子宮で生まれた家系なのかということですべてが決まる社会が描かれます。それは即ち名字の問題に帰結し、この時代には、名字を持つ者が偉い、という風潮が出来上がってしまうわけです。
このパートでは、そんな時代にあって、特権階級として生まれてしまうことの苦悩が描かれます。移民の直系の家系であれば、とにかくどんな状況であっても優遇されてしまうわけです。それは一方では非常にありがたいことなのだけど、しかし一方では非常に残酷なことで、その狭間で関口朋実が揺れる様子が描かれます。
そして最後が、まさに移民船に乗って惑星ナインにやってきた人であり、同時に惑星ナインにおける女神になったレイディ・アカリです。このパートでは、アカリとリュウイチが地球にいた頃の話から移民を決断するまで、そして移民船での話や惑星ナインに辿り着いてからの話が描かれるのと同時に、レイディ・アカリがルナに何をしてあげるべきなのか、ということが語られていきます。行きながら女神にならなければならなかったアカリ。死ぬことさえも許されなかったアカリ。そんなアカリの人生が描かれます。
どのパートもそうですが、非常に話の持っていき方がうまいなと思いました。確かに自然とそうなっていくだろうな、という状況の変化を刻々と描いているような印象で、どの時代の話も本当に巧く出来ていると思いました。特に、冒頭の子供を産むことが絶対という社会と、その次の子供はどんどん生まれるけど食料がないために生き延びることが難しい社会の対比が面白いと思いました。
また、下巻がまるまるレイディ・アカリの話なんだけど、どうして移民をすることになったのか、リュウイチとアキラの存在、アカリの人柄、そうしたものすべてが素晴らしくぴったりと嵌まっていて、すごく面白かったです。この話を、一応大まかな設定だけは考えていたようだけど、逆さ年代記という形で雑誌連載でやっていくのは相当難しかったんじゃないかな、と思います。
また、この作品ではとにかくルナの存在が一番特異で奇妙な存在です。70を越えているのに少女のようで、不気味。何を考えているのか初めの内はよく分からない。段々ルナの本性が見えてくるようになって、もちろん同情できる部分もあるし反発したくなる部分もあるのだけど、そういうことすべてをひっくるめて、ルナという存在にどんどんと関心が湧いてきます。<最後の子供>としての生を生きなくてはならなかった一人の人間の悲哀みたいなものをすごくよく描けているなと思いました。
さて最後に。本作のタイトルである「チグリスとユーフラテス」というのは、蛍の名前です。意味分かりませんよね。まあ別に作品の中でそんなに重要な話でもないんですけど、何故蛍がチグリスとユーフラテスなのか、読んでみてください。
日本SF大賞も受賞しているようで、なかなかの力作だと僕は思いました。SFは苦手だと思っている人でも十分楽しめる作品だと思います。ただ、出産とか子供とかそういうものに何か嫌な思い出があったりトラウマみたいなものがある人は読まない方がいいと思います。基本的に全編通して語られるのは、妊娠とか出産とかそういう話をベースにしていますからね。
なかなか傑作だと思います。是非読んでみてください。

新井素子「チグリスとユーフラテス」




流れ星と遊んだころ(連城三紀彦)

今日はバット祭当日だ。小さな田舎町では、一年を通して最も大々的なイベントである。
今年はちょうど400周年に当たる年で、例年にも増して盛り上がりを見せている。地元のテレビ局も力を入れているようだし、準備にも念が入っている。今年こそは何か起こるのではないか、と思っている人は多いのではないだろうか。
400年前から続く祭りなのに、「バット祭」なんていう名前であるのは変だと思うかもしれない。元々この祭りは「バットウ祭」と呼ばれていて、漢字を当てると「抜刀祭」ということになる。それがいつしか変化して、「バット祭」と呼ばれるようになったようだ。
このバット祭、やることは非常に単純である。もちろんお祭であるから縁日も出るし、神輿も担ぐ。町中の飾りつけも派手で、人々は皆浴衣を着て歩き回る。しかし、そういう普通のお祭的なイベントの他に、このバット祭には重要な祭事があるのだ。
それが、バット祭の元々の名前である抜刀祭に関係しているのだ。
町の中心部から少し外れたところに、抜刀神社がある。この抜刀神社には、岩に突き刺さった状態でずっと抜かれることのない刀がある。抜刀神社のご神木でもあるのだが、この刀にはある言い伝えがあるのだ。
毎年バット祭の開催の宣言と共に読み上げられるその言い伝えは、こういうものである。

『ニジュウガヨンジュウツドイシトキ、カタナハヌケル』

言い伝えは文書で残されており、実際このような形でカタカナの表記になっているらしい。
これを400年前の人は、『二十歳になった者を四十人集めれば刀は抜けるのだ』と解釈した。これがバット祭の由来である。
今年も、二十歳になったばかりの男女が四十名選ばれ、この刀を抜くという大役を仰せつかることになる。僕もその一人で、なんとオオトリを勤めることになったのだ。とはいえ、この抜刀の祭事は多分に儀式的な趣を見せていて、もはや誰も抜けるとは思っていない。そういう意味では形ばかりのものなのであるが、しかし400年も続いてきた儀式に自分が参加するというのも、何だか感慨深い。
抜刀の儀式は、バット祭の終わりに行われる。抜刀の儀式を以って祭りは終了となるのだ。だから僕も集合の時間までは、友達と縁日を廻ったり、集まっている報道陣の周りをうろうろしたりしながら時間を潰した。
そうして抜刀の儀式の時を迎えたのだった。
抜刀の儀式はかなり形式が決まっていて、白装束を来たり、一週間前から特別な方法で保管しておいた水で手を清めたりといった手順がかなりある。それは、これまで毎年見物していた僕が言うのだから間違いないのだけど、外から見ていてもただ退屈なだけだ。厳粛さがひたひたと音を立てているだけで、それ以外には何もない。しんとした空気の中、誰もが静まり返って事を見守っている。400年間誰も抜けなかった刀だ。今年だって抜けるはずがない。皆それがわかっていても、どこか期待してしまう部分があるのだろう。
僕の番が回ってきた。前の人と同じ手順を繰り返す。僕がオオトリだからだろうか。心なしかシャッターを切る音が多くなっているような気がする。ふと心細い気分になって空を見上げると、カラスがふわりと宙を飛んでいた。なんとなく嫌な予感がした。
刀が突き刺さっている岩の前に立つ。普段から見慣れている光景だ。バット祭当日以外は誰も触れられないようになっているとは言え、それは普段と変わらぬ場所に普段と変わらぬ有り様で存在していた。しかし、周りの空気がそうさせるのだろうか、あるいは何かの予感を感じ取ったのだろうか、まるで初めて見るものであるかのように感じられた。
刀の柄の部分に手をかける。そのまま力を込め、一気に引っ張り上げる。
それは抵抗もなく、あっさりと抜けてしまった。一瞬、すべての時間が止まってしまったかのような沈黙が訪れ、それから思い出したかのようにカメラのシャッター音が響き渡り、それからはもうどうなったのか分からなかった。とにかくもみくちゃにされたことと、刀が人に当たったらまずいと思ったことだけは覚えているのだけど、それ以外のことはもう何が何だかわからなかった。
それからは僕の人世はまさに一変したと言っていい。町の中だけではあるが、僕はまさに英雄となったのである。それからの人生については書くべきことは多くない。恵まれた生活を保障され、何不自由ない生活を送った、とだけ書いておけばいいだろう。
ただ一つだけ、僕以外には誰も知らない真実がある。
僕は町においてはありとあらゆる権利を持つことが出来たので、抜刀神社に伝わるという言い伝えの原本を見せてもらうことができた。あの刀を抜いた時から、何故自分に抜けたのかがどうしても気になって、やはり謎を解く鍵はあの言い伝えにあるのだろう、という結論に達したのだった。
僕はその原本をじっと眺めていたのだけど、するとあることに気がついた。それで謎はすべて解けたと言っていい。
要するに、昔の人が読み間違えただけなのだ。『ヨンジュウ』ではなく、『ヨンジョウ』だったのである。『ュ』と『ョ』が微妙に判読し難いのだけど、でもおそらく間違いないだろう。
つまり本当の言い伝えは、

『二十の四乗集いし時、刀は抜ける』

だったのである。20の4乗は16000。つまり、16000人目の人間がこの刀を抜くことになっているよ、というだけの話だ。毎年40人が挑戦し、あの年が400年目だったのだから、僕が抜いて当然だったというわけである。
これはもちろん誰にも言っていない。言えば今の僕の立場が失われてしまうことはわかっているから。

一銃「バット祭」

そろそろ内容に入ろうと思います。
花ジンという俳優のマネージャーをしている北上梁一はある夜、ふらりと入ったバーでウイスキーを飲んでいた。そこへ入ってきた一人の女性。何故か隣に座り、30分だけいさせてと言った謎の女。気づけば梁一は彼女と車に乗って横浜の倉庫街まで行き、車でコトをなそうとしていた。
そこに現れた一人の男。自分の妹に手を出した、慰謝料を払ってもらう。そう言って梁一を脅した謎の男。明らかにヤクザ者と思える相手に、梁一も一旦は怯んだ。
しかし、梁一はそこで、普段の自分からは考えられないほどの大胆さを見せて、相手を逆にやりこめてしまった。梁一にはある予感があったのだ。うまくすればこいつを役者として売り込むことは出来るんじゃないか、と。
それから梁一は一世一代の大勝負に打って出る。かなり危ない橋を何度も渡りながら、自分が願った夢に向かって走り続ける梁一。
そしてついに、秋馬駿作というスターが誕生するのだが…。
というような話です。
正直そこまで期待はしていなかったんですけど、それなりに面白い作品だったなと思いました。
本作では、芸能界という普段僕らにはまったく馴染みのない世界を描いているわけですけど、そんな人間にも、なるほどこういう世界なのかもしれないな、と思わせる設定でした。もちろん、本当にその業界に身を置いている人からすれば全然現実とは違うのかもですけど、でも何も知らない普通の人が抱くイメージをうまく掴んでいると思いました。虚飾入り混じった世界で、表の顔と裏の顔を使い分け、二枚舌ならぬ三枚舌ぐらい必要で、嘘をつくことなんか日常茶飯事みたいな世界で、梁一はなんとか自分の賭けを成功させようと奔走します。
梁一はそもそも、花ジンという俳優のマネージャーなわけですけど、この花ジンがなんともムカツク男で、梁一は始終腹が立っています。しかし花ジンから離れて何かできるとも思えない。仕方ないから我慢するしかないという鬱屈した生活を送っています。
そんな中で、梁一が運良く掴んだ一筋のチャンス。梁一は自分が這い上がるために他を蹴落としてでものしあがろうとします。
しかし途中からそれが段々おかしくなっていって、で中盤なかなか面白い展開になります。なるほどそう来るか、という感じで、なかなか面白いなと思いました。
梁一を罠に嵌めようとした二人は鈴子と秋馬というんですけど、この三人の三角関係もなかなかに異常で面白いと思います。鈴子という女性を梁一と秋馬が奪い合う、なんていう単純な図式ではないわけです。まあなかなかに入り組んだ関係で、ひと言で説明できるようなものでもないですけど、捩れちゃってるなぁ、って感じです。特に鈴子という女性がかなり不思議な感じで描かれていて、変わった感じの女性が好きな僕としてはなかなかいいなと思いました。
連城三紀彦という作家の作品は初めて読みましたが、なかなか読ませるなと思いました。ちょっと渋い感じもありますが、それは著者がもう60歳近いわけでしょうがないかなとも思います。まあ読んでみてもいいかな、というぐらいのオススメ度の作品かなと思います。

連城三紀彦「流れ星と遊んだころ」




石塚さん、書店営業にきました。(石塚昭生)

ピンポ~ン
「は~い」
「初めまして、わたくしシュシュコレクトという会社の者なんですが」
「保険ですか?保険は間に合ってますので」
「いえいえ、保険ではありません。今日見て頂きたいのは、わが社の新しい商品でありまして」
「あんまり時間はないから手短にね」
「承知しております。今回ご紹介させていただくのは、『あ』です」
「『あ』ですか?」
「そうです。ご存知でしょう?あのひらがなで有名な『あ』です」
「そりゃあもちろん知ってますけどね」
「わたくしどもはこの度、様々な『あ』の開発・蒐集に着手いたしまして、ようやくそれを商品として販売できる見込みが立ちましたので、こうしてご訪問させていただいています」
「なるほど。で、どんな『あ』があるんですか?」
「そりゃあもちろん、ありとあらゆる『あ』が揃っております。一例を申し上げますと、発音すると『い』に聞こえてしまう『あ』ですとか、夏目漱石が初めて書いたと言われる『あ』ですとか、世界でもっとも小さな『あ』ですとか、それはもう様々なものを取り揃えております」
「それは素敵ね!ちょっと興味が湧いてきたわ。他にはどんなものがあるの?」
「わたくしのイチオシはですね、こちらですね。ほら見てください、この曲線美。まさにこれ以上ないと言っても過言ではないほどの美しさを兼ね備えているとは思いませんか?」
「ホントね!こんな美しい『あ』は見たことがないわ」
「『あ』のありとあらゆる箇所に黄金比を適応させました『黄金のあ』という商品でして、多くの方にご好評いただいております」
「なるほど。それから他には?」
「例えばこちらはですね、水に浮く『あ』です。ほらこうしてコップに水を入れて中にこの『あ』を入れると…」
「あらホント!浮いてるわ。すごいじゃないの!」
「世界に1000羽しか残存していないと言われる超貴重種であるザブラミンゴという鳥の羽毛を使用した『あ』でして、大変貴重なものとなっています」
「ますます素敵だわ!本当にどんな『あ』でもあるのね」
「わが社としても、社運を賭けた企画でありますから、かなり頑張らせていただきました」
「でも私が欲しいのはそんな『あ』じゃないのよねぇ」
「といいますと」
「私が欲しいのはね、今まで誰も見たことのない『あ』なの。それが手に入るなら、多少高くてもお金は出してもいいわ」
「誰も見たことのない『あ』ですか…。それは難しいですね」
「それがね、実はそうでもないの」
「どういうことですか?」
「その前に、ちょっと待ってね…。えーっと、あったあった、これこれ。この錠剤をちょっと飲んでくれませんか?」
「それが何か関係あるんですか?」
「もちろんよ。ほら、誰も見たことのない『あ』を見たいでしょ。だったら早く飲んでちょうだい」
「わかりました…。これでいいですか?っ、えっ、えーあーっ…」
「ごめんなさいね。その錠剤は、人間を『あ』に変えてしまう薬なの。一人ひとりの個性に合った『あ』になるから、誰も見たことのない『あ』になるのよ。ふー、でもやっとこれで6個かぁ。コレクターの道は長いわねぇ」

一銃「あ」

自分でも、今回の話はちょっと意味不明だな、と思います。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作はなかなか面白い視点の本で、こういう本は今までなかったように思います。
著者は現在書店や出版のコンサルタントをしているそうですが、かつては書店の店長でした。その書店員という視点から、書店営業はかくあるべし、という指針を示した本ということになります。
営業について書かれた本というのは世の中にたくさんあるような気がしますが、その大半は営業マン自身が自身の経験を元に書いているものばかりだと思います。もちろんそれが悪いとは言いませんし、ノウハウを伝えるという意味ではいいんでしょうけど、でも確かに、営業をされる側の視点から、営業にはこうあって欲しい、という提言が書籍という形でされることはほとんどないような気がします。そういう意味で本作は、非常に面白い視点の本だなと思います。
著者は自身でも宝石の営業をしたことがあるようで、書店営業ではありませんが営業という仕事を知らないわけではありません。そういう意味でも、本作のようなコンセプトの本を書くのにうってつけの人だったのだろうな、と思います。
内容としては、まあ僕が書店員だからということもあるかもしれませんが、至極当然のことが書かれているように思いました。元書店員が、書店員だった頃の立場で書いているので、書店員である僕が納得出来るというのも当然かもしれませんが。
また、結構昔の話ですが僕は心理学的な本をちょっとだけかじったことがあって、そういう部分と照らし合わせてもごくごく当たり前のことを言っているように思いました。
とにかく本作で著者が主張していることは、書店員というのは忙しいのだ、ということです。もちろん、ありとあらゆる業種の人が忙しいのだと思うし、書店員だけが並外れて忙しいなどと僕も言うつもりはありませんが、しかし現状で書店員というのは妥当と思われるキャパシティを大きく逸脱した忙しさの中にある、ということは正しいと思います。
著者の視点からすると、現状の書店営業というのは、書店員の忙しさというものをあまり考えていない風に映るわけです(まあそれについては僕も賛成です)。もちろん本作で著者は、書店員というのはちょっと間違った方向に頑張りすぎているために忙しいのだ、というようなことも書いていますが(確かにそれも正しいと思います)、しかし書店員が正しいかどうかはとりあえず問題ではない、と著者はいいます。正しいかどうかは別として、書店員というのは現状で忙しいのだから、なるべくそれに合わせようではないか、ということです。営業の人からすれば、それぐらいやってくれよとか、何でそんなことこっちがやらないといけないんだ、というような意見もあるだろうと書きつつ、でもそう言わずとりあえず書店員に合わせるのがいいんじゃないか、と書いています。まあ確かに書店員の立場としてはそうだな、と思いました。
もちろん営業の人だって、一人で無茶苦茶広い地域を任されているわけで(大手の出版社でも、営業の人間というのはかなり少なかったりします。小さな出版社だと、数人の営業マンで全国をカバーするなんていう、明らかに無茶なことをしているのも知っています)、お互い大変なのは分かっていますが、それでもやっぱり書店員としては、こちらに合わせてくれる人がいれば優先したくなるのは人情ではないかと思います。
僕のいる店にも営業の人が来てくれますが、まあ確かにいろんなタイプの人がいます。オドオドビクビクしてたり、ものすごく腰が低かったり、逆にものすごく高圧的だったりと様々で、いろんな人がいるなぁ、と思います。
僕は、結構営業の人に寛容だったりします。寛容という言い方はおかしいですが、来てくれるならまあ注文してあげようかと思うタイプだったりします。もちろん断るものは断りますが、基本的にはまあ注文しようかなというスタンスでいたりします。だから営業さんからすれば楽なんじゃないかなとか思ったりします。
ただやっぱり、うまく提案してくれる人とそうでない人では注文しようという気持ちにも差が出ますね。営業さんによっては、これを仕掛けたいから協力して欲しいというような人もいれば、出版社がオススメだというものをただ勧めてくるような人もいて、もちろん前者の方が売ってやろうという気にもなります。
あとは、やっぱり本を読んでいる営業さんとは長く話をしてもいいなとか思ったりします。営業さんによっては、「最近読んだ本で面白いのは何でした?」みたいなことを聞いてくれる人もいて、そうなると時間がなくても話をしようとか思ってしまいます。逆に、これが面白かったですよ、なんて他社さんの本でもいいからオススメしてくれると、なんとなく嬉しくなったりしますね。
あと、本作ではこういうのはあんまりよくない、と書かれていましたが、僕は営業さんが自社の本を「あんまり面白くなかった」というのはいいと思っています。本なんて、万人に受けるわけじゃないんで、ある個人がつまらなかったと言っても、別の個人が面白いと思うことは十分にあるわけです。僕も、自分では到底受け入れられないようなつまらない作品が無茶苦茶売れたりして、初めの内はなんだかなぁ、という感じでしたが、今では全然平気です。だから、営業さんが「つまらなかった」と言って自社本を悪く言うことを否定する気はなくて、逆に書店員に勧めようとしている本を自分でも読んでいるという事実に好感を持ったりします。
なので、まあ本作に書かれていることがすべての書店員に当てはまるということはまあないのでしょうけど、ある程度参考にはなるだろうとは思います。
営業さんの一人に、ちょっと前に文庫の新レーベルを立ち上げた出版社の方がいて、その人が意見を聞くために結構よく店にきます。注文を取りに来るのではなく(注文を取っていくこともありますが)、メインは意見を聞きに来ることで、正直なところこっちとしては時間がないんだけどなぁ、とか思ったりします。ただ、やる気があるのは分かるし、どう活用されるかは分からないけど意見を吸い上げてもらえるのは悪くないので、いつもなるべくちゃんと対応するようにしています。
ただ、その人の意見の聞き方が漠然としすぎていて結構困ったりします。大雑把に言ってしまえば、「何か意見はありませんか?」という質問しかしないんです。だから僕はいろいろ考えて無理矢理意見をひねり出したりするんですけど、でももっと具体的に、「これこれについてはどうですか?」みたいなことを聞いてくれる方が答えやすいんだけどなぁ、とか思ったりします。
あと、これは営業さんには直接関係ない話なんだけど、僕個人の話でして、僕はもう人の名前をまったく覚えられない人で、今来てくれている営業の人の名前は一人も分かりません。これはいつも酷いなと思っているんですが、ダメですね。努力すれば覚えられるんでしょうけど、でも既に何度も来てくれている人に、「名前を覚えていないんで教えてもらえませんか?」というのも気まずいし、そうするといつまでも名前がわからないということになります。
でも、営業の人とというのはものすごく間隔を開けて来るようなことも多くて(半年に一回とか)、そうなると営業の人が新しく来ても、この人は頻繁に来てくれるかどうか判断できないので、名前を覚える気になれない、というのもあります。で、あぁこの人は頻繁に来てくれるんだ、ということが分かってからではもう名前を聞くチャンスはないということになるわけですね。
だから僕のささやかな希望としては、注文書なんかに営業さんの名前の判子とか押してもらえるといいですよね。もちろんこんなこと、そもそも僕が努力をしろや、という話なんですけど、まあそうしてくれるとこっちも助かるなぁ、みたいな感じです。営業の人が来るたび、いつもあなたの名前覚えてないんですけどねぇ、と心の中で申し訳なく思っております。ウチに来てくれる営業の方、すいませんです。
本作には、『書店業界あれこれ』というコラムもいくつか載っていて、それもなかなか面白いです。要するに、書店を含めた出版業界がいかに破綻したビジネスモデルとなっているか、を書いていて、まあ現場にいる僕としても、確かにそうだよなぁ、と思わないでもありません。森博嗣という作家も、このまま出版というビジネスが今の形態のままあり続けるとは思えない、と言っていて、やっぱり出版業界というのは先が暗いんだな、と思ったりします。書店の現場レベルでなんとかしようという動きは様々にありますが(書店同士で横のつながりを持ったり、本屋大賞なんて賞を創設したりというような動きです)、業界全体としての動きみたいなものはやはりあんまりないように思います。難しいものです。とにかく、せめて客注品だけでももっと早く入るようにして欲しいんですけど、どうにかならないもんですかね。一週間から10日前後かかります、と毎回言わなくてはいけないのは、やはり辛いものがありますね。
あと本作に書かれていたことでへぇ、と思ったのが、コンビニのポテトチップスの話です。コンビニではポテトチップスは実はあんまり売れていないんだそうです。でも割といい場所に結構スペースを取って置いてある。それは、かつてポテトチップスをよく買っていた世代が客単価の高い購買層になっている。だからあんまり売れなくても残してあるのだ、ということです。書店も同じで、売れないからと言って置かなくていいというわけではないところが難しいところで、そういう部分も含めて、僕はまだまだダメだなぁ、と改めて思いました。
そんなわけで、書店営業の方にはなかなか面白いかなと思います。役に立つかどうかは別として、書店員の本音が分かるんではないかな、という気はします。その本音を、自分の営業にどう活かすかはまた個々人で考えてもらうということで。

石塚昭生「石塚さん、書店営業にきました。」


プラトン学園(奥泉光)

ある日、一通の受験票が自宅に届いた。それがすべての始まりだったといえるかもしれない。 僕は、どこにでもいるような、普通のサラリーマンだ。スーツを着て、満員電車に乗って、少しは残業して、たまに上司と酒を飲み、休日はゴルフをするような、そんなどこにでもいるつまらないサラリーマンだ。 もちろん、資格の勉強をしているというような事実はない。以前簿記の勉強をしようと決意したこともあったが、もう昔の話である。時間の流れに任せるようにして怠惰な生活を送っている身には、試験などというものはもう関係する余地もないのである。 そんな僕の元に届いた受験票。初めは一体何のことだかさっぱりわからなかった。いや、正確に言うなら、結局ずっと何のことだかわからなかったと言っていいだろう。 それは、日本試験監督教会、というところが送ってきたもののようで、どこで入手したのか、僕自身の写真まで貼られていた。試験日と会場が記されていて、その試験日は一ヵ月後に迫っていた。 もちろん、行くつもりなどまったくなかった。今さら試験なんか受けたってどうにかなるものでもないし、第一めんどくさい。新手の詐欺かもしれないが、それにしても無視してしまえば何の問題もないはずである。 しかし結局試験日当日、会場まで足を運んでしまったのは、その一週間前に偶然あった高校時代の友人の話を聞いたからだった。 何でもこの試験については一部では話題になっていて、インターネット上でもトピックスとなっているらしい。そこからの情報によれば、出来る限り行った方がいいらしい、ということだった。彼も詳しいことは分からないようだったが、何でも行かないと罰則があるとかいうことで、まあ別に用事があるわけでもないし、NHKの受信料の支払いみたいで嫌だけど、まあ仕方なく行くことにしたのである。 会場にはとにかく様々な人が集められていて、もしかしたらある一定以上の年齢のすべての人に受験票が送付されているのかもしれない、と思った。何日か試験日を別に設定すれば不可能ではないような気もする。しかしそこまでして何をさせたいのかというのはよくわからない。 周囲の人の顔を見ると、何とも納得しがたいという表情の人が多く、しかしどこかで噂を聞きつけたのだろう、ヤンキー風の若者までいたのには驚いた。 試験自体は、どうということはなかった。いや、スラスラ解けたというようなことではない。もちろん苦戦したのだが、しかし試験内容は数学や国語など、極々普通のものだった。これだけ多種多様な人々を集めてどんな試験をさせるのかと思っていただけに、そこは拍子抜けと言ってよかった。とにかく、自分でもよく分からないまま、なんとなく高得点を取らなければいけないような気がして、制限時間いっぱいまで頑張って解答をした。 それからしばらく何事もなかった。しばらくというのは、数年ということである。初めのうちは、試験を受けさせるだけ受けさせて、その後何もないのかと憤慨したものだが、数ヶ月も経つとそんなことがあったこともすっかり忘れ、一年も過ぎると思い出すこともなくなっていた。 そんなある日のこと、合格通知が届いた。もちろん何のことだかさっぱり思い出せず、日本試験監督協会の名前を見てもピンと来るものはなかったが、ようやく記憶が繋がり、そういえばそんな試験を受けたなということを思い出した。 合格通知と一緒に、何か錠剤のようなものが同封されていた。中の説明書きを読むと、合格した証として与えられるもので、それを飲むことで真実が明かされるのだという。僕はよく考えもせずにその錠剤を口に入れたのだが、飲み込んだ直後、これは毒物とかそういうものなのではないかという思考が過ぎり、何か思いもかけない衝撃に襲われるのではないかと思って目を閉じた。 しかし、まあ当然と言えば当然で、身体には何の変化もない。まあそりゃそうだ、と思って僕は目を明けたのだけど、しかし衝撃はそれからやってきた。 僕はどこかに横になっていて、繭のような形をしたベッドのようなものに寝かされているようだ。起き上がってみると、同じ形をしたベッドが無限に続くと思われる真っ白な空間にずらりと並んでいて、その一つ一つに人が横になって寝ている。ちらほら起き上がる人の姿があって、しかしずっと寝たままの人もいる。 もしかしたら、と僕は想像の翼を広げる。僕が今まで生きていた世界は夢だったのかもしれない。この真っ白な空間だけが現実で、僕は試験に合格したために覚醒を余儀なくされてしまったのかもしれない。 相変わらず無音のまま、何の変化もない光景が広がっている。もしこれが本当に現実だとするなら、どれだけ夢の方がよかっただろうか、と思う。何を後悔したらいいのかわからないまま、僕はそのまま後悔に溺れることになる。 一銃「受験票」 要するに、「マトリックス」のパクリです。ちゃんと映画見たことはないですけど。 そろそろ内容に入ろうと思います。 舞台は、日本海に浮かぶ象島という小さな島。その島に立つ私立校であるプラトン学園に英語の教師として赴任することになった、大学を卒業したばかりの木苺惇一という青年が主人公である。 木苺は、プラトン学園がどういう学校なのかよく知らないままに赴くことになるのだが、少し触れてみて、どうにも変なところだなという感想を抱く。何故か昼寝の時間が設けられているし(寝ることで学習度がアップするということらしい)、顧問になった野球部には部員が一人しかいないし、不自然なほど整ったコンピュータの環境が整備されているし、一緒に働く教師たちもどこかおかしい。 一番おかしいのは、かつて自分の前任者だったらしい石黒という教師の存在である。石黒先生は事故で死んだために木苺が呼ばれることになったようなのだが、しかし学園内にはまだ石黒の存在が残っているように思える。もしかしたら実際は死んでいないのかもしれない、なんてことを言う人間もいる。結局何がどうなっているのかよくわからないまま、木苺の教師としての生活は始まっていく。 次第に木苺は、コンピュータ内に完璧に再現された『プラトン学園』での探索に時間のほとんどを費やすことになるのだが…。 というような話です。 つい最近読んだ「鳥類学者のファンタジア」があまりにも素晴らしい作品だったので、奥泉光をちょっと追いかけてみようと思って読んだんですが、本作はちょっと僕には消化不良と言った感じでした。 文章はですね、この作家は非常に読みやすいんですよね。だから、すいすい読めるんですけど、しかしストーリー自体はなんとも入り組んでいて一筋縄ではいかないんですよね。 本作では、なんと言っても肝となるのが、コンピュータ内にCGによって完璧に再現された『プラトン学園』です。現実のプラトン学園での出来事と、虚構の『プラトン学園』での出来事が入り組み絡み合い反転し、何が何だかさっぱりわからなくなっていきます。現実のプラトン学園で石黒の謎を追っていた木苺は、しかし虚構の『プラトン学園』では何故かイシグロとなって存在することになります。現実のプラトン学園で感じていた石黒の影は、実は虚構の『プラトン学園』で木苺自身が演じていたイシグロの手によるものだったわけです。とか書いてますが、自分でもよく分かっていません。とにかく、そんな感じの話なわけです。 すごいなと思うのが、これが新聞連載だった、ということです。よくもまあこんな分かり難い話を新聞連載でやるきになったな、と思います。新聞紙上で読んでいた人はついていけたのでしょうか。 あと本作は最近文庫化された作品ですが、親本が出たのが1997年だそうで、よくは覚えていませんが解説によれば、ようやくインターネットが普及し始めるかな、というような時勢だったようである。そんな時期にこんなコンピュータを虚構とした複雑な物語を書き上げるとは、まあなかなかすごい作家だなと思いました。 あと、これは完全に憶測なんですけど、本作には『バビロン』という名の地底都市が出てくるんですけど、それは、奥泉光の別の著作の「新地底旅行」と何か関係するんじゃないかな、ということです。まあどうか分かりませんけどね。 というわけで、本作は僕には合わなかったですけど、しばらく奥泉光を追っかけてみようと思っている次第であります。 奥泉光「プラトン学園」

そんなに読んでどうするの?(豊崎由美)

『…いつかアメリカンドリームをこの手にと鼻息荒い諸君に是非読んで欲しい一冊なのです。』
「よし、これで終わり、と」
キーボードを打つ手を止め、冷め切ったコーヒーをずいずいとすする。完成した原稿をメールで編集部に送れば、今日の仕事は終了だ。
私は、とりとめもなくあちこちの雑誌に書評を書いて糊口をしのいでいる、まあ世間で言うところの書評家というやつである。批評家というほど鋭いわけでもなく、かと言って一般人がブログに書く感想よりはちょいとまし、というような立ち位置だ。それでも世間的にはそこそこいい評価をもらっているようで、なんとか原稿依頼が途切れることなく、私の生活も成り立っている。
好きなことを仕事にすること云々、というような話があるが、私はこの書評家という仕事を大いに気に入っている。何せ、本を読んでお金が入ってくるのである。もちろん、意に染まない文章を書かなければいけないこともあるし、読みたくもない本を読まなくてはいけないことだってある。しかしそういう不満を差し引いても、書評家という仕事はお釣りが来るほど自分にぴったりだ。何よりも、スーツを着て満員電車に乗らなくて良いところが一番気に入っている。
私はコーヒーを淹れなおし、文章を書く時だけは消すようにしているオーディオのスイッチを入れ、そうして部屋に山と積み上がった本の中から、次に読む一冊を掘り当てる。この瞬間が一番楽しい、と言えるかもしれない。まるでお宝を探すような気分になれるし、まだ中身を知ることのない、私にとっては無垢の存在たちが、親鳥から餌をもらえるのを待っている雛鳥のように、その姿をさらしているのを見ると、本を読むことへの喜びが高まってくるのである。
次の一冊を決め、さて読もうかと思ったところに、メールの着信を知らせる音が響く。メールは、先ほど書評を送った編集部からだった。いつものように、読みました・ここだけ直してください、というような内容かと思いきや、全然違った。思わず、うそっ、と声に出してしまったくらいである。
『エミリさん
今回の、マルデッド=バキャボラン「天空の涙に濡れる街」なんですけど、そういう本が見当たりません。編集部の誰に聞いても、ネットで検索しても、見当たらないんです。もしかして今回は原書で読みました?とにかく、もう少し詳しい情報を教えてください。
頼子』
そんなバカな。私は何度かそう呟きながら、何度もメールの文章を読み返した。そんなバカな。
もちろん原書で読んだわけがない。彼女だって、私の英語力が猿並だってことぐらい知ってるはずだ。もちろん日本語訳で読んだのだ。訳者だって覚えてる。皆志賀小雪、西北大学のイギリス文学の教授だったはず。マルデッド=バキャボランは確かに新人作家で、「天空の涙に濡れる街」はデビュー作のようだが、それにしたって見当たらないとはどういうことだ?私はちゃんと読んだのだよ。ちゃんとこの手に持って、この目でちゃんと。
ストーリーだってちゃんと覚えてる。私は読んだ本に関する記憶力ならかなり自信があって、だから書評の文章を書く時手元に本を置かない。あらすじや登場人物の名前も本を見ずに書けるからいらないのだ。
イギリスで生まれた少年デフロスは、幼い頃に見た奇術ショーに魅せられて、将来マジシャンになろうと決める。アメリカでナンバーワンと言われるマジシャンの元へと弟子入りするために一人飛行機に乗り込むのだが、その機内でこの飛行機を消してみせると宣言した謎の男と遭遇する。その男はアメリカで有名なマジシャンだというのだが、デフロスは聞いたことがない。デフロスはマジシャンになろうと決めた時から世界中の著名なマジシャンのことを調べていたから、有名なマジシャンで知らない存在はないはずなのだ。
謎の男は、飛行中であり自らもそれに乗っている飛行機を本当に消すことが出来るのか?そしてデフロス少年はアメリカへと辿り着くことが出来るのか?
そういう話なのだ。サスペンスフルで冒険小説でもあり、また少年の成長を描いてもいて、新人作家とは思えない作品だったと感心したものだ。飛行機を消してしまうトリックは驚愕もので、また謎の男の正体にも度肝を抜かれることだろう。
ここまでちゃんとストーリーを覚えているのだ。その本がないはずがないではないか。少なくとも、私の部屋のどこかにはあるはずだ。読んだのだから当然だ。まあ仕方ない。このとっ散らかった部屋の中から一冊の本を見つけ出すことがどれほど困難か編集部は分かっていないのだ。とりあえず、探す努力だけはしてみよう。
しかし、私はどうしてその本を読もうと思ったのだったっけ?普段翻訳小説を読む時は、作家で選ぶか、訳者で選ぶか、知人に勧められて読むか、何かの書評を読んで気になっていたものを読むか、書店で何となく気になったものを読むか、ということになる。マルデッド=バキャボランは新人作家だし、訳者も著名というわけではない。誰かに勧められたような記憶もないし、どこかで書評を読んだ記憶もない。となれば、書店で手に取った時に気になったということだろう。
しかし、あれ?あの本どこで買ったんだっけ?全然思い出せない。でも、そんなマイナーな本があるってことは、紀伊国屋とかジュンク堂とか、まあそういうとこなんだろうな。それより問題なのは、装丁を全然思い出せないこと。どんな表紙だったかなぁ。普段だったら絶対忘れないんだけど。
そうだ。とりあえず一応知り合いの書評家にメールしておこう。誰か一人ぐらい知ってるだろう。何せ私が読んだことは間違いないのだから。存在しないなんてことはありえないのだ。
部屋をガサゴソと捜索しながらメールの返信を待つが、しかし誰も知らないという返事。んなバカな。部屋の中からも見つからないし、検索エンジンで調べてみてもさっぱりヒットしない。
そこで携帯電話が鳴った。
「もしもし」
「あぁ、エミリさんですか。頼子です」
「今部屋を探してるんですけど、見つからないんです。知り合いの書評家に聞いても知らないって言われるし、でも私が読んだことは間違いないんです」
「そのことなんですけど、なんかよくわかんないんですけど、ウチの社長がエミリさんに話したいことがあるって言うんですけど」
「戸出さんが?何の話だろう」
「私もわかんないんですけど、とりあえず代わりますね」
そして保留音。戸出辰夫というのは出版界でもかなり伝説的な人物で、その都市伝説のような偉業を私もいくつか耳にしたことがある。無名の新人作家を大ベストセラー作家に押し上げることなど日常茶飯事で、携帯小説やブログ本の隆盛もいち早く予言し手を出していたほどだ。まるで未来を知っているようだ、と言われる所以である。
保留音が途切れる。
「やあやあ、エミリさん」
何か言おうとした私を遮るようにして、戸出さんは続ける。その言葉は、私を驚かせるのに十分なほど衝撃的なものだった。
「いや、こう言った方がいいかな。はじめまして、マルデッド=バキャボランさん」

一銃「どこかにあるはずの本」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、書評家としてあちこちで活躍目覚しい豊崎由美が、これまで様々な雑誌に書いてきた古今東西ありとあらゆるジャンルの小説の書評を一冊にまとめたものです。本作には、239冊の書評が収録されているようですが、それでも10分の1程度に抑えたとのこと。つまり、これまで書いた書評は2500近くに上るということになるでしょう。僕がブログに書いた感想はあと少しで1100というところですが、しかし僕の場合、誰かに依頼されなくたって勝手に書いていればいいわけです。しかし豊崎由美の場合、依頼されて書いた本数が2500なわけで、それはもうとんでもない数字ですよね。しかもその一つ一つが、僕のアホみたいな文章とは違ってちゃんと書評になっているわけで、まあさすが書評家であることよのお、という感じのする一冊なのであります。
本作で扱われるジャンルはまあ多岐に渡っていて、恋愛小説も文学もSFもミステリーも何でもござれという感じで、とりあえずこれから何を読もうと思っている人にはなかなかうってつけのブックガイドだと思います。巻末には、本作中で紹介した作品がどういう要素を持っているのかというのが一覧になっている表があって、これを見れば自分の読みたい雰囲気を持つ作品が一気に検索できるという優れもの。
ただ、一つだけ注意が。豊崎由美という人は、とにかくいわゆる『ベストセラー』を嫌っているわけです。「世界の中心で愛を叫ぶ」だの「鉄道員」だのといった、安易なお涙ちょうだい的な作品や、「失楽園」や辻仁成の「刀」や石原慎太郎の「弟」のような文章がはちゃめちゃだとバッサリ言い切る作品をとにかく嫌悪しているので、そういういわゆる『ベストセラー』が好きな人にはあんまり向かないブックガイドだと思います。ちなみに僕は、今挙げた5作品をどれも読んだことがないので何とも言えませんが、とりあえず今後も読むつもりはないということは書いておきましょう。
さてそんなわけで、僕が本作を読んで読みたいなと思った作品を以下羅列してみましょう。これは純粋に自分のためのメモ帳みたいなものなので、無視してください。

古川日出男「gift」
奥泉光「新地底旅行」
村上龍「共生虫」
鷺沢萌「ウェルカムホーム」
中島京子「FUTON」
赤瀬川源平「新解さんの謎」「ゼロ発信」
西崎憲「世界の果ての庭」

ニコルソン・ベイカー「ノリーのおわらない物語」
ジョン・アーヴィング「オウエンのために祈りを」「未亡人の一年」
シオドア・スタージョン「海を失った男」「ヴィーナス・プラスX」「輝く断片」
コニー・ウィルス「航路」
マグナス・ミルズ「フェンス」
フラン・オブライエン「第三の警官」(これは本作で直接紹介されているわけではないんですが)
ジャスパー・フォード「ジェインエアを探せ1」
エリック・マコーマック「パラダイス・モーテル」
ジョナサン・サフラン・フォア「エブリシング・イズ・イルミネイテッド」

あと、翻訳小説を選ぶ際、この翻訳家の作品を選んでおけば間違いない、と書かれていた部分があったので、それも書いておきます。

柴田元幸
岸本佐知子
若島正
鴻巣友季子
青木純子
風間賢二
大森望
村上春樹

僕は翻訳小説が苦手で、でも読みたいと思っているので、この本はなかなかよかったですね。読みたいと思う本が結構ありました。自分に合うかどうかはとりあえずわかりませんが、まあ機会があれば読んでみようと思います。
本屋に行っても、本がありすぎて何を買ったらいいか分からないという方(というか、そういう人をうまいこと誘導してあげるのが本屋の役割のはずなんですけど、まあなかなかうまくはいかないですね)、とりあえず本作をざっくり読んでみて、自分に合いそうな本を探してみてはどうでしょうか?

豊崎由美「そんなに読んでどうするの?」



償い(矢口敦子)

『吉本美那子略奪婚!徳田恵美のモトカレ奪う!』
「芸能人はお盛んなこって」
龍彦はボソリと呟く。新聞を読んでいるのだ。休日ということもあって、普段よりもゆったりと読むことが出来る。
「ま、俺には関係ねぇか」
しかしこうしてお天道様の下で新聞を読むっていうのはなかなか初めての経験だ。これはこれで、悪くないかもしれない。お茶がないのが淋しいが、しかしまあここは我慢だろう。
『連続殺人か?ホームレスを狙う魔の土曜』
「こっちはちょっと注意しとかんとな」
巻き添えくらって死ぬなんてごめんだし。龍彦は新聞から顔を上げ、辺りを見渡してみる。
寂れた公園だ。申し訳程度の遊具と砂場がある以外、ただ土地が広がっているだけの公園。住民にもさほど親しまれているわけでもないらしい。人影はまばらだ。逆に言えば、龍彦にはうってつけの場所である、とも言える。
「まあこればっかりは運かな」
ちらりと腕時計を見る。そこで龍彦は失敗に気づいた。
「そうか。腕時計は外してこなきゃいかんかったか」
まあ初めてのことだから仕方ない。次からは気をつけるか。龍彦はとりあえず腕時計を外してズボンのポケットに入れた。
「しかし何をするかな。ホームレスってのはみんなどうやって時間を潰してるんだろうか」
そう呟きながら、また新聞に戻る。普段以上に独り言が多くなっていることに気づいているが、しかしこれは仕方ないなと思っている。
龍彦は今、どこからどう見てもホームレスにしか見えない格好をしている。一週間地面を掘って埋めておいた服を着て、なんとかうまいこと理由をつけて4日間風呂に入らずにいて、髪の毛もボサボサになっている。仕事があるので髭だけは剃らないわけにはいかなかったが、まあ十分ホームレスとして見れる格好になっているはずだ。
龍彦はずっと、ホームレスというものに関心があった。何を考えて普段暮しているのか、どういう生活形態なのか、何が楽しみなのか。そういうことが気になって仕方がなかった。
だから、ホームレスのフリをして生活してみよう、と思い立ったのだ。職場では課長、家では夫という立場である自分が、まったく何者でもない人物になることが出来るというのも、魅力的に思えた。そこで今日まで準備を進めて、ついにホームレスデビューを迎えたのだった。
しかし、とにかく退屈で仕方がない。初めから他のホームレスのところに混じるのは無理があると思い、しばらくは一人でホームレスらしさを身につける期間にしようと思っているのだけど、何にせよこの退屈さを紛らわす手段を思いつけないのが辛い。そういえばホームレスというのは大抵日中寝ているイメージがある。しかし龍彦は、今特に眠いわけではない。新聞も、いずれ読み終わってしまうことだろう。ゴミを漁ったり食料を探し求めたりすることはさすがに出来ないと思っているので、そうなるとやることがないのだった。
「まあでもそんなもんか」
ホームレスの格好をして生活をすれば何か劇的に変わると思っていたわけでもないのだが、しかしそれにしても拍子抜けの感が否めない。いや、しばらくしたら他のホームレスと接触を取ろうと思っているのだ。そうなれば、もう少し変化に富んだ生活をすることが出来るだろう。それまでの辛抱だ。
龍彦はそうしてうだうだ思考をこね回しながら時間を潰した。公園にベビーカーを押した母親が入ってきて、何やらゆったりとくつろいでいる。いつもの散歩コースなのかもしれない。妻にこんな姿を見られたらどうなるだろう、と考えてみた。しかし、恐らく気づかれることはないだろう。普段人は、ホームレスをホームレスという型にはめ込んで見ている。まさかそこに自分の知っている顔があるなんて考えもしないだろう。顔を見られても、他人の空似と思われるぐらいだろう。
相変わらず時間はゆっくりと過ぎていく。こういう時間も、まあ悪くないかもしれない。普段、あまりにも時間に追われた生活をしすぎている。こうして、何もしないで何者でもない自分のままでボーっとしている時間というのもいいものだ。退屈に思われた時間にも、少しずつ慣れていった。
そうこうしているうちに夕方に差し掛かってきた。朝からいたのだから、もう随分長い時間が経ったことになる。まあ今日はこのぐらいにしておこうか。
その時、買い物帰りらしい妻の姿を見かけた。公園の前の道を歩いている。ふとこっちに視線を向けた。手を振っている。まさか龍彦に気づいたとでもいうのか?
しかしその時、後ろから男が現れた。その男を見て龍彦は度肝を抜かれた。
まさに自分そのものだったのだ。正確に言えば、ホームレスの格好をしていない、普段の龍彦がそこにいたのだ。
その龍彦は妻のところまで駆け寄り、それから二人は並んで歩いていった。龍彦は、当然その後を追いかけることにした。
二人は談笑しながら歩き続けた。後ろからホームレスの格好をした龍彦がついてきていることには気づいていないようだ。そのまま自宅へと戻り、二人は中へ入っていった。
どうなってるんだ?何で自分とまったく同じ人間がいるのだろうか?
しかし、一つだけ明確なことがある。龍彦は帰る家を失ったということだ。即ちそれは、ホームレスというのが仮初めの姿ではなくなった、ということだ。参ったな、こりゃ。
とりあえず龍彦は、さっきの公園に戻ることにした。

一銃「ホームレス入門」

そろそろ内容に入ろうと思います。
あらゆる不幸が雪崩のように襲い掛かってきたために、医師だった日高はホームレスとなって、かつて一度だけ来たことのある街で暮すことになった。病院を終われ、子どもと妻に死なれた男は、生きる気力のすべてをなくしていた。
ある日日高は、ある家から出火しているのを見かけて通報した。その関係で刑事の一人と知り合うことになり、その街で頻発している殺人事件を追う探偵の役目を任されることになる。
平和だった街で突然のように沸き起こる事件に繋がりがあるのではないか、と感じていた日高は、しばらくしてある疑念を抱くことになる。それは、かつて自分が命を救った少年が一連の事件の犯人なのではないか、ということだった。日高は、少年への疑惑を晴らすべく調べを進めるのだが…。
というような話です。
まあ悪くはないかな、という感じの評価です。すごくいいというわけでもないけど、悪いわけでもない、という感じですね。
僕が読んでて受けた印象は、ちょっと硬いかな、ということでした。うまく説明できないけど、文章がスムーズに流れていない、展開に無理な部分があって淀んでいる、そういう感じです。全体的にちょっと硬い感じがして、もう少し肩の力を抜いた感じで書くといいんじゃないかな、と思ったりしました。
真人という少年が出てきますが、彼の描写は結構いいなと思いました。まあなんというか、危うげな感じがうまく出ていたと思います。きっと現代社会には多くいそうな危うげな若者みたいなものを結構掴んでいるような感じがしました。
後半ある女性が出てくるシーンがあるんですけど、あの話は必要だったのか?とか思ったりしました。もし書くなら、もう少しあの女性をストーリーに絡めた方がいいんじゃないかな、とか思ったりしました。
まあそんなわけで、まあまあな感じです。手を出しやすい作品だと思うので、読んでみてもいいと思います。

矢口敦子「償い」



小説 日本婦道記(山本周五郎)

~とある省庁における、とある役人の会話~
「なぁ、この前まとめた離婚のデータ見たか?」
「ちゃんとは」
「俺もしっかり見たわけじゃないけどな。えーと、あぁこれだ。ほらここ」
「なるほど、この日だけ離婚件数がゼロだと」
「そうなんだよ。○○市って、結構な人口のとこだろ?ほら、だから他の日は最低でも5件は離婚届が出されてる。でも、何でかこの日だけはゼロなんだよな」
「まあたまたまだろ」
「それがさ、過去10年のデータで調べるとさ、なんとこの10年毎年その日だけ離婚件数がゼロなんだよ」
「まさか。でもだとしたらどういうことだ?」
「さぁ。わからん」

~とある市のとある日の市役所~
具体的に何が原因だったのかというのはイマイチ分からない。でも、5年も一緒に暮していると、何か違う、という感じがふつふつと湧き出てくるようになってきた。私はこの人の妻で一生い続けていいの?そんな思いが、もう長いこと消えることはなかった。
私は、一緒に並んで歩いている、あと少しで夫ではなくなる彼の方をチラリと見た。
何を考えているのか分からない。ずっとそうだった。付き合っている頃から、自分のことをあまり話してくれない寡黙な人だとは分かっていた。でも、多くの女性がそうであるように、結婚すれば変わるかもしれない、という期待が私にもきっとあったと思う。でも変わらなかった。そういうところが我慢できなくなってしまったのかもしれない。
市役所に入る前に彼に話し掛けてみる。
「これで終わりだね」
「あぁ、そうだな」
やっぱり何を考えているのか分からない。離婚を切り出した時もそうだった。特に意見するわけでもなく抵抗するわけでもなく、もうそれしかないなら抵抗はしない、という雰囲気をかもし出していた。
まあいい。あとは離婚届をカウンターに突き出してやれば、私たちは赤の他人になるのだ。子どももいない。また新しい人生を始めよう。
二人で離婚届を提出し、さてこれですべてが終わった、と思って帰ろうとした時、カウンターの内側にいたおじさんに声を掛けられた。
「ちょっとあんたたち」
何だか市役所に勤める人とは思えないフランクさだな、と私は思った。
「ちょっとねぇ、これじゃあダメなんだよねぇ」
離婚届にどこか不備があっただろうか。何度も確かめたはずだから漏れはないと思うのだけど。
私の表情を見て言いたいことを察したのか、おじさんはすぐこう継いだ。
「離婚届の記入には問題はないんだけどねぇ。いや、知らなくても仕方ないんだけどさ、法律がちょびっと変わったわけよ」
なるほど。よく分からないが、法改正によって離婚の際の手続きが増えたというようなことなのだろう。そう言うとおじさんは、
「お嬢さんは物分りがいいねぇ」
などと言われてしまった。おじいさんという年齢でもないだろうに、私ぐらいの年齢の女性をつかまえて「お嬢さん」もないだろう。
「そういうわけでさ」
そういっておじさんは、ピンク地の、離婚届の半分ぐらいの大きさの用紙を差し出した。
「離婚届と一緒にさ、これも出してもらいたいんだよね。ほら、とりあえず離婚届も返すからさ」
出直せ、ということなのだろう。このおじさんに言っても仕方ないのだろうが、まったく離婚するぐらいの手続きさっさと終わらせて欲しいものだ、と思った。
「分かりました。出直してきます」
そう言って手渡された用紙を見た。
そこには色んな質問が載っていて、それに回答する形になっていた。例えばこんな感じである。

・離婚の主たる原因を、双方の側の意見を共に書け
・子どもの有無、いるのなら年齢と性別
・家事の役割分担について

この辺はまだいい。しかし、こんな質問もある

・セックスの頻度について
・セックスに関して相手に抱いている不満
・浮気をしたことがあるか否か
・本件に関して、両親に伝えたいこと

「あの」
私はおじさんに問い掛ける。
「これは全部書いて提出しなくてはいけないんでしょうか?」
「そうなのそうなの。それ全部書いてもらわないと、離婚届受理できないのよ」
「でも、ものすごく書きづらい質問もありますけど…」
「そうなんだけどね。決まりだからさ。ほら文句があるならさ、その用紙に電話番号載ってるでしょ、婚姻相談センターって。そこに言ってね。私に言ってもダメよ」
私は、何だか離婚をする意思みたいなものが崩れていくのを感じていた。もともと明確に何か理由があったわけではない。ただ何となく夫と合わないと感じていて、夫も離婚に反対しなかったから、成り行きで離婚をすることになったというのが正しい。それなのに、セックスの頻度まで知られてまで離婚をしなくてはいけないとは思えなくなってしまったのだった。
「ねぇ」
私は彼に向き直る。
「とりあえず、喫茶店にでも行こうか。もう少しいろいろ考えましょう」
結局私たちは、離婚届を提出しなかった。

~ある都市伝説を語る主婦~
○○市の市役所にね、お化けが出るって噂があるんだって。それも真昼間から。別に怖いとかそういうんじゃないみたいなんだけどね。
なんか、離婚届を提出しに来た夫婦を決して離婚させないんだそうよ。色んな手を使うみたいですけどね、その夫婦の離婚の理由をあらかじめ知っていて、その上でどうしたら離婚せずに済むかちゃんと考えた上で手を打ってる。そうとしか思えないんですって。
でも、だから幽霊だってわけじゃないんですよ。その人おじさんなんですけどね、市役所の人はそのおじさんのことを誰も知らないんですって。不思議な話でしょ。だから幽霊。離婚に嫌な思い出がある人が化けて出てくるんじゃないかって噂ですけどね。
でも、そのおじさんが現れるのって、毎年4月1日みたいですから、みんなひっくるめて嘘かもしれないですけどね。

一銃「離婚」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、11編の短編を収録した短編集です。それぞれの内容を紹介しようと思います。

「松の花」
「松の花」という本に朱を入れている佐藤藤右衛門は、妻を看取った。妻の死後、妻のあまりの質素な暮らしぶりに驚いた。家はそんなに貧しくなかったはずだが、妻は独自の考えで倹しい生活を続けていたのだ。藤右衛門は、妻の亡き後それに気づき、日本を支えるのはこうした女性の生きざまである、と感じ入る。

「箭竹」
将軍家綱が使っている矢の何本かに、「大願」と彫られたものが散見される。家綱の命でその事情を詳しく調べるように仰せつかった者は、一人の女性の生きざまに触れることとなり、涙を流す。

「梅咲きぬ」
直輝は妻の加代の様子のおかしいのに気づいていて、何度か本人に問うたこともある。その度に大丈夫という返答であったが、次第に事情が了解されてきた。
加代は直輝の母親であるかなに勧められ稽古事にいくつか手を染めているのだが、今やっている和歌だけはどうしても極めたいと思っていた。しかしかなは、加代にまた別の稽古事をやるように勧める。和歌を止めたくない加代は悩んでいたのである。
しかしその後、かなの想いに触れることとなる。武家の妻としてのその強い心構えに、加代は打たれることになる。

「不断草」
菊枝は、夫である三郎兵衛の態度が豹変したことに戸惑いを隠せなかった。姑の態度もおかしくなり、結局は離縁という運びになってしまった。家風に合うようにと尽くしてきたのに、何がいけなかったのだろう、と菊枝は悩むことになる。
しかしその後、それは故あってのことであった、と知ることとなった。それを知った菊枝は、実の両親からの義絶を覚悟した上で、ある行動に出る。

「藪の陰」
由紀は、婚姻の晩に夫となる休乃助が切られたと知らせを受ける。それでも休乃助との婚姻を取りやめなかったが、嫁入り道具を売り払って夫のためにお金を用意したり、良かれと思ってやっていることが非難されたりと、何だか理不尽な想いを感じていた。しかし、夫の元にやってきたある男の話を聞いて、何て自分は浅薄な人間だったのだろうか、と感じる。

「糸車」
お高は、貧しいながらも生き甲斐のある毎日を過ごしていた。弟と父親の三人暮らしで大変なことも多いけど、それを苦と思うことはない。
しかしある日を境に弟と父親の態度が変わった。よそよそしくなったのだ。その理由はすぐに知れた。お高の産みの親であるという人がお高を迎い入れたいと言っているのだった。お高が生まれたじぶんは貧しくて子どもを他所に出すしかなかったが、それからかなり裕福になり、以前手放した子を呼び戻したい、と考えたようだ。
しかし、お高は与えられる豪華な暮らしを前に当惑する。そして、私はここにはいられません、と元の貧しい暮らしに戻るのである。

「風鈴」
両親を早くに失い、小松と津留という幼い妹の母親代わりとして苦心してきた弥生は、しかし複雑な気分でいた。小松と津留は共に裕福な家へと嫁ぎ、今日も弥生を温泉に誘ってくれたのだ。しかし弥生の家は裕福とは言いがたい。夫に収入の増えるいい話があるようなのだが、夫はその話を受ける気がないらしい。二人の妹は、かつて貧しかった頃のことをなかったことにしたいようだ。それなら、私がした苦労は一体なんだったのだろう。
しかしその後、夫がそのいい話を断り続けている理由を知ることになり、自分の考えの浅さを知ることになる。

「尾花川」
太宰は最近の妻幸子の様子が変わったことに気づいている。太宰の家には目的を同じくした者が集まり、その度に常にそれなりのもてなしをしてきたのだが、最近はどうも質素になってきている。蓄えはあるのだから、倹約しなくてはいけないということもない。そこで太宰は妻に問いただすことにした。
すると妻は、差し出がましいようですがと断った上で、少し前に耳にした話を太宰に伝えた。それを聞いて太宰は、自分が間違っていたことに気づくのである。

「桃の井戸」
歌を教えてくれていた長崎のおばあちゃんが亡くなった。そこで、これまであったことを筆に執ってみようと思う。
長崎のおばあちゃんにはいろんなことを相談した。そうした中で、自分の考えの浅さを知り、また長崎のおばあちゃんの生きざまについて知るようになっていく。

「墨丸」
平乃丞は他所から預かってきたという色の黒い女の子と一緒に暮すことになった。お石という名のその少女は、色が黒いということもあって墨丸と周囲では呼ばれるようになった。
一度は結婚を申し込んだのだが、断られてしまった。家も出て行き、お石が自分にとってどれだけ大事な存在であったか改めて気づかされた。
それから長い月日が経ったある日、お石と平乃丞は再会を果たした。そこで平乃丞は、お石が秘めていた思いを知ることになる。

「二十三年」
故あって下働きの女性に暇を出さなくてはいけなくなったのだが、おかやという名のその女性は新沼の元を離れたくないと言って聞かなかった。おかやの兄にも出てきてもらって何とか説得したのだが、しかしその直後おかやは崖から落ちて頭を打ち、白痴のようになってしまい、口も利けなくなった。となれば仕方ない、と新沼はおかやを一緒に連れて行くことにした。
それから月日が経ち、新沼は死に、その息子が当主となった折、おかやにあることを問いただすことになる。

というような話です。
さて今までの僕の読書傾向をしっている人からすれば、何で山本周五郎やねん、と突っ込まれる気がしますが、やっぱり読書の幅は広い方がよかろうということで、時代小説にもそれなりに挑戦しようと思っているのでした。とは言え、最近売れているエンタメ系の時代小説はきっと読めない気がするので、山本周五郎とか藤沢周平とか司馬遼太郎と言ったような人の作品を読もうと思ったわけです。
そんなわけでその第一弾となりましたが、これはかなり当たりでしたね。非常に面白かったです。面白かったというか、深みがあるというか、読んでよかったなぁと思わせる内容だとか、まあそんな感じでした。なかなかいい感じです。
もちろんこれまで読んだ事のないような作品なんでスラスラと読めたわけではないし、江戸時代(たぶん。歴史的なことについてはほぼ知識がないので時代設定はよくわからない)の文化や慣習についてもわからないことが多くて、しかもそういうのが説明もなく突然単語だけ出てきて意味が分からなかったりするところもあったのだけど、でもとにかく文章が読みやすかったし(こんなに読みやすいとは思わなかった)、話自体も分かりやすいものが多かったのでよかったです。
本作のタイトルからなんとなく想像出来るとは思いますが、本作は全編通して女性の生きざまみたいなものにスポットを当てた作品となっています。どの作品でも、女性の力強さや生きる上での決心、あるいはひたむきで一途な部分を描いている作品です。
とにかく、現代からは考えられないような夫婦のあり方だなと思いました(全部が全部夫婦の話ではないですが、夫婦の話が多いです)。武家の妻として生きるとはどういうことか、貧しいというのは不幸であるのか、正しく生きるためにどうすべきか、夫に添い遂げるとはどういうことなのか、子どもを守る覚悟とはどういうものか。そういうような部分が全面に押し出されていて、とにかく女性は強いぞ、という作品になっています。まさに縁の下の力持ちとなって、夫の気づかない部分で夫を立てるべく日々努力をしている姿が垣間見えるわけです。
また逆の話もあります。妻の側が現状に何か不満を持っている。しかし、夫の確かな生きる上での哲学を知り、なるほどやっぱり私は夫につき従っていこうと思う、というようなストーリーです。どちらにしても、目先の出来事に捉われず、本質を深く見抜いた上で生きるということについて考える人々が出てきて、読んでいる方としても生きるということを考えざるおえなくなるような、そんな感じがしました。
話としてよかったなと思うのは、「箭竹」「糸車」「不断草」「墨丸」「二十三年」あたりですね。どの話も深くって、なかなかに壮絶な女性の生きざまだなと思って読みました。
というわけで、ちゃんとした時代小説(という言い方はおかしいですが、「しゃばけ」みたいなエンタメよりも時代小説があったりするんで)の第一弾でしたが、初回から大当たりでよかったです。本作は是非、結婚してる人に読んで欲しいですね。読んだらどうなるのか、というのは難しいですが(あまりに自分の妻との落差が激しくてイライラしたり、こんな生き方出来ねぇよと妻の側が思ったりするかもしれません)、でも読んだら何か感じるものはあるだろうなと思います。もちろん現代では本作のような生き方は出来ないでしょうが、一つの理想として知っておくというのもいいかもしれません。
とりあえず僕は、
『久しぶりに妻/夫と話してみよう』
ってPOPでも作って売ろうかなと思っています。まあうまく行くかは分かりませんが。
僕なんかが言わなくても十分承知しているかもですが、本作は非常にいい作品だと思いました。是非読んで欲しいですね。これからもちょくちょくですが、時代小説にも手を出してみようと思います。

PS)
昨日、本屋大賞の発表に行って来ました。なかなか面白い体験でございました。伊坂幸太郎、バリバリ売れてくれると嬉しいところです。

山本周五郎「小説 日本婦道記」



女王国の城(有栖川有栖)

「…この前だってさ、ナンパとかされちゃって。あたしもまだまだ若いじゃん、なんてさ」
「東京の人はみんな目が悪いんじゃない?」
「言うねぇ。まったくそんなとこばっかり変わってないんだから」
「そういう由香利は大分変わったみたいね」
大学時代の友人からの電話だった。大学卒以来会っていないから、もう10年ぶりぐらいかもしれない。
「まあそりゃそうよ。仕事してるとさ、何だか丸くなってもくるよね」
「だから仕事をしてない私はとんがってる、ってことね」
「またそう突っかかる」
由香利は生まれ故郷を離れ東京で就職し、私は彼女が離れたこの地で五年前に結婚して専業主婦となった。
「で、話戻すけどさ、結局来ないの?」
「そうね。やっぱ止めとこうかな」
「会いたくないのがいるとか?」
「そんなんじゃないけど」
同窓会の話だ。東京にいる由香利はもちろん幹事ではないが、どこからか私がいかないことを聞きつけたのだろう、それでこの電話だった。同窓会自体は問題じゃない。会いたくない人もいないし、楽しそうだとも思う。
ただ…。
「…専業主婦にもいろいろあるのよ」
「何言ってるんだか」
街から出られないんだと言ったら、このかつての友人はどう思うだろうか。
同窓会の会場は、隣街にあるホテルということになっていた。私の住む街でやってくれるならいくらでも行ったのだが、隣街となればそうも行かない。私はもう決めたのだ。街からは出ない、と。
「まあしょうがないか。ミナは決めたら梃子でも動かないし」
「ごめんね。また今度」
「はいはい、また今度ね」
由香利は納得してくれただろうか。別に不審に思われてもいい。街から出ないことにしたんだ、とちゃんと説明するよりはずっと。そんなことを言ったら、本当におかしいと思われてしまう。
街から出ないと決めてからは、こういうことの連続だった。行きたい場所に行けないというのはまだ何とかなる。しかし、会いたい人に会えないのは辛い。この街まで来てもらえばいいのだが、毎回そうしてもらうのも心苦しい。そんなわけで、友人関係はどんどん狭まっていく一方だった。
今も誰かは私のことを見張っているだろうか。
その誰かのことを私はいつも考えている。その誰かは、私を街から出すまいとしているのだ。本当かどうかは分からない。そもそもその誰かが本当に存在するのかもよく分からない。しかし、私はそれを信じている。
2年前のことだ。私がまだ街を自由に出入り出来た頃のこと。隣街にある美味しいケーキ屋さんへ行こうとした時のことだ。
隣街とは言え、私の家から歩いて行ける距離にあった。散歩も兼ねて歩いて行ったのだけど、道を渡ればすぐケーキ屋があるというところに新しく雑貨屋がオープンしていて、ちょっと寄ってみようか、と足を止めた時のことだった。
目の前で人がはねられていた。
トラックの巨体があっけなく人を吹き飛ばしていた。私は震えた。交通事故を目撃してしまったことに対してではない。もし私が雑貨屋に行こうと足を止めなければ、間違いなくトラックにはねられたのは私だと思ったからだ。偶然助かった。私は、その時はそう考えていた。
しかしそれから、同じようなことが頻発した。
セアカゴケグモが大量発生することもあれば、誘拐犯と間違えられそうになることもあった。毒入りの缶ジュースを飲みそうになることもあったし、子どもを怪我させそうになったこともある。
その度毎に、私は何らかの幸運に恵まれて、直接の被害に遭うことはなかった。しかし、毎回必ず誰かが被害を被ることになった。私が街から出ようとすると、誰かが迷惑する。そう思うようになるまでに時間は掛からなかった。それはあからさまな警告だった。
それから私は、街から出ることを止めた。生活は不便になったし、友人とも会えなくなった。しかし、私のせいで誰かが犠牲になるのは、もうこれ以上耐えられない。
2年前のことを思い出す。
夫を殺し、庭に埋めたのも、ちょうど二年前のことだった。

一銃「囲いある街」

今回の話はちょっとダメすぎるなぁ。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、学生アリスシリーズ(と呼ばれているはず)の第四作目となります。第三作目の「双頭の悪魔」から16年近くぶりの新刊ということもあって、ファンは待ちわびたことでしょう。今年度のこのミスの3位にもなった作品です。
前作「双頭の悪魔」では、推理研究会のマリアがいなくなってそれを探す、というところから始まりますが、今回はなんと部長である江神さんがいなくなってしまうところから物語が始まります。
江神さんの部屋を捜索すると、どうやら神倉という街に行ったのだろう、と推測されました。と同時に、それは嫌な予感を呼び起こすものでした。
何故なら神倉というのは、新興宗教<人類協会>の聖地であり、神倉という街全体が人類協会の支配化にあると言っても言い過ぎではないからです。
早速アリス・マリア・望月・織田の四人はレンタカーで信州の山奥にある神倉を目指しました。そこは奇怪なオブジェのような建築物の立ち並ぶ威容の街で、さっそく彼らは圧倒されました。
さて、江神部長を探そうと、人類協会の本部を訪ねるも、江神部長がいることは確認できたけど門前払い。それでも江神部長と連絡を取ろうと、伝言を託すと、メモ書きで彼ら四人には分かる形でSOSが発信されたのです。これはなんとかしなくては、暴れてでも中に入るしかない、と思っているとまた事態は変わり、双方に誤解があったからお詫びに本部を案内します、と来た。よく分からないが、とにかく江神部長と再会できた四人はほっと一安心。
しかし、ほっとしたのもつかの間、本部内で殺人事件が発生してしまいます。当然警察に連絡するものと思われたのだけど、人類協会は警察への連絡をしないことに決めたようだった。殺人が起きた時中にいた面々は本部内に軟禁され、外へ出ることは許されなくなった。真犯人が分かれば警察に連絡をする、という人類協会の言い分を信じて、推理研究会のメンバーは犯人探しを始めるが…。
というような話です。
相変わらず長い話でしたが(シリーズが進むにつれてどんどん長くなっているように思います)、相変わらず面白い作品でした。
今回はとにかく舞台が宗教であるという点が非常に効果的な演出になっていると思いました。本作で登場する<人類協会>という宗教団体は、決して胡散臭いものではありません。世の中の宗教も、ちゃんとよく見れば胡散臭くないものもあるのかもしれませんが(しかし僕にはほとんど胡散臭く思えてしまいます)、人類協会は本作中でもそう表現されていましたが、<サークル活動のような>宗教なんです。絶対に正しい、と信じていることがほんの僅かで、それ以外のことは人によって判断が違ったり、聞く人によっては人類協会を否定しているような発言をするような人もいたりで、まあそんなに胡散臭くなく読めました。
しかしそれでも、やはり宗教団体というのは無茶するな、という風に思いました。もちろん本作は小説で、実際宗教施設で同じように殺人事件が起こったとしたらどうなるかわかりませんが、しかし本作のように<宗教上の理由により>何らかの捜査が阻まれることはあるように思います。本作の場合、そもそも警察さえ呼ばない、という設定なわけですが、まあでもさすがにそこまではしないでしょうかね。本作でもそれについては妥当な理由が示されます。
しかし本作でのクローズドサークルというのは面白い作りをしています。クローズドサークルというのは要するに、外界から孤立した場所で、よくミステリ作家はそのクローズドサークルで殺人事件を起こしたがります。それは、警察の介入を防ぐためや、犯人を限定するためという効果があるわけですが、普通は絶海の孤島とか嵐の山荘とか吊り橋の落ちた山奥みたいな設定になります。これまでの学生アリスシリーズ(「月光ゲーム」「孤島パズル」「双頭の悪魔」)は皆そういうクローズドサークルです。
しかし本作は、そういう物理的に出られない、という状況ではないんですね。本作では軟禁されることによってクローズドサークルが成立するわけで、そこが非常に面白いな、と思いました。
というのも、本作のように物理的に出られないわけではないということは、無理矢理出ることは可能なわけです。本作ではとにかく厳重な警備が敷かれることになるんですが、しかし推理研究会のメンバーは隙を見て策を弄して外へと脱出することになります。普通クローズドサークルでの殺人を描いたミステリの場合、動的な展開にはなかなかならないものです。絶海の孤島でも嵐の山荘でも吊り橋の落ちた山奥でも、とりあえずやることはほとんどありません。だからずっと殺人の捜査をすることになります。しかし本作では、もちろん殺人事件の捜査もメインではありますが、同時に、いかに外に出るかというのも重要なポイントになってくるわけで、ここに動的な要素が生まれます。クローズドサークルのミステリとしてはなかなか珍しいので、僕は面白いなと思いました。
しかしまあ、このクローズドサークルを指して非現実的だというような人はたぶんいると思いますが、僕なんかはやっぱこういう警察の介入できない状況でのミステリというのは面白いと思いますね。最新技術は、実際の事件における捜査を格段に進歩させたでしょうが、しかしそれはフィクションの世界では面白さを減じる方向にしか働かないでしょう(必ずしもそうとは限りませんが)。クローズドサークルでの殺人は、警察が介入しないことで、死亡推定時刻を特定したり、指紋を採取したりと言ったことが出来ないので、より多くの可能性が残ることになります。その多くの可能性の中から、論理だけによって犯人を指摘する。やっぱりこういうのも面白いと僕は思います。
相変わらず解決はスマートですね。これだけ長大な作品なのに、やはり基盤となる部分は非常に単純に出来ています。謎解きでポイントとなるのもほんの僅かしかありません。しかし、そこに着目出来れば犯人を指摘できるようになっているわけです。さすがだと思います。
それに、これも毎回書きますが、これほど単純な基盤を持つ話なのに、よくこれだけ長いこと書けるな、ということです。そもそも第一の殺人が起きるまでに200Pぐらい掛かるわけですが、でも全然冗長な感じがしないんで不思議なんですよね。どの部分を読んでても面白いです。ダラダラしてると感じるところもないし、会話はいつも面白いし、さすが長いこと作家をやってるだけのことはあるな、ってこれは変な褒め方ですけど。
個人的にすごいなと思ったのは、何故死亡推定時刻をずらそうと考えたのか、というその理由です。この理由は恐らく前代未聞ではないかと思います。昔西尾維新の「クビキリサイクル」を読んだ時、そこで描かれた何故首を切ったのか、という理由に驚いたことがありますが、そんな感じでした。まあ、なるほどという感じでしたね。
まあとにかく全体的に、さすが熟練の作家というべき素晴らしい作品だと思いました。突出した何かがあるわけではないんだけど、落ち着いた筆致で実に壮大な物語を書いています。読みどころは満載だと思いますよ。さてしかし、次の学生アリスシリーズの新刊はいつになりますやら。あまり待たせないで欲しいものですが。

有栖川有栖「女王国の城」





TVJ(五十嵐貴久)

「これからどうするぅ」
「カラオケでもいこっか」
「あぁ、俺パス。帰るわ」
「えー、帰っちゃうのぉ。淋しいぃ」
「はいはい、また今度ね。じゃ」
そう言って俺は合コンの席を後にした。毎度のことながら、別に合コンというのは楽しいものじゃない。それでも、誘われればなんとなく行ってしまう。なんとなく行って、なんとなく女の子の番号を手に入れたりもする。でも、それだけ。そこからどうこうなることは、あんまりない。
今日も、佐伯ミカという女の子と番号を交換した。しかし、こっちから連絡を取ることはまずないだろう。名前も、すぐ忘れてしまうに違いない。
辺りは音楽やら会話やらでガヤガヤしている。渋谷の街というのはとにかくうるさい。何だってこんなに人がうじゃうじゃいるんだろう、といつも思う。泉の水のように、どこからかこんこんと湧き出ているんじゃないだろうか、なんてそんな風に思ったりもする。
「よろしくおねがいします」
反射的に受け取ってしまう。ティッシュだ。俺は何故だか、街中で渡されるティッシュを断れない。損な性格だと思っているが、ティッシュをもらって損だと考えるのも何だかおかしい、とも思う。
「エキストラ募集!普段とは違う自分になりきってみませんか?」
ティッシュの広告にはそんな風に書いてある。珍しい広告だ。街中で配られるティッシュを大抵受け取る俺だからこそ断言できる。さすが渋谷だ、ということなのかもしれない。
俺は何だかその広告が面白いと思った。エキストラか。何をやるんだか知らないけど、面白そうじゃん。それに何かバイトを探さないといけないんだった。コンビニとかマックとかは嫌だしな。エキストラってのもいいかもしんないな。
明日面接に行ってみるか。そんなことを思いながら家へと戻った。
「おかえり」
「ただいま。ご飯は?」
「あぁ、食べてきた」
「んもう。食べてくるなら言ってっていつも言ってるのに」
俺は大学生で、実家暮らしだ。友人からは一人暮らしの方が気楽でいいと言われるが、家事をしなくていいし、お金だって掛かんない。ま、女を連れ込めないってとこが難点だけどな。
「明日面接行って来るわ」
「何の?」
「よくわかんないんだけど、エキストラだってさ」
「…そう。もうちょっと普通のバイトの方がいいんじゃない」
「コンビニとかはキツイしさ。まあとりあえず面接だけでも行って来るわ」
「まあそうね」
翌日。新橋にあるその会社の事務所に俺はやってきた。その途中俺は佐伯ミカを見かけた。あの、合コンで番号を交換した女の子だ。信号待ちしている時、向こう側の道を歩いていたのを見かけたんだけど、結局俺と行き先は同じだったようだ。あの子もエキストラの面接を受けに来たのかな。渋谷で同じティッシュをもらったのかもしれない。
面接は普通で、しかもその場で採用だと言われた。早い。そのまま面接官と、どんなエキストラやってみたいのか、という話になった。
「どんなって、どんなのがあるかなんて分かんないんですけど」
「あぁ、まだ説明してなかったっけね。ごめんごめん」
そう言って俺に資料らしきものを手渡してくる。
「ちゃんとしたことはまたそれを見てもらえばいいんだけど、ざっというとね、どんな仕事でもある、と言い切っていいと思う」
「どんな仕事でも?」
よく意味がわからない。
「エキストラなんていうとさ、普通はテレビドラマとか映画とかそういうのを思い浮かべるかな。でもウチはそういうのとは全然違ってね。もっと身近なこと全般のエキストラをやってるんだ」
たとえば渋谷とかね、と面接官は呟いた。
「渋谷、ですか?」
「そうそう、君は渋谷に人がいすぎだと思ったことはないかね」
それはちょうどこの間も考えたことだった。
「あれはね、半分はわが社が関係しているんだ。渋谷の街、特に駅前だけどね、あそこを歩いている人間の半分はウチのエキストラだ」
えっ、と俺は声を上げて驚いたが、同時に納得もした。なるほど、確かにそれならあの人ごみを説明できるような気がする。
「でも誰がそんな依頼をするんですか?」
「これは渋谷区からの依頼でね、要するに人が多いイメージを与え続けることで街の発展につなげよう、ということなんだね。実際渋谷はこの戦略のお陰で今のような街になったと言っても過言ではないしね」
なるほど。それが事実ならすごい話だ。
「他にも何だってある。結婚式の人数合わせや新規オープンの店の行列作りなんていう他所でもやってるようなものも当然あるけど、満員電車のエキストラだとか、皇居の周りを走るランナーのエキストラとか、合コンのエキストラなんてのもある。もっと言えば友人や家族のエキストラなんてのもあるぐらいだ」
合コンのエキストラと聞いて、なんとなく分かった。さっき見かけた佐伯ミカは既にここのスタッフだったんだろう。あの日合コンに来たのは、エキストラの仕事だったというわけだ。
「じゃあ、人がいるところであれば本当にどんなことでも仕事になる、ということなんですね」
まさにその通り、と面接官は言い、まあ次まででいいからどんなことをやりたいか考えておいてね、という。
「まあ希望通りにならないことが多いんだけどね」
だったら初めから聞かなければいいのに、と思う。
「あと帰りがけにカード受け取ってね。ウチのスタッフの身分証明書みたいなもの」
カードを受け取った僕は、本当に驚いた。運転免許証に似たそのカードを、これまでに見たことがあったのだ。
あれは中学生の頃だっただろうか。反抗期だった俺は、家中の引き出しを漁ってどっかに金が隠れてないかと探していた。その時に見つけたのだ。母親の名前になっていたそのカードを見て俺は、まあ免許証だろうと思って何も気にせずそのカードを元に戻したのだ。
そのカードがまさに今僕の手元にある。
考えられる可能性は一つしかない。
「マジかよ」
力なく俺は呟く。
「母親がエキストラだって知っちゃったら、普通に接するのキツいよなぁ」

一銃「エキストラ」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、五十嵐貴久がデビュー前、サントリーミステリー大賞という新人賞(今はもうないですが)に応募し佳作になった作品を改稿した、ある意味で幻のデビュー作、と言える作品です。この作品で落選した翌年、「リカ」でホラーサスペンス大賞を受賞してデビューとなります。
舞台は、お台場に新社屋を建設したテレビジャパンというテレビ局です。開局40周年を記念して、72時間テレビという、4日間にまたがって生放送で続ける無茶苦茶な企画がまさに始まろうとしている、そんな時期です。
高井由紀子は、そんな72時間テレビの準備に大忙しでなかなか会えなくなっている、恋人の岡本圭と喫茶店で向かい合っていた。別れ話なのかな、もう私たちダメなのかな、と不安に思っているところ、彼からプロポーズされた。私もついに結婚なのねと、翌日は彼の両親に挨拶に行くということもあって、気合ばっちりで出社した由紀子でした。
しかし、72時間テレビがまさに始まるというその日、テレビジャパンはとんでもない事態に見舞われてしまうのです。
テレビジャックです。
何者かが武装し、テレビジャパンを完全に制圧してしまったのです。圭は武装集団に人質に取られてしまい、そしてなんと由紀子は24階から転落してしまうのだ!
しかし九死に一生を得た由紀子は、たった一人で武装集団に立ち向かうことになる。しかし、ただの経理部のOLだし、機械も使えないし腕っ節も強くない由紀子に何が出来るのか…。武装集団の驚くべき目的を、陰で暗躍する(?)由紀子が阻止せんと奮闘します。
というような作品です。
これは五十嵐貴久の作品の感想を書く度に毎回書きますが、五十嵐貴久にエンターテイメント小説を書かせたらやっぱり一級だな、ということですね。とにかくやっぱり面白いです。
本作は、これまで僕が読んだ五十嵐貴久作品の中でも、特にありえない設定と展開です。ありえない設定、というだけなら、最近読んだ「パパとムスメの七日間」がありますが、あの作品はその後の展開はなかなかありえる感じでした。しかし本作は、展開についてもなかなかありえない感じでした。それはほとんど、武装集団に一人で立ち向かう由紀子についてのことなんだけど、正直言って由紀子が一人で立ち回ってなんとかなる相手じゃないし、本作ではとにかくいろんなことがうまく行きすぎだなという風には思います。その辺りを指摘して、リアリティがないという風に感じる人はきっといることでしょう。
しかしそれでも僕は、本作は十分面白いなと思いました。いかに由紀子が偶然に左右されながら武装集団に立ち向かっていても、その行動原理みたいなものが単純だったから僕はかなり好感が持てました。それは、「婚約者ともう一度会いたい」というのと、「会社なんかでは死にたくない」という二つです。とにかくこの二つに後押しされるようにして、由紀子はアクロバティックなことを散々やらかします。その荒唐無稽っぷりは是非読んで欲しいのだけど、その純粋な二つの行動原理が、由紀子に幸運をもたらしたなんて風に考えれば僕はいいかなと思ったりします。
また、武装集団の方の展開はなかなか見事だという感じがしますね。彼らの計画はまさに完璧で、由紀子の存在さえなければ完全に成功していたことでしょう。彼らはとにかく無茶苦茶な主張をするんですけど、後々考えてみるとなるほどそういう目的だったのか、と思ったりするわけで、巧いと思いましたね。警察に対する態度であるとか、少佐と呼ばれる男の演出の仕方だとか、そういう部分も見事で、スリリングで頭の切れる展開だと思いました。
犯行グループの方が知的だと、警察の方がお粗末に見えてしまうことは多いけど、でも本作では警察の側もなかなか存在感がありました。警察の側の存在感は、大島という有能なんだけど奇人と評判の責任者が一人で負っているようなものでしたが、この大島のキレ者っぷりと変人っぷりが結構面白かったなと思ったりしました。
全体的に無茶苦茶なのは僕もそうだと思いますが、でもエンターテイメントなんてまあそんなもんなわけで、僕は十分楽しみました。確かに映画みたいな感じですが、でも軽すぎるということもないと思います。これまで読んだ五十嵐貴久の作品にも通じる部分も結構あって、なるほど確かに原点と言ってもいい作品かもしれないな、と思ったりしました。まあそんなわけで、結構面白いと思います。読んでみてください。

五十嵐貴久「TVJ」


 | ホーム |  »

プロフィール

通りすがり

Author:通りすがり
災害エバノ(災害時に役立ちそうな情報をまとめたサイト)

サイト全体の索引
--------------------------
著者名で記事を分けています

あ行
か行
さ行
た行
な行
は行
ま行
や行~わ行

乃木坂46関係の記事をまとめました
(「Nogizaka Journal」様に記事を掲載させていただいています)

本の感想以外の文章の索引(映画の感想もここにあります)

この本は、こんな人に読んで欲しい!!part1
この本は、こんな人に読んで欲しい!!part2

BL作品の感想をまとめました

管理人自身が選ぶ良記事リスト

アクセス数ランキングトップ50

TOEICの勉強を一切せずに、7ヶ月で485点から710点に上げた勉強法

一年間の勉強で、宅建・簿記2級を含む8つの資格に合格する勉強法

国語の授業が嫌いで仕方なかった僕が考える、「本の読み方・本屋の使い方」

2014の短歌まとめ



------------------------

本をたくさん読みます。
映画もたまに見ます。
短歌をやってた時期もあります。
資格を取りまくったこともあります。
英語を勉強してます。













下のバナーをクリックしていただけると、ブログのランキングが上がるっぽいです。気が向いた方、ご協力お願いします。
にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

アフィリエイトです

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
本・雑誌
13位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
和書
10位
アクセスランキングを見る>>

アフィリエイトです

サイト内検索 作家名・作品名等を入れてみてくださいな

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ

Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

カウンター

2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)