黒夜行

>>2008年02月

1985年の奇跡(五十嵐貴久)

河川敷なんかに来たのいつぶりだろう。子どもの頃はよくここで缶蹴りや鬼ごっこをしていた。野球部にいた頃は、ここで自主トレをやっていたこともある。それ以来10年以上、傍を通ることはあっても、河川敷に来ることなんかなかった、と思う。
「久しぶり」
だからその言葉も、河川敷に向けて言ったように聞こえたかもしれない。半年ぶりぐらいだろうか。久しぶりに会えない、と呼び出されたのだった。どうもまだぎこちなさが残る。目を見て話せない。
彼女は変わっていなかった。半年で人間がそうも変わるわけはないだろうが、髪型や着ているものの雰囲気は前と変わらない。それとも、敢えて付き合っていた頃と同じ格好をわざわざしてきたのだろうか。ありえないことではない。
「久しぶりね。元気だった?」
ちょっとかすれたようなハスキーな声。そういえば僕はこの声に惹かれて彼女を気にするようになったんだったよな、などと思い出した。
「どうしたの、今日は」
「突然でごめんね。ちょっとね」
そう言って彼女は、持っていたグローブとボールを掲げてみせる。
そう、今日は彼女から、キャッチボールでもしない、と誘われたのだった。半年ぶりの再会で、しかもあんなきまずい別れ方をした後で、何故キャッチボールなのか僕には全然分からない。付き合っている頃も一度だってキャッチボールなんてしたことがなかったのだ。それがどうしてこのタイミングでキャッチボールなのか。
電話では、やはりお互い微妙な気まずさもあって、深く突っ込めなかった。幸い、少し小さいが昔使っていたグローブはまだ手元にある。ボールは彼女が用意してくれるという。場所も近くの河川敷だ。特に断る理由もなかった。
「キャッチボールなんて懐かしいね」
ホントは、何で今キャッチボールなんだ、と聞いてみたいのだけど、なかなかうまくはいかない。
「まあいいじゃない。とりあえずやらない」
そう言って彼女は、少しずつ後ろに下がって行く。僕もそろそろと後じさりする。まあこのくらいかという距離になったところで、いくよー、と声を掛けて彼女がボールを投げてくる。
案外彼女はうまかった。正確に、僕の胸辺りにボールを投げてくる。昔ソフトボールでもやっていたのかもしれない。
彼女にボールを投げ返そうとしたところで、ふと違和感を覚えた。ボールの感触が何だかおかしい。よく見ると、明らかに既成のボールでないことが分かる。縫い目はもちろんなく、全体的にツルンとしている。プラスチックのボールみたいだがそれなりの重さがあり、それに表面が多少ざらついている。何で出来ているのかイマイチよく分からない。こんなボール、どこから持ってきたのだろう。
それでもまあ僕はボールを返した。細かいことはどうでもいい。彼女はキャッチボールをやりたがっている。彼女が望んでいる通りにすればいい。
昔から僕にはそういうところがあった。自分の希望や不満を訴えるよりは、相手の意思に合わせて行動した方が楽なのだ。何かしたいとか、何をしてほしくないみたいなことはあまりない。まさに優柔不断であり、何も決められない男である。そんな僕に愛想が尽きたのも当然と言えるだろう。ましてあんな別れ方だったのだから、自分のことながら酷いものだと思う。
キャッチボールというのは、やってみると案外いいものだ。ある程度距離があるから、大きな声を出さないと会話が成立しない。自然、黙々とボールをやり取りすることに終始する。しかしそれが気まずいかと言えばそんなことはない。会話がなくても間が保つ。今の僕にとっては、ありがたいとさえ言える時間だった。
太陽はこれでもかとばかり日差しを照り付けるが、しかし風があるので多少過ごしやすい。河川敷に広がる緑もまぶしくて、何だか野球を一生懸命やっていた時代のことをぼんやり思い出してきた。
「ねぇ、怜のこと覚えてる?」
彼女がボールを投げ返しながら叫ぶようにして声を出す。やっぱりその話なのか、と僕は思った。出来れば避けて通りたかった。しかし、嫌なことはさっさと終わらせるに限る。これも僕の信条だ。
僕はボールを投げ返さず、彼女の方に近づいて行く。
「あの時はホントごめん。僕もどうしたらいいかわからなかったんだ」
口だけなら何とでも言えるよね。そんなことを言われることを覚悟していた。
「ううん、いいの。もう気にしてないよ。怜もちゃんと私の傍にいつもいてくれるしね」
やっぱり産んだのか。僕は頭を抱えてしゃがみたくなった。やっぱり産んだのか。彼女は、一人で子どもを産んだのか。
半年前、妊娠してるのと彼女に告げられた僕は、大事なものをすっかり落としてしまったかのような恐怖に襲われたのだった。彼女のことは好きだったし、もしかしたらいつか結婚するかもしれないとも思っていた。子どもが出来たら、女の子だったら怜、男の子だったら真人がいいね、そんな話もしていたのだ。でもあの時はまだそんな覚悟はまるでなかった。僕はもうどうしていいのかわからず、ただ出来れば堕ろして欲しいということだけは必死で伝えた。そんな僕を彼女が見限るのは当然だった。彼女の方から別れを切り出された。それから今日まで一度も会っていない。彼女がどうしていたのかも知ろうとしなかった。だから昨日彼女から電話が来た時から、僕は何を言われるのかビクビクしていたのだ。
「子どもは今日はどうしたの?お母さんとかに預かってもらってるとか?」
もう何を言ったらいいか分からず、そんなどうでもいいことを聞いてしまう。彼女はそれには直接答えず、
「あなたにも怜を会わせたくって」
と言った。
どういうことだろう。今ここに子どもを連れてきているとは思えない。彼女は身一つでやってきたのだ。ならばこれから彼女の家に来いということなんだろうか。出来れば行きたくないが、拒否できる雰囲気でもない。僕は一層憂鬱になった。
彼女はグローブを構える。ボールをくれ、ということだ。僕は下手でボールを投げ、彼女に渡す。
「今日もこうして三人で遊べたしね」
三人で遊べた?
何を言っているのだろう。この場には僕ら以外誰もいない。僕らはただ二人でキャッチボールをしていただけだ。
「お父さんにも抱いてもらってよかったね、怜」
彼女はボールに話し掛けている。
その瞬間、僕は悟った。そういうことなのか。あのボールはまさか、胎児の頭蓋骨なのではないか。
それに気づいた瞬間、僕は瞬時に背筋が凍りついた。彼女は相変わらずボールに向かって何か話し掛けている。もう僕の耳には届かない。逃げなくちゃと思うのだが、体が地面に固定されたようにまったく動かない。
彼女が僕の方を向く。その顔には、無邪気と言って違和感のない笑みがこぼれていた。

一銃「ボールの来し方」

発想だけはなかなか面白いんじゃなかろうか、と思っております。相変わらずストーリーにするのが下手ですけど。
そろそろ内容に入ろうと思います。
1985年。世間では「夕やけニャンニャン」が絶大な人気を博し、おニャン子一色と言ってもいいあの時代。
そんな時代に、都立小金井高校に通う高校生たちが主人公です。
本作の主人公である都立小金井高校の野球部のメンバーももちろん例に漏れずおニャン子大好き。国生派か新田派かで友人同士でも喧嘩が起こるほどだ。もちろん野球の練習なんて二の次三の次。はっきり言ってどうでもいい。どうせ弱小と呼ぶのも馬鹿らしいくらい弱い野球部なのだ。
そもそも学校が酷い。中川が校長になってから、刑務所もかくやと思える異常なまでの管理体制。クラスを成績順に分け、細かすぎる校則を規定しアホな学生を退学に追い込み、というやり方で中川は小金井高校を周辺一の進学校に成長させた。もちろん、部活もかなり制限された。しかし生徒としてはたまったものではない。誰もが無気力になり、少しでも上のクラスに行こうということしか考えない。はっきり言って最悪な高校生活だ。
そんな中で、校則の網をかいくぐってダラダラと適当に過ごしていた野球部のメンバー。しかし、あることをきっかけに状況が大きく変わる。
転校生の沢渡がやってきたのだ。
しかもその転校生はただの転校生ではなかった。中学の頃からスカウトがやってくるほどの天才ピッチャーだったのだ。もちろん推薦で野球の強い高校に進学したのだが、肘の故障もあっていづらくなり転校して来たらしい。
沢渡を無理矢理野球部に入れた。するとしばらくして、沢渡の惹かれて一人の超ド級の美少女がマネージャーを志願してきた。何だか形だけでも活気が出てきた。地区予選でも、ほぼ沢渡のみの活躍によって、トントン拍子で勝ち進んで行ったのだった。まさかこのまま甲子園とか行けちゃうんじゃねぇか。
しかしある時とんでもないことが起こって…。
というような話です。
これは面白いですねぇ~。五十嵐貴久は相変わらず面白い本を書きます。しかも書く作品どれもジャンルが違う。ホラー・ミステリー・時代・青春と何でもアリである。すごい作家だなぁ、と思います。
本作は、転校生がやってきて野球部が強くなる、的なよくあるパターンではありますが、しかしよくあるストーリーではありません。何せ、沢渡が来たところで、誰も真面目に練習しないわけです。とにかく、沢渡がパーフェクトなピッチングをするので、守備の練習の必要がない。打つほうも沢渡の活躍が見込めるので、うちらはまあ練習しなくても大丈夫。努力とかあんま好きじゃないし、それにおニャン子が好きだからね。グラウンドだって週三回しか使えないし、そもそも校長の中川が野球部嫌ってるしね。まあ適当に。
相変わらずそんなことばっかり言っていて、まるでやる気がない。でも、超ド級の美少女マネージャーである金沢真美が近くにいる時だけはちゃんとやってるフリをする。まあ分かりやすいと言えば分かりやすいけど、とにかくまったく真面目じゃない。そんな、全然やる気のない野球部をメインに話が進んで行くのだから、普通の話になるわけがない。
前半は、まあそういうダラダラした彼らがバリバリと描かれるわけですね。高校生活もかったるいし、野球の練習もかったるい。おニャン子はとりあえず好きだし、近くに女の子がいたら頑張っちゃうけど、でも基本的にはダメ、みたいな。
でもまあ後半それが変わっていくわけですね。『ダメダメ』だったのが『ダメ』ぐらいになって、それから『そこそこ』ぐらいに変わるというだけのものですが、それにしても前半のダメダメっぷりを見せられている読者からすると、大いなる変化という感じがするわけです。その辺りがなかなか面白いですね。
野球部のメンバーもそれぞれに個性的で、キャラクターなんかも面白いなと思いました。基本的にみんなダラけているのは同じなんだけど、おニャン子の好みはもちろん違うし、野球に多少やる気があるやつもいるし、キャプテンは無駄に中間管理職的な役割を押し付けられているし、女にモテるのとそうでないのといる。
しかしまあキャラクターで言うなら、マネージャーの金沢恵美が素晴らしいと僕は思う。
とにかく女神のような女性なのである。読んでると、まあこんな女性はどこにもいないだろう、と思わせるぐらいありえない女神っぷりなんだけど、でも男の妄想的には、あぁこういう娘が世の中に一人ぐらいいたっていいじゃないか!と思いたくなるようなそんな女性なわけですね。
とにかく献身的で、小金井高校の生徒ではないのだけど、彼ら野球部のことを第一に考えて行動してくれるわけです。素晴らしい。超ド級に可愛くて、しかもこれだけ献身的な女子なんて、まずいないだろうよ。たぶん。
あと野球部はいろんな場面で校長の中川と対決するシーンがあるのだけど、これもかなり面白いですね。特に沢渡が最高です。あんね屁理屈を捏ねられるとは、素晴らしい。
あと、ラストの重要な場面で関わってくるあるシーンがあるのだけど、そこで僕は珍しく、あぁきっとこれはこういうことだろうな、と思いました。何を言ってるかわからないと思うけど、要するにミステリで言えば謎解きの一つが分かったぐらいのことです。ミステリとか読んでても犯人が誰なのかとかさっぱりわからない僕としてはなかなか珍しいことだなと思いました。
一応野球の話ではありますが、試合のシーンはほとんどありません。野球に関しては練習してる部分がメインで、あとは青春小説と言った感じです。とにかく面白いです。王道の野球小説ではありませんが、王道の青春小説と言っていいとは思います。特に、彼らと同じ時代に高校生だった人達(つまり、30代半ばから40代前半ぐらいの世代かな)の人達にとってはかなり懐かしい雰囲気の漂う作品なのではないかな、と推測します。ますます五十嵐貴久というのは面白い作家だなと思いました。まだまだ読んでみようと思います。

五十嵐貴久「1985年の奇跡」


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ワーキングガール・ウォーズ(柴田よしき)

「おはよう」
「おはようございます」
いつものように挨拶を交わしながらフロアに入る。何だかいつもと違う風に見えるのは、やっぱり今日が最後の出勤だからということなのだろうか。なんとなく雰囲気が違う。僕の気のせいかもしれないのだけど。
「宮部くん、今日で最後なんだよね」
課長の佐々木さんに声を掛けられる。僕の直属の上司でもあって、これまでも可愛がってもらった。この会社に入って、一番お世話になった人だと言ってもいい。
「今まで本当にありがとうございました」
「まあそんな大したことをしたつもりはないけどさ。で、明日が手術だって?」
「そうなんです。なんか緊張しますよね」
今では盲腸並のありきたりな手術になってしまったが、しかしやはり多少不安を感じるのは否めない。
「まあ大丈夫よ。あたしの妹も受けたみたいだけど、大したことなかったって言ってたしね」
「そうだといいんですけどね」
「まあしかし、宮部くんまで寿退社となると、いよいよ女ばっかりになっちゃうのか」
僕は一ヵ月後に結婚式を控えている。手術のこともあるし、式の手配のこともある。仕事のキリもよかったので、この時期に寿退社ということになったのだった。
時代は大きく変わった。
話で知っているだけであるが、かつては会社員と言えばほとんど男のことを指していたような時代があったようだ。男女雇用機会均等法という、今では存在を忘れかけられている法律が制定されたお陰で女性も雇用されるようになっていき、平等とまではいかないまでも男女が比較的同じ割合で仕事をしていたようである。
今ではその状況は大きく変わってしまった。
今では会社員と言えば女性のことを指すのが一般的になってしまった。会社の上役はほぼ女性で占められているし、社員の9割以上が女性という会社が普通になってきている。この会社も、僕が最後の男性社員であり、僕が抜けると社員すべてが女性という状況になる。
女性が社会に進出するようになってからこういう状況に少しずつシフトしていったのだろうけど、しかしそれでも大きな制約が残っていた。
それが出産である。
どれほど女性の地位が向上しても、どれだけ社会福祉が充実しても、子どもを産むのが女性であることには変わりない。その期間仕事を離れなくてはいけなくなるわけで、やはり女性としてはそれが大きな制約となっていた。
しかしそれも、ある技術革新によって解消されるようになった。
発想としては単純だ。要するに、出産の機能を男性側に移植してあげればいいのだ、というものだった。これは今では「性質転換」と呼ばれている。明日僕が受ける手術もこれだ。
妻から子宮を摘出し、それを夫に移植する。この技術が開発された当初は社会でも大きな問題として取り上げられたが、しかし非合法であってもこの手術を受ける女性が後を断たなかった。国も世論に押し流されるようにして、この手術をなし崩し的に認めることになったのだった。
もちろん子宮を移植するだけでは十分ではない。例えば男性側の射精の機能を変えなくてはいけない。つまり、外に向かって射精するのではなく内側、自分の腹部に入った子宮側に射精するような仕組みに機能を変えるのだ。これは妊娠のために必要な措置ではあったが、しかし思いがけず女性に好評だった。何故ならば浮気が出来なくなるからだ。男性はセックスをして射精すると、それが直接自らの子宮に届いてしまう。安易に浮気をするわけにはいかないのだ。同時にオナニーも制限されるようになった男性側からの不満の声は大きい。避妊の方法はあるが、多少お金が掛かる。多少面倒ではある。
また、女性ホルモンを使わずに母乳が出る機能も開発された。男性でも、出産から一定期間の間母乳が出るので、女性が育児休暇を取る必要がなくなったのである。
また法整備も急ピッチで進められた。この新しい手術により様々な法案が作られることになった。例えば、夫婦が離婚する際、男性の腹部にある子宮はどうするのか、ということなどだ。もちろん、その子宮は女性の側に戻さなくてはいけない。ではその手術台はどちらが負担するのか。そういう細々としたことも決めなくてはいけなかった。
こうしたごたごたはもう昔の話で、今ではこの「性質転換」に伴う変化というのは定着した。結婚した夫婦の実に9割5分がこの「性質転換」を受けるという統計があるし、「性質転換」は一種のビジネスとして大いに成功している。どうしても子宮が男性の身体で拒否反応を起こしてしまったため「子宮離婚」に至ったり、離婚時男性が妊娠していたため子宮の移植が出来ず、またその妊娠が男性自身によるオナニーの結果としての妊娠であることが立証されたために、子宮を「貸している」間の損害賠償を求める裁判が起こされるなど、細かいトラブルは未だにあるが、女性が外で働き男が家を守るというスタイルは違和感なく成立している。欧米各国から「日本はクレイジーだ」などという批判を浴びることはあるが、それが僕らの生活に影響することは特にない。
明日からまるで違った生活に入るのだと思うと、何だか不思議な気分がする。最後の出勤日なので、仕事も特にない。どちらかと言えば、お世話になった人を回って挨拶をする方がメインである。ほとんど片付いたデスクに座りながら、僕は細々とした仕事を片付けていた。
この「性質転換」がもたらしたのは、女性の社会進出だけに留まらない。僕はその恩恵に預かって、幸せな未来を描くことが出来るのだ。
昼休みに京子から電話が掛かってくる。
「明日はどこに行けばいいんだっけ?」
「直接○○総合医院に来てくれれば、そのまま手術って流れになるよ」
「わかった。ちょっとそれだけ確認したくて。じゃあまた明日」
それから僕は婚約者の猛に電話を掛ける。
「やぁ」
「明日はいよいよ手術だね」
「ちょっと不安なんだけどね。明日は来てくれる?」
「もちろんい行くさ。大丈夫だって。俺がついてる」
「ありがと」
僕の婚約者は男。男同士の結婚は未だに法律では認められていないけど、しかし「性質転換」のお陰で、男同士の結婚でも子供を持つことが出来るようになった。今ではお金のために子宮を売る女性は結構いる。お金は掛かるが、しかし彼との子どもを持てるなら、大したことではない。
会社の人には、普通に女性と結婚するのだと伝えている。そうやって嘘をついたままここを去らなくてはいけないのが、唯一の心残りだ。

一銃「性質転換」

今回はラストが2パターンあったんですけど、こっちにしました。もう一方は、婚約者(女)から電話が掛かってきて、実は子宮ガンだったということが判明する、みたいな感じにしようかなと思ってました。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、連作短編集のような構成になっていますが、僕は長編だと思ったので長編として紹介します。
総合音楽企業の企画部の係長である墨田翔子。37歳、未婚。会社ではいわゆるお局様で、とにかく仕事は出来るが、周りから嫌われていることは痛いほど自覚している。ランチも一人。飲み会にも誘われない。そんなのにはもう慣れっこだが、しかし何とも思わないわけでもない。ついイライラしてしまう自分を抑えるのはなかなか苦労する。
今も入りたての新入女子社員にイライラしている。あからさまにあたしのことを目の敵にしていて、それで周囲の評価を勝ち取っているようなところがある。頭のいい女なんだろうが、しかし凡ミスが多い。プライドも高い。扱いづらい。あぁ、めんどくさ。
そんな日々に疲れたある日、ふと入った旅行代理店でオーストラリアのケアンズのパンフレットを見た。なんかいい。ここに行こう。海外旅行なんてもう何年も行ってないけど、よしケアンズに行こう!
ケアンズには、現地でツアコンとして働いている嵯峨野愛美がいる。翔子とはメールでのやり取りがあったが、もちろん会うのは初めて。愛美は30歳未婚で、給料もびっくりするほど低い。うんざりするような観光客のお守りをしてクタクタ。日本で働きたくなくて外へ飛び出したのに、何だか全然うまくいってない。
そうやって翔子と愛美は出会う。お互い働く女性でありながら境遇は大分違う二人の女性が、働く中で感じるリアルを描く。
というような話です。
いやぁ、これはなかなか面白かったです。柴田よしきという作家はもちろん知っていて、作品もちょこっと読んだことがあるぐらいでしたけど、自分の中で評価がグンと上がった気がします。幼稚園の園長さんのシリーズは結構面白かったけど、デビュー作がちょっとダメで、しかもちょっと作品数も多くてどれから読もうかみたいな感じだったので、これはなかなかよかったです。
本作を読んでとにかく一番思うのは、ホント男でよかったなぁ、ということです。もちろん僕はサラリーマンじゃなくてフリーターで、会社で働くなんていうことは全然知らないので、ここに書かれているようなことを身近なものとして捉えることは難しいんですけど、でももし自分がサラリーマンで会社にいたとしたら、やっぱ女より男の方がいいよなぁ、と思えてしまうわけです。
女性というのは会社の中では、波風立てないで大人しくしているか、あるいはバリバリ仕事をしてグングン上に上って行くかのどっちかしかないわけです。男だったらそれ以外にも、適当に仕事をしてでも出世だけはする、みたいな道もきっとあるんだろうけど、女性だとなかなかそうはいかないんでしょう。仕事で評価されないと上にはいけないし、評価され続けないと下に下がってしまうし。本作を読む限り、とにかく女性というのはかなり気を張って仕事をしないといけないようで、本当に大変だなと思いました。
それにしてもこの作品はリアルだなと思いました。さっきも書いたけど僕はサラリーマンではないので、厳密な意味で本作のリアルさについては判断できないんですけど、でもきっとこういうところなんだろうなと思わせるだけのディテールがありました。
本作には、翔子を中心として、ほんのささやかな「悪意」というものが存在します。この「悪意」の描き方がすごく緻密でリアルっぽく感じられるんですよね。恐らく実際会社で起こってもおかしくないようなことで、しかもそのそれぞれに最終的なおとしどころを用意しているわけです。ネタバレにならないように書くにはこれが限界ですが、ホント巧いなと思いました。大勢人間がいて、しかも相手の足を引っ張ってでも上に行きたいと思っている人間が集まっているわけで、そりゃあささやかどころではない「悪意」が存在するんでしょうけど、何だか怖いなと思いました。
その「悪意」に、翔子は歴然と立ち向かうわけですね。これがなかなかかっこいい。自分が嫌われていることにもさほど動じなくなったという女性ですからまあ大抵のことにはへっちゃらだとはいえ、自分の管理している範囲内に、自分以外の人間に向けられた「悪意」が存在するというのも気持ち悪い。まあそんな感じで翔子はその一つ一つに向き合うことになるんですけど、そういう部分も含めて大変だなと思いました。
一方愛美の方も大変で、アホな観光客に振り回されたり、変なガイジンに捕まったりと忙しいわけです。恐らく一般的な読者からすれば遠い存在である翔子よりは、こっちの愛美の方に共感する人の方が多い気はします。章毎に交互に視点が変わるので、この対照的な二人の存在がなかなか面白い感じになっています。
翔子や愛美だけではなく、その脇を固める人たちにもきちんとストーリーを用意していて、ただの脇役という風に終わっていないところもいいですね。それが全体のストーリーともほどよく絡まっていて、なかなか巧いと思いました。
あんまり本作について巧く評価できてないような気はしますが、僕はかなりいい作品だと思いました。働く女性には是非読んでみてもらいたいなと思います。案外、あたしたちはこんなこと考えて仕事してるわけじゃない、みたいに言われるかもですが(笑)。ただ、サラリーマンではない僕でも十分面白いと思ったので、少なくとも働く女性についての世間一般のイメージみたいなものはかなり巧く掴んでいるんだと思います。柴田よしきの経歴はよく知らないですけど、やっぱ昔OLだった経験があるんですかね。そうじゃないと、なかなかここまでリアルに書けないような気もしますが。
僕は結構傑作だと思いました。是非読んで欲しい作品です。

柴田よしき「ワーキングガール・ウォーズ」




編集者!(花田紀凱)

「ねぇねぇ、JanJam見たよ~。すごいじゃん、モデルなんて!」
朝、いつものように会社に出勤すると、同僚の友美にいきなりそんなことを言われた。
「モデルやってるなら言ってくれればいいのに。隠すことでもないでしょ」
「モデルってなんの話?」
「やだぁ。まだトボけるつもりなわけ。ちゃんと雑誌に載ってたじゃない。春物のグラビア撮ったんでしょ?」
そう言われても玲子にはよく分からない。雑誌?グラビア?私が?
「何かの勘違いじゃないの?だってJanJamってあのJanJamでしょ?あんな有名な雑誌に私が載るわけないじゃない」
「だからこっちは驚いてるんだってば。ちゃんと玲子の名前だって載ってたし、いい加減認めないと怒るよ、ホント」
JanJamという雑誌は、20代半ばから後半までの女性に圧倒的に支持されている女性誌だ。何かで見たニュースによれば、女性誌の中で広告料はトップらしい。ただ、玲子はそもそも女性誌というものをあまり読まない。時折好きなタレントのインタビューが載っていたりする時に立ち読みするくらいで縁がない。友美だってそれは分かっているはずだ。そんな玲子が雑誌のグラビアをやるわけがないではないか。友美は冗談で怒っている風を装っているが、玲子は何だか本当にイライラしてきた。
「私知らない。たぶん他人の空似じゃない」
そう言って仕事に戻る。何だかモヤモヤする。私が雑誌なんかに載ってるわけないじゃない。これまでだって極々普通のOLをやってきたんだし、学生時代だって目立つようなことは何一つしてこなかった。雑誌のグラビアなんて、時計の針が逆に進んだってやらないだろう。
しかし、そう言われるとJanJamが気になる。帰りにちょっと立ち読みをしてみようか。偶然私に似ていて、偶然私と似たような名前の人なのかもしれない。って、まあありえないでしょう、そんなこと。
モヤモヤした気分を引きずったまま昼休みを迎える。冬は特に外に出るのが億劫で、いつも社員食堂を利用するこtにしている。
「読んだよ、日程ウーマンのコラム。面白かったわ。でもあそこまで書いちゃって大丈夫なの?俺のことは書かないでおいてね」
そう言ってきたのは、別の部の先輩である。仕事上の関わりはほとんどないのだけど、何かのきっかけがあって時々社員食堂で一緒にご飯を食べるような仲だった。
「コラム?ねぇ、それなんの話?」
「何言ってるの。玲子ちゃん実名でコラム書いてるじゃない。しかも、ぼかしてるけどさ、中の人間が読んだら会社のことだって一発で分かるよ。まあそんなにヤバいことは書いてないみたいだから大丈夫だろうけどね」
「私コラムなんて書いてません。皆さんで私のことをからかってるんですか?」
友美のJanJamと言い、この日程ウーマンといい、私が何かの雑誌に関わっているなんてことがありえるわけがない。だとすれば、私に嫌がらせをしているとしか思えない。
しかしそう言うと彼は、それまでの笑顔を引っ込めた。そして真剣な口調で言う。
「ホントに書いてないの?でも、名前は玲子ちゃんのものだったし、書いてある話も玲子ちゃんの周りの出来事だと思うんだけどなぁ。誰かが玲子ちゃんの名前を騙ってコラムを書いてるとか?」
その口調から、嘘をついているようには思えなかった。
私はわけがわからなくなった。一体何が起こっているというのだろう。
「なんか怖いです。朝も同僚からJanJamのグラビアを見たって言われたばかりで。私全然そんなことした覚えないんですけど」
そういうと、うーんなんか変な話だね。でもあんまり気にしない方がいいかもね、と言って話題は変わった。彼との会話中私は上の空で、ずっとこのことを考えていた。
それから仕事に戻ったのだけど、その後も何度もこういう話をされることになった。
「小説現実で小説の連載してない?プロフィールを読むとどうも玲子としか思えないんだけど」
「パソコンについて詳しいんだね。NET WORK BIBLEで記事書いてるでしょ」
「玲子が東京生活でレポートしてたイタリアンレストラン、ちょっと今度行こうよ」
「ちょっとあの実感実話の写真はヤバくないか。モロ出しじゃん。目線入ってるけど、見る人が見たらお前だってバレバレだって」
「映画時評で…」
その度に私は、知りません、私じゃないです、人違いだと思うんですけど、何ですかそれ、これって何ですか嫌がらせですか、と言い続けなくてはいけなかった。最後の方にはもうはっきりと怒っていたし、誰かの悪意を感じたし、何か話し掛けられるだけでイライラした。みんなで馬鹿にして、と何か物を投げつけたくなった。
しかし、帰りがけ、一応確認のためと思って寄った本屋で、玲子は打ちのめされる。
確かに、言われた雑誌すべてに玲子が載っていたのである。写真も名前も文章の感じも、全部まさに玲子そのものだった。他の誰でもありえない。紛れもなく自分がそこに存在していた。
しかし、ありえない。ありえないのだ。玲子には、グルメレポートをした記憶も、全裸の写真を撮られた記憶も、コラムを書いた記憶もまったくないのだ。
ねぇ、あなたは一体誰ですか?
どう見ても私にしか見えないあなたは、本当は誰なんですか?

一銃「初めて会った自分」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、文藝春秋に入社し「週刊文春」を日本一の週刊誌に育て、以後会社を何度も替わり、「uno!」「マルコポーロ」「編集会議」などの編集長を経て、現在「Will」という月刊誌の編集長を務める著者が、「リベラル・タイム」という月刊誌に連載している、自身の編集者としての経験を綴ったコラムをまとめた作品です。
まあ出版業界の編集者には名物編集者というのがたくさんいるのでしょうけど、恐らくこの花田氏もその一人なんでしょう。僕はまあ、顔だけは見たことあるな、と言った程度の認識でしたけど。
内容としては、まさに編集者だった自分のこれまでを振り返って、あんなことがあったなぁ、こんなことがあったなぁ、という体験談を語っていくというものです。これがなかなか面白いですね。というか、濃密なんです。編集者という職業はとにかく人間と深く深く付き合って行かないとやっていけない商売で、その過程で生まれた様々なエピソードについて書いています。
一番多いのは文藝春秋に在籍していた頃の話で、入社したての頃の大物作家から原稿をもらってくる話や、「週刊文春」時代の危なかった話、面白かった話、自慢できる話などまあとにかくネタが尽きないな、という感じです。
そもそも編集者が付き合う相手というのは作家という人種で、この作家という人種がとにかく変人の極みみたいな連中ばっかりなのだからネタはどこからでも湧いてくる。しかもそれに加えて編集者という人種も変人なわけで、その相乗効果でますます変なことが起こる。とにかく傍から見ていると無茶苦茶だよなぁ、という話ばかりである。
作家の家に毎日通っているのに、やっとくれた原稿がタイトルの一行だけだったとか、取材費を無茶苦茶使って豪遊する作家だとか、会社と縁のある人をバッサリ斬る記事をうっかり雑誌に載せてしまったとか、普通取れないインタビューを超ウルトラC級の裏技で掠め取ったとか、警察も捕まえることの出来なかった犯人をあっさり見つけ独占インタビューをしたとか、編集部になんとスパイが潜りこんでいたとか、デヴィ夫人に訴えられたとか、田中真紀子に雑誌の販売差し止め請求が出されたとか、まあそんなような話がたくさん載っていて、どれもこれも面白いものでした。
恐らく編集者の誰もがこういう経験をしているというわけではないのだろうな、と思いました。つまり、いい編集者(つまりこれは変な編集者ということだけど)の元にはいい人(つまり変な人)が集まるという話で、きっとこの花田氏だからこそ経験しえたことばかりなのだろうなと思いました。
しかし本作を読んでいてとにかく僕が思ったことは、どう転んでも僕には編集者なんて商売は向かないなということでした。どこまでも深くそして粘り強く人と接しなくてはいけないわけですが、出来る限り人とあっさりした関係を築きたいと思っている僕とは対極の位置にある存在である。まあまず無理だろう。僕としては、本を通じてお客さんと仄かに通じ合う、ぐらいの距離感がやっぱりいい。
本作が、これからマスコミの道へ進みたいと思っている人にどれだけ役に立つのかというのは僕にはなんとも判断は出来ませんが、しかし読み物として面白いことは間違いないですね。変な人がとにかくいっぱい出てきます。編集者って大変なんだなって思います。いろんな裏話みたいなものも知ることが出来ますね。まあ読んでみてください。

花田紀凱旋「編集者!」



かたみ歌(朱川湊人)

今じゃこの辺もマンションやらコンビニやらがボコボコできちまってすっかり変わっちまったが、昔は東京の下町って感じでねぇ。そりゃあいいとこだったよ。昔ながらの学生アパートだの銭湯だのってのがまだちゃんと残っててな。商店街なんてのも、今じゃすっかり寂れちまったが、昔は活気があってよかったもんだけどねぇ。なんてこんな風に昔のことばっかり懐かしんでるのはダメだね。年寄りの悪い癖だよ。
でもさ、昔ってのはホント大らかな時代でさ、今だったらちょっと大騒ぎになってもおかしくないようなことでも、のんびりしてたんだろうね、さらりと流されちゃったりしてさ。そりゃ、普段から不思議なことやら大変なことやらいろいろ起こったもんだけどさ、いちいちそんなことに構ってられなかったってぇのもあるんだろうさ。のんびりしてるように見えたってさ、結構あの頃は生きて行くのに必死だったりしたもんだしな。
そう、それであの話だよ。あの話を聞きにきたんだったんなあんたは。すまんすまん。話してるとどんどん脱線しちまうんだよな。また話がずれそうになったら言ってくれな。
当時まだ20そこそこの若造でね、派出所…なんて言っても今の人はわからんかな。あぁ、知ってる?そうそう、交番だよ。なるほどね、「こち亀」かぁ。ありゃワシも読んだことがあるわい。あんな毎日だったら身体が保たんね、なんてよく思ったもんだけどな。
あれは確かようやく暖かくなり始めて来た頃だっただろうな。春が近づくにつれて、なんとなく周りが浮ついてくる時期っていうのかな。変な輩も結構出てくるからさ、まあ街のおまわりさんとしてはちょっとは忙しい時期ってことになるかな。
そうそう、この話を先にしておかないといけないな。そのさっき言った商店街に、今でいう雑貨屋みたいな店があったんだな。今みたいなこじゃれた感じじゃなくてな、手袋だの手提げだのといったものが雑に並んでるだけの店だったけどな、まあそういう店は他になかったもんだからそれなりに繁盛してたはずだな。
でその雑貨屋が、そのちょっと前にある財布を売り出したんだな。その財布がちょっと怪しげなもんでな。「幸せがやってくる財布」なんて言って売り出してるわけだ。よく覚えちゃいないが、有名な寺で清めてもらったとかなんとか、そんなことが書いてあったような気がしたな。今だったら、ほら偽装だなんだってうるさいだろ、だからそんな財布もちょっと問題だったかもしれないけどな、やっぱ昔ってのは何事も許容範囲が広かったんだろうな。
ワシなんかは、何が幸せがやってくるだ、なんて思ってたんだけどな、先輩の奥さんなんかが興味を持ってるだの、サラリーマンをしてる署長の息子が買っただの、割と周囲では評判になってたみたいだな。幸せになりたいなら一生懸命働いたらいいだろう、とまあ若造だったワシは思ったもんだよ。
さてそれからしばらくしてだ。妙なことが続くようになったんだな。お金を拾いましたって派出所にやってくる輩がドッと増えたわけだ。
今じゃ落ちてるお金を交番に届けるなんてこと、ほとんどないんだろうなぁ。昔はそれでもちょっとはあったさ。近所の子どもなんかが1円札や財布を丸ごととかをさ派出所に持ってきてさ、拾ったよー、なんて言ってくるわけだ。はいはいいい子だねぇ、なんていってやるとさ、嬉しそうな顔をするんだな。
んでそうそう、お金の落し物が増えたって話だったな。お金の落し物なんか、まあ多くたって月に2、3回あるかないかぐらいだっただろうよ。そう滅多にあるもんじゃないさ。でもなある時期から、まあそれが「幸せがやってくる財布」が売り出されてからすぐだってことはまあ後で知ったんだけど、とにかく一日に3回みたいな頻度でやってくるわけだよ。初めの内は、まあ珍しいこともあるもんだなぁ、なんて思ってたもんだけどさ、そんな状態が一週間も続くとさ、さすがにこりゃあおかしいぞ、なんてなるわけだよ。
でもよぉ、じゃあ何が出来るって何も出来んわな。だって、犯罪の臭いがするわけじゃないんだ。ただお金の落し物が増えたってだけのことだ。まあちょっと不思議だったのが、財布の落し物っていうのが全然なかったってことだな。みんな、1万円札だとか5千円札だとか、そういうお金単体で持ってくるんだな。まあもちろん何が起こってるかなんてさっぱり分からんかったよ。
でも、ある日すっかり謎が解けちまってね。
いつものように派出所を空にして、警邏に出かけた時のことだよ。まあ自転車で町をぐるぐる回るだけだし、大抵特にこれと言ったことも起こらないわけで、だから散歩のつもりでゆったりと自転車を流してたんだけどな、そんなある日それを目撃したってわけだ。
道の正面から、近くの缶詰工場で働いてる男が歩いてきたんだ。顔は知ってるけどちょっと名前は出てこない、ぐらいの相手でね、まあ別に声を掛けることもなくそのまま通り過ぎるつもりだったんだけどね、その男がふと立ち止まってポケットから財布を取り出したんだ。なんとなく変な予感がして、ちょっと通り過ぎてから自転車を停めて男の方を見てたんだ。
するとその男はさ、自分の財布から何か紙幣を取り出すとさ、それを地面に置いたんだ。それからその紙幣を地面に置きっぱなしにしたまま数歩歩き、そこで振り向いて地面を見るわけだ。そして、さっき自分が置いた紙幣をまた手に取る。その男はそんなことをしてたんだ。
初めは何かの儀式かな、って思ったさ。でもな、もしやと思いついてそのまま男の後を追ったわけよ。何せその男はさ、拾った紙幣を自分の財布にしまわないわけだ。もしかして派出所に届けるつもりなんじゃないか、って直感したね。
ワシの予想はすっかり当たって、やっぱりその男は派出所にやってきたんだな。無人の派出所の前でどうしようかと考えている男に、どうかしましたか、って後ろから声を掛けたよ。
「いやぁ、お金を拾っちゃったもんで届けに来たんです」
結局それからもお金の落し物だって言って派出所にやってくるってのがひと月は続いたかな。そういう連中にはさ、言っても分かんないんだ。ワシが目撃したさっき言った男にもさ、そのお金はあんたが自分の財布から出したもんだ、ってちゃんと言ってやったさ。けど聞かないんだな。これは絶対拾ったお金だから受け取ってもらえないと困る、なんて言いやがるんだ。まったく参ったよ。それからも何度かそういう問答を繰り広げたもんだけどさ、相手は一向に引かないもんだからさ、結局こっちが折れるしかないってわけだった。
しかしそれも、結局何がきっかけだったんだか今でもわからんが、ある時を境にぴたっとなくなったなぁ。結局雑貨屋でも、「幸せがやってくる財布」を売り出すのも止めちまったみたいだしな。
その当時はわからなかったけど、たぶんこういうことだったんだろうな。要するにさ、どんな魔法を使ったのかは知らんけどさ、「落としたお金を拾って派出所に届けるという善行をすればいいことがやってくる」っていうことだったんだろうな。その財布ってのは、落ちているわけでもないお金をさも落ちているように錯覚させて派出所に届けさせることでいいことを呼び込もうとしたんだろうな、って。まあ普通に考えたらありえない話だけどさ。でもそうとでも解釈するしかないんだよな。
まあこんな話だよ。面白かったかい。またいつでも来なよ。そういえばあんた、あん時ワシが見かけた、工場に勤めてる男になんとなく似てるなぁ。

一銃「幸せがやってくる財布」

個人的には今回の話はそれなりにうまく出来たかなと思っております。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、昭和の時代の東京下町のアカシヤ商店街を舞台にした短編集となっています。ちょっと不思議なことが起こるアカシヤ商店街での出来事を描いています。

「紫陽花のころ」
私と比沙子がその町に移り住んだのは4月の半ばのこと。二人での生活がスタートできるということで、私はウキウキする心を抑えられなかった。新しい町というのにも、私の好奇心はうずいた。
新しい町を知ろうとうろうろ歩き回っていると、板塀に身を寄せて佇んでいる男の姿を見かける。男の視線を辿ると、そこには一軒のラーメン屋があった。近くの立て看板を見ると、少し前にそこで殺人事件があったらしい。何であの男はそんなところを眺めているんだろう、と不思議に思った。
後日、アカシヤ商店街の中にある幸子書房という古本屋のご主人にこの話を聞かせてみたのだが…。

「夏の落し文」
町中に変な張り紙を見つけたのは小学校の友人の一人だった。電柱に張られていたというその張り紙には、
『カラスヤノアサイケイスケアキミレス』
と書かれていた。浅井啓介というのは私のことだ。『カラスヤ』というのはきっと『ガラス屋』ということだろう。でも『アキミレス』というのはなんだろう。
それからも奇妙な張り紙は度々見つかった。幸子書房の入口にも張られていたという。誰がこんなことをしているのか、憤った兄は絶対見つけてやると意気込んだのだが、しかしその相手と私は一人きりの時に遭遇してしまったのだ…。

「栞の恋」
ザ・タイガースに心を奪われていた酒屋の邦子には、今サリーと名前をつけて恋焦がれている男性がいる。アカシヤ商店街で時折見かけるだけで声を掛けたことのないその男性は、ザ・タイガースのサリーに雰囲気が似ていてタイプなのだ。
そのサリーを邦子は幸子書房で見かけたのだった。なにやら難しそうな本を立ち読みしているのだが、邦子もそれを読んでみようと思い立った。すると中から栞が一枚出てくる。邦子は考えた。なるほど、どこまで立ち読みしたのか分かるようにサリーが栞を入れているのだわ。なら、そのページに手紙を挟んでおけばサリーが気づいてくれるのではないかしら…。

「おんなごころ」
スナック「かすみ草」のママである初恵は、昔ほんの少しだけ働いていたことのある豊子をよく匿っていた。豊子の旦那というのがどうしようもない人で、豊子だけでなく子どもにも手を上げるのだ。豊子にも、あんな男とは別れなさいと何度も言って聞かせるのだが、いつかはあの人だって目を覚ましてくれるかも…、と豊子は言う。切るべき人間を切れない女。そんな女は間違いなく不幸になるのに、と初恵は思う。
しかしある日、そんな旦那がふと死んだのだった。豊子はこれでもかと泣き続けるが、しかし初恵はこれでよかったと思った。豊子も新しい人生を歩むことが出来るだろう。
しかし久々に豊子の元へと行くと、豊子は信じられないことを口にするのだ。なんと、死んだはずの旦那が家に帰ってくるというのだ…。

「ひかり猫」
マンガ家を目指して東京に出てきた私は、古ぼけたアパートで日々原稿を描いていた。幸子書房のご主人と時々部屋に入ってくる野良猫のチャタロー以外には話し相手もいない生活だったが、夢を追い続けることが淋しさを紛らわせてくれた。
そんなある日、白く光るピンポン玉みたいなものが部屋にふわりと入ってきた。どうも様子を見ていると猫の動きとそっくりである。まさかチャタローの身に何かあったのだろうか…。

「朱鷺色の兆」
アカシヤ商店街で、いつも「アカシヤの雨がやむとき」という、その当時としても懐かしい曲ばかり流し続けるレコード店のオーナーは、客の一人に昔語りをする。
学生の頃からこの辺に住んでたオーナーは、学生アパートに住み、学生運動にかぶれた先輩に閉口しながらも、まあそれなりに楽しい日々を過ごしていた。
しかしある時から彼はちょっとおかしくなってしまったのだ。もっといえば、死ぬのが怖くなってしまったのだった。
これには理由がある。いつ死神が自分に、『朱鷺色の兆』―これは彼がそう勝手に呼んでいただけで、まあ死の兆候みたいなものなんだけど―がやってくるか、と怯えるようになってしまったんだ…。

「枯葉の天使」
出版社に勤める旦那は、最近ある詩人の作品を手掛けているそうだ。30歳で夭折した天才女流詩人で、実質的に著作は一作もない。そんな幻の女流詩人に旦那は今はまっているようだ。
まあ昔の人に嫉妬しても仕方ないわね、と久美子は思うが、でもなんとなく気に食わなく思ったりもする。
いつものように窓からお寺の境内を眺める。そこでは、毎日朝と夕方に一回ずつお年寄りがやってきて、灯篭の中を長いこと眺めるのだった。今日もその姿を確認した後で久美子は、その境内に一人の女の子がいるのを見かける。どうも近くに母親らしき人影も見当たらない。物騒だなと思った久美子は女の子へと近づくのだけど…。

というような話です。
相変わらず朱川さんはなかなかいい作品を書きますが、でもちょっと厳しいことを言えば、全体としてはこれまで僕が読んできた作品よりも少し劣るような気がします。どこが、というのはうまく説明できないんですが、何となくパンチに欠ける話が多かった気がします。ちょっとありきたりだったり、ちょっと漠然としすぎていたりという感じで微妙に他の作品とは見劣りする感じがしました。
まあとは言っても相変わらずいい作品を書く作家だなと思います。ちょっと厳しい言い方をしたのも、この作家には結構期待しているからだという風に受け取ってください。
話として好きなのは、「栞の恋」「朱鷺色の兆」「枯葉の天使」の三つです。
「栞の恋」は、別の作家の別の作品の中でも似たような設定の話があったんですけど、どちらにしてもこういう話はなかなかうまくまとまりますね。最後になるほどぉ、と思わせつつ、なんとも淡い感じがいいと思いました。
「朱鷺色の兆」も設定がなかなかうまいなと思いました。死の兆候が物となって見えてしまう。自分にはそういう物は見えているのだろうか、と不安になる男の話なんですけど、これはオチがどうこういう話ではないんですが、なかなかうまい運びだなと思いました。確かにあんな経験が二回も続いたらちょっと怖くなってしまうのも当然かもしれません。友人に言われた何気ない一言が異常に気になってしまうというのも分かります。
「枯葉の天使」は、この作品全体を締めくくる感じのまとめになります。別の短編の話と微妙にリンクしたりするし、何よりも幸子書房のご主人について秘密が明らかになります。なかなか鮮やかな展開だったなと思います。
「ひかり猫」なんかも、まあよかったかなと思います。結末はまあ大したことはないですけど、猫のような光の玉と戯れている光景が想像できて面白かったです。
逆に「紫陽花のころ」「おんなごころ」はちょっとありきたりだなと思ったし、「夏の落し文」は漠然としすぎているなと思いました。そういう意味で、他の作品と比べるとちょっと見劣りするかなと思いました。
相変わらず朱川さんの作品は『懐かしい』感じに溢れる作品だと思います。僕は本作の舞台となってるような時代のことは全然知りませんが、それでもたくさん出てくる時代を象徴するような固有名詞や事件なんかを見ると、時代というものをきちんと浮かび上がらせようとしているんだな、と思ったりします。ザ・タイガースや浅間山荘の事件が正確にどれぐらいの年代の出来事なのかよく知らないのでなんとも言えませんが、それぐらいの時代のことをよく知っている人が読んだら結構懐かしい感じを味わうことが出来るのではないでしょうか。
あと勝手な希望としては、朱川さんには別のジャンルにも挑戦して欲しいですね。こういうノスタルジックホラー的な作品は嫌いじゃないですけど、もっといろんな作品が書ける作家じゃないかなと勝手に思っているので、いろいろ書いてみて欲しいなと思います。
相変わらずなかなかいい作品を書く作家です。本作に限らず、朱川さんの作品は是非読んでみてください。

朱川湊人「かたみ歌」



結婚しなくていいですか。(益田ミリ)

「乾杯~!」
幹事の田中が音頭を取って、私の送別会は始まった。みんなでグラスを合わせ、やはり主賓扱いということだろうか、私のところには遠くに座っている人も乾杯にやってきてくれる。私も笑顔で返し、ようやく落ち着いた頃を見計らってビールに口をつける。
「吉田さん、結婚おめでとうございます!」
後輩の美香がそういって嬌声を上げる。そう、私は寿退社ということになっている。退職というのは何度も経験したが、やはり寿退社というのが一番通りがいい。面倒なこともない。多少うまく情報を操作しないと厄介なことになりかねないが、その辺ももう慣れたものだ。
「ありがとう。でも式には呼べなくてごめんね」
「ニューヨークで挙式ですもんね。ホントは行きたいんですけどね」
これもいつも使う手だ。寿退社ということになると、会社の人を式に呼ばないといけなくなる。しかし、実際結婚するわけではないので招待するわけにはいかない。だから、結婚相手が海外で仕事をしている、という設定を使う。こうすれば、日常の中でデートなどの予定がないことも不審に思われないし、結婚後外国に行くのだと思わせることで多少の目くらましにもなる。私はこうして何度も寿退社をしているのである。
「でも24歳で結婚なんて早いですよね。もっと遊びたかったなぁ、とか思いませんでした?」
これは後輩の沙耶だ。結婚相手を見つけるためにこの会社に入ったと言い切る彼女は、今は隣の課の2つ上の男と付き合いながら、同時に合コンで知り合った男とも付き合っているという。遊びたい盛りなのだろう。結婚というものがどういうものなのかというのも知りたくてたまらないのだろうと思う。
「そうね。でも結婚ってやっぱりタイミングだって思うから。まだ遊びたいかなって思って機会を逃しちゃうのって、やっぱりもったいないでしょ」
結婚なんて一度もしたこともないくせにこんなことを言ってみる。やはりそれらしいことを言わないと格好がつかないからだ。
「それで、結婚相手ってどんな人なの?」
これは以前同じ課だった同僚の美保だ。別々の課になってから話す機会も少なくなったため、まだ私の結婚話についてもよく知らないのだ。私はボロの出ないように周到に考えてきた作り話をいつものように繰り返した。
ビールを飲み、食事をつまみ、周りと楽しそうに喋りながら、私は心の中でそっとため息をついた。いつの間にか周りの話題は年齢の話になっている。
「吉田さんてホント若いですよね。まだ10代って言っても通用するんじゃないですか」
「ホントホント。肌もすっごいキレイだし、何か特別なパックとかしてるんですか?」
「枝毛とかもないし、同い年とは思えないわ、ホント」
当人としては褒め言葉のつもりで投げかけているのだろうこういう言葉に、私は心底うんざりするのだ。聞き飽きた、というような問題ではない。そこに、私の人生の問題のすべてが詰まっていると言ってもいい。
私は、人間関係を5年しか持続することが出来ない。どんなに長くても5年が限界だ。それを過ぎると、さすがに周りの人間は怪しむようになる。
だから私は、5年ごとに寿退社と偽って会社を辞め、それまでの人間関係と重ならない別の地域へと移り住み、またそこで新しい人間関係を築くのだ。今回の寿退社も、この会社に入ってから5年が経ってしまったためにやむ終えずという感じだ。働きやすい会社で気に入っていたのに、結局いつまでもそこにいることは出来ない。また会社を探すところから始めなくてはいけないと気が重い。
「そんなことないよ。別に特別なものを使ってるわけでもないし、普通普通。美香だって沙耶だってまだまだ若いんだし、年上のオバサンを捕まえてそんなこと言ってもダメだって」
私はそうやって笑って返すことにしている。仕方ないのだ。年を取らない人間の苦労が普通の人間に分かるわけがない。私がどれだけ苦労して人生を歩んできたのか、誰にもわかるはずがない。
私は、実年齢で言えばもう150歳を超えている。しかし、見た目は20代前半のままで完全に止まってしまっているのだ。年を重ねても見た目が変わらない人間など不気味で仕方ない。若い子なんかは、私が年を取らないことを知ったら羨ましがるかもしれない。しかし、この生き方は想像以上にキツいものがある。
確かに、年を取らないことでいいこともある。身体の手入れにお金や手間を掛けなくてもいいし、男性とお付き合いをするのだって有利だ。
しかし、年を取らないことはむしろ悪いことばかりである。自分が年を取らないことは誰にも打ち明けることが出来ないので、誰とも人間関係を持続させることが出来ない。男性と付き合っていても5年で別れなくてはいけないし、もちろん結婚など出来ない。かつての友人と会うこともできないし、5年ごとに住む場所から何からすべて変えなくてはいけない。また、時代によって女性の顔というのも変わって来る。ここ最近ようやく顔の整形というのがオープンになってきたお陰でこの問題はクリアされつつあるが、昭和の中ごろに明治時代の顔で過ごさなくてはならなかったのは本当に大変だった。
今こうして私を囲んでくれる人たちとももう二度と会うことは出来ない。彼女らは、年を取ることを憂え、結婚の心配をし、老後の不安もそのうち考えることだろう。しかし、私には永遠にその機会はやってこない。私はいつまでも若いまま、寿命で死ぬこともなくずっと生き続けることになる。
年なんて取りたくないよねぇ、寝たきりとか絶対ありえない、なんて言っている後輩達に教えてあげたい。年を取らない生き方がどれほど残酷であるかを。

一銃「101回目の寿退社」

今回は、本作を読む前に「結婚」というキーワードだけから別のストーリーを考えていたんですけど、読み始めるとどうもその話は相応しくないなと思ったのでこの話を考えました。もともと考えていた話は、まあまた機会があれば。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、四コマのコマ割で進んで行くマンガです。四コママンガのように四コマで終わるわけではなく、大体1話50コマくらいの話がいくつか載っているという感じです。
主人公は、カフェの店長をしている35歳独身のすーさんです。すーさんは日々店長として働きながら、ふと将来のことを考えてしまいます。このまま私結婚もしないで生きていて大丈夫なんだろうか。このままだったら老後の私は一人で生きて行くの?貯金は200万円しかないけど大丈夫かなぁ。でも、別に将来のために今を犠牲にすることもないんじゃない。とりあえず保留保留。そんな風に過ごしている日常を描きます。
また、すーさんが昔バイトをしていたレストランの社員だったさわ子さんと偶然ヨガ教室で再会します。そのさわ子さんの話も描かれます。さわ子さんは40歳で独身、実家暮らし。寝たきりの祖母の介護もこなしています。13年間彼氏がいないわけですが、そんな自分を淋しいと思っているわけではありません。でも、セックスをしていない自分の身体はちょっと可哀相だなと思っています。
そんな、女性たちの生き方をゆる~い感じのイラストで綴った作品になっています。
僕がこの本を読もうと思ったきっかけというのがあります。それは、僕が普段見ているHPがいくつかあるわけですが、その内の3つで本書が大絶賛されていたからです。いずれも本作は素晴らしい傑作であると評していて、ならばこれは読まねばと思ったわけです。
でもですね、僕にはそこまでの傑作だとは思えなかったわけです。やはりこれは、僕が男でかつまだ20代だということも関係あるんだろうなと思ったりします。
本作を読むと、女性っていうのは本当に大変なんだな、と思うわけです。本作は、独身の女性をメインにして話が進んで行くわけですが、後半に結婚して妊娠して退職した女性の話がちょっとだけ出てきます。じゃあ彼女はすごく幸せなのかというと実はそうでもないわけで、そこに僕の、女性っていうのは大変だなと思う点があるわけです。
つまりどういうことかと言えば、女性というのは自分の生き方を自分で選択できるような自由をどれだけ手に入れたところで、結局のところ結婚するか結婚しないかという二つの選択を常に迫られている、ということなのです。昔と違って最近は女性の生き方も幅が広がって、いろんな人生の選択肢が増えたのだろうな、とは思います。しかし、それでも女性というのは常に周りから、結婚するのか結婚しないのか、という目で見られるわけです。周りからそう見られてはいなくても、女性の意識の中には必ずそれが染み込んでいるわけです。
つまり、女性は生き方を選択する自由があるように見えながら、実は突き詰めれば結婚するか結婚しないかの二択の中で人生を選ばなくてはいけない、という部分が辛いなと思うわけです。
男の場合、そういうのはあんまりないような気がします。もちろんいろいろ事情があって結婚しなくてはいけないみたいな人もたくさんいるでしょうけど、大抵男というのは生き方の選択肢は結婚というものには縛られていないような気がします。もちろん結婚をしないことで変な目で見られるようなケースもあるでしょうけど、しかしそれでも男と女とでは全然違うわけです。
その根本が、やはり出産にあるのでしょう。出産というのはとにかく、普通は結婚を通してしか経験できないわけです。しかも年齢制限がある。男にはそういう、結婚しなくては出来ないこと、また結婚に関してタイムリミットがあることというのがそもそもないように思います。その違いこそが、女性の生き方を窮屈にしているんだろうな、と本作を読んで思いました。
ただやはり僕は男なので、外側からそれを納得するしかないわけですね。そういう意味で、あまり本作に入り込めないのだろうと思います。
また、男であっても年齢が多少上なら、将来のことという共通項で本作を評価できるのだろうとも思います。ただ僕はまだ20代だし、そもそも性格的に将来のことをあーだこーだ考えない人間なので(まあ立場的にはもっと考えた方がいいはずなんですけど。フリーターだし)、あんまり実感が湧かないというのが実際のところですね。
ただ実感は湧かないなりに、本作ですーさんやさわ子さんが感じる将来の不安というのは実にぴったりという感じがしますね。なんというか、生活と寄り添っているというか、大げさすぎもしないしでも小さくもない。誰もが一度ならずとも考えるんだけれども誰かと話すほど深刻でもないような、そういう微妙なラインの事柄をうまくストーリーに組み込んでいます。誰とも共有できなかった漠然とした不安を、本作を読んで「そうそう、分かる分かる」と思った人は結構いるのではないかと思います。
個人的にかなり共感してしまった部分があります。本作は、話と話の間に「今日のすーさん」とか「今日のさわ子さん」みたいな題で、1ページを使って彼女たちの日常の一コマを切り取っているような部分があるんだけど、その一つに、
『いつか自分の足にぴったりのオーダーメイドの靴を作ってみたいと、一年に一回くらい思う』
というのがあって、あぁ分かるわぁ、とか思ってしまいました。
そんなわけで、かなりゆるコミ(今僕が勝手に作りました。「ゆるキャラ」っていう、ゆるいキャラクターを表現した言葉があったので、それをちょっと真似してみました)という感じがします。やはり、ある年齢以上の女性にオススメの作品かと思います。僕としては手放しで絶賛できるような感触のあった作品ではないですが、うまくツボをついた作品だと思います。読んでみてください。

益田ミリ「結婚しなくていいですか。」



藁の楯(木内一裕)

年末大掃除の時期になると、普段掃除など手伝わない僕ももちろん駆り出される。別に掃除は嫌いではないからいいのだが、年末の大掃除というのは、とにかく厄介なものが次々と出てくるわけで、それがどうも苦手だ。
その厄介なものというのは要するに、捨てていいものかどうしたものか判断のつかないものたちだ。自分の小学校時代のアルバムやら子ども達が学校の課題で作った工作物であるとか先祖代々残しているのではないかと思われるくらい古いものであるとかである。これらは、毎年一旦は押入れから出されはする。しかし、毎年それらのものには「保留」の張り紙を貼ってまた押入れに戻してしまう。結局そうやっていつまでも残ってきたものたちである。妻と相談しようとしたことも何度かあるのだが、妻は妻で大掃除に忙しく、それぐらい自分で考えて、とにべもない。かと言って勝手に捨てたりすれば後で怒られたりもするわけで、つくづく女という生き物は分からないなと思ったりする。
そんな「保留」の張り紙を貼られるものに、大きな箱がある。この箱、もうどのくらい前から残っているものなのか定かではないが、少なくとも曽祖父の代からあることは間違いないものだ。箱というよりは、舌切り雀の話に出てくるつづらと言った雰囲気を持つ代物である。
さらにこの箱には、先祖代々伝わる約束事がある。それは、まあ物語にはよくありがちな文言ではあるのだが、「この箱開けるべからず」というやつである。しかし、物語に出てくる箱と一味違う点は、この箱は既にもう開いているということである。これは、少なくとも祖父の代から開いたままであったようだ。僕も子供の頃にこの箱を見た記憶があるが、やはり蓋は開いていた。蓋が開いているというよりは、蓋がそもそもない。そんな箱が押入れの奥にずっと眠っているのだ。
これが一番厄介な代物で、一応先祖代々大切にされてきたもののようなので、このまま大切に持ち続けなくてはいけないのかもしれないという風にも思う。しかし一方で、特に何か入っているわけでもなく、蓋もないのだから使い道もなく、祖父にしても父にしても既にこの箱が何のために残っているのか分からない状態なわけで、だったらもう捨ててもいいのではないかとも思う。恐らく骨董品的な価値もないだろうし、箱自体大人が体育座りをしてすっぽりと入ってしまえるくらい大きなものなので、邪魔で仕方ないのだ。一応既に所有者は僕ということになっているので、これをどうしようが僕の勝手のはずだが、しかしやはりどうにも捨てるという決断が出来ない。自分でも優柔不断だなと思うのだった。
「ねぇ、そっちはもう終わった?」
妻の声が聞こえて大いに僕は慌てふためいた。というのもその時僕は、その箱の中で体育座りをしていたからだ。何となくこの中にいると休まるのだ。わざわざ押入れから出して中に入ろうとまでは思わないが、大掃除のついでに入るぐらいならと毎年こうして箱の中に入っているのだ。
「もう、全然片付いてないじゃない」
ギリギリで箱の中から出たので、妻にはバレなかった。危ない危ない。大丈夫、ちゃんとやってるって、と応えを返すと、どこが大丈夫なのよ、とたしなめられた。
「まったく、オモチャ箱でもひっくり返したような散らかりぐあいじゃないの。ほら、まだお風呂掃除も残ってるんだから急いでね」
そう言って妻は台所へと戻った。
僕は、今の妻の言葉に微妙な引っかかりを感じた。手を動かさずに考えて、なるほどと気づいた。僕は早速箱をひっくり返してみることにした。
すると底には、何だかキレイな模様が描かれているのだった。そこでようやく僕は気がついた。違ったのだ。この箱は、「蓋のない箱」ではなかったのだ。「底のない箱」で、今まで底だと思っていた部分は実は蓋だったのだ。今まで誰もこのことに気づかなかったのだろうか。確かにうちの家系の男は亭主関白のところがあったから大掃除など手伝わなかったのかもしれない。箱の存在は知っていても、それをひっくり返すような機会はなかったのだろう。なるほど、これでようやくあの、「この箱開けるべからず」という言葉が意味を持つというわけか。
僕はもちろんそんな言葉に何か意味を見出すことはなかった。そもそもこの箱は底が抜けていたわけで、中に何も入っていないことは確認済みだ。今さら箱の蓋を開けたところでどうなるということもないだろう。
早速蓋に手をかけてみる。ちょっと抵抗はあるが、そのまま引き上げる。あっさりと蓋は開いた。もちろん中には何もない。あっさりしたものだった。
まあこんなもんだよな、と思い蓋を元に戻そうと思った時だった。猛烈な違和感を感じ、そしてようやくあの警句の意味が僕にも理解できた。
蓋が手のひらから離れなくなった。ぴったりとくっついてしまったのだった。箱の中身に何かあるのではなく、箱自体に注意すべき点があったのだ。まったく、そうならそうとちゃんと言ってくれればいいのに、と僕はご先祖様を恨んだ。

一銃「パンドラの箱」

そろそろ内容に入ろうと思います。
まずは著者について。この木内一裕という著者は、別の分野で有名だった人です。もとはきうちかずひろという名前で、「BE-BOP-HIGHSCHOOL」という、マンガを読まない僕でも聞いたことのある有名なマンガを描いていた人みたいです。もうマンガは描かないみたいですけどね。映画監督をやったこともあるみたいです。
物語は、ある男が少女に乱暴をして殺してしまうところから始まります。
清丸国秀というその男は、7年前にも少女を暴行して殺した過去があり、今度の事件も出所してすぐ熾した事件でした。
さて、その殺してしまった少女が問題でした。
その少女は、蜷川隆興という、1200社に及ぶ傘下企業を持つ巨大グループを一代で築いた男の孫娘でした。
蜷川はどうしても清丸のことを許すことが出来ず、金にものを言わせてとんでもない計画を立てたのでした。
それが、清丸に10億の懸賞金をかけるというものでした。
警察の捜査にも関わらず3ヶ月経っても清丸の行方を掴むことができなかったある日、読売・毎日・朝日の三大新聞の一面広告にとんでもないものが載りました。それが、清丸を殺した者に10億円を与える、というものでした。蜷川の計画は細部まで考えられたもので、載るはずのない広告が載ったことも、自身が逮捕されないように政財界に金をばら撒いたりととにかく相当な規模で行われているようでした。
さてそんな中、福岡の警察署に清丸が出頭したという知らせが入ってきました。しかし問題が一つ。警視庁まで清丸を連れてこなくてはいけないのだけれども、その間に殺されてしまう可能性もある。そこで、警視庁警備部警護課の機動警護隊に所属するSPである銘苅と白岩に、清丸を警護しながら警視庁まで護送するという指令を受け取った。
人間の屑である清丸を体を張って守らなくてはいけない任務。蜷川の計画に踊らされて、世の中は混乱している。そんな中、清丸を守ることにどれほどの意味があるというのか…。
というような話です。
かなりマンガ的な設定ではありますが、細部はかなりきっちり調べたりしているように思いました。警察組織についてや法律なんかのことについてなかなかちゃんと描かれているように思いました。思いつきだけではない発想できちんと描かれていると思いました。
なかなかに面白い設定ですね。本当に、どこからどう考えても人間の屑である清丸を殺そうとする蜷川の無茶苦茶っぷりもさることながら、そんな人間の屑を体を張って守らなくてはいけない警察官のジレンマみたいなものは本当に巧く描けているなと思いました。
清丸を守る警察官も5人いるんですけど、その5人もそれぞれに立場みたいなものがあって面白いです。SPという立場である白岩と銘苅は、とりあえず任務を遂行することを優先します。つまり、清丸は人間の屑であるが、守らなくてはならない相手であるとそれなりに割り切ります。しかし一方で、清丸の事件を捜査していた捜査一課の刑事もいて、彼らの心情はまた違った感じです。つまり、殺された少女の死体を見てしまっているからこそ、清丸に対する憎しみみたいなものがさらに深いものとなっているわけです。
さて、警視庁への輸送はまったくうまくいきません。その最大の問題は警察官そのものだったりします。
つまり、警察官の中にも清丸を殺そうという人間が出てくるわけです。誰も信じられない状況の中で、いかに清丸を守るのか、そして何故清丸を守るのか、みたいなまあいろんな葛藤がある作品です。
すごい傑作というわけではないですけど、普通にエンターテイメントとして楽しめる作品だと思います。文章なんかも読みやすいのでいいと思います。読んでみてください。

木内一裕「藁の楯」




アヘン王国潜入記(高野秀行)

部屋の中で静かにしている真紀を見ていると、どうしても履歴書のことを思い出してしまう。
真紀を育て始めてからずっと仕事を変えたことはないので、結局履歴書を書く機会はなかった。しかし、もし万が一履歴書を書くことがあったら悩んでいただろうなと、真紀の姿を見るといつもぼんやりとそう思うのだった。
まあ、ガーデニング、っていうのが妥当なところかな。
履歴書には趣味なんかを書く欄があるが、あれが悩みの種なのだ。別に何を書いたところで問題はないような、まったく重要ではない部分ではあるのだろうが、何だか気になる。実際履歴書を書く機会があれば、「読書」だとか「音楽鑑賞」というようなありきたりの事を書くかもしれないが、純粋に自分の趣味は何なんだろうと考えるのは少し楽しい。
「やっぱりガーデニングなんて呼ぶのは間違ってるかなぁ」
真紀の体を撫でながら話し掛ける。真紀はとても大人しく、表情を変えることもあまりない。それでも僕はこうして直接触れるコミュニケーションが好きだ。いっそクールと言ってもいいくらい、真紀は僕に関心を示そうとはしてくれないが、それでも真紀に心底惚れている僕としては、彼女のことを構いたくなってしまうのだ。
どちらかと言えば真紀は、窓から差し込む朝日の方に関心があるようだ。真紀の体を優しく撫でさする僕には見向きもせずに、彼女は朝日を全身で受け止めようとするかのように大きく体を開いている。まあ、陽の光が好きなのだから仕方ない、と僕も諦めてはいる。いつも部屋の中ばっかりであまり外に連れ出してあげられない僕としては、文句は言えないのである。
真紀は陽の光を浴びると喉が渇くということを知っているので、僕は台所へと向かいコップに水を汲んでくる。
真紀と一緒にいる時間は、僕にとってはなにものにも変えがたい素晴らしいものだ。朝こうして仕事前に真紀と過ごしている時間も僕にとっては幸せそのもので、仕事なんかに行きたくなくなってしまう。真紀を一人部屋に残して仕事に行くのが本当に不安になってくるのだ。だから、仕事が終わってもまっすぐ家に帰ってくる。最近付き合いが悪くなったと同僚や友人に言われるが、そんなことも気にならないぐらい真紀を愛しているのだ。
喉の渇きの癒えたらしい真紀は、ついさっきよりも一層美しくなったように見えた。思わず彼女の細い体を抱きしめてしまう。彼女の柔らかい雰囲気が直に僕にも伝わってくる。
「そろそろ仕事に行かなきゃ。帰ってくるまで大人しく待っててね」
僕はそう言って急いで支度を始めた。
真紀がうちにやってきたのは半年くらい前のことだった。友人に紹介されたのだが、初めは彼の話をまったく信じなかった。とりあえず試しにやってみろよ、絶対後悔はしないから、という彼の言葉を真に受けたわけでは決してないが、まあ騙されてたとしても特に害はないだろうと思って半信半疑で試してみることにしたのだ。
彼女たちは「ポットガール」と呼ばれ、インターネット上で売買されている。携帯電話よりも遥かに簡単に買うことが出来るのだ。僕も購入までに5分と掛からなかった。
それからポットガールがうちに届いた。初めは本当に小さくって、女性としての姿かたちはまだどこにもなかった。それは、植木蜂に双葉がちんまりと芽吹いているだけの代物だったのだ。友人によれば、これを育てれば、その内「女性」が生えてくるというのだが、僕はそれでもまだ信じることが出来なかった。
今では彼女のことを真紀と名前をつけて読んでいるが、そんな双葉の状態では名前をつけることも出来ず、ただ枯らさないように水を掛けたり日当たりのいい場所に置いたりして、にわかガーデニングを続けたのだった。
それから二ヶ月ほど経ったある日、それまではただ葉っぱの連なりだったものが、突然女性の形にまとまり始めたのだ。まだ、確かに人間っぽく見える、というぐらいの段階ではあったが、ようやく確信が持てるようになった僕は、それからはさらに慎重に成育を続けた。日増しに女性らしい形を取るようになり、ようやくこの段階で僕は彼女に真紀という名前をつけたのだった。
今ではすっかり大きくなって、20代前半ぐらいの女性の姿になっている。真紀とは喋ったりすることは出来ないが、それでも女性としての温もりを感じることが出来るし、何よりも真紀が近くにいると妙に心が安らぐのだった。
後ろ髪を引かれるようにして今日も会社へと向かう。会社へ向かいながら、いつも僕は同じことをぐるぐると考えてしまう。
真紀は、人間の女性のような姿をしているが、どうしたって植物に過ぎない。恐らく僕よりも早く枯れて死んでしまうことだろう。そうしたら僕はどうしたらいいのだろう。そう思えばこそ、余計に真紀との時間が大切に思えるのだった。

一銃「ガーデニング」

個人的にはこのアイデアを思いついた時は、もう少しいい感じの話に出来る予感があったんですけど、案外難しかったです。やっぱ細かいところまで考えてから書き始めないとうまくは書けないんでしょうね。
というわけでそろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、辺境ライターとして知られる著者が、またしても無茶苦茶なことをやってのけた、そのルポとなっています。
さて高野氏は今回何をしたかと言えば、東南アジアの一角を占める、世界に「アヘンのゴールデントライアングル」として知られる地域に行き、そこでアヘンの種まきから収穫までを体験してみよう、という発想はシンプルながら相変わらず無茶苦茶な企画です。
ゴールデントライアングルは3つの国にまたがって形成されているわけですが、その中にミャンマー(著者はこの作品の中ではビルマと呼んでいる)の一つの州であるワ州というのがあります。このミャンマーという国はとにかくややこしいので細かいことは省きますが(というか僕にはよく理解できない)、このワ州というのはミャンマーの中でもかなり特殊な地域であって、まさにアヘンで保っている地域なわけです。特殊なのはその点だけではなくて、ミャンマーと敵対しているワ軍という武装勢力が仕切っていて、ミャンマーからはほぼ独立した存在であって、むしろ中国との関係が深いという、まあとにかくそんなねじくれた場所なわけです。
著者はそんなワ州に、まあかなり長い準備期間を経てもぐりこみます。調査から本書の執筆まで7年掛かったというから、まあかなり気の長い話だなという感じです。
そんなわけで本書は、そんな著者がワ州にもぐりこんで自ら見聞きしたことをメインにして、アヘンのゴールデントライアングルとして恐れられる地域を体当たりで取材したルポになります。
作品全体のテイストとしては、これまで僕が読んできた高野作品とはちょっと違った趣があります。これまで僕が読んできたのは「ムベンベを探す」とか「ウモッカを探す」とか「中国で野人を探す」とかそういう話が多くて、そういう場合作品の雰囲気としてはどうしても面白い馬鹿馬鹿しい感じになるんですけど、本書では一転、かなり真面目な雰囲気が漂ってきます。アヘンの歴史について語ったり、ミャンマーという国のあらましについて説明したりと言った学術的な側面も盛り込んでいて、かなり普段のおちゃらけた感じとは違っていますね。
まあだからといって真面目一辺倒なのかというともちろんそうでもなくて、何しろ現地でアヘン中毒になったりしちゃいますからね。現地の人でもアヘン中毒になる人はごく稀なのに、異国人である高野氏は完全にアヘン中毒になってしまうというこのわけのわからなさはさすがですね。
さて、ゴールデントライアングルの一角を成すとして恐れられて来たワ州で著者が見たものは、それ以前に想像していたものとはまるで違う現実でした。
そこにあったのは、腐敗した軍と貧しい農民というどこにでもある姿で、ただ育てている作物が普通のものではなくアヘンだったというだけのことだったりします。ワ州でアヘンを作っている人々からすればアヘンはただの農業でもあり、それ以上でもそれ以下でもないわけです。
まあそんな中で高野氏は、相変わらずの好奇心を発揮して、様々なことを見聞きし首を突っ込んで行きます。誰よりも草取りに励み、かなり貧弱な食事事情に耐えながらも、恐らく民間人としては初めてゴールデントライアングルで長期滞在(7ヶ月ですね)を敢行するんですね。あとがきに書かれていましたが、現在ではワ州に入り込むことはほぼ不可能になってしまったようです。そうでなくても、現地で長期滞在しようなんて酔狂な人間はそういないわけで、高野氏が見聞きしたものというのはものすごい情報なわけです。恐らく世界で最もゴールデントライアングルの内実について知っている人間と言っても間違いではないでしょう。実際、本書は日本での評価は恐ろしく低かったようですが、外国での評価はかなり高かったようで、この本を出版したお陰でアヘンについて講演するような機会もあったようです。
高野氏について僕がいつも思うのは、何だかクールだなという感覚です。クールという言い方はちょっとおかしいかもしれませんが、どうもぴったりした言葉がない感じです。
高野氏は語学が堪能で、どんな相手とでもかなりコミュニケーションが取れたりします。また好奇心は旺盛で、何でも知ろうとするし、自分がやりたいと思ったことは無理矢理にでもなんとか実行しようとするわけです。
でも一方で、あまり対象に感情的にのめり過ぎないようにという抑制も利いています。僕の感覚からすれば、コミュニケーションが取れる相手と長いこと一緒にいると、やはり感情的に傾いてしまうようなこともあると思うわけです。でも高野氏は、意識的にそうしているのか、余計な同情をしたりと言ったようなことはしません。相手の現実は相手の現実として受け止め、受け止めるだけに留めるといったような雰囲気です。そういう部分が僕は結構いいなと思ったりします。
ただそうかと思えば、仁義を尽くしてくれた相手にはちゃんと報いようとするし、そういう礼儀的な部分はかなりきっちりしているわけで、そういう人間だからこそ辺境の地でも生きて行けるんだろうなという感じはしました。
あと高野氏は「アヘン=モルヒネ化計画建白書」なるものを考え、実際にワ軍のトップにそれを提出してたりするわけで、なかなか面白いですね。ミャンマーやワ軍は、世界からヘロイン大国として見られる不利益を解消しようと、アヘンの製造を止めようかと考えているようなんだけど、でも実際そううまくはいかない。だったら、と高野氏は発想を転換し、アヘンはどんどん作ればいい、んでそれをモルヒネにして出荷すればええやん、と思いつきます。まあ実現までは遠い道のりがありそうですけどね。
かなり辺鄙な村での生活を綴っている部分が作品の大部分を占めるんですけど、相変わらず高野氏の周りには面白いことが集まるのか、あるいが高野氏がそういうものを見逃さないのか、退屈なはずの日常も何だか面白い感じになっています。
ふだんのおちゃらけた作品(と言っては失礼ですが、でもどの作品も面白いことは間違いないですよ)と比べると真面目な感じではありますが、相変わらず面白い内容です。別にアヘンやミャンマーに全然興味がなくても大丈夫です。読んでみてください。

高野秀行「アヘン王国潜入記」




リカ(五十嵐貴久)

世界は私を祝福しているのかしら。
すーっと広がる青空には、食べてしまいたいくらい形のいい雲がふんわりとのっかっている。
その空から聞こえる鳥たちの囁き声は、まるで天上の音楽のよう。
目の前を流れる川は、心地のいい音を立ててゆったりと流れている。
少し先には泉があって、スイレンの葉が水面を覆っている。まるで人魚でも出てきそうなシチュエーション。
遠くの山は真っ赤な紅葉で埋め尽くされている。まるで燃えているよう。
通り抜ける風が心地よい。さらさらと肌を撫でていくような感触。
陽の光が、私を安らかな気分にしてくれる。
この世界にあるありとあらゆるものが、私のためにある。私の存在と共にある。その美しさは私だけのものだ。
私は嬉しくて仕方がない。笑顔が絶えることがない。美しいものを見るとどうしても笑みを浮かべてしまう。
私はこの美しすぎる世界をゆっくりと歩く。歩きながら地面からの賞賛を感じ、草木の囁き声を聞き、天からの贈り物を受け取る。
私は選ばれた人間だ。世界のすべてが、私のためにある。
たった一人、私はこの美しい世界を、私だけのためにいつまでも感じていたい。そして、私にはいつでもそれが出来るのだ。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

世界にはあと何人の人が残っているのだろうか。
僕も運良く残れている一人ではある。半年前に発行が途絶えた最後の新聞には、その時点で世界ではおそらく60人ぐらいの人が残っているだろう、と記事にしていた。どうやって調べたのか分からない。既に、ありとあらゆる情報が無意味なものとなりつつある。これだけ人口が少なくなってようやくわかった。情報というのは、共有する人間がどれくらいいるかで価値が変わるのだ、と。世界に60人しか残っていないなら、ほとんどの情報に価値はなくなる。
僕は未だに日本に留まっている。一般的には最も危険だと言われる地域である。推定だが、恐らく世界でも日本に残っているのは僕ぐらいなものだろう。僕としては、灯台下暗しを狙っているつもりだ。逆に、案外日本は安全なのではないか、と思うのだ。
辺りの景色は、もう無残なものである。
川はヘドロにまみれ、空は灰色の雲で覆われ、草木は枯れ、空気は濁って呼吸が苦しくなることもある。食料を手に入れるのも一苦労で、魚や野菜は汚染されているし、かと言ってもう誰もカップラーメンを製造する者はいない。鳥や犬の死骸を見つけては、その生肉を食するような日々だ。火を熾すと見つかる可能性があるから出来ない。道端には、足の踏み場を見つけるのに苦労するほどの人間の死体が転がっている。いつか食料が手に入らなくなったら、人肉を食するしかなくなるのだろうな、と覚悟している。
世界を崩壊へと導いたのは、一人の女である。本名は知られていないが、「ハル」と呼ばれることが多い。かつて世紀末にやってくると信じられていた「ハルマゲドン」に由来するとも、その女が暴れ始めたのが「春」だとする説も、女の本名に由来するのだとも言われるが、正確なことは誰も知らない。
「ハル」の目的は誰も知らない。ある日突然「ハル」は世界をぶっ壊し始めたのだった。それはもはや破壊とさえ呼べないようなもので、消滅と言った方が近い。触れるものすべてを消滅させていった彼女を止めることは誰にも出来なかった。もちろん自衛隊も出動したし、世界最強と謳われるアメリカ軍も加勢したのであるが、最新鋭の戦闘機や戦車もものともせず消滅させていったのだった。国連で、核兵器の使用も検討されたというが、真偽のほどは定かではない。
とにかくそうやって、たった一人の女が世界を完膚なきまでにぶっ壊したのだった。
僕は鳥の生肉を口にいれながら考える。「ハル」は一体何を考えて生きているのだろう、と。
「ハル」にまつわる都市伝説は多々ある。何故それがすべて都市伝説であると言えるのかと言えば、「ハル」を見たものは例外なく殺されてしまうからだ。僕は、テレビで一瞬その姿を見たことはあるが(残念ながらそのカメラマンも一瞬後に殺されてしまった)、直接みたことはない。
そんな「ハル」の都市伝説の一つに、「ハル」はいつも笑っているというのがある。確かに、一瞬だけ見た彼女の顔は笑顔に見えなくもなかったと思い返す。
「ハル」はこの壊れきった世界の中で、何を見て笑っているのだろう。「ハル」にはこの世界がどんな風に見えているのだろう。もし素晴らしい世界に見えているのだったら、僕だってそんな風に狂ってしまいたいと切に思う。

一銃「ハル」

いつも以上に出来が悪いですね。いかんいかん。もう一つ別のアイデアもあったんですけど(「メール」をキーワードにしたものです)、まあまたそれは別の機会に。
そろそろ内容に入ろうと思います。
妻と娘の三人家族を養う平凡なサラリーマンの本間は、友人に誘われ今出会い系サイトに嵌まっている。妻のことも子どものことも愛している。でも、少しくらい遊んでみたい、という気持ちもある。生活に不満があるわけではないが、少しは刺激が欲しいと言ったところだ。
初めの内はどうすればいいのかわからなかった本間も、今では相手が書くプロフィールを読むだけで、相手が実際はどんな人間なのかを推定できるようにまでなった。何度か続ける内に、直接会って関係を続ける一人を見つけよう、と決め、その一人をじっくりと選んでいるところだ。
そうやって吟味に吟味を重ねて選んだのが、「リカ」と名乗る看護婦である。電話でも会話をし、会う約束を取り付けたのだったが、それからリカの行動は異常になっていった。30分おきに電話をしてはメッセージを残すといったことを散々続けるのだった。これはもう危険だと思い、リカと会うことを断念する本間。持っている携帯電話を壊し、リカが連絡を取れないようにした。
しかしそこからがすべての始まりだった。リカはネットに存在するありとあらゆる出会い系サイトに本間を探すメッセージを載せ続けているという話を聞き怖くなった。そしてある日、ついに本間はリカと遭遇したのだった。死ぬかと思うほどの恐怖を味わいつつ、本間はなんとか逃げ切った。
しかし、リカはどうやってか本間の新しい電話番号や自宅の住所なども知っているようだ。とにかく家族だけには知られたくない。本間はなんとかしようと努力するのだが…。
というような話です。
いやはや、なかなか怖い話でした。僕は本書の初めの方を読んで、おぉ出会い系やってみてもいいかなぁ、ちょっとよさそうじゃん、とか思ったんですけど、でもリカが出てきてからはやっぱ止めようと思いました。リカみたいな人間に遭遇するようなことはほぼないんでしょうけど、でもリカほどではないにしてもいろいろ危ないことはあるだろし、やっぱ出会い系とかはいかんなと思ったりしました。
とにかくリカが無茶苦茶怖いです。もし自分がこんな女に付きまとわれたら絶望すると思います。逃げるしかないんですけど、逃げられる相手じゃないんです。もう、相手を殺すしかしかたないと思わせるようなそんな女で、まさに怪物です。しかも僕みたいに守るべき存在がない場合はまだどこへでも逃げればいいんでしょうけど、本間のように守るべき家族がいるような場合にはもう最悪ですよね。本間は、軽率に出会い系なんかに手を出したことをすこぶる後悔するんですけど、その気持ちはよくわかるなぁ、という感じでした。
出会い系で知り合った女がストーカーになる、と一言で言い表せてしまうくらい単純なストーリーなんですけど、細かい部分を結構きっちりと書いているためにかなり読ませる作品になっているなと思いました。冒頭では出会い系で出会ういはどうするかという部分をかなり細かく書いているし、リカの異常さや過去みたいなものも小出しにしながら、その恐怖みたいなものを徐々に煽って行くし、また対照的な本間の家族についても描くことでよりその対比がくっきりしてきます。そういうそれぞれの部分をしっかりと描いているので、単純なストーリーながらぐいぐい引っ張る魅力のある作品だと思いました。
五十嵐貴久のデビュー作であり、デビュー作にしてはかなりうまい作品ではないかなと思いました。文庫版では、単行本にはなかったエピローグを載せた、ということですが、僕はそのエピローグがない方がよかったかな、と思いました。まあこれは好みの問題かもしれないですけど。
まあそんなわけで、作品を出すたびに違うジャンルにチャレンジするというなかなか稀有な作家のデビューホラー作品です。五十嵐貴久の作品はどれもそうですが、とにかく読みやすいですね。読んでみてください。

五十嵐貴久「リカ」



点と線(松本清張)

景色が闇の底に沈むと、僕は車掌になる。
運転席に座り、スイッチの入っていない計器類をチェックする。まだ乗客はいない。車内からは、闇に沈んだ街並みが見て取れる。アスファルトの道路、明りの灯った住宅、遠くに見えるビル群。そうしたもろもろが、既に輪郭の薄れたまま闇の中で浮かんでいる。東京とは言え、都心というほどでもないこの地域は、やはり夜になると真っ暗になる。この闇に包まれて、僕の電車は動き出すのだ。
電車の中に住み始めて1年近くになるだろうか。僕の住んでいる家は二階建てであるが、その内一階部分は、電車の車両を丸々一両使ったものになっている。つまり、電車の車両を基礎に固定し、その上にさらに二階を組み上げたのだった。
これはずっと昔からの夢だった。きっかけはやはり、子どもの頃にみたあるテレビ番組だっただろう。その番組では風変わりな家に住んでいる人々を特集したものだったが、その中の一つに、電車の車両そのものに住んでいる人が出てきた。土地を借り、そこに廃車になった車両を運び、上下水道や電源などを確保し、立派に住居として成り立っているのだった。昔から確かに電車は好きだったが、しかし電車の中に住むなんて発想はまったく思いつきもしなかった。まさにそのテレビ番組が天啓のように僕の元へと飛び込んで来たのだ。以来僕は、将来必ず電車の車両の住むことを決意し、同時に建築家を目指すことに決めたのだった。
建築家を目指した理由は単純だった。つまり、車両に住んでいる人はもういるのだから、自分はもっとその先を行きたい。であれば、車両を住居に組み込んだものを造るしかない。ならば自分の手で設計したいではないか。
そうやって僕は今建築家として仕事をしているわけだが、それでもこの車両付きの住宅を造るまでには相当の紆余曲折があった。まず廃線になった車両を手に入れなくてはいけないし、運搬などに関わるもろもろの手続きがあった。何よりも面倒だったのが、車両を運搬するために道路の許可を取らねばならず、その申請に時間が掛かったのだ。
しかし困難と言えば、家自体の設計も難関だった。車両だけに住むのであれば、基礎と固定する必要もなくただ置くだけでいいのだが、僕の目指すところはそれに二階部分をつけることだった。そのために、従来の基礎工事ではなかなかうまくいかないことがわかり、独自に基礎工事のやり方を生み出したり、また構造計算などで散々苦労したのだ。何せ、まだ車両が手に入る前から設計をしているわけで、そもそも車両の強度が分からない。またそれが分かったとしても、過去車両を建築に使ったデータがないのだから、どんな構造がベストであるのかも分からない。とにかくそんな状態からスタートし、何とか完成まで漕ぎつけたのだ。だからこの家にはひとかたならぬ思い入れがある。家にやってきた友人らはこの異様な建物を見て「狂気の沙汰だな」と笑って言ったものだが、それさえ賞賛に聞こえるくらい僕は嬉しかった。
運良く1両目の車両が手に入ったのも僕の興奮を押し上げた。つまり、運転席がついているのである。もちろん計器類は使えないように処理されているし、そもそも動くわけもないのだが、鉄道好きなら誰でも憧れるだろう運転席にいつでも座れるようになったのは嬉しかった。運転席から見える景色を最優先にしようと、途中まで出来上がっていた設計計画を一度白紙に戻したくらいだ。
そして今僕はその運転席に座っている。
時刻はもうすぐ深夜12時。そろそろ出発の時間だ。この瞬間が、一日の内で最も気分が高まるのだった。
この車両付き住居が完成してから半年ほど経ったある日のことだった。いつものように運転席に座ってぼんやりとした後で、寝室に戻って寝た後のことだ。ふと振動を感じて飛び上がった。地震だと思ったのだ。
しかし、振動は緩やかなものだった。むしろ心地よいリズムを刻んでいるようにも思える。ちょうど電車に座っている時に感じるような…。
そこまで考えた時ハッとし、しかしまさかなと思った。まさかこの車両が動いているというわけでもあるまい、と。
しかし、カーテンを開けてみると、そのまさかが現実のものとなっていた。車両はアスファルトの道路をゆったりとしたスピードで走っている。両側に並ぶ住居が、ゆっくりと通り過ぎていく。僕は急いで運転席へと走った。
そこには小さな男の子が座っていた。座っているだけではなく運転していたのだった。動かないはずの計器類もまるで電源が入っているかのようだった。男の子は僕の姿に気づくと、にっこりと笑って「よお」となんだかおっさんみたいな掛け声を上げた。
僕は何も声を出すことが出来なかった。男の子はまた前へと向き直った。後ろ姿しか見えないが、しかし男の子は楽しそうに運転をしているように見えた。
しばらくして車両が停まった。そして後ろから賑やかな声が聞こえてくる。子ども達が車両の中に入ってきたのだ。小学生ぐらいから高校生ぐらいまで幅広い世代の子ども達がぞろぞろと乗ってくる。またしばらくして車両は動き始めた。
それから停車と発車を何度か繰り返した。男の子の運転は見事なものだった。そうして僕と子ども達を乗せたまま車両はふわりと浮き上がった。そうして僕たちは、「タマナの黄泉」へと向かったのだった。
「タマナの黄泉」がどんな場所なのか、それは詳しくは言えない。ただ、そこは子ども達にとっての救済の場所であり、そしてまた、そこへはある特定の資格をもった乗り物でしか行けないのだった。光栄にも僕の住居に使われている車両は、その資格を有していたのだった。
それからしばらくの間男の子から車両の運転を教わり、また「タマナの黄泉」へ行く際の注意点などを教えてもらった。そうして今では僕は、「タマナの黄泉」行き車両専用の車掌として、毎晩子ども達を送り届けている。
時計の針が12時を指した。さて、今日も出発だ。レバーに手を掛ける。僕は自分の後ろ姿が、初めてあの男の子を見た時のように楽しそうに見えればいいな、と願いながらそれを手前に引いた。

一銃「僕の電車」

そろそろ内容に入ろうと思います。
さて本作は、まあ普段ミステリなんか全然読まない人でも名前ぐらいは知ってるんじゃなかろうかと思う、松本清張の傑作です。つい最近も、確かビートたけしだかが主演でドラマ化されていたように思います。「社会派推理小説」と形容されるようになり、この作品を発端に一ジャンルを築くことになる、まあミステリー史なんかでもよく名前の出る作品です。
舞台は博多・東京・北海道となかなか広いです。
発端は、博多の海岸で心中と思われる男女の死体が発見されたことでした。一方は東京の料亭で女中をしている女だったが、もう一人が問題だった。現在汚職事件で新聞を賑わせているある省庁の、その汚職事件の鍵を握ると言われていた男だったのだ。しかし、状況はどう見ても心中。汚職事件での追究を恐れた男の自殺に女が連れ添ったのだろう、と見立てられた。
しかし鳥飼という刑事がこの死に不審なものを感じ取った。ただの予感めいたものにすぎなかったが、独自に調査をしてみるとやはり妙なことが分かってくる。しかしそれ以上先には進まない。
そんな折、東京から三原という刑事がやってきた。鳥飼の抱いている疑惑に興味があるのだという。鳥飼が自説を話して聞かせると三原はそれに大いに興味を持ち、三原も独自に調べを進めてみることにする。
その過程で、怪しい人物が浮かび上がる。その省庁に出入りしていた業者の一人であるのだが、作為的な目撃証言を生み出したのではないか、という疑惑が持ち上がったのだ。しかしその男には鉄壁のアリバイがあるのだった。北海道へ出張に出ていたのである。どう考えても、犯行時刻に博多にいた人間が、翌日北海道にいられるわけがない。しかし状況は明らかにその男が怪しいことを示している。三原はなんとか彼のアリバイを崩そうと奔走するのだが…。
というような話です。
僕としては、まあまあかなぁ、という作品でした。
正直なところ、本作のメインになる部分のトリックは、なんだよそんなことかよ、というものでした。正直この部分は陳腐だなぁ、とさえ思いました。もう少しすごいトリックなのかと思っていたんですけど、全然そんなことはなかったなという感じです。
しかし一方で、細部についてはなかなかいいと思いました。東京駅での4分間の目撃者であるとか(解説にある通り、確かにこの部分には不手際があるのだけど)、犯人がした数々のアリバイ工作であるとか、まあその他ネタバレになるから書かないけれども、そういう細かい部分の詰めみたいなものはよく出来ていたなぁ、という感じがしました。
まあ後は、もちろん古い作品なのでやはりそれなりに古さを感じさせる作品なんですが(電報を打つとか、火鉢を使ってるとか、そもそも電車の移動に無茶苦茶時間が掛かるとか)、まあそういう部分はそんなに気にならなかったです。ただやっぱ電報というのが日常的に使われていた感覚というのが全然想像できないなぁ、と思ったりしました。
最終的に三原という刑事が探偵役になるんですけど、まあちょっとこの刑事のやり方も泥臭い感じでした。今で言う警察小説の発端みたいな作品なんだろうと思うんですけど、ちょっとやっぱり読んでてダラダラする感じはありますね。まあそれも、電車での移動に無茶苦茶時間が掛かるというのも背景にあるのかもですけど。例えば札幌から函館まで向かうシーンがあるんですけど、次の電車が出るまで8時間、電車に乗ってる時間が8時間、なんてレベルです。今と時間感覚が違うので、ちょっとダラダラした風に思えたりするのかなとも思いました。
まあそんなわけで全体としてはまあまあという感じの作品ですね。まあ有名な作品ではありますが、そこまで読まなくてはいけない作品でもないでしょう。

松本清張「点と線」



天使などいない(永井するみ)

目を開ける前から気配には気づいていたのだ。またか、と正直思った。どうしてこんなことになってしまうのだろう、とも思った。誰にぶつけたらいいのか分からない怒りが体の内側から沸き起こる。
じんわりと伝わる体温。皮膚とシーツとが微妙にこすれる音。時々聞こえる寝息。そうしたありとあらゆるものが、一郎の神経をイライラさせる。
目を開ける。ベッドにはやはり自分以外の存在があった。裸の女。胸をギリギリ隠すようにしてシーツを引っ掛けているだけの無防備な姿。くるんと体を丸めるようにして眠っている。
何でだろう。酔っ払っているなんてことはありえない。もちろん幻覚を見ているわけでもないのだ。ここには間違いなく裸の女が寝ている。僕にはそれがどうしても信じられない。何がどうなっているのかさっぱり分からないのだ。
とりあえず気
持ちを落ち着けるために顔を洗い、インスタントのコーヒーを飲む。ぼんやりした頭が徐々に覚醒してくる。そうしながらも必死で考えているのだ。どういうことなんだ一体?頭の中で何度もその疑問を繰り返す。
「うぃ~ん」
女がそんな妙な声を出してベッドから体を起こす。シーツが落ちて胸がはだけているが、特に気にしている風はない。
「おはよ~」
なんでそんな呑気な声が出せるのか分からない。そもそももう声が出せなくなっているはずなのに、と一郎は思う。
「ねぇ、今日は何日か分かる?」
とりあえず事態を整理するためにそんなことを聞いてみる。これは一郎の毎回のおきまりだ。
「えーと、19日かな。火曜日だと思うよ~」
相変わらず女は何も考えていないような声を出す。それがまた一郎をイライラさせる。
「そうだよな。今日が19日で、昨日が18日だったもんな。一昨日はちゃんと17日で、日曜日だった」
「何行ってるの。そんなの当たり前じゃない」
そう言って女は口を開けて笑う。そりゃそうだ。一郎にだってそんなことは十分分かっているのだ。分かっていても、どうしても確認しないと仕方がないのだ。
「ねぇ、体はなんともないわけ?」
「体?何で?あたしの体になんかしちゃったの~」
ニヤニヤ笑いながら女が聞いてくる。一郎はそれには答えず考える。いつもそうなのだ。何故か女は何ともないのだ。体のどこかに傷を負っているわけでも、どこかに痛みを訴えるわけでもない。自分がしたことを考えれば当然理解できない。
「コーヒーでも飲むか」
「紅茶がいいな~」
まあ仕方ない、と一郎は諦める。何が起こっているのかさっぱり分からないが、とにかく受け入れるしかないのだ。この女の存在を。
昨日のことを思い出してみる。もちろん、記憶はすべて鮮明だ。覚えていないことなど何もない。ただ問題なのは、その過去と現在がどうしても繋がらないということだけなのだ。
仕事を終えて帰って来たのが22時ぐらいだった。上司とのみに出かけたが、案外早く帰ってくることが出来た。鞄の中に入っているものを早く妻に渡してあげなくては。
「おかえりなさい」
妻はいつもと変わらない感じだった。どこにでもいる専業主婦。家にいても最低限の化粧は怠らず、編物と俳句が趣味というのがちょっと変わってるが、それ以外は特にこれと言った不満もなく、寧ろ快適な生活を与えてくれる存在だった。
「話があるんだ」
一郎はそう妻に切り出した。何そんなに改まって~、なんて軽口を叩いていた妻も、一郎の固い表情を見て真面目な話だと悟ったらしい。
「離婚して欲しいんだ」
そういって、自分の欄だけは記入済みの離婚届を妻に差し出した。
妻に不満があるわけではなかった。他に女がいるわけでもない。ただ、結婚生活というものにどうしても慣れることが出来なかった。誰かと一緒に生きていくより、一人でゆったりと生きていたい、そんな風に強く思ったのだ。
もちろんそうやって真面目に説明したつもりだった。しかし、まあ予想していたことではあるが、やはり妻は一郎に他に女がいるのだと疑った。あるいは自分に悪いところがあるなら直すと懇願しもした。一郎の言っている理由は全然納得できないとも言われた。一郎も確かにそうだろうと思った。思ったが、自分の決断がもう動くことはないのだということもまた歴然とした事実だった。
粘り強い話し合いを続けたが、互いの意見は平行線のまま、妻は泣き喚き暴れ大声を上げ、絶対に一郎とは別れないと言い切った。
気づいたら、妻を殴り殺していた。いや、気づいたらという言い方は間違っている。一郎は、はっきりとした殺意を持って妻を灰皿で殴ったのだ。自分がまさかそんなことの出来る人間だとは思っていなかったので、一瞬茫然としてしまったのだ。
その日は妻との話し合いでもう疲れていた。流れ出る血だけ拭い、死体を余っているシーツで包み、台所の床に寝かせて置いた。
そして今日、起きたら裸の妻が隣に寝ていた。
これがもう一週間も続いている。一郎は、毎日妻を殺している。しかし次の日の朝、妻は必ず妻が裸のままで一郎の隣に寝ているのだった。もう妻を殺すのが嫌で、ありとあらゆる方法で妻と別れようと努力をしているのだけど、結局最後には妻を殺してしまうことになるのだ。
妻は屈託のない笑顔を浮かべて紅茶を飲んでいる。今日もこの女を殺してしまうのかと思うと、一郎の気分は朝から滅入った。

一銃「いつも隣にいる女」

今回は、前半で「知らない内に女性を連れ込んでいて悩む男」というのを描いて、最後にそれをひっくり返そうと思っていたんですけど、この「知らないうちに女性を連れ込んでいた」という架空の部分を巧くかけなかったなぁ、と残念です。後の話と繋げるために書くべきことと書けないことがあったのでなかなか難しかったです。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は9編の短編が収録された短編集になっています。

「別れてほしい」
沙貴は昔から美紀子のものばかり欲しがった。もっと言えば、美紀子の付き合っている彼氏をだ。
沙貴は美紀子と比べたらずっと華やかでいくらでも男性と出会えそうなのに、何故かいつも美紀子の気になる人や美紀子の彼氏を奪っていくのだ。
この前も、沙貴が今はまっているゴスペルのコンサートに来ないって誘われた。そこに今付き合ってる彼氏と行ったのだけど…。

「耳たぶ」
食品会社で新製品の開発をしていた夫が遊歩道から落ちて浅瀬の川で溺れて死んだ。何だか気力のなくなってしまった圭子だけど、事故の状況に不審があって自分でいろいろ調べてみることにしたのだ。何せ夫が死んだ王子には、夫は何の関係もなかったはずなのだ。
調べていくと、夫はアシスタントの女性を連れていろんなイタリアンレストランでマーケティングのための食事をしていた。どうもそのアシスタントの女性が、夫にセクハラをされたということで退職していたのだ。圭子は早速その女性に会いに行くことにしたが…。

「十三月」
愛三生命保険のセールスレディとしてトップクラスの営業成績を誇っていた奈津が、ホテルで殺されているのが見つかった。見つけたのは、顧客でもある波倉商事の社員。奈津の後輩で、奈津にお世話になった恵理は、奈津がどうして死ななくてはいけなかったのか調べることにした。そこには、13ヶ月いないに保険を解約した場合、担当した営業部員の責任になるというルールが関係しているようなのだが…。

「レター」
喫茶店で挨拶程度の会話を交わした女性が落とした手紙を見つけた萌。今から追いかければ間に合うかもしれないと思ったが、どうしても出来なかった。そこに書かれていた宛名が、2年前まで付き合っていた彼氏の名前だったからだ。東京の病院で働けるチャンスなんだと言って、その病院の助教授の娘と結婚することに決めた良介の名前がそこにあった。忘れようとしても忘れられないその名前を見て、萌はあの喫茶店で出会った女性との関係を考える。喫茶店であった女性を探し当てると、彼女は子持ちの母親だった。まさか良介はこの女性とも関係を持っていたのだろうか…。

「銀の墨」
女性物の扇子に和歌を書いて欲しいと言ってやってきた和菓子屋のご隠居が殺された。筆耕業として仕事を請け負っていて、自身も筆をとる美葉は、そのご隠居のことを調べたいと思った。女性物の扇子に和歌を書いて欲しいと言われたのだから、それをあげる相手がいたはずだ。その女性は一体誰だろう…。

「マリーゴールド」
高級服地を扱う倉骨商事の社長の息子から別れ話を切り出された夜、電車の中で見かけたキャリアウーマンが気になって後をつけてみることにした。人には言ったことがないけど、亜由美にはそういう癖みたいなものがある。外の姿と家での姿を見比べて、安心したり羨ましがったりしたいだけなのだ。
何度かその家の様子を見てみることもした。外ではバリバリのキャリアウーマンなのに、家ではおかっちゃんみたいなそのギャップが羨ましいと思った。
しかししばらくしてその家が放火によって焼失したというニュースが流れ…。

「プレゼント」
フライトアテンダントとして働く麻子はイライラしていた。乗客にもイライラしていたし、同業の堀にもイライラしていた。ついそのイライラが募って、堀の財布からクレジットカードを盗み出してしまった。そのカードで買い物をして何だかいい気分になった。一緒になっていた電話番号に掛けてみるとホテルに繋がった。堀にばっかりいい思いはさせたくないと思ってそのホテルに行くことにしたのだが…。

「落花」
若手画家の個展で見かけた絵に惹かれ、陵と出会った。陵の作品に惹かれ、その人柄にも惹かれ、志保子は陵に経済的な援助を申し出た。志保子と一緒に暮らし、生活費や旅費などを出してあげる。それで陵には創作活動に専念してもらうのだ。
志保子は自宅でピアノを教えていた。少なくない財産があるので、あくせく仕事をしなくてもいいのだ。陵の創作を間近で眺め、ピアノを教える。それは最高の生活だと思っていたのだけど…。

「振り返りもしない」
なかなか衝撃的な写真集を出した月子は、かなりメディアで取り上げられた。それで知ったのだろう。大学時代の友人であり、当時に彼氏だった捷から連絡があった。久しぶりの再会。でもどうやら仕事の依頼だったようだ。
旦那と子どもとで穏やかに暮している。息子は月子の影響なのか、料理写真家になるため日々頑張っている。旦那は退屈な男だが、しかしまあ生活に不満はない。
しかししばらくして警察から、捷の奥さんが襲われて意識不明であると告げられて…。

というような話です。
作品毎にばらつきはありますけど、なかなかいい話が多かったな、と思いました。まあいい話と言っても心が温まるような話ではないんですけどね。
本作は、そのほとんどの話が、女って怖いな、みたいな話です。「天使などいない」というタイトルはだからなかなか巧いなと思いますね。まさに、女性というのはこんな秘めたものがあるんだよ、というようなのが見えてくる感じがします。
しかし、その点が逆に、男からすると本作をなかなか巧く評価できない部分だったりもします。
つまりこういうことです。男からすると、本作で描かれるような女性の醜い部分っていうのはなかなか見えないわけです。女性からすれば心あたりはあるでしょうけど、少なくとも異性には自分の醜い部分は隠そうとしますよね。だから、正直なところ、本作で描かれるような女性の醜い部分について男としてはうまく判断が出来ないな、という感じがするんです。もちろん、女性同士ではこういう感じのやり取りがあるんだろうなとか、うへぇ女って怖いなぁというような感想を抱くことは出来ますけど、やっぱ壁一枚隔てているような遠さがあると思います。イメージの向こう側にあるものを無理に覗き込むようにしないといけないわけで、そういう意味ですっと入り込める作品ではないと思います。
だからこそ逆に、女性にはかなりオススメ出来る作品なんだろうなと思います。女性からしたら、本作で描かれるような女性の醜さみたいなものは普段から接しているのだろうし、あぁあるあるとか、そうそうこんな感じだよねぇみたいな風に思いやすい作品なんじゃないかなという感じがしました。まああくまで僕の推測ですけど。
話としては、やっぱり冒頭の「別れてほしい」は秀逸ですよね。あんまり詳しく書くとネタバレになるので書きませんが、女性の怖さみたいなものを巧く描き出している作品だと思いました。正直、沙貴も美紀子もどっちも怖いなぁ、という感じですね。一番不幸なのは誰かと言えば、まあ殺されちゃった沙貴かもですけど…、という感じもします。
あと「マリーゴールド」も秀逸です。電車で見かけて女性にふと惹かれてあとをつけるというところから話が始まるんだけど、最後とんでもないところまで話が進みます。不用意に行動してはいけないなと思うし、何よりも女はやっぱり怖いなと思いました。
あと「レター」も結構好きなんですよね。本作の中では珍しく「女性は怖いね」的な話じゃないんですけど、善意と勘違いの入れ違いみたいな話が結構面白いなと思いました。
「耳たぶ」という話の中でセクハラの話が出てくるんですけど、これは男からしたらちょっと厳しいですよね。もちろん、女性によって何をセクハラだと感じるかというのは違うんでしょうけど、しかしこのケースはちょっとあんまりだな、という気はします。女性の方にももちろん理由はあるわけですけど、でもちょっと可哀相だなという感じです。
残念なのは、それぞれの短編のタイトルにちょっと捻りがなさすぎるということですね。僕も自分でショートショートを書いていて、タイトルはいけてないと思うんですけど、作家でこれはちょっとダメじゃないかなという気がします。特に「レター」とか「プレゼント」とかはもう少しなんとか頑張って欲しいような、そんな気がしました。
まあそんなわけで、なかなかいい作品だと思います。が、やはり男が読むより女性が読んだ方が断然面白いだろうとは思います。女性はきっと、分かる分かると言って共感できることでしょう。

永井するみ「天使などいない」



こころ(夏目漱石)

皆で泥だらけになりながら土を掘って埋めてから10年。ようやく私たちはタイムカプセルを開ける時を迎えた。
なんて言うと大げさに聞こえるかもしれない。私だって実際、タイムカプセルを開けてみるまでは何も考えてはいなかったのだ。どうせ小学生の頃に埋めたものなのだ。自分でもどんなものを埋めたのか碌に覚えていなかったが、それがどんなものであれ大したものであるはずがない。まして、10年前に埋めたタイムカプセルが、まさか今の私たちの運命に大きく関わっていたかもしれないなんて、どうしたら想像できるだろう。
そもそも私は、タイムカプセルのことなんかすっかり忘れていたのだ。友人からも、昔のことを覚えていなさすぎ、と言われるくらい、私は昔のことに頓着しない。だからタイムカプセルの話を友人から聞いた時も、あぁそんなこともあったなと言ったぐらいのことしか思わなかった。
タイムカプセルのことを聞いたのは、同じく小学校時代からの友人だったKの葬式の場であった。警察官として地元の交番に勤務をしていた彼は、元々人から親しまれる性格もあって、街のおまわりさんとして住民から頼りにされていた。しかし先日、通りでKの死体が見つかったのだ。刃物で刺されたらしく、他殺として捜査が進んでいるようであるが、未だに犯人は捕まっていない。
そのKの葬式の場でタイムカプセルの話になったのだ。
「10年まであとちょっとだったのにね」
「10年って何が?」
「覚えてないの?小学校の頃タイムカプセル埋めたじゃん。10年後に開けようねって約束したじゃん。それがほら、あと1ヵ月後だったのにね」
そう言われて思い出したことがあった。当時一緒にタイムカプセルを埋めたのは、私とKとタイムカプセルの話を思い出させてくれたYと、そしてもう一人Tという男の子がいた。そのTのことについて思い出したのだった。
Tはタイムカプセルを埋める直前に両親を亡くしていたのだった。Tが家に帰ると、血まみれの両親が倒れていたのだという。警察は、強盗や怨恨の可能性を辿って今でも細々と捜査を続けているようなことをKが言っていたが、しかしこちらもまだ犯人が捕まっていない。タイムカプセルの記憶は私にとって、両親を殺された友人という記憶も一緒に引き連れてきたのだった。
そうしてタイムカプセルを開ける日を迎えたのだった。
K以外は皆まだ大学生だったので、私たちはいつでもヒマだった。3人になってしまったけど、私たちは揃ってタイムカプセルを埋めた場所に集まった。
「どの辺りだったっけ?」
「ちゃんと覚えないなぁ。なんか目印にしたんだっけ?」
「俺は埋めた後で猫のウンコを載せといたけど」
「バカ。そんなん目印になるわけないでしょ」
そんな風にアホややり取りを繰り返しながら、私たちはダラダラとタイムカプセルを探し続けたのだった。
漸く見つけたそれは、なかなかに酷い有り様だった。私たちは何も考えず、上等なお菓子の入っているような四角い空き缶にいろいろ詰めて埋めたのだけど、10年という歳月はやはり厳しかった。空き缶は錆びてボロボロだったし、中に水が入り込んで、10年前の私たちはもちろん防水のことなんか全然考えなかったから、空き缶の中身ももうぐちゃぐちゃだったのだ。
「まあこんなもんか」
「まあそんなもんだろうね」
「順当って感じだね」
私たちはそれでも、中に入っているものを一応取り出して眺めてみた。クマのぬいぐるみみたいなのはYが入れたんだろう。ブルースリーらしき写真はきっとKだ。私はというと絵を入れたみたいだ。その絵を見て私の記憶はすぐさま蘇ってくる。そういえば、当時好きだった男の子の絵を書いてタイムカプセルに入れたのだっけ。恥ずかしい。たぶんYもTもその事を知らないだろうから、うまく隠しておくことにしよう。
Tは何を入れたんだろう、と漁ってみる、すると中から一通の手紙が出てきた。見てもいいものだろうか、と思ってTに視線を向ける。Tは私と一瞬視線を合わせるも、すぐにYの方を向き話を始めてしまった。しかしその一瞬に垣間見えた表情からは、何とも言えない諦めのようなものが滲み出ているように思われた。
私は少しだけ逡巡し、意を決して中を見てみることにした。それは、やはり水にやられて読みにくかったのだが、冒頭の文章だけははっきりと残っていた。
「ぼくはおとうさんとおかあさんを殺しました。」
思わずTの方を向く。Tは相変わらずYと呑気に会話を交わしている。自分が何を書いたのか忘れてしまったのだろうか。あるいは、冗談で書いたのだから気にしていないということなのだろうか。しかし、冗談でもこんなことを書くとは思えない。続く文章にも、何故自分が両親を殺すに至ったのかが書かれているようである。まさか本当にTは両親を殺したのだろうか。
そこまで考えた私は、ふととんでもない考えに行き着く。まさか。
まさかKを殺したのはTなのではないか。Kは警察官になっていた。殺人の時効は15年で、もしTga両親を殺していたとしたらまだ時効は成立していないことになる。この文章をもしKが見たとしたら、それだけで彼が逮捕されるということにはならないだろうが、細々とながら続けられている捜査の方針が変わるということはありうるかもしれない。
しかし、ならばどうして私が手紙を見ることは止めなかったのだろう。そんな風に考えている時にふとTと目があった。Tはそこで、薄っすらと笑みを浮かべた。その笑顔は、私の脊髄を痺れさせ、私を恐怖させるに十分な何かを孕んでいた。

一銃「タイムカプセル」

今回のショートショートは、まあ話としては相変わらずつまらないですが、自分の思いついた設定をそれなりに巧いこと形に出来たかなと思います。
そろそろ内容に入ろうと思います。
さて今回は、国語の教科書にも載るほどの作品で、日本人なら知らないものはいないだろうという、夏目漱石の「こころ」を読んでみました。
私はある時、後に自らが先生と呼んで親しむことになる人に出会います。私はその時鎌倉に旅行中で、先生は何をしていたのか知らないが西洋人を一人連れていた。鎌倉にいる間私は何度も先生を訪ねたが、歓迎することもなければ邪魔にすることもなく、私の方としても何がどうということもないのだが、飽かず先生を訪ねていった。
それは旅行を終えてからも変わらず、私は先生の元へと日参した。当時まだ若々しい書生だった私は、先生の思想に打たれていたということもあったのだが、それ以上に先生という個人にどこか惹かれていたのだろうと思う。
ただ、先生はどことなく距離のある人だった。私を遠ざけない代わりに、私を近づけることも決してしなかった。何度か話を聞くようになって、漸くその原因が過去の何らかの出来事に関わっているということまで分かったのだけど、どうしても先生はその過去を明かしてはくれない。先生の思想をもっと深く理解するために先生の過去も知りたいのです、と詰め寄ると、分かったいつか必ず君には教えようと約束してくれた。
その後わけあって郷里に長いこと帰っていたのだけど、その間に先生はなんと自殺してしまったのである。その前に私宛に長い長い手紙が届いた。どうやらそれが、先生の過去に記した告白文であり、同時に遺書であるようだった…。
というような話です。
僕も国語の授業でこの話をやった記憶がありますが(まあ国語の授業は無茶苦茶嫌いだったので全然覚えてないですけど)、国語の教科書に載っているのは、第三部の「先生と遺書」の一部なんでしょうね。本作は三部構成になっていて、第一部が私が先生と出会って深く関わるようになる「先生と私」、第二部は私が父親の病気のために郷里に帰っている間の「両親と私」、そして第三部が先生からの遺書そのものである「先生と遺書」となります。
さて古典が大の苦手な僕ですが、本作はそれなりに普通に読めました。もちろん普段読むような小説よりも読むのに時間が掛かったわけですけど(やっぱり古典の文章というのは読むのに時間が掛かります)、でも読んでて退屈ということにはならなかったし、これが読み継がれるべき傑作なのかどうか僕にはなんとも判断は出来なかったけど、割合面白く読めたなという感じでした。
登場人物は非常に少なくて、本作に出てくる名前を出せば、「私」「先生」「父」「母」「奥さん」×2(先生の奥さんとお嬢さんのお母さん)「お嬢さん」「K」ぐらいなものです。これだけの人数しかいないのに、かなり濃い人間関係が描かれます。「先生」と「私」の関係や、「私」と「父」「母」の関係、また「先生」と「K」と「お嬢さん」との関係など、それぞれに面白い部分があってなかなかいいなと思いました。
特にやっぱり最後の「先生」「K」「お嬢さん」の関係はなかなか読み応えがありますね。国語の教科書で読んでいた時は面白いともなんとも思いませんでしたけど、こうして一冊丸々読んでみるとまた違った感じがします。僕には特に経験はないですけど、でも「先生」みたいな状況に追い込まれたら似たようなことを自分でもしてしまうかもしれないなと思ったりします。ただ、それを苦に思って自殺するようなことはないと思いますけど。逆に、やはり「K」のような生き方というのは捉えがたくて難しいですね。なかなか僕からは遠いなという感じがしました。
国語の教科書という話をしますけど、やっぱ作品の一部だけを抜き出して教科書に載せるというのは無理があるよなと僕は思いました。まあもちろん全部載せるのは無理だとは思いますが、だったら国語の授業で扱うのは短編だけにするべきじゃないかな、と。本作だって、やっぱり第一部と第二部を読んでから第三部を読むことで、「先生」というキャラクターがもっとあっきり浮かび上がってくるわけで、それを第三部だけいきなりポンと読まされたところでどうなんよ、という感じがしました。
しかし、もう100年近くも前の作品ですが、それでも十分読むに耐えうる作品なんだなと思って、やっぱそれってすごいなと思いました。今僕らが読んでいるような小説で、100年後の人が読んでもそれなりに面白いと思わせるものがどれぐらいあるかな、と考えたりします。なかなか想像しづらいですけど、でもほとんどそういう形では残らないような気がします。そういう意味で言えば、古典というのはすごいなと思ったりします。
僕は勝手に、もっと暗い話だったようなイメージを持っていました。やっぱり第三部はそれなりに暗くなりますけど、でも全体的にはそう暗い話でもなかったです。傑作なのかどうか僕には分かりませんが、読みやすい古典だと思います。

夏目漱石「こころ」



時間はどこで生まれるのか(橋元淳一郎)

もう大分昔の話になるんだろうけどさ、俺だって随分昔の本で読んだだけなんだけどさ、ほら「ツチノコ」なんてのがいただろ。覚えてる?蛇の一種なんかなぁ、あれは。UMAっていうんだな。未確認動物ってやつ?ホントに見たって言う人がいるのか怪しいもんだけどさ、でも懸賞金とか掛かってみんな結構探してたんだろうなぁ。今ではどうなってるんだろう。
いやなんでいきなりツチノコの話かっていうとさ、ほらやっぱり俺の探してるものもさそれに近いんだろうなとかって思ってさ。だって、誰も見たことないし、そもそもあるかどうかも分かんない。存在するとしても、それが人間の確認できる形をしてるのかどうかもわからない。まあそんなものをさ、もう10年以上も探してるんだよね。自分でも思うけど、よくまあ続いてるよな、って感じ。ライフワークってやつかな。
自分では、「時間の泉」って呼んでるんだな。
俺は昔さ、物理学者だったんだな、こう見えても。今では妖しげな探検家だけどね。で、何で俺が怪しげな探検家に転身したかって、それがやっぱりこの「時間の泉」のせいなんだな。
知ってるかどうかわかんないけどさ、15年くらい前にさ、量子論と相対性理論を統合した統一理論が出来たわけ。名前も単純で相対性量子論って名前なんだけど、とにかくその理論がようやく完成したってわけ。さっそく論文を手に入れて読んでみたんだけど、いやはやこれが一読してもちんぷんかんぷん。アインシュタインが相対性理論を発表した時、世界でその理論を理解できたのは3人しかいなかったなんて話があったりするけどさ、あの相対性量子理論もまさにそんな理論だったかもしれないな。新しいパラダイムが生まれる時ってのは大抵そうなんだ。
まあでもとにかくその相対性量子論が発表された時はさ、とにかくそれが大ブームだったわけだ。だから俺も必死で論文を読んで理解してさ、他の研究者とディスカッションをしまくって、なんとか頑張ってついていったってわけ。
で、その相対性量子論ってのには、大元となるある基本式があるんだけど、その式をある特定の条件で解いてみたのよ。そしたらなんと、「時間は偏在した局所から湧き出てくる」って答えが出てきたんだよね。もっと正確に言えばさ、時間に関してある地点における値が無限大になる、そういう地点が必ず存在するっていう解が導き出されたってわけ。
これが、俺が理論上見つけた「時間の泉」ってわけ。「時間の泉」なんてなかなか悪くないネーミングだろ。まさにさ、泉みたいに時間が湧き出てくる場所ってのがどっかにあるはずなんだよな。
最大の問題はさ、その「時間の泉」が地球上にあるのかどうか、っていうことだったんだよね。理屈の上では、宇宙のどこかに存在してればいいわけでさ、必ずしも地球上にあるわけじゃないんだな。でも、考えてみればさ、時間なんて概念が必要なのはさ俺らみたいな高等生物ぐらいなものでさ、この広い宇宙に地球のような惑星がたくさんあるとしてもさ、それでもとにかく知的生命体のいる惑星のどこかにあるということは信じてみてもいいかもしれないな、って思ったんだな。だから、まあここからはただの賭けなんだけどさ、地球上にその「時間の泉」があると信じて、俺は物理学者から探検家になったってわけ。
しかしさ、予想以上にきつかったね、これが。だってさ、そもそも「時間の泉」がどんなものなのか分かんないんだからね。そこだけ時空が歪んでるのかもしれないし、本当に泉のように何かが湧き出ているのかもしれないし、あるいは見た目には何の変化もないのかもしれない。そこで時間が生まれる場所、というのがどういうものなのかイマイチ想像できなかったからさ、自分が正確に何を探しているのかもわからないみたいな状態だったな。よくさ、海に落とした針を探すようなものだ、みたいな表現があるじゃん?でもさ俺の場合さ、海に落としたかもしれない何かを探すようなものだ、みたいな感じでさ、それこそ雲を掴むみたいな話だったね。
でも俺は諦めなかったね。何せ、恐らく検出することは不可能だろうって言われてた「重力波」だって、4年前にその存在が確認されたくらいだからね。諦めちゃいかんなって思ったよ。
でまあさ、結論から言えば、見つけたよ、「時間の泉」。見つけた時はさ、あれこれかなって感じで。で、いろいろと確かめてさ、あぁこれで間違いないって思ってさ、やっと自分の理論の正しさを証明できるってそれがもう嬉しくてさ、喜んだよなぁ。
結局「時間の泉」がどんなものなのかっていうのは、なかなか文字にするのは難しいんだな。見てもらうしかないっていうかさ。あえて言うなら、断続的に流れる滝を平行移動と対称移動を繰り返して出来た構造、みたいな感じなんだけど、イメージできるかなぁ。
「時間の泉」も見つけたことだし、さてこれからどうしようかななんて思ってたんだけどさ、いやホントうっかりしてて。
「時間の泉」って、さっきも言ったけど、ある地点である値が無限大になるっていう場所なんだけど、だからさその中に一歩足を踏み入れちゃうとさ、「時間の泉」から出られなくなっちゃったんだよね。ブラックホールに吸い込まれるみたいなイメージをしてくれればいいんだけどさ、「時間の泉」の内部に入ることで、僕自身の時間が無限大に引き延ばされて、結果僕自身の時間が止まっちゃうみたいなさ、そんな感じなんだよね。別に死んじゃったわけじゃないし、僕自身の時間も流れてはいるんだけど、でもそれが無限大に引き伸ばされているために止まっているように見えるみたいなね。
参っちゃったよね。折角長い時間掛けて「時間の泉」を見つけたっていうのにさ、その内部に取り込まれちゃって身動きできないなんて。学界に発表したらかなり話題になったはずなのに。
あぁそうそう、今君が読んでるこの文章って、俺の思考そのものなんだけどさ、これが読めるっていうことはきっとあなたも僕と同じ土俵にいるってことなんだよね。つまり、あなたの時間も無限大に引き延ばされて止まってるように見えるってわけ。あれ?そんなことないって顔してるかな?よく確かめてみた方がいいよ。

一銃「時間の泉」

そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、「時間論」について科学的な観点から思考した本になっています。
これまで「時間論」というのは主に哲学者によって考えられてきました。しかし時代が経るにしたがって科学的な認識はどんどん変化していくのに、哲学者の持つ科学的知識は未だにニュートン力学的知識に留まっているために、現実とは乖離した時間論ばかりが展開されることになっているのが現状です。その現状をどうにかしたいと、物理について分かりやすい教え方をすると定評のある著者が、今のところ分かっている科学的な事実を踏まえた上で、では一体時間というものの正体は何なのだろうということについて思考する内容になっています。
本書の内容の大まかな部分については、既に物理学者にとっては常識的な事柄のようです。しかし何故それが一般に流布しないのかと言えば、物理学者が一般人に向けて分かりやすく説明するのを億劫がっているからであって(別にそれを避難しているつもりはないんですけどね。一流の物理学者は一般人の方向よりも真理の方向を向いていればいいと思う)、大抵の物理学者は本作に書かれているような時間論を既に常識として消化しているのだそうです。
さてその本作の結論となる時間の正体ですが、本作では、「時間は存在しない」という結論を導き出します。これは、本作を順番に読んでいけばなるほどと納得の出来る帰結であって、本作には物理的な知識は確かにかなり出てきますが、しかし直感的に理解出来るような描き方をしているので、物理の素養に乏しい人でも割とついていける内容ではないかなと思います。
「時間は存在しない」というのは要するに、「時間というのは人間が生み出した錯覚だ」という結論を導き出していることになります(僕の解釈が間違っているかもですが)。このことを著者は、色や温度と言ったものを例にとって説明します。
例えば色というのは何かと言えば、ある周波数の範囲にある光のことであって、一応これは測定することが可能な数値です。でもじゃあ色というのが存在するのかと言えばそうではないでしょう。色というのは要するに人間の認識が生み出したものであって、自然界に存在する概念ではないわけです。確かに赤色に見える光の周波数を測定することは出来るけど、しかしそれは色を測定しているわけではなくて周波数を測定しているだけであって、色というのはどこにもないわけです。
温度についても同じで、僕らは温度計みたいなもので温度を測っているつもりですけど、結局あれも水銀の圧力の上下を測っているわけで、温度そのものを測っているわけではないです。原子一個を考えてみた時に、そこには温度というものは存在しないわけです。温度というのは、たくさんの原子の相互作用の結果として生み出される現象であって、温度というものそのものはないわけです。
それと同じように、僕らは時計で時間を測っているつもりですけど、それも結局何らかの周期性をカウントしているだけであって、時間というものが存在するわけではないのです。
これがミクロな世界の話になるともっと面白いことになります。詳しいことは書きませんが、ミクロの世界では時間や速度や位置やエネルギーと言った、マクロの世界では測定できるそういうありとあらゆる数値が存在しないことになってしまうわけです。これがまあ量子論の不思議なところで面白いところでもあります。
さて、本作は「時間など存在しない」ということを結論として導くわけですが、もう一つメインとなる話があります。
それが、何故時間は過去から未来へ向かって進んでいく(ように見える)のかということです。これまでの時間論では、これについてはまったくお手上げでした。この部分について著者は独自の見解を書いています。この、何故時間は過去から未来に進んでいく(ように見える)のかという話は僕は非常に面白いと思ったので、僕の理解できた範囲でその話を書こうと思います(僕の解釈が間違っている可能性があるので鵜呑みにはしないでください)。
まずこの話をする前に、エントロピー増大の法則の話をしなくてはなりません。これは、物事は秩序ある状態から乱雑な方向へと進んでいくという話です。自分の部屋は、放っておけば勝手に汚くなって、掃除をしなければ一人でにキレイになることはない、とまあそういう話です。
さてこのエントロピー増大の法則が過去→未来というのと対応するわけです。即ち、秩序ある状態が過去、乱雑な状態が未来に対応するというわけですけど、さてではなぜそうなるのかという話です。
さてここで生命というものを、たくさんの赤玉と白球の並んだ中にある5個連続した星という風に決めましょう。
…●●●●●●●●☆☆☆☆☆○○○○○○○○…
こんな感じのイメージです。
ここで時間が進むにつれてこの並びはどんどん変わっていくのですが、星が5個連続じゃなくなった段階で生命は死ぬということにしましょう(つまりエントロピーが増大し乱雑になったということ)。
生命というのはそう易々とは死なないわけで、だからこの5つの星は崩れることなくしばらく持ちこたえます。これこそが生命の「意思」であると著者は書きます。それこそが、長い年月を掛けた進化の過程で、エントロピー増大の法則に抵抗して長生きするために生命が獲得してきたものだと。
さて、時間経過と共にどうなるか少し書いて見ましょう。
…●●●●●●○●☆☆☆☆☆○○○●○○○○…
…○●●●●●○●☆☆☆☆☆○○○●○●○○…
…○●●●●●○○☆☆☆☆☆●○○●○●○○…
…○●●○●●○○☆☆☆☆☆●○○●○●●○…
まあこんな感じです。
さてここからが真骨頂です。発想を転換するわけです。
ここで、下から上の時間というものを考えてみます。つまり、乱雑から秩序へと向かう時間です。これは、エントロピー増大の法則が成り立っている僕らの世界ではありえませんが、もしエントロピー減少の法則が成り立っている世界があったら、という仮定をするわけです。
その世界においては、放っておいても乱雑な状態から秩序が生み出されるわけです。掃除をしなくても部屋がキレイになるわけです。
ではもしエントロピー減少の法則が成り立つ世界に生命が存在するとして、その生命には「意思」はあるでしょうか。何もしなくても秩序が生まれる世界の中では、生命の
「意思」というものが生まれることはないわけです。
放っておいても部屋がキレイになる世界では、誰も掃除をしないのと同じことです。
これがつまり結論になりますね。まず過去→未来というのを、エントロピー増大の法則と重ね合わせて秩序→乱雑と対応させるわけです。さらにここで、もし乱雑→秩序という世界が存在していたとしたらどうなるかと考えるわけです。独りでに秩序が生まれる世界の中では、僕らのような「意思」を持った生命は生まれえません。だからこそ、僕らのような「意思」を持った生命の体感する時間は、過去→未来というものになるというのが結論なわけです。
これは非常に明快で分かりやすいなと思いました。正しいかどうかは僕には判断できませんが、非常に納得できました。この発想は見事だなぁと思いました。
まあそんな感じで本作では時間論というものが展開されていきます。
しかし、本書に限らず理系的な本を読んでいて思うのは、科学というのは本当に不思議だよなということです。
科学というのはもともと、目に見えるものや常識・経験と言ったものを説明するために生まれたはずです。星の運行や土地の面積の測り方などを知るために発達してきたわけです。
しかし科学が段々進歩するにつれて、世の中はどうやら僕らの常識とは違った形で動いているようだ、という事実を科学はもたらしてきました。その最たるものが相対性理論と量子論であって、この二つの理論はとにかく僕らの日常的な常識をガンガン打ち砕いていきます。初めは常識に理屈をつけるために生まれたはずなのに、今ではその科学は、僕らに常識の転換を図っているわけです。この逆転現象みたいなものは面白いなといつも思います。
まあそんなわけで、非常に分かりやすく時間について書いている本だと思いました。難しい細部については余計な説明をせず、イメージでパッと分かるような説明だけで難しい時間論の話を展開できる著者の力量は見事だと思います。なかなかオススメできる本です。読んでみてください。

橋元淳一郎「時間はどこで生まれるのか」



嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん2(入間人間)

目が覚める。
今が朝だと知らせてくれるのは、部屋の中に置いてある小さな置時計だけ。部屋には窓はなくて、外の様子は全然わからない。壁に掛かっているカレンダーの今日の日付のところに丸をつける。今日でこの部屋で生活を始めて8日目だ。そろそろ飽きてきた。
部屋は教室の半分の半分ぐらいの大きさかな。そんなに広くない。真っ白なシーツに包まれたベッドがある以外、置いてあるものは少ない。ちょっと古くってあんまり読む気になれないコミックの入った本棚と、ちょっと前に流行ったカードゲームの置いてある小さなテーブルしかない。テレビぐらい欲しいと思ったけど、この病室には置けないのだそうだ。
ここは普通の病室じゃないみたい。ちゃんとした名前は忘れちゃったけど、要するに誰も入っちゃいけないんだって。カクリ、とか言ってたかな。どんな漢字だかわかんないけど。キアツの差を利用してガイカイと完全にダンゼツしている部屋、とかなんとか。難しくてよくわかんないんだけど、そのせいで僕はお母さんともお父さんとも会えないんだってさ。どうなの、それ、とか思うけどさ。
僕は何だか気づいた時にはもうこの部屋にいたんだ。どうしてこの部屋に来ることになったのかイマイチ覚えていない。車に乗ったような記憶とか、何かにすっぽり包まれたような感触とかそういうことはなんとなく覚えてるんだけど、よくわからない。僕のお世話をしてくれる看護婦さんは、僕がある特殊なカンセンショウっていうのにかかったみたいなことを言っていた。よく意味は分からなかったけど、とにかく僕が外にいると、それだけで周りの人に僕の病気が移っちゃうみたい。それはマズイな、と僕は思ったし、何よりお母さんとお父さんに移しちゃいけないなと思ったから、会えないのにも我慢してるんだ。本当は泣きたいくらい寂しいんだけど、僕が泣いてダダをこねてお母さんとかお父さんがここに来なきゃいけなくなったら、二人にも移っちゃうかもしれないよ、と言われてだから今も頑張ってるんだ。看護婦さんは、その内良くなるって言ってる。いつになるかわかんないけど、お母さんにもお父さんにもまた会えるからって。だから全然面白くない部屋だけど、頑張って毎日過ごしてるんだ。
でもどうしても納得がいかないのは、僕のお世話をしてくれる看護婦さんはどうして僕と同じ病気に掛からないんだろう、ってこと。看護婦さんは、マスクはしてるけどそれだけだし、だったら同じことなんじゃないかなって。それは前にも聞いたことがあるんだけど、看護婦さんは、自分は昔僕と同じ病気になったことがあるからもうコウタイがあって大丈夫なんだよ、みたいなことを言っていた。やっぱりよくわからない。
起きても特にすることがない。テレビゲームも出来ないし、誰かと連絡を取って話したりすることも出来ない。だから、面白くはないけど本棚にあるコミックをパラパラめくって、あとはお母さんとお父さんにあったらここでの生活をどんな風に話そうかってことをいつも考えてるんだ。
そんな風に過ごしてると、看護婦さんが朝ごはんを持ってきてくれた。
「どう?体調は悪くない?」
「うん、大丈夫だよ。あとどれぐらいで外に出れる?」
「まだちょっと難しいかも。ウイルスの力がもっと弱くなってからじゃないと無理かな。だからそのウイルスの力を弱くするために、注射を打ちましょう」
僕はこの注射が嫌いだ。注射自体は別に怖くもないし平気なんだけど、この看護婦さんがどうも下手っぴなのだ。だから普通の注射より余計に痛い気がするし、何だかイライラしてくる。この注射をすると身体がダルくなってくるのも嫌な理由の一つだ。まあ仕方ない。これもお母さんとお父さんに早く会うための我慢だ。
相変わらず下手っぴな注射を終えて、ようやく朝ごはんにありつく。看護婦さんは何故か僕の病室で一緒にご飯を食べる。仕事はないのかなぁ、と思っているのだけど、前にそれを聞いたらこれが仕事なんだって言われた。病気の子どもと一緒にご飯を食べるだけで仕事になるなら僕にも出来るなぁ、と思ったのだった。
看護婦さんが朝ごはんを下げて、また退屈な時間がやってきた。しかも今度は身体がダルい。さっき以上に何もする気が起きない。ただ、僕がベッドで横になっていると、看護婦さんがちょくちょくやってきて雑談をしていく。これも仕事なのかなぁとぼんやりと思う。仕事だとか何とか言って、ただサボってるだけなんじゃないかな、とか実は思ってたりする。まあ口に出したことはないんだけど。
普通ならこのまま昼食を食べて、またダラダラ過ごして夕飯を食べて、それからすぐ寝る感じなんだけど、今日は夕飯を食べることが出来なかった。
普段あんまり部屋の外の音って聞こえないんだけど、今日は何だか騒がしくて、ピーポー言ってる音が聞こえてきた。救急車の音なんだろうな、とぼんやり思った。まあここは病院だし、別に普通だよな。でもここ8日間一回もこのピーポーを聞いてないんだから、僕の住んでる街は事故が少ないのかもなぁ、とぼんやり考えていた。
しかし、段々外が五月蝿い感じになってきた。ドアをガンガン叩いているような音が聞こえてくる。看護婦さんらしき人の悲鳴も聞こえてくる。何が起こっているのか全然分からない。ただ僕はいつものように、ダラダラとベッドに横になっていただけだ。
そのうち、僕のいる部屋のドアが開いた。入ってきたのは紺色の制服を来た警察官だった。真っ白な病室に警察官の制服の色は合わないなぁ、なんてぼんやり思い浮かぶ。
「大丈夫か!」
警察官の人がそう僕に声を掛けてきて、ようやく僕は思い出す。
「来ちゃダメ!病気移っちゃうよ!」
僕はちゃんと忠告してあげたんだけど、警察官の人は構わずこっちに近寄ってくる。なんか悪いことしたかな、僕。病気移しちゃったらゴメンなさい、警察の人。
警察官の手が僕に触れた瞬間、僕の視界にお母さんとお父さんの姿が目に入った。うーんどうなってるんだろう。二人は僕の名前を叫びながら、泣きながら病室に入ってきた。どうもおかしいぞ。
「あなたは誘拐されていたのよ」
僕を抱き締めたままお母さんが言う。誘拐ってあの誘拐かな?僕は入院してたんじゃなかったのかな。
あとで詳しい話を聞くとこういうことだったみたい。僕は僕が看護婦さんだと思っていた女の人に誘拐されて監禁されていたのだった。僕には全然そんな実感はなかった。ただ入院しているとばかり思っていたのだった。
なかなかやるじゃん、と僕は思ったのでした。

一銃「トラウマの残らない犯罪」

とにかく土曜の夜っていうのはどうにも眠くて仕方がないです。もう少しまとまるかと思ったけど、全然まとまりませんでした。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、ライトノベルとして割と話題になった「嘘つきみーくん壊れたまーちゃん」の続編という形になります。
前作までの戦いのために負傷した僕は入院することになったのだけど、まーちゃん(御園マユ)は入院している僕と離れるのが嫌で、だから自分の頭を花瓶でかち割って自分も入院することにしたのだ。
そうやって、病室で仲睦まじくいちゃいちゃするカップルの出来上がりである。
さてしばらくしてまーちゃんは、病院内で誰かに頭をかち割られる羽目になった。僕は、まーちゃんを守るために、誰がまーちゃんを襲ったのか突き止めることに。まーちゃんはついでのように、死体を見つけたとか言ってた。そういえばちょっと前から患者さんが行方不明とか。あぁ、そういえば元カノジョの長瀬なんて厄介な存在もいたんだった…。
というような話です。
さて、僕はライトノベルを読むというのはなかなか珍しくて、しかもシリーズの第2作を読むというのはかなり珍しいのだけど(かつて「キノの旅」というのは5巻まで読んだことがあるのだけど、それ以外のライトノベルはすべて1巻止まりだったと思う)、本作は1巻がなかなかよかった記憶があるので2巻を読んでみることにしました。
しかし読み始めてみると、自分が1巻の内容をほぼパーフェクトに忘れてしまっていたためにイマイチ乗り切れなかった感じがします。読んでいくと段々、あぁそういえばそんな感じだったかな、みたいなことをおぼろげに思い出してきたわけですが、それでも記憶は曖昧な感じで、1巻を読んでいることを前提として本作が書かれているので、よくわからない部分もありました。
さて全体としては、やはり1巻の方がレベルが高かったなと思います。正直に言って、割とつまらなかったなという感じです。まあストーリーとして読めなくもないんですけど、でもそこまでひねりの利いた話というわけでもなく、面白くないわけではないけどちょっと退屈な感じでした。
文章の感じは1巻と同じで、言葉遊びとか無駄な比喩とかそういう部分はまあそれなりに面白いとは思います。まあダメな人はダメでしょうけど。
あとは、これは1巻を読んだ時も思ったけど、まーちゃんみたいな女がいたら大変だろうな、と思ったりします。何せ死体にまで嫉妬するわけで、レベルが高すぎます。かなり可愛いんだろうけど、一緒にいるのはなかなか困難なキャラクターという感じですね。
しかしまあ、続編を作れそうな感じじゃなかった1巻から、無理矢理でもなんでもストーリーを生み出して作品にしちゃう辺り、評価できるかもです。なんと3巻目も出てたりしますしね。なかなかやるなと思います。まあこのシリーズはかなり売れているので、2巻以降評価できる人は多いのだろうなという風には思います。
まあそんなわけで、僕としてはあまりオススメ出来ません。1巻を読んだ人は、なかなか面白い作品だったなという風に思って1巻で止めておく方がいい気がします。ただ結構売れているシリーズでもあるので、まあその辺りはなんとも難しい感じです。ライトノベルとの親和性がそこまで高くない僕としては、ライトノベルの評価をするのはなかなか難しいです。

入間人間「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん2」


書店員タカクラの、本と本屋の日々。…ときどき育児(高倉美恵)

街を歩くのが好きだ。情緒溢れる街並みや、あるいはゴタゴタした看板がひしめき合っているような街並みもいいが、どこにでもある住宅街や、なんでもない商店街なんていうのも好きだ。そこに街があって、人が生活をしていうる。その存在そのものを感じ取ることが好きなのだと思う。
今日は、電車で3駅ほど離れた街を歩いている。昔ながらの商店街があり、一方で高層マンションがあったりするような街である。この街は何度も来たことがあるが、大抵駅前をぐるりとするだけで終わってしまっていた。今日はもう少し深いところまで潜ってみようと思うのだ。
街というのは、意識的に見ようとしなければ視界から通り過ぎていってしまうものばかりで占められている。自分の住んでいる街でさえ、見ようと意識するのとしないのとでは見え方がまったく違う。日々新たな発見があるものだ。まして通ったことのない道など、何が見つかるか楽しみで仕方がない。まんじゅう屋で試食をし、八百屋で何故かレモンを買い、おもちゃ屋で懐かしいプラモデルを眺めたりした。
そうやっていつものように街歩きをしている時に、僕はその本屋を見つけたのだった。
「明日閉店します」
表には、ひっそりとそんな張り紙が貼られていた。
コンビニをちょっと小さくしたくらいの大きさのその本屋は、明日閉店するという事情からだろうか、外側からはどうも精気が感じられなかった。周囲に住宅が点在するなか、パン屋と隣り合って存在するその本屋は、まさに風前の灯火という雰囲気を漂わせていた。
どうせ明日閉店してしまうなら、と思い中に入ってみることにした。そもそも街歩きの際は、見つけた本屋には大抵入ってしまう。
中に入ると、やはりこれも明日閉店するという事情からだろう、売り場はガランとした印象を漂わせていた。お客さんの姿は僕以外にはなく、そもそも商品が少ない。ところどころ穴の開いたようにスペースが目立っている。うまくすればこれだけの在庫でもボリューム感を出すことは加納だと思うのだが、店主は既にその努力を放棄しているようだ。
そう広くもない店内をウロウロと回ってみる。売り場を見てみると、やはりこの店はもう死んでいるのだな、と僕は思う。普通の本屋を見ていても、この感覚に襲われることがある。並んでいる本やその並べ方などから、いくら店が賑わっていても、その店は死んでいると僕は感じることがある。大抵そういう本屋は、そう遠くない内に潰れてしまう。この店も、潰れるべくして潰れる運命にあった店なのだろう、と思った。
「恐らくあなたが最後のお客さんでしょうねぇ」
後ろからそんな声が聞こえて振り返ると、そこにこの店の店主と思しき初老の男性がいた。エプロンをしていること、そして他に店員がが店内に見当たらないことからその男性を店主と判断したのだが、そうでなかったらとても店員とは思えない年齢に僕には思えた。
「明日で閉店みたいですね」
「もう閉めてしまってもいいんですけどねぇ。正直ここ3日間、あなた以外のお客さんは来てないんですよ」
何だかそれもすごい話だ。閉店するとなれば、その話を聞きつけた常連客が来てもいいのではないかと思う。よほど住民に愛されなかった本屋なのだろうか、と思う。
「どうでしょう。お代はいただきませんので、記念だと思って何か一冊持っていってはもらえませんか?」
「いいんですか?」
「せめて最後のお客様にはよくしてさしあげたいじゃないですか」
そう言われたので遠慮なく僕は本を物色することにした。そうして、自分でお金を出して買うことはしないが、タダというならいいかなと思える写真集を一冊もらうことにした。
「これからどうするんですか?」
なんとなく聞いてみた。
「そうですねぇ。どうしましょうかねぇ」
何だかのんびりしているな、と思った。
ふと思いついて、
「レモンを置いて行ってもいいですか?」
と尋ねてみる。
「梶井基次郎ですか。若い頃読みましたよ。懐かしいですね。えぇ、もちろん置いてくださって構いませんよ」
そうして僕はその本屋を後にした。
翌日、昨日もらったはずの写真集がなくなっているのに気づいて、3つ上の姉に聞いてみることにした。
「それ、どこで買ったわけ」
「買ったわけじゃなくてもらったんだけど、○○町の××って本屋だけど」
「あぁ、あんたもアレに捕まったわけか」
そんな風に姉は意味深なことを言う。
「結構噂ではあるのよ。そこって『明日閉店します』なんて張り紙があったりしたでしょ?」
「よくわかるね。でも、何が噂になってるわけ?」
「まあ幽霊本屋ってとこよね。あの辺に住んでる人に聞いてみれば一発だけど、あの辺りにもともと本屋なんてないのよ。でも、時々『明日閉店します』って張り紙をした本屋が現れるって噂があるの。まあだからって別に害があるわけじゃないからどうってことはないんだけどね」
そう言われて僕が思ったのは、あの店に置いてきたレモンは一体どうなったのだろうか、ということだった。

一銃「明日閉店する本屋」

「明日閉店する本屋」という設定を思いついた時はもう少し面白い話に出来るかなと思ったんですけど、どうもうまく行きませんでした。難しいものです。
というわけでそろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、九州の方で書店員をしている著者が、新聞や業界紙に書き溜めてきた書店エッセイ的なものを一冊の本にまとめたものです。
このタカクラさんという人は面白いですね。僕は前からずっと書いていますが変な人が大好きで、このタカクラさんというのも無茶苦茶変な人です。全然女性らしくなくて(と自分で書いている。で僕は割とそういう人が好き)、普通がどうであるとかってことをあんまり気にしないで(なるべく変なことはしないようにと意識はしているみたいだけど)、言いたいことは言うしやりたいことはやるしで、なかなかいいキャラだと僕は思う。子育ての話も出てくるのだけど、子どもに対するスタンスみたいなのもなかなかいい。
まあそんな破天荒と言っても言いすぎではない(と僕は思う)著者が、96年から2005年までの間にいろんなところに書いた文章をまとめています。内容は、基本的にタイトル通りで、本と本屋のことがベースでありながら育児の話も少々(育児の話はマンガで描かれます)。また、本や本屋の話から自分の過去の話や世間的な話題を扱ったりしていて、なかなか幅広いです。しかも、言いたいことはズバッというので、「世間的には○○(絵本)がいいって言われてるけど、私は嫌い」みたいなことも書いちゃう。なかなかやるなぁ、と思ったりするのである。
ただ基本的なスタンスとして、お客さんの悪口は書かないようにしているとのこと。確かに書店にいれば変なお客さんはたくさんいるのでネタの宝庫ではあるのだが、まあそこに触れるのはやっぱりあんまり健全ではないという判断だし、それに「人が変わってくれるのを望むより、自分が出来ることを探さなくては」というスタンスでやっているようで、素晴らしい。僕も見習わねばと思うが、やはり怒りが先に来てしまう(これはお客さんへという話ではないので注意。まあお客さんの場合も、たまに怒りが先に来ることはあるけど。もちろん怒りが先に来たからと言って顔に出したりすることはないのだけど)。まあそんなわけで、ネガティブな話はあんまりないのである。
一つのエッセイが非常に短いので(200字から800字ぐらいだと思われる)スイスイ読めます。文章も軽快な感じで、しかも堅苦しいことは書いてないので面白いです。書店員でなくても内容的に全然楽しめるでしょう(というかそれは当然の話で、もともと西日本新聞や毎日新聞で連載されていたのだから、対象は普通の読者である)。
内容的に気になったのが二つあって、一つは本屋の本の並べ方について。これは僕も何かで書いたような記憶があるけど、例えばスーパーなんかだとこの辺に何がありそうという予想はなんとなく当たる。そういう並べ方をしているのである。しかし本屋の場合、並べ方のルールなんてのは基本的にない。店の数だけルールがあると言っていい。それが面白い、と書いていた。同感である。
もう一つは、コミックの担当についてである。本作から引用しよう。

『だからコミックの担当者は、「コミックの品揃えをするのは当たり前、加えてコミック以外の関連書をどれだけフォローできるか」で、力量を問われるのである。』

ウチのコミック担当に聞かせてやりたい言葉である。
しかしまあすごいなと思うのは、よくも毎週こういう文章を書けるものだな、ということである。などと僕が書くと、「あんたは毎日無茶苦茶長いこと文章書いてるでねぇの」と言われそうだが、それは違うのだ。僕の場合は、「何を書いてもいいし、何だったら別に何も書かなくたっていい。読んでる人だって大した数ではないし、アッパラパーの状態で適当に書き散らした文章だって誰に怒られるわけでもない」のである。しかしこういう新聞に載るような文章だとそうはいかない。文章自体は短くてもそれなりに気を遣わなくてはいけないし、内容だってそれなりに厳選したものでなくてはいけない(毎回とは言わないが、それなりにいつもちゃんとしていなくてはいかんだろう)。そう考えると、ただ分量だけ書いている僕の文章と本作のような文章では質が全然違うのである。
僕も一時期、出版業界の業界紙に半年だけコラム的なものを書いていたことがある。半年間、月に一回800字程度、つまり計6本のコラムを書いただけなのだが、これが結構きつかった記憶がある。800字なんか、分量だけなら15分で書けるが、しかしちゃんとした内容じゃなきゃいけないと思うからネタをあれこれ考えなきゃいけないし、文章も一度書いたものを結構直したりしたものだ(ちなみにこのブログの場合、書いた文章を読み返すことはまずない。誤字脱字を後々発見しても放置である)。そんなわけだから、タカクラさんはなかなかすごい。基本的に毎週書いていたようだが、今の僕にはなかなか出来そうにないなぁ、と思う。
というわけでひらめいたことがあって、もし今僕がなんとかふんばっているショートショートが力尽きたら、次は本作のような本と本屋をメインにしたエッセイを書くというのはどうだろうか。どこかの新聞からコラムを依頼された、という設定を自分の中で勝手に設け、感想を書く度にこういう系のコラムと書くというのはなかなかいけるかもしれない。そろそろ僕のくだらないショートショートを読むのはうんざりだという人も多いだろうし、まあ考えてみよう。
まあそんなわけで、非常に面白い本だと思います。文章も面白いですが、マンガで描かれるミエゾウとムギの生態も非常に面白いです。是非読んで欲しいんですが、しかし残念なことは、恐らく普通の書店ではなかなか置いてないだろうと思います。かなりマイナーな出版社から出ているので。お求めの際は客注をするか、あるいはネット書店での購入がよろしいかと思います。本屋の本なのに本屋にないというのは哀しいですけどね。

たかくら&みえぞう製作所日誌
本屋タカクラの日記

高倉美恵「書店員タカクラの、本と本屋の日々。…ときどき育児」




√2の不思議(足立恒雄)

僕は今、√2の上を歩いている。
√2に足を踏み入れるのは初めてだ。そしてきっとそれは最後になるはずなのだ。誰しもが、√2を二回経験することは出来ないといわれている。「終わりなき旅」と呼ばれるのも、そのためだ。
√2は非常にすっきりとした、真っ直ぐな直線としてこの世界では存在する。僕は今その直線の上をゆっくりと歩いているわけだが、このシンプルさには驚かされるばかりだ。√2の上からは、他の数学的構造物の姿を見ることも出来る。近くには、『2』や『1.4』も存在するのだけど、『2』はグルグルと回る螺旋階段状の構造物として表現されているし、『1.4』はいくつもの鎖の繋がったような形状の構造物として表現されている。その中にあって、√2は、ひたすら真っ直ぐな直線という、これ以上ありえないくらいシンプルな構造をしているのである。これはやはり、√2には何か神秘なるものが隠されているのだという傍証になるのかもしれない。
僕のいるこの世界は、数学的仮想空間、と呼ばれている。『仮想空間』などという名前だと、コンピュータグラフィックによる仮想空間を想像される向きもあるかもしれないが、そう言ったものとは一線を画す。この数学的仮想空間というのは、現実に実際に存在する世界である。
22××年、今からもう100年も昔のことであるが、イギリスのある物理学者が、世界は5.5次元である、と発表して話題を呼んだ。「0.5次元」というものが何を指すのか、その物理学者の理論を読んで理解できたのは世界で3人しかいないと言われたほど難解な理論であったが、それは理論としては整合性の保たれたものだったらしい。
それとほぼ時を同じくして、13年前に失踪したある数学者が生還したというニュースが伝えられた。この数学者は記者会見の場で、「私は新しい世界を発見した」と説明し、そこには「数学そのものが形として存在していた」と語った。
大抵の人間はこの数学者の話を与太だと受け取って信じなかったが、一部の数学者と物理学者が共同で研究を重ね、ついにその世界を発見するに至ったのである。それが、今では数学的仮想空間と呼ばれている世界である。
詳しい説明は省くが、その世界に入るためには、自分自身を数学的構造物に似た何かに変換をする、という手続きを経ることでこの世界に辿り着くことが出来る。誰にでも簡単に可能な手続きであり、時々小学校の修学旅行の行き先の一つとして、この数学的仮想空間が選ばれることもあるという。
この世界には、数学的に記述が可能なありとあらゆるものが形となって存在している。それぞれの数学的記述と数学的構造物の形状にどういった関連性があるのか、それは未だに誰にも分かっていないことだ。なぜ『1+1』はガラス板のような形状なのか、なぜ『π』は階段状の構造物なのか。そこに何か意味があるのか、あるいは意味はないのか、そもそもこの数学的仮想空間は人間の幻想なのか、あるいは確固たる空間として存在しているのか、そうしたことは未だに何も分かっていない。
ただ、まだ噂の段階ではあるが、この数学的仮想空間について憶測されていることが一つだけある。
それが、今僕が歩いている√2についてである。
何故この√2という数学的構造物に「終わりなき旅」という名前がついているかと言えば、√2に足を踏み入れた人間がかつて戻ってきたことはないことに由来している。正確なデータを取り始めたのがまだここ5年くらいなので、それ以前のことは分からないのだが、少なくともデータを取り始めてからは一度も帰還したものがいない。
これには、二つの説が唱えられている。
一つは、√2というのは無理数であり、永遠に確定しない数字であるために、√2という構造物には終わりがないのだろう、という説。つまり、√2に足を踏み入れたら最後、どこまでも終わらない道を真っ直ぐに進まざる終えないのだ、ということだ。しかしこれにはもちろん反論があり、例えば『π』も無理数だが、『π』の数学的構造物では同様のことは起こらない、というものだ。これに対してこの説を唱える人々は、√2というのは、正方形という美しい形状を持つ図形の斜辺の長さとして存在する。この一見完璧に思える正方形という図形に現れる数だからこそ特別なのだ、と主張するのだが、それは円という完璧に思える図形に『π』が出てくるというのと大差はなく、あまり説得力はない。
もう一つは、√2に足を踏み入れた人間は、そこから出たくなくなるのではないか、という説だ。これも出たくなくなる理由にはいくつか説があって、√2の最深部には数学の秘密が隠されているのだとか、大昔に√2の最深部に辿り着いていた偉大な数学者がいて、その数学者と共に数学を議論しているのだ、という説もある。いずれにせよ、この√2からの帰還者がいないという事実には明確な理由が存在しないのが現状だ。
だからこそ僕は、√2に足を踏み入れることを決意したのだ。恐らくもう二度とここから出ることは出来ないのだろう。それがどんな理由によるものなのか、外の人間に伝えることは出来なくなるのだろう。これまでの仮説がすべて間違っていて、√2の奥には何か怪物でもいるのかもしれない。
それでも僕は真実を知りたい。真っ直ぐ整えられたこの√2という数学的構造物の最深部に何があるのか、自分の目で確かめてみたい。
永遠に続くかのような、あるいはもしかしたら永遠に続いているのかもしれないが、そんな真っ直ぐな道をただひたすら歩きながら、僕は√2の奥に想いを馳せる。

一銃「終わりなき旅」

さて、少しだけ余談を。
今回のショートショートの出来はまあいいつも通り大したことはないんですけど、これはなかなか面白い形で出来ました。いつもショートショートは、どうしようかなぁとうんうん考えながら作るんですけど、今回は違いました。
この本は古本屋で買ったんですけど、古本屋でこの本を見つけた瞬間頭の中に、「僕は今√2の上を歩いている」という、今回のショートショートの第一文がパッと思い浮かんだんですよね。でそこから、何となく大体の設定みたいなものが芋づる式に思いついて、おぉこれはいけそうだな、という感じになりました。なかなかそういうのは珍しいので、ちょっと書いてみました。
というわけでそろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、しかしまあなんというか説明のしがたい本で、数学の本ではあるんですけど、僕の印象としては雑多なものがいろいろと放り込まれていて、ぼんやりとした印象でした。
大雑把にまとめると、「数学とは何なんでしょう。どんな風に出来たんでしょう」というようなことについて書いている本です。僕がタイトルからイメージした内容は、「√2という、数学的にもなかなか不思議な数字から始まって、整数論や素数の具体的な話について書かれる本」というものだったわけですけど、予想は全然違いました。本作では数学のある特定のジャンルについて掘り下げるようなことは特にありません。逆に、物理だの細菌学だの論理学だのと言ったような話をしてみたり、あるいは数学の起源とも言えるギリシャ時代の話を書いたりと、まあそういうような内容です。
正直言ってあんまり面白い作品ではなかったですね。やっぱり僕は、数学の本なら何か特定のジャンルを掘り下げているようなものが好きです。不完全性定理ならそれだけ、円周率についてならそれだけ、というような感じです。本作は、僕からすればあんまりまとまりのなさそうないろんな話をしていて、正直退屈な感じでした。
まあそんなわけで、僕としてはあまりオススメは出来ません。ちょっと期待していただけに、残念だなと思いました。

足立恒雄「√2の不思議」


指し手の顔 脳男Ⅱ(首藤瓜於)





「ねぇ、何度言ったら分かるわけ!そうやってプカプカ浮かないでっていつも言ってるでしょ!」
私は、完全に横になった姿勢のまま空中に浮いている男に向かって声を掛けた。彼はいつも床に布団を敷き、私はベッドで寝ているのだが、朝目を覚ますと、時々彼が私の上に浮かんでいて驚かされる。そんなことがもう何度もあるのだ。
「あぁ、すまんすまん。どうも寝てる時は自分を制御するのが難しくてなぁ」
男はのんびりとした口調でそう言ったかと思うと、スーッという感じでまた布団に戻った。
相変わらずらしくないな、と私は思う。確かにこうして身体が浮き上がっているのを目にするのだし、他にもちょっと普通では説明できないような光景を度々目にするのだが、それでも目の前にいることの男が神様だとはどうしても信じられないでいるのだ。
中肉中背だがお腹はぽっこりと出ていて、ビール腹という感じ。口の周りに無精ひげを生やし、妙にまつげは長い癖に頭の毛はちょっと薄くなり始めている、見たところ30代後半のおっさんである。服装も神様っぽいわけではなく、部屋ではパジャマを着ている。せめて作務衣でも着てくれればそれらしいのに、と思うのだが、神様は見た目は一向に気にならないらしいのだ。
「まったくもう」
神様はまた寝入ってしまったのだけど、相変わらずまた身体が浮いている。何度注意してもこれだ。グースカと高いびきを掻いている神様を眺めながら、一体何でこんなことになってしまったんだろうな、と私は思うのだった。
神様と出会ったのは病院でのことだった。私は県立の総合病院で心療内科医として働く医者である。軽い神経症や不眠を訴える患者を相手にカウンセリングをしたり薬を処方したりしている。
神様は当初患者としてやってきたのだった。体型は今とさほど変わらなかったが、どことなくげっそりという印象を携えて、彼は診療室に入ってきた。
「どうかされましたか」
私はいつも通り初診の患者への対応を始めた。
「最近どうも眠れなくって…」
確かに事前に書いてもらった問診表でも、不眠を訴えていた。
しかし、その問診表で最も目を引く部分は別にあった。問診表の一番上には患者自身の名前を書いてもらう欄があるのだが、そこに「神様」と書かれていたのだ。
「眠れなくなったのはいつ頃からですか?」
私はいつも通り質問を続けながらも、これはどうしたものだろうか、と思っていた。患者はどう見てもただのおっさんであり、神様であるはずがない。とすれば、何らかの精神疾患を疑うべきなのかもしれない。そうだとすれば、私には対処しかねる。どうすればいいだろうか、と質問を繰り出しながら私は考える。
患者への質問が一通り終わってから、私は意を決して聞いてみることにした。
「問診表には『神様』と書かれていますが、これは本名ですか?」
患者さんにはその質問の意味がよく伝わらなかったようで、私は別の言い方でもう一度質問をすることにした。
「あなたは神様なのですか?」
「えぇ、まあそうですけど。私は神様ですよ」
「神様である、というのはどういうことですか?」
「それは、『2』という数字はどういう数字ですか、と聞かれるのと同じぐらい答えようのない質問なんですが…」
神様と名乗る男は困惑したような表情を浮かべながら私の質問に答えていた。その姿は、とてもじゃないけど神様だとは思えないものだった。
その時は、これ以上その点について問いつめてもどうしようもないと判断し、睡眠薬を処方して診察を終了したのだった。
それが、紆余曲折を経て一緒に暮らすことになってしまうとは。
私は彼と一緒にいることで、彼が神様だと信じざる終えない様々な出来事に出くわすことになった。今では、他の誰が信じなくても、私だけは彼が神様であるということを信じている。
見た目は30代だが、彼はもう私たちが想像もつかないほど遥か昔から生きているのだし、そもそもこの世界を創ったのも彼なのだ。何故そんな神様が、こんな街の片隅で、しかも一時不眠症にまでなっているのか私にはさっぱり理解できないのだけど、要するに神様にだって思い通りにいかないことはたくさんあるのだろうな、と何だか嬉しくなったものである。
神様と一緒に暮しているからと言って、別段何が起こるわけではない。外から見れば、ただおっさんと一緒に生活をしている風にしか見えないし、事実私だってそんな風にしか感じることが出来ない。
「アゥムニャムニャドルゥ…」
神様が意味の分からないことを呟きながら寝返りを打つ。そして盛大におならをする。こんなどうしようもない神様だけど、世界を創ってくれたのはこのおっさんなんだよなぁと思うと、やっぱり何だか愛しくて仕方ないのである。

一銃「一つ屋根の下で」

自分でも、いつも以上に意味分からん話だなぁ、と思っておりますよ。まあ気にしないでください。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、あの江戸川乱歩賞を受賞した奇作「脳男」の続編です。
愛宕市のあるレストランで、巨漢の男が大暴れしているとの通報があった。その翌日、市が威信を掛けて開催したゲーム博覧会の会場で、またしても巨漢の男が3人の男を刃物で襲う事件が起こる。
事件を追うのは、1年前に起きた事件からずっと鈴木一郎を追いかけ続けている茶屋であったが、事件はまだ始まったばかりだった…。
一方で、1年前の事件で鈴木一郎を精神鑑定した鷲谷真梨子は、ここのところ愛宕市で頻発している、精神病院に入院歴のある人間による死傷事件について、友人でありケースワーカーとしても働く乾から、あるとんでもない仮説を聞かされることになる。また、彼女の仕事を評価し、多額の寄付をしてくれるという女性が現れたりする。
彼らは、大きな流れの中に取り囲まれていく。愛宕市で繰り広げられる巨大な陰謀とは…。
というような話です。
僕の評価としては、うーむ、という感じの内容でした。
僕は「脳男」はもちろん読みましたけど、内容はさっぱり覚えていないものの、すごい作品だなと思いました。内容をさっぱり覚えていないのにこんなことを言うのもおかしいですが、まさに傑作だと思った記憶があります。とにかく、江戸川乱歩史上に残る問題作、という触れ込みはまったく大げさな物言いではないと思っています。
やはりそれと比べてしまうと、この続編はちょっと見劣りするな、という感じです。精神病と犯罪というものを中心として物語が進行していくわけなんですけど、どうもイマイチストーリーの核みたいなものが掴めない感じです。あっちこっちいろんな事柄が描かれ、いろんなところにブレていくために、どうも一つのストーリーとしてのまとまりに欠けるような感じがするのです。本作を構成する要素というのはいくつかあって、そのそれぞれの要素単体であれば結構悪くないという感じはするんですが、それを一つの作品としてまとめた時に、なんだか歪な感じになってしまうなぁ、というのが僕の抱いた感想です。
あと、これは僕の勘違いかもしれないんですけど、「脳男」の方ではもっと茶屋という刑事は無茶苦茶な感じだった気がします。とにかく刑事とは思えないような横暴さで、とんでもないことをやりまくるという印象がありました。しかし本作では、どうもおとなしい感じです。それでもやはりいろいろ問題を起こす刑事ではあるんですけど、ちょっと普通の範囲内に収まってしまっている感じがしました。それも何だか残念な気がしますね。
それに、一応「脳男」の続編というからには鈴木一郎もちゃんと関わってくるんですけど、その関わり方がイマイチ微妙というか中途半端な感じがしました。少なくとも、あまりメインな部分では関わっていないような気がします。「脳男Ⅱ」というからには、もっと鈴木一郎に焦点を当てて欲しかったような気が僕はします。
ラスト、これだけの事件を引き起こした首謀者の動機が明かされるんですけど、あまりにもそれが大きな野望過ぎてあんまり実感できない気がしました。
というわけで、僕としては全体的になんとも消化不良な感じの作品でした。それなりに期待をして読んでいただけに、ちょっと残念な感じです。でもどうなんでしょうね。人によっては面白いと評価する人もいそうな感じの作品ではあります。僕も、「脳男」と比べればかなり見劣りするという評価であって、本作単体でならまあそこまで悪いという感じでもないわけです。なんとも評価の難しい作品ですが、僕個人としてはあんまりオススメはしません。そんな感じです。
あと本作の終わり方からすると、なんとなくまだ続編が出そうな予感がするんですが、それは僕の気のせいでしょうか。

首藤瓜於「指し手の顔 脳男Ⅱ」






KY式日本語 ローマ字略語がなぜ流行るのか(北原保雄)

「もしもし、充。HD(ヒマだから電話する)」
「あぁ、万城目さんか。ホントON(おぼえずらい名前)だよね」
「まだそんなこと言ってるわけ。ホントIW(意味わかんない)」
「まあ許して。どうせ俺なんかBMW(バカ丸出しの若者)だからさ」
「いいけどさ。それよりGBST(ごぶさた)じゃない?最近会ってくれないし」
「別にウチらってDSY(大親友)ってだけでしょ?」
「3M(マジでもう無理)。それ本気で言ってるわけ?」
「BIU(僕の言うことにウソはない)だよ」
「はぁ、それなら今日GMM(偶然街で会った元カレ)と遊びに行けばよかった」
「MMK(モテてモテてこまっちゃう)んだから、恋愛なんていくらでも出来るっしょ」
「何その言い方。ND(人間としてどうよ)」
「ねぇ、KS(熊本好きか)?」
「何そのWH(話題変更)」
「この前行ったのよ、熊本に。そしたらさ、SKK(空ってこんなにキレイだったのか)ってね。」
「ホントHT(話ついていけない)だわ。なんでいきなり熊本の話何だか。もうご飯食べた?」
「食べたよ。PTA(パンとアイスコーヒー)だけど」
「何それ。ちゃんとYTD(野菜も食べなきゃダメ)だよ」
「まあHR(ひとりランチ)なんてそんなもんよ」
「あぁ、あたしIT(アイス食べたい)!」
「今冬だよ。それよりNP(鍋パーティー)の方がよくない?」
「それいいね。そういえばさODD(お前大学どうする)?」
「SS(正直しんどい)。勉強が忙しすぎて大学のことまで考えられないわ」
「何それ!QBT(急にボールが飛んできて)か!」
「でも、リアルにSNK(すべての気力がなくなった)だわ。」
「なんで?充ってそんなにOBM(臆病者)だっけ?」
「そうじゃなくてさぁ。JK(女子高生)の妹がさ…」
「あぁ、あのDF(どんまいフェイス)の妹がどうかしたの?」
「なんかKD(高校デビュー)したのはいいんだけどさ…」
「CB(超ビミョウ)だね。それで?」
「最近妹の噂が高校で広まっててさ。なんか初体験の時にBPB(ブラとパンツが別々)だったみたいでさ…」
「あちゃー、それはTD(テンションダウン)だねぇ」
「なんかその話聞いたらさMHS(マジで本当に死んでしまいたい)って感じでさ」
「何それ?JK(常識的に考えて)で意味不明だわ」
「DID(だってイヤだったんだもん)」
「まあPK(パンツ食い込む)よりはマシってもんじゃない?」
「まあ俺もPSI(パンツにシャツイン)だから人のこと言えないんだけどさ」
「言えてる。それかなりDSI(ダサい)っていつも言ってるじゃん」
「分かってるよ。ちゃんとJK(自主規制)するって」
「ねえ、KI(カラオケ行かない)?」
「KY(今日はやめて)。明日ならいいよ」
「分かった。じゃあAM(あとでまた)」

一銃「IF(意味不明)な会話」

というわけで、読めば今回のショートショートの主旨は分かってもらえると思いますが、本書に載っているKY式日本語を出来る限り使ってある男女の会話を書いてみました。これは結構大変でしたよ。分量的には短いですけど、普段のショートショートを書くより時間掛かってると思います。
さて、ではKY式日本語とは何か、という話からですね。このKY式日本語というのは、本書の著者であり、「問題な日本語」シリーズや辞典の編集などで日本語についていろいろ著作のある北原保雄さんが名付けた名称で、「KY(空気読めない)」のような形式の略字のことを指します。近年こうした略字がネットやメールを中心に増えてきて、これの是非を議論するにしてもまずそもそもKY式日本語というものがどういうものなのか知らなければ議論も出来ないだろうということで本書を出版することにしたそうです。
本書は、「明鏡国語辞典」のキャンペーンの一環として、国語辞典に載せたい言葉を募集した際に集まったKY式日本語や、あるいはネットなどでよく使われているものなどを集め、それらに具体的な用例などをつけながら解説した本という感じです。
まあ個人的には、このKY式日本語が大きく広がることはないだろうな、と思っています。KY(空気読めない)やJK(女子高生)のように頻度の高いものはありますが、そもそもこういう略字を覚えるのが大変だし、自分が覚えても相手が知らないと使えないわけで、だから大きく広がることはないだろうなと思います。仲間内で10個か20個ぐらいよく使うものが決まってくるぐらいのもので、本書ではたぶん300近く紹介されていると思うけど、まあ大半は使われないで消えていくだろうなと思います。
個人的に好きな略字は、MHZ(まさかの匍匐前進)とQBT(急にボールが飛んできて)です。
MHZは、まあ特に意味があるわけでもなく、言葉の組み合わせの意外性だけで残っているようなものなんだけど、僕もこの言葉の組み合わせは結構好きですね。匍匐前進なんてまず日常会話で使わないのに、それを略してしまっているところ、それに「まさかの」という言葉をつけるセンスは結構好きです。
で、QBTの方ですが、これはショートショートの方でも使いましたが、これだけは恐らく意味が分からないだろうと思います。僕は本書を読んで、なるほどこれはいいなぁ、と思いました。
元々は、サッカーワールドカップのいつだかの大会でのある出来事が元ネタなんだそうです。ある日本人選手が、決定的なチャンスでミスをしたことがあって、試合後インタビューの場でその選手はその時のミスについて聞かれ、「急にボールが来たので」と答えたんだそうです。だからこの言葉は、言い訳にならない言い訳をする、というような意味で使われるようになったんだそうです。こういう、言葉の音から連想される意味と実際使われる意味が違うKY式日本語というのも本書を読む限りこれだけで、なかなか巧いなと僕は思っています。
まあそんなわけで、世の中の人はこんな言葉を使っているのだなぁ、と思えるような本です。たまに面白いのがあります。「PTA(パンとアイスコーヒー)」とか「BPB(ブラとパンツが別々)」なんかも結構好きです。くだらねぇなぁ、なんて思いながら読んだりするといいでしょう。
しかしすごいなと思うのは、この著者もう70歳近いんだけど、本書に載ってる用例が若者が使っている言葉っぽいということですね。まあもちろんアドバイザー的な人がいるんでしょうけど、それにしても70歳のおじいさんがこういう本を自分の理解力の範囲で出せるというのはなかなかすごいなと思いました。

北原保雄「KY式日本語 ローマ字略語がなぜ流行るのか」




黄色い部屋の謎(ガストン・ルルー)

「ねぇ、まだそんなことやってるわけ?」
街中にある普通のポストの鍵穴に鍵を差し込もうとしている僕を見て、隆子が僕をたしなめる。
「もう癖なんだよ。」
「まったく。鍵穴なんか山ほどあるんだからもう無理だって」
「まあそうなんだけどさ」
ポストの鍵穴には入らないことを確認した僕は、隆子と一緒にまた歩き始めた。隆子もあんなことを言っているけど、もう僕のこの癖については諦めているはずだ。怒っているというのとも違う、なんだか悪戯をたしなめるような言い方をする。
僕はいつも、ある鍵を持ち歩いている。その鍵は、キーホルダーがついているわけでも、何か特徴的な部分があるわけでもない、ただの鍵だ。僕はそれを、日々肌身離さず持ち歩いている。落とさないようにキーチェーンに繋いで、財布にくっつけているのだ。
この鍵は、形見のようなものだ。4年前癌で母親が死んだ時、母親の荷物を整理していた時に見つけたのだった。それは、僕の母子手帳や僕が小学校の時に100点を取ったテストなど、母親にとって大切だったものを入れておく箱に入っていたもので、何だろうと思って父親に聞いてみた。父親もそれについては何も知らず、よくはわからないがそのままその鍵は僕がもらい受けることにした。
それから、鍵穴を見つける度に気になってその鍵を差し込んでしまうようになった。とにかく、目につく範囲の鍵穴という鍵穴は試してみた。押入れの奥に隠されていた金庫や家にある自転車や車、父親の部屋にある机の引き出しやがらくたに混じっていた南京錠も試した。その内家の外にあるものにまで範囲は及び、コインロッカーや知らない人の家や路上駐車している車まで、とにかく何でも試してみた。公共施設の裏口のドアや、バイト先のレジ、あるいは隆子の家のいろんな鍵穴なんかでも試してみた。銀行の貸し金庫も試してみたいと思っているのだけど、さすがに中までは入れなくて断念した。
目に付くところはあらかた試してみたつもりだが、今日もこうして隆子と初めて訪れた町でデートなんかをする日には、どうしてもあちこちの鍵穴に試してみたくなってしまうのだ。今では、結局どこのなんの鍵なのか、もう分かることはないだろう、と諦めてはいる。しかし、どこに可能性があるか分からない。半分は惰性だとは気づいていながらも、なかなか止めることが出来ないのだ。
「鍵って不思議じゃない?」
突然隆子がそんなことを言う。
「だってさ、世の中にはさ鍵が必要なところってすごくたくさんあるでしょ?でもさ、鍵の形ってさ、やっぱり限界があると思わない?同じになっちゃうことってないのかな?」
「昔テレビで見たことあるよ。ちゃんとは覚えてないけどさ、アメリカだかどこかの駐車場が無茶苦茶広いスーパーがあってね、そこに似たような車が近くに停まってたんだって。どっちかの車の持ち主が自分の車と勘違いしてその似た方の車の方に鍵を入れたんだけど、その鍵で開いちゃったんだってさ。やっぱ鍵の形には限界があるんだなって思うよ」
「へぇ、そうなんだ。じゃあその鍵も、いつかやってれば何かの拍子に開いちゃうかもね」
「問題はさ、それが僕が探しているものなのか、あるいはたまたま同じ鍵だったってだけなのか、僕には判断のしようがないってことだよなぁ」
また鍵穴を見つけた。図書館の裏口だ。最近ではなるべく民家や車の鍵は試さないようにしているのだけど、こういう公共施設ならいいかな、と思ってしまう。鍵穴に鍵を入れる。やっぱり、合わない。まあ、気長にやるさ。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

伸一とのデートを終え、隆子は家に戻ってきた。着替えを終え、冷蔵庫からビールを取り出すと、隆子は大きくため息をついた。
「はぁ、今日もダメだったかぁ」
隆子はバッグを引き寄せ、その中から小さな箱を取り出した。
それは、父親の形見のようなものだった。癌で父親が死んだ時、遺品を整理していた時に出てきたのだ。かまぼこのような形で、見た目はオルゴールに近い。綺麗な装飾が施されていて、見た目が華やかだ。初めはお母さんの持ち物かとも思ったのだけど、お母さんは知らないという。お母さんにこれが欲しいと言ってもらってきたのだった。
しかし、その箱には鍵穴があるのだが、肝心の鍵が見当たらなかったのだ。中身は気になるが、しかし壊してしまうわけにもいかない。それで隆子は、置物としてその箱をずっと持っていたのだった。
伸一が、自分の持っている鍵をいろんな鍵穴に差しているというのは、付き合う前から知っていた。けど、もちろん自分と関係あるなんて全然思ったことはなかった。
伸一との仲が進み、お互いの部屋を行き来するようになった頃だった。伸一がトイレに行っている隙に、テーブルの上に置きっぱなしにされた財布についている鍵を試してみたことがあった。
自分でもまさか入るわけないだろう、と思っていたのだけど、その鍵は箱の鍵穴に抵抗なく入っていった。嘘、と小さな声で呟いて、でも何とか落ち着いて鍵を回そうとした。でもその瞬間、伸一がトイレから出てくる気配がして、慌てて鍵を元に戻したのだった。だから結局中に何が入っているのか確認できなかった。
それ以来、その箱を常にバッグに入れて持ち歩くようにした。伸一は隆子の部屋に来るようになって、隆子の部屋にある様々な鍵穴に鍵を差し込むようになったから、というのも理由の一つだが、もう一つ、自分から伸一に言ってみたいという風にも思ったのだ。この箱の鍵穴に、伸一の持ってる鍵は合うよ、と。
でも、同時に怖くもあった。うちの家族と伸一の家族が何らかの交流があったという話は聞いたことがない。それなのに、一方が箱を持ち、もう一方がその箱の鍵穴に合う鍵を持っているというのはやっぱりおかしい。それに、中から何が出てくるのかも分かったものではない。
いつか言おういつか言おうと思って持ち歩いているのだが、結局言い出せずにいる。鍵をあちこち差し続ける伸一を強くたしなめることが出来ないのも、自分が真実を知っていて隠しているという負い目があるからに他ならない。
一体何が入っているのだろう。隆子は、今度こそは、と心に誓いながら、その箱をまたバッグに戻した。

一銃「探し物は意外と近くに」

本格ミステリというと密室がよく出てきますが、密室というところから連想してストーリーを思い浮かべるのはなかなか厳しいですね。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、あの「オペラ座の怪人」という傑作を物した著者が、本格ミステリの世界において立てた金字塔とも言える作品です。「黄色い部屋の謎」と言えば、本格ミステリ、それもとりわけ密室の世界では相当有名で、僕も読んだことはなかったけど名前だけは聞いたことがありました。本格ミステリにおける古典中の古典であり、名作中の名作であると言われる作品です。
舞台は、フランスの片田舎にある、グランディエ城です。そこには、フランス有数の頭脳であり、科学の世界に多大なる貢献を果たしてきたスタンガースン博士と、その娘であるマチルドが暮しています。
その惨劇が起きたのは、1892年の10月24日のことでした。「黄色い部屋」と呼ばれる、スタンガースン嬢(マチルド)の自室で、スタンガースン嬢が何者かによって襲われたのでした。完全に密閉された室内から聞こえた悲鳴と銃声を聞きつけた一行が、無理矢理ドアを打ち破って室内に入ると、そこには血まみれになったスタンガースン嬢が倒れていたのでした。
後に警察が調査に入りますが、その黄色い部屋には抜け穴の類はまったくなく、また関係者の証言を聞くに、犯人がその部屋に入ることは可能だったけれども、出ることはまず不可能だっただろう、と結論を下すしかない状況でした。
さて、そんな難事件に立ち向かう探偵が二人います。一人は、フランス警察のその人ありと言われるほどの明晰さを持ったパリ警視庁のフレデリック・ラルサン、そしてもう一人は、若干18歳にしてある一流新聞社の記者であるというジョゼフ・ルールタビーユです。この、思考法のまったく異なる二人の探偵が、この世界中を震撼せしめ、これまでのどんな事件よりも謎めいた密室の謎に立ち向かうのです。
本書は、そんな音に聞こえた有名な事件を、事件終結から15年後、ルールタビーユと共に当時調査に同行していた弁護士であるサンクレールが、あらゆる事情が許されるようになったために、あの不可思議な事件についての経緯を本にしてまとめよう、という形式で描かれた作品になっています。
さて本作は、もう既に100年も前の作品になります。本作は新版としてつい最近(2008年1月)に発売されたのですが、この新版の発売が、ちょうどフランスで本書が刊行されてから100年目に当たるのだそうです。本書は新版ですが、恐らく新訳というわけではないみたいです。訳者がの略歴を見る限り古い方のようなので。
さて100年も前の作品であるわけですが、本作は非常に面白いと思いました。僕は基本的にどんなジャンルであろうと古典作品というのが苦手で、かつ外国人作家もダメという人間なんですが、そんな僕でも本作は非常に面白く読めました。
まずトリックについてですが、確かに今から読むと古さを感じるかもしれません。しかしそれは、いろんなミステリを読んできたからであって、100年前このトリックに接することがもし出来たとしたならば、かなり驚いただろうと思います。また、僕はこれまでにも「歯と爪」と「皇帝のかぎ煙草入れ」という本格ミステリの古典作品を読んだことがあるのですが、それらと比べて本作のトリックは新鮮だという感じがしました。確かに古いは古いし、このままのトリックでは現代の作品では成立しないと思うけど、しかしまだ現代でも読むに耐えうるトリックになっていると僕は思います。
また本作は、トリック以外の部分もなかなか面白いです。中でも、これは解説でも書かれていましたが、二人の探偵による対決という形式が非常にいいなと思いました。
ラルサンとルールタビーユという二人の探偵はキャラクターや思考方法が全然違ってなかなか面白いです。特にやっぱりルールタビーユがいいですね。突然突拍子もないことを言ってワトソン役であるサンクレールを驚かせるのだけど、でもその突拍子もないことが後で聞けばちゃんと理になかったことだったりするわけです。人に取り入るのが巧くて、誰も入れないはずの犯行現場にも口八丁手八丁で入り込みますし、協力者もうまいこと確保してしまいます。かなりやり手の男で、読んでてなかなか爽快な感じです。
で、最後に真相に辿り着くわけですけど、この真相もかなり意外な犯人です。僕は本格ミステリを読んでても犯人が誰なのか推理して読むなんてことを全然しないんですけど、誰が犯人なのか推理して読んでいる人でも絶対に犯人は分からないだろう、と思います。ただ、これは解説で指摘されていることなのだけど、それまで出てこなかった事実が最後に突然出てくるような場面があって、そういう点でちょっとアンフェアかもしれないと思ったりします。でもまあ、ラストの意外さはなかなかのものだと僕は思います。
あんまり期待しないで読んでいたのですが、かなり面白い作品です。100年も昔に書かれたとは思えないほど読みやすい文章で、内容的にもそこまで古さを感じさせないと思います。本格ミステリの古典を読みたいけど何を読めばいいか分からないという人にはお勧めできる作品です。
本格ミステリの古典で言うと、アガサクリスティーの「アクロイド殺人事件」を読みたいんですよね。まあ機会があれば読んでみることにします。


ガストン・ルルー「黄色い部屋の謎」



ブックストア・ウォーズ(碧野圭)

朝起きると私は本になっていた。
初めは何が起こっているのか気づかなかった。陽が当たっていることは自覚できた。しかし、目が覚めたという感覚はない。動かそうと思っても身体が動かない。それでもまだ、金縛りか何かかなと思ったぐらいだった。
動かすべき手足がないことに気づいたのはもう少し後のことだ。きっかけがあったわけではない。唐突に、自分には手も足もなくなってしまったことに気づき、そして同じく唐突に、自分は本になってしまったのだと気づいたのだ。
「参ったね、こりゃ」
と呟いたつもりなのだけど、もちろん声にはならない。こういう呟きはもしかしたら、本のどこかに刻まれるのかもしれない。そもそも、私は何の本に変わったのだろう。小説だろうか、コミックだろうか、あるいは地図だったりするだろうか。あるいはただの日記帳かもしれない。これは重要だぞ、と自分で思う。コミックや地図だとしたら、私が本になった意味はほとんどないかもしれない。
昨日までのことを思い出す。
私は昔から本が好きで、好きが高じて本屋で働くようになった。日本一の書店チェーン店に入社し、その中の一店舗で働くようになったのだ。
予想していた以上に本屋の仕事は面白かった。初めの内は勝手がわからず困ったが、慣れてくると、自分のオススメの本を売り場に並べてみたり、フェアを企画してみたり、飾り付けを頑張ってみたりと、本を売るという一つのことに向かってやれることがたくさんあることに驚いたものだ。私はどんどん本屋の仕事にのめり込んでいった。
それと共に、もう一つ別の対象にものめりこんでいった。
同じ店舗で文芸書の担当をしている彼だ。同じ社員同士接する機会も多く、次第に彼に惹かれていく自分に気づいていった。物静かで、でも本への情熱は本物で、彼の作る文芸所の売り場は本当にお客さんにも好評だった。新人作家だろうがベテラン作家だろうが関係なく、自分がいいと思ったものを丁寧に紹介していくようなそんな彼のやり方は、まさに書店員だという感じがした。
「一度もページを開かれない本って、哀しいと思わないか」
彼としたある会話が、私の耳に今も残っている。
「本屋に入ってくる本のすべてがページをめくられるわけじゃないんだ。一度もお客さんに手に取られない本もあるかもしれないし、そもそも平積みの下の方にある本はそうだろう?僕は、そういうのが本に対して申し訳ないなって思うんだ。お客さんがその本を買っていくかどうか、それは別としてさ、どんな本でも一度は手に取ってページを捲ってもらえるように、僕はそれを考えて仕事をしてるだけなんだ」
淡々とそう語る彼の姿は、とても格好良かった。私がそれについて褒めると、彼は照れたような顔をしてこう言った。
「いや、そんな大したことじゃないんだ。僕なんか書店員として失格だよ。普通は、本を通じてお客さんと会話をしてこそ書店員というものだろう?でも僕は、正直お客さんの方はあんまり見てないんだ。ただ、本と会話が出来さえすれば、それで満足なんだよ」
お客さんから絶大な信頼を置かれている文芸書の売り場を作っている人間のセリフとは思えないが、しかし彼は恐らく正直なことを言っているのだろうなと思った。何しろ、私自身がそれを強く実感していたからだ。
本と会話できさえすればいい。
まさに彼は、その言葉通りの人間だった。彼の作る売り場はお客さんから支持されていたし、またその丁寧で堅実な仕事っぷりは店内のホカノスタッフからも一目置かれ、人望も篤かったのだが、しかし彼はそんな状況にはとんと関心がないようだった。彼の関心は本だけに向いていて、そこには自分自身への関心さえないようだった。ただ本と会話をし、それを出来る限り丁寧にきちんと扱おうとしているその姿が、お客さんやスタッフからの評価に繋がっているだけなのである。
それは私にしても同じだった。私は、彼を振り向かせようといろんな努力をしたつもりだった。彼の読んでいるのと同じ本をたくさん読んでみたり、休日に彼を誘って一緒に本屋に行ったりと、彼と接点が持てるようなことならなんでもやった。しかし、その努力から私が知ることが出来たのは、彼は私なんかよりも本に関心がある、ということだった。同じ本を読んだ私や、一緒に本を選ぶ私のことなどまったく見ることなく、彼の眼差しは唯一本だけに向いていたのだ。
本当はここで手を引けばよかったのだろう。しかし私はこれまで、恋愛において自分の思い通りにならなかったことなどなかったのだ。どうにもならない時でさえ、最後の最後まで諦めずに頑張ったとだけは言える。だから、彼の関心が本にしかないと分かっても、めげずに彼につきまとった。しかしやはりそれがいけなかったのだろう。彼ははっきりとは表に出さないが、私は次第に疎まれるようになった。
そして昨日。私はようやく辿り着いたのだった。彼に関心をもってもらうには、自分が本になるしかないのだろうなぁ、と。それって、もう絶望的だってことじゃん、と思って私は静かに泣いた。
そして今日、起きたら本になっていたのだった。
このままだと無断欠勤ということになるだろう。何度か電話が来てから、スタッフの誰かが部屋に来るという感じになるはずだ。そこで彼がきてくれれば、そして本になった私を見つけてくれれば、私は一生彼に大切にされることだろう。
そういう幸せもいいかもしれない、と私は思った。

一銃「本になった女」

そろそろ内容に入ろうと思います。
27歳の亜紀は、とある書店チェーンのある店舗で社員として働いている。つい先日、ある出版社の編集者と結婚して幸せいっぱいである。
しかし、職場ではなかなか暗雲が垂れ込めている。亜紀は結婚する前、同じ店舗の同僚と付き合っていたのだが、その彼と別れて編集者と結婚したのだ。その同僚は女性スタッフから絶大な人気があり、そのためお店の中で彼女は仕事を手伝ってもらえなかったり情報を回してもらえなかったりという嫌がらせをされている。しかし亜紀はそんなことにはめげない。仕事はとにかく楽しいし、副店長の理子とはそれはそれは反りが合わなくていつもバトルバトルだけで、でもそれでも本屋の仕事は楽しくて仕方ない。
一方の副店長の理子は、40歳にして独身。ついこの間まで出版社の人と付き合っていたのだが、向こうが年下の部下に手を出して結婚することになったので別れることになった。書店員は目立つべきではない、という持論のもと、POPで飾り立てたり何でもかんでもイベントをやったりということには反対で、そういう点でも亜紀と反目しあっている。しかし、いろいろな事情があって理子が「カリスマ書店員」として雑誌に出ることになり、それで周囲から反発があったりもする。
さて、しかしある時状況が変わる。理子がチェーン店初の女性店長に抜擢されたのだが、その直後、半年後にこの店舗が閉店されることを知った。なんとか売上を伸ばして店を存続させようと、亜紀と理子は一旦休戦して協力して頑張るのだが…。
というような話です。
いや~、面白かったですねぇ。これは、普通の人が読んだらどうか分かりませんけど、とりあえず書店員が読んだら間違いなく面白いと思います。いやホントに、最後泣きましたからね。たぶん普通の人が読んでも泣けるような話じゃ全然ないと思うんですけど、最後ちょっと泣いてしまいました。
あと、働く女性が読んでもやっぱり共感できる部分は多いと思います。とにかく理子が、女だからという理由で下に見られたりするんですけど、やっぱ上に行けば行くほど女性の場合は大変なんだろうなと思います。
さて、僕はこの本を読んで三つぐらい思ったり考えたりしたことがあるのでそれを書こうと思います。
まず一つ目は、やっぱ上の人間と意見が合わないと辛いな、ということです。
僕もまあ亜紀と同じく本屋で働いていて、で亜紀と同じく上にいる人間と意見が合いません。ちょっと前まではかなり意見を言ったりしていましたが、最近では言っても仕方ないのでほとんど言わなくなりました。僕としては、何か明確なビジョンみたいなものを持っていて、それに沿って判断してくれればいいと思うのですが、僕のいる本屋の場合、上にいる人間は本を売ることに基本的に興味がないので、僕が何を言ってもやる気がないんだと思うわけです。そういう意味ではまだ亜紀の方がましだと思いますね。亜紀の意見を切り捨てる理子は、個人的に亜紀といざこざがあって感情的になっている部分があるとは言え、基本的に自分のメインの考えをきちんと持っているわけで、ウチとは違うかなと思います。
僕が最近達観した事実は、とにかくそれが正しいかどうかということは関係ないのだ、ということです。僕には僕の意見があって、僕はそれを正しいと思っている。上の人間には上の人間の意見があって、彼らはそれを正しいと思っている。で、もはやどっちが正しいということは関係ないのだ。
僕は自分の意見が正しいと思っているので、前提を明確にしたり、あるいは基準をはっきりさせたりして自分の正しさを証明しながら自分の意見を言っているつもりです。しかし、それでも僕の意見は届かない(まあ届かないのには僕の人間性の問題もあって、意見自体の正しさ云々だけではないと思うんですけど)。僕が理想を追いかけすぎているのかもしれないけど、とにかくどんな感情的な反目があっても、正しい意見は取り入れなくてはいけないと思っています。でも世の中は、○○が言っているからやらないとか、○○がこう言ってるからやるとか、そういう感情で動いていくのだろうな、というわけです。なんか嫌ですね。僕はホンとそういうのが嫌でサラリーマンにならなかったはずなのに、っていうか僕バリバリフリーターでフラフラしてるはずなのに、何でこんなめんどくさいことを頑張らなくちゃいけないんだろうか、とか思ったりします。まあいいんですけどね。
さて二つ目です。二つ目は書店員と出版社の人間の違いについてです。
出版社の編集者と結婚した亜紀は、夫を通じて出版社の人間と会うこともたまにあります。そういう中で、書店員というのは何であんなに頑張って本を売るんだろうね、という話になります。
出版社の人間は、自分が担当した雑誌や本が売れれば、それが自分の評価に繋がる。もちろん本が売れればそれは嬉しいけど、でもその嬉しさは自分の評価に繋がるという嬉しさであって、本が売れたこと自体についてじゃない、というわけです。
しかし書店員というのは全然違いますね。僕もそうなんですけど、ただ単純に本が売れるのが嬉しくて仕方ないわけです。特に、自分がオススメしている本が売れたりするとその嬉しさはなお増大という感じです。最近では、書店が主導を取ってベストセラーを発掘したりという動きも結構あるし、書店員による森見登美彦の応援団なんてのもあると聞いたことがあります。
でも書店員の場合、たとえ自分の店でベストセラーを発掘したからと言って、それが直接自分への評価に繋がるということはあんまりありません。給料がグンと上がるわけでも、待遇がよくなるということも特にありません。それでも、書店員という人種は、ただ本が好きで、本が売れていくのが嬉しくて仕方ないから本を売るわけです。
本屋大賞の話も出てきたんですけど、あの運営も基本的にボランティアで行われているわけです。まあ僕は別に手伝ったことはないんですけど。あんな大々的なプロモーションをして本を売って、でも特に見返りはない。出版社の人間からすると、そういう意味で書店員というのはものすごく不思議な人種に見えるようです。
まあ確かにそうだよなぁ、と僕も思ったりします。僕はまだものすごいベストセラーを発掘したということはないですけど、でも普通にやったら売れそうにない本をそれなりの冊数売ったりということは時々やっています。でも別にそれで誰かに褒められることもそんなにないし、何かが変わるということも特にありません。でもやっぱり、本が売れていくのが楽しくて嬉しくて仕方ないんですよね。いつも思うんですけど、ホント僕には書店員というのは天職だよなぁ、という感じです。
三つ目です。本作の最後の方にこんな文章があります。

『とりあえずなんでもやってみよう。もし、うまくいかないなら、その時はその時でやり方を変えればいいのだ。そうして、お客様とともにお店も変化していけばいいと理子は思う。』

いやホントに、まさにその通りだなと僕はいつも思っているわけです。僕は文庫と新書の担当なんですけど、とにかくこの二つの売り場では、思いついたことはとにかく何でもやっています。もちろんやった結果どうだったのかということは追いかけないといけないけど、次から次へといろんなことをやって実行する。こうする以外に書店が生き残っていくことなどまあ無理だろうと思うわけです。正しいかどうかは、とにかくやってみて判断する。
それに僕は思うんですけど、書店ほど『人』が大事な職場というのもなかなかないような気がします。『人』というのはこの場合スタッフのことで、他の小売店ではどうか分からないけど、書店の場合いかにスタッフが一致団結してお店を盛り立てていくかですべてが変わっていくと思うわけです。書店員じゃない人が本作を読むと、最後の方の展開というのは都合が良すぎるように映るかもしれないけど、僕はリアルだなと感じました。スタッフが一つにまとまるだけで、恐らく売上はいくらでも伸びるでしょう。
さて、少し内容に戻りましょう。本作は書店を舞台にした作品ですけど、前半はかなり恋愛に比重が置かれた構成になっています。書店の話だと思って本作を買った人からすれば、初めの方が少し冗長に感じられる可能性もあるかもしれないと思いました。ただ後半はバリバリ書店の話になるので、そのまま読み進めてほしいなと思います。
本作で出てくるような、ビルの3階分を占めるような大きな書店で働いた経験はないのでなんとも分かりませんけど、書店の雰囲気は結構出ていると思います。本作には、書店の裏話や細かい話みたいなものはそんなに多く出てくるわけではないですけど(そういう話は、コミックですが、「本屋の森のあかり」というのが詳しいですね)、なんというか全体の雰囲気やら時々垣間見えるトラブルなんかが、割と書店の空気をしっかり掴んでいるような感じが僕にはしました。
あと、実行可能かどうかは別として、書店員が読んだら参考に出来るかもしれないアイデアも載っていると思います。僕は、「ミステリのことなら僕に聞いてください」というように、スタッフそれぞれの得意ジャンルに合わせてそういうバッヂみたいなものをエプロンにつける、というのは面白いなぁと思いました。実際どこかでやっているのかもしれませんけど。
あとは、亜紀と理子のバトルが面白いですね。それだけじゃなくて、いろんなところの人間関係がかなり歪で面白いです。最後の方の展開はすごく面白そうで羨ましいなと思いましたけど、でもそれまではかなりギスギスした人間関係のはびこる書店で、正直あんまり働きたくないですね。
あと、ウチは大きなチェーン店ではないので関係ないんですけど、やっぱ本部とかがあるような大きなチェーン店は大変なんだろうなと思いました。本部からいろいろ言われながら仕事をしないといけないのはめんどくさいなぁ、とか僕なら思っちゃうと思います。
まあそんなわけで、非常に面白く読みました。書店員には間違いなくオススメですけど、そうじゃない人にも是非読んでみて欲しい作品です。僕もカリスマ書店員とか言われて見たいなぁ(笑)。

碧野圭「ブックストア・ウォーズ」


ブックストアウォーズハード

ブックストアウォーズハード

風の歌を聴け(村上春樹)

クリスマスイブだっていうのに、何の予定もない。
まあいつもそうだ。今年だけじゃない。今さら何を期待したって始まるもんでもないさ。
そんなことを考えながら信二はコンビニに向かっている。夕飯でも買いに行こうと思ったのだ。普段自炊派の信二であるが、今日はクリスマスイブだし、ケーキだのチキンだの、そういう普通のものも食べてみようと毎年考えるのだ。クリスマスイブなんて自分には関係ないと思いつつも、どうも世間の流れに流されてしまう。
予報では夜から雪になるかもしれない、と言っていた。もう暗くて空の様子はイマイチ分からないが、降りそうな雰囲気はある。ホワイトクリスマスなんていう、さらに輪をかけて自分とは関係ないお膳立てになるのが、なんとも腹立たしく思う。
どことなくクリスマス気分に浮かれたような町を歩く。さりげないというよりは陳腐なと表現した方がいいような飾りが町のそこかしこを彩っているが、寂れた町をより寂れた印象にしているだけにしか見えない。努力は必ず報われるわけではない。
どこを歩いていても耳につくクリスマスソングを聞き流しながら、コンビニまでブラブラ歩く。こんな寂れた町ではクリスマスを過ごせないということか、あるいはもう既にお店やらホテルやらにいるのか、町中にカップルらしき姿をあまり見かけない。いるのは老人やおばさんや子どもや、まあそういった類の人間ばかりである。
コンビニについたら何を買おうか漠然と考えながら歩いていると、突然声を掛けられた。
「いい音楽ですね」
初めは、自分に話し掛けられているのだとは思わなかった。目の前には、20代後半か30代前半に見える女性がいた。てのひらに載せたら溶けてしまいそうなふんわりとした笑顔だった。黒い髪を真っ直ぐ下ろし、白いコートを着ていた女性が、一瞬だけ雪女に見えてしまった。彼女が今日この町に雪をもたらすとでもいうのだろうか。
信二は後ろを振り返る。自分の後ろにいる誰かに話し掛けたのだろうと思ったのだ。第一、音楽というのが何のことか分からない。町にダラダラ流れているクリスマスソングを褒める意味はどこにもないし、それ以外に音楽らしい音楽はどこにもない。そんなどこにもない音楽のことで、信二が話し掛けられるのはもっと意味が分からない。
振り返っても後ろに誰もいないことを確認し、目の前にいる女性が相変わらず信二の方を向いているのを確認して、ようやく信二は口を開く。
「音楽ですか?このクリスマスソングが?」
「あなたがさっきまで演奏していた音楽ですよ」
彼女は笑みをたたえたままでそう言った。
これは何なんだ、と信二は思った。どう考えて見ても、信二が音楽を演奏していたはずはない。信二がしていたことと言えば、コンビニで何を買おうかと考えながらブラブラ歩いていただけだ。無意識の内に口笛を吹いていたなんてこともない。そもそも口笛は吹けないのだ。鼻歌も歌っていないが、万が一そうだったとしてもあの距離で彼女にそれが届くとは思えない。
困惑したままで信二は彼女の顔をじっと見つめる。
「あの、俺、鼻歌でも歌ってました?やだなぁ、そんな遠くまで聞こえちゃってたのかぁ」
可能性としては、信二が無意識の内にバカでかい鼻歌を歌っていたか、あるいはこの目の前の女性の頭がおかしいかのどっちかだ。どっちにしても、あまり嬉しい状況ではない。
「聞いたこともないような音楽でした。もう聞こえなくなってしまって残念ですけど」
相変わらず信二の話を聞いてるとは思えない返答だ。しかも、これは要するに信二の歌が下手だったと言いたいのだろうか。何にしても、この女性とは会話が噛み合わなそうだ。いい加減お腹も空いてきたし、もう無視してコンビニに行くしかないだろう。
話を勝手に切り上げて、歩き出す。信二が歩き出すと彼女の顔はパッと輝いてさらに笑顔が増した。僕が立ち去るのがそんなに嬉しいのだろうか。
しかし、彼女は歩く僕の後ろをついてくる。これ以上何がしたいのだろう。何だかムカついて、走り出す。彼女も追いかけてくる。音楽だとかなんとか言って、ホントは新手のストーカーなのか?
立ち止まり、振り向いた信二は、彼女に目を向ける。
「いい加減にしてもらえませんか!何でついてくるんですか?」
そう怒鳴り声を上げた信二に怯むことなく、彼女は口を開く。
「ねぇ、お願いがあるのですけど。踊ってくださらない?」
音楽の次は踊りか。やっぱりもう関わらない方が身のためか。
彼女と会話を続けることを再度諦め、信二は歩き出す。その時、パラパラと雪が降り始めた。予報は当たったな、と信二が思った瞬間だった。
頭の中に、音が響き渡った。
「えっ?」
驚いて立ち止まる。すると音は聞こえなくなった。
「何だったんだ今のは?」
再び足を踏み出す。するとまた音が聞こえる。歩き続けると、それは一つの音楽となって信二の頭に響き渡るようになった。
「歩くと音楽が聞こえるのか…」
音楽は、明らかに僕の歩調に合わせて響いてきた。まるで自分が、巨大なピアノの鍵盤の上を歩いているかのようだった。いつからこんなことになっていたのだろう。そして、何故彼女だけがこの音楽を聞くことが出来たのだろう。
自分の頭の中に響き渡る音楽を聞きながら、次第に信二は頭の芯が痺れてくるような感覚を味わうようになった。それまでは、信二の歩行が音楽を奏でていたように感じられていたが、次第に、頭の中で響き渡る音楽が信二の歩行を決定しているような、そんな感覚に変化していった。
そして気づくと信二は、降りしきる雪の中、たった一人の観客のために、名前のついていない踊りを踊り続けていたのだった。

一銃「きみにしか聞こえない」

今回の話は、自分で言うのもなんですが、アイデアだけは抜群だったと思っています。自分が歩くことで音楽が生み出されるけど自分ではそれを聞けない男と、何故かその音楽を聞くことの出来る女、というだけのアイデアですが、なかなかよかったかなと。でも、やっぱりそれをストーリーにするのは難しいですね。恐らく同じアイデアでも、本職の作家が書けばまた全然違ったものが出来上がるのだろうと思います。
今回のタイトルは、乙一の小説のタイトルを丸々パクりました。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、あの世界のハルキムラカミのデビュー作です。何だかんだで今まで読んでませんでした。もう既に30年も前なんですね。
さてストーリーですけど、しかし紹介できるような内容ではない気がします。断片的なことだけボツボツ書くことにしようと思います。
僕と鼠は友人で、時々ジェイズバーで一緒に飲む。金持ちの鼠は、金持ちを嫌悪し、金持ちである自分をも嫌悪している。僕は普通の大学生で、時々昔付き合った女の子のことを思い出し、あとはビールを飲んだりラジオを聞いたりして過ごしている。
ある日あまり普通とはいえない状況で出会った女性とのやり取りがあり、少しだけその女性と関わっていく。ゆったりと流れる時間。何も変わらない状況。そんな18日間を描いた作品。
という感じでしょうか。でも今あらすじもどきを書いていて思ったのは、この作品はストーリーを読む作品ではなくて、雰囲気を読む作品なんだろうな、ということです。まあ村上春樹の作品が全般的にそうですけど、本作は余計そんな印象が強いです。
僕は、やっぱりなんとも掴み所がなくて、イマイチなんとも言えない作品だなと思ったりしました。
細かいところはすごい好きなんです。特に会話が好きで、例えば、

「気にすることはないさ。誰だって何かを抱えてるんだよ。」
「あなたもそう?」
「うん。いつもシェービングクリームの缶を握りしめて泣くんだ。」

「ねえ、女って一体何食って生きてるんだと思う?」
「靴の底。」

「何故あんなに一生懸命になって橋を作るの?」
「誇りを持ち続けるためさ。」

みたいな会話はホント好きです。よくもまあこんな会話を思いつくよなとも思うし、何だかどの会話も、どこか変なんだけどどことなくしっくりくるみたいなところがあって、いいですね。
それに村上春樹の場合、普通のことを書いているのに何だか奇妙な感じになったりするんだけど、そういう雰囲気もやっぱりいいですね。デビューの時点でやっぱりそういう作風だったんだな、と思ったりしました。
でもやっぱり僕は小説っていうのはストーリーが好きで、本作はそういうストーリー的な部分がなんとも言えない感じだったので、自分の中でぼんやりした感じになったのだろうなと思います。
あと、やっぱり分量が短いというのも影響してると思います。僕は村上春樹の作品は長い作品の方が好きなんだけど、それは、村上春樹の生み出す世界観というのはどうも短い話では収まりきらない感じがするからです。まあこれは何度か書いたことがありますが。短い作品だと、村上春樹の生み出す奇妙な世界観に入り込む前に小説が終わってしまう印象があって、自分の中でどうも物足りなく感じられるんだと思います。
しかしまあ、ここから村上春樹が始まったんだなと思うと、何だか感慨深いですね。変なことを言うと、村上春樹にもデビュー作があるというのが何だかおかしい感じがします。

POP用の文章を考えようとしたんだけど、全然思い浮かびません。
どんな文章を書いても、村上春樹の作品を邪魔してしまいそうでダメですね。

PS:
今amazonのレビューを見てたんですけど、なるほど、そういう話だったのか!と思いました。全然ストーリーがつかめていなかったみたいです。小指のない女の子は鼠の彼女で、鼠と小指のない女の子の関係を何とかしてあげるために僕が間を取り持つ、っていうそういう話だったんですね。全然分かりませんでした。それを念等に置いてもう一回読んだらまた違うかもしれません。

村上春樹「「風の歌を聴け」



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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)