刀語第六話 双刀・鎚(西尾維新)
何か欲しいものがあった時、人はそれに見合った努力をするのだろう。
例えば、大金を出さなくては買えないものが欲しければどうにかしてお金を得る努力をしなくてはいけないし、お金では買えないものが欲しいのならば、それとは別のまた違った努力をしなくてはいけないだろう。
まあ当然だ。
しかし思うのだけど、物にはそれぞれ、それを持つのに相応しい人というのがあるのだと思うのだ。
今いろんな物は、なんであれお金さえだせば何でも手に入るような時代になってしまった。お金を持っているということが一つの指標となり、何かが保証されるのだろうし、お金というものにそれだけ価値があるのだということだろう。
しかし例えばだが、僕がフェラーリを買って乗り回すとしよう。どこからそんなお金が出てくるのかという疑問はまあ後回しにして、宝くじにでも当たったということにして欲しい。
さて、フェラーリが僕に見合う物であるかと言えば、それは間違いなくノーだろう。似合うも何もない。明らかに間違っている。この文章を読んでいる人の大半は、僕とは面識がないと思うのでその明らかさについては分からないかもしれないけど、でも考えるまでもなく明らかなのである。僕は、フェラーリを所有し乗りまわすような人間ではない。
僕はそういうことをきちんと自覚しているし、だから別に分不相応な高望みだって別にしていないつもりである。
しかし世の中にはどうもその辺りのことが分からず、高いもの、ブランドとして価値のあるものを追い求める風潮があると思う。
勘違いしているのである。
そういう、高いものやブランドに価値のあるものというのは、持つ人の価値をさらに高めるためのものである。この、『さらに』という部分が重要なのであって、そもそもそれを持つ価値のない人間にとっては、まさに豚に真珠、猫に小判である。
しかし世の中の人はどうもそうは考えないようだ。高いものや価値のあるブランドの物を手に入れることで、自分自身の価値もそれに伴って上がる、と考えるようなのだ。例えば、ロレックスの時計を見に付けることで、人間としての価値が上がる、とそんな風に考えているように思える。
それは、絶対に間違っていると思うのだ。いくらロレックスの時計を見に付けようと、価値のある人間になれるわけはない。価値のある人間がロレックスを見に付けるからこそ、その価値がより強調される、というだけのことである。
それでも、人々のそうしたブランドに対する執着というものは消えないし、むしろどんどんと増して行っているようにも思える。
もちろん、ブランドそのものの価値にではなく、その物自体の価値に惹かれているというのならば問題はないのだ。ロレックスの時計だからいいというのではなく、ロレックスの時計は壊れ難く製品としての完成度が高いからいい、と思っているならいいと思うのだ。しかし実態は、世の中の多くの人々が、中身も碌に確認しないまま、ブランド物であるというだけの理由で物を手に入れているように感じてします。
価値は人間の側にあるのではなく、物にそれを頼ってはいけないだろう。もし何らかの価値のある物を手に入れたいとしたら、お金を得るよりもまず、それを手に入れるのに相応しい人間にならなくてはいけない、と僕は思う。
物の価値を決めるのは、最終的には人間だ。その人間が愚かであれば、物も救われないだろう。バブルの時期だったか、ゴッホの絵に100億円以上の値段がついたことがあった。その絵に本当に100億円の価値があるというのならいい。しかし恐らく違ったのだろう。物の価値を決める人間が愚かだったというだけの話だろう。
自分に相応しいもの、あるいはほんの僅か背伸びすれば相応しくなるもの。そうしたものだけど欲しがるべきだろう。そうでない人間が多いために、どうもちぐはぐな感じになっているような気がする。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、12ヶ月連続刊行中の西尾維新の最新シリーズである刀語の第六話です。毎度のことですが、大枠の設定から書きましょう。
幕府の奇策士であるとがめと、虚刀流という流派の剣士である七花は、天才と謳われた刀鍛冶である四季崎記紀が作ったとされる12本の変体刀を蒐集すべく諸国を巡ってはその所有者と戦う、という話である。
今回の舞台は、絶対凍土とも評される蝦夷の踊山。一年中雪が止むことのないその地には、幕府の壱級災害指定地域に指定されているのだが、凍空一族と呼ばれる一族が住んでいる地でもある。今回蒐集する刀、双刀・鎚は、その凍空一族が所有しているらしいのだ。しかし、その鎚という刀が一体どんなものであるのかという情報はまったくない。
港の職員の制止も聞かず、薄着のままなんの準備もなく踊山へ向かった二人であったが、少々舐めすぎていたようだ。とがめは結構危険な状態であるし、平気そうにしていた七花さえも、なんと手足の異常を訴えて倒れてしまったのだ…。
雪吹きすさぶ山で完全に孤立した二人。まさに絶体絶命のその状況でやってきたのが一人の少女だった。
凍空こなゆき。
彼女はその小さな矮躯で軽々と七花を担ぎ上げ、少女が一人で住んでいるという洞窟まで連れていった。凍空一族は自分を除いて全滅したのだと聞かされ途方にくれるとがめであったが、刀を探してると聞くと、こなゆきは無邪気にも自分が探してきてあげようかと提案するのだが…。
というような話です。
この刀語というシリーズは、毎月一本刀を蒐集するわけで、つまり毎月毎月所有者との戦闘があるわけだけど、しかし毎月そんなことをしているとどんどんネタも尽きてくるのもまた事実。しかし西尾維新は相変わらず手を変え品を変え、毎月違った形でこの刀集めの旅を物語にしていきます。
今回もかなり変わった展開で、所有者の一族がほとんど全滅している上に、生き残ったのは少女一人。さてこの状況で一体どうするのか…。まったく、なかなか面白いことを考えるものです。
今回もまあもちろん戦闘があるんですけど、それもなかなかうまいなと思いました。ネタバレになるので詳しいことは書きませんが、最終的に七花が勝つことが出来るその理屈は、なるほどなと思ってしまいました。実感こそ出来ませんが、なるほどそういうものかもしれない、という感じでした。
今回のまあ一応の所有者というべきはこなゆきなわけですが、これまでにないキャラでかなり可愛い感じですね。なんと言っても一人称が「うちっち」ですからね。それにどうして戦闘をする羽目になったのかという理由もなかなかニヤリという感じで、そういう意味でも今回はかなりこれまでと違う感じだな、という気がしました。
今回読んでいて思ったのが、冒頭でも書いたことだけど、物には相応しい持ち主がいる、ということでした。これまでの変体刀もそうでしたが、今回もかなり所有者を選ぶ刀であって、正直とがめと七花が手に入れたところでどうにかなる代物ではないわけです。でも二人はそれを手に入れようとするし手に入れなくてはいけない。それは一つの執念であって間違ってはいないんですけど、でも今回についてはどうなんだろうな、と思ったりしました。たまたま今回は、まあ事情が事情で奪ったという感じではなかったのでよかったですけど、しかしそれを持つのに相応しい持ち主から、それを持つのに明らかに相応しくない人間がそれを奪うというのはいかがなものか、とそんな風に考えてしまいました。
まあそんなわけで、今回もなかなか面白い話でした。毎度のことですが、このシリーズを読んでいる人は読み続けて欲しいし、まだ読んでないという人は是非一巻から読んでみてください。
西尾維新「刀語第六話 双刀・鎚」
例えば、大金を出さなくては買えないものが欲しければどうにかしてお金を得る努力をしなくてはいけないし、お金では買えないものが欲しいのならば、それとは別のまた違った努力をしなくてはいけないだろう。
まあ当然だ。
しかし思うのだけど、物にはそれぞれ、それを持つのに相応しい人というのがあるのだと思うのだ。
今いろんな物は、なんであれお金さえだせば何でも手に入るような時代になってしまった。お金を持っているということが一つの指標となり、何かが保証されるのだろうし、お金というものにそれだけ価値があるのだということだろう。
しかし例えばだが、僕がフェラーリを買って乗り回すとしよう。どこからそんなお金が出てくるのかという疑問はまあ後回しにして、宝くじにでも当たったということにして欲しい。
さて、フェラーリが僕に見合う物であるかと言えば、それは間違いなくノーだろう。似合うも何もない。明らかに間違っている。この文章を読んでいる人の大半は、僕とは面識がないと思うのでその明らかさについては分からないかもしれないけど、でも考えるまでもなく明らかなのである。僕は、フェラーリを所有し乗りまわすような人間ではない。
僕はそういうことをきちんと自覚しているし、だから別に分不相応な高望みだって別にしていないつもりである。
しかし世の中にはどうもその辺りのことが分からず、高いもの、ブランドとして価値のあるものを追い求める風潮があると思う。
勘違いしているのである。
そういう、高いものやブランドに価値のあるものというのは、持つ人の価値をさらに高めるためのものである。この、『さらに』という部分が重要なのであって、そもそもそれを持つ価値のない人間にとっては、まさに豚に真珠、猫に小判である。
しかし世の中の人はどうもそうは考えないようだ。高いものや価値のあるブランドの物を手に入れることで、自分自身の価値もそれに伴って上がる、と考えるようなのだ。例えば、ロレックスの時計を見に付けることで、人間としての価値が上がる、とそんな風に考えているように思える。
それは、絶対に間違っていると思うのだ。いくらロレックスの時計を見に付けようと、価値のある人間になれるわけはない。価値のある人間がロレックスを見に付けるからこそ、その価値がより強調される、というだけのことである。
それでも、人々のそうしたブランドに対する執着というものは消えないし、むしろどんどんと増して行っているようにも思える。
もちろん、ブランドそのものの価値にではなく、その物自体の価値に惹かれているというのならば問題はないのだ。ロレックスの時計だからいいというのではなく、ロレックスの時計は壊れ難く製品としての完成度が高いからいい、と思っているならいいと思うのだ。しかし実態は、世の中の多くの人々が、中身も碌に確認しないまま、ブランド物であるというだけの理由で物を手に入れているように感じてします。
価値は人間の側にあるのではなく、物にそれを頼ってはいけないだろう。もし何らかの価値のある物を手に入れたいとしたら、お金を得るよりもまず、それを手に入れるのに相応しい人間にならなくてはいけない、と僕は思う。
物の価値を決めるのは、最終的には人間だ。その人間が愚かであれば、物も救われないだろう。バブルの時期だったか、ゴッホの絵に100億円以上の値段がついたことがあった。その絵に本当に100億円の価値があるというのならいい。しかし恐らく違ったのだろう。物の価値を決める人間が愚かだったというだけの話だろう。
自分に相応しいもの、あるいはほんの僅か背伸びすれば相応しくなるもの。そうしたものだけど欲しがるべきだろう。そうでない人間が多いために、どうもちぐはぐな感じになっているような気がする。
そろそろ内容に入ろうと思います。
本作は、12ヶ月連続刊行中の西尾維新の最新シリーズである刀語の第六話です。毎度のことですが、大枠の設定から書きましょう。
幕府の奇策士であるとがめと、虚刀流という流派の剣士である七花は、天才と謳われた刀鍛冶である四季崎記紀が作ったとされる12本の変体刀を蒐集すべく諸国を巡ってはその所有者と戦う、という話である。
今回の舞台は、絶対凍土とも評される蝦夷の踊山。一年中雪が止むことのないその地には、幕府の壱級災害指定地域に指定されているのだが、凍空一族と呼ばれる一族が住んでいる地でもある。今回蒐集する刀、双刀・鎚は、その凍空一族が所有しているらしいのだ。しかし、その鎚という刀が一体どんなものであるのかという情報はまったくない。
港の職員の制止も聞かず、薄着のままなんの準備もなく踊山へ向かった二人であったが、少々舐めすぎていたようだ。とがめは結構危険な状態であるし、平気そうにしていた七花さえも、なんと手足の異常を訴えて倒れてしまったのだ…。
雪吹きすさぶ山で完全に孤立した二人。まさに絶体絶命のその状況でやってきたのが一人の少女だった。
凍空こなゆき。
彼女はその小さな矮躯で軽々と七花を担ぎ上げ、少女が一人で住んでいるという洞窟まで連れていった。凍空一族は自分を除いて全滅したのだと聞かされ途方にくれるとがめであったが、刀を探してると聞くと、こなゆきは無邪気にも自分が探してきてあげようかと提案するのだが…。
というような話です。
この刀語というシリーズは、毎月一本刀を蒐集するわけで、つまり毎月毎月所有者との戦闘があるわけだけど、しかし毎月そんなことをしているとどんどんネタも尽きてくるのもまた事実。しかし西尾維新は相変わらず手を変え品を変え、毎月違った形でこの刀集めの旅を物語にしていきます。
今回もかなり変わった展開で、所有者の一族がほとんど全滅している上に、生き残ったのは少女一人。さてこの状況で一体どうするのか…。まったく、なかなか面白いことを考えるものです。
今回もまあもちろん戦闘があるんですけど、それもなかなかうまいなと思いました。ネタバレになるので詳しいことは書きませんが、最終的に七花が勝つことが出来るその理屈は、なるほどなと思ってしまいました。実感こそ出来ませんが、なるほどそういうものかもしれない、という感じでした。
今回のまあ一応の所有者というべきはこなゆきなわけですが、これまでにないキャラでかなり可愛い感じですね。なんと言っても一人称が「うちっち」ですからね。それにどうして戦闘をする羽目になったのかという理由もなかなかニヤリという感じで、そういう意味でも今回はかなりこれまでと違う感じだな、という気がしました。
今回読んでいて思ったのが、冒頭でも書いたことだけど、物には相応しい持ち主がいる、ということでした。これまでの変体刀もそうでしたが、今回もかなり所有者を選ぶ刀であって、正直とがめと七花が手に入れたところでどうにかなる代物ではないわけです。でも二人はそれを手に入れようとするし手に入れなくてはいけない。それは一つの執念であって間違ってはいないんですけど、でも今回についてはどうなんだろうな、と思ったりしました。たまたま今回は、まあ事情が事情で奪ったという感じではなかったのでよかったですけど、しかしそれを持つのに相応しい持ち主から、それを持つのに明らかに相応しくない人間がそれを奪うというのはいかがなものか、とそんな風に考えてしまいました。
まあそんなわけで、今回もなかなか面白い話でした。毎度のことですが、このシリーズを読んでいる人は読み続けて欲しいし、まだ読んでないという人は是非一巻から読んでみてください。
西尾維新「刀語第六話 双刀・鎚」