いちばん初めにあった海(加納朋子)
人を殺してしまった、という罪悪感を抱いたことがあるだろうか?
もちろん、殺意を持って殺した、とかいう話ではない。自分が殺そうと思って死んでしまったわけではなく、自分の意志とは無関係に、でも自分のせいで誰かが死んでしまった、と自分を責めるようなことはあるだろうか?
少なくとも僕にはない。誰かを傷つけてしまったとか、そういう後悔なら多少はあるけれども、それらは全て、相手が生きている。努力次第では、まだまだやり直せる機会がある類の後悔なのである。
死んでしまった相手には、何もすることができない。
それだけの重いものを抱えながら生きていく、というのは、どれほど辛いことなのか、僕には、うまくは想像することができない。
人を殺してしまった。そう思っている二人の少女、あるいは女性。一方は双子として生まれ、母親の愛情を一身に受けながら死んでしまった双子の兄の死を、その死を望んでしまったというだけで、その自分を悔いている。もう一方は、まだまだ幼い頃、不運な事故で相手を窓から突き落としてしまったという記憶に、こちらも同様に悔いている。
どちらも、言ってしまえば、深刻に悩むほどのことではないように思う。しかしそれは当事者ではないからそうだろう、とも思う。彼女らは、裁きと救いを求めている。求めてはいるが、どうしていいのかわからない。あるいは、後ろ向きなやり方を選ばざるおえないのも無理はないのかもしれない。
本作は短編集である。加納朋子と言えば連作短編集での作品がほとんどを占めるが、しかし本作は短編が二作だけ。中編集と読んだほうがいいのかもしれない。氏の作品としては、とても珍しい構成だといえるだろう。
先に話した二人の女性が主人公である。それぞれの短編の紹介は後に回すとして、物語の構造に少しだけ触れようと思う。
正直に言って僕は、途中まで読んでいて多少退屈だった。前半の短編が別に面白くなかったわけではなく、寧ろラストはかなりいいと思えたんだけれど、どうも終わり方が曖昧だし、それに、加納朋子のいつもの連作短編集で見せる、全体を貫く構造が今回はなさそうで、ただ二編の短編を収録した作品なのだな、と思っていたからである。
しかし、まあこれを書くと多少ネタばれなのかもしれないが、前半と後半を貫く構造が、今回の作品でもあった。僕はそれに気付いた時、なるほど、さすが可能朋子だ、と思ったものである。解説でも書かれていたけど、こういう構成は珍しいのではないかと思う。
それでは、多少唐突だけど、それぞれの短編を紹介しましょう。
「いちばん初めにあった海」
一人暮らしをしている堀井千波は、現在住んでいるアパートからの引越しを考えている。とにかく、住人の出す騒音が半端ではないのだ。安眠を妨げられる不快感にさすがに嫌気がさし、引越しの準備を始める千波。あれこれ物を引っ張り出していると、見覚えのない文庫本が見つかった。タイトルは、<いちばん初めにあった海>。準備を忘れて読みふけっていると、開いたページの隙間から手紙が落ちた。人を殺した、と告白する<YUKI>という名の女性。彼女の記憶からすり抜けている<YUKI>という名の女性は一体誰なのか?時折沸き起こる既視感に戸惑いながらも、彼女は徐々に過去を取り戻していく…
各章で、現在の千波の時間と、過去の千波の記憶とが交互に語られる、という構成です。一人の女性が裁かれ救われる物語です。
「化石の樹」
昔化石が好きで、近くにできた建物の入口にあった<木の化石>という石が好きだったぼく。時は過ぎ、今は植木屋でバイトをしているのだが、雇い主が突然入院することになった。愛想は悪いが憎めないその雇い主を見舞いに行くと、大した脈絡もなくあるノートを手渡される。それは、昔雇い主が治療したある一本の金木犀の木の中から見つかったもので、依頼彼はその内容一切を口に出すことはなかったのだという。病で倒れて気弱になったのか、その秘密をぼくに引き継ぐ、とこういうわけらしい。そのノートには、保母さんの書いた手記で、ある親子の悲しい物語が綴られていた…
親は子を選べないし、子は親を選べない。ピースの混じったジグソーパズルのように、いつまでも形にならない親子という関係が、どうにも悲しい物語です。
もちろん、いつもの加納作品のように、涼やかで透明な表現と優しい眼差しは健在です。透き通ったビー玉のような、時折なる風鈴のような、そんな小説です。読み終えてみて初めてそのよさがわかります。どうぞ、読んでみてください。
加納朋子「いちばん初めにあった海」
もちろん、殺意を持って殺した、とかいう話ではない。自分が殺そうと思って死んでしまったわけではなく、自分の意志とは無関係に、でも自分のせいで誰かが死んでしまった、と自分を責めるようなことはあるだろうか?
少なくとも僕にはない。誰かを傷つけてしまったとか、そういう後悔なら多少はあるけれども、それらは全て、相手が生きている。努力次第では、まだまだやり直せる機会がある類の後悔なのである。
死んでしまった相手には、何もすることができない。
それだけの重いものを抱えながら生きていく、というのは、どれほど辛いことなのか、僕には、うまくは想像することができない。
人を殺してしまった。そう思っている二人の少女、あるいは女性。一方は双子として生まれ、母親の愛情を一身に受けながら死んでしまった双子の兄の死を、その死を望んでしまったというだけで、その自分を悔いている。もう一方は、まだまだ幼い頃、不運な事故で相手を窓から突き落としてしまったという記憶に、こちらも同様に悔いている。
どちらも、言ってしまえば、深刻に悩むほどのことではないように思う。しかしそれは当事者ではないからそうだろう、とも思う。彼女らは、裁きと救いを求めている。求めてはいるが、どうしていいのかわからない。あるいは、後ろ向きなやり方を選ばざるおえないのも無理はないのかもしれない。
本作は短編集である。加納朋子と言えば連作短編集での作品がほとんどを占めるが、しかし本作は短編が二作だけ。中編集と読んだほうがいいのかもしれない。氏の作品としては、とても珍しい構成だといえるだろう。
先に話した二人の女性が主人公である。それぞれの短編の紹介は後に回すとして、物語の構造に少しだけ触れようと思う。
正直に言って僕は、途中まで読んでいて多少退屈だった。前半の短編が別に面白くなかったわけではなく、寧ろラストはかなりいいと思えたんだけれど、どうも終わり方が曖昧だし、それに、加納朋子のいつもの連作短編集で見せる、全体を貫く構造が今回はなさそうで、ただ二編の短編を収録した作品なのだな、と思っていたからである。
しかし、まあこれを書くと多少ネタばれなのかもしれないが、前半と後半を貫く構造が、今回の作品でもあった。僕はそれに気付いた時、なるほど、さすが可能朋子だ、と思ったものである。解説でも書かれていたけど、こういう構成は珍しいのではないかと思う。
それでは、多少唐突だけど、それぞれの短編を紹介しましょう。
「いちばん初めにあった海」
一人暮らしをしている堀井千波は、現在住んでいるアパートからの引越しを考えている。とにかく、住人の出す騒音が半端ではないのだ。安眠を妨げられる不快感にさすがに嫌気がさし、引越しの準備を始める千波。あれこれ物を引っ張り出していると、見覚えのない文庫本が見つかった。タイトルは、<いちばん初めにあった海>。準備を忘れて読みふけっていると、開いたページの隙間から手紙が落ちた。人を殺した、と告白する<YUKI>という名の女性。彼女の記憶からすり抜けている<YUKI>という名の女性は一体誰なのか?時折沸き起こる既視感に戸惑いながらも、彼女は徐々に過去を取り戻していく…
各章で、現在の千波の時間と、過去の千波の記憶とが交互に語られる、という構成です。一人の女性が裁かれ救われる物語です。
「化石の樹」
昔化石が好きで、近くにできた建物の入口にあった<木の化石>という石が好きだったぼく。時は過ぎ、今は植木屋でバイトをしているのだが、雇い主が突然入院することになった。愛想は悪いが憎めないその雇い主を見舞いに行くと、大した脈絡もなくあるノートを手渡される。それは、昔雇い主が治療したある一本の金木犀の木の中から見つかったもので、依頼彼はその内容一切を口に出すことはなかったのだという。病で倒れて気弱になったのか、その秘密をぼくに引き継ぐ、とこういうわけらしい。そのノートには、保母さんの書いた手記で、ある親子の悲しい物語が綴られていた…
親は子を選べないし、子は親を選べない。ピースの混じったジグソーパズルのように、いつまでも形にならない親子という関係が、どうにも悲しい物語です。
もちろん、いつもの加納作品のように、涼やかで透明な表現と優しい眼差しは健在です。透き通ったビー玉のような、時折なる風鈴のような、そんな小説です。読み終えてみて初めてそのよさがわかります。どうぞ、読んでみてください。
加納朋子「いちばん初めにあった海」