黒夜行

>>2005年04月

新本格魔法少女りすか(西尾維新)

目的を持って生きる、ということは素晴らしいことだと思う。大抵の人は、少し先の未来すら見通せず、何が起こるかばかり考えて何も起こそうとはせず、なんとかなるだろうとう楽観にあぐらをかいて過ぎ去った日々を評価していこうとする。もちろん僕だって、そういう、一般的でありながらダメな人間の一人である。
目的を持って生きている人は素晴らしい。
しかし、
それが、
目的を持って生きる「小学生」となると、
しかも、
世界を手に入れたい、という、
漠然としているが果てしなく大きな目的を、
まさに実現させようと、
その目的のためだけに、
生きているというよりもむしろ、
存在していると言ってしまえる、
そんな、
僅か、
10歳の児童、
供儀創貴という児童の存在は、
少し、異様だ。
彼は、小学生とは思えないほど達観しており、大人子供を問わず他人を見下し、自らの能力を客観的に過信し、目的のために手段を選ばず、使える駒を手中にしていく。
どこをどうひっくり返してみても、
小学生には思えない。
時折挿入されるイラストを見て、
そういえばこいつは小学生だった、と認識させられるのだ(ちなみに、イラストは、西村キヌという、僕は知らないけど、CAPCOM所属の、ゲーム業界ではあまりにも有名なイラストレーターらしい。確かに、「ストリートファイター」の名前ぐらいは、僕も知っている)。
魔法の存在を信じるだろうか、なんて、
あまりにも馬鹿げた質問に、
しかし敢えて考えをめぐらせてほしいものだが、
僕は、
存在の是非は別として、
あってもいいだろう、ぐらいには思っている。
さて、本作は、
そんな空想妄想妄言とも言える「魔法」を設定に組み込んだ連作短編集だ。というわけで、まずは設定から説明しようと思う。
舞台は滋賀県。そこに、小学生をやっている供儀創貴と、登校拒否児と認識されている、水倉りすかという「魔法使い」がいる。二人はある時から手を組み、お互いを助け合いながら、お互いの目的を達成しようと日々努力している。
この世界では、「長崎県」は「魔法の国」である。そこは、「城門」に遮られ、「内」と「外」との交流ははかばかしい。「長崎県」は「魔法使いの住む国」であり、そこには種々雑多、数多の魔法使いがいる。
その中でも、神とも悪魔とも言われる、別格中の別格の魔法使い、水倉神檎。その娘として生まれ、その「血液」の中に「魔法陣」を組み込まれた、創貴と同い年にして「赤い時の魔女」と呼ばれる天才魔法使い。
彼女の魔法は、簡単に言えば「時間の省略」。例外はあるものの、基本的には、自分の時間だけを、未来に向けて好きなように省略することができる。では一体何ができるかといえば、例えば時空の移動(テレポーテーション)や、傷をすぐに治したり、とそういったことができる魔法だ。
りすかは、赤い髪、赤い目、着ているものも真っ赤という少女(なんとも「赤い請負人」を連想させるが)。カッターナイフをかちかちとやり、右手に手錠をつけ、「魔法の国」ならではの、多少文法のおかしい喋り方をする。風車を象ったコーヒーショップの二階に住んでいる。
さて一方の創貴と言えば、先にも言ったように、世界を手に入れるために、自分の都合のいい「駒」を手に入れる、という目的と手段を保有している。そのためにりすかとともにいる。りすかといれば、他の魔法使いにも出会いやすいし、何より、最強というにも格が違いすぎるありえない存在であるりすかの父神檎すら「駒」にできないか、と考えている節がある。
この二人が、それぞれの目的に沿って、つまり神檎や魔法使い絡みの事件に首を突っ込んでいく、と言う物語だ。
まず、魔法についての明確な設定がいい。ただテレポーテーションができる、というのではなく、何故それができるのか、という理屈が先にある。どの魔法についてもそうで、だから弱点や隙や、そういったものも存在するし、異界ではあるけれど、でも理解できるステージを作り出せているように思う。
つまり言ってしまえば、魔法を使って戦う物語、ということだけど、それだけにとどまらないところがいい。
そしてもちろん、創貴とりすかの設定がいい。創貴の思想や考え方には、さすがに行き過ぎの感を覚えるけれど、それでも、大筋賛同できなくもない。もちろん、それが10歳の小学生から繰り出されるという違和感は付きまとうけれど。
そしてりすか。「魔法」と「父親」という、本作でもかなりの部分を担うテーマを一手に請け負うこの存在は、しかし言ってしまえばただの小学生、少女だ。創貴のように割り切れもしないし、それでも創貴を信頼している。どうしようもなく魔女でありながら、どうしようもなく人間で、どうしようもなく少女。その混じり具合が、なかなかいい。
まあ、というわけで、それぞれの物語を簡単に説明しよう。

「やさしい魔法はつかえない。」
ホームで電車待ちをしている創貴の目の前で、突然四人の人間が、息を揃えたかのようにホームに飛び出し、電車に轢かれた。ありえない現象に、魔法の力を感じ取った創貴は、りすかに話をする。呪文の詠唱を必要とせず、本人がその場にいる必要のない「魔方陣」とは違い、本人がその場にいて呪文を詠唱しなくてはいけない「魔法式」が描かれていたことから、リスカが導き出す結論は…

この作品は、魔法についての説明や、創貴やリスカの紹介、またパターンに至る取っ掛かりという意味合いがあるはずで、そういう意味では物語本体の密度は薄いような気もしたけれど、その設定だけで充分面白い。

「影あるところに光あれ。」
唐突に宣告される犯人の名前。
創貴が、学校で唯一と言っていいほど一目置いていた在賀織絵という少女が誘拐された。それだけではなんでもないが、犯行当時一緒にいたという妹の証言から創貴は魔法の介入を悟る。曰く、「身動きがまったく取れなくなり」「でも口だけは動いた」「安全ピンのような赤い服装だった」。そうした情報からリスカはすぐに、「魔法の国」である「長崎県」でも少女を誘拐していた、リスカよりも力が強い「魔法使い」である影谷蛇之の名を出した。彼の持つ魔法に、正面きって挑む二人…

設定である、論理的な魔法の性質が、見事に活かされている作品です。読んだことはないけど、「ジョジョ」がきっとこんな感じではないか、と勝手に思いました。

「不幸中の幸い。」
りすかに連絡がつかなくなってしばらく。影谷との戦闘以来だ。気になってコーヒーショップに赴く彼はそこで、手首に巻かれた包帯が特徴的な男に出会う。一方的に、彼の持つ非常に特殊な魔法に翻弄されながら、とにかく自分にとって必要な勝利のためだけに、男との戦闘(この表現は正しくはないが)に持てる限りの力を注ぎ込む創貴…

面白いです。魔法の設定がやはりいい。<戯言シリーズ>のように、やはり二人の過去については断片的に少しずつしか明かされていかないからそれが多少もどかしいけど、ここまで読んでみて、この二人の続きの物語を読んでみたいと、切に思いました。

恐らくは、前出の西村キヌという人が書いたのだろう、これまたどう見ても小学生には見えない二人の表紙を目印に(そんなものを目印にする必要はないが)、是非読んでみてください。

西尾維新「新本格魔法少女りすか」



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ヒトクイマジカル―殺戮奇術の匂宮兄妹―(西尾維新)

運命、偶然、縁、因果…なんと呼んでもいいけれど、そうしたものを信じるだろうか?
運命の出会い、偶然の産物、袖振り合うも他生の縁、因果応報。自分の人生が誰かに操られているとか、もう未来は決まっているだとか、運命には逆らえないだとか、そういうことを考えたことはあるだろうか?
あるだろう。それが普通だと思う。
物語。この世は物語の世界で、僕らはその登場人物。誰が主人公なのかわからないけど、とにかく未来は記述されているし、大筋で運命を変えることはできない。誰もがその物語の「中」に存在し、「外」から傍観することを許さない。そう、誰とも、何とも関係しない人生なんか、端から不可能なのだ。
僕は、正直、本当にそうだと思っている。この世の「作者」が、既に大まかな流れを組んでいて、僕らはそれに従っているだけ。突然物語の世界からいなくなっても、ありえないことが起こっても、それが「筋」であって「必然」。
本作は、そういう話だ。
<ぼく>は、前回の怪我も癒え、大学にも普通にいくようになる。ボロアパートの住人(剣術家の浅野みいこさんや、前前回助けた(のか?)紫木一姫、前回登場した異端の研究者春日井春日、他にも、魔女である七々見奈波や死神の石凪萌太など、魅力的な逸材揃い)とも普通の生活を送っていた。
木賀峰約、の名前を聞くまでは。
初めその名前は葵井巫女子からもたらされた。「あなたが~することを私は予測していました」が口癖の女性。その時は、そういう人がいる、というだけの話だったが…
その木賀峰約自身に<ぼく>は呼び出される。そして、彼女から聞かされた話は、とても荒唐無稽。曰く、「不死身の少女」がいる。曰く、「死なない研究」をしている。曰く、「モニターのバイトをしないか?」という誘い。さる事情からお金を必要としていた<ぼく>は、ひとしきり悩みながらも、そのバイトを引き受ける。ただ、2・3人友達を紹介してくれと言われる。
さて、一方、唐突に、匂宮兄妹というのが登場する。先に現れるは匂宮理澄。妹の方で、何故か拘束衣(あの、手を前で十字に組む形で固定される、あの身動きのとりづらいこと請け合いの衣装)を纏い、倒れていたところを、さる事情から一つ屋根の下にいる春日井さんが、「拾ってきた」。ハイテンションで絡んでくる理澄は、自らを「名探偵」と名乗り、あの悪名高き零崎人識を探している、と告げる。
さて後日、またも拘束衣を着て倒れている理澄ちゃんを発見…と思いきや、なんとそれは別人格の出夢の方だった。こちらはこと人を殺すことに掛けては天才的な、まさに生来きっての殺し屋。腕を拘束されているにも関わらず、歯や足で充分普通に渡り合えてしまう。まあ、そういうけったいな人格と出会ってしまったわけだ。
さて、そうして、友達二人として姫ちゃんと春日井さんを紹介することにした<ぼく>は、適正試験のため木賀峰助教授の研究所(山奥の奥の奥に位置した、まさに陸の孤島のような場所)に赴く。そこには、まさに木賀峰が「不死身の少女」と称した女の子(にしか見えない)朽葉円がいた。そう、どんなに低く見積もっても100歳はゆうに超え、800歳ぐらいだろうと推定されている、外見上少女にしか見えない朽葉。春日井さんは、彼女に出会うなり帰ってしまうが、まあ仕方ないのだろう。
そしてもう一人。なんと同じく適性検査を受ける人物、名前こそ変えていたものの、そこには見間違うことなき、あの匂宮理澄がいた。しかしまあ、縁だとか運命だとか感じずにいられない。
そうしてそうして、ついについに…
なるほど、シリーズ中で、本作が一番好きだ。
狐面の男が出てくる。事件が「起こって」しまって、そして、「なかったこと」になってから出会った人物。彼は、運命には逆らえない、と考えており、そして究極の目的、そう、記述された物語を読もうと、努力をしている。
なるほど。因果から外れた存在。物語から外れた存在。なるほど、面白い。
なんとなく、京極夏彦の「絡新婦の理」を思い起こさせる作品だった。そっちも、偶然を題材にした作品だったように思う。物語の中で「偶然」という題材を扱うと、その「偶然」を作者が意図的に支配できてしまうために多少興ざめになりかねないけど、どちらもそんなことはなく、素晴らしくまとまっている。
今回は、<ぼく>が崩壊する。もちろんそれは、「崩れそうな積み木」が「崩れた」というだけの話で、もはやそれは時間の問題だったわけだけれども、それでも彼は壊れ、壊れたお陰で少し変わった。
そのとき、浅野みいこさんがいてよかった。すごくかっこいいし、素敵だ。あんな人いるわけないよなぁ、と思うのもまた物語の楽しみ方。
そうだ。僕は彼の考え方に賛同してしまっている。僕が普段考えていることを、少し極端にしたようなことを彼は考えている。それが、どうしようもなく魅惑的で、とめどなく素敵で、彼に出会ったみたい欲求や、彼と話してみたい願望が益々と現れてきてしまっている。
そう、勝手に言わせていただければ、僕は<ぼく>と似ている、と思う。
そう、だから、そんなぼくにも、みいこさんみたいな存在がいたら心強いだろうな、とそんな想像をしてしまうのだ。
ますます背景がはっきりとしてきた<戯言>シリーズ。<ぼく>の生きる世界がどのように支配されているのか、どんな力がどう均衡しているのか、果たしてその中で<ぼく>や玖渚は一体どういう立場なのか。哀川潤という存在。そういう、現実の世界とは僅かな接点(地名など)を残して、どんどんとその内実が明らかになっていく世界。そうして、その世界の中でも「特異」な位置を占める、「特異」なキャラクター達による青春エンタ。騙されたと思って、とはいえ騙されても責任は持ちませんが、是非読んでください。

西尾維新「ヒトクイマジカル」



サイコロジカル―兎吊木垓輔の戯言殺し(上)― ―曳かれ者の小唄(下)―(西尾維新)

天才、と言えば、僕の中では二人いる。真賀田四季博士、そして犀川創平助教授。もちろん、同じ理由で森博嗣助教授も天才だろう。
またしても、天才が僕の前に現れた。
正鵠を期すれば、実は既に現れていた。その内の一人、玖渚友は。
<死線の蒼>玖渚友。<堕落三昧>斜道卿壱朗。<害悪細菌>兎吊木垓輔。今回出てくる天才はこの三人だ。
玖渚友は、世界でも名だたるプログラマー、とでも呼べばいいか。一昔前、たった9人によってネットワーク界に多大な被害と恩恵をもたらした集団。若干12歳にしてその集団のリーダーだった玖渚友。現在19歳。引きこもりで日常生活を送るのも大変な偏屈な美少女だが、絶縁されたとは言え、世界最大財閥の直系の孫でもある玖渚。
彼女は、他の誰の追従も許さない、紛れも穢れもない真っ向まっさらな天才だ。
その集団にいて、徹底的で圧倒的な破壊工作を担当していたのが、二人目の天才兎吊木垓輔。他の皆がそうであったように、彼もまた若干19歳の少女玖渚を崇拝している。
そして、究極のマッドサイエンティストにして、今回の舞台である研究所の所長でもある斜道卿壱朗。ただ、彼は、残念ながら、天才では、ない。
天才とは存在である。生きることも、死ぬことも、前進することも、後退することも不必要な、空間を占めるだけで意味のある存在。まさしく、玖渚友と兎吊木垓輔は天才だろう。他の誰ともつりあわず、比類も類型も形式も必要ない、一切の装飾や言い訳や理由を必要としない、あらゆる意味で天才。その存在は、貴重である以上に神聖だ。
最強は天才とは呼ばれない。天才は最強とは呼ばれない。それが、同じ世界に、哀川潤と玖渚友が存在できる理由だろう。
さて、前置きはこれくらいにして、物語の話を。
<ぼく>と玖渚は、<ぼく>の隣人であるみいこさんの友達の鈴無音々を保護者として、斜道卿壱朗研究所へと向かっている。そこに「囚われている」昔の仲間、兎吊木垓輔を救い出すために。
山奥に位置するその研究所は、周囲を異常な高さの壁で覆われている。研究所内に建物は7つ。どれも窓はなく、出入りには声紋・網膜・ID・パスワードのチェックがあり、その記録は全て残される。そんな厳重な建物の中で、玖渚は兎吊木と再会する。
兎吊木の研究所は第七棟。彼はここに来てから、その建物内から出たことがないという。玖渚の説得にも応じず、兎吊木は研究所から出ることを承知しない。
玖渚は所長である斜道卿壱朗にも話をもっていくが、彼もまた兎吊木を手放す気は毛頭ない。さて、一体どうやって彼をここから連れ出すか。<ぼく>と玖渚は一晩考える。
翌朝、事件は起こった。いや、発覚した。
第七棟で死体が発見された。喉と両足にナイフを刺され壁に磔にされている。鋏で両目を突き刺され、胸は切り開かれ内蔵が飛び出し、そして両腕が切り取られていた。壁には血文字というおまけつき。
調べたところ、第七棟には死亡推定時刻前後人の出入りの記録はない。さらに、その時刻、一人を除いて他の研究員も、自分の研究所から出た記録はなく、その一人も外出はわずか5分という短さ。研究員には犯行は不可能。そう判断した斜道は、<ぼく>・玖渚・鈴無の犯行と決め付け、というより彼独自の事情により、証拠を捏造し、口裏を合わせ、彼らが犯人だということにしようとする。彼らはある研究所の地下に幽閉されることに。
そこに、石丸小唄なる人物が来て、<ぼく>を地下から連れ出した。博士たちが捏造の準備を終えてしまう前に、あんたが真相を導き出しなさい。そう言われ、<ぼく>は事件の真相究明に乗り出すことになったのだが…
という感じです。
いつものように、最後に哀川潤が「意外な真相」という奴を披瀝する、というスタイル。なるほど、今回も痛快で爽快で正解だ。
<ぼく>は、こういった異常な事態を引き寄せる体質だ、と誰しもに言われるほどで、毎月某かの事件に巻き込まれる。
ただ、彼の設定で面白いのは、次のような点だ。つまり、その事件を解かなければならない状況において、「そういう風に」事件を解決しなくてはいけない事情がある、ということ。つまり言ってしまえば、<ぼく>こと戯言遣いの役割は、現実を、自分や誰かにとって都合のいい場所に落としこむために、戯言で以って「無関係な誰かに対して」事件を解釈する。そしてその上で最後に、哀川潤が「意外な真相」を明かす、という、これが西尾維新の<戯言シリーズ>の一種のスタイルだといっていい。
今回は、今までの状況を遥かに凌駕する状況で、そもそも玖渚が囚われている、という状況が彼を落ち着かせない。
玖渚と<ぼく>の関係。それは、いずれの作品でもそれなりに明かされはするが、過去に何があったのか、は一向に明かされることがない。兎吊木は<ぼく>に対して、「本当は君は、玖渚のことが嫌いなのではないかい?」と問う。哀川潤は、「お前の玖渚に対する忠誠心には脱帽する」と糊塗する。それなりに親しい人には、「お前と玖渚の関係はわからない」と言われ、無関係の初対面には「お前たちは恋人だよな」と聞かれる。
二人の関係。<ぼく>にとっては「贖罪」のようではあるが、何がどうそうなのかはわからない。玖渚の方はただただ純粋に<ぼく>のことが好きなようだが、これもどうなのか不明だ。
天才を含むキャラクターの多様さ、<ぼく>の戯言、不可能状況。そうしたものももちろん魅力の一端だろうけど、やはり一番の興味は、<ぼく>と玖渚の関係だろう。別に恋愛がどうこうではなく、何があってこれからどうなるのか、という点がだ。その点で、犀川と西之園とは多少違うが、しかしやはり森博嗣が好きで作家になっただけあって、スタイルの影響はあるのだろう。
毎回書くけど、表紙にはめげず、是非買って読んでみてください。

西尾維新「サイコロジカル」




クビツリハイスクール(西尾維新)

西尾維新と言う作家。結構人気です。新刊が出るとあっという間になくなります。古本屋でもなかなか見かけないので、手に入れるのが大変です。
さて、知っている人は知っている<戯言シリーズ>第三弾。語り部である<ぼく>(未だ本名は明かされず。本人は、「人生で本名を人前で一度しか言ったことがないのが自慢だ」と述べている)が、戯言遣いとして、事件に巻き込まれ戯言を並べ述べる、という物語。
いつもは物語の最後に現れる、人類最強の請負人哀川潤。金の釣合いさえ取れればどんな以来でも引き受ける、真っ赤に染まった超大の美人。何をやらせても一級。できないことや不可能や矛盾や理屈を全て力でねじ伏せ、隣に立った人間を、殺してからどんな人間だったか判断するような世界に生きながら、無条件で身内を信じる超絶の人格。その赤い請負人が、京都の安アパートに住む<ぼく>の元を訪れるところから始まる。
いつもならありえない笑みを浮かべながら、理由もなくスタンガンを当てられ、自由もなく車に乗せられる。
<ぼく>が気づいた時には高速の上で、記憶の混乱に付け込んで(まあそんな必要は請負人にはないんだけど)、彼に頼みごとをする。曰く、京都の郊外にある、超をいくつつけても付けたりないお嬢様学校に乗り込んで、ある人物を連れ出してほしい、とのこと。戯言遣いでありながら言葉巧みに騙された<ぼく>は、後で<首吊高校>と呼ばれていることを知るその高校に侵入し、連れ出すべき人物紫木一姫との待ち合わせ場所へ向かうが…
そこからは、もはやめくるめく、目も眩むような、めざましいスピードで、物語が展開し反転していく。
何故か校内で追われている紫木一姫こと姫ちゃん。唐突に起こる密室殺人。次々に現れる、超一級の飛び抜け突き抜けた人格。繰り出される戯言。意味のない論理や理論。そうした、<ぼく>と赤い請負人と姫ちゃんを取り巻く、異常で異端で異界の「首吊高校」での、慌しくもとめどない時間の物語。
西尾維新の物語の本質がどこにあるか、はちょっと難しい。出てくる超絶の人格なのか、浮遊する数々の戯言なのか、あるいは物語の筋なのか。もちろんその全てなのだろうが、どれと言われると難しい。僕としては、あまりに後ろ向きで悲観的、逃げるために逃避し、無個性という個性を身に纏った語り部である<ぼく>のキャラクターが好きで、というか、似ているような気がして、少し吸い込まれそうで、魅惑的で魅力的で、そうした部分が好きなんだと思っているけど。
でも、文体の特徴はわかる。言葉の重ね合わせだ。ラップのように。その文体がビートを刻み、スリルを生み出し、テンポを紡いでいるのだろう。僕もこの感想でその文体を真似ようと努力しては見たけど、やっぱり難しい。
美麗で秀麗な論理的な文章の森博嗣や、圧倒的で暴力的な文章の舞城王太郎のように、陽気で明るい文章の伊坂幸太郎のように、文章を読めば作家を指摘できる文章だ。そして、僕はこの文章が嫌いではないし、というかとても好きだ。
今回も全二作同様見事に壊れ切っていて、最高です。こんな世界は嫌だけど、完全に否定してしまうのももったいない気がします。
でも、いくつか不満もあって、まずやっぱり表紙。僕はあまり気にならないけど、人前で読むにはなかなか勇気がいる人もいるんじゃないかな。ライトノベルではない、と僕は信じているけども…
あとは、人物紹介。抜き出して書いて見るけど、

哀川潤(あいかわ・じゅん)―請負人
紫木一姫(ゆかりき・いちひめ)―依頼人
ぼく(語り部)―主人公

市井遊馬(しせい・ゆま)―<ジグザグ>
萩原子荻(はぎわら・しおぎ)―<策師>
西条玉藻(さいじょう・たまも)―<闇突>

檻神ノア(おりがみ・のあ)―理事長

これほどに何の情報もない人物紹介表も珍しいと思います。まあそれはそれで作品の魅力ですけど。
表紙にめげず、否定や逃避もすることなく、是非とも読んでみてください。

西尾維新「クビツリハイスクール」



秘密(東野圭吾)<再読>

娘を妻として見なくてはいけない、あるいは、妻を娘としてみなくてはいけない―もしそんな状況にあなたが陥ったらどうだろうか?それが想像できるだろうか?
僕は結婚しているわけでも、もちろん娘がいるわけでもないから、どうやってもリアルな想像は難しい。それでも、本作を読んで感じるのは、平介のようになってしまってもおかしくないかもしれない、というものだ。
<運命は愛する人を二度奪っていく>
帯に書かれたこの言葉が、作品全体を象徴している。平介の、そして直子の生きてきた人生を思うと、何度読んでも涙が出てくる。珍しく僕が、読んで泣く本の一冊だ。「世界の中心で愛を叫ぶ」を読んではいないけれど、それに匹敵する純愛だ、と僕は思っています。
親戚の葬式に出るために長野の実家へ帰ることになった妻直子。向こうでスキーをしたいという娘藻奈美とともに、スキーバスに乗っていった。
平介はその日、直子が作り置いてくれた夕食を食べながらニュースを見ていた。まさか自分に関係あるとは思っていなかった事故のニュースが、その後の人生を大きく変えていくことになる。
スキーバスの事故。ニュースで「杉田」という名前を聞き、慌てて長野へと向かった。
病院に着くとすぐに医者に話を聞いた。直子の方は外傷がひどい。藻奈美の方は、外傷はないが植物状態になるかもしれない。どちらも危険な状態だ…
それでも、平介の祈りが通じたのか、妻直子は亡くなったものの、娘藻奈美は奇跡的に息を吹き返した…
その後藻奈美は入院したが、どうもぼんやりとしていて声を発しもしない。精神的なショックだと思われていたが、ある日見舞いに来た平介を呼び止めた藻奈美は、驚くべきことを口にする。
あたし、藻奈美じゃないの。直子なの―
体は藻奈美のものだが、心は直子なのだという。平介は彼女のいうことを信じ、それを世間に隠したまま生きることを選択した。
奇妙な生活が始まった。直子は<藻奈美>として小学校に通う。家に帰ってからは家事をこなし、妻として平介と接する。
問題は多い。直子の話し方はおよそ小学生らしくないし、勉強もある。平介の方も、性や再婚の問題もある。それでも二人は何とか新しい生活をはじめていく。
一方で、バス会社との補償交渉も始まる。梶川という、事故を起こしたバスの運転手の責任を追及する遺族会だが、平介はあまり熱心になれない。
帰りがけ、集まりの最後に謝罪に赴いた梶川の妻と出くわし、思いがけず彼女の家まで行くことになる。そこで、梶川は異常なまでの勤務をしているのに、家にはほとんどお金を入れていないことを知る…
こうして、二人の生活と、梶川との話を軸に物語進んでいく。直子の中学・高校・そして大学までを描いていく。
それぞれの時期で、お互いの気持ちは微妙に揺れ動きすれ違っていく。直子を「妻」と見るか、「娘」と見るか。平介を「夫」と見るか、「父」と見るか。平介は、直子を妻として接し、そのために再婚なども考えないが、一方で、新しい体を手に入れ、人生をもう一度やり直すことのできる直子に嫉妬している。一方の直子の方は、藻奈美のためにも、藻奈美の分まで、自分が頑張っていい人生にしてあげたい、と考え受験など勉強にも精を出すが、平介の考えも理解できるため思い悩む。
平介はどんどんエスカレートしていき、二人の関係はどんどん壊れていく。その過程が辛い。平介の視点で読んでいるから、そして俺が男だからそうなのかもしれないけど、少しはわかる。自分がそうするかどうかは別として、そうしてしまう心理はわからないでもない。
二人は紆余曲折を経て、お互いの心を傷つけ合いながら、色んな人に出会い、ようやく一つの決断を下す。そして迎えるラスト。
僕は、最後どうなるのかわかっていても、いつもこの辺で涙が出てくる。この場面のどちらの立場に置かれても、僕はとても辛いだろうと思う。この決断が正しいのかどうか、それは誰にも判断できない。けれど僕は、もうそれしかないだろう、と納得した。
僕はこの作品に対して、二つの希望がある。一つは、直子の視点からの物語を読みたい、ということ。もう一つは、その後のストーリーを読みたいということ。東野圭吾なら、いつかやってくれるんじゃないかと思っているけど。続き物に思わせずに続編を書いてくれるんではないか、と。
本作は、全然ミステリーではない。でも、主要なミステリー系のランキング10位以内に入っているし、日本推理作家協会賞も受賞している。というか、東野圭吾は本作でしか賞を受賞していない(デビューの江戸川乱歩賞を除く)。もっと色んな賞をあげてもいい作家だと思うのだけれど、いつも候補で終わってしまうのが残念だ。
「白夜行」はどうも女性受けしないようだ、と最近わかった。「秘密」はどうだろう。ある女性に貸した時は、平介という男目線がダメだったのか、あまりいい評価ではなかった。でも、やっぱり読んでほしい作品です。広末良子主演で映画になったけど、あまりいい評判は聞かないですね。やはり、原作を是非読んでみてください。

東野圭吾「秘密」




影踏み(横山秀雄)

僕らは、仕方ないとはいえ、人を見た目や立場で判断してしまう。色眼鏡で見てしまう。医者や弁護士だから安心だとか、犯罪者や浮浪者だからダメ人間だとか、そういう判断をしてしまう。それはそれなりに仕方のないことだと思う。
それぞれ理由がある。誰もが、認めたくはないかもしれないし、不本意かもしれないけど、自分の人生は自分で選び取っているわけだし、そこには、良し悪しきにつけ、理由がある。
もちろん、理由があれば犯罪をしていいのか、というわけではもちろんない。どんな理由があっても、犯罪を犯してはならない。それが、社会で生きていくためのルールだからだ。
それでも、やっていることは一緒でも、括りは同じでも、どんなに法が認めなくても、でも心情的に理解できる悪人というのは存在するだろう。
今回の主人公は、「ノビ師」。空き巣の一種で、家人が寝静まった夜忍び込み仕事をこなす。恐らく、「忍び込む」を略して「ノビ」なんだろう。
素直に、いい話だと思った。確かに、犯罪者だけれども、どこか芯が通っている。社会に対して(法律に対してというべきか)はまっすぐではないものの(むしろ、敢えて背を向けている)、自分や自分に属する者にはまっすぐいよう、という感じが見て取れる。
ある意味、「ノビ師」という職業だからこそできること、助けられる人がいる、という点では、清水の次郎長や、アルセーヌルパンに近いものがあるかもしれない。
「ノビ師」である真壁修一は、双子の兄として生まれた。弟と一緒に、ある一人の女性を好きになり、争った。女性は兄修一を選んだ。
弟は、受験に失敗したことがきっかけで空き巣になり、挙句捕まった。初犯ということで釈放になったのもつかの間、将来を悲観した母が家に放火。弟と共に心中を図る。助けようとして飛び込んだ父も死に、兄一人が残された。
その日、修一は法を捨てた。
大学の法学部に通い、弁護士資格も充分取れるだけの学力を持ちながら、修一は「ノビ師」になった。そして今では刑事の間で、「ノビカベ」とあだ名される程有名になった。
修一の耳の中には、弟啓二がいる。声だけの存在として二人は会話をする。弟と共に、昔取り合った女性久子を交えた三人が織り成す物語。
連作短編集という形である。さすがに短編作家としてデビューしただけあって、短編のキレが抜群にいい。それでは、それぞれの短編の紹介をしようと思う。

「消息」
刑務所からの出所。修一は、刑務所の中でもずっときになっていたあることを確認するために、新聞を捲る。
捕まった日のこと。いつものように夜忍び込んだ修一は、寝ずに起きていた女に見つかるも、彼女はなんの反応も示さない。急いで逃げるも、あっさり捕まった。
あの女は、旦那を殺そうとしていた。
そう結論付けた修一は、幼馴染の刑事や女の周囲を探るのだが…

啓二の記憶力の良さと、修一の頭の良さがよくわかります。本当に、「ノビ師」にしておくのがもったいないくらい。あと、出所後真っ先に久子の元へ行くのだが…

「刻印」
「消息」で出てきた、幼馴染の刑事が死んでいるのがみつかった。事故の可能性もあるが、修一は調べる。あの、旦那を殺そうとしていた女が関係しているはず、と踏んで。
しかし、どうやら女にはアリバイがあるらしい。しかも、とびきりの証人が。それでも修一は知り合いの元を回って情報を聞き出そうとするが…

やっぱミステリーだから、あんまり細かく書けないのが辛いところです。自分の文章を読んでいても、面白いとは思えないですね。
修一は見事刑事殺しの犯人を突き止める。ここでも啓二の記憶力が際立っている。そう、修一は初めの一度以来、久子の住む家には寄ろうとしない。

「抱擁」
久子は、修一と連絡を取りたがっている。新聞の尋ね人の欄に文章を載せたが、修一は連絡を入れない。
自分を追ってる探偵の存在を知り、依頼人が久子の友人であることを知る。修一は、署長の娘であるその友人に会うことに。
そこで、久子の勤める保育園で起こった、現金の盗難騒ぎの話を知る。久子が疑われている。少なくとも、同僚にそう思われている。それを知った修一は、真犯人を探そうと調べていく…

なるほど、という感じです。結末にしっくりきてしまうのは、やはり現実にそういう人を想像できてしまうからでしょうか?
久子の揺れる想い。啓二にも決断が迫られます。思わず、泣きそうになりました。

「業火」
この町で仕事をしている盗み連中が、悉く潰されている…そんな話を聞いたとたん、修一も襲われた。一瞬だけ形勢が逆転した時に聞いた「ジゴロ」の言葉と、盗みに入らなかったか、と問われた家。それだけを手掛かりに、修一は、何故自分がこんなめに遭ったのか調べていく。啓二が止めろ、と叫ぶほどに、修一は危ない橋を渡っていく…

修一は自分を曲げない。その裏に何かがあるのではないか、と思わせる程、自分の思ったことを貫く。どの世界でも生きていけそうな修一の強さを垣間見れます。

「使途」
刑務所にいた時の約束。サンタクロースをやってくれないか-そう頼まれた。
その男も「ノビ師」だった。毎年クリスマス、ある女の子にプレゼントを渡していたが、今年はこの通りつかまっちまって渡せない。これはノビ師にしかできない。頼む、引き受けてくれ-
その女の子の父親も盗みをやっていた。娘がねだるリカちゃん人形を盗み、警備員に見つかり、逃げる途中バイクに轢かれた。その一部始終をその女の子は見ていた…
修一はサンタを引き受けるが、「仕事」を終えたその時、警官らしき男に見咎められ逃げる。一体あれは誰だったのか…

一番いい話です。筋を通す男の優しさ、みたいなものが見えます。お勧めです。

「遺言」
一度会っただけの同業者が死んだ。意識不明だったが、その男は「マカベを呼べ」と何度も口走ったのだという。修一が見舞いに来たとたんに死んだ。
うわ言のように口走っていたスリ師用語。そん中男は、「父ちゃん、行っちゃやだよ、父ちゃん」とも言っていたらしい。修一は、一度会っただけの男に何故そこまで入れ込むのかわからないまま、その男の父親を探すことに…

修一は、かなり身を切って父親探しをする。たった一度会っただけの男のために。真壁修一という男の複雑さが見え隠れしています。

「行方」
ねぐらに久子がやってきた。相談したいことがあるのだという。
ストーカーのようなものに遭っている、という。お見合いして付き合うようになった文房具屋の男。真剣に付き合ってもいいと思っていたのだが、ある日デートに来たのは彼の双子の兄だった。修一と啓二のこともあって、双子を見分けるのは得意だ。
それきり、彼とは付き合わないときっぱり言ったのだが、それから嫌がらせをされるようになった、そう久子は言った。
と、その話をしているねぐらが火事に。必死で逃げる二人。放火だとわかった修一は、連絡のつかないという双子の兄を探すことに…

修一と啓二と久子。三人の抱えるものがここで集結し、終結する。そんな感じです。強がって自分から会おうとしない久子のために、修一は必死です。

どれも本当にいい話です。是非読んでみてください。

横山秀雄「影踏み」



姑獲鳥の夏(京極夏彦)<再読>

もし本作を、真相を含めて300字以内ぐらいで要約(あるいは紹介)しなさい、と言われても、読みたいと思わせるような文章は書けないだろうと思う。別に本作を貶しているわけではないけど、まずこの話を書きたい。
つまり、骨格は多少無理がある、と思う。どんなミステリーだって、ありえない偶然やありえない状況を含んでいるし、そもそも物語というものがそうだけど、でも本作は、いくら時代が時代だと言っても、やはりいろんな部分で設定に無理がある、と思うのは仕方ないと思う。
だから、結局こうでこうでこういう話なんだね、という風に本を読む人には向かないかもしれない。
本作は、果てしなく面白い。それはもう、長さを忘れるくらいに。これがデビュー作だなんて、そりゃあミステリ界も驚くだろう。それぐらいすごい。
だから、装飾的な部分が素晴らしいのだと思う。そういう、無理あるよな、とかいう設定も、全然いいやって思えてしまう。やはりそれは、登場人物のキャラクターであったり、京極堂の理屈っぽい話だったり、そういう様々な部分で面白さを引き出しているのだろうと思う。
何かの本に書いてあって、なるほど確かにと思ったのだが、京極夏彦の作品は、設定や文体は全然違うけれども、森博嗣に通ずる部分がある。舞台装置やキャストは違うけど、脚本家は同じ舞台を見ているような、そんな感じかもしれない。
いつもながら、前置きが長い。
話は、関口というしがない小説家が、ある話を仕入れてきたところから始まる。
20ヶ月も妊娠している女性が、ある産婦人科にいる、という噂。
その話を、古書店を営む偏屈な友人である京極堂(本名は中禅寺秋彦というが、皆彼のことを、古書店の屋号である京極堂と呼ぶ)に話したところ、脳や不確定性原理や意識や姑獲鳥という名の妖怪の話を経ながら、以前から異常な妊娠時期の長さは、鬼子を産むと言われてきた、という話になる。京極堂はとにかく、奇妙奇天烈な友人であり探偵の榎木津に相談するように関口に言う。
その忠告に従った彼は、ちょうどよく、その噂の女の姉という女性が榎木津に相談に来、探偵なのに調査や推理の嫌いな榎木津に変わり、依頼人の話を聞くことに。
噂はどうやら事実のようで、なんと、夫が密室から忽然と姿を消し、現在も行方不明。その後発覚した妊娠が終わらず、今もお腹が大きいままだ、という話。とりあえず関口は、探偵の榎木津と、京極堂の妹で出版社の記者である敦子とともに、産婦人医院を訪れることに…
とりあえずの情報を得たが五里霧中。知り合いが絡んできたり、関口が以前した行為が関わってきたり、とにかく調べれば調べるほど混迷の度合いが増していく…
最終的に、京極堂が出張り、得意の話術で憑き物落しをすることで事件は解決に向かう…
という感じです。
しかし、京極夏彦の作品は、本当にあらすじを紹介するのがかなり無意味な気がします。あらすじで書かれるようなところに作品の本質がない、という点が、他の作品との大きな違いと言えると思います。
不確定性原理の、「観測するという行為が結果に影響を与える」だの、鬼子が産まれると、異常妊娠だったという過去が、遡って形成されるだとか、そういう本筋とは思えない箇所も事件に絡んできます。特に、不確定性原理と事件の絡ませ方に、僕はある意味感動しました。
また、霊や超常現象、妖怪や宗教といったものについての京極堂の説明が素晴らしい。僕らは、例えば妖怪というものを、昔の人のただの空想だとか、そういう風にしか捉えられないけど、そうではない。妖怪というのはシステムであって、それぞれに機能がしっかりと定まっている。読み解く力がないために不思議なものに見えるだけで、

「この世には不思議なことなど何もないのだよ」

そう。それが京極堂の口癖である。
つまり、京極堂のやり方(つまり事件の解決のさせ方)というのは、解体であって、個人や、時には集団が抱くなんらかの<呪い>を読み解き、それを粉骨砕身にすることで、霧を晴らす、という感じだろう。
京極夏彦の作品を読むと、色んなことに対する自分の解釈や理解がより鮮明になるような気がします。それも面白いです。
そう、言い忘れましたが、妖怪は登場人物としては一切出てきません。僕は京極夏彦の作品が、「妖怪小説」と紹介されていたから、てっきり妖怪が出てくる話なんだと思って避けていたわけです。そういう人は少なくないと思います。
是非、そんな誤解を抱かず、長さにもめげず、京極夏彦の作品を読んでください。映画にもなるみたいで、実はちょっと、というかかなり不安だけど、でもそれで小説に興味を持ってくれるならいいかなと思います。

京極夏彦「姑獲鳥の夏」


姑獲鳥の夏ノベルス

姑獲鳥の夏ノベルス


姑獲鳥の夏文庫

姑獲鳥の夏文庫


姑獲鳥の夏分冊文庫上

姑獲鳥の夏文庫上


姑獲鳥の夏分冊文庫下

姑獲鳥の夏文庫下

フラグメント(古処誠二)<再読>

「学校」という世界がある。生きていれば、大抵の場合通過しなくてはならない世界である。産道のようなものかもしれない。産まれ出るのに産道を通らなくてはいけないように、大人になるのに、あるいは、生きていくのに、「学校」という産道を通過しなくてはいけないのかもしれない。
理不尽な世界だ。そこには、社会の縮図がある。そこは、経済活動も政治活動も行われることはないのに、れっきとした力関係が存在する。その温床がある、と言っていい。もちろん、全ての「学校」がそうだ、というわけではないが。
もはや、指し示す幅が広がった感のある「いじめ」という言葉。既に、「暴力」「恐喝」、と表現してもいいものでさえ、それが未成年によるものだから、あるいは、「学校」という社会で起こったものだから、というだけの理由で、「いじめ」と呼ばれることになる。
親を選ぶことができないように、学校の環境も、自ら選ぶことができない。変えたい、という意思は、教育制度の腐敗という、国全体の問題の前に、虚しく消えていく。
教育という言葉の意味を勘違いし、学校に全てを押し付け、問題があると学校の責任を追及しようとばかりする親。指導力を疑われまいと、保身に努める教師。「学校」という檻の中で全てをうやむやにしたい、と考え、建前や正論で取り繕うとする学校。そして、その全てを利用し、「学校」という社会を力ずくで配下に置こうとする一部の生徒。
教育現場での様々な問題がニュースで流れ、その度に騒がしいマスコミも、一旦熱が引けば撤退は早い。その熱しやすく冷めやすい性質に、そして、重い腰を未だに上げようとしない国の怠慢に、教育現場は救われているのだろう。
風穴は絶えず開く。開く度に、その穴を塞ごうと努力してきたお陰で、穴を塞ぐ技術は洗練された。しかし、何故穴が開いたのか、その原因を取り除こうという動きは、その歩みを遅くしたとしか思えない。
前置きが大分長くなったけれども、本作の紹介をしようと思います。
宮下という友達が、自殺名所で死体で見つかった。城戸という、学校の悪いグループのトップとのいざこざが噂され、自殺と主張する声もあったが、事故という方向で捜査は進む。学校側の保身の表れである。
その宮下の葬儀に参列することになったクラスのメンバー。当初、親しい人間だけで行こうと考えていた相良だったが、担任教師の塩澤が割り込み、クラス全員での参加となった。
塩澤は、宮下と仲の良かった相良・早名・香椎、宮下と仲の悪かった城戸・小谷、そして大塚というクラスメートを自分の運転する車に乗せ、宮下家に向かうことになった。
最後の同乗者、城戸のマンションへ車は向かう。地下駐車場に車を入れ、相良と小谷のいざこざなどに時間を取られている中、突如信じられない激しい揺れを感じる。
東海大地震。その果てしないエネルギーの前になすすべなく、気がついたら彼らは、
マンションの地下駐車場に閉じ込められていた。
車の車内ライトを消せば辺りは真っ暗。水は、塩澤が飲んでいたペットボトル入りのもの一本。天井は上からの重みでたわんだようになり、柱はぐにゃりと曲がっている。そんな環境の中、やはりというべきか、城戸の側と相良の側で対立が起こる。
そんな極限状況の中、城戸の死体が発見される。塩澤は、余震による瓦礫の崩落の事故だ、と主張したが、他の誰もが、誰かに殺されたのだと思っている。しかし、そうなると疑問が。犯人は一体何故、この真っ暗闇の中、一撃で城戸を殺害することができたのだろうか?
立場的に孤立した小谷が発狂し、車に立てこもる。塩澤は、あの暗闇の中殺人は不可能だ、と皆を納得させ、小谷を落ち着かせようとするもまったく効果がない。
そしてさらに…
物語は、とても悲しい。いじめ、という、こう言ってはなんだけどありきたりの題材を、地震による極限状況での殺人、と結びつけた構成は見事で、その場での彼らのやり取りや思考が、とても緊張感がある。
真相は、いつだって誰かのためになるようなものではない。暴く側も暴かれる側も、時になんのために自分が真相を知りたいのか、見失うこともあるだろう。結局暴かれることになる真相は、やはり誰にとっても悲しい、理不尽なものだった。
本作が、現実離れしているとは言いがたいと僕は思う。特異な設定を抜きにすれば、これぐらいのことは、今の現場では日常的に起きてしまっているのではないだろうか。誰もが見ない振りをし、ただ無事に通り過ごすことだけを考え、その積み重ねの中に悪事が隠される。その理不尽さは、教育現場というそのものの理不尽さに紛れ、誰にも本質は見えなくなっていく。そう、本作のように、深い視点をもったジャーナリストが現われでもしない限り。
僕は幸いにも、いじめられたり、いじめを強要されたり、そういった過去はない。ありえたかもしれない本作のような世界と比べたら、格段にいい環境だったといえるだろう。
でもこれは、僕が努力した結果では決して無い。たまたまいじめの無い学校に入学し、たまたまそういう悪い人間がおらず、たまたまそれなりにいい教師にめぐり合った。そういう、偶然の連続の先にしかこの結果はない。ふとした不幸から僕がそうなっていた可能性は、全然否定できない。
今も、昔に比べてさらに格段にひどくなった、もはや「いじめ」という言葉の領域を越えた行為が、「学校」という監獄の中で繰り広げられていることだろうと思う。日常的にそれを思うことは無いけれども、こういう作品を読むと、その時ぐらいは頭によぎる。
この作品は、大部分が地下駐車場ないでの出来事が描かれています。しかし、テーマ的には、教育現場の理不尽さが描かれていると思います。本当にいい作品だと思います。是非読んでみてください。

古処誠二「フラグメント」




グラスホッパー(伊坂幸太郎)

伊坂幸太郎の紡ぎだす物語は、バスタブの排水口か、宇宙の創世期のようだ、と思う。さて、意味不明だけど、この話を先にしよう。
バスタブに、少しずつ小さくて軽いボールを置いていく。無秩序に、ルールなく、規則性はあまり見出せない。水はまだなく、ボールは浮いてはいない。床を埋め尽くすほどではないけど、でも徐々にボールの密度が上がっていく。規則性はそれでも見出せない。
そこに、突然蛇口から水が注ぎ込まれる。軽いボールは水に浮き、小さなボールは、水と排水溝の作り出す渦に巻き込まれて、規則性の見られなかったボールは、次々に排水溝に導かれ吸い込まれていく。
水が注ぎ込まれるまで、排水溝がどこにあるかわからない。それがいさか幸太郎の物語と言えるだろう。
ビッグバンにより、様々な原子ができ、光が充満し、気体や固体が形成されていく。岩のものが空間に散見し、意味もなく、理由もなく、ただそこに、存在している。
そうした岩のような固体が、何らかの理由と力により、突然集まる。ぶつかって反発して離れたりくっついたりを繰り返す。そうして、星ができていく。
その、星のできる唐突さと、星という結果が、伊坂幸太郎の物語といえるだろう。
伝わったかどうか自信はないけど、つまり、無秩序に散らばったいくつもの伏線が、時と共に、捲るページとともに集まり、収束し、完結する。これぞ小説(あるいは物語)の力だ、と大声で叫びたくなってくる(そんなことしないけど)。
話は、「鈴木」「鯨」「鮫」の三つの章で進行する。章の名前は、それぞれの主体の人物の名前。まあそれぞれの話を分けて書いていこう。

「鈴木」:妻を亡くした、元教師。妻は車に轢かれて死んだ。事故ではない。寺原という、<令嬢>と呼ばれる会社の社長の馬鹿息子に、遊びで轢かれて殺されたのだ。鈴木は、復讐のために、<令嬢>に潜り込み、必死で仕事をして一ヶ月。
疑われていた。儀式と称して、人を殺すように言われる。車の中。銃を突きつけられ、妻を殺した寺原の息子が来ると言われる。
が、その寺原息子が、車に辿り着く前に、車に轢かれる。誰かに押されたようにも見えた。<令嬢>の社員に、あの男を追ってと言われて、鈴木はわけもわからず追うことに。「押し屋」と呼ばれる、業界でも有名だけど情報のない存在。「押し屋」かもしれない男を追跡する鈴木には、なぜか「押し屋」の家族と戯れることに…

「鯨」:「自殺屋」と呼ばれる、自殺のプロ。依頼されれば、どんな人でも自殺させる。彼の目がそうさせる。誰もが、そこまで強要することなく、勝手にと言っていいくらい、誰もが死ぬ。
梶という政治家の秘書を自殺させる仕事中。秘書は死んだが、そのホテルの部屋で、鯨は事故を目撃する。現場から逃げようとする一人の男。彼は思い出す。後悔という言葉と共に思い出す、「押し屋」という存在。
鯨は、幻覚を見る。今までに自殺させてきた人々が、亡霊となって彼の前に現れる。痛みと共に見る幻覚に彼は悩まされている。
寝起きしている、浮浪者のコミュニティで、田中という男に出会う。田中は言う。今の仕事を辞めなさい。亡霊に悩まされていますね。清算です。
その言葉で、また「押し屋」を思い出した彼は、ふと繋がった「押し屋」への線を手繰っていく…

「蝉」:殺し屋。岩西という男が取ってきた仕事を蝉が実行する。岩西と蝉しかいない、業界ではかなり零細で、頼まれたら何でもやる。
一家惨殺っていう一仕事を終えた蝉に、立て続けに岩西が仕事の依頼をする。梶という政治家から、ある男を殺してくれと頼まれたのだという。今業界は、寺原と「押し屋」で大混乱で、だから俺らのような零細に頼んできたんだろう。これはチャンスだ、とそう蝉に言う。
蝉は、約束の場所へ向かうが、遅刻してしまう。そして何故か、蝉自身も、「押し屋」騒動に首を突っ込んでいくことに…

「押し屋」を巡る騒動に、誰もが巻き込まれていく。そう、先の例でいうなら、ある意味「押し屋」が排水口だろう。わかんないけど。
今回の物語では、色んな人が、あっさり、主義主張無く、仕事と割り切って、人を殺したり人を痛めつけたりする。でも、全然悲壮感とか罪悪感とか喪失感とか、全然ない。別に人の死を軽んじているわけではない。そういう、軽さに不快感を感じることもない。そんな人もばんばん死んでいるし、誰かが傷ついているのに、いつもの伊坂幸太郎の物語のように、陽気で軽快に進んでいく。面白い。
しかも、殺し屋とかばっかでてくるのに、そういう人でさえ人間らしい。優しいとかいうわけでもないんだけど、現実の人間よりもより人間らしいというか。
伊坂幸太郎の物語に出てくるキャラクターは、どんな立場にいても、結局悪い人間には描かれない。もちろん、悪くない人間ばかりじゃ物語は成立しないけど、そういう役回りの人間でも、ああ、それなら許せるとか、その点だけは素敵だ、みたいな、そういう部分が必ず描かれる。キャラクターの誰もが、著者に置き去りにされていない、というか。伊坂幸太郎は、登場人物の誰にも優しい。
もう、この作品だけでなく、伊坂幸太郎の作品はどれもいい。是非読んでください。

伊坂幸太郎「グラスホッパー」



今夜はパラシュート博物館へ THE LAST DIVE TO PARACHUTE MUSEUM(森博嗣)

短編、というものについての簡単な考察を書こうかと思う。まあ、考察と呼ぶほどのものでもないけど。
短編は、いかに書かないか、が重要なのだろう、ということです、つまり。短い構成の中に、いかに詰め込むかという発想ではない。詰めて詰めて短くするのではなく、いつの間にか短くできている。詰め込むために書かない、という作られ方をしていないのだろう、と思います。書かないから短くなる、という、言葉にすれば自明のことが表現として形になったものが短編だろう。
まあ、だからどうということはありません。ただ、長編作家の書く短編は概ね、やろうと思えば長編でもできることを短くして短編で書いているんだな、と思うものが多いのに対して、森博嗣の短編は長編とは明らかに何かが違う、と思うわけです。
森博嗣の短編はなかなか奥が深いと思います。容易ではない。本当に書かれていないから、自分がどの方向にベクトルを伸ばすかで、物語が変わる、といっても大げさではないかもしれないです。
全てがいい、とはさすがに言えないけれども、長編とは違った、森博嗣らしさとでもいうものが凝縮した作品が8編。それぞれを紹介しようと思います。

「どちらかが魔女(Which is Witch)」
特に理由もなく、突然開かれる西之園萌絵によるパーティに、いつもの面々が集結。睦子・犀川・喜多と、大御坊とその友人木原というメンバー。いつもと違うのは大御坊。超絶的に普通の格好で普通の話し方をする彼に周囲は多少困惑。
大御坊と木原が、学生時代に経験した話をし始める。ともに、誰かから付け回されていたという。怪しげな予言をする占い師や空間を飛翔する女の子の話を聞かされ、何が問題なのかわからないまま回答するように求められ、萌絵は困惑するが…諏訪野が謎を解いてしまう、というミステリィもあるお話。

話自体はそこまで大したことはないけど、大御坊のサイドストーリーだと思えば面白く読めると思う。
僕としては、犀川の出した「何故キリストの絵の胸に本物の釘が刺さっていたか」という答えを是非知りたいのだけれど…森博嗣は、意図的に問題を出しっぱなしにすることがよくあるから、うーん、それは少し困る。

「双頭の鷲の旗の下に(Unter dem Doppeladler)」
犀川と喜多の出身中学で、学園祭と平行してある建築関係の講演会が行われるということで、犀川・喜多、そして萌絵・国枝がやってくる、という始まり。
時は少し遡り、学園祭前日。窓ガラスに、銃を乱射したような丸い穴がいくつも空いているのが発見される。いったい誰が何のために…
その謎を、少しだけ犀川が解説する、という話。

これも、話自体はそうでもないけど、ある人物のサイドストーリーとして楽しめると思います。
それにしても、SとHとFって…。SとHはあれなのかと思ったけど、でもそうだとするとFって…?まあ違うのかもしれないし、その辺はかなり曖昧だけど…

「ぶるぶる人形にうってつけの夜(The Perfect Night for Shaking Doll)」
N大である噂が進行中。夜構内で、「ぶるぶる人形(実は名前は統一されていなくて、この他にも数多くあるのだが)」と呼ばれる人形が目撃されているのだという。レポート用紙を人の形にちぎったもので、手足を動かしてダンスする。しかし、近づくと燃えてしまう、とそういう噂である。
小鳥遊は、乗り気ではなかったが、フランソワと名乗る女性(後に西之園と名乗るが)に説明会に誘われ、香具山との約束もあって成り行きで「ぶるぶる人形追跡する会」に参加することになったのだが…

ストーリー自体は、なんのこっちゃって話ですね。ぶるぶる人形がどうしたんだ、という感じですが、まあ西之園と小鳥遊ですからね…まあ、そう、ここには書きませんけど…

「ゲームの国-名探偵・磯莉卑呂矛の事件簿1-(The Country of Game)」
探偵磯莉卑呂矛とその助手メテ・クレモナが、ある島に呼ばれた。何でも、以前に大量殺人を犯し、死刑になった男が謎の言葉を残していて、その娘が失踪している、という話を聞かされるものの、何をすればいいのかはよくわからない。
島には、奇妙な名前を持つ奇妙な住民が数多くおり、探偵は言葉遊びをしながら島での生活を送る。
そんな中、密室殺人が起こる。入ったはずの部屋とは別の部屋で見つかった死体の謎に、探偵の導き出した答えとは…

これは、無茶苦茶ですね。でも、まあ森博嗣だから全然許しますけどね。完全に、遊んで書いたんでしょう。

「私の崖はこの夏のアウトライン(My Cliff is the Outline against this Summer)」
ある崖っぷちにいる男。階段があり、そこを降りていくと、少し広い岩の上に男がいる。自殺志願者かとも思ったが、どうもそうでもなさそうだ。
その男は、身の上をを話し始めた。仲のよかった女の先生がここから心中自殺を図った話だ。心中のはずが、男の方は生き残ったのだという。今も生きていて、半身不随の車椅子の生活。片目を失明したという。
死にたかっただろうに…。誰かの目が見る後悔の世界。

かなり説明が難しい話だけど、結構好きです。情景が綺麗だと思います。もちろん、完全に理解できているとは言いがたいけど。

「卒業文集(Graduation Anthology)」
若尾満智子先生の受け持つクラスの生徒の書いた卒業文集だけで構成されている異色作。皆若尾先生のことが大好きで、先生に対する感謝が綴られている。これ以上の説明は難しいので、読んでください。

一番好きな話です。うまく説明できないけど、なるほど、という感じです。どうなるほどなのか説明するのは難しいんだけど。いい話です。

「恋之坂ナイトグライド(Gliding through the Night at Koinosaka)」
昨日出会って明日には別れなくてはいけないカップル。最後の時をどこで過ごそうか。そういえば、誰かが恋之坂でのトリップは最高だとか言ってなかったか?ちょっといってみよう。
死んだ男の靴が、手の届かない庇の上に揃えられていた、という謎を耳にし、彼らは風の吹き抜ける恋之坂でゆったりとした浮遊を楽しむ…

正直、どんな話なのか掴めてないです。でも、よくわからないけど、嫌いではありません。自分の中で、こうなのかな?というぐらいの曖昧な理解が残っているだけだけど、それを楽しむ物語なのかもしれません。

「素敵な模型屋さん(Pretty Shop of Models and Toys)」
模型が大好きで、でもお小遣いでは段々欲しいものが買えなくなってきている少年。近くに何でも揃っている模型屋さんがなくて、彼はいつも残念に思っている。
彼は常に、理想的な模型屋さんの夢を見る。どんな工具も部品も揃っていて、天井からは模型が吊られていて、店の主人は店の奥で、客に構うことなく工作を続けている、とそんな模型屋さん。
あるとき、彼の一家は引越しをすることになった。荷物が片付いてなく近づけなかった地下の扉をあるとき開けてみるとそこには…

きっと、森博嗣自身のことが書かれているんでしょうね。少年時代に実際に見た夢か何かが発想の根底かもしれません。そんな想像ができる、という点がこの物語の面白いところだと思います。

そんな感じです。
それではいつものを。

(前略)たとえば、信号を赤か青かのどちらか一つのライトだけにする必要があれば、工学者は間違いなく青いライトを選ぶだろう。何故なら、万が一、電球が切れたときに、「停止」の意味になるからだ。逆に赤いライトを用いた場合は、危険な事態を招く。これが安全側のデザインと呼ばれるものだ。
(後略)

(前略)
「世の中、いつもいつも、すぐに答えがみつかるわけじゃないんだよ」犀川は淡々と話す。「どれだけ沢山のものを保留にしていられるかが、重要な能力の一つだ」
(後略)

「(前略)さっきも言ったように、世の中に存在する問題の大半は、問題自体がどこにあるのか、何が問題なのか、ということが明確に提示されない。それが最大の問題なんだ。(後略)」

(前略)
「先生も飲まれます?」
「今、コーヒーを頼んだばかりじゃないか」
「諏訪野がコーヒーを持ってくると思います?」
「え?」
(後略)

(前略)若い頃ほど、納得することに飢えている。何故だろう?おそらく、数々の《納得》によって自分が成長してきた余韻にまだ酔っていられたからだ。それにしても、人間の興味が、歳を取るにしたがって、さまざまな方面から撤退することの凄まじさ。まるで、死に急ぐそうな、素早さ。
(後略)

(前略)人間にだけは歴史がない。すべて、人間が作ったものなのに、人間が邪魔になる。
(後略)

(前略)
最近、スター・トレックのビデオを、同じ講座の友人から借りて見たばかりだった。そこに登場するデータという名のアンドロイドが、国枝桃子助手のイメージに恐ろしくぴったりなのである。(後略)

(前略)「でも、形以外に、見えるものは、この世にないのよ」
(後略)

(前略)
「笛が鳴る手、ベニス」
(中略)
「目は形見つつ…、死体セット」
(中略)
「わしゃ食うが座らない」
(中略)
「切って苦、死して邪気」
(中略)
「胃・うどん・財布」
(後略)

(前略)
つまり、理由なんてものは、あとから近い言葉を適当に見つけて、それと交換した代用品なのだ。本ものとはずいぶん違う。(後略)

(前略)単純なものは、最初から大きい。複雑さを捨てて大きくなったのだ。
(後略)

(前略)
「事実かどうかが問題なのではありません。僕は、それを信じている。それがすべてです」
(後略)


森博嗣「今夜はパラシュート博物館へ」



人形式モナリザ Shape ot Things Human(森博嗣)<再読>

人形。人の形を模したその無機物は、生命を宿してはいない。肢体は空間に固着され、意志を持って動くことはない。表情が変わることも、声を出すこともない。それが人形。
しかし、それでも僕たちは、人形の中に生を見る。人形を見て、鏡を見ていると僅かに錯覚する。その錯覚のために、幾多の人形師が、人生を賭けた、と言ってもいいかもしれない。
生きていないのに生きている。
生きているのに生きていない。
人の形の中に個人がいるわけではない。生命も人格も、どんな形にも宿る。
しかし、人は人の形を模すことで、その中に生命を見ようとしたのだろう。自分と同じものを作りたいという欲求。その無邪気な好奇心が、どこからか神や悪魔に反転したのかもしれない。
よくわからないことを書いたけれど、僕はこの作品が好きです。本作は、人形というものに彩られている。そうした、何か明確な筋というか幹というか、まあテーマと呼ばれるものがある物語がいいと思う。特に森博嗣の作品では。
小鳥遊が友人とともにある民宿でバイトをすることを聞き込んだ香具山が、瀬在丸や保呂草とともにただで泊まれるように計らってもらったところから物語は始まる。民宿を初め、近くに美術館や人形館などを細々と一族で経営している岩崎家と大河内家。複雑な人間関係である。
香具山と保呂草が美術館に行くと、ちょっとした盗難事件があった。美術館内のある一枚の絵が盗まれたという。モナリザを模したその絵には、しかし特別な価値があるようにも思えない。そんな小事がある。
いつものメンバーが、人形による演劇に呼ばれる。第一部は人形を操っての舞台。第二部は、人間が櫓から糸で人形のように操られる、といった趣向の舞台。それを鑑賞していると、舞台から悲鳴が上がる。
人形役をしていた女性が突然倒れた。偶然居合わせた愛知県警の林とその部下の祖父江の指示で、建物の出入り口が封鎖される。
櫓の上で糸を操る役の女性を心配した一行は櫓に駆け寄って見ると、車椅子に座った女性がナイフで刺されて死亡していた。
推理を兼ねたディスカッションがよく開かれる。瀬在丸と祖父江のやり取りもよく行われる(というのも複雑な事情があり、瀬在丸が離婚した元夫の林は、部下である祖父江と付き合っている。林は、どちらの女性とも子供をもうけている。といった具合で…)そんななか、瀬在丸の身にも危機が…
といった具合。
トリックというか、物語の骨子というか、そういう点はまあなんというか、悪くいえば単純というか、普通と言われても仕方ない感じだけど、でもそれを取り巻く装飾がしっかりしているから、僕には全然気にならない。
人形に対する考察や瀬在丸の思考。最後のモナリザを追い求めるという趣向。悪魔と白い手。瀬在丸と祖父江と林。犯人の思想。そういったいくつもの装飾が見事に溶け合ってカクテルとなって言葉や文章や構成に攪拌されているから、僕はこの物語が好きだ。
最後のモナリザを探す趣向はかなりいいと思う。それを知ってタイトルに納得し、その発想に脱帽する、みたいな。前作の「黒猫の三角」でも少しだけヒントが出てたし、うまいと思う。
人形というものに対する瀬在丸や保呂草の視点も面白い。人形劇を見ている時、初めは後ろで操る人物を見ている。しかしその内自分が、人形だけを見ていることに気づく。そうしてまた後ろの人物を見る。その繰り返し。そういう視点を知って、なるほど人形劇も面白いのかもしれない、と見てもいないのに妙に納得したものです。

誰が僕を操っているのか。
誰が僕を騙そうとしているのか。
誰が僕を生かしているのか。

ただ、「ラストの一行で、読者を襲う衝撃の真実!」と背表紙にあって、でも僕にはどうもイマイチぴんとこないというか。なんとなくはわかるんだけど、でもちゃんとわかっているか自信がない。
森博嗣の作品は収束も完結もしない、といつも書いている気がするけど、本当にそうです。ピリオドを打つのは著者ではなく、読者なんだ、という物語です、きっと。つまり、どう納得させるかではなく、どう納得するか。そして、ピリオドの向こう側へは、ピリオドを打った人間しか行けない。
僕は、ピリオドすら打てていないだろうな、と思う。きっと世の中には、ピリオドを打てている人も、その向こう側へ行けている人もいるんだろう。それはかなり羨ましいし、意見を聞きたいとも思う。
しかし、それでも、著者に漸近できるだけで、同じ位置に立つことはできない。森博嗣はそういう存在だし、そういう存在であってほしいと僕は思います。
それでは、いつものを。

(前略)
人は、生きている他人を見て「生」を感じる機会は少ない。それなのに、人形にそれを見る。
(後略)

(前略)人間の生活に直接関わらない、換言すると「役に立たない」人工物は、それが物体であれ情報であれ、目的物であれ手法であれ、ほぼすべて悪魔と神に関わっているからだ。(後略)

(前略)
失われることは、悪いことではないのだ。
削り取られて、そこに形が現れることだってある。
万が一にでも、美しい形が生まれることがあれば、尚更だろう。
その希望こそが、生きる動機ではないか。
(後略)

(前略)
「はい、少しでも価値のあるものは全部持っていかれてしまいましたの」紅子はそう言ってから振り返り、微笑んだ。「だけど、本当に価値のあるものは、誰も気づきませんでしたわ」
(後略)

(前略)
人形以外に、存在しない。
人は消失する。
(後略)

(前略)
「ようするに、悪魔だの亡霊だのってのは、人形みたいなもんで、後ろに必ず操っている人間がおるんよ。それが見えんようになってしまういうのが、つまり宗教やん。あるいは、教祖様みたいに自分を人形と化して、誰かに操られているような振りをしたりもしちゃうわけだよ。(後略)」

(前略)
そうか、大人になってもやっぱり、誰かが誰かを泣かしているんだ、と彼は思った。
(後略)

(前略)「所有したい、よりも、知りたい、の方がより人間的だ」
(後略)

(前略)
靴を履いてきたかしら、と心配になって足もとを見る。
生きているのかしら、と心配になって胸に手を当てる。
いつの間にか、靴を履いていた。
いつの間にか、生きていた。
(後略)

(前略)
自分は人形かもしれない、と一瞬思った。
見えない糸が、
空の彼方から、
宇宙の彼方から、
自分を操っているのかもしれない。
その糸が通る小さな隙間が、光って見える。
人の数だけ空に穴が空いているのだ。
(後略)

「(前略)言葉こそが、悪魔であり、神であり、私たちの罪でもある。でも、そこにしか、真理はないのよ」
(後略)


森博嗣「人形式モナリザ」





黒猫の三角 Delta in the Darkness(森博嗣)<再読>

さて、今さらながらVシリーズ一作目の紹介。
シリーズ一作目には普通やらないトリックが使われている、とだけ言っておこうと思う。
さて、シリーズの一作目の紹介なので、人物も簡単に紹介しておこう。
元華族だか貴族だかで、今は没落した、無言亭という建物に住む瀬在丸紅子とその息子と執事。その近くにあるアパート阿漕荘に住む、探偵・便利屋の保呂草潤平、女子大生の香具山紫子、女装趣味のある医大生小鳥遊練無。瀬在丸の元夫である刑事林。こういった面々がシリーズの中心人物になる。
今回は、桜鳴六画邸という、元々は瀬在丸が住んでいた建物であり、今は小田原長治という数学者が所有する建物(この敷地内に瀬在丸の住む無言亭がある)で、小田原長治の娘の誕生パーティが舞台の中心である。そこに瀬在丸と香具山が招待され、ある依頼を受けた保呂草と、保呂草の手伝いに雇われた小鳥遊が屋敷周辺を監視することになった。
保呂草に依頼をしたのは、パーティの主役である長治の娘。那古野市では、一年に一度ある法則に則った連続殺人が起きており、日にちも条件も私に当てはまる、ということで護衛を保呂草に依頼したのだ。
当日。トランシーバーで連絡を取り合う三人。依頼人は一人で部屋に入ったまま出てこない。不信に思って部屋に入ってみると、依頼人は首を絞められて殺されていた。
ドアはパーティ会場に面していて、大勢の目があった。窓は見張っていた保呂草と小鳥遊が、誰も出入りしていないと主張する。秘密の通路などは発見されず、完全な密室状態。
少しずつ大したことのないことは明らかになっていくものの、事件の謎はまったくわからない。その内さらなる被害者が…
という感じです。
僕は、Vシリーズは、シリーズ単体としてはそれほど評価していない(他シリーズとの関わりではかなり評価しているけれど)のですが、何作かは好きな作品があります。本作はそのうちの一つです。
もちろん、初めにこれをやるか、というサプライズ的な部分もかなりいいんですが、輪郭の曖昧な、それでいて形ははっきりしているというか、そういうなんとも言えない犯人の思想が好きなわけです。まあある意味犯罪を犯した「動機」的なものですね。理解できないけれども、理解しようとする行為が、あるいは理解できたという錯覚が、何か意味を持つんではないかと思わせるような、そんな感じがします。
黒猫のデルタや、林選弱桑や、そういった関係ありそうでなさそうで、というアイテムも盛りだくさんで、そういうところも好きです。ミステリだからといっていろんなことを確定したり終結させたりしていない、という点が森ミステリの特徴だと思います。読めば読むほど発散していくような印象です。
犀川や真賀田四季のような、示唆のある含蓄深い台詞や思考は少ないような気がしますが、犀川や萌絵並の強烈なキャラクターはまだまだ健在だと思います。第一作目にやってのけたトリックとともに、楽しんでください。
それではいつものを。

(前略)
「遊びで人を殺している、とおっしゃるのですか?」
「遊びで殺すのが一番健全だぞ」紅子はこともなげに答える。「仕事で殺すとか、勉強のために殺すとか、病気を直すためだとか、腹が減っていたからとか、そういう理由よりは、ずっと普通だ」
(後略)

(前略)
「ええ、考えておきます」紫子はようやく返答の言葉を思いついて答えた。それは関西では「あきまへんな」と同義語だ。
(後略)

(前略)「それまで別々の惑星に住んでいた宇宙人が、あるとき、ちょうど中間のある惑星で会うことになったのよ。ずっと電波で交信はしていたから、時間と場所をちゃんと打ち合わせて、それぞれの代表者が一名やってきたの。それでね、二人は、同時に同じ場所に立った。それなのに、あら不思議、二人とも、お互いを見つけられないまま、ついに会えなかったのでした。さあて、どうしてそんなことになったのでしょう?」
(後略)

(前略)
「正義って、煙草と同じね」
(後略)

(前略)
「理由は必ずある」紅子は頷きながら言った。「ただし、その理由が、言語として他人に伝達可能かどうか、あるいは、たとえ伝達可能であっても、他人の共感を得られるかどうか、という問題が残るだけなの」
(後略)

(前略)「他人に認識してもらえることが、そんなに嬉しい?道路標識じゃないんだからさ」
(後略)

(前略)「きっと、昔の日本にはなかった言葉なんよ、自由って。だから、使い方がようわからんうちに、広まってしもうたん」
(後略)

(前略)
「僕がどう思ったかなんて無意味だ」保呂草はまた微笑む・「僕は猫を殺した。それが現象であり、現実です。つまり、それが全てなんです。そのとき、どんな気持ちで僕がそれをしたのか、それは僕の体内の、非常に局所的な一瞬の状態にしか過ぎません(後略)」

「(前略)いずれにしても、失敗しないと、甘えられないんですよね」
(後略)

(前略)
「貴方は、言葉を駆使して、自分の歩いてきた道の舗装をされているだけよ」紅子は保呂草を真っ直ぐに見据えて言う。「貴方は、後ろ向きに掃除をしているだけ」
(後略)

(前略)
「人を殺すには、それなりの理由がある、我慢ができない欲求なのだ、という幻想を社会は勝手に作り上げています。これは、とても興味深いシステムです。何だって、そんな不思議なルールを考えついたのでしょうね?」
(後略)

(前略)
「理屈を求めることが、あるときは、思考を狭めるのよ」紅子は優しい口調で言った。「最先端の自由な発想とは、理由も、言葉も、理論も、まだないところへ飛ぶことなの。そこへ飛躍できた人だけが、そのインスピレーションを掴むことができる。それを凡人が、あとから丁寧に理屈をつけて、そこまで行ける道を作るわけ」
(後略)

森博嗣「黒猫の三角」





φは壊れたね PATH CONNECTED Φ BROKE (森博嗣)

さーて、森博嗣のシリーズを、第一作目で判断する、というのはよろしくないでしょう。それは充分にわかっています。森博嗣のシリーズは、伏線が大分先で結実したり、先のシリーズとの関わりが急に出てきたり、とそういうサプライズに満ちているからです。
ただ、敢えてこの第一作目だけの感想を書くならば、森博嗣ならもっとやれるだろうに、という感じです。なんというか、うまくは説明できないけど、地味になった、という感じがするわけです。
まずは内容に触れましょう。
矢吹早月は、友人の舟元茂樹の家に遊びに行った。その舟元が酒を買いに出掛けた時、部屋に女性の二人組がやってきて、合鍵で上の部屋を開けてくれ、という。どうやら舟元は、臨時の管理人代行だったようだ。舟元へ連絡し、了解を得てから鍵を開ける。矢吹はそのまま舟元の部屋に戻ったのだが…
その部屋は異常な装飾に彩られていた。おもちゃ箱が何箱もひっくり返し、クラッカーを何発も打った後のような部屋の中に、さらに異形の物体がある。
手首を天井に斜めに吊られ、Y字になったまま宙に浮いている男の死体。現場は密室。
矢吹は、中のいい後輩加部谷恵美(実は「幻惑の死と使途」に出てきている)と、中学時代からの無口な友人海月及介らに話をし、さらに昔の事件で加部谷が知り合いになった西之園萌絵(実は矢吹や海月とも面識がある)やらで、事件の謎を解いていく…
という感じなわけです。
なんというか、普通なんですよね、森博嗣にしたら。動機はいつものように普通じゃないけど、でも設定や場面がどうもありきたりというか…
僕は、僕だけじゃないと思うけど、S&Mシリーズのような、特異な人物が出てくるような、そういう話を待っているわけです。天才真賀田四季博士とか、数学者天王寺博士とか、「封印再度」の画家とか、「幻惑の死と使途」のマジシャンとか、「数奇にして模型」のアーティストとか。なんというか、そういう壊れてしまった人の思考なり思想なり、そうしたものに触れたい、と思っていたりするわけですね。
でも、まあまだ初めだし、これからどうなるか、っていう楽しみはありますね。それに、シリーズ第一作というのは、誰が探偵役なのかっていう興味もあるから、それはそれで楽しめたと思います。
是非とも、S&Mシリーズを超えるような作品になってほしいと思います。
それではいつものを。

(前略)
ただし、その安定感とは、現在位置からの移動の難しさを意味しているようだ。
(後略)

(前略)
事象の始まりとは、すなわち、意志の立ち上がりであり、決意し実行しようと最初の息を吸ったときには、多くの結果はほぼ決まっている、といえるだろう。
(後略)

(前略)
「教訓は認識するよりも、実践することに価値がある」
(後略)

(前略)そもそも、謎だと思うこと自体が主観がであり、基のデータには、客観的な謎が存在しているわけではない。多くの場合、それは単なる勘違い、すなわち、記憶間違い、あるいは見込み違いによって見かけ上生じている。
(後略)

(前略)
本当のところ、真実とは、けっして完全に目の前に姿を現すことはないのだから。
(後略)

森博嗣「φは壊れたね 」



虚空の逆マトリクス INVERSE OF VOID MATRIX(森博嗣)

久々に読んだ森博嗣の短編集。これで、講談社ノベルスの四季シリーズまでで読んでないのが、短編集の「今夜はパラシュート博物館へ」だけ。まだ持ってない。しかし、ようやくここまで来たか、って感じだ。まだ他の出版社から腐るほど色んな本が出てて、実際まだまだ追いつけない。好きな作家の読む本がなくならない、というのはある意味幸せなことだけれども。
確か森博嗣のエッセイ集「森博嗣のミステリィ工作室」で、自分の全てが短編集「まどろみ消去」に含まれている。「まどろみ消去」が合わない人は、僕の作品を読まないほうがいい、とか書いてあったような気がする。
僕は残念ながら、「まどろみ消去」がダメだった口だ。残念ながら。森博嗣の短編集は、シリーズ作よりもより詩的感覚が増していて、なかなかその世界に浸ることが難しい、というのが僕の感想。どうも、より高尚になっている、という感が否めない。
今回は結構わかりやすいものが多かったかな、という気がするけど、やっぱり短編集では森博嗣は変わると思う。シリーズ作の、犀川や紅子の示唆に富んだ思考だけを抜き出したような圧縮がそこにはあって、確かに豪華だとは思うけど、残念なことにやっぱり、そこまでいいとは僕には思えないです。
というわけで、それぞれの内容を簡単に。

「トロイの木馬(Trojan Horse Program)」
かなり未来の、バーチャルリアリティが普及した世界での話だろう。初めはその世界の設定がわからなくて、話を理解するのが難しかった。ある企業に「トロイの木馬」と呼ばれるプログラムが発見される。そこで働く男は、進入経路を調べていく内に、ある病院に行き当たる。「トロイの木馬」の進入が、彼のミスによってなされた可能性もあり、そのことでまずい立場にいる。彼は病院のデータ内で見つけた日記を頼りにオフラインの世界で調査をするのだが…

人の存在、というものがテーマになっています。バーチャルの世界での「個人」とは一体何なのか?そして自らの意志とはどこにあるのか?「トロイの木馬」が指し示す意味はなかなか難しくて、本作の中で一番理解しづらいものでした。

「赤いドレスのメアリィ(Mary is Dressed in Red)」
ある町のバス停に奇妙な女性がいる。真っ赤なドレスに身を包んだ高齢の女性。毎日、朝から晩までそこに座っている。町で知らないものはいないほどの有名人で、噂では名前はメアリィ。しかしそれにも次第に慣れていく。
ある日そのメアリィの傍でバスを待っていると、一人の男がやってきた。その男はメアリィのことを知っているのだという。その男から語られた物語とは…

ちょっとしたすれ違い、ということでしょう。きっと、そういうことは日常茶飯事なのではないかとも思います。割と好きな話でした。

「不良探偵(Defective in Detective)」
突然会社を辞めた男がふと書き始めた小説が大ヒットする。その探偵の名前に、友人の名前をつけると、その友人は大喜び。自分を探偵だと思うようになる。その友人は、彼よりも年上だが、子供のような素直さを持っていて、嘘はつかないし、黙っていてと言われたら絶対にしゃべらない。
ある日その作家の前から親しかった女性が殺されてしまう。友人に話を聞こうとするが、誰かに口止めされているようで話さない。どうやらその友人は、彼女が死んでいる部屋に探偵に行ったらしい。さて、一体誰が彼女を殺したのか…

友人の純真さがかなり際立っています。作家があれこれ考える場面が、寄って立つ場所が微妙に変わっている気がして面白いです。まあ嫌いではないです。

「話し好きのタクシードライバ(That's Enough Talking of Taxi Driver)」
かなり異色の物語。ほぼタクシーの運転手の一人語りといっていい。
快適な移動空間をタクシーに求める男だが、運転手に対する不満がかなり大きい。今日も乗り合わせたタクシーで、運転手が一人面白くもない話をしている。でも待てよ、この話って…

かなりシュールだと言えます。なんとなく、「墜ちていく僕たち」を思い出しました。

「ゲームの国(リリおばさんの事件簿Ⅰ)(The Country of Game)」
あるセメント会社で働く一家。社員食堂で働いている。リリおばさんとその姪が事件に巻き込まれる。
厨房の冷蔵庫から死体が発見される。傍にはダイイングメッセージが発見される。
リリおばさんは色々な情報網を持っていて、情報が早い。刑事はリリおばさんに事件のことで相談をし、見事解決…

という話ですが、この物語のすごいところは、全編回文の応酬という点です。リリおばさんをトップに、回文サークルというものがあるからです。どこかに書いてあったのですが、全部森博嗣自身が考えたのだそうです。すごいです。かなり長いものもあって、この人の才能は果てしないな、と思いました。

「探偵の孤影(Sound of a Detective)」
いなくなった姉を探してほしい、という以来を受けた探偵は、方々聞き込みをして、それらしい情報を集める。
人のいないはずなのに真夜中に電気が点く、というビルに忍び込み、夜な夜な奇妙な作業をしている男に遭遇するのだが…

一番好きな話です。終わり方がとてもいいです。これは読んでほしいですね。

「いつ入れ替わった?(An Evchange of Tears for Smiles)」

犀川・喜多・萌絵・近藤・諏訪野なんかがが出てきます。短編集にも、必ずシリーズキャラクターを登場させます。
今日は犀川が家に来る日。朝から浮き足立っているのに、会う人会う人家に誘っている。二人きりになりたいはずなのに何故?
奇妙な成り行きから近藤刑事を自宅に招くことに。というのも、近藤から聞いた話を是非犀川に聞かせたかったからだ。
ある誘拐事件の話である。身代金をある公園の駐車場に置き、そのまま監視下にあった。誰も取りに来ないのでみてみると…

短い話だけど、いつものメンバーの個性がよく出ています。トリックもなかなかのもので、悪くないです。

森博嗣の短編集はなかなか奥が深いです。というか、自分に理解できないものは奥が深いんだ、と勝手に思おうとしているだけかもしれませんが。まあそんな感じです。
それではいつものを。

(前略)言葉だけで、そういった意味不明のことを語る人間に限って、アルコールで酔っ払わないとものが言えない、というのは、どういう道理だろうか?
(後略)

(前略)そういう人々を消し去る表示モードもあるけれども、何故か滅多にそうする人はいないようだ。バーチャルの世界でも、結局、人は社会の中でしか生きられない。他人に囲まれて、他人と比較しないと、自分を見失ってしまうのだろう。
(後略)

(前略)
だから、バーチャルとは、そもそも本質だったものが本質に、本物だったものが本物になっただけなのだ。替わりに、現実や実体が舞台裏の設備に成り下がった。人の躰とは、頭脳の活動を維持するための電源、あるいは環境維持装置に過ぎない。
(後略)

(前略)
それなのに、
もう、誰を待っているのかも、
忘れてしまったのだ。
(後略)

(前略)変化の原因は継続しているのに、変化はほとんどの場合、瞬間的に訪れるものだ。(後略)


森博嗣「虚空の逆マトリクス」





赤緑黒白 Red Green Black and White(森博嗣)

ついにVシリーズ最終章。瀬在丸を初めとする彼らの物語もついに終焉を迎える。
最後の事件は、どこを切り取っても混沌としている。横糸のない蜘蛛の巣のようなものだ。中心からどの経路を通っても行き止まり。中心に戻らなくては別の経路に移ることもできない。
そして、一番問題なのは、どこに中心があるのかすらわからない、ということ。
何かを理解する、という行為に付きまとう困難さが、全てこの事件に凝縮されているように思う。自分の中で自然と作り上げている様々なものに視界を遮られ、まっすぐに何かを見れない状態を作り上げている。それが社会の構造であり、常識というものの役割なのであり、そこから脱却した位置にいる人間を自然と排除するシステムになっているのだと思う。
事件は唐突に、しかも劇的に始まる、マンションの駐車場で男性の死体が発見された。驚くべきはその装飾。全身をスプレーで真っ赤に塗られたその死体は、オブジェと呼んでもいいぐらいの見事さだった。しかも、被害者の名前は赤井。
事件の後、美登里と言う名の女性が保呂草の元を訪れる。赤井の婚約者だという彼女は、保呂草に事件のことで相談を持ちかける。帆山という推理作家が殺したに違いないから、それを証明してくれ、というものだった。一旦判断を保留し、保呂草は少しだけ事件を調べてみることに。
しかし、その後美登里が緑色のスプレーで装飾され死体で発見される。名前と色の法則性が指摘され、連続殺人だろうと考えられる。
予想通り、その後も、黒と白の殺人が起こる。一体誰が、何のために…
というような話です。
動機の曖昧さというか不安定さが森博嗣らしい。これほどに、「何故殺したのか」が理解しづらくて、しかし説明がないわけではなく、それを許容する世界を見せようとしている作品は珍しいと思う。
そう、わからないものを、わからないものとして伝える。登場人物はそのために配置され、文章はその姿勢に則って書かれている。そして、それを貫く。その力が森博嗣にはある。
もちろん、いつものメンバーのそれぞれの物語も、いつものように楽しめるし、それぞれそれなりに収束したりもする。もちろん収束も決着もせず、あるいは始まりですらあるものもあるけれど。
前に「四季」で書いたけど、二つのシリーズは、それぞれの最終章で完結するのではなく、「四季」シリーズ四部作で完結します。「四季」を途中で先に読んだからわかる記述もいくつかあったし、そういう点では先に読んでよかったかもしれないと思う。まさか、あれとあれがああで、あの人がああだったなんて、という驚きのために、再読したくなること必死でしょう。
そう、そして、あの人物も…。
是非、シリーズを通じて読んでみてください。
それではいつものを。

(前略)「これは、光の周波数の問題なんだ。つまり、音でいったら、高いか低いかの違いでしかないものなのに、しかし、人間は、それを三原色に分解して捉え、神経の信号として伝達する。色を混ぜると、その中間色になったり、何色もどんどん混ぜていくと最後は黒になったり…、そう、これ、すべて人の認識の問題だ。ようするに、自覚だよ。物理的な現象とは、最初から乖離している。だからこそ、思想的なもの、宗教的なものには、色のシンボルが似合うんだね。(後略)」

「(前略)今までレールの上を走ってきたからといって、ずっとレールから外れないと思うほうがどうかしている。そちらの方が不可解だ。
(後略)

(前略)
こうして考えてみると、子供たちが公園で普通に遊んでいられる軌跡、女性が夜遅くまで仕事をして一人で帰ることができる奇跡、そういった奇跡的に成立した危うさが、蜘蛛の巣のように現代社会を支えているのではないか、と思えてくる。糸の数が多いから完全だと思い込み、一本一本の糸が細くしなやかだから自由だと信じている。
(後略)

(前略)
彼等を殺人へと駆り立てたものとは、結局のところ、そういった「理由」ではなく、目の前にあった越えられない柵が、一瞬消えただけのことなのだ。ふと手を伸ばしてみたら、あるはずのガラスがなかった。自分を縛っていると思っていた鎖が、実は存在していなかった。
それに気づいた一瞬あとに、
自分の足許に転がる死体に気づいたことだろう。
(後略)

(前略)
「自分の前に立ちはだかる邪魔なものを取り除く」彼女は頬杖をつきながら、目を細めて話した。「端的に言えば、それは問題解決です。その邪魔なものが科学的な謎であれば、解決した者は科学者として成功し、その邪魔なものが技術的困難であれば、解決した者は一流のエンジニアになる。その邪魔なものが、たまたま生きた人間だったときには、解決に成功した者が、殺人者と呼ばれるのです」
(後略)

(前略)
「けれど、そんな矛盾を抱え込むことが、すなわち、人間として生きていく、成長していく、ということなんだと、そのうちに気づきました。しかも、そういった小さな矛盾を抱え込むことで、もっと大きな矛盾に立ち向かうこともできる。まるで、予防接種みたいなものだなって」
(後略)

(前略)
「自分を諦めさせるのは、いつだって自分だよ」
(後略)

(前略)
自分は、ここにいるのだろうか?
否、自分はここにはいない。
彼女は、自分の影を見ているのだ。
光が当たれば消えてしまう影を。
(後略)

(前略)
「あ、そういや、麻雀牌も、ほら」紫子が言った。「赤が中で、緑が発で、あと東南西北が黒くて、白がまっ白やん。あらま、もしかして、麻雀を意味してるんちがう?」
「だったら、大三元殺人事件だね」
(後略)

森博嗣「赤緑黒白」





朽ちる散る落ちる Rot off and Drop away(森博嗣)

Vシリーズで、久々にかなりいい作品に出会った。密室のトリックが最高に素晴らしく、度肝を抜かれる事間違いない。
舞台の中心となるのは、「六人の超音波科学者」で出てきたあの研究所。あの事件はとりあえず閉幕したが、謎に包まれた地下室、については触れられなかった。
本作は、ようやく地下に入る目処がついた、というところから始まる。何故かその立会いに瀬在丸や保呂草達も同行することに。エレベータで降り、通路を進むと、鉄製の扉に突き当たり、その扉を開けることがどうしてもできなかったのだ。
その扉を無理矢理開け中に入ると、そこは中央にさらに地下への入り口のある、他には特に何もない部屋だった。その入口へと入ってみると、なんとそこには死後かなり経過した死体があった。
一方、瀬在丸は、知り合いの数学者の縁で、妙な話を耳にする。一年以上も前に、地球に帰還した有人衛星の乗組員全員が殺されていた、という公になっていない事件の話。先の研究所とも縁のあるその数学者が結びつける二つの事件。
瀬在丸が導く、究極の真相とは…
研究所の密室のトリック、これは本当に素晴らしい。このトリックから僕は、鏡とバルタン星人を連想しました。
というのは、森博嗣の確か「冷たい密室と博士たち」の中で、犀川がこんな問題提起をしています。
「何故鏡では上下が逆さまにならないのか」
この説明で犀川は、頭がなくて、片手がバルタン星人のようなはさみを持つ生き物を使って説明していたわけです。そのことを思い出しました。
つまり、上下や左右の定義が逆さまになるかならないかに関係する、という話で、頭と足によって上下が、顔と背中で前後が定義できるので、左右だけが反転する。もし、バルタン星人のはさみで左右を定義すれば、左右は反転しない、とかそういう話だった気がします。
このトリックでも定義が割と関わってきて、つまり、「上下」を定義することによって、「落ちる」という現象を説明できる、ということです。
今までも、森博嗣だけでなくいろんな密室物を読んできたと思うけど、こんな発想のできる作家はいないのではないかと思うぐらいです。
ストーリーは、いつものVシリーズ通り、誰も彼もが面白い会話を繰り広げるので、そういう点ではいつも通りです。
しかし、まだまだ密室もバリエーションがあるもんだな、とつくづく感心するわけです。
それではいつものを。

(前略)
偶然と認識されるものは、つまり必然であり、世界のどこを切り取っても、特別に偏った部分は見受けられない。(後略)

(前略)
お気をつけて、という言葉があるが、正直なところ、私は思う。人間がどんなに気をつけていても、歴史はこれっぽっちも変わらなかっただろう。
(後略)

(前略)
「いや、お好み焼きいうたら、何を焼こうが、どう焼こうが、そこがお好みやも、むっちゃ範囲が広い、包容力のある食べものなんよ。ま、いうたら、熱を加えて食べるもんは、すべてお好み焼きというても過言ではないんよ」
(後略)

(前略)「晴天のヘモグロビンというか、空き缶無料というか」
(後略)

(前略)すなわち、新しくものを構築することに比較して、一度成り立ったものを再建することは、はるかに容易なのだ。それはつまり、ものを作るプロセスのほとんどが、何をどう作るべきなのかを考え、判断する作業に割かれるからである。
(後略)

(前略)
「混沌とした話をしているね。もっと抽象的に言いなさい」
「はい」紅子はくすっと笑った。「ようするに、つながっているのに、つながらない」
「良い表現だ」
(後略)

(前略)
「日本語通じるのか?この店」保呂草は蓬田に顔を近づけて囁いた。
「日本程度には」(後略)

(前略)
「券が余ってたから、姉ちゃんが、どこかで譲ってもらってきたんだ」森川がぼそぼそと話す。彼にしては長い台詞である。
(後略)

「(前略)子供の遊びに似たことを、大勢の大人が真剣になってやっているのよ。エネルギィの大半が、それに消費されてきたのが人間の歴史」
(後略)

(前略)
「それは、たぶん」保呂草は言う。「新しい価値ではない。とても古い価値です」
(後略)

(前略)
そういえば、子供の書く絵には、影がない。
自分の将来を予感しているからだろうか。
(後略)

森博嗣「朽ちる散る落ちる 」





六人の超音波科学者 Six Supersonic Scientists(森博嗣)

そうですね、これを読んでの僕の感想は、うーん、普通のミステリーかな、という感じです。何というか、森博嗣の作品なんだけど、森博嗣らしさがあんまりなかったかな、という感じ。もちろん、読んでて面白くなかった、なんてことは全然ないわけだけど。
舞台は、山奥に立てられたある研究所である。そこは、周囲とはかなり隔たれた環境にあり、唯一の交通路に橋がある。
その橋の爆破予告が、警察に入った。祖父江や林が現場へと駆けつける。そして、予期せぬ幸運なのか、はたまた不幸な偶然なのか、祖父江だけ橋の向こうに渡った時、突如橋が爆破された。
一方、小鳥遊と瀬在丸は、その研究所で開かれるパーティーに招待をされた。運転手として保呂草が、そしてなぜか香具山もついてのドライブで、研究所にやってくる。
やいのやいのいろいろありながら、結局その研究所にいつものメンバーが揃う。
悲鳴を聞きつけて集まった人々によって、第一の死体が発見される。絞殺死体。祖父江は現場保存のために鍵を掛け、その鍵を自ら保管する。
研究所にいるメンバーを集めたり、パトロールをしたりと、なかなか活動的ないつものメンバーだが、予期せぬ事態に窮地に陥る。そして、発見される第二の死体…
というお話。
今回はまず、密室でもない。これは、森博嗣にしては珍しいのではないか、と思う。確かに閉鎖状況における殺人ではあるけれど、密室は出てこない。
どうも、いつものメンバーがうろちょろ(別にそれが悪いと言っているわけではなくて、そのうろちょろの部分が面白いんだけど)して、まあその中で事件に巻き込まれちゃって、まあ解いちゃいましたけど、みたいな感じ。
さくっと読むには全然いいけれど、そこまでお勧めする作品でもないですね。
これは何度も書いている気がするけど、どうもVシリーズは合わないかな…。
それではいつものを。

(前略)
未来は過去を映す鏡だ。
心配する者はいつか後悔するだろう。
自分が生まれ変われるなんて信じている奴にかぎって、ちっとも死なない。
(後略)

(前略)「ああ、思いどおりにならないものね。玉突きというのは、結局のところ、理論と実践のギャップを認識させるためのツールなんだな」
(後略)

(前略)優しさなんて、その辺りに転がっている石ころと同じだ。どこにでもある。いつだって拾える。そんなものが欲しいわけではないのだ。生きていくために必要なものは、もっと別のもの…、もっと危うくて、もっと切ない、もっともっと苦いものだ。一度でも落としてしまったら、もう見つからないものだ。(後略)

(前略)「人が一人死んだくらいで、大切な自分の時間を取られたくない、というのは、わかるなぁ」
(後略)

(前略)「大切だからって、いったい何なのでしょうか?大切なものって、何が大切なのですか?大切に思うことが大切なのかしら?それとも、大切だと教えることが大切なの?私の申しあげていることがわかりますか?」
(後略)

(前略)
どこからも、善は生じない。
善は、人から生まれたもの。その最初の一瞬の状態なのだ。
(後略)

森博嗣「六人の超音波科学者」





ラッシュライフ(伊坂幸太郎)

うんうん、やっぱり伊坂幸太郎だよ。素晴らしいとしかいいようがない。この若い才能が世の中に出てきて、しかもそれが評価されている、というのが素晴らしいじゃないか。そう、小説もまだまだいける、って思えるね。人生も捨てたもんじゃない、そうも思わせてくれるよ。リアリティよりも、大切なことが小説にはきっとある。もちろんそれは趣味趣向の程度の話だけど、でも伊坂幸太郎はそのことを教えてくれた。どれだけ現実感のない話でも、伝わるものがある。どれだけありえない設定でも、清清しい気分にさせてくれる。そんな、小説だけでなく表現全てに許された力を、伊坂幸太郎は文字によって引き出し続けている。本当に、稀有な作家だと思う。類似していない、という特異性は、それだけで一つの才能だと思う。
物語は、五つのストーリーが交錯して進んでいく。そう、物語にも出てくるエッシャーの騙し絵のように、一つのストーリーだけに目を向ければ他が隠れる。そんな素晴らしい構成がなされている。
それぞれのストーリーにはマークがついている。それはデビュー作の「オーデュボンの祈り」でも使っていたもので、誰の物語になったのかがわかりやすくていい。この小説は、物語の進行どおりに紹介ができないから、それぞれのストーリーを紹介するだけにしておこうと思う。
マークは「天使」「車」「犬の散歩」「泥棒」のよっるで、一つだけマークなしの物語がある。まあそれは「なし」ということにしておこう。
「なし」:有り余る金を力に、美術品を株のように扱う美術商と、その力に屈した若い女性画家の物語。新幹線に乗り出掛けるところから始まる。金で買えないものはない、と信じて疑わない美術商は、その傲慢なやり方でさらに稼いでいる。画家の方は、彼女の才能を認めてくれた美術商の独立話をオジャンにさせる決断を金に屈してしてしまい、罪悪感を抱いている。二人の仙台への足取りが描かれていく。

「天使」:「高橋」という男を崇拝する集団がある。「高橋」は、素人ながらある事件を解決した過去を持っていて、それを境に信じるものが増えた。その幹部と、「高橋」のある信者の物語。幹部は信者に接触し、突如「神を解体する」と告げる。信者には初めは理解できないが、徐々にそれが、「高橋」を殺害するのだ、ということがわかってくる。幹部の言葉に踊らされていく。そんな二人の物語。

「車」:どちらも浮気、というカップルの物語。一方は女性カウンセラーで、もう一方はサッカー選手という取り合わせ。離婚に応じるはずのないお互いの配偶者を殺そうと計画していた二人だが、カウンセラーに突然朝夫から、「別れよう」と電話がある。理由はまったくわからないが、渡りに船と彼女は思う。後は彼の妻を殺すだけ。そのために車で彼の家に向かう途中、車で人を轢いてしまった…。そんな二人の物語。

「犬の散歩」:リストラされた元デザイナー。職を探すも、まったく見つからない。鬱々としている時に、ふとした経緯で犬を手に入れてしまう。汚い老犬は何故か自分の後ろをついてくる。まあいいか、と彼はその犬を連れて歩くことにする。これまたふとしたことから手に入れることになった拳銃が、彼の生活をそれなりに変えていく。そんな疲れた男の物語。

「泥棒」:泥棒を稼業とする男の物語。下調べを欠かさず、観察を怠ることのないプロフェッショナル。いつものように、仕事として律儀に泥棒をして生活していく。
そんなある日、ふとしたことから、思いもかけない人物と再会することになる。そんな泥棒の物語。

こういう五つの物語が、まさに錯綜し、大きな物語を作り上げているわけです。その構成力に脱帽としかいいようがない。
好きな日本語を書いてください、と紙を持つ外国人、「何か特別な日に」と書かれたタワーとエッシャー展。そういう、全体としてはあまり関係のない、それでも個々のストーリーに必ず現れるエピソードというのが多くて、味わい深さが増しているように思います。
本当に、それぞれのストーリーの結びつきが見事で、ある場面を読んでなんだろう、と思ったことが、必ず別のストーリーで解決されます。「なるほどね」と思わず声に出してしまうのではないかと思います。再読するのがとても楽しいだろう、と思わせる作品です。
実は、まあこんな話はどうでもいいんですが、本作は僕が書きたいな、と思っていた小説の形です。僕が考えていたのは、五つか六つの短編集、という形で、それぞれの短編は完結しないわけです。それで、他の短編を読んでみたらなるほど、そういうことか、と納得できるようなそういう構成です。どの短編から読んでもよくて、読む順番によって驚きの種類が変わる(まあこの趣向は清涼院流水の「19ボックス」であるのですが)、そんな発想でした。もちろん発想しただけで、なんのストーリーも考えてないし、形になるわけのないアイデアなんだけど、そうこんな形にしたかったんだよ、と思わせてくれるものでした。素晴らしい。
僕がこんなことを書くのは珍しいですが、この作品は映像にしたらとても面白いと思います。文章ではあまり効果的でない伏線を、映像でならさらりと見事に描き出せるのではないか、と思います。そういう、映像的に凝った仕掛けのできる作品ではないか、と個人的には思います。
注目の若手作家の出世作。是非読んでみてください。

伊坂幸太郎「ラッシュライフ」



四季 冬 The Four Seasons Black Winter(森博嗣)

これで完全に終結。
時間を、
空間を
美しく飛翔する真賀田四季の物語。
彼女は何を求め、
何を得たのか。
何を望み、
何になったのか。
絡め取られた犀川。
過去になりえない思考と記憶。
求める人々。
失う人々。
何も与えず、
何も失わず、
自由を取り込もうとし、
矛盾を飲み込み、
社会を吐き出す。
見えるものは無。
あるべきものは自分。
近づくことのできない生。
遠くに追いやる死。
その価値を、
何に変え、
代わりに、
何を得たか。
空虚な世界。
広がる地平。
うねる大気。
育つ人格。
全てが彼女の中にあり、
彼女が全てになる。
そうして、
その青い瞳は、
何を見たのか。
何を求めたのか。

真賀田四季。その思考が展開される。彼女の記憶の再生、と言ってもいいかもしれない。彼女は、過去の出来事を、その当時のまま頭の中で再現できる。劣化しない記憶。もはやそれは過去ではない。
あふれ出る思考。とめどない流れ。
そう、彼女は人間だ。化け物ではない。誰にも理解できないだけ。誰も理解しようとしないだけ。社会や肉体に縛られた彼女以外の人間とは違う、本来あるべき人間の姿。きっとそれが、天才であり、神である資格なのだろう。
犀川という男。彼女にとって彼はどんな存在だったか。取り込めない。融合していない、彼女に似た構造。類稀な客観性。その人格に、彼女は一体何を見ていたのか。そう、自分のことを理解できるかもしれない、という期待が見せた幻想。あるいは、何かを共有できるかもしれないという願望が生んだ一瞬の発光体。だとしてもおかしくはない。
四季は成長する。常に成長し続ける。体が追いつかないほど。矛盾を綺麗と捉える志向。人間を好きだと思えるその志向。あるいは、犀川が彼女を変えたのかもしれない。
真賀田四季。その果てしない才能は、そこまで時空を超えるのか?それを理解できるのはいつのことになるだろうか。そんな時僕は、アインシュタインの相対性理論を思い出す。
収束と発散の繰り返し。すべてが有限で微小な世界で、真賀田四季は、冬からまた春へと、終わりのない悠久の旅を続けることだろう。その連鎖の中で、僕は彼女に出会えないだろうか。そして、彼女の中に含まれたい。
それでは、いつものを。

(前略)
「雨が止んだのは、何かの魔法ですか?」彼は尋ねた。
「そう、魔法です」彼女は答える。
(後略)

(前略)
「僕を殺してくれるんだね?」彼は言った?
彼の瞼が一瞬震える
「はい、お約束しましたから」彼女は頷いた。
(後略)

(前略)
何かの拍子に、ちょっとついてしまった傷。
それが、人の約束。
(後略)

(前略)
どうして、その時間の先に、未来に、
今すぐジャンプしない?
たった今から、すぐそこへ行けば良いのに、
すぐに実行すれば良いのに、
どうして、無為に時間を待つのだろうか。
(後略)

(前略)
「無限というのは、幾つからだと思う?」
「変なことをきかないでほしいな。ジョーク?」
(後略)

(前略)
「君が過去の記憶をすべて鮮明に再現できることは知っている。劣化しない歴史は、もう歴史とはいえない、すべて現実だ。君の現実は、空間も時間を超えている。それはわかる。しかしその場合、君にとって、実在する人間と、死んでしまった人間の差は、何?」
(中略)
「そう、だとすると…、君の中では、その人物は生きているのと同じことなんだね?」
(後略)

(前略)
「貴方が昨年発表されたCNAAのレポート、五ページ目の図の中に書かれていた式」
「はい」彼はそれを頭に思い浮かべた。
「二十年前の、フォアマンの実験式の微分になっているのに、お気づき?」
(後略)

(前略)
「本人に告げれば、かなりの確率で自首するものと想像します」
「そうかな…」
「そういうタイプですね。あるいは、逃亡するか」
「全然反対じゃないか」
「いいえ、いずれも同じベクトルです」
(後略)

(前略)下に膨らんだ回転体のグラスに透過・反射する四角い窓の映像をトレース。細胞のフラクタルと、リレィベースユニットの二重継承。四次元螺旋の投影による擬似構造の相転移。電磁誘起のまだ見つかっていない最後の関連要因。闇の中をスパイラル飛行する蝙蝠が見る超音波映像。長鎖分子アクチュエータのフラッタ問題。色素増感センサの高次安定化。DNAチップの光隔離。ニューロンエレクトロニクスの終末。カーボンナノコイルサスペンションによる人工微生物。知能創生とその器となるポーラスカーボンストラクチャの応用。メゾコンプレックス金属。遺伝子スイッチの寿命判断アルゴリズム。プレカーサ皮膜の処理とその識別。超誘電メモリィの普及。バイオセラミクスの復活。炭酸固着からの撤退。増核プロセッシングの展望。コイーレント電子加工の実践。
(後略)

(前略)
「貴女は、貴女から生まれた」彼は言った。
私は私を殺して、私は私になった。
私は私を生かして、私は私を棄てた。
私と私が、別れられるように。
私とこの世が、別れられるように。
私とこのときが、別れられるように。
すべてを、切り離してみせよう。
「貴女は貴女だ。そして、どこへも行かない」
(後略)

(前略)
「お母様にもわからないことがあるのですか?」
「もちろんです」
「神様にも、わからないことがありますか?」
「ありますよ。わからないことがあるから、人は優しくなれるのです」
(後略)

(前略)
「あの頃は、ずっと楽しい毎日でした。私の人生の中で、一番楽しかった、といえるかもしれない。(後略)」

(前略)
「静かでした」四季は話す。「ノコギリの音だけ。他には何も聞こえないのよ。いえ…、私の中で、娘の声が言いました。お母様、何をしているの?どうして、そんなことをする必要があるのですか?私は、それに答えました。だって、貴女が生きているときには、できないことでしょう?」
(後略)

(前略)
「そう、それが孤独です」四季は答えた。
「本当は、悲しいのですね?」パティは尋ねる。
「いいえ」四季は微笑んだ。「悲しくはありません。ただ、そこには、自分だけが存在している、という意識。誰にも伝わらない、という思いがある。」
(後略)

(前略)
一瞬。
刹那。
すぐに消えてしまうものなのか。
自由と呼ばれているもののすべては、
単に、自由を象徴するする儀式でしかないのか。
本質でも、実体でもないものなのか。
今までみてきたものだけから考えれば、そうなる。
これから見られるものが、それを覆せるだろうか。
否、ずっとまえから予感していた。
ずっと小さな頃から、彼女にはそれがわかっていた。
そんなものがないことを、彼女は知っていた。
逃げていくから、
手が届かないから、
自由に見える。
蜃気楼のように。
錯覚にすぎない。
(後略)

(前略)
「どうして、ご自分で…、その…、自殺されないのですか?」
「たぶん、他の方に殺されたいのね」
(中略)
「自分の人生を他人に干渉してもらいたい、それが、愛されたい、という言葉の意味ではありませんか?犀川先生。自分の意志で生まれてくる生命はありません。他人の干渉によって死ぬというのは、自分の意志ではなく生まれたものの、本能的な欲求ではないでしょうか?」
(後略)

森博嗣「四季 冬」



四季 秋 The Four Seasons White Autumn(森博嗣)

天才の全てを見ることはできない。天才は、何かと触れたときの摩擦熱のように、あるいは、掴んだ手から零れ落ちる砂のように、ほんの僅かな姿しか我々に見せてはくれない。
真賀田四季という天才。その天才が起こした事件。思考によって辿り着くには何年もの時を経なければならなかった彼女の意思。その強い、天才とは反する人間性。そう、真のモラルとは、やはり彼女の中に存在するのだろうか?
時は流れる。真賀田四季の精神に流れる時間に比べればいかにも鈍重だが、それでも正確に時を刻む。
舞台は、真賀田四季が再び現れた「有限と微小のパン」からさらに四年が経過している。様々な人間が、再び真賀田四季に、彼女の思考に触れようとしている。
儀同は、ライターとしての興味から真賀田四季を取り上げた記事を書こうとしている。彼女に接触してきた椙田という男もまた真賀田四季を追っている。犀川も、彼にしては極めて珍しく、研究以外のこと、つまり真賀田四季のことが頭にある。あの孤島で起きた事件の記憶を呼び覚ましている。そんな周囲の中に萌絵はいる。
それからさらに二年の時が過ぎる。萌絵と犀川の関係が急速に変化する予兆が現れた頃、同時多発的に犀川に集まってきた情報から、彼は思考の海に浸り続ける。あの研究所から犀川が持ち出したレゴ。彼の思考はそこに集中する。
そして犀川と萌絵はイタリアへ。そう、それは真賀田四季に呼ばれたと言っても言い過ぎではないだろう。
そこで二人は、保呂草と各務に会い、そして真賀田四季を見た。彼女の口から何かが語られる。それはある種弁解めいたことかもしれない。追ってくるものの存在を自ら求め、探し、道を作り、見えるようにし、そしてその上を歩かせる。真賀田四季の敷いたその手順に乗り導かれた者に、褒美を与えたのかもしれない。
犀川は立証することのできないある解釈に辿り着く。「F」で既に示されていたことから、「F」では明かされなかったことを導いた。数多くの何故を残した事件に、長い年月を経て、ついに解答が与えられた…。
信じられないこと、というのは世の中にたくさん転がっている。信じられない現象、信じられない世界、そう、真賀田四季のような信じられない才能というのもある。
本作では、信じられない事実、というのが出てくる。もしかしたら、Vシリーズの後半で既に明かされていることなのかもしれない(という可能性を排除できない、という点で先に四季シリーズを読んでしまったことを後悔している)。本当に驚愕すべきことだ。実際に読んでいるときに、驚いて声を出してしまったぐらいだ。そんなことあっていいのか、と。
「すべてがFになる」は、森博嗣のデビュー作ではあるが、処女作ではない。処女作は二作目の「冷たい博士と密室たち」だ。デビュー作が「F」になったのは森博嗣の構想にはなかったはず。
いつ森博嗣は、ここまでの構想を立ち上げたのだろうか?2シリーズ、全20作の作品が、四季シリーズのための準備だったのではないか。そうとしか思えない構成になっている。改めて、森博嗣は、真賀田四季に並ぶ才能を持っているのではないか、と思った。
この物語の主流はもちろん、真賀田四季のあの事件の解釈だ。しかし、それ以外の数多くの部分で、別の、各シリーズの結びつきが明かされていく。本当にすごい。今まで様々な本を読んできて、最近では味わうことの少なくなってきた驚愕に対する感動と畏怖。そうしたものを、この作品だけではなく、森博嗣が築いてきた世界に対して抱いた。
シリーズに天才が現れてからまだ十年。つまりそれは、森博嗣がデビューしてまだ十年ということだ。次の「冬」で真賀田四季は卒業かもしれない。新シリーズが始まったけれど、そこにはもう真賀田四季は出てこないかもしれない。それが今はとても寂しい。
そう、僕たちが自分のものにできうのは、自分に属するものだけ。他人も自由も幸福も、そして真賀田四季の存在すらもきっと、僕らは自分のものにできないだろう。
それではいつものを。

(前略)
「巨人の星だよ。星飛雄馬」
「ホシヒューマン?何人ですか?」
(後略)

(前略)
「地球の裏側にいると思ったら、すぐ隣にいた、なんてこともあるでしょうね」
(後略)

「(前略)私は泣いたことがない、と貴方に言いました。覚えていらっしゃるかしら?ここだけのお話ですけれど…」彼女はそこで少し笑った。「あれは嘘です。私だって、涙がながれることがありますのよ。(後略)」

(前略)「自身の中に、どれだけの自由を取り入れることができるかしら。時間と空間を克服できるのは、私たちの思想以外にありません。生きていることは、すべての価値の根元です。(後略)」

(前略)
「可能か不可能か、という問題では、きっとない」犀川は鋭い視線を萌絵に返した。
「それを可能にする意志が、あるかどうかだ」
(後略)

(前略)
優雅な速度で、丁寧に頭を下げた。
(後略)

(前略)
孤独とは、淋しいものではない。
自分がここにいる、という位置を、
その足元の確かさを、みつめること。
だから、孤独だと冷静に感じることができるのは、自分の足元の確かさを知っている者だけで、その状況自体が幸せといえる。
愛する人を見つめることは、結局は、孤独を知ることであって、そして、きっと、自分を知ることになるのだ。
(後略)

(前略)
「そう…、そのとおり、自信が持てるまで考えるしかない。でも、なかなか、そんなに考えられないんだよ、人間って」
(後略)

(前略)
「扇風機のように、前にしか風が来ないのなら、こちらを向いてくれないと困りますけれどね。たとえば、太陽はどう?メキシコが晴れていたら、日本は損をしますか?」
「つまり、その差は、何ですか?」
「貴女が、太陽を好きになったか、扇風機を好きになったか、の差です。」
(後略)

(前略)「人は、自分が許せないときに、悲しくて泣く、そして、自分が許せたときに、嬉しくて泣くの」
(後略)

(前略)解けてしまったときには、問題も消えている。
それが、本来の問題だ。
消えたあとに、やさしい気持ちだけが残る。
(後略)

森博嗣「四季 秋」





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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)