黒夜行

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客観視のモンスター・山下美月



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【部屋にいる時の私、友だちやメンバーと一緒にいる時の私、ステージに立っている時の私、その3つのキャラが存在するんです。】「BUBKA 2017年8月号」

3期生の山下美月はそう語る。山下美月は、客観視のバケモノだと、インタビューを読んでいて感じる。

山下美月のパッと見のイメージは、恐らくこんな感じだろう。
「正統派の美少女」「ザ・アイドル」「明るくて元気な女の子」
まさにアイドルになるべくして生まれたような―などというと大げさ過ぎるのかもしれないが、そういう雰囲気を醸し出す少女ではないかと思う。「BRODY 2017年10月号」で山下美月のインタビューアーを務めた方も、【正直、オーディションでの山下さんの印象は「できあがっちゃってるな」でした。器用だし、ずば抜けて完成度も高かったので。】と語っている。中身を知らなければ、その印象が変わることは恐らくないのだろう。

しかしインタビューを読むと、山下美月のまったく違う面が見えてくる。

【でも、久保(史緒理)ちゃんはそういう弱い自分と真正面から戦っているタイプだと思うんです。ただ、私の場合、もう一人の自分を作って、違う人間に乗り移ってるみたいな感じなんですよ。
―ステージに立つ時は、ってことですか?
アイドルとして活動する時は、違う人間になっているような感じがして。でも、そういうのをすべてはずしちゃったら、ネガティブで人付き合いの苦手な人間なんです。】「BUBKA 2017年8月号」

彼女は、「ザ・アイドル」なのではなく、「ザ・アイドルに近づこうと必死に努力している女の子」なのだそうだ。アイドルとして活動している彼女を見ているだけでは、そういう面は見えてこない。何せ、「3つのキャラ」を使い分けているのだから。ちなみに、「部屋にいる時の私」「友だちやメンバーと一緒にいる時の私」「ステージに立っている時の私」がどんな感じなのか抜き出してみる。

「部屋にいる時の私」:【夜は自分の部屋で繭玉を30個くらい並べて、それにずっと顔を描いてて…。】【部屋ではずっと下を向いて泣き叫んでるし】「BUBKA 2017年8月号」

「友だちやメンバーと一緒にいる時の私」:【(山下)楽屋だとやばいよね? (久保)やばい(笑)。モアイ像みたいな顔してます(笑)】【楽屋ではギャグを言ったりワイワイ騒いでいて】「BUBKA 2017年8月号」

「ステージに立っている時の私」:【「こういうアイドルになりたい」というのがあるから、自分をその理想に近づけています】【ステージではアイドルとして振る舞っていて】「BUBKA 2017年8月号」

それでも山下美月は、嘘をついているわけではない。

【でも、どれが本当の自分とかじゃなくて、どれも自分なんです。理想のアイドルになりたい自分がいるので、その使い分けは絶対にしたいと思っています。】「BUBKA 2017年8月号」

ファンには基本的に、「ステージに立っている時の私」しか見えてこない。「部屋にいる時の私」「友だちやメンバーと一緒にいる時の私」として山下美月自身や久保史緒理が語る姿は、イメージと離れていてなかなか想像が出来ない。僕のように、インタビューを読めば、多少見えてくる部分もある。しかし、それもどこまで信頼できるのか。

【でも、私はあんまり人に本心を見せないんですよ。人と深く関わったら自分の中身まですべて知られちゃう、という怖さがあって。たぶん本当の私は誰にもわからないというか、私にもわからない…。これも全部キャラだと思っているので。
―えっ!?今日のインタビューも全部?
アイドル・山下美月としてしゃべっているので。すべてアイドルとしての発言だと思っています。】「BRODY 2017年10月号」

どうにも掴めない女の子だ。こういう、外側からのイメージを切り裂くような人格は、一体どのように生まれたのだろうか?

【私は引きこもってネットばかり見てたよ。日光を浴びたくなかった(笑)】「OVERTURE 2017年7月号」

【家でおやつを食べながら、イスから一歩も動かずにテレビドラマやバラエティを観たりしていました。】「BRODY 2017年10月号」

【―それからはネットサーフィンの毎日ですか?
YouTube を(笑)。本当にずっと家にいて全然しゃべらなかったです。大人しいというか無口で。表情もそんなに明るくない…暗かったです(笑)】「BRODY 2017年10月号」

乃木坂46に入る前の自分自身を、彼女はそんな風に語る。正直、なかなかイメージできないだろう。家から出ないとかネットやテレビばかり見ていた、というのはともかくとしても、「無口」「大人しい」というイメージを山下美月から引き出すのはかなり困難だ。それこそ、学校の中で上位のカーストにいて、友達がたくさんいて、いつでも友達と遊んでいる―こういう勝手なイメージをもたれるのはきっと嫌いだろうが、今の彼女しか知らない視点からは、やはりそう見えてしまう。

学校での過ごし方も、非常に特異だ。

【―(スクールカーストの)あえて真ん中のポジションあたりに収まった?
小学校のときと高校では上にも下にも行かずに真ん中でした。クラスにもちゃんと馴染めてて、いろんなことをそれなりにやる生徒っていうか、そういうふうに思われなきゃ、という意識がありました】「BRODY 2017年10月号」

【自分の中で「こうしていれば普通の人間だ」っていうのがあったんです。何人か友達がいて、学校では単独行動をせず、誰かに合わせていれば可もなく不可もなくで、ずっと一定の状態であり続けられるだろうなと思って…めっちゃ性格悪いやつみたいですね(苦笑)】「BRODY 2017年10月号」

こういう発言から理解できるのは、山下美月の特異な客観性だろう。集団の中での自分という存在を、常に俯瞰してみている。もちろんそれは、思春期の若者であれば多くの人が持つ視点ではあるはずだ。しかし、なんというのか、その客観的な視点の使い方が変わっていると僕には感じられるのだ。集団の中での客観性は普通、その集団の中での自分の立ち位置を有利にするために発揮されるのではないかと思う。どうしたらこの瞬断の中で、自分が良い立ち位置を確保できるのか。普通はそれを考えるのではないかと思う。しかし山下美月はその客観性を、ちょうど真ん中を保つために使った。恐らく彼女の容姿や、あるいは今アイドルとして発揮している部分を出していけば、その客観性を駆使しながら集団の中でかなり上位にいられたはずだ。しかし彼女はそうしなかった。それには、彼女なりの痛い経験が関係しているようだ。

【小学生のときは“クールドール”って呼ばれていて。
―すごいニックネーム!
そうなんですよ(笑)。“笑わないお人形”って言われたくらいで。それで、みんなに「近寄りがたい」とか「あの子は冷たい子だよね」っていうイメージを持たれているから、なるべくそう思われないように必死に暖かみを出していて。でも、それでテンションが高かったり、はしゃぎ過ぎちゃうと「あいつは目立ちたがり屋だ」とか「絶対あいつ作ってる」って思われちゃったりするんです。
―がんじがらめじゃないですか!その15年間はつらすぎますね。
やっぱり…つらかったです。だからこそ「普通の人間として見られよう」って努力しました】「BRODY 2017年10月号」

ある意味で彼女は、その容姿が足枷になっていたと言えるのかもしれない。彼女は、自分が集団の中できちんと受け入れられるように、器用にその立ち位置を変化させてきた。しかし、自分がどう見られているのかという高い客観性を持ち、さらに他者からのイメージを修正させるような自己改造の能力まで持ちながら、どうやっても周囲からプラスで見てもらえる立ち位置を確保できなかったようだ。その苦しい経験から彼女は、可もなく不可もなく、目立つでも目立たないでもない、ちょうど真ん中の立ち位置を確保できるように振る舞うようにしたのだ。

【そのときは学校がすべてじゃないですか。だから、まわりに嫌われたら私の人生は終わっちゃう、という恐怖感がありました。結局、人の目線を気にしすぎちゃって、人の目に合わせて自分を作っていたんだと思います】「BRODY 2017年10月号」

僕も、「まわりに嫌われたら私の人生は終わっちゃう、という恐怖感」は学生時代持っていたし、僕自身も自分を客観的に見ながら自分の立ち位置を把握することはやれていたと思う。しかし山下美月のように、自分の立ち位置を器用に上下させたり、それを諦めて早い段階で「普通」を目指そうとしたりする生き方は、たぶん僕には出来なかったような気がする。僕は、容姿が良ければ女性は人生がすべて上手くいくとは思っていなくて、まさに山下美月はその典型例みたいなものなんだろうとインタビューを読んで感じた。本人も語っているが、非常に辛い学生時代だっただろう。

【―(オーディションを受けたのは)もう一度、人生をやり直そう、と。
本当にそうです。自分のなかで今まで中途半端にやってきたことの後悔を晴らすためにも乃木坂46に入って、これから先の進路や人間関係をすべて捨てて、再スタートするんだ!って。】「BRODY 2017年10月号」

そんな彼女は、自分を変えるために乃木坂46のオーディションを受けた。乃木坂46には本当にそういうメンバーが多い。他のグループのことは分からないが、やはり同じような人間が集まるような雰囲気があるのか、あるいは選ぶ側が意識的にそうしているのか。

【―芸能界に入りたかったということは、人前でなにかをすることが好きだったんですか?
というよりも、「今いる場所から逃げ出したい」という思いが強かったです。クラスのグループとか先生の目とか、将来の進路のこととか。自分としてはそれがつらかったので、そこから逃げ出したくて。それで芸能界に行ったら逃げられるんじゃないかと思ったんです。あと、芸能界ってまわりからの目じゃなくて、自分自身の実力でのぼっていけるような世界だと思っていたので、もしかしたら人間関係を作るのが苦手な私でもそこだったら頑張れるかもしれないと思って。】「BRODY 2017年10月号」

乃木坂46を好きになる前の僕であれば、「逃げるためにアイドルを目指す」という選択はきっと理解できなかっただろうが、生駒里奈や白石麻衣、西野七瀬といった「辛い過去を振り切ろうとオーディションを受けた」みたいなメンバーの多い乃木坂46のことを知って、その感覚をなんとなく理解できるようになった。僕は「アイドルとは、臆病な人間を変革させる装置である」という記事も書いたことがある。キラキラしたものを目指すというよりは、これまでの輝きのなかった自分の人生を捨てるための場所として、アイドルという存在が捉えられている。

乃木坂46に見事加入した山下美月だったが、やはりそこからも苦労は続く。

【めっちゃわかる…。私が「乃木坂らしくない」って言われるのは、たぶん『プリンシパル』のイメージが強いからだと思います。】「BUBKA 2017年8月号」

僕は『プリンシパル』を見ていないので分からないが、彼女自身でその当時のことを【「気合い」で役を勝ち取ろうとしてるガチな奴】「BUBKA 2017年8月号」と評している。「やる気!」「熱意!」「根性!」で役をもぎ取ろうとするスタンスだ。

【ホントは正統派でいきたいの!】「BUBKA 2017年6月号」

そう語る彼女には、理想のアイドル像がきちんとある。しかし、今の自分では真っ直ぐそこを目指すことは出来ない。頑張ろうとしても頑張り方が分からず、演技や歌の上手い久保史緒理や、ダンスの上手い阪口珠美とは違って、自分にはアピール出来るような武器はない。でも、理想のアイドルを目指すために、まずはアイドルとして見つけてもらわないと、色んな人に見てもらわないと始まらない。彼女はそう割り切って、今乃木坂46として活動している。

【―でも、10代の女の子がヒール役のイメージを持たれる、って耐えられないほどつらくないですか?
最初は「なんでそんなふうに思われちゃうんだろう?」とか「どこを直せば本当の自分をファンの方にわかってもらえるんだろう?」って悩んだりもしました。でも、そういうイメージを持たれるのを悪いことだと捉えずに、それも自分のキャラにしちゃえばいいんじゃないか、って最近思うようになってきて。見た目は怖そうに見えても、しゃべったら案外そうでもなかった、というのを自分の長所にしちゃえばいいんじゃないか、って】「BUBKA 2017年8月号」

そんな風に辛い状況でも頑張れるのは、彼女が負けず嫌いだからだ。【メンタルは豆腐だけど、負けず嫌い。】「BRODY 2017年10月号」と発言している。

【『自分には見てる人を惹きつけることができる力はないのかな?』とか『何が取り柄なんだろう?』とか考えてたら、すごく悔しくて…つらかったです。そういう『これ以上、何を頑張ったらいいんだろう?』っていう葛藤の中で、最終的には『次に出られなかったら死のう』ぐらいの気持ちで挑みました。もう頭がおかしくなってたんですよね、あの頃(笑)。でもそういう気持ちでいけたから、その次の公演では吹っ切れたお芝居ができたというのもありました】「BRODY 2017年6月号」

『プリンシパル』の時の自分についてもそう語る。「次に出られなかったら死のう」という言葉はきっと、大げさではなかったのだろうと思う。
結果的に彼女はこれまで、「普通」を目指して頑張るという、抑制された努力しか出来ない環境にあった。そのことを彼女は「中途半端」と語るが、しかしそれは試行錯誤の末の仕方ない妥協だったのだとインタビューを読んで僕は感じた。抑制された努力しか出来ない状況に押し込められていた彼女は、最上を目指して振り切った努力をする経験を長らくしてこなかった。そんな自分の制約を振りほどくには、無謀な決意をする他なかったのだろうと思う。

しかし山下美月は乃木坂46で、久保史緒理という盟友と出会うことが出来た。

【(久保史緒里がいなかったら)意識の持ち方が今と全然違ったと思う。久保ちゃんがいるからこそ、久保ちゃんみたいにもっとストイックにコツコツ積み重ねていかなきゃ、って思える】「BUBKA 2017年8月号」

久保史緒理との関係については「「弱さ」と「強さ」の絶妙なバランス・久保史緒里」の記事でも触れたので読んでみて欲しいが、「くぼした」とも呼ばれるこのコンビは、お互いの存在がお互いを高め合うという、見事なハーモニーを奏でている。

【お互いに、弱い自分への対応の仕方が違うだけで、同じことを考えてるし、グループに関して思っていることや今の3期生に対して思っていることは一緒の部分が多いんです】「BUBKA 2017年8月号」

そんな風に感じられる盟友の存在は、山下美月にとってとても大きいだろう。彼女たちは、お互いにないものを補い合いながら、二人で高みを目指しているように見える。乃木坂46に入らなければ絶対に出会うことがなかった盟友の存在はきっと、これまでの山下美月のくすんだ(と表現しても怒られないだろう)人生を塗りつぶし、別の色に変えるような、そんな大きなものではないかと思う。

【最終的には先輩たちやファンの皆さんに『3期生に任せれば、これからの乃木坂は安泰だ』と言ってもらえるくらい、乃木坂に貢献できるようなメンバーになりたい。それができるんだったら、乃木坂にすべてを賭けることも本望です】「BRODY 2017年6月号」

【今や、私の9割以上は乃木坂でできています。乃木坂に入って、性格とか、全部が変わって、自分自身を変えられている最中。きっかけを与えてくれたのは乃木坂ってグループだし、先輩たちが5年間作っていただいたもの。全力で貢献できたらいいなと思っています】「AKB新聞2017年8月号」

山下美月の乃木坂46に賭ける意気込みは、それこそ痛いほど伝わってくる。インタビューを読んで、外見からのイメージとは違う山下美月像が自分の中で形作られるに従って、彼女の「乃木坂にすべてを賭けることも本望です」「全力で貢献できたらいいなと思っています」という言葉には、言葉以上の意思を感じられるようになってきた。

とはいえ、客観視のモンスターである彼女は、きちんと自分の立ち位置も見極めている。

【今じゃなくて、先のことを見据えているので。そのために今を頑張っているから、「すぐ選抜に入りたい」とか、そういうふうには思っていないです。3、4年後に、先輩方みたいにちゃんと成長できているかが問題だと思います】「BRODY 2017年10月号」

【―山下さんは一番になりたい、という気持ちはありますか?
私は目指してないです。自分はあんまり真ん中に立つべき人じゃないって、わかっているので…。主人公タイプではないと思うし。私はセンターとか一番になるより、たとえフォーメーションで一番うしろの列にいたとしても、「山下はうしろにいても存在感があるから大丈夫」って思われるような存在になりたいです】「BUBKA 2017年8月号」

「乃木坂46の中で自分がどうなりたいか」ではなく、「乃木坂46の中で自分がどうなっているべきか」を優先して考えるだけの落ち着きが、今の彼女にはきちんと備わっている。集団の中での立ち位置を常に捉え、模索し続けた彼女の本領発揮と言ったところだろうか。

アイドルになって、やっと素の自分を見せられるのではないか、と語る彼女は、自分自身をこんな風に捉えている。

【アイドルって個性が大事じゃないですか。個性がなきゃ死んじゃうと思って。ただ、ひとつ問題なのは、これまでは作ってきた自分だったから、自分の本当の個性が何なのかよくわからないんですよね。
―リアルな自分を忘れてしまった?
まだ本当の自分がわからないし、たぶんこれからさきもわからない気がしているんですけど、でも、「自分はこういうアイドルになりたい」「こういう人間でありたい」っていう理想になりきろうとしている自分が、本当の自分なんだろうな、と思うんです。
―理想のアイドルに近づこうとする気持ちに嘘はないってことですね。
家ではめっちゃ暗いし、仕事場では明るくなりきってるけど、それが「嘘なのか?」って言われたら嘘じゃなくて。そうやって自分を作ろうとしている自分が、本当の自分なのかも?
―高次元すぎますよ(笑)。
今までずっとそうたって生きてきたから。】「BRODY 2017年10月号」

客観視のモンスターは、そんな風に自分自身を捉えることで、3つのキャラを使い分ける自分を肯定する。自分という存在の本質は、どこかに固着した「静的な存在」ではなく、理想を目指し続ける「動的な存在」にこそあるのだ、という捉え方は、普通に生きている10代の女の子ではきっとたどり着くことが出来ないだろう。抑え込んでいたこれまでの苦しい日々、そしてアイドルとしての高みを目指すために解放的な努力を積み重ねる今、その蓄積の中でしか掴み取れなかっただろうと思う。

「理想になりきろうとしている自分が、本当の自分なんだろう」という発言は僕に、齋藤飛鳥のこんな言葉を思い出させた。

【今でも選抜、アンダーのどっちがいいのかと聞かれると考えてしまいます。誤解を恐れず、理想を言えば「選抜に選ばれて、うれしい私」でありたいです。】「日経エンタテインメント アイドルSpecial 2015」

齋藤飛鳥もまた、自分を捉える眼差しの厳しい女の子だ。彼女たちのように、自分で掴み取ってきた言葉で自分自身を捉え表現する力を備えた若い世代がアイドルとして日々奮闘しているという姿に、僕は刺激と感動を覚える。

最後に、「アイドルのプロ意識」について語った山下美月のこんな言葉を引用してこの記事を終えようと思う。

【私、ずっと「プロ意識」っていうものは、ちゃんと仕事を自分でいただいて、その仕事をきっちり成功させることだと思っていたんですよ。
―それがプロフェッショナルだと。
そうなんです。でも、アイドルとしてのプロ意識はそうじゃないなってことに気づいて。どんなポジションでも応援してくださっているファンの方を満足させること、ファンの方をしあわせにできることが、アイドルとしての一番のプロ意識だなと思ったんです。だから、いま応援してて一番楽しいアイドルになりたい、って思うんです】「BUBKA 2017年8月号」

山下美月が、「客観的に見てる私が嫌い」でないことを祈っている。

History of 齋藤飛鳥



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【―お笑いクラブって何をするんですか?
みんなでネタを考えて、披露するんです。私、小学校低学年の頃はすごく活発な子供だったんです。それが3年生ぐらいでちょっと変わって、「いや、でもまだ明るくいくんだ!」って思って4年生でお笑いクラブに入ったんです。でもやっぱりなんか違うなって思って1年で辞めました(笑)】「ENTAME 2016年10月号」



【―小学3年生までは「みんなと仲良くて、自分からひとりでいる子に声をかけたりする子」だったんですよね。
そうですね。
―その性格が変わっていった理由を、ぼんやりでいいので教えてもらうことはできますか?
いろいろあるんですよ(笑)。優等生ではなかったんだけど、弁論大会に出て賞をもらったことで全校生徒の前で発表した時があって。ブラスバンド部として全校生徒の前で披露する機会があった時は、木琴が一番難しくて一番憧れのパートになる曲だったんですけど、私がオーディションに受かって木琴を演奏したんです。慕われるような存在でもないのに、そうやって人前に立たされる機会があったことで、先輩にチクチクと言われることもあたし、同級生で取り立てて仲のいい子もいなかったし、いじめられてるわけじゃなかったけど、女子って面倒くさいので少しずつみんなとずれていったというか。】「EX大衆2016年5月号」



【中学デビューしたかったんですけど、まわりにビビってできなくて。でも、ついていくためにイケイケ風な女子を演じていました。途中から女の子特有の面倒くささを感じるようになりました。いまでは無理して自分を作っていたことを後悔しています。イケイケ風な女子も乃木坂初期のいちごみるくキャラも本当の自分じゃなかったんです】「OVERTURE Vol.009」



【中学生のときは、ハッピーエンドの恋愛小説も読んでいたんですよ。変わるものですよね(笑)】「Graduation 高校卒業2017」



【といっても、小さい頃はそんな子じゃなかったんですよ。いろんな本を読んで人間の心理を知ったことで、友達に対しても1つフィルターがかかってしまい、群れて行動するというのができなくなったんですよね】「アイドルspecial2016」



【知り合いに乃木坂のオーディションを勧められたんですけど、最初はイヤで。AKBさんがちょっと好きだったから、そういう存在に自分がなるのもどうだろうなと思ったし。
私はその頃暗かったのもあって、母親からも受けてみなよって言われて、最終的に応募したんです。で、オーディションで審査をするスタッフさんや大人の方と接していくうちに、“こういう芸能界の裏側を見てみたいな”と考えるようになって、この世界に入ってみたいなと思ったんです(笑)】「別冊カドカワ 乃木坂 Vol.2」



【―当時AKBやハロプロが好きだったこともあり、過去のインタビューでは「アイドルに助けられてきたので、『私もそんな存在になりたい』という気持ちになって乃木坂46のオーディションを受けました」と語っていた飛鳥。改めて質問すると、オーディションを受けた理由はそれだけではなかった。
それもあるんですけど、知り合いの方にオーディションを勧められたのもあって。私は乗り気じゃなかったけど、母親に「アンタは暗いんだから」と促されて受けることになったんです。
(中略)
私は人生を掛けるほどでななかったので、オーディションに合格したと知った時はかなり意外でしたね。】「ENTAME 2016年9月号」



【―その辺は冷めてたんですかね?
冷めてますね、結構。乃木坂に入ったのも別に、『アイドルをどうしてもやりたいから入ります』というわけでもなかったし。】「MARQUEE Vol.112」



【だいぶ話はさかのぼるんですけど、乃木坂46に入ってから2、3年くらいは『自分が乃木坂46にいる』という感覚があまりなかったんです。当時は中学生だったこともあり、物ごとを真剣に考えていなくて。活動に対して意欲がないとかそういうわけではなく、自分なりに一生懸命取り組んでいたつもりだったけど、いま振りかえってみると、自分のすべてが薄っぺらかったなと感じるんです。】「blt graph. Vol.14」



【それまでの私って、ただ流れに身を任せて生きていたので、別にやりたいこともなくて。昔はみんなと一緒にいるのが楽しいから、乃木坂にいるみたいな感じでした。】「別冊カドカワ 乃木坂 Vol.2」



【でも、乃木坂に入ってなかったら本当にどうなってたんだろう?きっとヤバいヤツになってたでしょうね】「別冊カドカワ 乃木坂 Vol.2」



【―アイドルとしての理想像はありますか?
最初の頃は「THEアイドル」になろうとしてたんですけど、王道じゃなくても受け入れてくれる人がいることを知って、その理想像はなくなりました。アイドルらしくない道もあると分かった途端、どうやっていたのかも忘れてしまって(笑)。最近は、「自分はアイドルなんだ」とはあまり意識してないというか】「EX大衆2016年5月号」



【アイドルの好きなものは苺だと思って、でも、苺だけだと狙いすぎかなと。「ああ、いちごみるくにしよう」と考えたんです。そして、今以上に自分の武器がなかったので「最年少」を武器にしてしまえと思っていました。
今は「いちごみるく」を後悔しているけど(笑)、当時はそれが正解だと思っていたんですよ。私の想像するアイドルをやらなきゃいけないんだって。ただ、無理をしていたというわけでもないんです。当時は今よりも無邪気さがあったので(笑)、そんなアピールが自然な行為だと思っていました。】「ENTAME 2016年9月号」



【理想のアイドルは自分と逆ですね。だって暗いアイドルとか意味分からないじゃないですか】「BRODY 2017年2月号」



【(理想のアイドルを演じることは)無理ですね…。あっ、でも頑張ったら出来るかもしれないです。ただ、それをする価値を見いだせてないっていうか。たぶん怖いんでしょうね。いろんなことを言い訳にして、自分を納得させてるだけだと思うんですけど】「BRODY 2017年2月号」



【「私、今思うと、本当に何も考えずに乃木坂に来た気がします」
今では、選抜常連になりつつある齋藤飛鳥。彼女は当初、「選抜に対して、思い入れはなかった」と語る。】「乃木坂46物語」



【―普通はセンターを目指すとか競争すると思うんです。飛鳥さんはそういうのに影響されずに?
最初の頃はありましたね。最初の“ぐるぐるカーテン”で選抜メンバーに選んでもらったので、その次から何枚かアンダーで活動したんですけど、その頃は結構『悔しい!』って思ってました。】「MARQUEE Vol.112」



【その後、全国握手会で、『走れ!Bicycle』をファンの皆さんの前で初披露するときも、ステージ上で、選抜メンバーがスタンバイするのを、アンダーメンバーが幕で隠すっていう演出があったんです。私たちは、乃木坂ジャージで、布の中にはキラキラの衣装を着た選抜メンバーたちがポーズをとってるんです。
リハのときもスタッフさんに『幕も笑顔でやりなさい!』って言われて。笑顔になんてなれないじゃないですか。…新曲の初披露なのに、もうボロボロ泣きました。】「乃木坂46×プレイボーイ2015」



【14年は自分探しからスタートしました。横浜アリーナのライブリハでだれてしまったとき演出家の方に「これだけ大人数だと、あなたがいなくても成り立つんだよ」と言われて。そのときはショックではあったんですけど、すぐに「あなたがいないと成り立たない」と言われる存在にならないといえないなと思ったんです】「日経エンタテインメント アイドルSpecial 2015」



【最初、アンダー曲(※「扇風機」)のセンターと聞いた時はプレッシャーもあまりなくて、ただただうれしかったんです。だけど、MVの撮影でV字型のフォーメーションの一番前で横にも誰もいない状態を経験した時に寂しさと難しさを感じて。「センターって、もしや楽しいだけじゃないのかな」と思うようになったんです。
この頃かな、今もそう思っていますけど、個性がないことに気付きはじめてすごく焦りだしたんです。「何かを極めたいけど、どうしたらいいのかわからない」という時期がしばらく続きました。】「ENTAME 2016年9月号」



【(アンダーの)センターに立ったのは、アンダーライブがない時期。6枚目のときだったので。でも私は、逆にその時期にできたことをすごく誇りに思ってて】「乃木坂46×プレイボーイ2016」



【―8thシングル「気づいたら片想い」で再びアンダーに戻った時期が、飛鳥にとって一番ツラかったという。
「気づいたら片想い」で乃木坂46が「ミュージックステーション」に初めて出演したじゃないですか。乃木坂46というグループが世の中に浸透しはじめていることを実感する一方で、自分は選抜に入っていない状況があって…。
シングルの特典としてアンダーライブが行われたこともあって、「まいやん(白石麻衣)をはじめとした選抜常連メンバーと自分は別のグループなんだ」と考えることで、無理やりにでも自分の気持ちを割り切ろうとしたんです。】「ENTAME 2016年9月号」



【それまではガムシャラな姿を見せることがカッコ悪いと思っていたんです。だけど、ガムシャラな姿を出すことでファンの方が喜んでもらえることがわかったので、全力でパフォーマンスできるようになって。とくに2014年10月のアンダーライブ2ndシーズンで意識が変わって、本気で乃木坂46に向き合うようになりました。】「ENTAME 2016年9月号」



【アンダーの時期がなかったら、きっと今、ライブが好きじゃないだろうし】「乃木坂46×プレイボーイ2016」



【なんか私の中でアンダーって特別で、割と私は選抜に行っても、センターをやっていても、アンダーメンバーと一緒にいるときのほうが安心するんですよね】「乃木坂46×プレイボーイ2016」



【―CUTiEの前後で、飛鳥さんの何が変わったと思いますか?
もう全部変わりましたね。前まではあんまり写真に撮られることは好きじゃなかったんですよ。自分の見た目とかがそんなに好きじゃないというか(笑)。コンプレックスが多いのであんまり写真に残されるのが好きじゃなくて。ちっちゃい頃もいつも横を向いていたり、目を隠していたりしてましたね】「MARQUEE Vol.112」



【洋服を買う時、今年の頭くらいまではお母さんと伊藤万理華の指示に従っていました。買い物中にいちいち写真を撮って、2人に送って確認をとっていたんです。万理華にはコートとか大きい買い物の時だけなんですけど】「OVERTURE Vol.009」



【私は自分の見た目にコンプレックスだらけですけど、CUTiEの専属モデルをやらせて頂いたことで、周囲の人から“どう見られているのか”の大切さがわかって来て、普段の生活からどう過ごすべきかを学べたことが、人生ですごく大きい】「乃木坂46 夢の先へ」



【それまではカメラを向けられること自体が苦手だったんです。ただ、最初の「CUTiE」の表紙が好評だったので「メイクが変われば私が写真に残っても大丈夫なんだ」という気持ちになって、そこからは楽しさが大きくなりました】「ENTAME 2016年9月号」



【その頃は、実力や人気ではなくて「CUTiE」のおかげで選抜に入ることができたと勝手に思っていたので、ファンの方に「アンダーのフロントのほうがよかったんじゃないの?」と言われても「いやいや、『CUTiE』さんが用意してくれた席なんだから」と心のなかで呟いていました。】「ENTAME 2016年9月号」



【生駒ちゃん本人は覚えているかわからないけど、「アンダーにいる若い子たちにとっては飛鳥ちゃんが希望なんだよ」と言われたのがうれしくて。アンダーにいた回数と選抜にいた回数が同じだったし、アンダーメンバーの気持ちも分かっているつもりなので、若いメンバーには「アイドル向きじゃない齋藤飛鳥でも前にいけるんだ」と思ってほしいです】「ENTAME 2016年9月号」



【今でも選抜、アンダーのどっちがいいのかと聞かれると考えてしまいます。誤解を恐れず、理想を言えば「選抜に選ばれて、うれしい私」でありたいです。でも、選抜やアンダーのどこにいても「齋藤飛鳥はここにいます」というのを見せられれば幸せですよね。】「日経エンタテインメント アイドルSpecial 2015」



【でも実際、今はセンターにいないわけだし。逆に“私がセンターになったら、本気で売れると思ってるんですか?”ってみんなに訊きたいです】「別冊カドカワ 乃木坂 Vol.2」



【―ではこれまで、センターに立ちたいと思ったことはないのだろうか。
ほぼないですね。もともとセンターを目指すようなタイプでもないし、むしろ私がなると万人受けしないと思うし。本当にダメだと思うんですよ…って、ネガティブ過ぎますかね?(笑)
―自分が万人受けしないと言い切ってしまう、その理由も訊いた。
もう、全て。顔も万人受けしないですし、考え方や発する言葉もアイドル向きじゃないし。少なくともこんな暗い話しか出てこないところがダメだなって(笑)多少は明るさもないと!】「別冊カドカワ 乃木坂 Vol.2」



【今もですけど、センターになりたいっていう気持ちは別になかったので。福神も自分には無縁だと思ってました
―その頃の飛鳥さんは何を目指してたんですか?
特に何も目指さずただ居ただけって感じです。ただ今やる事をやってるっていう感じだったので】「MARQUEE Vol.112」



【もともとアイドルになりたくて乃木坂46に入ったわけではないし、センターは予想外すぎました。しかも『裸足でSummer』は夏曲じゃないですか。初めて曲を聴いたとき、これ絶対笑顔で歌う曲だ、とさらにプレッシャーがかかりました。でも、センター発表直後の『乃木坂工事中』(テレ東系)の放映を見て、自分の発言はほかのメンバーの気持ちを考えていなかったなと反省しました】「アイドルspecial2017」



【責任感や覚悟は必要だったけど、センターだからって無理して自分を変えることはない。私なりのセンターをやっていこうって。
実際センターに立ってみると、いろいろな発見がありました。私は意外とアイドルスマイルができるんだとか(笑)、こんなに粘り強く物事に取り組めるんだなとか。】「アイドルspecial2017」



【―感情をあらわにすることに抵抗がありますか?
多少はありますね。どんなに身近な人や親しい間柄でも、べつに見えなくてもいい部分はあるじゃないですか。だから、感情をそのまま出す必要はないのかなと思います。『もっと本音を見せてほしい』と言われていたし、もちろんそういう気持ちも理解していたけど、でもやる必要性をあまり感じていなくて。単純に頑固っていうだけなのかもしれないけど】「blt graph. Vol.14」



【―今回、センターを務め上げたことで齋藤さんが得た最大の収穫はなんだと思いますか?
なんだろう…「人間になれたこと」がいちばんの収穫ですね】「BUBUKA 2016年11月号」



【去年の夏ぐらいから、またちょっと人間らしくなったんですよ。「裸足でSummer」で初めてセンターをやらせていただいたときに、びっくりするぐらい周りがやさしかったんです。もちろん、いつもやさしいんですけど、私に不安しかないのを感じとって、私の性格も理解した上でいつも以上にやさしくしてくれて。そのやさしさにびっくりしつつも“なんだ!”人間っていいじゃん!って思えたんです。そのあたりから、ちょっとずつ“今、楽しい!”とかっていう感情を表に出せるようになって、人間らしくなってきたと思います】「Graduation 高校卒業2017」



【自分がどうかよりも、周りのメンバーの気持ちに気づけるようになったのが成長かもしれない。つらかったけどセンターを経験してよかったです】「日経エンタテインメント!2017年2月号」



【―飛鳥さんは以前と比べると、後ろ向きな発言も減りましたし。
『裸足でSummer』のときにあまりマイナスなことを言わないようにしようという意識でやっていて、それがたぶん染み付いて、わりと当たり前になったのかな】「BUBKA 2017年6月号」



【―昨年、センターを経験しても自信がついてこないんですか?
センターになっても、自信につながることはありませんでした。あの時期の経験は、まわりに助けてもらうことによって自分の至らなさを知ることにつながりました。それを反省して次に生かすっていう方向に持っていきたいですね】「FLASHスペシャル グラビアBEST」



【―確かに、飛鳥さんには今求められている感じが強いですし。
いやいやいや、全然全然。
―まだそういう認識はないですか?
ないですないです!
―でも確実にグループを牽引してるメンバーのひとりというイメージがありますが。
全然ですよ(苦笑)。そこに対する自信はこれからかなぁ】「BUBKA 2017年6月号」



【―センター期間をやり終えて、飛鳥さんのなかに何が残りましたか?
残ったというか、乃木坂46に対する考え方がだいぶ変わりました。グループのことも、グループのなかにいる自分のことも。
―具体的にいうと?
グループ内における自分の認識の仕方ですかね。前までは、べつに自分の存在がグループにとってそこまで大きいものではないので、自分のことを『乃木坂46として認めてない』っていう見方だったんです。『私はまだ認めてないからな』って。
―自分を突き放しますね
自分はグループのために何もできていないという意識が強かったし、むしろ『乃木坂46』という名前を使って何やっているんだ、という気持ちだったので。でも、センターをやらせてもらって、自分がここにいる意味だったり、役回りが理解できるようになりました。こういうふうにがんばればいいのか、っていう道がちょっと見えてきたというか。
―自分を認められるようになった?
乃木坂46にいても害はないかな、っていうくらいですけどね(笑)】「blt graph. Vol.14」



【実は、すこし前までは“次世代”という言葉に抵抗があったんですよ。1期生として最初からみんなと一緒に頑張ってきたつもりなのに、この4年間は何だったんだろう…って。でも、最近は、期待していただけているんだと思って、ありがたく受け止めています。私がグループの未来を担う、なんて大それたことは思わないけど、以前よりは欲が出てきたし、もっとグループに貢献したいと思うようにもなってきましたね】「FLASHスペシャルグラビアBEST 2016年新春特大号」



【―周りからの見られ方も、その時期から変わり始めたのも事実。そんな彼女は今、グループ内での自分の役割をどう分析しているのか。
みんなといると実感するんですけど、私って薄いなって思うんです。特に選抜メンバーは個性が強い子ばかりですし、何をやっても恥ずかしいことにはならない。そういう何事もうまくやる子たちと一緒にいると、“私にはこれがあるから、ここにいられます”みたいな武器がないなって気付かされるんです。
だからといって、そういう武器がほしいかと言われると…必要な時もあるんですけど、でもそういうのって周りから付けていただくものだと思うので。自分からこれをやろう、あれをやろうみたいなことは考えてないです】「別冊カドカワ 乃木坂 Vol.2」



【「こんな大人になりたい」はないです(キッパリ)。流れに任せたいし、「こうなりたい」と思いながら生きていくのが嫌なので。「こんな大人になりたくない」というのはたくさんあるんです。それと、友達は少ないけど、同年代の子を遠くから観てうらやましいと思ったこともないので、いまのところは乃木坂46に専念できるかなって思います。この先はどうなるのか分からないですけどね】「EX大衆 2016年9月号」



【―最後に、未来に向けて今の気持ちを。
大人になると“高校生のことに戻りたい”って、みんな言うじゃないですか。私の周りにも多いし、私もいつかそう言うのかもしれないし、それは別に悪いことじゃないとは思います。でも、大人になっても高校時代に戻りたいと思わなくて済む生き方ができれば、本当はそれがいいんだろうなって思っています】「Graduation 高校卒業2017」



【私がすごい弱っちい人間なので、期待を裏切られてショックを受けるのが怖いんです】「BRODY 2017年2月号」



【たぶんね、何に対しても期待をしたくないんですよ。期待をしてここに来たはずなのに、その期待を裏切られることが多くて。でも“そんなもんだよな”と思ってる自分がいつつ」、まだどこかで期待したい自分もいつつ、みたいな。いろんなのが混ざり合って、今の私ができたんだと思います】「別冊カドカワ 乃木坂 Vol.2」



【―いまも「世の中そんなもん精神」はあるんですか?
はい。9枚目、10枚目くらいから思い始めたんですけど、その頃はまだスタッフさんに褒められたらそのまま鵜呑みにして、期待に胸をふくらませていたこともあったんです。でも、結果的に期待はずれになることも多いと分かったので、いまは「世の中そんなもん精神」がより強固になってます。
―「世の中そんなもん精神」は、ビートたけしさんの「人生に期待するな」という言葉にも通じるなと思うんです。その分、冒険ができるというか、モデルなりラジオなり新しいジャンルにも恐れず飛び込めるのかなかって。
そうですね。小さいことで「うれしい」と大きく感じることもできるようになりました。「世の中そんなもん精神」があるから何に対しても高望みしないので、うまくやれている部分もあるのかなと思ってます。】「EX大衆2016年5月号」



【うーん、でも私はどんな意見も受け入れるというか、あえて自分のことを調べたりはしないけど、批判的な意見にも「参考になります」と思えるタイプなんです】「OVERTURE Vol.009」



【でも結局、私自身そこまで納得しようと思ってないというか、納得する気がないので、誰かに相談してスッキリしたいとか、自分のなかでこれを解決したいとか考えたことがあまりないですね。だって“納得することってなくないですか、世の中って?”って考えになっちゃうんですよ。】「別冊カドカワ 乃木坂 Vol.2」



【私、なんに対しても“こだわりを持つ”ってことが好きじゃなくて。もちろんいい方向に進む努力はしますけど、なるようになってくれればいいし、私は絶対にこうなりたいって夢は持ちたくない。自分にも、周りにも、あんまり期待はしたくないんです。そのほうが、ワタシ的にはいい意味で楽なんですよね】「Graduation 高校卒業2017」



【私、「このジャンルに向いてるよね」って言われるのが好きじゃなくて。曲によっていろんな見え方ができたほうがいいかなと思っているので、それは意識していますね】「ENTAME 2017年5月号」



【私は個人的に“飛鳥はこういうイメージだよね”って決められるのがあんまり好きじゃなくて。
だからこそ、いろんな方面の仕事をさせてもらえるようになって、自分のいろんな面を見せなきゃいけないなっていう意識はより強くなってます】「別冊カドカワ 乃木坂 Vol.2」



【私はファンの皆さんが抱いている私のイメージをまるまる全部は認めてはいないんですけど、自分らしさは自分が決めるものだとも思っていないんです。だから、齋藤飛鳥として求められるものにきちんと応えていきたいと思っています】「アイドルspecial2017」



【でもなんか、昔に比べて人に流されることがなくなってきていて、それが自分的にはいいなって感じることが多いんです。だから、今後も流されずに自分の考えを持ってやっていけたらって思うんですけどね。例えば、今は若いから何を言っても中2病とかメンヘラとか言われるんですけど、大人になってもずっとそんな感じで言い続けたら、中2病でもメンヘラでもなくて、根本的に性格がひん曲がっているだけなんだなって(笑)、わかってもらえる!
―齋藤飛鳥は、決して中2病でもメンヘラでもないんだぞと。
違いますよ。ただ、今はそう思う人はそう思ってくれてもいいんですけどね。時間がかかってもいいから、いつか理解してくれたらいいなって思います。】「Graduation 高校卒業2017」



【最近握手会やブログのコメントでうれしいのが、以前は「見た目」で好きになってもらう方が多かったんですけど、「考え方が好き」という方が増えたこと。「見た目」を好きになってもらえるのもうれしいけど、「見た目」が変わったらどうなってしまうんだろうという不安もあるし、「若さ」は必ず失われますから。
でも、「考え方」は基本的には変わらないので、そこを好きになってもらえるのが嬉しいんです。自分を認めてもらったような感じがします。】「日経エンタテインメント アイドルSpecial2016」



【あ~。世間の方にみんなのよさがどこも捻じ曲がることなく伝わればいいなと思ってます。
―自分自身は?
自分のことが捻じ曲がって伝わるのは、「もうしょうがない」と思ってるので大丈夫です】「EX大衆2017年5月号」



【もとから真夏のことは大好きだったんですけど、たぶんどこかで胡散臭さを感じていたんですよ(笑)】「BUBUKA 2016年11月号」



【もともと私はネガティブだから不安やプレッシャーはずっと抱えた状態ではあったんですけど、でも誰かに言うほどではなかったし、言うのもダサいから自分のなかに留めていたんです。ただ、一度だけどうしても我慢できなくなっちゃったときがあって。(中略)
そこで話を聴いてもらったときに「あ、真夏には言えるな」と思って。それから真夏にだけ話したりとか、言わなくてもなにかあったら目が合ったり(笑)】「BUBUKA 2016年11月号」



【真夏とは似てるところも結構あるんですけど…でも、なんか私が持ってないものをすべて持ってる印象があって。真夏は頭がいいし、やってることに無駄がないし。なにをやらせても恥ずかしいことにならないのもかっこいいですよね。あとはもう人間力。真夏だからこそ、こういうキャラでいれるというのはあると思います。私は誰からも好かれたいとは思ってないんですけど、でも真夏みたいにこれだけ周りから愛されているひとを見ると、そういう人生もアリなのかなってすごい思います。】「BUBUKA 2016年11月号」



【(最年少で得したことについて)あ、私は橋本(奈々未)が好きなんですけど、中学生のことはどうやって愛を表現すればいいのかわからなくて。たぶん、ちょっと歪んでいたんでしょうね。あの、きのこのお菓子があるじゃないですか?あれの上のチョコの部分だけ自分で食べて、棒のクッキーの部分を橋本に渡すっていう。よくわからない愛情表現を14歳のことにしていたんですよ。もう意味がよくわからないじゃないですか。でも橋本は、中学生なのにこんなに考えて私に愛を伝えてくれたって、理解を示してくれたうえにブログにまで書いてくれて。そんなことされるの絶対イヤなはずなのに、きっとこれも若さや無邪気さということで受け入れてもらえたんですよね】「BUBUKA 2017年5月号」



【なんだろうな。私がけっこうネガティブで暗いことをよく言うんですけど、奈々未は「私もそう思うときがあるよ」と共感してくれる。それと、ずっと言い続けてくれてるのが「飛鳥にはもっと気楽に生きる方法を覚えてほしい」という言葉で】「EX大衆 2017年1月号」



【なんか、奈々未のふとしたときに出る言葉って、すごく重みがあるの。この人は嘘をつかないんだって、心の奥底で信頼してる部分があるから、本当に素でいられるんだと思う。末永くこの関係でいたいな】「乃木坂46×プレイボーイ2016」



【(橋本奈々未)憧れている部分が大きいから、奈々未に質問や相談をすることが多かったのかなって。奈々未は嘘をつかないし考え方も近いから、その答えに納得できて、奈々未が示した道なら間違いないと思えるんです。5年間、ご飯に行ったこともないし、互いの気持ちをそこまで話したかといえばそうじゃないかもしれないけど、信頼し合えていた不思議な関係です】「OVERTURE Vol.009」



【礼儀とかはちゃんとしたいなって思ってます。チヤホヤされがちじゃないですか、アイドル。もう5年間もチヤホヤされ続けてきて、でもそのチヤホヤを真に受けず、それを疑って生きてこれたってことは、逆に社会に出ても普通に生きていけるんじゃないかなって思うんです】「BRODY 2017年2月号」

「弱さ」と「強さ」の絶妙なバランス・久保史緒里



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乃木坂46に3期生が加入して10ヶ月。彼女たちは膨大な露出にさらされている。

僕は乃木坂46のファンだが、彼女たちのことは、テレビか雑誌でしか追っていない。握手会やライブ、イベントなどには行ったことがないので、そちらの方面でどういう露出がされているのかは、直接的には知らない。しかし、雑誌の対談などでその断片は分かるし、何よりも雑誌で取り上げられる頻度が非常に高い。

これを恵まれた環境だと捉える人もいるだろうが、僕には過酷に映る。例えば2期生は、乃木坂46に加入してから現在まで、一般的なルートでエベレスト登頂を目指しているとしてみよう。高所順応をしっかりし、自分の体力に合わせて自分のペースで登っていくというようなイメージだ。しかし3期生は、エベレストの9合目にいきなりヘリから下ろされて、そこから登れと言われているようなものだろうと思う。高所順応もせず、また少しずつ登って感触を掴んでいくような経験もしないまま、過酷な登山にさらされているのだ。よくやっていけるものだ、と感じる。

そして、やはりというべきか、そういう過酷な状況の中でも、突出するメンバーというのは出てくる。僕が見ている範囲では、久保史緒里と山下美月がずば抜けた個性を発揮していると感じる。雑誌の記述によれば、彼女たちの『3人のプリンシパル』は凄まじかったようで、共演した酒井敏也氏は、『あの2人は毎日変わっていきましたよね。』(OVERTURE 2017年7月号)と語っている。僕は『プリンシパル』は観ていないので分からないが、雑誌での彼女たちの発言を追っていくと、考え方や個性、覚悟の決め方や表現力などが、ちょっとずば抜けていると感じられる。

今回は、久保史緒里について書いていきたいと思う。

久保史緒里は、不思議な女の子だ。見た目は儚くて清楚なイメージで、「乃木坂らしい」と評されることも多いようだ。大きな声を出すイメージも、グイグイ前に出てくるイメージもないが、「NOGIBINGO!8」でのバドミントンをやりながらの自己紹介などを見て、スイッチが入った時の切り替わりに驚かされた。また、同じく「NOGIBINGO!8」での「妄想リクエスト」のコーナーでは、風紀委員役を驚くほど高いレベルで演技してみせた。『プリンシパル』で実力が高く評価された、という話は前々から雑誌で読んでいたが、これほどレベルが高いとは思ってもみなかった。

しかし、何よりも久保史緒里を特徴づけるのは、そのネガティブさだろう。

【初めて会うどんな方からも「この子はネガティブだな」と分かってしまうくらい隠しきれない(笑)。どんなことでもネガティブな方向に思考がいくようにルートが決まってて。】「EX大衆 2017年7月号」

乃木坂46にはネガティブなメンバーが多く、そのことが僕にとっての魅力になっている部分はある。齋藤飛鳥を始め、ネガティブな部分をさらけ出すメンバーは多い。その中でも僕の実感として、久保史緒里のネガティブさはかなり群を抜いているだろうと感じる。

【私は3期生とも上手に話せない…。
(与田祐希)え?え?3期生とも?それは初めて聞いた。
みんなに言ってない…。だって、言ったらみんなにもっと距離を置かれちゃうかもしれないから。なんかお悩み相談みたいになっちゃったね(笑)】「ENTAME 2017年6月号」

3期生とも上手く話せないというのには、【『お見立て会』の時期は、私がメンバーと何枚も壁を作っていたので】(BUBKA 2017年8月号)という発言もしている。年代こそバラバラだとは言え、「同じ学校にいる」よりも遥かに強い「乃木坂46の3期生」という関係性の中にいても、打ち解けるのに恐ろしく時間が掛かるのだという。【でも、最近は3期生のみんなに「ネガティブは面倒くさい」って言われるから、申し訳ないなと思い始めたんです】(EX大衆 2017年7月号)というほど、3期生も彼女のネガティブさを認識しているし、それが度を越えたものだと否応なしに分かっているようだ。

【私は、やっぱり自分のことがそんなに好きじゃないので。失礼だなとは思いつつも、相手がなにかを褒めてくださったことに対して、否定してしまうことがあります。それじゃダメだなとは思っているんですけど…。そもそも人見知りで、コミュニケーションが上手じゃないので、嫌われるような発言をしてしまったんじゃないか?とかいろいろ考えてしまいます】「BUBKA 2017年6月号」

僕自身もネガティブだから分かるが、ネガティブな人間は、考えても仕方ないことをつい考えてしまうことが多い。「嫌われるような発言をしてしまったのではないか」というのは、考えたところでそれが分かることは少ないし、そもそも関わる人全員に好かれる必要などないのだから気にしても仕方ない、という風に思えれば楽になれるのだけど、ネガティブな人間はなかなかそうは思えないものだ。とはいえ、【人と仲良くなるのにすごく時間がかかります。地元の友達でも「本当に仲良くなった」と思うまでに、短くて4年かかっていて】(BUBKA 2017年8月号)というのは、あまりにも物事をマイナスに捉えすぎではないかとは思うのだが。

こういう久保史緒里の考え方がどのように生まれたのか、その背景まで掘り下げるようなインタビューはまだないが、その一端を感じさせるような発言はある。

【でも、なんか…私の部屋はWiFiが繋がってなくて(笑)。だから、動画とか観られないんです。それをお母さんに伝えたら「ウチはそういう家系だからしょうがないよ」って言われて。何をやるにもツイてない、というか。
―久保家は代々そうなんですか?
とくに私がひどいかもしれないです。私が乗っていた電車が止まっちゃたり、そういうことがたくさんあります。この間も、ちょっと時間ができたので、行動派じゃないのに原宿にやっとの思いで行ったんです。すごく行きたかったピザ屋さんがあって、そしたら、私が行った3時間だけやってなくて。
―営業時間外だったんですね
あきらめて戻ろうと思ったら、電車の乗り換えがわからなくなっちゃって…。で、駅の地下を歩いて出ようとしたら「ここから出られないので入場料を払ってください」って言われて。それで入場料を払って、こんどは牛丼屋さんに行ったら、頼んだものが出てこなくて…。でも、人見知りで店員さんに言えなくて、そのままスルーして帰りました。
―「注文したものが来てないんですけど」って言わなかったんですか?
言えない…。基本的に私、そういう人間です。どっちかといえば空気に近いかも(笑)】「BUBUKA 2017年5月号」

彼女曰く、こういうことが日常で頻発するのだ、という。もちろんこれも、ニワトリが先か卵が先かという話に近いものがあって判断は難しい。こういう不運が日常の中で積み重なったからこそ、考え方がどんどんネガティブになっていったのだ、という捉え方ももちろん出来る。しかし、ネガティブだからこそ、身の回りで起こる些細な出来事を悪い方に、つまり「自分のせいだ」という風に解釈してしまう、という捉え方も出来るだろう。個人的には、彼女が何故これほどまでにネガティブな思考を持つようになったのかは非常に気になるところだ。

齋藤飛鳥もネガティブで、自分のネガティブの源流や、自分のネガティブさが自分にどういう影響を与えてきたのかについてよく語る。これは僕の持論だが、ネガティブな人間は、言葉で自分を捉える訓練をし続けなければならない。何故なら、ネガティブな思考で生きていくということは大抵、周囲との差異や周りの人間に対する違和感などをもたらすことになる。そういう中で生きていかなくてはならなくなる。久保史緒里も、

【たぶん普通ではないんですよね。まわりからも「普通じゃない」って言われ続けてきたので、自分でもそれはわかっているんですけど(笑)】「BUBUKA 2017年5月号」

と発言しているように、やはり周囲との差異の中で生き続けてきたのだと思う。そしてそういう中で生きていくためには、「自分が今何を感じているのか」「それが周囲とどういう差異をもたらすのか」などについて徹底的に自覚し、言語化し、時には他人に話が出来る状態に持っていく必要があるのだ。これは、僕自身の経験の話だが、ネガティブな人間にはそういう傾向があるはずだと思っている。

だからこそ僕は、ネガティブな彼女たちに惹かれるのだ。僕が雑誌で乃木坂46のメンバーを追いかけるのは、彼女たちの言葉を知りたいからだ。考え方や価値観を知りたいからだ。だから僕にとって、言語化出来る能力というのは、男女問わず人間に関心を持つ際の一番重要なポイントだ。ネガティブさは言語化力を生む。だから、ネガティブな人間に惹かれてしまう。

僕が久保史緒里の一番好きな部分は、「AKB新聞」の中でのこの発言だ。

【ライブのMCの台本を渡されたときに、桃ちゃん(大園桃子)のせりふとかを覚えています。私は人に頼るのは得意じゃないけど、人に頼られるのは好きなので、本番中に桃ちゃんが「何だっけ」という顔で私に頼ってくれるのがうれしくて】「AKB新聞 2017年6月号」

久保史緒里に強く関心を持ったのが、この発言に触れた瞬間だった。凄く良い子だな、と思ったのも確かだ。しかし、それだけではない。この発言は、ネガティブさと闘い続けてきた彼女が獲得した強みだと感じたのだ。

久保史緒里は、一人の方が好きだという発言を良くする。

【私も自分の好きなように生きています。みんなが「ねぇねぇ明日遊びに行かない?どこに行きたい?」みたいな話をしているなかには、あんまり自分から行きたいとは思わないです。
―みんなとエンジョイしたい!とは思わない?
ショッピングに行くくらいだったら、ひとりで森林に行きたいタイプなので(笑)】「BUBKA 2017年6月号」

何故そう感じるのか。それは次の発言から分かる。

【―ひとりのほうが楽ですか?
そうですね。誰かを誘うことによって、その人の時間が私の時間になっちゃうし。その人はもしかしたら、なにかほかに違うことをしたかったかもしれないのに、付き合わせてしまうのも申し訳ないです。誘った私も気を遣ってしまって、それで体力を…。それだったら、ひとりでいるのがいいかなと思ってしまいます】「BUBKA 2017年6月号」

久保史緒里は、誰か他人といることで、考えすぎてしまうのだ。何を考えるのかと言えば、「今ここで自分はどうあるべきか」ということだろう。この感覚は、僕の中にもずっとある。その場における自分の役割を考えすぎてしまうが故に、他人といることに疲れてしまうのだ。だから、一人でいたい。

こういう性格は、必要ではない場面でも考えすぎてしまうので疲れてしまう。しかし裏を返せば、必要な時には必要な形で適切な役割を担うことが出来る、という意味でもある。それが先程の、「桃ちゃんのせりふを覚える」という発言に繋がっていく。自分の役割を考える必要がない場面ではあまりに過剰に働きすぎてしまう彼女の性格が、自分の役割考える必要がある場面では強力な武器に変わるのだ。これはまさに、ネガティブさと常に向き合い、闘い続けてきた彼女だからこそ持ち得た力だろうと僕は感じるのだ。

そんな彼女も、乃木坂46に入り、少しずつ変わってきたようだ。

【私も「あぁ、無理かもな」と思うけど、「できなくてもやろう」という精神は持つようにしてます】「EX大衆 2017年7月号」

ただし、無理矢理自分を変えるようなことはしない。

【そうですね。最近はポジティブになるのも違うなと思ってます。もしポジティブになったら全然違う人間になってしまうので、いまはネガティブを減らしていけばいいかなって】「EX大衆 2017年7月号」

それでいいと僕も感じる。ネガティブさは、うまくコントロールすれば武器になる。敢えて手放す必要もない。うまくコントロール出来るようになるまでは周囲に迷惑を掛ける機会も多くあるかもしれないが、それも個性だと割り切って、自分らしくいて欲しいと思う。

何より久保史緒里は、少しずつネガティブさをコントロール出来るようになってきているようだ。

【―おふたりはライバル関係ではないかもしれませんが、3期生のなかで一番を目指したいという気持ちはありますか?
「一番になりたい」って考えたことなかったんです。むしろ、私が目指す場所は、3期生のなかでの一番じゃなくて、自分のなかでの一番。今の私ってダメダメなんです。「こうなりたい」と思い描いている理想の自分からは、ほど遠くて。今までと同じ生活をしていたら、今の場所からも今の自分からも抜け出せないいし、停滞していくだけだなと思います。だから、昨日の自分をつねに越えていくことが目標です。
―誰かと比較することもない?
以前までは、ちょっとの差だけですごく比較してたんですよ。なんであの子はできるのに、私はできないんだろう…って比較ばかりしていて。でも、今はしなくなりました。それがいことか悪いことはわからないけど、比較する相手が「昨日の自分」だっていうことに気づいたんです。自分を越えられない人間が、他人を越えられるわけがないので、まずは昨日の自分を越えていこう、っていう考え方に変わりました】「BUBKA 2017年8月号」

これまでずっと誰か他人と比較するのに向けられていたネガティブさが、昨日の自分に向けられるようになったという。素晴らしい方向転換だ。他人と比較しても、比較対象である他人の情報を正確には手に入れられないから、どうしても予想が入り交じる。しかし予想が混じる場合、ネガティブな人間には、どんどん悪い予想をすることになってしまう。結局これでは、まともな比較は出来ない。昨日の自分であれば、ほぼ正確に捉えることが出来て、予想が混じる余地もない。昨日の自分を乗り越えるために何が出来るのか。問いをそう捉え直すことで、彼女はより力をつけていくことだろうと思う。

そんな久保史緒里だが、最近発売された「BUBKA 2017年8月号」で、山下美月と対談をしている。僕は乃木坂46が取り上げられている雑誌をかなり買って読んでいるが、ここ最近読んだ中ではずば抜けて良い対談だったので、久保史緒里が山下美月との関係をどう捉えているのかという話に触れてこの記事を終えようと思う。

【あと、ふたりで一緒にいると「珍しいね」って言われるんですよ。だけど、全然仲悪くない】「BUBKA 2017年8月号」

【―今日こうやってお話を聞くまで、正直、おふたりはライバルのような関係だと思っていました
でも、そういう見られ方をされていると思います。
(山下美月) うん。『プリンシパル』以降バチバチ!みたいな(笑)
ね!ファンの方にも聞かれたことあるよ。「山下ちゃんとどういう関係なの?」って。だから「俺の嫁!」って答えたんですけど(笑)】「BUBKA 2017年8月号」

『プリンシパル』以降、彼女たちはそんな風に見られることが多かったという。こんな風に書かれると、『プリンシパル』でどういう争いが繰り広げられたのか、凄く気になるところだ。

「BRODY 2017年6月号」には、『3人のプリンシパル』での久保史緒里と山下美月の様子が活写されている。

【忘れてはならないメンバーが2人いる。今回の『3人のプリンシパル』を牽引したと言ってもいい2人、久保と山下だ。2人は初日から第二幕に選ばれ、千秋楽までの15公演中、久保が11公演、山下が10公演に出演。第一幕ではともにネガティブさを発揮してスタートした2人だが、演技審査になると一変し、堂々とした演技を見せ立候補した役を勝ち取っていった。しかも、彼女たちは演技初心者なのに、公演を重ねるごとに深く、細やかな演技を見せるまでに成長する。】「BRODY 2017年6月号」

こう評されながらも、彼女たちは自信がないまま闘い続けた。久保史緒里は、【もうダメです、今日は何をすればいいかわからないです】と嘆き、山下美月は、【次に出られなかったら死のう】というあまりに悲壮な覚悟で臨んだ日もあったという。

【久保の存在が山下に火をつけ、山下の存在が久保を支えた。乃木坂46に入っていなければ、おそらく出会うことはなかったであろう2人だが、気づけばお互いは唯一無二の存在になっていたのだ】「BRODY 2017年6月号」

いかに彼女たち二人が、お互いの存在を意識し、お互いを高め合いながら『プリンシパル』を乗り越えていったのかが、とてもよく分かる観戦記だった。

そんな二人だが、久保史緒里は山下美月のことをさらに高いレベルで捉えている。

【でも本当に不思議なんですけど、なぜかやましー(山下美月)とは全然そんなことなくて。最近気付いたんです。やましーの存在が特別であることに。】「BUBKA 2017年8月号」
【なんていうか…たぶん、やましーとは前世で会ってるんですよ】「BUBKA 2017年8月号」
【やましーは私のことを前から知っているんです。】「BUBKA 2017年8月号」

これらの発言に対して山下美月は、【え、やばくない?(笑)】【え?大丈夫?(笑)】と反応しており、この対談で初めて聞いたことが伺える。山下の反応にはお構いなく、久保史緒里は自分の考えをどんどんと喋っていき、周囲は恐らく「大丈夫かな…」という雰囲気になっていたように思うが(なんとなくそう感じる)、臆することなく主張する。ネガティブな人間とは思えないほどの前のめりぶりであり、その点が一層、久保が山下を非常に大事で気の許せる存在として見ているのだということが伝わってくる。

【…こんな出逢い、もう一生ないかもしれない!
(山下) 本当に?
ないよ!誓える!この出逢いはもう一生ない!】「BUBKA 2017年8月号」

久保史緒里にとって山下美月とは、ここまで言わしめる存在なのである。

山下美月もまた、久保史緒里の存在を非常に大事なものと捉えているが、さらにその上で、山下美月らしい客観的な捉え方もしている。

【でも、私たちの関係性を見ていて「面白い」って思うファンの方もいるんじゃないですか。乃木坂46というグループというか、エンターテインメントって、面白いことが第一だと思うんです。だから、このふたりがライバル関係っていうふうに見られているのも、私はすごくいいことだなと思っていて。そのストーリーを面白いって思ってほしいです
(中略)
でも、台本もないのに、こうやってストーリーができあがっていくのは、すごいことだと思う。
―『プリンシパル』がきっかけで自然と生まれたものですからね
(中略)
もし『プリンシパル』がなかったら、私たちもこんなに仲良くなっていないと思うし】

期せずしてライバルのような関係になり、一方でお互いを前世から会っていると感じるほどの親しさで捉えている二人。『3人のプリンシパル』を演出した徳尾氏が【この2人は今後の3期生を背負っていくであろう人間ですしね】(BRODY 2017年6月号)と語るほどの実力を持つ二人が今後どんな風に乃木坂46の中で活躍していくのか。今から非常に楽しみである。

夢を持たない齋藤飛鳥



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夢を持つことは、可能性を狭めることだと、僕は思っている。

【ひとつだけ覚えています。
先生もクラスメイトの親もその子(※学校一の秀才と言われていた、将来医師になると決めていた小学校時代の同級生)に「将来に期待しかないね、若い頃から将来を考えるのは凄い、偉いね」って言うんです。
(中略)
ただ、あまりに皆が持ち上げるから、私には捩れて見えてしまうんです】「別冊カドカワ 乃木坂46 vol.4」

凄くよく分かる。齋藤飛鳥が言う「捩れて」がどういう意味なのか、正確に捉えられているかは分からないが、その状況に対する強烈な違和感は理解できる。

人間は生きている限り、様々な制約によって縛られる。生まれた環境、性格や体質、使える時間、お金などなど、あらゆる制約が存在する。そういう中で、自分が注ぎ込める可能性すべてを費やさないと届かないような、とてつもない夢というのも、もちろんあると思う。先の同級生の「医師」という夢も、もちろん一部の超天才であれば楽々と乗り越えられるものかもしれないが、一般的には自分のあらゆるリソースを注ぎ込まなければ到達することが出来ない夢だろう。そういう意味で、若い頃からそういう夢を見つけ、それに向かって邁進できることは、とても素晴らしいことだと思う。決して悪いことではない。

しかしそれは、「他の選択肢をほぼ諦めること」とイコールである、という認識を持った上でなければ、その夢が叶わなかった時の挫折感に耐えられないのではないか、とも感じてしまう。

子どもの頃は、夢を持つことは大事だ、素晴らしいことだと言われる。そうやって大人は子どもに、「夢の持ち方」だけは教えてくれる。しかし、大人になるにつれて、いい大人にもなって夢なんて見てるんじゃない、と言われる。おかしい。子どもの頃はあんなに夢を持つことを奨励されていたのに、いつからダメになったんだろう。子どもの頃は「夢の持ち方」を散々教えてくれるのに、大人になるまでの間に誰も「夢の諦め方」を教えてくれはしない。いつの間にか、夢を持ってはいけないことにされてしまう。

【勿論当時から難しい事ばかりを考えていた訳では無いとは思いますが、夢とか希望とか、そういう類のものに疑問を持ち始めたのはこの時期です(※先程の同級生への周囲の反応を見聞きしていた頃)。
そう、わたしは確かにここで違和感を感じました。
そして、夢を持たないという選択も、したはずなんです。全然覚えていないですけど】「別冊カドカワ 乃木坂46 vol.4」

僕も全然覚えていないけど、人生のどこかで「夢を持たないという選択」をしたはずだと思う。子どもの頃は、それでもまだ何か自分に何か可能性を持とうと思っていたような気もする。でも徐々に、そういう意識を手放していった。まだその頃は、「夢を持つことは可能性を狭めることだ」なんて明確に捉えられていたわけではないと思うけど、自分なりに、何か違うな、という感覚を持つようになったのだろう。

夢を持たないという選択をした齋藤飛鳥は、「実力」のない自分自身を嘆く。

【ほらわたし、今まで運だけでやってきてますから。実力なんてゼロですから。いつかバレてしまうんじゃないかと、ヒヤヒヤしてますから。】「別冊カドカワ 乃木坂46 vol.4」

ネガティブな齋藤飛鳥らしい自己認識だが、しかしこの「実力」の話を、夢を持たないことと組み合わせて考えると、ちょっと面白い捉え方が出来る。

夢に向かっている人にとっての「実力」というのは、非常にわかりやすい。例えば医師になるのが夢であれば、「医学部に入学するための知力」や「手術の手技」「論文を書く技量」などを総合して「実力」と捉えることが出来るし、それぞれに対してどんな風に「実力」を伸ばしていけばいいのかという方向性もなんとなく分かるだろう。

一方、夢を持たない人間にとっての「実力」というのは、一体何を指すのだろうか?これは、ちょっと難しい問題だ。夢がないということは、向かうべき方向がないということだ。そこにじっとしていてもいいし、どの方向に進んでいってもいい。たどり着くべき場所がないのだからスピードも問われないし、回り道するという発想さえない。そういう中で、「実力」というのは一体何を指すのだろうか?

【そのせいで、小さい頃の何も考えていない自分や実力をつけてこなかった自分に、腹を立てたことがあります。何度も。
誰かに必要とされる人間になるには何かしらの実力をつけなければならないと、躍起になった事もあります。】「別冊カドカワ 乃木坂46 vol.4」

そういう気持ちになってしまうことは、よく分かる。僕もそんな風に焦っていた時期があったなぁ、と思う。でもやっぱり、目指すべき場所がないのだから、「実力」をつけるために何をしたらいいのかは全然分からないのだ。

僕は、夢を持たない人間にとっての「実力」というのは、可変性なのだと思っている。目の前に何か状況がやってきた時、その状況に合わせてどれだけ変化できるか、ということだ。そして齋藤飛鳥は、意識的なのか無意識的なのかは分からないが、この可変性という「実力」を伸ばそうとしているように僕には感じられるのだ。

【私、「このジャンルに向いてるよね」って言われるのが好きじゃなくて。曲によっていろんな見え方ができたほうがいいかなと思っているので、それは意識していますね】「ENTAME 2017年5月号」

齋藤飛鳥は、自分自身が何らかの「枠」の中にはめ込まれることを嫌う。夢を追うことが、スペシャリストを目指すことだとすれば、齋藤飛鳥の意識はその対極にある。

【私、なんに対しても“こだわりを持つ”ってことが好きじゃなくて。もちろんいい方向に進む努力はしますけど、なるようになってくれればいいし、私は絶対にこうなりたいって夢は持ちたくない。自分にも、周りにも、あんまり期待はしたくないんです。そのほうが、ワタシ的にはいい意味で楽なんですよね】「Graduation 高校卒業2017」

齋藤飛鳥は、こだわりを持てば持つほど、可変性が失われることを直感的に理解しているのだと思う。進むべき道を決めてしまうことが、それ以外の道を諦めることと同じだと知っているからこそ、彼女は踏み込まない。

それはとても勇気の要る生き方だ。彼女が言う「実力」を身につける方が、分かりやすい安心を得られる生き方になるはずだ。自分に何らかの「実力」があり、それが発揮される場があるという生き方は、きっと心を安定させるに違いない。自分はこういう人間だ、という打ち出し方をする方が、楽に感じられることも多いだろう。しかし彼女はそうしない。夢を持たない彼女にとっては、どんな状況にでも対応できる可変性を持ち、自分自身の輪郭をはっきりさせない生き方の方がベストだと感じているからだろう。

【私はファンの皆さんが抱いている私のイメージをまるまる全部は認めてはいないんですけど、自分らしさは自分が決めるものだとも思っていないんです。だから、齋藤飛鳥として求められるものにきちんと応えていきたいと思っています】「アイドルspecial2017」

齋藤飛鳥は決して、自分の考えを持っていない人間ではない。むしろ、この若さで自分自身を支える独自の考え方を持っている凄さを常に感じさせられる。それでいて、他人からの期待やイメージを拒絶せず、それらを自分の考えと織り交ぜていきながら、新たな状況に適応していく。夢を持たずに生きてきた彼女の最大の強みは、この点にあると僕は感じる。

【そして次に、自分の夢に近しい人と仲良くなりましょう!
なんとなく理にかなっている気がしますがどうですか?
これはつまり、媚びるという事です!
媚びには需要があります!
媚びて媚びて、他人の力で夢を叶えてしまう!】「別冊カドカワ 乃木坂46 vol.4」

この文章を、言葉通りに受け取ってはいけない。これは、「手っ取り早く夢を叶える方法」として登場する文章で、その最初の提言は「夢のレベルを下げましょう!」だ。ある意味で逆説的なアドバイスを送っていると捉えるべきだろう。だからここで齋藤飛鳥が言いたいことは、「自分の夢のためなんかに媚びるな」ということではないかと思う(曲解かもしれないが)。

【―いまも「世の中そんなもん精神」はあるんですか?
はい。9枚目、10枚目くらいから思い始めたんですけど、その頃はまだスタッフさんに褒められたらそのまま鵜呑みにして、期待に胸をふくらませていたこともあったんです。でも、結果的に期待はずれになることも多いと分かったので、いまは「世の中そんなもん精神」がより強固になってます。
―「世の中そんなもん精神」は、ビートたけしさんの「人生に期待するな」という言葉にも通じるなと思うんです。その分、冒険ができるというか、モデルなりラジオなり新しいジャンルにも恐れず飛び込めるのかなかって。
そうですね。小さいことで「うれしい」と大きく感じることもできるようになりました。「世の中そんなもん精神」があるから何に対しても高望みしないので、うまくやれている部分もあるのかなと思ってます。】「EX大衆2016年5月号」

夢を持たず、可変性という「実力」を育ててきて彼女だからこそたどり着ける場所がある。どこも目指さないからこそ、どこまでも突き進むことが出来る。彼女の生き様は、「夢を持たないこと」の強さを実感させてくれる力強いものだと感じさせられた。

齋藤飛鳥の連載は、これで終了だと言う。他の多くの連載も終了とのことなので、「別冊カドカワ 乃木坂46」自体がvol.4を以って終了、ということなのかもしれない。残念だが仕方ない。最後に、やはり連載終了を哀しんでいるらしい齋藤飛鳥のこんな言葉を載せて終わろうと思う。

【仕方ないんです。だって、さみしーんだもん!
“終わりあるもの”は好きだけど…寂しいものは、寂しい。
なので、
久々に鉛筆削りを買おうと思います。手動の。
それでは、また。】「別冊カドカワ 乃木坂46 vol.4」

生駒里奈、それは乃木坂46の背骨、そして原動力



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乃木坂46のメンバーのインタビューを読んでいて思う。
生駒里奈ほど、乃木坂46というグループについて考えているメンバーはいないな、と。
そういう意味で僕は生駒里奈を、乃木坂46の背骨であり原動力であると感じている。

生駒里奈はいつでも、乃木坂46というグループを俯瞰で捉えている。

【たぶん、それはちょっと前のアイドルの流行りですよね。グループの主人公を決めて、そのコたちが変化していく姿を見せながら、ファンの応援とともに一緒に成長していく、というのがちょっと前までのスタイルだった気がする。でも、それとは違う新しいことをしてみようと思って、『ガルル』からは新しいグループアイドルの在り方を作ってみたんじゃないかなって思いますけどね】「BRODY Vol.4」

乃木坂46を運営していく人間は当然別にいるのだが、生駒は、そういう人たちの意図を考えながら、自分なりにアイドルグループの中での乃木坂46の立ち位置を捉えていく。

【そうですね。乃木坂46って早い段階からクリエイティブなことに取り組んできたと思うんです。個人PVを作ったり、シングルのMVもかなりこだわって作ったりしてきて。そのひとつひとつの方向性が最近の世の中的な流行りに通じるなと思っていて。そういう映画やアニメが流行っているじゃないですか。そういう作品の中にあるファンタジー要素って、乃木坂46がやってきたこととマッチするなと思うんですよね。そういう作品の素材に乃木坂46のメンバーがなったら、面白いものができるんじゃないかな】「BRODY 2017年2月号」

乃木坂46がしてきたことを振り返りながら、それが世の中的にどういう意味を持つのかを考える。

【乃木坂の制作物は、私たちの自然体の姿というか、作ったかわいさじゃなくて、持っている素材を良く見せようという考えが強いんじゃないかと思います。自分自身が作品になるという意識ですよね。だから、みんな自分のルックスや体型を過剰に意識しているんです】「MdN 2015年4月号」

【それと、AKB48さんは歌詞の内容に合った振りが入ってくるけど、乃木坂46の場合、歌詞の内容に振りを合わせてこない時もあって。そこは個々の表情やしぐさで表現しているんです。例えば「制服のマネキン」で見せるような「少女な切なさ」を表現できるのは、乃木坂の強みなんじゃないかと思ってます】「MdN 2015年4月号」

「乃木坂46らしさ」の源泉がどこにあるのかを、日々の活動の中から抽出し、それを言語化することでより他のグループとの差別化要因にしようとする。

生駒里奈はこんな風に、いつだって乃木坂46全体を大きな枠組みの中で捉えようとする。

もちろん、他のメンバーも乃木坂46というグループについては考えていると思う。インタビューで多くのメンバーが、「個人が外で仕事をし、乃木坂46を広めることで、結果として乃木坂46全体が強くなるのが良い」という発言をする。自分という個人がどう乃木坂46と関わり、貢献していけるのかという視点は誰もが持っている。自分が乃木坂46の中でどんな役割を担うべきかも皆考えているし、乃木坂46をより成長させていくためにどうしていくべきなのかという考えも持っているだろう。

しかし、生駒の視点は、他のメンバーとは少し違うように感じられる。

乃木坂46を野球チームに例えると、多くのメンバーは選手としてチームのことを考えているというイメージだ。しかし生駒だけは、野村克也や古田敦也のような選手兼監督としてチームのことを考えているという印象がある。自身もプレーヤーでありながら、同時にチーム全体を監督する立場としての視点も持っている。一人だけ、グループの捉え方が違うように感じられる。

何故彼女はそういう視点を持つに至ったのか。それは間違いなく、彼女がデビューから5回連続でセンターを経験したことと関係があるだろう。その経験が彼女を「考える人」に変えたのだ。

乙一という小説家がいる。彼は、高校時代に手に入れたパソコンの練習のために小説を書き、その時に書いた「夏と花火と私の死体」という作品で小説家デビューする。死んだ少女視点で物語が進んでいくという斬新なスタイルに、「天才現る!」と大絶賛を浴びてのデビューだった。
しかし乙一はその状況に危機感を抱いた。乙一自身の感覚では、なんとなく書いてみたものが作品になっただけであり、自分の中に作品を書く方法論などが何もないことが恐ろしかったのだと言う。そこで彼は、小説家としてデビューした後で、「どうやって小説を書くか」を考え始めた。やがて彼は、ハリウッドの脚本理論を採り入れて小説を書くようになる。

同じようなことが、生駒に起こったのだろう、と僕は考えている。


【表題作の振り付けをする時に、立ち位置がそこだと言われた感じでスタートしたんです。そんなふうに始まったので、自分がセンターだってなかなか思えない部分もありました】「別冊カドカワ 乃木坂46 Vol.1」

猫背で自信なさげのままオーディションを受けた彼女は、自分でも理由がわからないままセンターに選ばれた。当時の生駒に運営側が何を見たのか、僕には知る由もないが、

【センターに立ってうれしいと思いたくなかったし、思えなかったもん。あまりにも、合っていないみたいな意見ばかり聞かされたから】「悲しみの忘れ方 パンフレット」

というように、「何故生駒里奈がセンターなのか」という不満みたいなものは、乃木坂46のデビュー以来ずっとくすぶり続けていたようだ。

【―センターに立ったことで一番苦しかったことは?
自分はそこに当てはまる人じゃないのに、まわりの期待値が高すぎて。ファンの方たちにもAKB48さんでセンターに対する固定観念ができていたから、これから作り上げていくグループに対して完成品を見るような目で見られて、すごく苦しかったんです】「BRODY Vol.4」

生駒は、センターという重圧に苦しんだ。元々、【家族と友だち以外、必要最低限の言葉しか発さずに生きてきたから。人前でしゃべったことなんかないのに、しゃべったら泣くに決まってるじゃん!って(笑)】「BRODY Vol.4」というぐらい、人前に立つのが苦手な人間だ。そんな彼女が、AKB48の公式ライバルとして華々しくデビューした、期待感満載のアイドルグループのセンターという役割に対して、どう感じていたのかは理解できるだろう。アイドルグループのセンターとはこうあるべきだ、という理想が彼女の中にあったとしても、それを実現するための力が自分にはない、という苦しさもあっただろうし、成長する姿ではなく、完成品であって欲しいという期待をされているように感じられたことも辛かったことだろう。

【正直、センターは苦しかったし、イヤでした。だから、“ホッとした”“スッキリした”っていう気持ちが大きかったです。それまでの自分に対して「なんでうまくできないんだ!」っていう悔しさはあったけど、“センターじゃなくなった悔しさ”みたいなのはなかったんですよね。】「乃木坂46物語」

そんな苦しさから逃れるために、生駒は考え続けるしかなかったのだろう。

【私の時はみんなが最初だったし、「誰にも相談できなかった」っていう思いが、今でもあるんですよ。今はみんなが分かってくれてるから弱音も吐けるようになったけど、当時は全然言えなかったので。】「BRODY 2016年10月号」

当然だが、乃木坂46がデビューした時、メンバーは誰もが素人同然だった。ポテンシャルや個性は様々に違っていただろうが、それらはまだ表に出ず、横並び一線の状態だった。その中で生駒だけが、「センター」という形で飛び抜けた。自分で望んだわけでも、選んだわけでもない立ち位置だ。「センター」は、苦しかった。しかし、どう苦しいのかを理解してくれるだろう人は、メンバーの中にはいなかった。当然だ。「センター」を経験した者など誰もいなかったのだから。それに、そもそも乃木坂46というグループがどういう存在であるのかという指針もまだはっきり決まっていなかったことだろう。進むべき方向が分かれば、まだ頑張れるかもしれない。しかし生駒には、そんな指針さえないまま、「センター」という重圧だけが与えられたのだ。

誰も頼ることが出来なかった。だからこそ、自分の思考によって、なんとか踏みとどまるしかなかった。
その経験が、生駒里奈という「考える」アイドルを作り上げたのだろうと思う。

そんな彼女は、「生駒里奈」という存在をどう捉えているのか。

【そうですね。全部ポジティブに考えちゃうと「このままでいいや」って思っちゃうから。だから技術面については、永遠にネガティブに考えないとプラスにしていくことができないんだなって、あらためて思いました】「乃木坂46物語」

【得意なことを得意だと考えるのはいいと思いますが、私は絶対に、自分に自信を持ち過ぎないようにしています。満足しちゃったら、成長がストップしてしまうと思っているので、私はしたくない。
気分が落ち込むこともありますが、そこから早く浮上したいとも思わない。落ち込んだままでいいんです。自信を持ちたくないから。そこがちょっと変なんです(笑)。でも、そういうふうにやっているほうが、楽なので】「アイドルspecial2015」

ネガティブなメンバーが多い乃木坂46の中でも、とりわけネガティブと言えるだろう。学生時代いじめられていたと「悲しみの忘れ方」の中で吐露していたし、様々な発言からも後ろ向きな姿勢を感じることが出来る。今はともかく、デビューしたての頃は、アイドルグループのセンターとしてネガティブな発言はすべきではない、という発想はきっとあっただろうから、自分のそういう部分を押さえつけなければならない、という意識は当然持っていただろう。そのことも生駒を追い詰めたに違いない。

しかし彼女は、自分のネガティブさを思考によってプラスに変えている。自信を「持てない」のではなく「持たない」と意識することで、常に挑み続ける姿勢を維持出来ているのだ。生駒は乃木坂46の背骨だと思うが、同時に原動力でもあると感じられるのは、こういうネガティブを裏返しにした闘う姿勢にあるのだと思う。

また、乃木坂46の中の生駒里奈としては、こんな捉え方をしている。

【うん、普通。周りにはカワイイ子が多いし、歌が上手い子が多いし、演技が出来る、才能があるっていう子が多い中で私がいるから、ある意味目立つなって。普通だから。普通な意見をパーンって言えるし、ビッグな人を引き立てさせることもできる。普通なことが逆に珍しいことなのかなって思います】「BRODY 2016年10月号」

多くのメンバーが、乃木坂46の中でどんな役割を担うべきか悩んでいる中、生駒は自身の「普通さ」をプラスに捉える。個性を追い求めなければならない、という方向に進みがちな中、敢えて「普通さ」を押し出していけるのは、彼女の俯瞰して見る力に依るところが大きいだろう。乃木坂46全体を見渡した時、「普通さ」を表に出せるメンバーが薄いことに気づいたのではないだろうか。

また、彼女の俯瞰力は、生駒にしか出来ない役割を担う意識をももたらす。

【(堀未央奈がセンターに選ばれたことについて)あれは…乃木坂46の歴史の中で、衝撃の強さでいったら、一番だったと思います。でも、そのなかで未央奈が一番つらかったんです。先輩の目も冷たく感じたろうし、同期の目も怖かっただろうし。乃木坂46に入ってきて、いきなり未体験でセンターに立ったのは、私と未央奈しかいないんです。だから「全力で支えるから大丈夫だよ」って言いました。自分は絶対に味方でいようって】「乃木坂46物語」

生駒は常に、乃木坂46の中で足りない役割を補おうと意識している。秋元真夏にも同じ雰囲気を感じるが、しかしやはり生駒とは経験値が違う。生駒が辿ってきた道のりでしか経験できなかったことが山ほどあり、そういう歴史を背景にしてしか担うことの出来ない役割がある。そういう役割に自覚的でいる、ということが、彼女が乃木坂46の中で唯一無二の存在である理由なのだと思う。

そんな生駒も、乃木坂46の活動を続けていく中で変化してきた。
かつて彼女は、こんな風に語っていた。

【でも根っこはきっと誰よりも頑固。中学生のときは校則を1つも破ったことがないほど、ルールを守る意志は固いです。私なりの「乃木坂46はこうあるべき」という部分はすごく大事にしていて、それにのっとって一生懸命やっている。だけど、場合によっては変に目立っちゃったりするし、そういう真面目さって伝わりにくかったり誤解されやすいのかなって】「アイドルspecial2016」

誰よりも「考える」ことで乃木坂46を牽引してきた彼女には、乃木坂46の枠組みに対して確固たるものを持っている。生駒のような存在が明確なイメージを持ち、それをメンバー全体で共有していくことで生まれる一体感や力強さが、乃木坂46の躍進のベースになっている部分はきっとあるだろう。

とはいえ、そんな風に貫くべきと感じるものを譲らないという意識だけではうまくいかなくなったのだろう。最近では、こんな発言をしている。

【正義を貫くのは難しいです。でも、貫かない自分も嫌だし、考え方はずっとこっちの方が正しいんだっていうのは変えないけど、「YES」とは言わずに周りに合わせることも覚えました。ダメなものはダメ、良いものは良いの二択だけで生きていけたらそりゃ楽ですけど、それはできないから】「BRODY 2017年6月号」

【昔は「正しいと思ったことを、そのまま私はやるんだ!」って、ストレートに出していたけど、今はそれだけじゃダメだってことに気づいて。良いことでも悪いことでも一回考えてから表に出すようにしています】「BRODY 2017年6月号」

そういう変化をもたらしたものが何だったのか、それは分からないが、「考える」ことで道を切り拓いて来た彼女にとっては必然的なことだったのだろう。【たしかに中身は変わってないと思います。考え方が変わっただけで、根っ子は何も変わっていない。捉えたものをどうやって出すかの出し方だけを変えた感じですね】「BRODY 2017年6月号」と語っている通り、芯の部分が変化したわけではない。自分自身のことだけ考えていれば、こんな風に思考を変える必要はきっとなかっただろう。乃木坂46のために、生駒里奈はどうあるべきか。それに合わせて、柔軟に思考を変化させていくのだ。

そんな生駒は、常に「乃木坂46」に対して危機感を抱いている。名実ともにトップアイドルになったと多くの人が感じているだろう今でさえ、である。

【それにAKB48がいたから今の大人数グループが世の中に受け入れられているというのは、今後なにがあっても揺るがないし、そういう意味ではAKB48は永遠だなと思うんです】「BRODY 2017年6月号」

【このままだと「この時代はAKB48の時代だったね」で終わるので。そこに乃木坂46の名前もあったら良いなぁってことです。】「BRODY 2017年6月号」

「AKB48の公式ライバル」としてデビューした彼女たちは、デビュー当時からずっとその冠を外したいと考えてきた。AKB48の成功があったからこそ自分たちがいる、という意識は常に持ち続けながら、その中で乃木坂46が何をしたかを残したいという意識を、多くのメンバーが持っている。
なかでも生駒は、その思いがとても強い。

【AKB48がやってきたことと同じことをやって超えるっていうのはつまらないじゃないですか。そうじゃなくて、新しいことをして超えないと、いつまで経っても越えられないと思っているので。せっかく「乃木坂46ってすごいね」と言っていただけるようになった今だから、乃木坂46が何かでインパクトを残さないと、アイドルの頂点はAKB48だなっていう認識のまま変わらないんです
―今でもそう思っているんですね
思います。AKB48が新しいことに挑戦してきて、そうすることで基盤ができた。その上に乃木坂46が立たせてもらっているのは理解しているんですけど、乃木坂46だけで新しいことをしないと、インパクトが残せないんですよ。そういうところの開拓をしないといけないんじゃないかなって】「BRODY 2017年2月号」

グループ単体の人気、というような狭い考え方ではなく、後から振り返った時の乃木坂46の歴史的な立ち位置まで視野に入れている生駒。そのために何をしなければならないのかを日々模索しているだろうが、限界も感じている。

【3期生は与えてほしいってよりは、乃木坂46をぶっ壊して新しい乃木坂46を作ってほしいですね。今の乃木坂46をどうしてもぶっ壊したいんだけど、私達一期生にはもう乃木坂46は壊せないんですよ。なぜなら私たちが今の乃木坂46を作ったから】「BRODY 2017年6月号」

作り上げた者には壊せない、というジレンマを、彼女はずっと感じているようだ。「乃木坂46はこうあるべき」という部分を大事にしながら、同時にそれを壊すべきだとも感じている。そういう見方をしているからこそ、同じ坂道グループである欅坂46に対しても、こんな捉え方をするのだ。

【(欅坂46に対して)単純に悔しいという気持ちもありますよ。乃木坂46が作ってきたレールもあるわけだから。いい曲を歌って、いいMVを撮って、個人PVだってやっている。純粋に悔しいけど、そんな気持ちも飲み込んで、一緒にやろうよっていう感覚です】「BRODY 2017年2月号」

【欅坂46は「危機感」です。普通に頑張ってるつもりでは、どんどんぬるくなっていくのが人間なので、そこに「ヤバいぞ!あの曲は衝撃を与えてるぞ!」っていうのを、乃木坂46にくれたかな】「BRODY 2017年6月号」

常に周囲との相対的な距離感で乃木坂46というグループを捉え、自分たちに足りないものや目指すべき方向を見定めようとする生駒に、立ち止まっている暇などない。

【前まではアイドルを辞めたら、芸能界を辞めると思ってたんですけど、でも辞めたら私は何も残らないんですよ】「BRODY 2016年10月号」

そう語っていた彼女は、乃木坂46の外側でどう生き残っていくのかを日々模索しているようだ。そんな中で最近、こんな発言があった。

【―グループの外の世界でどう生き残っていくかは、最近の生駒さんがずっと考えていることですよね。
そうです。でもね…そうやって外で頑張ればいいやって思っていたけど…このインタビューの場を借りて伝えたいことがあるんです。これ、まだどのインタビューでも言っていないんですよね(笑)
―いきなりそんなこと言われると、緊張しますね…。なんですか?
もう一度センターにいかなきゃなって思うんです。
―おぉ~。最近の生駒さんって「私は他のメンバーを支える役目でいい」とか「もうセンターにこだわりはない」ということを色々なインタビューで話していましたよね。どんな心境の変化ですか?
確かにそう思っていたんです。今まではファンの方に「もう一度センターになってほしい」って言われても、「そうやって言葉をかけてくださるのはありがたいけど、無理だろうな」って思ってしまって、逆に申し訳ない気持ちになっていたんです。(中略)本当に尊敬できる方、それこそこんなに素敵な方とお仕事しているってことだけで、大きな力になるぐらいの方たちに支えられたり、勇気づけられたりするようになってから、センターに対して遠慮しなくていいんだ、自分もセンターを目指して良いんだってことに気づいたんです。】「BRODY 2017年6月号」

インタビューアーと同じく、この発言には僕も驚かされた。かつて彼女は、【自分の中ではセンターをやり切った感があって。「乃木坂の中で私は何をすればいいんだろう?」って思ってしまったんです。だから、次は、乃木坂でどんな新しいものを見つけられるのか?が自分の中のテーマになってくると思います】「BRODY 2015年12月号」という発言もしていた。「センター」というものに対する苦しさや、出し切った感みたいなものを常日頃から言い続けていたので、センターというものに対しての意識があることが意外だったのだ。

とはいえ、改めて彼女の発言を振り返ってみると、分かるような気もするのだ。

生駒は、センターを担っていた時期のことを、こんな風に語っている。

【―逆に『ぐるぐるカーテン』から『君の名は希望』のセンター期間は辞めたいとか逃げ出したいとかは思っていなかったんですか?
思いませんでした。無我夢中だったので。
―「毎日、辞めたいと思っていました」みたいな答えが返ってくるかと思っていたので、少し意外です。
そんなことも考えられないくらい無我夢中だった。あの頃は無我の境地にいました。何も知らない状態だったからできたんだと思います】「BRODY 2017年6月号」

無我夢中だった、ということは、思考が入り込む余地はなかったということなのだろうと思う。自分がどう振る舞うべきか、センターとして何が出来るかということを突き詰めることなしに、脊髄反射のような形でセンターを乗り切ったという感覚なのではないか。そのこと自体に後悔はないだろうが、しかしその後活動を続けていく中で、もう一度、センターという役割について真剣に考えながらやってみたい、という気持ちが沸き上がってきたのではないかと想像する。

【―先ほど生駒さんは今の乃木坂46は衝撃を与えることが大事って言っていましたけど、自分がセンターをやることで、その衝撃を世の中に与えられる自信ってあります?
もし、一回でもチャンスを貰えるのであれば、そのチャンスを逃さない自信が今はあります。だから一回でいいからセンターをやらせてほしい。今までは「前にいてごめんなさい」って気持ちがあったんだけど、今はやらなきゃって思うんですよ。今の乃木坂46なら絶対に、大きな衝撃を与えることができるはずだから。このままじゃ悔しいんですよ】「BRODY 2017年6月号」

自分のためにセンターをやりたいという話ではない。乃木坂46のあり方に常に危機感を抱いている生駒里奈が、今の乃木坂46という立ち位置で、これまで獲得してきた武器を使って、最大限に考えながらセンターを担った時に与えることが出来るインパクトについて、彼女は強いイメージを持てているのだろう。そのイメージを試してみたい、ということなのだ。
確かにそれは、見てみたいと思う。彼女のイメージが、どこまで乃木坂46を引き上げられるのか。とても楽しみである。

その笑顔は、仲間を輝かせる光・高山一実



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高山一実は、いつも笑っているイメージがある。
アイドルというのはそういうものだ、とも言えるが、そういうことではない。なんというか、笑顔以外の表情がイメージ出来ない、という印象なのだ。こういう言い方は失礼かもしれないが、何故か悩んでいる姿が頭に浮かばない。齋藤飛鳥や西野七瀬や生駒里奈が悩んでいる姿は容易に想像できるのだが、高山一実の場合そう簡単ではない。

そういう意味で、高山一実は、いつも笑っているイメージがある、と感じる。

もちろん、高山一実だって悩むこともある。

【私は元々可愛い人が好きで、そんな理想像に憧れてアイドルになったから、「自分みたいなアイドルを応援したいのかな」と思ったことがあるんです。推しメンのタオルとかうちわを掲げるなら、お笑い担当みたいな子より可愛くてスター性のある子のほうがいいよなって。はっさん(※向井葉月)は割り切れてるかもしれないけど、私は好きなアイドル像と自分を重ねてしまったんです。でも、そういう可愛らしいピンク系のキャラの子は、空気から違うことがわかったし、だからこそ、しゃべるだけじゃなくて見た目も可愛くなれるように努力しようって思ったんです。はっさんも迷うかもしれない。私は入って半年から3年くらいは悩んだ時期だったから】「ENTAME 2017年6月号」

僕は初期の乃木坂46を詳しく知らないが、ドキュメンタリー映画「悲しみの忘れ方」で見た限りでは、初期の頃の乃木坂46では高山一実が圧倒的な人気を得ていたはずだ、と思う。明るいキャラクターと喋りの面白さで、ダントツの人気を獲得していたという場面を「悲しみの忘れ方」の中で何度も見かけた記憶がある。

しかしそんな彼女も、入って3年くらいは悩んでいたという。この悩みは、大人数グループで活動するメンバーには付き物なのかもしれない。

例えば、若月佑美が雑誌のインタビューでこんな発言をしていたことがある。

【たとえば、乃木坂46はピアノを習っていたメンバーが多いんだけど、いくちゃん(生田絵梨花)がうますぎて誰も言えなくなっちゃう。歌やダンスも自分より秀でている子がいるから、「自分はどの枠を埋めればいいんだろう」って悩む時期はみんなあると思うんです】「EX大衆 2017年3月号」

圧倒的な何かを備えている人であれば、こういう悩みとは無縁でいられるのだろう。乃木坂46で言えば、若月が例に出した生田絵梨花や、その美しさで圧倒的な人気を誇る白石麻衣などはそういう立ち位置だろう(もちろん、今挙げた二人にも悩みはあるだろうが)。しかし、誰もが圧倒的な何かを持っているわけではない。そういう時、大人数グループの中で、他のメンバーと被らないどんな枠を自分が埋めることが出来るのか…。そういう悩みに、誰しもがぶつかるものなのだろう。

高山の悩みも、同じだろうと思う。自分が乃木坂46の中でどんな枠を埋めることが出来るのか、という悩み。しかも高山には、理想のアイドル像がある。いわゆる「THEアイドル」に憧れて乃木坂46に入った高山は、そこに近づけない現実に直面する。

彼女が持つ理想のアイドル像と、彼女自身が埋められそうなアイドルの枠に、大きなギャップがあった。「アイドルというものを職業として捉えている」と発言する秋元真夏のように、自分が果たすべき役割を割り切ることが出来ればまだ楽だったかもしれないが、彼女にそれは出来なかったのだろう。いつも笑顔でい続けているように見える彼女も、そういう葛藤を抱え続けてきたのだ。

【乃木坂46の選抜メンバーは個人仕事が多いコがたくさんいるじゃないですか。モデルさんも何人もいますし。そんな中で私が「選抜にいても大丈夫だな」ってメンタルを保てているのは、『ミラクル9』と『しくじり先生』のおかげなんです。それだけありがたい番組に出させていただいているんです】「BRODY Vol.4」

こういう発言からも分かるように、今高山は、自分のアイドルとしてのあり方を受け入れられているのだと思う。自分が理想とするアイドル像とは大きく違うけれども、それでも自分はアイドルとして、そして乃木坂46のメンバーとしてきちんと立てている。バラエティ番組できちんと成果を残すことで、彼女はそういう風に思えるようになったはずだ。

そして、バラエティ番組で成果を出すことは、彼女自身のアイドルとしての捉え方だけではなく、自身の役割にも影響を与えるようになっていく。

【逆に『乃木坂って、どこ?』や『NOGIBINGO!』では、バランスを考えて全員が目立てるように、「私が!私が!」みたいな考えはやめました。
乃木坂46はライブの場が少ないので、テレビが、メンバーを知ってもらえる貴重な場所だから。より多くのファンの方に「乃木坂46、やっぱいいなぁ」と思ってもらえるための場所づくりを考えていますね】「アイドルspecial2015」

乃木坂46には、他のメンバーを目立たせるために自分がどう振る舞うか、という視点から物事を捉えるメンバーが結構いると思うが(生駒里奈や松村沙友理、秋元真夏などにそういうイメージがある)、高山一実もその一人だと思う。自分だけが目立つのではなく、メンバー全員がきちんと表に出ることで、乃木坂46全体が強くなる。そのために自分に何が出来るのか。そういうことを考えることが出来るのだ。

【私の役目はもしかしたら、選抜メンバーとしてミュージックビデオに少し映るより、「バラエティに出ることで乃木坂46を知ってもらうためにあるのかな」と、最近になって思ったんです。これからも笑顔を作るために、それを手助けできる立場でいたいですね】「アイドルspecial2015」

グループのために、と発言するだけなら簡単だろうが、実行を伴うのはなかなか難しい。モデルなどで女性誌に登場するメンバーは多いが、乃木坂の番組以外のバラエティ番組に出ていってきちんと役割を果たせるのは、秋元真夏、生駒里奈、そして高山一実ぐらいだろう。自分に出来ることで乃木坂46のためになることをやる、という意識は、乃木坂46全体で共有されていると思うが、彼女はその意識をアイドルとしてのアイデンティティの根幹にしている数少ないメンバーではないかと思う。

【本来は自分をアピールするのが苦手なタイプなんですけど、「乃木坂46をもっと知ってもらいたい」という気持ちで今までやってきています。だからアイドル以外の芸能界に執着はないんです】「日経エンタテインメント!2017年2月号」

乃木坂46は、自分が自分がというメンバーが多くない印象の強いグループだ。自分を乃木坂46という建造物の部品と捉え、組木のようにお互いに支え合うことで全体を強くする、そういうグループだからこそ、高山一実というアイドルは輝けるのではないかと思う。

乃木坂46のメンバーのインタビューを読んでいると、高山一実の名前を見かけることが結構ある。

秋元真夏が堀未央奈との対談の中で、以前こんな発言をしていた。

【(堀未央奈に対して)「私、かわいいんで」とか「この帽子、絶対入るから」と、自分からボケた時には確実にツッコミをいれてくれるという信頼感はあります。未央奈と生駒ちゃんの前ではボケ放題(笑)。かずみん(高山一実)はいい人すぎて、帽子が入らなくても「大丈夫。帽子が小さいだけだよ~」と慰めてくれるから、芸人としてはスベった形になるんです】「EX大衆2017年5月号」

また、西野七瀬はこんな風に語っていた。

【番組で「グループ内の友達は」と聞かれると、「『仲がいい』と言っていいのかな」とすごく考えてしまって。ただ、かずみん(高山一実)は話がしやすくて一緒にいると楽しいので名前を挙げやすいんです】「アイドルspecial2017」

こういうエピソードから、彼女の良い人感が凄く伝わってくる。テレビで見ていても、「悪いことが出来なそうな子だな」「嘘がつけなそうな子だな」と感じる。振る舞いや佇まいから、育ちの良さが感じられるのだ。

高山自身も、こんな発言をしている。

【特に社会人になると、先輩や上司に頭を下げる必要はあると思うけど、過剰なまでのゴマすりだったり、自分をよく見せるために相手のことを悪く言うのは一番嫌いなんです】「EX大衆2017年5月号」

確かに彼女は、冗談でも誰かを悪く言うようなイメージがない。信頼感のある関係性で悪口を言い合うことは、誰にでもあり得ると思うが、高山一実にはそんなイメージを抱くことも出来ない。

それはある意味では、窮屈な性格だろうとは思う。適度に嘘をついて、その場を適当にやり過ごす方が賢明な場合だってあるはずだし、悪口が潤滑剤となることもあるだろう。でも、たぶんだが、高山にはそれが出来ない。その点もまた、彼女の魅力の一つとなっているだろうとは思う。

とはいえ、高山はこんな発言もしている。

【かりんちゃんに言われたんですよ。「人当たりはいいけど、距離が縮まらない」って】「EX大衆2017年5月号」

良い人であるが故に、他人にあまり踏み込まないようにしている、という可能性はある。嘘をついて適当にやり過ごせない以上、深入りすれば窮屈さを感じるようになってしまうことだろう…などと書いて勝手に彼女の闇を作り出そうとしているわけではないが、僕の中では笑顔以外の姿を想像しにくい人物なので、無理をしていないことを願うばかりである。

アイドルとは、臆病な人間を変革させる装置である



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今回、僕が書こうと思っていることは、

【アイドルとは、臆病なな人間を変革させる装置である】

ということだ。

もしかしたら、昔からそうだったのかもしれない、とは思う。

これまでも繰り返してきたように、僕が初めてちゃんと追いかけようと思ったアイドルが乃木坂46であり、乃木坂46以外のアイドルのことをほとんど知らない。僕は今回の記事で、「乃木坂46が、そういう装置としての役割を見出した」という趣旨の内容を書くつもりだが、乃木坂46以前からそういう役割をアイドルが担っていたかもしれないとも思う。知識のなさについては弁解するつもりはないので、的外れなことを書いている、と感じる方は指摘していただきたい。

乃木坂46には、マイナス思考な人間が多い。そのことが、僕にとって乃木坂46の魅力の一つである。例えば、僕が好きな齋藤飛鳥は、これまでもインタビューの中で頻繁に、一人でいることや周りと価値観が合わないことを語ってきたが、「EX大衆 2017年5月号」の中でも、こんな発言をしている。

【―普段もひとりでご飯を食べたり、買い物することってあります?
ひとりのほうが多いです。焼肉だった行くし、映画はひとりのほうがいいです】

【―楽屋では壁に向かっているそうですが。
最近は割と壁と向きあってることが多いですね。居心地がいいことに気がついたというか、自然と吸い寄せられていくんですよ】

【盛りあがってる場所から離れちゃうクセがあるんですよね。先生の近くでみんなが練習してるところからも離れ、メイキングのカメラにも見切れちゃいけないと思ってしまう(笑)】

彼女は「BUBKA 2017年6月号」の中で、

【―飛鳥さんは以前と比べると、後ろ向きな発言も減りましたし。
『裸足でSummer』のときにあまりマイナスなことを言わないようにしようという意識でやっていて、それがたぶん染み付いて、わりと当たり前になったのかな】「BUBKA 2017年6月号」

と発言している。確かに以前より、明らかなマイナス発言は減ったと僕も感じる。それは僕からすれば少し残念なことではあるのだが、発言に変化があっただけで、齋藤飛鳥の本質が変わったわけではないのだろうことは、「EX大衆」の中での発言からも分かる。

また乃木坂46は3期生を迎え入れた。徐々に3期生メンバーの情報が出てくるようになったが、その中でも久保史緒里が、乃木坂46らしいマイナスさを持ち合わせているメンバーだと感じられる。

【私は、やっぱり自分のことがそんなに好きじゃないので。失礼だなとは思いつつも、相手がなにかを褒めて言ってくださったことに対して、否定してしまうときがあります。それじゃダメだなとは思っているんですけど…。そもそも人見知りで、コミュニケーションが上手じゃないので、嫌われるような発言をしてしまったんじゃないか?とかいろいろ考えてしまいます。】「BUBKA 2017年6月号」

【今まで誰かに「好かれる」ということがなかったので…】「BUBKA 2017年6月号」

久保史緒里はそんな風に自分自身を捉えている。【小学校低学年の頃はリーダーとかそういうのをやりたいタイプだったんですけど、高学年ぐらいになると目立たないように、目立たないようにって生きてました。】「BRODY 2017年6月号」という発言は、齋藤飛鳥と似たものを感じさせもする。

【私は、3期生とも上手に話せない…。】「ENTAME 2017年6月号」

【―ひとりのほうが楽ですか?
そうですね。誰かを誘うことによって、その人の時間が私の時間になっちゃうし。その人はもしかしたら、なにかほかに違うことをしたかったかもしれないのに、付き合わせてしまうのも申し訳です(※)。誘った私も気を遣ってしまって、それで体力を…。それだったら、ひとりでいるのがいいかなと思ってしまいます。(※誤植だと思いますが、そのまま記載しました)】「BUBKA 2017年6月号」

そんな風に、他人と関わることに苦手意識を持っているようだ。久保史緒里のマイナス思考は、自分とは関係ないはずの他人にも及び、

【本当にそういうことばかりで…。私が電車に乗っていたら、隣の人が電車とホームの隙間にスマホを落としちゃって「あ、ヤバイ壊れた!」って言ってて…。たぶん私が乗ってたからです。】「BUBKA 2017年6月号」

という発言などは、さすがにそれは気にしすぎだろう…と思えるレベルである。

そんな、臆病なメンバーの多い印象のある乃木坂46だが、彼女たちはアイドルを続けていく中で少しずつ変化していく。

齋藤飛鳥は、自分の変化をこんな風に語っている。

【以前の私は、考えが浅かったなと思います。3年くらい前はくすぶっていたと思うんですけど、その時期は物事をあまり深く考えていませんでした。どんな存在が求められているのか、世間の動きはどうなのか、じゃあ自分はどう振る舞うべきなのか…。今はそういうところまで考えるようになったかな。】「FLAXHスペシャル グラビアBEST 2017年GW号」

生駒里奈も、乃木坂46に入ったことを「後悔している」と答えた後で、自身の変化についてこう語る。

【でも、それも乃木坂46に入って、ちょっとポジティブになれたから後悔するんでしょうね。今の性格で学校に行ってたら楽しかったんだろうな~(笑)。】「BRODY 2017年6月号」

先程挙げた久保史緒里も、まだ乃木坂46としての活動をスタートさせたばかりではあるのだが、こんな決意を語っている。

【本気で決意を固めたのは、やっぱり先輩たちとの対面のとき。これから乃木坂として、どんなことがあっても逃げないという意志が固まった瞬間はそこだなって思います】「BRODY 2017年6月号」

乃木坂46ではないが、乃木坂46の系譜にある欅坂46、その不動のセンターである平手友梨奈の変化について、最新シングル「不協和音」のMV撮影を取材したライターは、こんな風に書いている。

【もう1つは「欅坂46の平手友梨奈」という存在を受け入れたという点。以前平手はセンターとして脚光を浴びることで、周りへの遠慮の気持ちを少なからず持っていた。いや、今もその気持ちは持っているとは思う。ただ、そういった他者との関係による不安や戸惑いを、撮影現場では一切、表には出さなかった。欅坂46において、どこからどう見てもスペシャルな存在である自分から逃げることなく、その責任をまっとうする姿が印象的だった】「BRODY 2017年6月号」

平手友梨奈もまた、自信がなく、不安を募らせる人間だという。自分を変えるため、という理由で欅坂46に飛び込み、周囲からの大きすぎる期待に呑み込まれそうになりながらも走り続けてきた。そんな彼女も、アイドルであり続ける過程で強くなっていった。

元からアイドルというのは、そういう成長物語がある方が受け入れられる、という側面はあるだろう。自分のマイナスな部分を乗り越えて強くなっていった、というような背景が、そのアイドルの見え方をより魅力的にしていく。しかし僕のイメージでは、乃木坂46以前は、それはあくまでも偶然見出される物語だったのではないか、と思う。というのも、やはりアイドルというのはそれまで、アイドルになりたいという前向きな気持ちを持つ人間が集う集団だったはずだからだ。前向きな気持ちでアイドルを目指したが、アイドルの世界で厳しさを知り落ち込み、それでも這い上がった、というようなストーリーが一般的だったのではないか、と想像する。

しかし、乃木坂46以降は、「アイドルになりたい」という分かりやすい前向きさより、「マイナスな自分を克服したい」という理由でアイドルを目指す子が増えているのではないか。何故そう思うのかと言えば、乃木坂46が、マイナスな部分を隠さないまま世間に広く受け入れられていったアイドルである、と思うからだ。

僕は乃木坂46でさえ、最初から追いかけていたわけではないので、初期の頃は詳しく知らないが、僕の認識では、乃木坂46も初期の頃は、アイドルアイドルした、それまでのアイドルらしさを踏襲したグループとして売り出されていたはずだ、と思う。それは、初期の頃の楽曲からもそう感じる。いわゆるアイドルソングと呼ばれるような歌が多いのではないかと思う。

しかし徐々に乃木坂46は、独自色を打ち出していくようになる。「制服のマネキン」「命は美しい」などのアイドルらしくない楽曲を披露し、またアイドルらしさを前面に出していたメンバーも少しずつ、自分のマイナスな部分を表に出すようになっていった。僕が乃木坂46を好きになったきっかけである「悲しみの忘れ方」というドキュメンタリー映画などまさにそうであり、僕は、これほどにマイナスな部分を前面に出してくるアイドルなんてあり得るんだ、と感じて興味を抱くようになったのだ。

そういう意味で、アイドルという集団が「臆病な人間を変革させる装置」であるという認識を広めるきっかけになったのが乃木坂46ではないかと思っているのだ。そして、乃木坂46が受け入れられた、という事実を元に、乃木坂46の独自色をさらに突き詰めて生み出されたのが欅坂46なのではないか。僕はそんな認識を持っている。

とはいえ、本質的な部分まで変化を促すわけではない、とも思う。

【―自信はつきましたか?
いや、失っていきました。まわりと比べてしまったり、誌面に載った自分を見て、「ここはこういう写りじゃダメなんだよな」って思ってしまったりして。それでも、自信を持って撮っていただかないと成立しないので、“自信を持っているふう”に自分を見せることができるようになりました。自信はこれから先も持てないと思います。
―去年、センターを経験しても自信がついてこないんですか?
センターになっても、自信につながることはありませんでした。あの時期の経験は、まわりに助けてもらうことによって自分の至らなさを知ることにつながりました。それを反省して次に生かすっていう方向に持っていきたいですね】「FLAXHスペシャル グラビアBEST 2017年GW号」

齋藤飛鳥は、そんな風に語っている。乃木坂46というグループに勢いがあると言ってもらえることは多いが、【すごいグループだとは思うんですけど、いまいち自分がその一員だという実感が持てなくて。】「FLAXHスペシャル グラビアBEST 2017年GW号」と感じてしまうようだ。齋藤飛鳥の、「“自信を持っているふう”に自分を見せることができるようになりました」という発言は、僕が指摘したいと考えている、アイドルが持つ機能の本質を衝いているのかもしれないと思う。

また、生駒里奈のこんな発言も、変化というものを考える上で重要だと感じる。

【そこを犠牲にしたからこそ、こうやってポジティブに考えられる自分がいるので、代償は大きかったけど、その分だけ得たものはあるのかな。この世界に来たからこそ、うなさん(地元の親友)以外のお友達が出来たし。そういうことを考えるとやっぱり、自分が欲しいって思ったものと同じ価値のものを失わないと、それは手に入らないんだってことがわかりました。
―無傷で全てを手に入れられる人間なんていないですもんね。
いないいない。無傷で手に入れられてる人間は、その人の何かが欠落しているだけだと思う。きっとズルしてますよ(笑)】「BRODY 2017年6月号」

これまでもこんな風に、「アイドルになることで失うこともある」ということを、アイドル自身がはっきりと語ることが風潮として自然だったのかどうか、僕は知らないのだが、明るく前向きというイメージが長く続いていたはずのアイドルという存在の見え方を「大きく」変えた存在として、乃木坂46を位置づけることは出来るのではないかと思っている。

その生駒里奈は既に、乃木坂46の歴史的な位置づけを強く意識している。

【可愛いから良いとかそういうことじゃなくて、何かインパクトが強いものを残して、「この曲すごい好きなんです!」っていうのを、もっとメジャーにすることが乃木坂46が早くやらなきゃいけないことだと思っています。】「BRODY 2017年6月号」

【このままだと「この時代はAKB48の時代だったね」で終わるので。そこに乃木坂46の名前もあったら良いなぁってことです】「BRODY 2017年6月号」

そして、乃木坂46を歴史に残すという意識を強く持っている彼女が、このインタビューの中で初めて明かした決意がある。

【もう一度センターにいかなきゃなって思うんです】「BRODY 2017年6月号」

インタビューアーも、【生駒さんのセンター宣言って、デビューしてから今まで一度も聞いたことないので驚いています】という反応をしているが、確かにそうだ。これまで僕も、生駒里奈からは、「センターから解放されてホッとした」「今は他のメンバーのサポートに回りたい」という発言しか見た記憶がない。

生駒里奈はさらにこう続ける。

【私はいまの乃木坂46を取り巻く状況、乃木坂46の中で起きていること、全部じゃないかもしれないけど、理解しているつもりだし、いまの私がそこにいけない理由、センターになれない理由もわかっています。でも、いつかそこまでいくから待ってろよって言いたい。私が乃木坂46のメンバーである以上、センターに立つ資格はあると思うので。】「BRODY 2017年6月号」

彼女は同じインタビューの中の、3期生に言及する箇所で、【今の乃木坂46をどうしてもぶっ壊したいんだけど、私たち一期生にはもう乃木坂46は壊せないんですよ。なぜなら私たちが今の乃木坂46を作ったから】「BRODY 2017年6月号」と発言している。それを踏まえた質問に対して、こんな風に答えている。

【―先ほど生駒さんは今の乃木坂46は衝撃を与えることが大事って言っていましたけど、自分がセンターをやることで、その衝撃を世の中に与えられる自信ってあります?
もし、一回でもチャンスをもらえるのであれば、そのチャンスを逃さない自信が今はあります。だから一回でいいからセンターをやらせてほしい。今までは「前にいてごめんなさい」って気持ちがあったんだけど、今はやらなきゃって思うんですよ。今の乃木坂46なら絶対に、大きな衝撃を与えることができるはずだから。このままだと悔しいんですよ】「BRODY 2017年6月号」

アイドルである、もっと言えば、乃木坂46の一員である、という意識が、生駒里奈のこの強さを生み出した。生駒里奈は以前から、圧倒的な弱さと圧倒的な強さを同時に感じさせる存在だと思っていたのだが、今回のこのインタビューを通じて、強さの方が上回ったと僕は感じた。

アイドルを目指す人間の意識が変われば変わるほど、アイドルそのものも変わっていく。乃木坂46はその流れのきっかけを作り出したのではないか。アイドル全体に対する知識も持たないままこんな考察をしてみたが、いかがだっただろうか?



BRODY 2017年4月号 寺田蘭世のインタビューを読んで



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僕にとっての乃木坂46の魅力の一つに、「ネガティブさ」がある。僕の中の「アイドル」というイメージを超えて、彼女たちは「ネガティブ」な自分を見せる。全メンバーがそういうわけではないが、乃木坂46にはそういうメンバーが多いような印象を僕は持っている。

「ネガティブさ」は、言葉を生む。

穂村弘の「蚊がいる」というエッセイがある。その巻末で、又吉直樹との対談が収録されているのだが、穂村弘がサッカー部に所属していた又吉直樹に対して、こんな風に言う場面がある。

『僕はそこが謎で。たとえば運動ができないとなぜできないかを考えると思うんです、言葉で。できるヤツは言葉要らないんですよ、できるから。モテるヤツ、運動できるヤツ、楽器弾けるヤツはそえでコミュニケーションできるから言葉を必要としない。だから意外で、サッカーができたのに、なぜ本を読む必要があったんだろうって』

「できるヤツ」は言葉を必要としない。その通りだ、と僕も思った。「できない」というネガティブな葛藤を抱える人間だからこそ、言葉を取り入れ、言葉で思考し、言葉で生きていくのだというのは、僕の実感としてもある。

だからこそ、乃木坂46のメンバーの言葉には力があるのだ、と僕は感じる。

僕は、テレビ(乃木坂工事中)と雑誌でしか基本的に乃木坂46を知らない。だから、選抜に入らないメンバーについてはあまり知る機会がない。寺田蘭世は、今回の17thシングル「インフルエンサー」で初めて選抜メンバーに選ばれた。だからだろう。最近雑誌のインタビューで、寺田蘭世をよく見かけるようになった。

寺田蘭世については、ほとんど知らない状態ながらも、言葉の強さが印象に残るメンバーだという印象はあった。時折視界に入る寺田蘭世の言葉や、本を読んでいるというイメージから、そんな強さを感じていたのだろう。

そしてやはり、寺田蘭世の言葉は強いなと、雑誌でのインタビューを読む度に感じるようになった。

『常にネガティブなので。』

寺田蘭世は、自身のことをそう語る。なるほど、やはり「ネガティブさ」が彼女の言葉の強さを生んでいるのだ、とこのインタビューを読んで改めて感じた。

しかし。このインタビューは僕に違和感ももたらした。
寺田蘭世の言う「ネガティブ」とは、一体何なのだろう、と。

先程僕は、「できない」という考えが言葉を生むのだ、と書いた。そしてその、「できない」と思ってしまうことそのものを指して「ネガティブ」と言うのではないか。僕は漠然と、「ネガティブ」というものをそんな風に捉えていた。

乃木坂46の他のネガティブなメンバーの印象も、大体近い。僕の中では、齋藤飛鳥や西野七瀬はネガティブなメンバーだと思うが、彼女たちの思考からは、「できない」という諦めみたいなものを感じる。もちろん、そう感じてしまったところをスタート地点として、その「できない」をいかに乗り越えていくのか、という葛藤を繰り返すことで彼女たちは成長してきたのだろう。そこにはきっと言葉の力や支えがあっただろうし、だから「ネガティブさ」が彼女たちにとってただマイナスだったわけではない。そういう風に感じていた。

しかし、寺田蘭世からは「できない」を感じられないのだ。

『常に負けず嫌いだし、褒めて伸びるんじゃなくて、挑発されたほうがスイッチが入るタイプなので。
―誰が挑発するんですか(笑)。
今はもうないですけど、コンサートのリハで怒られてばかりだったんですよ。右も左もわからない研究生時代だったのに、誰も助けてくれなくて。でも、心が折れるんじゃなくて、私は燃えたんですよ!面白いじゃんと思っちゃって!みんな泣いてて、私も涙は出ているんだけど、「面白い!」と思ったので。』

この発言からは、「できない」を感じることが出来ない。もちろん「私も涙は出ている」と書いているので、何らかの感情はあったのだろう。しかしそれはきっと、「できない」ではないのだろうなと、この発言からは感じられる。

『私は加入当初から「センターになりたい」と言わせてもらってきたんですけど…』

これは、寺田蘭世が選抜メンバーに選ばれる以前から目にしていた発言だ。選抜に入る前野寺田蘭世に対する僕のイメージは、「言葉が強い」と「センターを目指している」の二つだったと言っていい。それぐらい寺田蘭世はそう繰り返し発言している。この発言からも、「できない」を感じることが出来ない。

寺田蘭世の「ネガティブさ」が、どこにあるのか、僕にはなかなか見えない。

色んな可能性を考えることが出来る。
まず、自分で「ネガティブ」だと言っているけれど、本当はそうではない可能性だ。しかし、恐らくそれはない。それはこんな発言からも分かる。

『だからメンバーにもスタッフさんにも、「もっとポジティブになれ」って言われるんです。去年の誕生日はみんなからそう連絡が来て(笑)。』

少なくとも、寺田蘭世の周囲にいる人間は、彼女の「ネガティブさ」を感じとっているようだ。感じとっているどころではなく、誰が見ても明らかなほどネガティブなのだろう。こんな風にも言っている。

『コンサートのリハーサルでも常に斜め下を向いてて。カメラを見ることができなくて。リハーサルだと私は恥ずかしさが勝っちゃうんです。』

これも、彼女の「ネガティブさ」の発露なのだろう。

寺田蘭世が誰が見てもネガティブなのだとすれば、考えられることは、彼女が意識的にそれを隠している、ということだろう。いや、ネガティブである、ということは言っているわけだから、ネガティブであること自体を隠しているという意味ではない。そうではなくて、ネガティブさがあることを認めた上で、少なくとも対外的にはそのネガティブさが存在しないように振る舞っている、ということだ。

『アイドルってそういうものじゃないですか。私たちが頑張っている姿を見て、ファンの方も頑張ろうと思うから成立しています。だから、私もそういう存在になれたらいいなっていう意味を込めました(※武道館での、モハメド・アリの名言を意訳した発言に対して)。』

自分の中には「ネガティブさ」が横たわっている。しかし、アイドルというのは「ネガティブさ」を全面に出すような存在ではない。自分の努力が誰かの努力に繋がるような、そういう存在だ。だから自分の「ネガティブさ」が表に出ないように意識しよう。そう考えているのかもしれない。

そうだとすれば、齋藤飛鳥や西野七瀬とは違うアプローチを取っていることになる。彼女たちには、自らの「ネガティブさ」を隠すつもりはない。表に出すことのデメリットまで認識した上でそれを晒し、その状態で受け入れてもらえるように長い時間を掛けてきた。寺田蘭世はそうではなく、「ネガティブさ」を抱えた存在として受け入れられることを拒絶し、ネガティブであることを表に出しながらポジティブに振る舞うことで、アイドルという存在にしか伝えられない何かを伝えようとしているのかもしれない。

しかし、それもまたイメージに合わない。時折テレビで見かける寺田蘭世は、特別ネガティブでも、特別ポジティブでもないように見える。また、『ネガティブだからこそ成立しているところもあるんですけど』という発言からも分かるように、アイドルだからと言って自分の「ネガティブさ」を否定的に捉えている様子もない。

だから結局こんな風に考えるしかない。寺田蘭世にとって「ネガティブさ」は、常に取り込んでは体内に保持しておかなければ動けなくなってしまうようなものなのだ、と。

『「覚えとけよ~!」っていうのが私の原動力なのかな』

「ネガティブさ」が寺田蘭世を動かしている。彼女にとって「ネガティブさ」は、隠すものではなく、そもそも内側にあって当然のものなのだ。それが自然体なのであり、取り除いたり隠したりするために何かするような、そういう対象として捉えていない。そういうことなのだろう。

そしてその考え方の背景にあるのは、寺田蘭世のこんな考え方なのだろうと思う。

『私、満足することは死ぬまでないだろうっていうスタンスで生きてるんです』

この発言から、僕はこんなことをイメージした。
寺田蘭世は、「満腹」になることに対する恐怖がある。その恐怖がどのように寺田蘭世の内側に芽生えたのかについて興味はあるが、それはまだ分からない。しかし「満腹」に対する恐怖が常にあって、何らかの形で自分が「満腹」になることを妨げるものがなければ安心できない。それが彼女にとっての「ネガティブさ」なのだ。つまり彼女にとって「ネガティブさ」というのは、取り込むことによって「満腹感」を妨げるようなものなのだろう。「ネガティブさ」は寺田蘭世の原動力ではあるが、それは燃料や栄養とは違う。自分の内側にある「満腹感」を妨げるための薬のようなものなのだと思う。

そう考えると、次の発言も理解しやすくなるのではないかと思う。

『(選抜に選ばれた瞬間について)いつ呼ばれてもいいっていう心の準備ができていた時期だったから、自分で感情をセーブすることができたんです』

僕も、寺田蘭世が選抜に選ばれた瞬間の彼女をテレビで見た。非常に落ち着いていた。「満腹感」に対する恐怖として「ネガティブさ」という薬を常に取り込んでいる、と考えると、寺田蘭世のあの振る舞いも、理解しやすくなる。

「ネガティブさ」にも多様性があって面白い、と感じた。例えば齋藤飛鳥の「ネガティブさ」は、「こだわりを持たない」という生き方のスタンスを生んでいる。

『私、なんに対しても“こだわりを持つ”ってことが好きじゃなくて。もちろんいい方向に進む努力はしますけど、なるようになってくれればいいし、私は絶対にこうなりたいって夢は持ちたくない。周りにも、あんまり期待はしたくないんです。そのほうが、ワタシ的にはいい意味で楽なんですよね』(「Graduation 高校卒業2017」より)

齋藤飛鳥の場合、「ネガティブさ」が先に存在する。自分の内側にどうしても巣食ってしまう「ネガティブさ」を押さえ込むために、「こだわりを持たない」という生き方のスタンスを選択している。自分の努力によって未来を掴むのではなく、努力はもちろんするが結果として目の前に現れた現実を受け入れることで、自分の努力と未来を切り離し、「ネガティブさ」に囚われないように意識している。

寺田蘭世の場合、僕の解釈では、「満腹感」への恐怖が先に存在する。その処方箋として「ネガティブさ」があるのだ。「満腹感」への恐怖は、「食べる」という行動なしには生まれ得ない。だからこそ寺田蘭世は、センターを目指すというような大きな目標を持ち、それに向けて努力する(=「食べる」)という行動を取る。しかし「満腹」にならないように「ネガティブさ」もきちんと処方する。そのバランスの中に、寺田蘭世というアイドルは存在している。

『私は鈍感だし、気にしないんです。何を言われても、「いや、私は私なので」っていう感じなので(笑)』

『だから、人の意見にも左右されません(笑)』

「ネガティブさ」からは程遠いように感じられるこれらの発言も、「満腹感」への処方箋だ、と捉えれば分かる。寺田蘭世の中には、「満腹を目指すベクトル」と「満腹を避けるベクトル」の両方が存在する。「満腹を避けるベクトル(=「ネガティブさ」)」は、ある意味でブレーキなのだ。だから、時々しか顔を出さない。寺田蘭世にとってのアクセルは「満腹を目指すベクトル」であり、だから彼女の発言には、そういう方向のものが多くなるのだろう。

自分でこうして文章を書いてみて、やっと寺田蘭世のことを少し捉えられるようになったように思う。この文章を書き始めた時は、【「満腹感」に対する処方箋としての「ネガティブさ」】という概念はまだ持っていなかった(書きながら考えた)ので、この概念を自分の思考の中から取り出せた満足感がある。

ここまで読んでくれた方の「寺田蘭世像」とは、どの程度当てはまるだろうか?

さて最後に、数学の話をしたい。というのもこのインタビューの中で、寺田蘭世がこんな発言をしているからだ。

『みんな、枠にはめようとするじゃないですか。私はそれが嫌いで。決まりきったことの象徴が数学なんです』

この記事を寺田蘭世が読んでくれる可能性は低いと思うが、それでも僕は、寺田蘭世の中の「数学」の概念を変えたくて、以下の文章を書く。

(以下の文章は、「僕がそう思っていること」です。詳しく調べながら書いているわけではないので、僕自身の認識の誤りなどはあるかもしれません。その点を踏まえてお読み下さい)

僕は、数学ほど自由な学問はない、と考えている。その理由を、いくつかの例を示しながら書いていこうと思う。難しい話はしないつもりなので安心して読んでほしい。

まず、「数学には決まりきったことなどない」ということを示すために、「ユークリッド幾何学」についての話を書く。「ユークリッド幾何学」について詳しいことは書かないが、「ユークリッド幾何学」には、それを構成する大前提となる5つの「公準」と呼ばれるものが存在している。

1.2点を直線でつなげる
2.有限直線を好きなだけ延長できる(※線分は、どこまでも長く出来る、という程度の意味)
3.任意の点と距離に対し、その点を中心としその距離を半径とする円をかける(※点が一つあれば、その点を中心に円が書ける、ぐらいの意味)
4.直角はすべて等しい
5.平行な二直線は交わらない(平行線公準)

用語が難しい部分もあるだろうが、言っていることはどれも当たり前だと感じられるだろう。「ユークリッド幾何学」は、この5つの当たり前を大前提として成り立っている。

ユークリッドというのは、紀元前3世紀頃の数学者だ。それから2000年以上の間、数学者はこの5つの「公準」を正しいものと考えてきた。

しかし、5つ目の「平行線公準」だけは、長いこと議論の対象だった。これだけは、うまく証明することが出来なかったからだ。そこでこんな風に考える数学者が現れた。

「平行線公準を満たさない幾何学も存在するのではないか?」

そうして、「非ユークリッド幾何学」というものが生まれた。これは、「ユークリッド幾何学」の前提となる5つの「公準」の内、最初の4つは満たすが、最後の「平行線公準」だけは満たさない。つまり、「平行な二直線が交わる」ことを前提とした幾何学なのだ。

この一例だけ見ても、数学が「決まりきったもの」という印象を払拭できないだろうか?数学には、確かに様々なルールがあるように見える。実際にあるのだけど、しかしそれは「数学という学問」が押し付けてくるルールではない。数学の様々なルールは、人間が決めている、と言っても言い過ぎではない。何故そう決めるのかと言えば、「そういう風にルールを決めると良いことがあるから」だなのだ。

寺田蘭世は、武道館で『1+1=2って誰が決めたんだ』という発言をしたようだ。この発言からは、「数学という学問が、1+1=2というルールを定めている」と捉えている印象を受ける。しかし実は違う。「1+1=2」と定義したのは、人間だ。何故そう決めたのかと言えば、そう定義すると「良いこと」があるからだ。別に「A+1=足」と定義したっていいし、「7+×÷1==Z」なんていう定義だってすることは出来る。重要なのは、そういう定義をした時に「良いこと」があるのかどうか、ということだ。その定義によって、誰かにとって(主に数学者にとってだが)「良いこと」があれば、その定義は残る。新しい概念を定義し、その定義によってどういう広がりがあるのかを考える。これが数学者の仕事だ。決して数学は、「数学という学問」が元から持っている「決まりきったこと」を掘り出すような営みではない。

実は数学者の中でも、この点についての意見は割れている。数学は「神様が作ったもの」だと考える数学者もいるし、数学は「人間が作ったもの」だと考える数学者もいる。僕は今、後者の説明をした。僕自身、どちらかの考えに傾倒しているわけではない。重要なのは、数学は「神様がつくったもの」、つまりあらかじめルールが決まっているものだと確定しているわけではない、ということなのだ。

もう一つ書きたいことがある。それは、数学は「現実」とリンクさせる必要がない、という点で自由度が高い、ということだ。

例えば、歴史の場合、「過去に起こったこと」を知ろうとする学問だ。「起こらなかったこと」について考えるのは、物語や空想であり、歴史という学問ではない。

歴史においても、「こういうことが起こったかもしれない」という考え方は仮説という形で随時出てくるだろう。しかしそれらは、何らかの資料によって事実と確定されなければ、学問としての価値は持ち得ないはずだ。

科学も同じだ。例えば物理学の世界には「ひも理論」というものが存在する。内容について詳しく知らないが、「ひも理論」は、理論としては完璧だしとても美しいと言われている。しかし、「ひも理論」を実証するためには、現在の観測技術では観測が不可能な現象を捉えなければならない。「ひも理論」は、理論上は完璧だが、現実に起こっていることであるかどうか、現時点では確定することが出来ない理論だ。「ひも理論」について考えることに価値がないわけではないが、やはり実験や観測によって正しさを証明されなければ、「ひも理論」は物理学の中で評価されない。

このように学問には、「その仮説が現実とどうリンクするのか?」が重要となるものが多く存在する。

しかし、数学は違う。数学では、現実には存在しないもの、現実と関わりを持たないものも考えることが出来る。

例えば、「虚数i」を挙げることが出来る。「虚数i」は、「2乗すると-1になる数字」だ。こんな数字は、現実世界のどこを探しても対応するものを見つけることが出来ない。「1」という数字は、「りんご1個」のように現実と対応させることが出来るが、「虚数i」は現実とは対応しない。

しかし「虚数i」は、現実の世界で非常に役立っている。例えば、パソコンに入っている半導体の動作は、「虚数i」の存在抜きには説明できないという。現実世界には、「虚数i」と対応するものは存在しないのに、その存在は現実世界で役に立っているのだ。

重要なことは、半導体の動作を知りたい、という欲求が先にあって「虚数i」が生まれたわけではない、ということだ。数学者の、「虚数iという数字があったらどうなるだろう?」という妄想が、結果的に現実と結びつきを持ったのだ。

現実とどう対応するのか、という点が常に問われる学問と比べて、数学はとても自由だ。それが現実からどれだけかけ離れた概念であろうとも、定義し思考を深めることが出来る。これもまた、決まりきったことなどない、という印象を持ってもらえるのではないかと思う。

寺田蘭世の中の「決まりきったことの象徴」が、「数学」ではない何かに変わることを密かに期待している。

「BRODY 2017年4月号 寺田蘭世のインタビューを読んで」

隙間を埋める“パテアイドル”としての秋元真夏の真骨頂



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秋元真夏には、さほど関心を持っていなかった。乃木坂46には控えめでマイナス思考のメンバーが多く、僕はそういうメンバーに興味を惹かれることが多い。元気で明るいキャラクターを全面に押し出していた彼女は、正直に言って僕の興味からは外れていた。

秋元真夏に引っかかりを覚えたのは、確かこのインタビューを目にした時からだったと思う。少し長いが引用する。

【完全に過去のトラウマからきていると思うんですけど…ちょっと暗い話になっちゃいますけど、小3のときにいじめられていて、周りのひとを疑うようになってしまったんですね。そのときに相談した先生も信用できなくて、大人も同世代もみんな疑うところから始まったから、ひとを信用するのにすごく時間がかかってしまって。だからとりあえずはバリアを張って、徐々に信用できるところを探していくのがいいのかなって。そういう結論に行き着いたんです。ただ、その癖が本当に直らないんですよ。大人になれば直ると思っていたんですけど、この年齢になってくるとそういう自分をだんだん認められるようになってきて。昔は友達がたくさんいないとダメだって思っていたんですけど、いまは本当に信頼できるひとがひとりかふたりいれば十分ぐらいの気持ちになりました。バリアを張りつつも、大丈夫なところを探していくって感じですかね】「BUBUKA 2016年11月号」

このインタビューを読んで、僕はとても意外に感じた。「周りの人を疑う」「ひとを信用するのにすごく時間がかかって」「バリアを張って」「信頼できるひとがひとりかふたりいれば十分」と言ったような言葉は、僕が勝手に抱いていた秋元真夏のイメージとはかけ離れていたからだ。あの元気でパワフルで何事にも前のめりで進んでいくような在り方からはちょっとイメージ出来ない内面だと感じたのだ。

たぶんその時からだろう。秋元真夏にちょっと興味が湧きはじめた。マイナス思考で暗いところがあるから、というわけではなく、アイドルとしての秋元真夏の在り方がどんな風に生み出されているのか、という部分に関心を持ったのだ。秋元真夏の主張するメンタリティから、あのテレビで見るような「THE秋元真夏」みたいなアイドル像がどうして生まれるのだろう?という部分に引っかかった。

そうして、過去のインタビューなどを見てみると、秋元真夏のスタンスが見えてきたような気がした。それは、こんな発言に現れている。

【(生駒里奈がAKB48と兼任することが発表された時のこと)私は、そういうビックリすることとか、大きい出来事があったときって、自分の感情よりも「今、どうしなきゃいけないんだろう?」っていうのが頭に最初に浮かぶんです。正直、どうしたらいいかわからなかったけど、「とりあえず生駒ちゃんのそばにいなきゃ!」っていうのが、一番最初にありました】「乃木坂46物語」

【でも、ちょっとは無邪気になりたい。福神のメンバーはアクションを起こす子が少ないので、バランスを見て私がふざけてみたりするし、(永島)聖羅みたいにワーッ!と勢いあるメンバーがいるときはツッコミに廻ったりと、出たり引いたりのバランスを毎回考えちゃう。前に出ようと意識してしまうと、ひとり悪目立ちしてしまうので、キャラを出していいタイミングは常に見極めています】「アイドルspecial2015」

「THE秋元真夏」を作り出しているのは、「隙間を埋める」というスタンスだ。

昔テレビで聞いて、とても印象的だった関根勤のフレーズがある。関根勤は自身の芸人としてのスタンスを「パテ芸人」と評したのだ。誰が司会で誰がひな壇にいようが関係なく、自分はその場における隙間をどんどん埋めていくパテ(接着剤みたいなもの)だ、と。ちょっと途切れそうになった間とか、誰も拾わなかったボケとか、そういうものを拾いながら、その場その場の隙間を埋めていくんだ、と。非常に印象的なフレーズだった。芸人はグイグイ出ていくイメージがあるけど、そうではない闘い方もあるのだなぁ、と感心した。

そのフレーズを借りて、僕は秋元真夏を「パテアイドル」と評したい。

秋元真夏も、乃木坂46というグループ全体の隙間を常に埋める意識でアイドルをしているのだと思う。それは先程の発言にも滲み出ている。自分がどう思うか、どうしたいか、ということよりも、「どうしなければならないか」が先に浮かぶ。周りの雰囲気を見ながら、自分がどういう行動を取るべきか考える。それは、アイドルだとか芸能人だとか関係なく、誰もがある程度生活の中でやっていることだとは思うのだけど、関根勤や秋元真夏ほど自覚的に徹底的に実践していくと、それは一つの武器になっていく。

僕は秋元真夏を「元気で明るい女の子」と見ていたが、これも乃木坂46にそういうキャラクターが少ないと感じていたから自覚的にそう見せているのだ、ということなのだろう。足りない部分を探り、そこを埋めるために自分を変質させもする。ここに秋元真夏の凄さがあるのだ、と理解できるようになった。

【私はアイドルというものを職業として捉えているので、そんなふうに聞こえちゃっているのかもしれません。アイドルとは程遠かった自分をどうにかアイドルに近づけようとして日々活動していて。今の見せ方が間違っているんじゃないかと思って不安になることもあります】「ENTAME 2016年9月号」

不安になるのも当然だ。例えば西野七瀬は、【私は「求められていること」が分かってないので、自分が思うようにずっとやってきたという感じなんです】「EX大衆 2017年1月号」という発言をしている。当然、自分で決める怖さはあるが、何か間違っていても自分の責任だと思える。しかし秋元真夏の場合は、自分の周りにどんな隙間があるのか、そしてその隙間を埋めるために自分がどんな振る舞いが出来るのか、という思考が「THE秋元真夏」を成り立たせている。「自分の周りの隙間」は、メンバーの関係性や世間からの見られ方などで絶えず変化するし、それを捉え間違えれば自分自身の振る舞いも外れることになってしまう。その怖さを感じながら、秋元真夏は日々「THE秋元真夏」というアイドル像を作り出している。

【私自身は「乃木坂っぽい」と言われる雰囲気に、あえて溶け込まないようにしようと思っています。だからといって浮いた存在になるわけではなくて、溶け込んだら自分を甘やかしてしまって挑戦する心を忘れてしまいそうなんですよね。だからあえてみんながやらないことをしよう、驚かせるようなことを考えよう!って思っています】「ENTAME 2016年9月号」

「乃木坂らしさ」は大事だという考えは、メンバー皆が共有しているだろう。しかし同時に、「乃木坂らしさ」だけに囚われることは衰退でしかない、という考えも共有しているはずだ。「乃木坂らしさ」を保ちながら「乃木坂らしさ」から外れていく。アイドルという、競争相手が膨大に存在する闘いの中で勝ち抜くために、そんな矛盾した前進を彼女たちはしなければならない。

そんな時、意識的に「乃木坂らしさ」から外れることが出来る人間の存在は大きい。

「乃木坂らしさ」は、乃木坂46メンバーが自然と醸し出してきた雰囲気が定着したものだろう。意識して生み出すのは難しいのかもしれないけど、メンバーが自然にしていれば出てしまうものでもあると言える。しかし、「乃木坂らしさ」から外れるには力がいる。しかも、ただ外れるだけ、というわけにはいかない。それは乃木坂46全体にとっては意味があるかもしれないけど、外れた個人の評価は下がるかもしれない。その辺りのバランスを、秋元真夏は絶妙に取る。「乃木坂らしさ」からうまく外れながら、同時に乃木坂46のファンから愛される。そんな離れ業を日常的にやっているのだ。

【でも、グループ全体のことは基本的にはプロデュースしてくださるスタッフさんや秋元先生にお任せしています。どんなものにもなれるようにしておくことが私たちの役目だと思うので】「ENTAME 2016年9月号」

この覚悟が、素晴らしいではないか。

秋元真夏がこういうスタンスを取るようになったのは、もちろん冒頭で挙げたようなメンタリティも背景にあるだろう。バリアを張って人と関わるのなら、相手に合わせて自分を組み替えて、その仮面でその人と関わっていく、というやり方が楽だったという部分もあるだろう。

しかし、それ以上に影響を与えたのは、やはり加入後すぐに活動休止、その後電撃的な福神入りという、秋元真夏のデビューの仕方にあっただろう。彼女は乃木坂46の1期生でありながら他のメンバーと同じスタートラインに立てなかった。さらに、秋元真夏はサプライズ復帰で福神に選ばれ、メンバーとの間にギクシャクした関係が残った。彼女自身のせいではないとはいえ、結果的にかなりのハンデキャップを背負いながら活動を始めることになってしまった。その中で自分の居場所を確保していくためには、隙間を狙っていくしかなかっただろう。彼女自身も、【はじめからすんなり活動を始めていなかったからこそ、今の私があるとも思っていて。】「ENTAME 2016年9月号」と発言している。

しかし秋元真夏は、ただ「隙間」に甘んじているつもりはないようだ。

【私は乃木坂46の“大黒柱”のような人になるのが目標です。グループとして外に出ていく時に、みんなから「真夏にいてほしい」って信頼してもらえるような存在になりたくて。それは、私が後から復帰したということもあって、乃木坂46に恩返しをしたいという気持ちが根本にあるので。その目標を叶えられたらいいなと思っています】「別冊カドカワ 乃木坂46 Vol.2」

隙間を少しずつ埋めていきながら、いずれは大黒柱を目指す。いや違うか。彼女は「“大黒柱”のような人」と言っている。「大黒柱」は、一本の太い柱だが、そういう支え方を狙っているわけではないだろう。色んな隙間をちょっとずつ埋めていくことで、「大黒柱」のような太い柱がないまま全体を固定しようとする。秋元真夏が狙っているのはそういう支え方だろう。それは太い柱のようには気づかれにくいが、同じように全体をしっかりと安定させていく。

そういう「大黒柱」になら、彼女はもうなっているのかもしれない。

「隙間を埋める“パテアイドル”としての秋元真夏の真骨頂」

齋藤飛鳥写真集『潮騒』 勝手にキャプションを考える



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先日、乃木坂46の齋藤飛鳥さんの1st写真集『潮騒』が発売になりました。
それで、勝手ながら、この写真集に載っているすべての写真にキャプションを考えてみました。
お手元に『潮騒』をご用意いただいてこの記事をご覧いただければと思います。


読み方:
◯ 一つの【】内が一つの写真に対応します
◯ どの写真のキャプションなのか見失うと思うので、時々言葉で説明しやすい写真を()で書き加えます




(表紙の写真)
【この先に、私の知らない私がいるのかな…】

【見えてるものがすべてとは限らない】

【分かってはいるんだけど、それでも見たくなる】

【だから、ぐるぐる廻る】

【時々、自分が何を考えているのか分からなくなる】

【ここが月なら、この右足は“第一歩”とか呼ばれるのかな。
…あ、まただ。リセットしなきゃ】

【私は私を再インストール中】

(「Shiosai Asuka Saito」という文字)

【私の視線の先に齋藤飛鳥はいない】

【宇宙の果てにも齋藤飛鳥はいない】

【二人目の齋藤飛鳥はいない】

【ねぇ、それってホントなのかな?】

【さっと振り向けば見つかるんじゃない?もう一人の齋藤飛鳥】

【もう一人ぐらいいてくれたら、ちょっとは楽なんだけどなぁ】

【でも、祈るのはとっくにやめたんだ】

【誰も私の願いを叶えてくれない】

【私も私の願いを叶えてあげられない】

【あなたもどうせ叶えてくれないんでしょう?】

(セグウェイの写真)
【ウソウソ!ゴメン!いじわるしちゃった(笑)】

【他人には期待なんてしてないから大丈夫】

【ちゃんと自分の足で歩いていくから心配しないで】

【何かを覚えておくのは難しい】

【いつも時間が飛んでる気がする】

【お前の時間は止まったんだな。羨ましいぞ!】

【今だって、メロンを食べていたのに】

【いつの間にか魚に変わってる。笑えない】

【心に鍵を掛けると笑いやすくなる】

【でもそうすると、夢の世界が私を侵食する】

【ほら、またいつもの夢】

【あの角を曲がったら引き返そうっていつも思うのに】

【いつまで経ってもどこにも戻れない】

【そんな夢から】

【覚めたって、どうせ現実が待ってるだけだ】

(熊の写真)
【現実は、私が見ないようにしてるものをいつだって見せたがるんだ】

【見た?あれが私の本当の姿だよ】

【だから鬼にも捕まる】

【あなたも私から離れたくなったでしょう?】

【目を合わせるのは苦手】

【だからすぐに反らしちゃう】

【可愛い、って言ってもらえる度、私は私を見失う】

【そんな私、どこにいるんだろう?】

【神様?信じてないよ。だって私には優しくないから】

【神様になら何されてもいいってずっと思ってるのに】

【何かしてくれたことなんて一度もない】

(星空の写真)
【夜空を見上げなくなったのはいつの頃からだろう?星ってなんか、ウソっぽいでしょ?】

【太陽はなんか信じてみてもいいかもって思えるんだけど】

【だってあいつ、いつも一人で頑張ってるからさ】

【私は一人で立つぐらいがやっとだけど】

【けど今日は、そんな“齋藤飛鳥”を脱いでみる日】

【そんなに見ないで欲しいんだけどな】

【とりあえず笑ってみる】

【やっぱりちょっと恥ずかしいかも】

【でも、私なんかが後悔するのはダメだと思うんです】

【偉そうなこと言っちゃいましたかね?】

【わざとだぞー。わざと偉そうなこと言ったんだぞー】

【すいません】

【私、笑ってる時は大体なにか隠してるんです】

【全部ウソってわけじゃないですけど】

【“ぜんぶってどこからどこまで?”って子供の頃よく聞いてたみたいです。覚えてないけど】

(水を浴びてる写真)
【子供の頃はもっと無邪気だったはずなんだけどなぁ】

【今は自分のことも他人のこともよくわからないんです】

【わかり合うって、何を?】

【あなたが正しいかどうかなんて、私興味ないよ】

【あなたが行きたいと思う場所に行けばいいんじゃない?】

【自分の力だけでは行けない場所がある】

【それを知りたくて本を読むんですけど】

【答えだけ書いてあっても困るんだよね】

【何言ってるか分かんないでしょ?(笑)】

【バーカ】

【何かを吸うとさ】

【私は“齋藤飛鳥プラス”になれるんだけどね】

【何かを吐くと】

【“齋藤飛鳥マイナス”になる】

(椅子に体育座り)
【今日は私を全部吐き出した。プラスでもマイナスでもない、ゼロだ】

【心がなくてもちゃんとカメラに写るのかな?】

【夢で五年後の自分を見た】

【なんか自分じゃないみたいだったなぁ】

【未来なんか想像もつかない】

【五年前の自分を思い出してた。何も変わってない気がする】

【目指してる場所?私にもあったよ、たぶんね。忘れちゃったけど】

【私がいる場所が現実だっていうのが、そもそもなんか嘘くさいしさ】

【このまま壊れていっちゃうのかもね。別にそれでもいいんだけど】

【まあ、ちょっとは楽しもうかな】

【とか言って、いつまで経っても】

【足元を見て歩く方が好き】

【何度も同じことを繰り返したくなる】

【無駄だってことぐらい分かってるんだけど】

【“焦らなくていい” そう言われる度、わけもなく焦る】

(脚)
【ジタバタしたくなる】

【“にんげん”なんですよね、私も】

【いつだってそのことを忘れちゃう】

【練習すればうまくなるって思ってる?】

【それ、ウソなんだよ】

【いくら人間のフリがうまくなっても】

【誰も認めてくれないんだから】

【ほら、またあいつが見てる】

【ちゃんと人間の動きが出来るかチェックされてる】

【正直でいるってどういうこと?】

【色んなものを吐き出せってことかな?】

【そういうの、好きじゃないんだけどな】

【人間って難しいけど】

【私はちゃんと人間に近づけてるのかな?】

(奥付の写真)
【そもそも私は、人間になりたいのかな?】

(裏表紙の写真)
【ねぇ、どう思います?】

(カバー外した写真)
【コイツには仲間だって思われてますけど】

「齋藤飛鳥写真集『潮騒』 勝手にキャプションを考える」

「弱さと強さの奇跡的なバランスが生み出す“西野七瀬”というアイドル」



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西野七瀬を捉えることは、本当に難しい。そもそもあまり喋らない。僕は基本的にテレビと雑誌でしか乃木坂46を見ないが、テレビの中の西野七瀬は聞かれなければ自分からは発言しないし、雑誌のインタビューでも、発言の合間に「(ここで沈黙)」などと書かれるくらい、スムーズな受け答えにならないことが多い。次どんな発言をするのか、次どんな表情をするのか、全然読めない。言動のベースや核となっているものをうまく捉えきれない。

しかし、西野七瀬の振る舞いや発言に触れることで、僕の中で西野七瀬を切り取るキーワードが見えてきたように思う。

それが「弱さと強さの奇跡的なバランス」だ。

西野七瀬の「弱さ」は、様々な形で表に現れる。自信のなさやネガティブな感じは、言動に如実に現れ、それが西野七瀬のパッと見のイメージを作り出している。

【ステージでは、なるべく行ってない場所をなくそうと意識しています。同じところばかりに行くと、「またか」みたいな人もいると思うので…】「BRODY 2016年6月号」

【…正直、「私をセンターにして大丈夫なの?」「乃木坂46がとんでもないことになっちゃう」って思ってました。申し訳ないって気持ちが大きかったです。それに、私がセンターになることで、絶対にイヤがる人もいるわけじゃないですか。怖かったですね】「乃木坂46物語」

そういう在り方は、子どもの頃からだったらしい。というか、子どもの頃の方がさらに酷かったと言えるかもしれない。

【正直、中学時代、何をしていたか覚えていないくらいです。男子ともしゃべらないし、「話しかけないでください」っていうオーラを出してたと思います。話しかけられても、相手の顔を見れないんですよ。目が合っても、すぐにサッてなっちゃうタイプ。クラスに男女関係なく、誰とでも話せるコがいたんです。そのコは、…私とも仲良くしてくれてて、すごく憧れていました】「乃木坂46物語」

【それに私の中学校時代って、本当に何も楽しいことがなかったんですよ。】「乃木坂46物語」

乃木坂46は西野七瀬に限らず、自己評価の低いメンバーがとても多い。そういうメンバーが多くいるからこそ西野七瀬も受け入れられているし、乃木坂46だからこそ西野七瀬はトップアイドルになることが出来たと言えるだろう。人見知りで自己主張が苦手である彼女が、他のアイドルグループの中で人気を獲得できるイメージを掴むことはなかなか難しい。

西野七瀬に対しては「守りたくなるような雰囲気を感じる」という話をよく耳にする。これも、彼女の「弱さ」から醸し出されていると言っていいだろう。実際に僕も、西野七瀬が時折見せる表情から、このまま消えてしまうんじゃないだろうか、というような儚さを感じることがある。だから、自分が守ってあげなければ、という気持ちになることもよく分かるし、それが人気に繋がっているというのもとても良くわかる。

しかし当然ではあるが、ただ「弱い」というだけで人気が出るはずもない。西野七瀬の中には、「弱さ」以外の何かがある。しかし、それをきちんと捉えるのがとても難しかった。

西野七瀬が「弱さ」と共に兼ね備えているのが「強さ」だ。そしてこの「弱さ」と「強さ」が絶妙なバランスを保っていることで、西野七瀬のあの雰囲気が醸し出されるのだと感じる。

西野七瀬の「強さ」は、思考や妄想などに発揮される。

【私は「求められていること」が分かってないので、自分が思うようにずっとやってきたという感じなんです】「EX大衆 2017年1月号」

【誰かが「こうしたほうがいい」といってくれるわけじゃないので、全部自分で決めて、自分で「これがいい」と思ったやり方を選んでいって。どこかで否定されていたかもしれないけど、その声は私に届いていなかったから】「EX大衆 2017年1月号」

こういう発言は、「弱い」西野七瀬のイメージとはかけ離れている。控えめに言っているが、この発言から見えてくる西野七瀬は、とても「強い」。

西野七瀬が「弱い」側面しか持っていないとすれば、自分の言動や進むべき道について誰かに相談していてもおかしくない。しかし実際は、この発言から分かる範囲では西野七瀬は誰にも相談しないで決めているようだ。それは、「相談しない」のではなく「相談できない」のだという可能性もあるが、僕は「相談しない」のだと思う。僕の考えでは、まさにこういう場面でこそ西野七瀬は「強さ」を発揮できると考えているからだ。

また、こんな発言もしている。

【2,3年前にほかの仕事でも金魚を使っていたんですけど、いまでも「どうなったんだろう」と思い出すことがあるんです】「EX大衆 2016年9月号」

【ありえへんことを想像するのが好きなんです。たとえば、そこのビニール袋に光が反射している部分がいくつあるんだろうって数えるとするじゃないですか。そのうえで、いまの瞬間に同じことを考えているのは何人いるんだろうって。】「乃木坂派」

西野七瀬の思考は、とても自由だ。何にも制限されていないように思える。そして、この自由度は一つの「強さ」だと僕は感じる。
以前「アナザースカイ」に彼女が出ているのを見たことがある。景色のいい場所でイーゼルを立てて絵を描いていたから、てっきり風景を描いているもんだと思っていたら、ちょっと前に見たカメレオンの絵を描いていて驚かされたことがある。こうしなければならない、こうでなければならない、というような発想から解放されているように見える彼女は、「思考の自由度」という「強さ」を持っているのだと思う。

【「変わってる」と思ったことはなかったんですけど、「普通にできない」ことには悩んでました。まわりの女子と好きなモノが一緒じゃないとか、合わないとか、小中学生の時はよく思ってました。かといって、「クラスの端っこにいたい」というわけでもなくて。いま思うとしょーもないんですけど、中学生ってけっこう残酷じゃないですか】「EX大衆 2016年9月号」

この発言からは、自分の思考を大事にしてそれを手放さない「強さ」を感じる。他人と関わることを優先して自分の思考を周りに合わせるというやり方もあったはずだろう。しかし彼女はそうしなかった。そして最終的には、「普通にできない」ことを「強さ」に変えてしまった。

【はい。高校生の時の私のままで生きていたら、いまごろ苦労していたと思います。乃木坂46に入ったことでプラスに変えることができたんじゃないかな。「普通にできない」ことが個性になって、「そこがいい」と思ってくれる方もいるのはよかったですね】「EX大衆 2016年9月号」

西野七瀬には、外からは見えにくいが、確実に「強い」部分があるのだ。

それでは、この「弱さ」と「強さ」はいつどのように発揮されるのか。僕はこう考えている。

他人と関わらなければならない時に「弱さ」が発揮され、一人でいられる時に「強さ」が発揮されるのだ、と。

【メンバーも一緒ですね。仲良くしてもらっているけど、でも、乃木坂46以外の場所ですごく仲がいい存在の子がいるのを知っているので。そういうのをいろいろ気にして距離を置いてしまうというか…。でも、やっぱり私にはそこしかなくて。乃木坂46じゃないところを見ても、誰もいないんですよ】「BRODY 2016年6月号」

誰かと関わる時は、「弱く」なる。

【歌は、新垣結衣さんの「赤い糸」を歌いました。モニターに歌の歌詞が出るんですけど、最終審査の前にスタッフさんに「あまり歌詞を見ないほうがいいかもね」って言われたんで、「秋元さんの顔を見て歌おう」と思ったんです。そしたら、歌詞を間違いまくりました。でも、自分の中で歌詞を作って歌ってたんですよ。堂々と歌ってたから、誰にもバレてなかったと思います】「乃木坂46物語」

一人で出来ることには「強く」いられる(人前で歌うことは、厳密には一人で出来ることではないかもしれないが)。

こういう見方をすると、西野七瀬を少しは理解しやすくなる。

例えば西野七瀬がインタビューなどで沈黙する場面。見ている側は、「喋ることが思いつかないのだろう」と思う。しかし、そうではないのかもしれない。思考に「強さ」を発揮する彼女は、喋るべきことは思いついているのかもしれない。しかし、それを表に出すことは他人と関わることだから「弱く」なって躊躇してしまう。この発言をしてもいいのか悩んでしまう。そういうことではないか。

しかし、それは決して悪いことではない。西野七瀬が思考に「強さ」を発揮できるのは、他人とあまり関わりを持とうとしなかったお陰だろうと思うからだ。友達がいない、とよく発言する彼女は、頭の中で考えたことを外に出す機会がほとんどなかった。だからこそ、外側の影響を受けずに、思考の純粋性を守ることが出来たのではないかと思うのだ。

一方で、西野七瀬のアイドルとしての葛藤もまた、この点に凝縮されている。今まで他人に明かす機会のなかった思考を、アイドルとして表に出すことが求められるからだ。彼女にとってそれは「普通にできない」ことだった。しかし彼女はそのやり方を少しずつ身につけていったのだろう。それは、「笑顔」に関するこんな発言からも類推できる。

【私、最初の頃は全然笑えなくて。笑顔も1パターンしかなかったというか、自分の中での概念的に笑顔ってひとつだと思っていたので。でも、そうじゃないんだ、笑顔にはいろんな種類があるんだっていうことが乃木坂に入ってわかったんです。それがわかってからは、笑顔だけじゃなくて表情も豊かになったねと言われるようになりました。たぶん昔に比べたら、感情をそのまま表に出しやすくなったのかも。昔は活動の全てに緊張して、ただこわばって硬い表情になっていたけど、今はリラックスして撮影ができるようになったと思います】「別冊カドカワ 乃木坂46 Vol.3」

西野七瀬は、自身の「強み」である思考を少しずつ表に出すようになった。そうすることで、「弱さ」と「強さ」が程よいバランスで混じり合っていったのだろう。「人に見せなくてもいい部分は強い。でも、人に見せなくてはいけない部分は弱い」という在り方が、結果的に彼女の魅力に繋がっている。僕はそんな風に考えている。

以前僕は「乃木坂46 MVの中の西野七瀬」という記事を書いたことがある。その中で、「MVの中の西野七瀬は、黙っていても存在感に溢れている」というようなことを書いた。これも「弱さ」と「強さ」のバランスで説明できるかもしれない。

MVは、他人と関わるもの。だから当然、「弱さ」が出ることになる。しかし、MVの西野七瀬の役柄は、彼女自身と同じくどことなく孤独を感じさせる。だからこそ彼女はMVの中で、一人でいるという意識も持てるのではないか。一人でいるが故の「強さ」が滲み出てしまうのではないか。
僕が見ている限り、普通は西野七瀬の「弱さ」と「強さ」が同時に発揮されることはほとんどない。当然だ。「弱さ」は他人と関わる時、そして「強さ」は一人でいる時に発揮されるのだから相容れるはずがない。しかしMVにおいては、両者が奇跡的に同時に発揮されるのではないか。だからこそ、MVの中の西野七瀬にこれほど惹かれるのではないだろうか。

こんな風にして、西野七瀬をうまく捉えられた気になっているのだが、どうしても彼女の性質でうまく組み込めないものがある。それが「負けず嫌い」だ。

その最も有名な話が、秋元真夏とのエピソードだろう。

【…なんか、もう心がぐちゃぐちゃでした。スタッフさんに取り押さえられた後は、「頭を冷やせ!」って言われてずっと座らされてました。今思うと…福神から落ちちゃったけど、選抜には入ってたわけだし、「そんな簡単じゃないんだよ!贅沢だ」って思うんですけどね。そのときは心が完全にダークになっちゃってたんです。それから、真夏とは一切しゃべれなくなってしまって。ほかのメンバーが真夏と話していても、なんか…わだかまりがありましたね】「乃木坂46物語」

乃木坂46に加入するも、活動をする前から活動休止を余儀なくされた秋元真夏が、復帰直後に福神に選ばれた。同じタイミングで福神から落ちてしまった西野七瀬は、秋元真夏と長いことギクシャクした関係だったという、有名なエピソードだ。

【私、乃木坂46に入ってから、じぶんが負けず嫌いだってことを知ったんです。今でもですけど、基本、争い事は嫌いなんです。でも、負けると悔しいんですよ。悔しいから、それがイヤで、ずっと争いを避けていたのかもしれません】「乃木坂46物語」

僕の中でこの「負けず嫌い」という部分が、どうしてもうまく組み込めない。秋元真夏との関係がギクシャクしていたことについては、西野七瀬の「弱さ」の部分で説明できるだろうからいいのだけど、そもそも何故「負けず嫌い」という性質を持っているのか、という部分がうまく捉えきれないのだ。だから、ここまで長々と説明してきた「弱さ」と「強さ」のバランス説は間違っているのだろう。良い線いってるとは思うんだけどなぁ。


【いまは個人の仕事が増えてる分、グループへの想いが薄まっているんじゃないかと疑ってしまう時があるんです。乃木坂46が頑張る場所だと思っている自分にとって、その中身が薄くなるのは怖くて。そんなことを話すとスタッフさんからは「なーちゃんと生駒ちゃんはグループに対する想いが強いから大丈夫」と言われるんですよ】「EX大衆 2017年1月号」

これは、北野日奈子の発言だ。この発言からも滲み出ているが、西野七瀬はアイデンティティの核を「乃木坂46」に置いているメンバーだ。

【でも、最近、変わってきたっていうか、感じるようになったのは、ソロのお仕事が増えてきて、メンバーのみんなとちょっとでも会えなかったりすると寂しくて。久しぶりにただ話してるだけで楽しいんですよ】「乃木坂46×プレイボーイ2016」

【「乃木坂46は曲が良いね」って言っていただくことが多いんですけど、曲を良くしているのはメンバーだと思うんです。メンバーみんなが「乃木坂ってこういうことだ」って理解して行動してると思ってて。それは歌もダンスも、普段の態度も、舞台での動きも。頭で考えてないっていうか。身体で理解して、みんなが同じ方向を向いてるなって思います】「乃木坂46×プレイボーイ2016」

既に引用したが、【乃木坂46じゃないところを見ても、誰もいないんですよ】と語る彼女は、【うーん。基本的に将来には不安しかないんですよ。乃木坂46を卒業しても何をしていいのか分からないなぁってずっと悩んでいて】「EX大衆 2016年9月号」と不安を覗かせる。乃木坂46だからこそトップアイドルになれたという印象を与える彼女が、乃木坂46を離れる日が来たらどうなるのか。全然想像が出来ないが、その想像の出来なさもやはり彼女の魅力になってしまう。【私が表舞台からいなくなっても、どいやさんには頑張ってほしいんです】「日経エンタテインメント!2017年2月号」などと発言してしまう彼女だが、誰にも真似出来ないその特異な存在感で、乃木坂46を離れた後も活躍して欲しいと思う。

【未来…まったく想像できないです。でも、ずっと自分が嫌いで泣き虫だった、あの頃の自分みたいなコがいたら、乃木坂のオーディションを受けてほしいなって思います】「乃木坂46物語」

西野七瀬こそ、「君の名は希望」と言いたくなるような、物語を持ったアイドルだ。捉えきれない魅力をもった彼女がこれからどう変化していくのか。とても楽しみでならない。

「弱さと強さの奇跡的なバランスが生み出す“西野七瀬”というアイドル」

ダメ人間・橋本奈々未



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2017年2月20日、橋本奈々未は自身の誕生日を目処に、乃木坂46から卒業することを発表した。乃木坂46の初期からずっと第一線で活躍し続けてきた橋本奈々未が果たした役割はとても大きいだろう。さらに橋本奈々未自身も、その聡明さ、あるいは知性によって高く評価されてきた。「アイドルらしくない」と言われる佇まいを見せる橋本奈々未は、その特異な存在感で独自の地位を作り上げたと言っていいのではないかと思う。

しかし彼女は、自分の捉えられ方について困惑する機会が多かったという。

【勉強ができると思われているかもしれないけど、若いときからアイドルを始めた方たちは、仕事でなかなか高校に通えないけど、私は普通に授業に出られていただけ。クールと言われているけど、感情の起伏が激しくて、楽屋ではひとりですごい騒いでいますから。
一番抜け出したいのは「できて当たり前」「しっかり者」というイメージ。本当はダメ人間なんですよ】「アイドルspecial2015」

橋本奈々未を「ダメ人間」だと捉えている人間はいないだろう。あまりにも、橋本奈々未のイメージからかけ離れている。何でもこなし、自分なりの考え方を持ち、常に知性を感じさせる彼女には、あまりにも似つかわしくない。とはいえ、自己認識と見られ方に差があると感じているのなら、その差を埋める努力をしてあげたい、という気持ちもある。

【ただ私は、見た目と中身が、だいぶ違うんですよね。どうしても見た目先行で色々なことが進んじゃうんですけど、あまりイメージと直結させないでほしいなとは思います。クールって言われることが多いけど、中身は全くクールではないんですよ】「アイドルspecial2016」

橋本奈々未は、こんな風にも語っている。

【映画で一緒になったいくちゃん(生田絵梨花)と(秋元)真夏と「アイドルと女優の違い」を話したときに思ったんです。アイドルは自分の色を出して分かってもらうことが仕事。だけど、女優さんは色を付けないのが仕事で、役によって色を付けるから無色でいなきゃいけないんだろうなって。
アイドルの場合はグループの中でキャラができて、それがずっと継続されてしまう。乃木坂46の中にいる橋本奈々未としてはいいけど、それが私の本質だと思われるのはどうなんだろうなって】「アイドルspecial2015」

橋本奈々未は乃木坂46を卒業して、芸能界を離れた普通の社会で生きていく。今彼女は、「乃木坂46の中にいる橋本奈々未」として捉えられている。そして、乃木坂46の卒業と同時に芸能界を去る決断をした橋本奈々未は、「乃木坂46の中にいる橋本奈々未」という捉えられ方から脱する術をほとんど持たないと言っていいだろう。

僕の文章がその役を担えるとは到底思えないが、橋本奈々未を、自身がそう望むように「ダメ人間」というキーワードで切り取ってみたい。今回の記事はそんな動機で書かれている。


【「できて当たり前」みたいに見られても、私は特に何が秀でているわけでもないんですよ。むしろ、できてないことのほうが多いので、「損してるな」と思うときも正直あります。イメージから外れたことをすると「そういうことをするのはおかしい」と言われることもあるんです。何も考えずに書いたブログが深読みされることもあるし、自由が狭まっているのかなと感じることが増えました】「アイドルspecial2015」

繰り返すが、橋本奈々未は自己認識と見られ方の間にギャップを感じていた。僕自身も、冒頭で書いたように、橋本奈々未は何でも出来るし、知性を感じさせる人間だとずっと感じていた。僕は乃木坂46の中では齋藤飛鳥がダントツで好きだが、齋藤飛鳥のインタビュー目当てで買った雑誌の中に他のメンバーの記事があれば読む。その中で、価値観や考え方や言葉のセレクトに最も琴線が触れるのが橋本奈々未だ。だから僕自身も、橋本奈々未を「ダメ人間」だと思ったことなどなかった。

何故そこにギャップが生まれるのか。考えた僕は、こんな結論に達した。
「橋本奈々未は、鎧だと思って身につけたものを武器だと捉えられているのではないか」と。

橋本奈々未は自分自身を、こんな風に捉えている。

【私、もともと自分に自信がないタイプなんですね】「別冊カドカワ 乃木坂46 Vol.1」

【10代の頃は、人と目を合わせられなくてバイトの面接で落ちまくりました。強くなりましたね】「アイドルspecial2017」

【(とあるMVについてのコメントで)私もこのキャラもコミュ障なので通ずるものがありました】「乃木坂46映像の世界」

【私もだよ。めちゃくちゃズボラで気分屋だから、それを理解してもなおグイグイ来てくれる人や、私と同じズボラな人としか仲良くなれない】「乃木坂46×プレイボーイ2016」

乃木坂46にはこういう、自分を低く捉えるメンバーが多いが、橋本奈々未もそうであるようだ。スボラで自信がないコミュ障。そういう自分を指して「ダメ人間」だと評しているのだろう。

そして、そんな「ダメ人間」だからこそ身についただろう力がある。それが「観察力」だ。

「ダメ人間」であっても、何とか生きていかなければいけない。そういう時どうするかは、人それぞれ様々だろう。無理して「デキる人間」という仮面を被る者もいるかもしれないし、引きこもってしまう者もいるかもしれない。橋本奈々未は、「観察する」という方法で「ダメ人間」なりに生きていこうとした、というのが僕の仮説だ。根拠はないのだが、そう考えないと、「橋本奈々未が自身をダメ人間だと感じている」という事実と、「橋本奈々未が他者から圧倒的な知性を感じさせる」という事実が結びつかないと僕は感じる。

まず橋本奈々未は、自分自身を観察した。どんな時に自分はうまくいかないのか、どういう条件で自分は失敗するのか、何が原因で自分の悪い部分が表に出てしまうのか、逆に自分が良く出来るのはどういう時なのか…。きっと彼女は子供の頃から、こんな思考を繰り返していたのではないか。自分が「ダメ人間」であるという自覚があるからこそ、それでもなんとか生きていくために徹底的に自己分析する。自分のことを出来る限り理解することで、自分の弱い部分・ダメな部分を捉え、先回りしてそこを保護する。

そう、橋本奈々未にとって「観察力」は、ある種の鎧として機能していたと思うのだ。自分には良いところなど少ないと感じていた彼女は、高い観察力によって自分の弱さを見極めておく。

そしてその弱さをきちんと「言葉で捉える」ことによって、あらかじめその場所の防御を高めておく。言語化するというのはある意味で「近似する」というのと同じだ。多少のズレがあっても、その弱さをきちんと言葉で捉えることで近似し、分かりやすい形で保持しておく。「体調が悪い」だけでは対処の仕方は無限にあるが、「風邪」「インフルエンザ」「気管支炎」などの病名がつけば対処の仕方がはっきりするように、言語化によってよりシンプルに捉え、対処しやすくし、その場所の防御を高めやすくする。

そんな風にして彼女はなんとか生きてきたのではないか。

しかし、当然と言えば当然ではあるのだが、その高い「観察力」と鋭い「言語化」は、他者に向けられればもの凄く強い武器になる。

乃木坂46に入る以前の橋本奈々未がどんな人間だったのか、僕には知る由もないが、想像力を膨らませれば、乃木坂46に入ってからその武器が顕在化したと考えることも出来る。それまでは、他者に対して観察力が発揮されても、それを披瀝する場がなかった。普段のおしゃべりの中で話すようなことでもないし、コミュ障だと自分で言っている橋本奈々未は、そこまで交友関係が広かったわけでもないのだろう。しかしアイドルになり、しかも乃木坂46のメインとして一線で活躍する中で、橋本奈々未はそれまでの人生で問われることのなかった問いを投げかけられるようになった。それらに対して「観察力」と「言語化」を発揮することで、それらが始めて武器として認識されるようになったのではないか。

橋本奈々未の「メンバー評」は、とても面白い。

【いまの話(※松村沙友理が自身をKYだと語る話)を聞いて思うのは、きっとさゆりんは自分があるからそうなるんだろうなって。自分がおもしろいと思うことだったり、正しいことやまちがってることが自分の中でちゃんと整理がついてるんだよ。その基準で周りで起こることを見て、自分の基準で笑えたり怒れたりするから、結果的に「合わない」と思うことが多いのかもしれない】「BRODY 2016年10月号」

橋本奈々未は、他者の本質を捉え、それを別の人間でも理解できる言葉にまとめ上げる能力が卓越している。それは、「ダメ人間」であるが故に自分自身に向け続けてきた「観察力」が他者に発揮されることによって実現しているのだと思う。

西野七瀬についても、こんなことを書いている。

【西野は「許容範囲が広い」人ですね。人に何かされて「いいよ」っていう意味じゃなくて、例えばですけど、寒くなってきた秋口におじさんが半ソデで交通整理をしているとすると、私だったら「寒そうだな」くらいで終わるんですけど、西野の場合は「あのおじさん可愛い」って感じになるんですよ。「一生懸命、棒を振ってんねんで。可愛いなぁ」みたいな。実際にそういうことがあったわけじゃないんですけど。普通の人だったら、その物ごとに対して特別な感情を抱かなかったり、興味を持たないだろうなっていうことにも、わりと感情を持つというか…。そういう「許容範囲の広さ」が人気なんだと思います】「BUBUKA 2016年4月号」

西野七瀬を「許容範囲が広い人」と捉え、瞬時に例え話も作り出す能力は、やはり図抜けている。

その「観察力」は、何も人にだけ向けられているわけではない。

【でも、何も印象に残らない作品よりは、今でも「あのシーンはなんだったんだ」と議論される作品のほうが、アイドルのMVとしては成功だったんじゃないかと思います】「MdN 2015年4月号」

【私が苦手な部分は誰かの得意ジャンルだったりするので。集団の強みはそこだと思っています】「別冊カドカワ 乃木坂46 Vol.1」

引用したのは乃木坂46に対するものだけだが、橋本奈々未の「観察力」は、事象にも概念にも発揮される。どんな物事に対しても高い観察力を発揮し、それを的確に言語化していく力は、圧倒的な知性を感じさせる。多くの人が持つ橋本奈々未に対するイメージは、こんな風に作り上げられたのだろうと思う。

しかし、だからこそ橋本奈々未はギャップを感じることになる。彼女にとって「観察力」と「言語化」は、「ダメ人間」である自分を生きさせるための手段でしかなかった。しかしそれが結果的に、自分に知性というイメージをもたらすことになった。その違和感を、橋本奈々未は感じるようになっていったのだろう。

【私はもともと普通にパッと発言したことが、深読みされやすい立ち位置にいるらしいので、かなり発言には気をつけてきたんですけど】「乃木坂46×プレイボーイ2016」

【自分が思ってる自分が「自分じゃない」って言われることがあるんですよ。「ななみんってこうだよね」っていうイメージがひとり歩きしちゃうんです。あるひとつのことに周りから見た自分のイメージが付け加えられていって、自分が思った通りにやったことが「それはちょっとらしくない」って言われてしまったり。そうすると「あれ?私って本当はそうだったのかな?」って(笑)。どこからが本当の自分の意志でやっていて、どこまでが周りに求められてやっていることなのか、たまにその境界線がわからなくなることはありますね。その積み重ねによって自分が変わっていってしまうのかもしれないとは感じていて。自分の価値観は大切にしたいけど、それが知らずしらずのうちに外からの力で変わっていくこともあるのかもしれない…うーん、難しいです(笑)】「BRODY 2016年10月号」

こういう怖さは、少しは理解できる。僕も、当然橋本奈々未とは比べ物にはならないが、似たようなことを感じることがある。他者からの見られ方、評価のされ方に怖くなることがある。僕は意識的に、自分の評価を下げるような行動を取ってバランスを取ろうとする。しかし、今や国民的アイドルグループの一員であり、その中でも人気の高い彼女は、外からの自分の評価を自己認識に近づけるような行為を考えなしにすることは許されない。その窮屈さみたいなものも彼女を卒業へと向かわせたのではないか。インタビューの端々からそんなことを感じることがあった。


もう一つ、橋本奈々未を「ダメ人間」として捉える軸がある。それは彼女のこんな発言から読み取ることが出来る。

【これをサービス精神と言っていいかはわからないんですけど、少なくとも私は自分のためにはがんばれないんですよ】「BRODY 2016年10月号」

この発言も、「ダメ人間」というキーワードで捉えることが出来る。僕もそうだが、自己認識が低い場合、そんな自分に対して全力を出すことはとても難しい。「自分のためにはがんばれない」という認識を持っている橋本奈々未が自身のことを「ダメ人間」と捉えているということが如実に現れた発言だと僕は感じる。

【私、自分自身に自信がないので、「私のどこがいいんだろう?」とか「どうして私を応援してくれるんだろう?」って思ってしまうんです。でも、ファンの人やスタッフさんが褒めてくれたり、期待してくれることによって、「この人たちは裏切れないな」っていう思いで、なんとか踏ん張ってここまでやってこれました】「BUBUKA 2016年4月号」

アイドルとして優等生的な発言だと捉える向きもきっとあるのだろうが、本心なのだろうと僕は思う。結果的に彼女は、自分を「押し流してくれる環境」にいられた。乃木坂46のメンバーとして、第一線のアイドルでいるというのは、無数の期待の中にいるということだ。無数の「誰か」のために、という意識は、自身を「ズボラ」とも評する橋本奈々未をきちんと自立させる環境だっただろう。

しかし一方で橋本奈々未は、無数の「誰か」に対してこんな風にも感じていた。

【はい。私は昔から憧れって感情を抱いたことがなくて(笑)。だから羨ましいじゃないけど、自分が必死になれるということは、自分が役に立ってると感じられるということだと思っていて。さっきと同じような話になりますけど、自分がいちばん活き活きして必死になれるときって、自分になにかしてあげてるときじゃなくて、ひとの役に立っていたりひとに求められていることが目に見えてわかるときなんだろうなって思ってます。このお仕事をしていると、どうしてもそれが伝わりづらくて。求めてくれるひとに自分がしたことが与えている影響って、まったく自分があまり知らないところで起こっているわけじゃないですか。だから握手会で「こういうときにこういうことを言ってくれたからがんばれました」みたいに言われるのはすごくうれしいけど、自分の中でまったくリアリティが伴ってこないんですよね】「BRODY 2016年10月号」

無数の「誰か」による期待は、数だけは圧倒的だが、ひとつひとつをはっきり認識することはとても難しい。料理を作って誰かに食べさせる、みたいなことは、自分のした行為とその結果が直結する分かりやすい行動だ。しかしアイドルというのは、大昔と比べれば格段にファンとの距離は近づいたとはいえ、自分のした行為とその結果が強く結びついたと感じる機会が少ない。橋本奈々未はそんな風に捉えている。

【やっぱり私は、働いているべき性格というか「“働くこと”が生きていく上でのモチベーションにつながっていくタイプ」だと思っているんです。だから、お仕事が変わっても、「自分がやるべきことだ。どう貢献できるかな」と考えて、行動していくことが一番嬉しいことになっていくと思います】「乃木坂46×プレイボーイ2016」

僕はどこかで彼女が、「裏方さんのような縁の下の力持ち的な仕事が自分には合っていると思う」というような発言をしているのを目にした記憶もある。そんな彼女の意識は、「サヨナラの意味」のMV撮影の時にも発揮されていたようだ。

【ミュージックビデオの撮影で、初めてセンターの責任を感じました。台風が迫る中、雨に振られてみんながびしょ濡れになり寒い思いをしていたので、「このシーンは雨の中で撮る必要が本当にありますか?」とスタッフさんに聞きました。もしセンターでなければ、寒いけどガマンと思うくらいだったかもしれない。センターとはグループの代表として、周りのメンバーに対してこういう風に感じるんだなと思いました】「日経エンタテインメント!2017年2月号」

また、これは橋本奈々未に限らず乃木坂46のメンバーの多くが口にすることでもあるのだが、MVを始めとした乃木坂46のクリエイション全体に対しても、こんな意識を持っている。

【かわいく明るく撮ることを優先しているアイドルグループは多いと思うんですけど、乃木坂の場合、メンバーは「かわいく撮ってもらいたい」とはもちろん思うんですけど、求められるのはそこじゃなくて作品としての完成度が優先されるというか】「MdN 2015年4月号」

「ロケ弁が食べられると思って」アイドルになった橋本奈々未は、アイドルという「職業」に何か期待を持っていたわけではなかっただろう。そんな環境で「誰かのために」という意識で努力を続けた結果、彼女はトップアイドルになった。「ダメ人間」という意識が、自分で人生を切り開くのではなく、誰かによって求められた道を進むという意識を生んだのだろう。そしてそれを徹底したからこそ、彼女はトップアイドルになれたのではないかと思う。しかし、アイドルとしての階段を駆け上がれば上がるほど、彼女の「役に立っているという実感を得たい」という感覚からかけ離れてしまう。忸怩たる思いがあっただろう。求められる自分と本来の自分の差も激しくなり、自分がどうあるべきか分からなくなっていきもしただろう。

【今は夢も目標もない状態なんですよ。何かしたいことがあるかって聞かれても、何もしたいことがないんです。余計に、今目の前にあることをやるしかなくて。やっていくうちに何か見つかればいいなという感じです。】「アイドルspecial2016」

【色々なことを経験したし、様々な現実を知って、これは自分には難しいなとか、適正がないかなとか判断してきた結果、徐々に選べることが狭まってきた。その中で、自分がこれをやりたいというものに出合えれば、今頑張っている意味はあるのかなって思います。
かつての夢は何一つとしてかなっていない。でも、今もう一度そのときに戻ってやり直したいかというと、そこまでのこだわりもない。だからこの先、新しく何かやりたいということが、きっとまた見つかるはずだと思ってやっています。漠然と何もないところを走るのは、ゴールが見えない中をひたすら走るようなものなので、たまにしんどくなることもあります。それでも家族を支えなきゃいけないという思いがあるので、早く何か見つけたいですね】「アイドルspecial2016」

夢も目標もない、と語る橋本奈々未は、「何でも出来る」「知性的だ」という「乃木坂46の中の橋本奈々未」のイメージに応えるために努力した結果、求められることはなんでもやれてしまう人間になった。「乃木坂工事中」の放送作家の一人が、「橋本奈々未が恥ずかしいことになっているのを見た記憶がない」と語っていたが、本当にその通りだろう。しかし、器用に何でも出来てしまうが故に、「アイドル」という枠組みの中にいる限り夢も目標も見つけられない、と感じるようにもなっていったのだろう。

【めまぐるしい時間のなかで、目の前のことをやりきるのに精いっぱいになり、15年にインタビューでは「夢も目標もない」と言いました。自分自身の新たな夢や目標を持つために卒業する道を選んだのかもしれませんし、前向きに見つけていくつもりです。
漠然と「自分に正直にありたい」と思い続けて生きてきました。それが今の私にとって何よりの目標ですし、ずっと達成していきたい。それを実現するために自分の選択は間違ってなかったと思うし、今後もそれを実現できるよう、日々を過ごしていけたらいいなと思っています】「アイドルspecial2017」

卒業は橋本奈々未にとって、自分を見つめ直す一つの機会なのだろう。「ダメ人間」であるが故に「押し流してくれる環境」に心地よさを感じる彼女だが、しかしその環境に甘んじていては自分自身が失われてしまうとも感じている。「自分に正直にありたい」という目標を達成し、またやりたいことを見つけるためにも必要な手続きだったのだろう。一度離れてみて、結果的に彼女がやりたいことが芸能の仕事だとなれば、橋本奈々未ならいくらでも戻ってこれるだろう(まあ、その可能性は低いと思うが)。

【この5年間で私が乃木坂46でどんな役割を果たせたかは分かりません。メンバーやファンの方が寂しいと感じてくれたり、ぽっかりと穴が開いたと感じる部分があれば、そこが私の果たせたことなのかなと思います】「アイドルspecial2017」

卒業は橋本奈々未をどう変えるか。それを知る術はきっとないのだろうが、乃木坂46を離れてみて彼女が感じることをまた言葉で知りたいなと感じる。

「BRODY 2 齋藤飛鳥のインタビュー」を読んで



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「期待する」というのは、「道を決める」ということでもあると思う。そうすることで、自分が決めた道に、自分の力を集結させることが出来る。「こうなりたい」「こうしたい」と期待することで、その方向だけに注力することが可能になる。

ただそれは同時に、「他の道を捨てる」ということでもあると思っている。

『自然と何に対しても、期待をせずに生きていくっていう生き方が自分の中で一番合ってて。だから諦めっていうか、期待を持たないで生きてます』

齋藤飛鳥のこの生き方は、後ろ向きに捉えられることが多いのではないかと思う。こんな考えを持つ彼女に対して、「もっと自信を持って!」とか「強く願えばもっと先まで行けるのに!」と言った感情を持つ人も、いるのかもしれない。

しかし、僕はその捉え方は違うのではないかと思っている。齋藤飛鳥は「期待」を捨てることで、「期待」を持つ以上の強さを手に入れているのではないかと思うのだ。

「アイドルSpecial2017」の中で齋藤飛鳥はこんな風に語っている。

『私はファンの皆さんが抱いている私のイメージをまるまる全部は認めてはいないんですけど、自分らしさは自分が決めるものだとも思っていないんです。だから、齋藤飛鳥として求められるものにきちんと応えていきたいと思っています』

「別冊カドカワ 乃木坂 Vol.2」の中でもこう語る。

『だからといって、そういう武器がほしいかと言われると…必要な時もあるんですけど、でもそういうのって周りから付けていただくものだと思うので。自分からこれをやろう、あれをやろうみたいなことは考えてないです』

これが齋藤飛鳥の強さなのだと僕は思う。

齋藤飛鳥は、期待しないことで、道を決めることをしない。自分が進むべき方向はこうだ、自分がやるべきことはこうだ、という考えを持たない。何かを期待すれば、自ずとそういう考えが出てきてしまう。そして、自分が決めたことと周りの評価が合わなかったり、自分が決めた道でうまくいかなかったりすると、どうしていいか分からなくなって悩んでしまう。齋藤飛鳥は、期待を持たないが故に、進むべき方向性について悩む必要から解放される。そこに彼女の強さがある。

道を決めない齋藤飛鳥は、何にでもなることが出来る。武術における「構え」は、どの方向に対しても、どんな動きにでも対応できる立ち方をするのが理想だ、というような話を聞いたことがあるが、齋藤飛鳥の在り方はそれに近いのではないか。どんな状況がやってきても、それに対応するのだというしなやかさ。マイナス思考であるが故に、何に対しても「怖さ」を感じてしまうだろうが、それでも最終的には、そのしなやかさが「怖さ」に打ち勝つ。どんな方向にも、足を踏み出すことが出来る。「齋藤飛鳥」として求められることを全うできる。
彼女の期待しない生き方は、そんな強さの源泉なのだろうと思う。

『私がすごい弱っちい人間なので、期待を裏切られてショックをウケるのが怖いんです』

『(齋藤さんは「乃木坂46である自分を受け入れられない」という話をされていましたけど、なんで受け入れられないんですかね…)
受け入れられないというか、「認めてやんねーぞ」みたいな感じです。乃木坂46って名前を、今いろんな方に知っていただいて、私はその名前を使って生きてるくらいの気持ちなので。自分に対して価値があるとは全く思ってないんです』

こんな風に自分を卑下するのは、もちろん本心だろう。しかし心のどこかで、自分が持つ強さの源泉を理解しているのではないかと思う。何に対しても期待しないからこそ湧き上がる強さ、というものを認識しているからこそ、期待しない自分を貫くスタンスを崩さずにいられる、という可能性もあるのではないか。

『(それは本心ですか?それとも調子に乗って自分を見失わないためにあえて思っているんですか?)
本心ではありますけど、天狗にはなりたくないっていうのは、ずっと思ってることなので、それもあるかもしれないですね』

齋藤飛鳥も、最初から期待しない人間でいられたわけではない。

『デビューから3年くらい「THEアイドル」みたいな風になろうと思って、そこでいろんな痛い目を見たし、恥ずかしい思いをしたっていうのもあるし。自分はその役割じゃないかなっていうのも気づきました』

齋藤飛鳥がよく言うことだが、当初は「THEアイドル」を目指していた。それは彼女にとっての「理想のアイドル」でもある。その理想に近づけるようにという期待を持って、乃木坂46加入当初は努力していたという。しかし、それは齋藤飛鳥には合わなかった。「理想のアイドル」を目指す自分の在り方にもがいていただろう。

そのもがきの中から抜け出せた、というのが齋藤飛鳥の凄いところだろう。恐らく、痛い目、恥ずかしい経験の度に立ち止まって、自分の言動の何がこの状況を招いたのかを思考し続けたのではないかと思う。そうやって少しずつ言動を変化させていきながら、その結果をフィードバックしていく。そんな風にして作り上げられた「齋藤飛鳥」という特異なアイドル像は、ある意味で唯一無二というか、誰にも真似出来ない存在感を生み出しているのだと思う。

『今も全然、自分のことをアイドルだと思っていないので』

『世の中が優しいからちょっと受け入れてもらってるだけです』

度々書くが、僕は乃木坂46で初めてアイドルというものを好きになったので、アイドル全体のことは分からない。ただ齋藤飛鳥を見ていると、彼女が新しいアイドル像を切り拓いているのだ、と思いたくなる。「THEアイドル」とは対極にいるように感じられる「齋藤飛鳥」が、日増しに世間での人気を高めていることがその証左だろう。彼女はセンターに選ばれた理由を、『「本当は嫌だけど、仕方ないからこいつにするか!」っていう、妥協に妥協を重ねた結果だと思っています(笑)』と言っているが、もちろんそんなわけはない。彼女の、自分のスタイルに固執せず、それでいて独自の価値観は手放さず、同時に求められれば何にでもなることが出来る強さとしなやかさに、今の時代の人々は憧れ、追いかけたくなるのではないかと思う。

期待せず、道を決めない齋藤飛鳥の指針となっているのが、「乃木坂46」というグループの存在だ。「乃木坂46」という指針があるからこそ、「齋藤飛鳥」という存在が成り立つとも言える。齋藤飛鳥は、『乃木坂46に今いられているのもいろんなもののおかげでいられてるだけで、「自分の力じゃねーぞ」って思っちゃいます』と語っているが、僕の感覚で言えば、彼女は「乃木坂46に所属している」というよりは、「乃木坂46と同期している」のだと思う。「乃木坂46」という指針を手放した(乃木坂46を卒業した)齋藤飛鳥は、「齋藤飛鳥」とはまるで違う人間になるのではないか。そんな風に感じさせもするのだ。

『(乃木坂46を辞めて社会に出るとなってもすんなり出れる自信があるのは何故か、と問われて)
乃木坂46で人間を作って頂いたからです。前までの私は、たぶんそのまま生きていたら、はぐれ者になってしまう人間だったと思います。でも、そんな自分をこのグループで厚生してもらいました。それがなかったらこうはなっていない』

僕は齋藤飛鳥の、「社会にすんなり出れる」という自信を疑いたい。乃木坂46を離れるということは、「乃木坂46」という指針を失うということだ。もちろん100%失うことはないだろうが、今の「齋藤飛鳥」は、その指針と一体となっていると僕は感じる。乃木坂46を離れた場合、新たな指針を見つけ、それに馴染んでいくまでに、やはりまたそれなりの葛藤があるのではないかと思う。

とはいえ、アイドルや芸能界を辞めても生きていけるか、という問いであれば、齋藤飛鳥なら大丈夫だろう。

『礼儀とかはちゃんとしたいなって思ってます。チヤホヤされがちじゃないですか、アイドル。もう5年間もチヤホヤされ続けてきて、でもそのチヤホヤを真に受けず、それを疑って生きてこれたってことは、逆に社会に出ても普通に生きていけるんじゃないかなって思うんです』

インタビューアーは前回、齋藤飛鳥が放った『虹は過大評価されすぎだと思う』という発言が印象的だったと、インタビューの冒頭で話している。それに対して齋藤飛鳥はこう語る。

『単純に、「あ~、虹だ。きれいだな」と思ったことはありますし、一つの自然現象として不思議だなって気持ちはあるんだけど、虹がかかったからってみんながこぞって写真を撮り出すのが…。ちょっと評価されすぎじゃないかなって。それに雨がかわいそう』

齋藤飛鳥は、チヤホヤされる「虹」ではなく、「虹」を生み出す「雨」に視線を向けることが出来る人だ。それは人に対しても同じことが言える。チヤホヤされる「齋藤飛鳥」や「乃木坂46」ではなく、それらを支える者たちに目を向ける。

『私、スタッフさんがめちゃくちゃ好きなので、スタッフさんの影響は大きく受けていると思います。環境が一番ですね』

このインタビュー中、彼女はこの発言に最大の自信を覗かせる。自分自身ではないものに自分の存在の核を託せる強さが、この発言に表れていると言えるだろう。

『いやいや、やっぱりそんなきれいな言葉は私にはもったいないですよ(笑)』

「虹」である自覚から距離を置こうとする齋藤飛鳥だからこそ「虹」にも「雨」にもなることが出来るのだ。

「BRODY 2 齋藤飛鳥のインタビュー」を読んで

「BRODY 2 松井玲奈のインタビュー」を読んで



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齋藤飛鳥が載っている雑誌は基本的に買う、というスタンスで雑誌を買っているが、雑誌ごとに、写真がメインか文章がメイン可かというのは分かれる。「BRODY」は、写真も多いが、他の雑誌と比べてインタビューが圧倒的に長いので、僕はかなり好きな雑誌だ。どうしても、写真よりも中身に関心が行く人間なので。

普段は、齋藤飛鳥が載っている雑誌を買って、同じ雑誌に乃木坂46のメンバーのインタビューが載っていれば読むぐらい。他の記事は見ないことが多い。でも今回はなんとなく、松井玲奈のインタビューを読んでみた。

メチャクチャ面白かった。松井玲奈についてはこれまでまるで知らなかったけど、この子はとてもいいですね。

『生きていくのに向いてないなって思います』

先日飲み会の場で、「“死ぬ”とか“死にたい”とか思った経験がない人とは分かり合えない」と発言した人がいて、なるほどと共感した。松井玲奈は『破滅願望はないです』と書くが、生きづらさを感じているという意味で、同じ匂いを感じる人だと思った。

『はい。結局、芸能の仕事をやりたいと思ったのも、ふつうに働けない…って言っちゃうと頑張ってOLやってる方とかサラリーマンやってる全国の人にとても申し訳ない気持ちになるんですけど、同じ時間に会社に行って机の前に座って同じ時間に帰るみたいな、学校でそれができなかったから、私ダメだ、働けないと思って。毎日同じことができないから、芸能の仕事だったら、ふつうの人生では経験し得ない刺激的なことが待ってるって子供の頃に理解しちゃって。50歳までそういう刺激的なことをやってれば、90年生きたぐらい刺激的な人生だと思うんです』

すげぇ分かる、と思った。僕も、絶対に社会に出れないと学生時代に思っていたし、まともに働けないという感覚は今も持っている。勉強は好きだったから学校はちゃんと行けてたけど、アルバイトはどれも長続きしなかったし、就活が嫌で大学を辞めたし、就職活動も転職活動もしたことがないし、未だに「きちんとした企業」では働けないだろうと思っている。

インタビューアーである吉田豪は、『(アイドルは)ネガティブがマイナスにならない職業なんだろうなと思うんですよ。どう思います?』と松井玲奈に問いかけているが、それは齋藤飛鳥を見ているから僕も強く共感できる。松井玲奈も齋藤飛鳥も、もしアイドルじゃなかったらどうだったんだろう、と思わせるだけの不器用さを感じる。

『地元は好きですけど、ずっと地元にいたら部屋から出なかったと思うので。四角い部屋の四角いパソコンのなかだけが私の世界みたいな人に90パーぐらいなってたと思うと、ホントによかったなって。パソコンだけじゃない世界にいまいるからよかったなって思います』

乃木坂46を好きになる前、僕の人生には「アイドル」というものが入り込んでいなかったので、「アイドル」という存在に対して漠然と「華やかなもの」ぐらいのイメージしか持っていなかったのだけど、齋藤飛鳥や今回の松井玲奈のインタビューを読んで、「アイドル」というのは普通の社会に馴染めない人の受け皿としても機能しているのだなぁ、と確認させられた。

『ずっと初期装備でレベルを上げてるみたいな気持ちでやってます』
『(部杭を探しながら闘い続けて、自分の武器はなんだっていう結論に至ったんですか?)
ダンスも歌もできないから顔で踊る』

客観的に見て松井玲奈に武器がないのかどうかはともかく、松井玲奈自身は自分には武器がないと思っていたのだという。『周りの子のいほうがかわいいし、華やかさだったり、歌がうまい、ダンスができるとか、みんなが思ってるそれぞれの武器』がないと思っていた松井玲奈だが、それでも「アイドル」というステージで闘うことが出来た。

僕は松井玲奈が動いているところをほとんど見たことがないので、松井玲奈のアイドル時代のことも今の活動もほとんど知らない。けれど、AKB48グループの中でかなり人気メンバーだったことは知っている。僕が乃木坂46を好きになり始めた頃には既に終わっていたが、彼女は生駒里奈と交換する形で乃木坂46に在籍していたこともあった。そういう結果だけ見れば、松井玲奈には武器があったのだろう、という判断をしたくなるだろう。しかしこのインタビューを読むと、彼女は徒手空拳で「アイドル」として存在し続けたのだという。

それが出来たのは、彼女が持っている「考える力」と「努力し続ける力」だろうと思う。

『結局、アイドルだけじゃないけど、そのグループのなかにいてどう抜け出すかっていうのをひとりひとりが考えてないし、ダラダラ惰性でベトーッとした感じで終わっちゃうんだなってういうのは思いますね。みんなが一致団結して同じ方向を向いてれば飛び抜けてくる人たちもいるし、そうじゃなくてなんとなくグループっていう輪のなかにいることで満足しちゃってると、そこから小さな世界のなかで終わってしまうなってういうのは思います』

吉田豪は、『こんなにインタビューしやすい人も珍しいですよ』と発言している。実際に、インタビューという形で誌面になる時には、様々な形で手が入るだろうから実際のインタビュー現場の雰囲気まで推し量ることは難しいが、インタビューアーである吉田豪の実感のこもったこの言葉は、松井玲奈の思考力の高さを表しているのだと思う。インタビュー全体からも、やはりそれは感じ取ることが出来る。自分を含めた物事を常に俯瞰で捉えていて、全体の中の自分とか、「私松井玲奈」の意識の中の「アイドル松井玲奈」とか、そういう認識の仕方が抜群に上手い。その上で、そうやって認識した事柄を的確に瞬時に言葉に変換できる能力がある。これは、常に観察し、常に言語化していなければなかなか身につくものではない。

『アイドルだけじゃなく、自分たちがおもしろいと思うことは間違ってないって意識でまっすぐにやる人たちは抜けて出てくるんだなっていうのは思います。イロモノって言われたとしても、それでも自分たちが正しいと思って、「私のスタイルはこれ」ってやってれば、それは個性になって浮いて出てくるし、それが逆にカッコいい、みたいな』

齋藤飛鳥もそうだが、僕は松井玲奈のように、目の前の現実や状況を自分なりのやり方で切り取れる人が好きだ。捉え、思考し、発する。そのサイクルを息を吸うように出来る人は素敵だなと思う。

『昔から「ああダメだった」ってどん底まで落ち込んで、でもできなかったぶん、まだまだ伸びしろがあるんだって思えてたので、じゃあその伸びしろに向かってこの地べたからもう一回上がってやろう、見てろよみたいな気持ちはあって(笑)。いまでもあります』

松井玲奈のもう1つの強さである「努力し続ける力」は、「思考力」の高さとの組み合わせでより強力なる。ただがむしゃらに頑張るだけで、「アイドル」としてうまくいくはずもない。努力すべき方向を見定める「思考力」があって初めて、「努力し続ける力」が活かされる。

『でも、課題がちゃんと目に見えてることは安心感でもあるので。それをクリアすればもう1個上にいけるから。なんにもなく漠然と大きな課題を目の前に出されるよりは、自分は小さい目標をちょっとずつハードルを越えてって、結果的に大きな壁を乗り越えられるほうがうれしいタイプなので、目標が先にありすぎると気持ちが続かないなっていう』

こういう発言を読むと、本当に「努力の人」なのだなと感じる。どれだけ戦闘力の高い武器を持っていても努力出来なければ芸能の世界では残っていけないのだろうし、武器がないと思っている人でも努力によって上に行くことが出来る。何が評価されるのかまったく分からない世界にあって、それでも課題を見つけ、その課題をひとつひとつ潰し続けることが出来るというのは、ある意味で大きな武器と言ってもいいのだろうと思う。

『ボロボロになっていく自分が好きなんで、「あ、いますり減ってる。もっとすり減ろう」みたいな』

まあ、こういうメンタルも、プラスに働いたんだろうけども。

松井玲奈のインタビュー中で最も共感したのが次の発言だ。

『50年生きればもう十分じゃないですか?違います?したいことがなくて』

しかし、松井玲奈がこう発言するのは意外だった。

僕は、趣味らしい趣味も、ハマっていると言えるものも本当にない。齋藤飛鳥は好きだけど、何らかの形で僕の人生から齋藤飛鳥が取り上げられても、なんとなく諦められてしまう気がする。そういう態度について「そこまで好きじゃないってことじゃない?」と言われることはよくあるんだけど、自分の中ではそうではないと思っている。好きなんだけど、どうしても入り込めない自分がいるのだ。

松井玲奈も、こんな発言をしている。

『主観的になれてる方のほうが熱中してる感じがあっていいなと思えたりして。なんでも一步引いて見ちゃうんで、輪の中にうまく入れなかったりとかは昔からずっとそうだったんで、ある意味、別の自意識というか。自分というものを持って自分に夢中になれてる人はすごいうらやましいなって思ってましたね。自分に夢中になれなかったんで』

凄く分かる。僕もまったく同じことを普段から考えている。僕も、自分にもそうだけど、何事にも夢中になれない。なりふり構わず好きになるとか、そのことを考えると苦しくなってくる、みたいなことが人生でほとんどなかった。好きだけどハマりきれないし、一步引いて見てるから、いつだってそれが無くなった場合のことも想定してしまう。だから僕は、割といつ死んでもいいかなと思っているし、松井玲奈とまったく同じで、僕も50年ぐらい生きれば十分かなと思っている。

しかし、松井玲奈はそういうタイプではないと思っていた。

松井玲奈についてはよく知らなかったが、アイドルやマンガや鉄道など趣味が多彩だということは知っていた。だから僕は勝手に、死にたくない人だろうな、というイメージを持っていたのだと思う。やりたいことがありすぎて、可能な限り生きていたいと思う人なんじゃないか、と。でもそうではないようだ。

『(これをやれなかったら死ねないみたいなことってあります?)
それはあります。やりたい舞台の戯曲が何本かありますし、この方と仕事したいなとかもありますし、そういう欲はあるんですけど。それが必ずしも…なんか危ない人みたいですけど生きていたいっていう気持ちとつながらないから(笑)。』

面白い感覚だなぁ。吉田豪はその感覚を、『やる気にはなるけど未練にはならない』と一言で表現しているが、とても面白いと思う。

松井玲奈のこの発言から感じることは、彼女は「自分がどうだったら幸せなのか」をきちんと把握できている人なのだろう、ということだ。僕も長生きをしたくない人間だが、その理由は、身体や頭にガタ来て、今まで出来たはずのことが出来なくなってまで生きていても幸せは感じられない、と思っているからだ。松井玲奈も、そうは言っていないが、大筋では同じだろう。やりたいと思えることがやれれば幸せだ、でも50歳を越えてそれが出来るイメージが出来ないから、別に生きていなくてもいい。そういう考え方に近いのではないかなと思う。

生きづらさを覗かせる松井玲奈だが、「自分がどうだったら幸せなのか」をきちんと把握できているという事実は、生きていく上での指針となる。努力する方向性が見えやすいからだ。そして松井玲奈は、努力が出来る人だ。だから、その時その時では様々に辛い現実に直面するだろうが、松井玲奈はきちんと生きていける人だと思うし、自分なりの幸せをきちんと追求できる人だと思う。

『お芝居をしてたいっていうよりは生き残りたい!』

齋藤飛鳥にしても松井玲奈にしても、僕の中の「アイドル」という概念を覆してくれるので、とても面白いと思う。

「BRODY 2 松井玲奈のインタビュー」を読んで

「OVERTURE No.009 齋藤飛鳥のインタビュー」を読んで



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齋藤飛鳥は、「自分」という存在を手放しているように感じられる。

世の中の多くの人は、「自分」という存在に縛られているのではないかと感じることが多い。自分は長男だから、B型だから、専業主婦だから、もう年だから、外国には行ったことがないから…。そういう色んな「自分」に囚われたまま、不自由さを感じているように思う。やりたいことがあってもセーブしたり、やりたくないことがあっても断れなかったり。

人によっては、自分でそういう「自分」に囚われたがっていると感じる人もいる。占い本や宗教などに走ってしまう人の中には、自分を囚えてくれる大きな存在を求めて、その不自由さの中で生きていたいと思う人もいるのではないかと思っている。

齋藤飛鳥からは、そういう印象をまったく受けない。

齋藤飛鳥は、「自分」がどうであるか、という要素に影響を受けていないように思う。

『(コンプレックスは)ほぼ全部です。顔が小さいと言われても、嫌だと思わないけど、得なこともないので。だいたい、よく見たら小さくないですから』

齋藤飛鳥は、小顔であるという、女性にとっては武器になるだろう要素を手放す。小顔であるということが、齋藤飛鳥という人間には影響を与えない。与えていないぞ、という風に捉えている。小顔については、自分が努力して得たわけではない、というような感覚も、それを自分のものであると捉えられない理由なのかもしれないと僕は勝手に考えている。

「努力」については、こんな発言がある。

『明石家さんまさんの「努力は逃げ言葉」も「そうだよな」と思って書き留めました。私も自分からは努力という言葉は使っていないはずです。もし、「努力していますか?」と聞かれたら、「してないです」と答えます』

齋藤飛鳥は、努力している自分も手放す。努力しているから結果は伴わなくてもいい、と思ってしまわないようにという戒めの発言なのだけど、こうも潔く努力している自分を手放すことが出来るものかと思う。

ライバルについて聞かれて齋藤飛鳥はこう答える。

『ないですね。3年前くらいまでは、メンバーに対していい意味でライバル心があったんです。負けちゃいけないなって。プライドが高かったんですよ。今はいい意味で力が抜けたし、自分のことがやっと理解できるようになったんです』

齋藤飛鳥は、対抗心さえ手放す。もちろん、ライバル心がなくなった理由には、センターを経験したという事実も影響しているだろうと思う。苦労を重ねた末にセンターという形で評価されたという経験が、彼女から力を抜くいいきっかけになったのではないか。とはいえ、だからといって対抗心を簡単に手放すことが出来るわけでもないはずだ。一度センターになったと言っても、戦いは常にあるのだから。これも、齋藤飛鳥の「自分」を手放す在り方故だろう。

「戦い」についてはこんなことを言っている。

『(飛鳥さんが今、戦ってることはありますか?)
いや、ないです。基本的には勝負を仕掛けないタイプなので。納得できなくてもいいというか、そもそも納得しようと思ってないんです』

齋藤飛鳥は、納得する自分さえ手放す。この発言の論理は少し飛躍していると感じるが、おそらくそれは編集の問題だろう。勝手な想像だと、この質問の前に「納得できないことはありますか?」というような趣旨の質問があったのではないかと思う。その流れで、「その納得できないことに戦ってますか?」と聞かれたのではないかと思う。
「自分」というものをはっきり持ってしまうと、その「自分」が納得できるかどうかは比較的大きな問題になる。しかし齋藤飛鳥は、「自分」を手放しているので、納得するかどうかということが大した問題ではなくなる。『流れに身を任せています』とも発言している。「自分」がどうしたいかが人生や生活を動かす大きな原動力にはならないのだ。

こういう生き方は、非常に柔軟で楽だ。僕自身がそういう人間だからよく分かる。僕も、「自分」というものがほとんどない。これがしたい、あれが食べたい、あそこに行きたい…というようなことを思うことがほとんどない。基本的に僕の日常は、ルーティーンと他者からの誘いで成り立っている。日常はルーティーンを出来るだけ守ってこなしていき、後は他者から誘われたものは基本的に受けるというスタンスで生きている。僕自身は、こういう生き方がとても楽だ。

この生き方を楽だと感じられるのは、正しさの判断をしなくていい、というところにある。だから、マイナス思考の人間にはよく合っていると感じる。

「自分」というものを持っている場合、その「自分」の言動が正しいのかどうかを自分自身で判断しなければならない。何かやりたいことがある場合、それをやっていいと判断するのは基本的には自分だ。色んな要素を考え合わせて、その判断を下さなければいけない。

しかし、マイナス思考の人間には、これがなかなか難しい。

『洋服を買う時、今年の頭くらいまではお母さんと伊藤万理華の指示に従っていました。買い物中にいちいち写真を撮って、2人に送って確認をとっていたんです。万理華にはコートとか大きい買い物の時だけなんですけど』

自分で服を買うというのは、その服が自分に合うかどうか自分で判断しなくちゃいけない、ということだ。当たり前じゃないか、と思われるかもしれないけど、マイナス思考で自信がない人間にはこれが難しい。僕自身は、着るものなんかなんだっていいと思っているから、服を買うということには悩まないけど、齋藤飛鳥はそうはいかないのだろう。自分の内側から出てくる正しさを信じられないが故に、他者の正しさに乗っかるしかないのだ。

服を買う、という程度のことであれば人生にさほど大きな影響はないが、「自分がこうしたい」という思いを持つということは、その時その時で正しさの判断が求められるが故に、マイナス思考の人間には辛いことなのだ。

だから「自分」を手放してしまう。「自分」を手放して、その時々で相手の、あるいはその場の正しさに身を任せる方が、こういうタイプは安心できるのだ。

『(友達について聞かれて)いないことはわかりきってるじゃないですか、聞かないでくださいよ(笑)。メンバー以外では2人くらい…といっても、「友達は多くなくてもいい」というのは深い仲の友達がいる場合じゃないですか。私の2人は深くなくて、一緒にご飯を食べたことがあるくらいで互いの秘密を知ってるわけでもない。ひとりが好きだから寂しいと思わないけど、希に寂しいと思ったら女性マネージャーさんに連絡します(笑)』

「自分」を持ってしまう場合、一番大変なのが人間関係だろう。他者と関わる時は、様々な場面で正しさの判断を突きつけられるからだ。齋藤飛鳥は、友達を持たないことで、その判断から逃れている。「ひとりが好き」というのは本心だろうが、それは「他者といる時に正しさの判断を迫られるのが辛いから、それよりはひとりの方が好き」という意味だろう、と僕は考えている。

『中学デビューしたかったんですけど、まわりにビビってできなくて。でも、ついていくためにイケイケ風な女子を演じていました。途中から女の子特有の面倒くささを感じるようになりました。いまでは無理して自分を作っていたことを後悔しています。イケイケ風な女子も乃木坂初期のいちごみるくキャラも本当の自分じゃなかったんです』

イケイケ風な女子もいちごみるくキャラも、本来の自分ではないだろうが、「自分はこうだ」という決めつけであることは間違いない。そういう決めつけを持ってしまったが故に失敗した経験を何度も経てきたことで、齋藤飛鳥は今のようなスタンスを獲得していったのかもしれない。

「自分」を捨てた齋藤飛鳥は、同時に、自分が何らかの枠にはめられないように、という意識も常に持っている。

『(18歳という年齢についてはどう考えていますか?)
いろいろ得がある年齢だなって。大人ではないので大人がやらなきゃいけないことは免除されるし、子どもじゃないから子どもっぽいことをしなくてもいい。17、18歳は一番難しい年齢と言われているじゃないですか。だから、それを理由にできるのが得だなって思います(笑)』

齋藤飛鳥は、「18歳という枠」をひらりとかわす。世間の「18歳」に対するイメージを逆手にとって、自分の輪郭をぼやかそうとする。ある枠組みで捉えられてしまうと、その枠の内側が正しいと思わされてしまい、その内側でしか動けなくなる。それは、「自分」を持っているのと大差なくなる。齋藤飛鳥はインタビューというものを、もしかしたらファンや読者が自分を見る際の枠組みを取り払うための手段と捉えているのかもしれない。「齋藤飛鳥はこうだから」という枠組みを壊すために言葉を紡いでいるのかもしれない。

『うーん、でも私はどんな意見も受け入れるというか、あえて自分のことを調べたりはしないけど、批判的な意見にも「参考になります」と思えるタイプなんです』

「自分」を手放すと、批判は届かなくなる。それは同時に、称賛も届かなくなることを意味するが。批判も称賛も、届くべき先の「自分」というものがないから客観的に捉えることができるのだろう。マイナス思考で自信がなくてもなんとかアイドルとしてやっていけるのは、この客観性のお陰もあるだろう。

齋藤飛鳥は「自分」を手放しているが、思考や価値観まで手放しているわけではない。齋藤飛鳥が「自分」を手放すのは、他者となんらかの関わりがある事柄について正しさの判断をする自信がないからだ。自分にしか関係のないことであれば、齋藤飛鳥は自分なりの考えや価値観を持てる。そこがまた、齋藤飛鳥という人間を面白くしている要因なのだと思う。

「OVERTURE No.009 齋藤飛鳥のインタビュー」を読んで

「blt graph. Vol.14 齋藤飛鳥のインタビューを読んで」



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齋藤飛鳥は、何人かで喋ると、普通の女の子という感じがする。
雑誌でのインタビューの話だ。
何人かで話す場合、そこまで多く喋りはしないし、喋っても突っ込んだ意見を発することは少ないように思う。

やはり齋藤飛鳥には、一人で語らせるのがいい。
本書の中のインタビューは1ページしかないが、それでも、僕が齋藤飛鳥に惹かれる理由が詰まったやり取りだった。

『(もっと人を信じてもいいかな、と思いましたか?)
「うーん、人を信じるということには直接的にはつながっていないけど…なんていうか、「人間っていいな」って思うことは増えました」』

齋藤飛鳥は頻繁に、「他人を信じていない」という発言をしている。もう少し正確に書くと、「他人から優しくされることを疑ってしまう」のだという。
しかしこのインタビューを読んで、齋藤飛鳥が一番信じていないのは自分自身なんだろう、と感じた。

『もうちょっと自分の気持ちとか欲を抑えながら生きていたいです』
『今まで抑えながら生きてきたので、それを外したときに自分がどうなるのかわからないですけど、たぶん自分が嫌いなタイプの人間になりそう(笑)』

この感覚には、凄く共感できる。

僕の、凄く些細な話を書こう。
僕は小説をそれなりに読む人間だが、既に5巻以上の長いシリーズになっている作品にはなるべく手を出さないようにしている。
何故か。それは、ハマってしまったら困るからだ。
もしもその作品が面白くて面白くてたまらなければ、出ているシリーズ作品すべて読みたくなってしまうだろう。でも、それをするための時間的・金銭的余裕に恵まれているわけではない。だから、手を出してハマってしまったら困るのだ。だから手を出さない。

僕はあまりやりたいことを持っていない。食べたいもの、行きたい場所、欲しいモノ。そういうものがほとんどない。日常生きている限りにおいて、僕が自分の生き方を「気持ちや欲を抑えている」と思うことは少ないけど、傍から見ればそう見えるだろう。そんな生き方をしている根本的な部分には、ハマってしまったら困る、という感覚がある。

先程のシリーズ物の小説を読む、という話は、「欲望をオープンにしたら嫌な人間になる」というものではないのでエピソードとして伝わりにくいかもしれない。もっと分かりやすい例を出せば薬物だろうか。僕は、大麻などの薬物に手をだすつもりはない。ハマってしまったら困るからだ。そしてハマってしまった場合、確実に「自分が嫌いなタイプの人間」になる。

薬物に対してであれば、この感覚が理解できるという人はいるのではないか。そして齋藤飛鳥も僕も、そういう感覚を、他のことにも当てはめて生きている。

何故か。それは、自分自身を信じていないからだ。

薬物に手を出す人間は、「一回ぐらいなら大丈夫」「依存症なんかになりっこない」と考えるのではないだろうか。それはつまり、自分を信じているということだろう。だから薬物に手を出せる。僕は、自分を信じていないから、薬物には手を出さない。

『前までは、べつに自分の存在がグループにとってそこまで大きいものではないので、自分のことを「乃木坂46として認めてない」っていう見方だったんです。「私はまだ認めてないからな」って』

自分を信じていない齋藤飛鳥は、だからこそ「乃木坂46の齋藤飛鳥」という存在をも信じない。乃木坂46という名前は、今の自分にその資格がないのにたまたまくっついてしまっているだけ。

『乃木坂46に入ってから2,3年くらいは「自分が乃木坂46にいる」という感覚があまりなかったんです。当時は中学生だったこともあり、物ごとを真剣に考えていなくて。活動に対して意欲がないとかそういうわけではなく、自分なりに一生懸命取り組んでいたつもりだったけど、いま振りかえってみると、自分のすべてが薄っぺらだったかなと感じるんです』

他のメンバーのインタビューなどを読むと、他のメンバーは乃木坂46に選ばれて喜びや不安を感じたというようなことを言っているように思う。それはつまり、乃木坂46として他社から認められたこと、乃木坂46という名前が自分自身につくこと、そういうことを純粋に喜び、また認められたが故の怖さみたいなものも感じたということだろう。認められたという事実を、喜びや不安という形で一旦受け止め、その上で、どう頑張ったらいいか分からない、どうすれば選抜として認められるか分からない、というような挫折や悩みに至るのだろう。

恐らく齋藤飛鳥は違ったのだろう。齋藤飛鳥にとっては、他人から認められることが何よりも大事なことなのではない。そもそも齋藤飛鳥は他人のことを信じていないのだ。他人からの評価に寄りかかるはずもない。齋藤飛鳥にとっては、自分が認められるかどうかが何よりも大事だった。自分が自分自身のことを、乃木坂46のメンバーであると認めることが出来るかどうか。齋藤飛鳥の関心は常にその一点にあったのだろう。

齋藤飛鳥も、その時々で挫折を感じていたはずだ。齋藤飛鳥がよく発言する印象的なエピソードに、カーテンを閉めるというものがある。「走れ!Bicycle」の演出でカーテンを閉めるというのがあった。選抜組は着飾った衣装でステージ上にいる。そして選抜ではない自分はジャージを着てそのカーテンを閉める役をやらされた。凄く悔しかった、というようなものだ。
これも見方によっては、自分が周りから認められていない、認められ方が分からない、という葛藤に映るだろう。しかし恐らく、齋藤飛鳥の感覚は違ったのだろう。齋藤飛鳥は、ジャージでカーテンを閉めているような自分を、乃木坂46の一員としては認められないぞ、という、あくまでも自分の判断にあったのだろうと思う。

自分が自分自身を認められるかどうかが常に最重要課題である齋藤飛鳥。しかし彼女は同時に、誰よりも自分自身のことを信じていない。もちろん、自分の判断も信じていないだろう。だからこそ齋藤飛鳥は、いつまで経っても自分自身を認めることが出来ない。齋藤飛鳥はずっと、そういうスパイラルの中にい続けているのだろうと感じる。

「EX大衆 2017年1月号」の中で、卒業する橋本奈々未について伊藤純奈・齋藤飛鳥・川後陽菜の三人が話すページがある。その中で齋藤飛鳥は、橋本奈々未からずっと言われ続けている言葉があると語る。

『飛鳥にはもっと気楽に生きる方法を覚えてほしい』

そりゃあ橋本奈々未も言いたくなるだろう。最も信じていない自分自身が自分のことを認めてあげられなければダメ、というハードルは、アイドルであるかどうかに関係なく、人間として生きていくのにしんどいだろうと思う。

『それがやっとここ2年くらいで人間味が出てきたのかな?と思っていたんですけど、それも気のせいで。今年になってやっと人間らしくなったかな…と感じたんです』

自分自身のことを最も信じていない齋藤飛鳥に人間味がなかったというのは、ある意味で当然かもしれない。何故ならそれは、自分の内側に存在するものすべてを信じていない、ということなのだから。このインタビューの中では、こうも発言している。

『いえ、感情を出す、出さないというよりは、それまでは感情というものがあまりなかったんだと思います』

これは、僕の解釈では、「感情がなかった」というよりも、「自分の内側から出てくる感情を信じていなかった」ということだろうと思う。

「POP OF THE WORLD」という齋藤飛鳥がMCの一人を務めるラジオを聴いていて思うことだけど、齋藤飛鳥は自分の感情で一旦立ち止まっているように思う。自分は今楽しいのか、辛いのか、嬉しいのか、哀しいのか…。ラジオの中でそこまで大きく感情が揺さぶられることもないだろうが、時々そういう場面に出くわすと、齋藤飛鳥は立ち止まって、自分が今どう感じているのかをきちんと捉えようとしているように思う。

そういう振る舞いは、僕も分かるような気がする。

僕は年齢を重ねていく過程で、自分が今どんな反応をすればいいのかというチューニングがかなり合ってきたと感じられるようになった。だから今は、その場その場の状況で「適切な」反応を瞬時に出せていると思う。でも、外側にどう見せるかはともかく、僕自身の内側では、いつも考えている。今自分は楽しいのか、辛いのか、嬉しいのか、哀しいのか…。常にではないが、自分の内側にある感情は、きちんと一旦立ち止まって頭できちんと捉えようとしないと分からないことが多い。

他人を見ていて、「嬉しい時にはすぐに嬉しいって分かるんだな」「怒りをすぐに怒りだと認識出来るんだな」と思うことがある。多くの人は、そこにタイムラグがないように見える。僕は、これって嬉しいんだよな、これって怒ってるんだよな、と確かめないと、自分の感情が分からない時がある。そういう他人との比較をすることで、「自分には感情がないんだな」と感じることは結構頻繁にある。僕自身も、内側に感情がないわけではないのだろうが、それを認める方法を知らないために、感情がないと感じてしまうのだろう。そして、齋藤飛鳥も似たような感じではないかと思うのだ。

齋藤飛鳥は、今年やっと人間らしくなった、と書いている。まさにこれはセンターを経験したことによるものが大きいだろう。

『だから、今年に入ってから「感情を素直に出せるようになった」というわけではないんです。意識的に人間味を出そうと思っていたわけではないので、出てしまったのは自分としては本意ではありませんでした』

センターを経験することで、それまで自分の内側から生まれたことのなかった様々な「何か」が溢れるようにして噴出したことだろう。齋藤飛鳥は、それらに対処しなければならなかった。普段であれば、その「何か」が外側に溢れ出る前に、思考で止めることが出来る。自分が今何を感じたのか、という思考を挟むことで、感情に引きずられることなく生きていられた。

しかし、センターを経験したことによって溢れ出た「何か」は、そんな普段の対処では追いつかないほど膨大だったのだろう。結果的にそれは、齋藤飛鳥から人間味が滲み出るという流れに繋がっていった。

『どんなに身近な人や親しい関係でも、べつに見せなくてもいい部分はあるじゃないですか。だから、感情をそのまま出す必要はないのかなと思います。「もっと本音を見せてほしい」と言われていたし、もちろんそういう気持ちも理解していたけど、でもやる必要性をあまり感じていなくて。単純に頑固っていうだけなのかもしれないけど』

齋藤飛鳥はこれからも、自分の内側から湧き上がる「何か」に立ち止まりながら、それらを思考で押さえようとするだろう。しかし、センターを経験したことで、感情が外側に流れ出す「通路」みたいなものが出来てしまった。齋藤飛鳥はそれを『人間味を出す方法を身につけた』と、あくまでも自分でコントロール出来るものだと捉えたいようだ。しかしどうだろう。齋藤飛鳥は、センターを経験したという以上の大きな変化をしばらく受けることはないかもしれない。しかしそれでも、一度出来てしまった「通路」をすり抜けていく感情はあるのではないか。別に齋藤飛鳥の人間味が表に出なくても僕は齋藤飛鳥のことが好きだろうが、「人間・齋藤飛鳥」が表に出てくることがあるならば、それを楽しみに待ってしまう自分もいる。

最後に、齋藤飛鳥のことの言葉を引用して終わろう。

『誤解されるのが嫌だったので「この人誤解しているな」と思ったら弁解していたけど、それでさらにややこしくなってしまうことも多くて。だから、今も誤解されるのはもちろん嫌だけど、別に誤解している人だって四六時中私のことを考えているわけではないので、まぁ別にいいかなと思えるようになりました』

齋藤飛鳥が僕のブログを見ているなんてまったく想像もしていないけど、齋藤飛鳥について書いた一連の記事を読んで齋藤飛鳥がどんな風に感じるのかは、死ぬまでに聞く機会があったらいいなと思う。

「blt graph. Vol.14 齋藤飛鳥のインタビューを読んで」

「BUBUKA 2016年11月号」を読んで



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秋元真夏には、あまり関心を持っていなかった。

齋藤飛鳥は自分で、「THEアイドルを目指していない」とインタビューなどでよく語っている。同じ言葉を使えば、秋元真夏は「THEアイドルそのもの」という風にしか見ていなかった。秋元真夏は、乃木坂46というグループの中では異質な存在だが、アイドル全体で見れば、秋元真夏のような振る舞いは一般的ではないかと思う。可愛く見られる振る舞いをする、ファンが喜んでくれそうな発言をする、いつどんな時も笑顔でいる。秋元真夏はそういう意味でアイドルの王道を進もうとしているのだが、そういう秋元真夏にはさほど関心が持てないでいた。

しかし、「BUBUKA 2016年11月号」の中の、齋藤飛鳥とのインタビューを読んで、こう思うようになった。
齋藤飛鳥と秋元真夏は、発露の仕方が違うだけで、同じ根っこを持っているのではないか、と。

自分を隠す方法には、色んなやり方がある。
齋藤飛鳥は、自分を隠すために、「見せない」というやり方を選択した。

『もともと私はネガティブだから不安やプレッシャーはずっと抱えた状態ではあったんですけど、でも誰かに言うほどではなかったし、言うのもダサいから自分のなかに留めていたんです』

齋藤飛鳥は、平静を装いながら、辛い部分は全部内側に押し込んで外に出さない。そういう発言はこれまでも目にしてきたし、齋藤飛鳥はそんな風にうまく自分を隠すやり方を身に着けてきたのだと思う。

秋元真夏もまた、自分を隠している。そのやり方は、「違う自分を見せる」というものだ。

『でも真夏も根性があるタイプなんですよ。見た目や雰囲気は女の子らしいし、出て来る言葉も女の子だなって思うことが多いんですけど、すごく我慢強いところがあって、さっき自分でも言っていたように真夏も溜め込むタイプで誰かに相談したりしないし、あくまで「秋元真夏」でいようとしているんですよ』

秋元真夏が、「秋元真夏」というアイドル像を意識的に見せている、ということは知っていた。しかし僕はそれを、「仕事と割り切っている」というぐらいの捉え方しかしていなかった。乃木坂46という、アイドルとして王道を行くメンバーが少ないちょっと特異なグループに、他の一期生から遅れて加入した秋元真夏。その中で自分のポジションを確保するために、敢えて乃木坂46らしくない「THEアイドル」というポジションを確保する。そういう目的なのだとずっと思っていた。

もちろん、そういう理由もあるだろう。しかしどうもそれだけではないようだ。秋元真夏が「秋元真夏」のような違う自分を作り出していくのは、自分の人生を生き抜くためのある種の戦術として身についているものであるらしい。

『ちょっと暗い話になっちゃいますけど、小3のときにいじめられていて、周りのひとを疑うようになってしまったんですよ。それからずっとですね。そのときに相談した先生も信用できなくて、大人も同世代もみんな疑うところから始まったから、ひとを信用するのにすごく時間がかかってしまって。だからとりあえずバリアを張って、徐々に信用できるところを探していくのがいいのかなって。そういう結論に行き着いたんです』

この発言を読んで、なるほど、秋元真夏は齋藤飛鳥と同じ根っこを持っているのか、と感じたのだった。

『そこで話を聴いてもらったときに「あ、真夏には言えるな」と思って。それから真夏にだけ話したりとか、言わなくてもなにかあったら目が合ったりとか(笑)』

ここ最近買う、乃木坂46の特集がある雑誌には、「齋藤飛鳥は秋元真夏に支えられた」というような趣旨の文章や発言が結構見つかる。今回のツアーを通じて、齋藤飛鳥と秋元真夏は接近したようだ。

『もとから真夏のことは大好きだったんですけど、たぶんどこかで胡散臭さを感じていたんですよ(笑)でも、今回のツアーでそれは消えました。本当にいいひとなんだなって(笑)』

メンバーに対してだけではなく、家族や友達にもほとんど悩みを言わないという齋藤飛鳥。そんな齋藤飛鳥が、秋元真夏にだけは話せるという感触を掴む。そこには色んな要因があるだろうが、齋藤飛鳥が秋元真夏のことを同根だと認識したということなのではないか、という風にも捉えることが出来る。

『ただ、飛鳥にならウザいって思われてもまあいいかなって』

『あのときの飛鳥を見てからは、自分がどう思われてもいいからとりあえず飛鳥の近くにいてあげたいなって』

秋元真夏のこのスタンスも、齋藤飛鳥にとってはいい距離感だったのだろう。たとえば僕の話をすると、おおっぴらに心配されたり、悩みを大げさに捉えられたりするのは得意じゃないし、困る。そんな反応をするだろうな、という人には、ちょっと何も言えなくなる。むしろ、どれだけ深刻な話でも「へぇ」ぐらいに受け取ってくれると気が楽だし、そんな話をした後も特に態度が変わらないとなお素敵だ、と思う。齋藤飛鳥もきっと、似たような感覚を持っているような気がする。そんな齋藤飛鳥の感覚に、秋元真夏のスタンスがマッチしたのだろう。

『でも、真夏は自分からいろいろと動くからお節介って言ってるんだと思うんですけど、傍からするとぜんぜんお節介な感じはしなくて。別に押し付けもしないし、逆にいい距離感だと思います。話やすくする空気をつくってくれるのが上手なんですよね。そう、上手なお節介。』

秋元真夏も、他人に対してバリアを張っていると言っているように、距離感を大事にする人なのだろう。だから、齋藤飛鳥が必要とする距離感が分かる。しかし、それだけでは、齋藤飛鳥を支えるのは難しい。何故なら、齋藤飛鳥が必要とする距離感は、手を差し伸べて支えるには遠すぎるからだ。

だから、秋元真夏の「おせっかい」というスタンスが生きてくる。秋元真夏は、齋藤飛鳥が必要とする距離感を理解した上で、「私っておせっかいだからエヘヘ」というスタンスで、その距離をちょっと縮める。齋藤飛鳥も、「鬱陶しいなぁ」と思いつつも、「おせっかいだからしょうがないか」という諦めでその距離の詰め方を少しずつ許容する。そういう関係性をベースとして築いていたからこそ、齋藤飛鳥がセンターになって一杯一杯になっているまさにこのタイミングで、齋藤飛鳥は秋元真夏に手を伸ばしたし、秋元真夏は齋藤飛鳥が伸ばした手を掴める場所にいられたのだろう。

少し前に買った「AKB新聞2016年9月号」の齋藤飛鳥と秋元真夏のインタビューの中でも、秋元真夏はこんな風に言っている。

『いや、違うんです。今までは、誰かが初めてセンターになった時も、自分のことだけで精いっぱいだったんですけど、ようやく周りにも気を配れるようになってきていて。そんな中での飛鳥のセンターだったので、みんなでサポートして、飛鳥らしく自由にやれるようにしたいな、と思っていたんです。でも結局、できなかった。あれだけ泣いて爆発しちゃうくらいに抱えていたのを知って、すごく反省しました』

「すごく反省しました」と言える秋元真夏が凄いと思う。他のメンバーに目を向けて実際に行動に移せるメンバーとしては、生駒里奈や松村沙友理が浮かぶが、秋元真夏もその一人だと言える。秋元真夏は、自分自身も「THEアイドル」を演じて輝きながら、同時に、グループ内の触媒としての役割を果たしている。「THEアイドル」としての秋元真夏には今後も興味が持てないような気がするが、僕らファンの視界にはほとんど映らない、陰で暗躍(?)しているだろう秋元真夏には、今回のインタビューを通じてと強く関心を抱いた。

『私はあまりひとに興味がないからみんなのことをよく理解できていなかったんですけど、』

こういう発言が出来る齋藤飛鳥が、僕は好きだ。僕も少し前から、「ひとに興味がない」と言えるようになったけど、昔はそんなことを言ったら人間関係やっていけない、と思っていた。齋藤飛鳥は18歳にして、しかもアイドルという多くの人に好かれなければならない立場でありながら、こういうことをさらっと言ってのける。その強さに惹かれる。

秋元真夏はそれとは真逆の方向を向いている。

『あとはもう人間力。真夏だからこそ、こういうキャラでいられるというのはあると思います。私は誰からも好かれたいとは思ってないんですけど、でも真夏みたいにこれだけ周りから愛されているひとを見ると、そういう人生もアリなのかなってすごい思います』

基本的には興味のないタイプのはずの秋元真夏に関心を持つに至ったのは、秋元真夏が幾重もの思考を重ねた末に今のスタイルにたどり着いたからなのだろう。その試行錯誤の一端を今回のインタビューで垣間見ることが出来た気がした。

初めこそ僕は乃木坂46を箱推ししていたが、すぐに齋藤飛鳥を好きになって、それからは基本的に齋藤飛鳥にしか目がいっていなかった。齋藤飛鳥をきっかけとして、色んな雑誌などのインタビューを読むにつれて、橋本奈々未、松村沙友理、そして今回の秋元真夏と、関心の幅が広がっていく。自分の言葉で思考し、自分の言葉で語れるメンバーが、乃木坂46には多いように思う。自分自身で考えて組み上げた価値観によって、自分の人生を進んでいるメンバーが、多いように思う。秋元真夏はこのインタビューの中で、『でも中身が!顔から入っても全然構わないから、ちゃんと中身まで辿り着いてくれ!』という風に、齋藤飛鳥の中身の深さを賞賛している。僕も同じように、顔から乃木坂46を好きになっていいから、こういうメンバーの中身にまで辿り着いて欲しいな、と思って、こんな風に乃木坂46の文章を書いているつもりだ。

最後に。このインタビューの中で一番好きなのが、齋藤飛鳥のこの言葉だ。

『(今回、センターを務め上げたことで齋藤さんが得た最大の収穫はなんだと思いますか?)
なんだろう…「人間になれたこと」がいちばんの収穫ですね』

今の齋藤飛鳥が、人間らしさまで身につけたら、最強なんじゃないかと僕は思う。

「BUBUKA 2016年11月号」を読んで

別冊カドカワ 総力特集 乃木坂46 Vol.3



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「別冊カドカワ 総力特集 乃木坂46」の感想では毎回、齋藤飛鳥のエッセイについてあれこれ書いているが、今回は、齋藤飛鳥と同じテーマで文章を書くことにする。
齋藤飛鳥はエッセイのテーマを<人>と書いているが、今回のエッセイのテーマは<やさしさ>だ。

『昔、本で読んだ事がある。
人にやさしくできるのは自分を愛しているからだ。
(中略)
しかしどうだろう。
今の世の中、自分のことを愛している人はわんさかいる!ちょっとSNSなんかを覗けばすぐに見つかる!
だけど、やさしいと感じる人は滅多にいない』

そういう書き出しで始まるこのエッセイは、「やさしさを疑う自分」と「他人にやさしくしない自分」について書いている。

そこで僕も今回は、<やさしさ>について文章を書き、齋藤飛鳥のエッセイに対するアンサーエッセイみたいな立ち位置を目指せればいい、と思っている。

まず、言葉の定義をしたい。
僕は、<やさしさ>というのは大雑把に分けて二種類あると思っている。それを、「やさしさ」と「優しさ」という二種類の表記で書き分ける。

「やさしさ」:その場で伝わるやさしさ
「優しさ」:その場では伝わらないやさしさ

こう言葉を定義した時、齋藤飛鳥はこのエッセイの中で「やさしさ」について書いているのだ、ということはすぐに分かるだろう。

『自慢だが、私の母はやさしい。
家族のことや家族の親しい人に対してはもちろん、赤の他人にまでやさしい。これに関しては自信を持って言える。
困っている人がいたら誰であろうと必ず助けるし、
何の躊躇もなく自分の物を人にあげる。』

齋藤飛鳥は母親のことをこう評す。これはまさに「やさしさ」だろう。その言動が伝わった瞬間に、やさしさも伝わる。母親はそういうタイプであるようだ。そしてそんな母親を引き合いに出して、齋藤飛鳥は、自分が受けるやさしさについて分析していく。

このエッセイを一読して僕は、この文章には「優しさ」の要素が欠けている、と感じた。そしてその理由は、齋藤飛鳥が「優しさ」の体現者だからではないか、と僕は想像した。

やさしさというのは、時に厳しく、時に辛い。怒られたり、無理な挑戦をさせられたり、厳しいことを言われたりすることが、結果的に自分の人生のためになる、ということはよくあることだ。それらは、その言動を受けた瞬間にはやさしく見えない。しかし、時間が経つことで、あれはやさしさだったのだ、と過去を振り返ることが出来るようになる。それが「優しさ」だ。

齋藤飛鳥は決して、「やさしく」振る舞うことが出来なくて悩んでいるわけではない。エッセイの中ではこう書いている。

『私はやさしくありたいと思うが、やさしくなりたいとは思わない』

色んな解釈が可能な文章だが、「自分のスタイルを保ちながらやさしいと受け取られるならそれでいいが、自分を曲げてまでやさしく振る舞おうとは思わない」という風に僕は読んだ。この受け取り方で正しいとすれば、僕も同感だし、そのままの齋藤飛鳥でいて欲しいと思う。

しかし単純に僕は、齋藤飛鳥は「優しさ」に言及していないな、と感じるのだ。

もちろん、それは当然のことでもある。齋藤飛鳥はこのエッセイの中で、「やさしく振る舞うこと」ではなく、「やさしさを受け取ること」について言及しているのだ。やさしく振る舞われても、その通りには受け取れずに疑ってしまう自分自身について書いている。

齋藤飛鳥は、「やさしく」されたら疑うのだろう。『この人なんでやさしいんだろう…。どうして私なんぞにやさしくしてくれるんだろう…。何が欲しいのかな…』と書いているように、「やさしく」されるという状態をすんなり受け入れられない自分について書いている。

一方で「優しく」された場合には、きっと疑わないのだろう。何故ならそれは、その場ではやさしい言動には見えないからだ。齋藤飛鳥の中で、引っかかる部分はたぶんない。疑い深い彼女にすれば、「優しく」振る舞われる方が自然で安心できるのだろう。だからこのエッセイの中では「優しさ」について触れられていない。

ただ、齋藤飛鳥がこのエッセイの中で「優しさ」に触れなかった理由はもう一つあると僕は感じている。それが先程も書いたことだが、齋藤飛鳥が「優しさ」の体現者だからなのではないかということだ。

これに関しては、具体的に提示できるような傍証はない。あくまでも、僕の勝手なイメージの話だ。

齋藤飛鳥には、「やさしく」振る舞っているイメージはあまりない。他人にそこまで関心がないということもあるだろうし、後で触れるつもりだが、エッセイの中でも「やさしく」振る舞いたくない理由が書かれている。
しかしそれら以上に大きな要素は、「やさしい」振る舞いに良くないイメージを抱いているからではないか、と僕は想像するのだ。

「BUBUKA 2016年11月号」の中のインタビューの中で、齋藤飛鳥が秋元真夏に対してこんな風に語っている箇所がある。

『もとから真夏のことは大好きだったんですけど、たぶんどこかで胡散臭さを感じていたんですよ(笑)。でも今回のツアーでそれは消えました。本当にいいひとなんだなって(笑)。』

このインタビューの中で齋藤飛鳥は、秋元真夏の「やさしさ」に触れた経験を様々に語っている。齋藤飛鳥が言う「いいひと」というのは「やさしいひと」という捉え方でそこまで間違ってはいないだろう。

「やさしいひと」を胡散臭いと感じてしまう感覚が齋藤飛鳥の中にあるのだろう。それは、「やさしく」振る舞われた時に相手の言動を疑ってしまうという齋藤飛鳥自身の言葉からも読み取ることが出来る。母親の「やさしさ」を賞賛する彼女だが、それは、ずっと一緒にいて母親のことをきちんと理解しているから、胡散臭いと感じる余地がない、ということだろう。同じことが、秋元真夏に対しても起こったのだろう。

「やさしいひと」を胡散臭く感じる感覚が齋藤飛鳥の中にあるとすれば、自分でも「やさしい」振る舞いを制限することになってしまうだろう。これが齋藤飛鳥に「やさしい」振る舞いをしているイメージがない理由だと僕は考えている。

しかし、齋藤飛鳥がやさしくないわけではない、とも思う。齋藤飛鳥は「優しい」振る舞いをしているということなのだろうと僕は感じるのだ。

別に怒ったり厳しいことを言ったりするような「優しさ」ではないだろう。恐らく、そっとしておいたり、バランスのよい距離を取ったり、辛さの絶頂を外して声を掛けたりというような形で「優しさ」を発揮しているのではないか。完全に僕の妄想だが、僕は齋藤飛鳥に対してはそういう「優しさ」を発揮しているというイメージがある。

そして、自分がそういう風に振る舞っているからこそ、意識的にか無意識的にかは分からないが、このエッセイの中で「優しさ」について触れられていないのではないか、と僕は感じるのだ。

「やさしさ」と「優しさ」は別物で、基本的に両方発揮することは難しいと僕は感じている。僕は、今は「やさしいひと」と思われたいとは思わなくなった。何故なら、「やさしいひと」と思われると「優しい」振る舞いがしにくくなると思うからだ。「やさしい」振る舞いと「優しい」振る舞いなら、出来れば「優しい」振る舞いの出来る人になりたいと僕は思う。いずれにせよ、「やさしさ」を求める人もいれば「優しさ」を求める人もいる。どちらかだけが優れているわけではない。

ここまで書きながら気づいたことがある。齋藤飛鳥はこのエッセイの中で、「やさしさ」と「優しさ」を混同している箇所がある、と。基本的には「やさしさ」についての話だが、「優しさ」について書いている部分があるのではないか、と気づいた。

それが、先程も引用した『私はやさしくありたいと思うが、やさしくなりたいとは思わない』という一文だ。この文章は以下のように続いていく。

『何故か。
薄っぺらい人間だからだ。
これはあくまでも私の考えだが、私みたいな奴にやさしくされても皆は嬉しく無いと思う。
私のような薄っぺらい人間にやさしくされても
ありがとう。なんて言いたく無いと思う。』

齋藤飛鳥はここまでの部分で、母親の「やさしさ」や、自分が受ける「やさしさ」への疑いなどについて書いてきた。しかし、この「私みたいな薄っぺらい人間にやさしくされても嬉しくない」という話は、「優しさ」についての話ではないかと考えた。

今回のエッセイを読んで一番に感じたことは、この「私みたいな薄っぺらい人間にやさしくされても嬉しくない」という部分をもっと掘り下げて欲しい、ということだった。一読した時、この部分は弱い、と感じたのだ。

何故なら、薄っぺらさとやさしさには関係がないと思うからだ。あくまで僕の感覚だが、「やさしく」振る舞うことは、ある種の挨拶みたいなものだ。挨拶は、薄っぺらであるかどうかに関係なくする。潤滑油みたいなものだ。「やさしく」振る舞うことは、挨拶ほどは容易くはないが、しかしこちらもある種の潤滑油みたいなものであって、薄っぺらかどうかとは関係ないと僕は思う。薄っぺらな人間からされた挨拶でも不快にはならないように、薄っぺらな人間から受けた「やさしさ」に対して特に不快に思うことはないのではないか。

今文章を書いていて、なるほど、齋藤飛鳥がここで指摘していることが「優しさ」についてだとすれば話が通る、と感じた。確かに、こちらも僕の感覚にすぎないが、薄っぺらな人間から「優しく」振る舞われることは、ちょっと不愉快かもしれない。薄っぺらな人間というものを齋藤飛鳥がどう捉えているかにもよるが、「優しく」振る舞う人には、何らかの深い考えがあって欲しい、と感じることは自然かもしれない。

齋藤飛鳥が、自分が受けるやさしさは「やさしさ」、自分が与えるやさしさは「優しさ」と書き分けていたとは思わない。混同しているのだろう。あくまでも僕の解釈が正しければだが。

僕は、齋藤飛鳥は文章を書ける人だと感じているが、まだまだ文章を書くという経験の絶対量が足りない。絶対量が足りない中で人に読んでもらう文章を書かなければならない状況、というのもなかなか大変だろう。しかし、以前にも書いたが、この「別冊カドカワ」の場でどんどん書き、鍛錬を積んで欲しいと思う。このまま文章を書き続ければ、齋藤飛鳥は、人間や社会を独自の目線で鋭く切り取るエッセイストになれるだろうと思う。そういう齋藤飛鳥を楽しみに待ちながら、これからも齋藤飛鳥のエッセイを読みたいと思う。

今回の「別冊カドカワ 総力特集 乃木坂46 Vol.3」の感想は、齋藤飛鳥のエッセイについてだけ触れて終了である。個人的には、齋藤飛鳥のエッセイ以外に採り上げたいと思うものはなかった。面白くないわけでは決してないが、僕の関心とは重ならなかった、という感じだ。
「別冊カドカワ 総力特集 乃木坂46」自体はとても良い企画だ。毎回齋藤飛鳥のエッセイが読めるのは言うに及ばず、写真だけではなくインタビューなども多い点や、乃木坂46の歴史や周辺などについて知ることが出来る点も良い。普段は雑誌やテレビなどでそこまで露出がないメンバーが価値観や決意を語る場としても有用だろう。続けられる限り続けて欲しいと思う。

「別冊カドカワ 総力特集 乃木坂46 Vol.3」

「BRODY 2016年10月号」を読んで



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言葉や価値観に惹かれる傾向にある僕は、雑誌を買う時に、グラビアがたくさん載っているかどうかではなく、インタビュー記事がたくさん載っているかで判断することが多い。

「BRODY」の月刊誌としての創刊号は、そういう意味で、とても良い雑誌だった。乃木坂46関連のインタビューが、非常に充実していた。

乃木坂46のインタビューで、圧倒的な存在感を放つのは橋本奈々未だ。橋本奈々未のインタビューをすべて追っているわけではもちろんないのだが、どれを読んでも、問われたことに対する理解度、自分自身に対する客観視、価値観を言葉にする言語力など、アイドルだから、ということではなく、一人の人間としてそれらの能力に優れていると感じさせる。

橋本奈々未は、常に「冷徹な観察者」という感じがする。「冷徹な」という形容が正しいかはともかく、いつどんな場にいても「観察者」として存在している、というのは多くの人が抱く感覚ではないかと思う。そして、観察対象との距離感みたいなものが、どことなく「冷徹さ」を感じさせる。

『私の場合、笑うツボが小さいころから周りとあまり合わなかったりして』

この感覚は僕にもあって、こういう感覚は人を「観察者」にさせるのだと感じる。周りとの価値観にズレを感じなければ、周りを殊更に観察する必要はない。しかし、周りとの価値観にズレを感じれば、周囲と溶け込むためには観察することが必須となる。何故今笑っているのか、何故今泣いているのか、他人はどういう時にどういう行動をするのか、自分の行動はどう見られているのか…。観察し、言葉や感覚として捉え、カムフラージュとしてそれらを表面にまとっていく。学校という狭い世界の中で生き抜くためには必須の能力だろうし、橋本奈々未はその力が異様に発達しているのだろうと思う。

そんな橋本奈々未がインタビューの中で語っているのは、「自分の境界」についてだ。

『自分が思ってる自分が「自分じゃない」って言われることがあるんですよ。「ななみんってこうだよね」っていうイメージがひとり歩きしちゃうんです(中略)どこからが本当の自分の意志でやっていて、どこまでが周りに求められてやっていることなのか、たまにその境界線がわからなくなることはありますね。その積み重ねによって自分が変わっていってしまうのかもしれないとは感じていて。』

アイドルに限らず、他者に見られることを仕事にしている人のメンタリティがどうなっているのか、その一般的なところは僕にはまるで分からないが、橋本奈々未は、アイドルという仕事を通じて、「本来の自分」が変化していくのではないか、という危惧を抱いている。

『うん、思ってないことは言えないんだよね』

そう語る橋本奈々未は、恐らく、「本来の自分」と「アイドルとして見せる自分」を出来る限り近づけようとしているのだろう。近づけよう、というか、遠ざからないように、という感覚だろうか。例えば秋元真夏は、「本来の自分」と「アイドルとして見せる自分」を意識的に離し、まったく違うものとして扱っているだろう。そういう生き方が出来る人もいる。しかし橋本奈々未は、自分の感覚としてそれはやれない。「本来の自分」と「アイドルとして見せる自分」は、限りなく肉薄している。

だからこそ、その変化にも敏感なのだろう。

橋本奈々未はおそらく意識的に、「本来の自分」と「アイドルとして見せる自分」を定期的に比較しているのだろう。そしてそこがあまりズレないことが、橋本奈々未がアイドルとしてやっていく上での一つのルールみたいなものとして機能しているのだろう。しかし、「アイドルとして見せる自分」は、様々な要因によって変化していく。基本的に、「アイドルとして見せる自分」というのは受け取り手のものだからだ。「本来の自分」と「アイドルとして見せる自分」を定期的に比べている橋本奈々未は、「アイドルとして見せる自分」に「本来の自分」が引きずられるような感覚を持っている。

『うーん…これはひとによると思うし誤解されてしまうかもしれないんですけど、このお仕事をしていると失うものも多いと思ってるんですよ。それはあくまで私の性格上のことなんですけどね。だからなるべく変わらないほうがいいとは思うし、昔はこんなこともできていたのにって感じることも多いから、それは忘れないようにしておきたくて』

「アイドル」としては異質の存在感を放つ橋本奈々未は、アイドルという仕事が自分から何を奪っていくのかということについても冷静に観察する。それは、プライバシーや自由といった、他者に見られる仕事につきものの、誰でも思いつきそうなものではなく、もっと感覚的なものだ。

『ひとに対する気遣いとか優しさ…わかっているのに優しくできないとか、そこに寄り添ってあげられない自分の気持ちの弱さとか。意地悪な気持ちが生まれやすい環境ではあると思うから、そこに自分が侵食されたくないと思ってるのかもしれない』

こういう感覚を未だに維持できている、ということが、橋本奈々未の凄さの一端だろうと思う。乃木坂46が結成されてから5年。5年も一つの環境にいれば、その環境における「普通」に価値観が馴染んでしまうのが当然だろう。その中で橋本奈々未は、自分がかつて持っていたもの、今まさに失われつつあるものなどに対して自覚的だ。アイドルという仕事に就いた以上宿命であると諦めている部分もありながら、それでも「本来の自分」を手放さないようにしようという芯を持ち続けている。

『地元については、将来戻ったときに順応できれば自分はひととしてまちがってないんだっていうか(笑)
うん、そう思えるようにしていたいんですよね。ひとつの指標じゃないですけど』

橋本奈々未は、アイドルとして生きている中で、ある種の限界のようなものを捉えたのだろう。「アイドルとして見せる自分」を持つ以上、そして持たざるを得ない以上、それは「本来の自分」からは離れていくのだし、その乖離を完全に自覚し切るのは無理なのだ、と。だからこそ橋本奈々未は、指標を外に用意した。これもまた、非常に冷静だ。「本来の自分」の変化を感じ取るために、「地元(の友達)」との関係性を注視する。そんな風に橋本奈々未は、自らの思考力・言語力に加え、客観的な指標をきっちりと手放さないでいることで「本来の自分」を保ち、「自分の境界」を認識し続けているのだろうと思う。

橋本奈々未の客観的な者の見方は以前から凄いと感じていたが、改めてその凄さを実感したインタビューだった。

さて、そんな橋本奈々未は、客観視の能力が高いが故に、こういう性質を身にまとうことになる。

『これをサービス精神と言っていいかはわからないんですけど、少なくとも私は自分のためにはがんばれないんですよ』

この感覚は、客観視によってもたらされていると僕は感じる。
客観視というのは、自分が自分を見るのではなく、他者として自分を見ることだ。つまり橋本奈々未は、常に「誰かから見た自分」を意識していることになる。

僕も基本的に似たタイプだから同じような発想になるのだけど(僕も、自分のために頑張るのはなかなか難しい)、常に「誰かから見た自分」を意識しているが故に、その「他者視線」を満足させるように行動してしまう。

『だから羨ましいじゃないけど、自分が必死になれるということは、自分が役に立ってると感じられるということだと思っていて。さっきと同じような話になりますけど、自分がいちばん活き活きして必死になれるときって、自分になにかしてあげてるときじゃなくて、ひとの役に立っていたりひとに求められていることが目に見えてわかるときなんだろうなって思います。このお仕事をしていると、どうしてもそれが伝わりづらくて。求めてくれている人に自分がしたことが与えている影響って、まったく自分があまり知らないところで起こっているわけじゃないですか。だから握手会で「こういうときにこういうことを言ってくれたからがんばれました」みたいに言われるのはすごくうれしいけど、自分の中でまったくリアリティが伴ってこないんですよね』

自分を常に外側から見ているから、「何かしたい」「こうなりたい」みたいな、「自分」という立脚点を必要とする望みは生まれにくくなるし、次第に、「他人がして欲しいと望んでいること」を提供できることの“楽さ”(“楽しさ”ではなく)を感じるようになっていくだろう。その感覚はとてもよく分かる。

「本来の自分」を否が応でも変質させる「アイドルとして見せる自分」を持たざるを得ないアイドルという仕事に危惧を抱きつつ、同時に、求められることを返すことによって「本来の自分の境界」をはっきりさせていく橋本奈々未。「ロケ弁が食べられるから」という衝撃的な理由でオーディションにやってきた橋本奈々未は、最初から、そして今なお、「アイドル」という枠組みから外れ続けていると言えるだろう。アイドルという仕事が、自分を失わせ、同時に自分をはっきりとさせる。その奇妙なバランスと危うさが、橋本奈々未という稀有なアイドルを作り上げているのだろうと、改めて認識させられた。

橋本奈々未は、他者への洞察力も実に高い。

周りの人と合わない、と語るあるメンバーに対して橋本奈々未は、『自分があるからそうなるんだろう』と分析する。

松村沙友理である。

『自分がおもしろいと思うことだったり、正しいことやまちがってることが自分の中でちゃんと整理がついてるんだよ。その基準で周りで起こることを見て、自分の基準で笑えたり怒れたりするから、結果的に「合わない」と思うことが多いのかもしれない。』

橋本奈々未は松村沙友理をそう捉える。

松村沙友理のインタビューはあまり読んだことがないが、見た感じの「明るい」「自分の見せ方が上手い」「面白い」というイメージは、どうも、本来の自分とはかけ離れているという感覚があるようだ。「別冊カドカワ 乃木坂46 Vol.2」で初めて松村沙友理のインタビューを読んで、自分自身をどう捉えているのかを知った。

テレビなどでの松村沙友理しか知らない人(僕もそうだ)にとっては意外ではないだろうか。橋本奈々未も松村沙友理に対して、『さゆりんは、最初の印象では私とは真逆の人間だと思った』と言っている。確かに、橋本奈々未と松村沙友理は、真逆の人間に思える。

橋本奈々未は松村沙友理のことを、『なんとなくその場の空気や流れを見て、なんとなく察知する力がある』と評するが、松村沙友理の感覚では、自身はKYなのだと言う。

『すべての考え方が周りとズレすぎていて。昔に流行った言葉で言うとKY…自分凄いKYだなって思います。だから「空気読めるね」って言ってもらえることが多いんですけど、自分的にはぜんぜんそうは思えなくて、もうちがう世界の住人みたいな感じがしてしまって。周りのひとたちと合わなさすぎて悩んでるんですよ』

また、テレビを通じて見る松村沙友理のイメージは「明るい」「テンションが高い」というような感じだろうと思うが、松村沙友理自身は『性格がすごく地味だから』と言っている。

やはり、「アイドルとして見せる自分」と「本来の自分」との感覚はズレるものらしい。橋本奈々未が語っていたように、イメージ先行で「らしくない」と思われたりするようなことと同じだろう。松村沙友理自身は空気を読んでいる意識はないが、周りからはそう見られる。松村沙友理のことを僕は秋元真夏と同じタイプだとちょっと前まで思っていて、ある程度の戦略込みで自分の見せ方を選びとっていると思っていたので、「空気が読めない」という感覚を持っているというのはとても意外だった。

「本来の自分」と「アイドルとして見せる自分」の話で言えば、松村沙友理もまたその両者は肉薄しているようだ。でも、インタビューを読む限り、橋本奈々未とは少しイメージが違う。橋本奈々未の場合は前述したように「遠ざからないように意識して近づけておく」という感覚を持っている。しかし松村沙友理の場合は、「(遠ざけたいかどうかはともかく)自然に近づいてしまう」という感じだ。

『私はむしろ(仕事とプライベートの)線引きが下手だと思うんですよね。「これはお仕事だから」みたいに思えなくて。』

非常に面白いなと思ったのが、「◯◯ちゃんと遊びました!」みたいなことをブログに書けない、という話だ。

『自分でダメだなって思うのが、ブログに「◯◯ちゃんと遊びました!」とか「◯◯に行きました」みたいなことをぜんぜん書けないんですよ。なんか、ブログに書くために遊んでるんじゃないかって思えてきちゃって。』

この感覚は凄くよく分かる。松村沙友理は真面目なんだろうな、とこの部分を読んで強く感じた。「本来の自分」と「アイドルとして見せる自分」をうまく分けられないばかりか、分けることに対して罪悪感みたいなものを抱いてしまっているのだろう。嘘をついているような感覚になるのだろうと思う。考えすぎる人間はこうなってしまうが、僕はそういう部分に人間的な魅力を感じる。

テレビで見ているだけだと、松村沙友理が深い考えを持って動いているということはなかなか知り得ないので、今回のインタビューは、「別冊カドカワ」でのインタビューと併せて、印象的なものだった。

『私がいろんな物事を考えるときに優先していることは、どちらかというとファン向きじゃないんですよ。すべて一般の方にどういうふうに届くかを考えていて。乃木坂46のことをよく知らない方がフラットな気持ちで見た時にどう受け止めてもらえるかをすごく考えちゃうんです』

そう語る松村沙友理の言葉は、同じ雑誌に掲載されている白石麻衣のインタビュー中のこんな言葉にも通じる。

『実は握手会でファンの方と接することで、私を知ってから乃木坂に興味を持ったと直接言われることも多くて。(中略)
でもみんな、そこからどんどん推し変してしまうんですよ(笑)。(中略)最終的には乃木坂を応援してくれてることには変わりないので、結果的には全然いいやみたいな。』

松村沙友理も白石麻衣も、自分のファンは元より、今はまだ乃木坂46のファンではない人に視線が向いている。もちろん、松村沙友理は意識的に、白石麻衣は結果的にそうなった、という違いはあるかもしれない。また、安定的に人気のあるメンバーだからこそそういう方向に目を向ける余裕がある、という側面だって当然ある。とはいえ、生駒里奈もそうだろうが、「グループとして輝くために私がいる」という意識を、実践する中で表に出せるメンバーが多いことが、乃木坂46というグループの強みなのだろうと感じる。目立つ場所にいるメンバーがそういう意識でいればいるほど、その意識はグループ全体に広がっていくだろう。また、48グループのような総選挙がない、ということも、良い方向に働いている、ということなのかもしれない。「競争」が組み込まれた場合、グループのためにという意識は通常よりは薄れてしまうだろうから。

白石麻衣のインタビューで印象的だったのは、「プロ意識」についての話だ。

『よく周りの方からプロ意識が強いと言われますけど、私はそこまで…みんなが思ってる程じゃないと思いますよ(笑)。これが普通だと思ってるだけで。』

白石麻衣のインタビューもさほど読んだことがないので、自分の中でまだ白石麻衣はうまく掘り下げられていない。白石麻衣は確かに、「乃木坂工事中」などでも常に、求められる役割を完璧に全うしているように見えるし、他の場面でも周りからそう見られるほど「プロ意識」が高く見えるのだろう。しかし白石麻衣はそれを「普通だと思ってる」と語る。僕の白石麻衣のイメージは、中学の頃に引きこもって学校に行かなくなった、というぐらいのものだ。そこからどのようにして、周囲から賞賛されるほど「プロ意識」が高く見られるような意識を身につけていったのか。乃木坂46の中で常に最前線に立ち続けなければならなかった、という環境がそうさせたのかもしれないが、今後その辺りの意識を掘り下げたいものである。

同じく「グループとして輝くために私がいる」という意識の強い生駒里奈は、欅坂46のセンターである平手友梨奈を心配する。

『あと、みんな平手ちゃんのことを「天才」っていうのは良くない!確かにあの子は天才かもしれないよ。でも、それは言っちゃダメ。平手ちゃんだって絶対に気にするだろうし、もしも手のひらを返すようなことが起きた時に傷つくのは彼女なんだから。だからあんまり言いすぎないで欲しいです。』

生駒里奈の発言を追っていると、最近は、「他のメンバーを輝かせたい」ということを良く言っているように思う。例えば「EX大衆2016年9月号」ではこんな風に言っている。

『(だからフォローする側に回りたいんですね、という確認に対して)ウチはそういうところに落ち着いたのかなって。下手くそかもしれないけど、若いメンバーをフォローしていきたいと思ってます。私もそれが心地いいし、いまはいいバランスがとれいているんです。』

ちなみに松村沙友理も「別冊カドカワ 乃木坂46 Vol.2」の中で、『どうしてもこの子(2期生)たちを知ってもらいたいと思っちゃう。うちにはもっとすごい子たちがいるんだぞって』と似たような発言をしている。

生駒里奈の平手友梨奈に対する気遣いは、「何も知らないままのセンター経験者同士である」という部分ももちろんあるだろうが、生駒里奈の、他のメンバーを輝かせたりサポートしたりしたい、という現れなのだろうと感じる。先程触れた、白石麻衣や松村沙友理の「今まだ乃木坂46のファンではない人に向いている」という感覚とはまた違うが、生駒里奈は生駒里奈で、彼女にしか出来ないやり方でグループ全体のことを見ている。「アイドル」という、自分自身が光らなければ生き残れない環境で、他人を輝かせるためにも奮闘する生駒里奈のあり方は、やはり乃木坂46を語る上で外せないだろう。

さてこの記事は、橋本奈々未と松村沙友理の自己認識についての話から始まった。最後に、白石麻衣、生駒里奈、そして衛藤美彩の自己認識について触れてこの記事を閉じようと思う。

まずは白石麻衣。

『私、本質的にネガティブ思考なんですよ(笑)
(でも普段の白石さんを見ていると、そういうネガティブな部分はあまり表には出てませんよね)
お仕事のときはそうですね。でもひとりになったときとか家に帰ったときとか、落ち込むときはとことん落ち込むんです』

ドキュメンタリー映画「悲しみの忘れ方」を見ているので、白石麻衣のネガティブについては知らないわけではないのだが、やはり画面越しに見ていると、そういう雰囲気はまったく伝わらないので、こういう発言は意外に感じてしまう。

生駒里奈。

『(生駒さんのいちばんの武器ってなんだと思いますか?)
普通。周りにはカワイイ子が多いし、歌上手い子が多いし、演技が出来る、才能があるっていう子が多い中で私がいるから、ある意味目立つなって。普通だから。普通な意見をパーンって言えるし、ビッグな人を引き立たせることもできる。普通なことが逆に珍しいことことなのかなって思います。』

同じく「悲しみの忘れ方」の中で、『私はここまで運だけで来てしまいました』と言って泣いていた少女は、「普通」である自分自身に強みを見出した。強くなったものだ。

最後に衛藤美彩。

『強いとかしっかりしているようなイメージを持っている方は多いですね。自分はそう思ったことがないから、そのギャップに悩んできました』

衛藤美彩について僕は特別イメージを持っていないが、「なんでもそつなくこなせそうな感じ」は確かにある。

今回記事の中で色んなことについて触れたが、しかしこの「BRODY 2016年10月号」のインタビューはどれも、「本来の自分」と「アイドルとして見せる自分」のあり方について触れられていて、インタビュー自体も今まで読んできたものと比べて濃くて、非常に充実していたと感じた。こういう雑誌が増えてくれると嬉しい。


「BRODY 2016年10月号」を読んで

「15thシングルキャンペーン・新センター齋藤飛鳥の1人でヒット祈願inミャンマー」を見て



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24時間テレビを横目で見ながら感じることがある。
それは、みんな泣いていて不自然だな、ということだ。

僕にはそこに、「泣かなければならない圧力」みたいなものを感じ取ってしまう。
その圧力は、現実に存在するものかもしれないし、出演者個々の妄想の集合体みたいなものなのかもしれないが、いずれにしてもそういう圧力に「屈して」泣いているように見えてしまう。

これは語弊があるだろうからきちんと説明するが、
本当に悲しいと思って泣いている人ももちろんいることだろう。
それを疑っているわけではない。
ただ、実際に悲しいと感じて、あるいは感動して泣いているのだとしても、前述したような圧力がある場(あるように見える場)で泣くということは、そういう圧力に「屈して」泣いているように受け取られても仕方がない、と僕は思う。

別に24時間テレビに限る話ではない。オリンピックやワールドカップなどでみんなが日本を応援してる感じとか、バラエティ番組で、ここで笑ってというように笑い声が挿入されている感じなど、昔から「そう感じなければいけない圧力」「感じたことを表に出さなければいけない圧力」みたいなものに強烈に違和感を覚えてきたし、そういう場所からは出来る限り逃げるようにしてきた。

さて、齋藤飛鳥の話である。

先日「乃木坂工事中」で、15thシングルキャンペーンである、齋藤飛鳥のミャンマー一人旅を見た。以前齋藤飛鳥の料理に強烈なナレーションを入れたディレクターが担当だとかで、齋藤飛鳥の自由奔放な感じとか、他人とは感じ方の違う部分なんかがうまくフィーチャーされていて、齋藤飛鳥のファンとしてはとても面白い回だった。

その中で、僕がとても気になって、とても共感できた部分がある。

『撮れ高は(スタッフが)満足して帰ることはないと思います。
お寺とか好きなので凄くテンション上がってたんですけど、それであれなので(テンション上がってるように見えませんでしたよね?という確認の発言)。』

『今結構テンション上がってるし、感動してる(と割と低いテンションで話す)』

『嬉しさ伝わってますか?』

この旅中、齋藤飛鳥は何度かこういう類の発言を繰り返していた。
そしてこういう部分を、僕はとてもいいなぁ、と感じてしまう。

悲しかったら涙を流すとか、嬉しかったらはしゃぐとか、怖かったら叫ぶみたいな「反応」って、どうしても「他者」の目を意識したものになる。もちろんこれも先ほどの24時間テレビの話と同じだが、例えば「他者」が誰もいなくても嬉しかったらはしゃぐ、という人はいるだろう。しかし同時に、そういう振る舞いが「他者」を意識したものであるように受け取られることは仕方ない、と僕は思っている。

アイドルというのは、そういう「反応」をどれだけ自然に見せられるか、ということも人気を左右する一つの指標となるだろう。何らかの感情の動きに対して、それを外側に分かりやすく「反応」として提示することで興味を持ってもらったり好きになってもらったりする。それを意識的にやろうが無意識的にやろうがどちらでも構わないが、いかに自然にそう振る舞えるかで、人気や評価が変わってくる存在であるように僕は感じている。

齋藤飛鳥は、恐らくではあるが、そういう存在としてのアイドルを「THEアイドル」と呼んでいる。

齋藤飛鳥はインタビューなどで頻繁に、「昔はTHEアイドルを目指してたけど、そうじゃなくても受け入れられることが分かってからはそれを目指さなくなった」というような発言をしている。そこで言う「THEアイドル」は、恐らく僕が前述したようなものではないかと思うのだ。

齋藤飛鳥は、その「THEアイドル」を目標にすることを止めた。「THEアイドル」を目指していた頃の齋藤飛鳥のことは知らないが、僕は今の齋藤飛鳥の振る舞いが好きだ。

ミャンマー一人旅をしている齋藤飛鳥は、確かに笑顔ではあるが、物凄く楽しそうに見えるわけではない。馬がただぐるぐる回っている土産物を見て瞬間的にテンションが上がったりするような場面はあるが、全般的に同じようなトーンで過ごしているように見える。

しかし齋藤飛鳥自身の感覚としては、凄く感動している時とそうでない時がきちんとあったのだという。
そして、凄く感動している時に、それを「反応」としてわざわざ提示しない齋藤飛鳥に、僕はとても好感を抱く。

齋藤飛鳥がどういう感覚でそういう振る舞いをしているのかは分からないし、別に意識的にやっているわけではない、ということだってあるだろう。ただ、どういう感覚でそうしているかに関わらず、感情を「反応」として提示しないという選択はなかなか勇気がいるものだと僕は感じるし、それを結果的に選びとっている齋藤飛鳥は凄いと感じてしまう。

感情に合わせた「反応」を普通に見せる方が、一般人としても楽だし、当然アイドルとしても楽なはずだ。「反応」を見せないことで、周りを不安にさせたり、余計な誤解を生んだりすることもあるだろう。特別良いことはないはずなのだ。

だからこそ、そういう行動を取る齋藤飛鳥に僕は、強い意志を感じてしまう。それが本来の自分であるのかどうかはともかく(僕は、そういうあり方が本来の齋藤飛鳥に近いのだろうと思ってはいるが)、「反応」を見せないという自分を提示する、という選択に、自分自身を貫く意志や、何か大きなものに抵抗する意志など、敢えて苦しい道を選んでいるような強い何かを感じてしまう。その分生きづらくなるはずだが、たとえそうだとしても自分の感覚に正直でいようとする振る舞いに、好感を抱く。

齋藤飛鳥自身は恐らくそこまで意識的にはやっていないだろう。僕も、「反応」を見せることが苦手なタイプだから、齋藤飛鳥の振る舞いはそもそも共感できる。別に自分がどう思ったかが大事なわけで、それを周りにいる「他者」(面識があろうがなかろうが)に見せる必要はない。きっとそれぐらいの感覚だろうと思う。自分のあり方に素直なだけだ。
しかし一方で、「反応」を見せないことで、周りの人を不安にさせたり、要らぬ誤解を与えたりする経験も数多くしてきたはずだ。アイドルであれば、なおさらそれが不利に働く場面もあるだろう。そういう不利益があることが分かっていて、なおそういうあり方を貫く齋藤飛鳥の姿に僕は惹かれる。

しかも、「反応」を見せない振る舞いが基本だからこそ、「反応」を見せた時の真実味みたいなものが増す、ということもあるはずだ。
メンバーのインタビューを読むと、齋藤飛鳥はよく泣くのだという。僕には齋藤飛鳥がよく泣くというイメージは特にないのだが、しかし本当に齋藤飛鳥がよく泣くのだとすれば、その涙はより本物に近いように映ると僕には思える。

何故なら、普段「反応」を示さない齋藤飛鳥が、「泣く」という「反応」を露わにしているからだ。

僕はライブや握手会に行ったことがないので、そういう場で齋藤飛鳥が涙を見せているのかどうかは知らない。ファンにも見せるのか、あるいはメンバーの前でだけなのか、それは僕には判断できないが、いずれにしても、齋藤飛鳥の涙を見た者は、それが普段見られない齋藤飛鳥の「反応」であるという意味で、よりその「反応」を強くリアルに感じ取るのではないかと僕は思うのだ。

もちろん、その辺りのことを齋藤飛鳥が計算でやっている、なんてことを主張したいわけではない。計算だろうが計算じゃなかろうが僕にはどっちでも構わない。いずれにしても、見せる必要がないと齋藤飛鳥が感じる「反応」は敢えては見せない、というミャンマー一人旅の企画で見せたそのスタンスは、齋藤飛鳥に対する僕の関心をより強くした。


ミャンマー一人旅の企画はそれ以外にも、齋藤飛鳥の魅力に溢れた企画だった。

例えばその独特な言語感覚。ある料理を食べた時、齋藤飛鳥はこんなコメントをしていた。

『台湾についた瞬間、その国の匂いってあるじゃないですか?その味です』

味についてはまったく何も伝わらないのだが、その独特の言語センスがとても素敵だ。ミャンマーでご飯を食べていて台湾が出てくるのも謎だし、匂いが味です、という日本語はメチャクチャなのだけど、でもそういうことを言っても齋藤飛鳥はバカっぽく映らない。安部公房や遠藤周作などの作品を読んでいるというイメージがそうさせるのか、常に一本芯が通っているかのような雰囲気がそう見せるのか分からないが、齋藤飛鳥の発言は、内容的にそれがどれだけ意味不明なものであっても、的を外した感じにならない、という点は、齋藤飛鳥の強みであるように思う。

「張り切りチャイティーヨー」という謎のフレーズも印象的だった。この発言の意図を説明する齋藤飛鳥の言葉は正直意味不明で、ディレクターも「齋藤飛鳥は疲労にやられてしまっていたようだ」というようなナレーションを入れていた。しかしこちらも先程と同じで、意味不明なのだけど面白いし、外した感じがない。齋藤飛鳥はまだ、「乃木坂工事中」の中でもそこまで喋る方ではないが、深い思索を感じさせる橋本奈々未や、異次元の発想を繰り出す堀未央奈などとはまた違った形の言語感覚を見せてくれるはずだと期待している。

母親から、ミャンマーのご飯は味が濃いから日本から何か食べ物を持っていけ、と言われて齋藤飛鳥が持ってきたのが「おかゆ お茶漬け リゾット」という「三大べちゃべちゃしたご飯(僕が勝手に名づけました)」なのはもう鉄板のネタだし、雨季のため状況次第ではロケを中止しなくてはならなかったかもしれない中、齋藤飛鳥が外にいる時間だけ雨が一切降らなかったという奇跡を呼び寄せたのも、持ってるなという感じがする。齋藤飛鳥らしさを存分に引き出す面白いナレーションも健在で、見た目のテンションに変化がない齋藤飛鳥の姿をとぼけた感じに見せるのに大いに貢献していると感じた。

今回初めてセンターに選ばれ、そのことによって今までやる機会のなかった仕事や状況に直面する機会も触れるだろう。齋藤飛鳥は、まだまだ秘めたものを持っていると僕は勝手に感じている。齋藤飛鳥自身は、「何かを知らないことは恥ずかしいこと」「努力している姿を見せたくない」とインタビューなどで語っているが、そういう部分も垣間見せていくようになると、より齋藤飛鳥の魅力的な部分が表に出るのではないか、と感じさせる今回の企画だった。

「15thシングルキャンペーン・新センター齋藤飛鳥の1人でヒット祈願inミャンマー」を見て

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2013年ベスト

2013年の個人的ベストです。

小説

1位 宮部みゆき「ソロモンの偽証
2位 雛倉さりえ「ジェリー・フィッシュ
3位 山下卓「ノーサイドじゃ終わらない
4位 野崎まど「know
5位 笹本稜平「遺産
6位 島田荘司「写楽 閉じた国の幻
7位 須賀しのぶ「北の舞姫 永遠の曠野 <芙蓉千里>シリーズ」
8位 舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日
9位 松家仁之「火山のふもとで
10位 辻村深月「島はぼくらと
11位 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない
12位 浅田次郎「一路
13位 森博嗣「喜嶋先生の静かな世界
14位 朝井リョウ「世界地図の下書き
15位 花村萬月「ウエストサイドソウル 西方之魂
16位 藤谷治「世界でいちばん美しい
17位 神林長平「言壺
18位 中脇初枝「わたしを見つけて
19位 奥泉光「黄色い水着の謎
20位 福澤徹三「東京難民


新書

1位 森博嗣「「やりがいのある仕事」という幻想
2位 青木薫「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」 3位 梅原大吾「勝ち続ける意志力
4位 平田オリザ「わかりあえないことから
5位 山田真哉+花輪陽子「手取り10万円台の俺でも安心するマネー話4つください
6位 小阪裕司「「心の時代」にモノを売る方法
7位 渡邉十絲子「今を生きるための現代詩
8位 更科功「化石の分子生物学
9位 坂口恭平「モバイルハウス 三万円で家をつくる
10位 山崎亮「コミュニティデザインの時代


小説・新書以外

1位 門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日
2位 沢木耕太郎「キャパの十字架
3位 高野秀行「謎の独立国家ソマリランド
4位 綾瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出
5位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠 3巻 4巻 5巻
6位 二村ヒトシ「恋とセックスで幸せになる秘密
7位 芦田宏直「努力する人間になってはいけない 学校と仕事と社会の新人論
8位 チャールズ・C・マン「1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見
9位 マーカス・ラトレル「アフガン、たった一人の生還
10位 エイドリアン・べジャン+J・ペタ―・ゼイン「流れとかたち 万物のデザインを決める新たな物理法則
11位 内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち
12位 NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代
13位 梅田望夫「羽生善治と現代 だれにも見えない未来をつくる
14位 湯谷昇羊「「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂
15位 国分拓「ヤノマミ
16位 百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男
17位 山田ズーニー「半年で職場の星になる!働くためのコミュニケーション力
18位 大崎善生「赦す人」 19位 橋爪大三郎+大澤真幸「ふしぎなキリスト教
20位 奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年


コミック

1位 古谷実「ヒミズ
2位 浅野いにお「世界の終わりと夜明け前
3位 浅野いにお「うみべの女の子
4位 久保ミツロウ「モテキ
5位 ニコ・ニコルソン「ナガサレール イエタテール

番外

感想は書いてないのですけど、実はこれがコミックのダントツ1位

水城せとな「チーズは窮鼠の夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」

2012年ベスト

2012年の個人的ベストです
小説

1位 横山秀夫「64
2位 百田尚樹「海賊とよばれた男
3位 朝井リョウ「少女は卒業しない
4位 千早茜「森の家
5位 窪美澄「晴天の迷いクジラ
6位 朝井リョウ「もういちど生まれる
7位 小田雅久仁「本にだって雄と雌があります
8位 池井戸潤「下町ロケット
9位 山本弘「詩羽のいる街
10位 須賀しのぶ「芙蓉千里
11位 中脇初枝「きみはいい子
12位 久坂部羊「神の手
13位 金原ひとみ「マザーズ
14位 森博嗣「実験的経験 EXPERIMENTAL EXPERIENCE
15位 宮下奈都「終わらない歌
16位 朝井リョウ「何者
17位 有川浩「空飛ぶ広報室
18位 池井戸潤「ルーズベルト・ゲーム
19位 原田マハ「楽園のカンヴァス
20位 相沢沙呼「ココロ・ファインダ

新書

1位 倉本圭造「21世紀の薩長同盟を結べ
2位 木暮太一「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
3位 瀧本哲史「武器としての交渉思考
4位 坂口恭平「独立国家のつくりかた
5位 古賀史健「20歳の自分に受けさせたい文章講義
6位 新雅史「商店街はなぜ滅びるのか
7位 瀬名秀明「科学の栞 世界とつながる本棚
8位 イケダハヤト「年収150万円で僕らは自由に生きていく
9位 速水健朗「ラーメンと愛国
10位 倉山満「検証 財務省の近現代史

小説以外

1位 朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」「プロメテウスの罠2
2位 森達也「A」「A3
3位 デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ
4位 國分功一郎「暇と退屈の倫理学
5位 クリストファー・チャブリス+ダニエル・シモンズ「錯覚の科学
6位 卯月妙子「人間仮免中
7位 ジュディ・ダットン「理系の子
8位 笹原瑠似子「おもかげ復元師
9位 古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち
10位 ヨリス・ライエンダイク「こうして世界は誤解する
11位 石井光太「遺体
12位 佐野眞一「あんぽん 孫正義伝
13位 結城浩「数学ガール ガロア理論
14位 雨宮まみ「女子をこじらせて
15位 ミチオ・カク「2100年の科学ライフ
16位 鹿島圭介「警察庁長官を撃った男
17位 白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ
18位 高瀬毅「ナガサキ―消えたもう一つの「原爆ドーム」
19位 二村ヒトシ「すべてはモテるためである
20位 平川克美「株式会社という病

2011年ベスト

2011年の個人的ベストです
小説
1位 千早茜「からまる
2位 朝井リョウ「星やどりの声
3位 高野和明「ジェノサイド
4位 三浦しをん「舟を編む
5位 百田尚樹「錨を上げよ
6位 今村夏子「こちらあみ子
7位 辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ
8位 笹本稜平「天空への回廊
9位 地下沢中也「預言者ピッピ1巻預言者ピッピ2巻」(コミック)
10位 原田マハ「キネマの神様
11位 有川浩「県庁おもてなし課
12位 西加奈子「円卓
13位 宮下奈都「太陽のパスタ 豆のスープ
14位 辻村深月「水底フェスタ
15位 山田深夜「ロンツーは終わらない
16位 小川洋子「人質の朗読会
17位 長澤樹「消失グラデーション
18位 飛鳥井千砂「アシンメトリー
19位 松崎有理「あがり
20位 大沼紀子「てのひらの父

新書
1位 「「科学的思考」のレッスン
2位 「武器としての決断思考
3位 「街場のメディア論
4位 「デフレの正体
5位 「明日のコミュニケーション
6位 「もうダマされないための「科学」講義
7位 「自分探しと楽しさについて
8位 「ゲーテの警告
9位 「メディア・バイアス
10位 「量子力学の哲学

小説以外
1位 「死のテレビ実験
2位 「ピンポンさん
3位 「数学ガール 乱択アルゴリズム
4位 「消された一家
5位 「マネーボール
6位 「バタス 刑務所の掟
7位 「ぐろぐろ
8位 「自閉症裁判
9位 「孤独と不安のレッスン
10位 「月3万円ビジネス
番外 「困ってるひと」(諸事情あって実は感想を書いてないのでランキングからは外したけど、素晴らしい作品)